五木食品の<鍋焼シリーズ>として、 「鍋焼チャンポン」 ・ 「鍋焼カレーうどん」 を食べてきていますが、今回は【鍋焼えび天うどん】(88円:スーパーマルハチ)です。
本来は「IH対応製品」としてアルミ鍋が使用されていますが、従来通りガスコンロで温めて作りましたが、もちっとした弾力のある<生めん>で、指定時間の1分間ではなかなかほぐれませんでした。
具材も<えび天>だけではさびしい景色で、<玉子・長ねぎ>を入れてよく煮込みました。
角切りの太麺が鰹・昆布出汁のスープとよく絡み、<えび天>共々おいしくて、安心していただける<鍋焼シリーズ>です。
【ノジギク(野路菊)】は、咲き始めのころは 白色 の<舌状花>ですが、咲き終わりには写真のように淡い赤紅色を帯びてきます。
<舌状花>の形や枚数は、個体によってかなり差がみられる品種です。
そんなこともあり、咲いている場面に遭遇しますとどうしても花の観察をしてしまいますが、花の中心にある<筒状花>の部分から<舌状花>が飛び出している変異体を見つけました。
「ヒマワリ」や「ガーベラ」なども中心部に<筒状花>を密集させていますので、またそれらの花にも見つけることができるのか、興味がわきます。
今宵も<えっちゃん>から、 「ゲソの天ぷら」 を食べ終わりビールを呑んでいますと、大好物の【バッテラ】のおすそ分けが出てきました。
【バッテラ】の語源は、ポルトガル語の「bateira(バッテイラ)」に由来し、小舟の意味です。
1891(明治24)年、大阪順慶町で創業した<すし常>(現在は、大阪中央卸売市場業務管理棟16階)が、「コノシロ(ツナシ)」の片身を鮨に乗せた形が小舟に似ているということで、【バッテラ】と名付けられました。
寿司屋さんがポルトガル語に精通しているとは驚きますが、当時大阪の川に走っていたボートを「バッテラ」と呼び、一般的に使われていた言葉です。
大阪湾で獲る「コノシロ(ツナシ)」は漁獲量が安定せず、代用品として同じ青魚の「〆鯖」が用いられ、今日に至っています。
甘酢で煮た「白板昆布」を乗せた<押し寿司>は、酒の肴としても美味しい一品です。
寒い時期ですのでいつも通り「おでんの出汁」をかけてもらい、久しぶりに「ゲソの天ぷら」(250円)を肴に選びました。
カウンターの配膳台に置かれておらず、調理台に引き下げられていたのを見つけたのですが、「なんで?」と<えっちゃん>に訊きますと、「振りかけるネギがなくなったんで、ひっこめたん」とのことでした。
前回は長くて大きい <ゲソ天> でしたが、今宵は短めの長さでしたが歯ごたえも良く、七味を振りかけた「おでんの出汁」ともよく合い、美味しくいただきました。
呑み仲間の<ペコちゃん>から、4センチ角ほどの金色の紙に包まれた【マロングラッセ】をいただきました。ブランデーがよくしみ込んだ柔らかめの口当たりで、甘さ控えめでした。
包みの裏側にはメーカー名が書かれていませんでしたが、表側の緑色の部分の上側に「Mery’s」とあり、その横に女の子の横顔のマークがありましたので、東京・青山の洋菓子メーカー「メリーチョコレート」の製品だとわかりました。
マケドニアの英雄<アレクサンドロス大王>が、最愛の妻<ロクサーヌ>王妃のために作ったことから、ヨーロッパでは永遠の愛を誓う証しとして、男性が女性に【マロングラッセ】を贈る習慣があるそうです。
でも<ロクサーヌ>は、自分の息子を王位継承させるために、二番目の妻<スタティラ>とその妹を殺害していますので、権力争いの時代ですから【マロングラッセ】にまつわる逸話は、砂糖菓子として甘い話ばかりではなさそうです。
写真展の副題として「ーempathyー」が使われていますが、一般的には<感情移入・共感・共感的理解>などと訳されています。
作品は、作者が「心が動いた目の前のもの」を撮影されています。
その瞬間はいつも何気なく訪れ、映像的に目で捕えようとすれば、そんも瞬間はすでに通り過ぎてしまっています。
作者はせめて自分の琴線に触れた残像を追い求めるように、その瞬間にシャッターを押すことだけに意識を高め、撮影された大判の写真で構成された展示会でした。
できるだけ作者の意図に近づき、共感できればと、一味一枚拝見してきました。
高速神戸駅を出て、永田神社方面に向かう地下通路には、<洋食「ポテト」>と<中国料理【紹興飯店】>が並んでいますが、ここ3回ばかり 「ポテト」 さんが続いていますので、本日は【紹興飯店】の「日替わり定食」(700円)です。
定食類も数ありますが、「鶏肉の唐揚げ定食」を頼んだことはありません。
お店によってかなり<鶏肉>の肉質や味付けが異なり、閉口するようなから揚げもありますので、用心して避けていますが、ここでは一度 「ランチ」 で食べていますので安心でした。
具材たっぷりな「チャーハン」もおいしく、「若鶏のから揚げ」の量も多く、<タルタルソース>が添えられていました。
野菜の盛り付け部分に「カトレア」の花が飾られ、視覚的にも美味しく楽しめました。
今回の新開地駅のご担当は、<藤原スミ甫>先生でした。
「オクラレルカ(アイリス)」の葉物に、桃色の「カーネーション」と「シロタエギク」の組み合わせです。
まっすぐに伸びる「オkyラレルカ」の葉に対して、蕾の「カーネーション」が対比されているのか、のびやかな広がりを感じさせてくれています。
花材の少ない時期ですが、葉の向きの構成がきれいな姿でした。
野に咲く「ボロギク」の意が和名の【ノボロギク(野襤褸菊)】で、かわいそうな名称を付けられていますが、「ボロギク」とは「サクギク」を指しています。
キク科キオン属の一年草扱いで原産地はヨーロッパ、日本では明治時代初期に渡来した帰化植物です。
茎は中空で草丈20~40センチ程度、多数分枝して株を形成、気候が合えば一年中開花していますので、「ネンガラグサ」の別名があります。
花は頭状花だけで、黄色い筒状花だけの長さ8~10ミリほどの花を多数咲かせます。
<北杜生>が亡くなってはや3年ばかりが経ちますが、2009年に朝日新聞社から発行されていました本書が、新潮文庫に登場していました。
『楡家の人びと』や芥川賞受賞作品の『夜と霧の隅で』などの代表作をはじめ、<マンボウ>シリーズの随筆を高校生の頃に読みふけりました。
著者の「躁うつ病」は有名で、あちらこちらに自ら書かれていますが、当時は今ほど一般的な病名ではなく、同じ精神科医の<なだいなだ>が「北君の社会的貢献は、躁うつ病を世に広めたことだ」と言わしめています。
<斉藤由香>は著者の一人娘で、躁うつ病のために母親と一緒に別居生活を余儀なくされたことや株の投資で破産したこと、日本から独立して「マンボウマゼブ共和国」設立などの裏話が、二人の赤裸々な対談形式で楽しめました。
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