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あなたを強める三つの養い ―エリヤを通して学ぶー

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ツイッターかなー。こんな写真を... ツイッターかなー。こんな写真を見つけました。なんだか、人間みたいな表情ですねー。教会のちびっこたちも時々こんな顔になりますよ。
2019年2月3日日曜日バイリンガル礼拝


聖書箇所1列王記19:1-18

1列王記19章1-4
1 アハブは、エリヤがしたすべての事と、預言者たちを剣で皆殺しにしたこととを残らずイゼベルに告げた。
2 すると、イゼベルは使者をエリヤのところに遣わして言った。「もしも私が、あすの今ごろまでに、あなたのいのちをあの人たちのひとりのいのちのようにしなかったなら、神々がこの私を幾重にも罰せられるように。」
3 彼は恐れて立ち、自分のいのちを救うために立ち去った。ユダのベエル・シェバに来たとき、若い者をそこに残し、4 自分は荒野へ一日の道のりを入って行った。彼は、えにしだの木の陰にすわり、自分の死を願って言った。「主よ。もう十分です。私のいのちを取ってください。私は先祖たちにまさっていませんから。」

今日の箇所は、預言者エリヤがバアルの神とバアルの預言者たちと直接対決し、大勝利をした直後のできごとでした。聖書を読んで新しい方のために。。。 エリヤは、450人のバアルの預言者たちを相手に、二頭の雄牛を用意し、互いの神に祈り神自身にいけにえに火を付けてもらおうというものだった。エリヤは、自分のいけにえに水をまき火がつきにくいようにまでしました。そして、バアルの預言者たちは、祭壇の周りを踊りまわったり、身体を傷つけたりして祈りましたが、彼らの祭壇には何もおきませんでした。一方エリヤの方のいけにえには、真の神によって火が付きました。民はみな真の神をあがめました。

このような大勝利の後、アハブ王の妻イゼベルによる殺害予告をされるのです。そして、あのように勇敢に何者をも恐れず、真の神に信頼していたエリヤは、恐れて逃げるのです。
エリヤは、立派に大事業を終えたばかりでした。皆さん、私たちは、今日このお話を通して学びたいと思います。
私たちは、アンドロイドでも機械でもなく、大いなる真の神を信じているとはいえ、生身の人間なのです。大きなプロジェクトを終えた後はどっとつかれるのです。まして、神の霊によって用いられ、霊的な働きをした後は、なおさら、どっと疲れがでるものです。私も、日曜日の夜は、どっと疲れて夕食をつくる気にならないものです。皆さん方も、神様を信じている神の勇士たちです。神様にあって事業を成した後、また継続的に長く神様のために働くには、どのように養われ、回復していったらいいのでしょうか。聖書に従って、三つの点についてみて生きたいと思います。

★人間のエナジーゲージ

 1テサロニケ5:23
平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。
Now may the God of peace Himself sanctify you completely; and may your whole spirit, soul, and body be preserved blameless at the coming of our Lord Jesus Christ.

車のガソリンタンクのゲージのようなものを想像して下さい。私たちには、肉体、心/感情、霊の三つのゲージを持っているとしましょう。全てがFull に傾いていなければ、人間という存在は、壊れてしまうのです。走り続けることは出来ません。

① 肉体の養い Nurture Your body

1列王記19章5-8
5 彼がえにしだの木の下で横になって眠っていると、ひとりの御使いが彼にさわって、「起きて、食べなさい」と言った。
6 彼は見た。すると、彼の頭のところに、焼け石で焼いたパン菓子一つと、水の入ったつぼがあった。彼はそれを食べ、そして飲んで、また横になった。7 それから、主の使いがもう一度戻って来て、彼にさわり、「起きて、食べなさい。旅はまだ遠いのだから」と言った。
8 そこで、彼は起きて、食べ、そして飲み、この食べ物に力を得て、四十日四十夜、歩いて神の山ホレブに着いた。

 ★休息と滋養は、私たちの元気の源

エリヤがイザベルを恐れて逃げたとき、神様は、エリヤを責めませんでした。どうして信仰が無いのかとも言われませんでした。逃げるなとも言われませんでした。神は、天使を送って、エリヤに食事をさせました。そして、エリヤはまた眠り、また起き、天使に食べさせてもらいました。エリヤを選んで用いた神様は、エリヤのことを誰よりもよくご存知でした。エリヤが心身ともに疲れきっていたことを知っていました。また、その余裕のなさから、イザベルを恐れたことも分かっていました。そして、まだエリヤのする仕事があることも知っていました。それゆえ、彼の肉体をまず休ませ、食べさせたのです。そういえば、エリヤは、バアルの神との直接対決のとき、寝ずの対決だったのではないでしょうか。バアルの預言者たちは、夜通し踊り身体を傷つけながら大声で祈っていましたし、それをエリヤは見ていました。
Also, body keeps score
私たちも、体が資本です。体がなければ、私たちは、神のために働くことはできません。いくら、強い心を持っていても、体がなければ、その表現のしようがありません。聖書は、「私たちの身体は、聖霊の宮」であると言っています。
もし体、精神が疲れがちであれば、食生活と睡眠を振り返ってみてはいかがでしょうか。また、体が疲れているとき、判断力が鈍っているのかもしれません。元気なときにはしないような決断や、発言をしてしまうものです。
旅はまだ遠い…神は私たちが0%の時でも私たちのために先を見てちゃんと養ってくださる。まさに、新約が言っているように着る物食べる物のことをなぜ心配するのか? 野に咲く花を見よ、鳥たちを見よ、働かないのに神に食べさせてもらい、あんなにきれいに着飾らせてもらっていると。。。。

②  たましいの養い Nurturing Soul

1列王記19章9-10
9 彼はそこにあるほら穴に入り、そこで一夜を過ごした。すると、彼への主のことばがあった。主は、「エリヤよ。ここで何をしているのか」と仰せられた。
10 エリヤは答えた。「私は万軍の神、主に、熱心に仕えました。しかし、イスラエルの人々はあなたの契約を捨て、あなたの祭壇をこわし、あなたの預言者たちを剣で殺しました。ただ私だけが残りましたが、彼らはいのちを取ろうとねらっています。」

★心の傷を吐露するエリヤ これが彼の隠れた問題であり、彼を徹底的に疲れさせ恐れさせた原因であった。

エリヤは、「何をしているのか?」と、神に話しかけられ、言いました。「私は熱心に神に仕えてきた」「イスラエルの民は、預言者を剣で殺し、私だけが残りました。今は、私まで殺されそうです。」と、苦々しさいっぱいです。エリヤは、大勝利を取ったのではなかったでしょうか。確かに、イスラエルの民は、真の神をないがしろにし、預言者を殺し、祭壇を壊したかも知れません。しかし、かの大対決で、真の神の勝利により、民は、主をあがめたのではなかったのでしょうか??

エリヤには、トラウマ、心の傷がありました。自分の友達預言者たちがどんどん殺され、自分の一所懸命の働きが本当にしんどく感じ、孤独感を持っていたのです。神様がかえりみてくれるかどうか分からないほど、孤独感に苛まれていたのです。エリヤはトラウマから回復する間もなく次々と神の働きに携わったて疲れてしまったのです。

これが、エリヤのうつ状態の隠れた原因です。
私たちは、心で信じているとおりに自分の人生を持って行きます。エリヤは、この思いを引きずっていたために、逃げ出し、引っ込み、もう自分なんていっそのこと殺して欲しいと言いだします。あんなに大成功を収めた人が、です。エリヤは、神様に対して、苦々しい気持ちがあったのです。「どうして?」と言う思い。「この仕事は大変すぎる」と言う思い。神が付いていれば、百人力以上であるにもかかわらず、孤独感、自分で全てを背負わなければいけない気持ちになりました。これは、神様に対しての裁きを持っている人が陥り易い姿です。

●感情の癒しは、共感、エンパシーで癒される。聞いてもらった。分かってもらった。が大事。神は、あえてエリヤに心のうちを話させました。私たちのたましいの癒しは、ここから来ます。人に話すのでもない、神に知ってもらうときに、私たちのたましいは、満足を得、そして、神からの癒しを受け取ることが出来ます。

今日皆さんにお勧めします。辛いとき、しんどいとき、後ろ向きになるとき、あなたのたましいに癒しが必要です。養いが必要です。ぜひ、神様に心のうちを全部、感情を含めて注ぎだしてください。神は、必ず癒しをもたらしてくださいます。

③ 霊の養い Nurturing Spirit

1列王記19章11-13, 18
11 主は仰せられた。「外に出て、山の上で主の前に立て。」すると、そのとき、主が通り過ぎられ、主の前で、激しい大風が山々を裂き、岩々を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風のあとに地震が起こったが、地震の中にも主はおられなかった。12 地震のあとに火があったが、火の中にも主はおられなかった。火のあとに、かすかな細い声があった。
13 エリヤはこれを聞くと、すぐに外套で顔をおおい、外に出て、ほら穴の入口に立った。すると、声が聞こえてこう言った。「エリヤよ。ここで何をしているのか。」

18 しかし、わたしはイスラエルの中に七千人を残しておく。これらの者はみな、バアルにひざをかかめず、バアルに口づけしなかった者である。」

★霊を養うには Nurturing your spirit
神の声を慕い求めること、神の声を聞くこと、神の約束を受け取ること

もう一つ、神様のあって私たちに必要な養いというのは、霊の養いです。霊の養いについては、あまり語られてこなかったのかもしれません。けれども、これが一番大切なことです。どんなに有能になっても、物事が上手にできるようになっても、霊的に養われ、満足していなければ、人は迷ってしまうのです。私たちの霊を養うには、ただ一つ、神の声を聞くことです。
11 主は仰せられた。「外に出て、山の上で主の前に立て。」すると、そのとき、主が通り過ぎられ、主の前で、激しい大風が山々を裂き、岩々を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風のあとに地震が起こったが、地震の中にも主はおられなかった。

●今まで、力ある神の業をしていたエリヤは、この力強い、地震、風、岩々を砕く激しさの中にも、火の中にも、主を探しましたが、見つかりませんでした。
エリヤは、力と動の源である主を、静けさの中に見出すことを学んだのです。
エリヤは、かすかな小さい声を聞くことになります。
その声は、耳をすまさないと聞こえません。
耳をすますことを私たちが知るならば、私たちは怖いもの知らずです。

神様を慕い求めましょう。あなたがその目と耳でとらまえるまで。主は、探すものに見つけられます。愛する者を愛されます。

そして、彼はまた心のうちの傷を口にします。私たちは、たましいのレベルの傷とまた更に深い霊的な傷を取り扱われる必要があります。彼にとって、この傷の癒しは、完成します。
主は、また、彼を責めることもなく、とがめることもなく、諭すこともなく、彼の心のうちを聞き、彼を受け入れておられます。

そして、神は、なすべきことを語られ、約束をエリヤにされます。
バアルにひざをかがめない7000人を取ってあると。なんという励ましでしょうか。エリヤは、孤独などではないのです。

みなさん、神の声に耳を傾けましょう。それがあなたの霊を養う方法です。また約束をもらうまで、ひつこく神様に耳を傾け続けようではありませんか。私たちが神の約束を受け取るなら、これ以上強いことはありません。
主は、一度も、エリヤを見捨てたことがなかったのではないでしょうか。しかし、エリヤの側で、勝手に孤独に感じ、もう見捨てられた、死ぬしかないと思ったのではないでしようか。
主によって強められましょう。

体、たましい、霊全てにおいて。この三つの分野がいつも健康で、主によって養われている人は、強いのです。


★ゲージのバランスチェック  調整
  朝起きて、何があなたを引っ張っているでしょうか。
  体でしょぅか。 ああ、頭が痛い。足が痛い。だから今日はあれが出来ない、これが出来ない。。。。  体があなたを引っ張って一日を始めます。
  心/ 感情? ああ、今日も上司に会いたくない。仕事いやだなぁ。。。起きるなり、いやな人の顔が浮かぶ。  感情があなたを引っ張り、一日を支配します。
 霊? 朝起きて、ハレルヤ! 神様に感謝感謝。賛美の歌が湧き上がる。何が起きても揺るがない一日になります。
一日が人生に発展します。私たちは、何に引っ張られて生きているのでしようか。
理想的なのは、霊、心/感情そして体の順番です。   大きくの人は、心・感情が一番、次に体、そして霊が最後に来ています。このバランスでは、エリヤのように疲れきり、死んでしまいたくなってしまうのです。。。
#礼拝 #1列王記

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主と一つに Becoming One with the Lord

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礼拝後雪が降りだして、子供たち... 礼拝後雪が降りだして、子供たちは外にーーーーー 寒くて積もった雪はしばらくのこ... 寒くて積もった雪はしばらくのこりました。エリックがシアトルセンターをお散歩中。
2019年2月10日日曜日バイリンガル礼拝


みなさん、こんにちは。最近、よく考えさせられていることがあります。それは、「一つになること」です。聖書を読んでいると、いかにこのコンセプトが多いことか、と思います。また、私たちの日々の生活でも、特に結婚生活では、いかに一つになるかが重要になってきます。まぁ、エリックとも良くも悪くも一つになってきて、「あらー、長いこと一緒にいたんだなー」なんて、冗談を言うこともあります。結婚は、イエス様と教会の型でもあります。私たちは、どのようにイエス様と一つになっているでしょうか。

★信仰によって By Faith

咀嚼して一つとなる。By chewing and digesting

ヨハネ6:55-56
わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物だからです。56 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしも彼のうちにとどまります。For my flesh is real food and my blood is real drink. 56 Whoever eats my flesh and drinks my blood remains in me, and I in them.

イエス様は、この六章の文脈の中でご自分をいのちのパンであるとおっしゃいました。肉と血は、イエス様の十字架の上で裂かれた肉、流された血のことです。聖餐式を思い出してください。これをいただいて、文字通り自分の身体の中にいれるなら、イエス様の内にとどまり、イエス様も私の中にとどまるようになるというのです。この私たちを永遠に生かす、いのちのパンは、信仰によって食べるのです。そして咀嚼し、自分の身体のための栄養とし、そして、今度は私たちの血となり肉となるのです。私たちとイエス様はこのようにして一体となるのです。

★とどまることによって By Remaining

ヨハネ15:5
わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。“I am the vine; you are the branches. If you remain in me and I in you, you will bear much fruit; apart from me you can do nothing.

ブドウの木は、つるです。リンゴの木のように枝と幹に分かれてません。リンゴの木のようだと、私たちは太い部分がイエス様で細いところが私かなー何て思うのですが、ブドウはつるですから、どこからどこまでがイエス様で、どこからどこまでが私か、見分けがつかないのです。それほど一体化しているのです。

とどまる= キリストの中に宿る、住む

キリストの内に住み、キリストが私のうちに住んでいるなら、私たちは多くの実を結ぶというのです。私たちはみな、実りの多い人生、有意義な人生、意味のある人生、また周りの人を祝福する人生を送りたいと願っているのではないでしょうか。私たちは、キリストを離れては、そんなことはできないのです。

★みことばにとどまる=愛にとどまる Remaining in word = Remaining in Love

ヨハネ15:7-10
あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。8 あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。9 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。10 もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。If you remain in me and my words remain in you, ask whatever you wish, and it will be done for you. 8 This is to my Father’s glory, that you bear much fruit, showing yourselves to be my disciples. 9 “As the Father has loved me, so have I loved you. Now remain in my love. 10 If you keep my commands, you will remain in my love, just as I have kept my Father’s commands and remain in his love.

私たちは、み言葉、戒めを守るとなると、ちょっと緊張するかも知れません。しかし、こう考えてみてください。あなたと神様は愛の関係の中にいます。互いに愛し合い、尊敬しあっているのです。神様が嫌うことをしたいと思うでしょうか? 私と夫の関係の中でも、わざわざ夫の嫌がることを私は選んですることはありません。うっかりはあるかも知れませんが。。。愛にとどまっていれば、私たちは、自然にみ言葉に従いたくなるのです。神の戒めを守りたくなるものなのです。
愛というものは、決断が伴います。とどまることは、あなたの決断を要します。何となく、ではなく、自分の意志によって愛するのです。

★主よ主よではなく、御心を行うもの

マタイ7:21
わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。“Not everyone who says to me, ‘Lord, Lord,’ will enter the kingdom of heaven, but only the one who does the will of my Father who is in heaven.

私がまだクリスチャンではない時に、クリスチャンでどんな人だろうとよくよく注目していました。特徴は、とても優しい、そして、芯が強い。揺るがない。そして、強い新年を持っている。上品。という特徴を見ていました。また、自分がクリスチャンになりたての頃、よく家族から、そうでないことでつつかれたものです。。。また、自分がまだ若い信仰の時には、まだまだイエス様の深い愛についてもあまり咀嚼できてなかったです。咀嚼して、完全に自分の体験として、自分の血となり肉とはなっていませんでした。頭の中の知識でした。

★行いの無い信仰は死んだ信仰 No deed, No faith

ヤコブ2:14-17
14 私の兄弟たち。だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行いがないなら、何の役に立ちましょう。そのような信仰がその人を救うことができるでしょうか。15 もし、兄弟また姉妹のだれかが、着る物がなく、また、毎日の食べ物にもこと欠いているようなときに、16 あなたがたのうちだれかが、その人たちに、「安心して行きなさい。暖かになり、十分に食べなさい」と言っても、もしからだに必要な物を与えないなら、何の役に立つでしょう。17 それと同じように、信仰も、もし行いがなかったなら、それだけでは死んだものです。14 What good is it, my brothers and sisters, if someone claims to have faith but has no deeds? Can such faith save them? 15 Suppose a brother or a sister is without clothes and daily food. 16 If one of you says to them, “Go in peace; keep warm and well fed,” but does nothing about their physical needs, what good is it? 17 In the same way, faith by itself, if it is not accompanied by action, is dead.

ヤコブ書は、ごもっともなことが書かれています。信じていたら、行動が伴うはずだというのです。確かに、口では「私はクリスチャンなのよ、教会に行きましょう」とか言っていても、未信者であっても、それはクリスチャンらしくないというような行動をしていたら、どうでしょうか。。。その人の信仰は無いに等しいと、未信者でも判断できるのです。

★実=行い Fruit = Deed

私たちが、主と一つになるには、咀嚼が大切です。咀嚼の方法の一つに無くてはならないのは、「行い」です。私たちが神と愛の関係にあり、神の言葉、教えをいただいて、自分の一部になるならば、行動が変わるのです。それでこそ、キリストとあなたが一体化しているということなのです。だからこそ、パウロは、信者のことを小さいなキリストと呼んだのです。行いは、私たちの信仰の実です。

今週、少し考えてみましょう。私は、私の信じていることを行動に表せているか。吟味してみましょう。また、神の愛にとどまること、神のみ言葉にとどまること、たくさん食べて、自分の一部となることができますように。。。聞いたみ言葉を行動に移すことが成長の鍵です。


#礼拝 #ブドウの木 #一つになる

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主を待ち望む Wait on the Lord

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主を待ち望む Wait on ... 木曜日の聖書の学びのひと時。。... 木曜日の聖書の学びのひと時。。。。
毎週、神様に心ふれられています。。
2019年2月17日日曜日礼拝音声は、


イザヤ40:28〜31
28主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。29疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。若者も疲れ、たゆみ、30若い男もつまずき倒れる。31しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。

★イザヤ書の背景
バビロン捕囚、長い間解放されないので、希望を失い、疲れ果ててしまった様子。バビロン捕囚はそもそもソロモンが入れた外国人の女たちの神々が始まりであり、偶像礼拝がそもそもの問題でした。国が分裂することになり、またそれぞれの国は、バビロンとアッシリアに取られてしまうのです。結局、バビロンでは、70年も過ごすことになるのです。これは、孫の世代まで続いたということです。三代、四代。。。何か罪の呪いは三代、四代、しかし、祝福は千代に至る、を思いだいますね。

私たちも神を信じていても自分には手におえないと思う大きな試練が来ることがある。また長く苦しんで脱出の道がなかなか見いだせずに苦しいこともある。とてつもなく遠い道のりに感じる。
また、人はなかなか良い結果が見れないと、心身ともに疲れ果ててしまう。日本の伝道では、特に因習深い地域では、10年やって人がやっとこさ一人救われるというようなケースも少なくない。伝道者たちは疲れ果てるのです。
皆さんも、そのような経験はないでしょうか。

★主を待ち望むもの

●主
28主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。29疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。若者も疲れ、たゆみ、30若い男もつまずき倒れる。29 He
- 主は永遠の神、すなわち時を選ばない、時を超えて働くことのできる神。全てを無から有に造られた方。疲れることのない方。知恵のある方。この方が、疲れたものに、倒れたものに力を与えることができるのだと言います。

●待ち望む Wait on the Lord

◎待つことと、希望 to wait and to hope
Wait 待つは、原語でカバァqavah
意味は、つなぐ、to bind ロープで、しっかり結ぶことで強くなる、待つ、期待する、希望を持つという意味です。

◎希望は神にかかっている--- 神と繋がってる
新しく力を得Renew
素早く、スムーズに通る、出てくる、捨て去る、全身する、成長する、終えるという意味があります。

◎ 神を信頼して、神にしっかり繋がっているならば、将来に希望をもって待つことができる。神と繋がっているなら、ある時に、劇的に力が与えられ前進させてもらえる。
という意味になります。イメージは、ロープで繋がっている。何もないところからばっと芽がでてくるような。

●神にあって希望を持つ時に

①自分の願いの中に答えがある
  イスラエルの民は、「自由になりたい」という願いだったでしょう。願いは聖なる場所。神が私たちの心に与えるものであり、完成させるのは神である。ピリピ2:13 for it is God who works in you to will and to act in order to fulfill his good purpose.

私のブレイクスルーのきっかけは、私の小さな祈りだった。「神様、幸せになりたい。」その祈りがきかれて、アメリカに来た。来て間もなく、一番初めのチャペルで、私に手を置いて祈った友達が、異言でずっと「Shiawase, shiawase」と言っていた。びっくりした。彼女は日本語が話せないのです。神は、私の祈りを確かに聞いて下さって、ここまで導いて下さったと確信する瞬間でした。

②神との関係

  自分が神にケアをされる存在であることをまず受け入れる。あなたは神にとって何ですか。どんな存在ですか? それがはっきり自分ものになる時に、全ては変わる。私の場合、「私は神の娘です」だった。守られて当然の存在。
  神にその能力があることを信じる。

③それを信じること

④ただし、一つこの上に忘れてはいけないのは、
自分を顧みること

…自分の至らなさを自分のものとして認識すること。Own your fault. 一番から三番までは、聞きやすい。しかし、これをスルーされがち。私たちは、恵みによって、赦され、神の子としての権利がある。しかし、自分を顧み、自分の過去を認識し、神に赦された罪でさえ、その結果によって苦しむことがある。

(例) 家族に伝道する時に、あなたはこんなわがままな人だと知っている、キリストはどこにいるんだと揶揄される。---- 自分の過去を塗り替えるために、家族の前では本当にキリストに従い、愛することを試される。
人間関係のもつれの結果---- 理解してもらうには、変革した私を見てもらわないといけない。
罪の結果---- どんな罪も赦されます、しかし、自分がその罪を赦されたラッキー! ではなく、その重み、その罪による神の悲しみをよく理解してこそ、恵みの重みが理解できる。日々己の十字架を。。。。と書いてあるが、自分の十字架の重みさえ分からずに、イエス様の苦しみの意味は分からない。ですから、今、苦しみに中にあるなら、試練の中にあるなら、自分の過去を振り返ってみるいい機会です。罪、悪行、行動パターン、言動、苦々しい思い、裁き、憎しみなども清算する機会となります。

◎イスラエルにとってのバビロン

これがそもそもの神のバビロン捕囚の目的でした。人は試練に合わなければ自分の過去を振り返り、自分の失敗に真摯に向き合うことがありません。私たちの罪はイエス様によって悔い改めるならすべて赦されます。しかし、人生が変わるためには、何回も同じことでごめんなさいを言っても変わらないのです。自分の、罪のサイクル、傾向を知って、そこから離れる意思がないと繰りかえすのです。この繰り返すサイクルを断ち切るためにも、イスラエル、ユダの民は捕囚で三代、四代と過ごさなければいけなかったのでしょう。
念押しのように、サイクルを断ち切って行く。完全に偶像礼拝の罪から世代ごときれいになることが神の御心だったのでしょう。
しかし、長い間奴隷生活をしている民には、それを忘れて疲れ果ててしまったのです。

★翼をかって上る Soar on wings

31しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。but those who hope in the Lord will renew their strength. They will soar on wings like eagles; they will run and not grow weary, they will walk and not be faint.

鷹は、大きな翼をもっているという特徴があります。鷹は、上昇気流ascending air currentを利用して翼を広げるだけでやすやすと飛ぶ(Soarする)ことができます。羽の下に押し上げる風を受けて、その風に乗っかっているのです。しかし、小さな翼しか持たない雀はどうでしょうか。ばたばたたくさん翼を羽ばたかせないといけません。また、そんなに高いところをとぷこともしません。鷹は、高く高く、自分の力を休めながら上ることができるのです。

私たちも、神様に繋がっているなら、高く高く、ばたばたもがくことなく上ることができるのです。

●その風とは何でしょうか。聖霊様の力です。聖霊様の風は、謙るところに吹いてきます。聖霊様の風は、悔い改めの中に。信仰の故に、またあなたの願いを実現させるために、新しい創造のために吹いてきます。
翼とはなんでしょうか。それは、神を待ち望むことに他なりません。


#礼拝 #イザヤ書

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インフル

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友達が撮った最近のシアトル。こ... 友達が撮った最近のシアトル。この日くらいから、寒気がしだした。。。。。
みなさん

ご無沙汰していますー

クリスマスから忙しくしていたせいか、

疲れがたまり、二週間前は風邪、

私としたことが、先週はインフルエンザにかかってしまいました。

がくっ

体力消耗しましたーー。久々に三日間も熱に悩まされました。

今週、月曜、火曜日は雪のため、外に出られず、おかげでさらにゆっくり寝ました。

今、回復して、元気です!

身体の大切さ、ありがたさをしみじみ感じています。

身体が資本ですねーー

みなさんも、寒いですから、ご自愛ください。

日本もインフルエンザが流行っているそうですね。。。

お大事に。。。

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ダビデのミクタム Psalm 16

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礼拝後、靴を脱ぎ捨てて遊ぶ子供... 礼拝後、靴を脱ぎ捨てて遊ぶ子供たち。。。最近は、小さい子が多くなって来て、またブロックでも遊んでいます。
2019年1月27日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ音声は、


詩篇16篇
ダビデのミクタム
1 神よ。私をお守りください。私は、あなたに身を避けます。
2 私は、主に申し上げました。「あなたこそ、私の主。私の幸いは、あなたのほかにはありません。」
3 地にある聖徒たちには威厳があり、私の喜びはすべて、彼らの中にあります。4 ほかの神へ走った者の痛みは増し加わりましょう。私は、彼らの注ぐ血の酒を注がず、その名を口に唱えません。
5 主は、私へのゆずりの地所、また私への杯です。あなたは、私の受ける分を、堅く保っていてくださいます。6 測り綱は、私の好む所に落ちた。まことに、私への、すばらしいゆずりの地だ。7 私は助言を下さった主をほめたたえる。まことに、夜になると、私の心が私に教える。8 私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。9 それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる。私の身もまた安らかに住まおう。10 まことに、あなたは、私のたましいをよみに捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。11 あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。

この詩は、ダビデの詩の中でも傑作品として知られている詩です。また、メシア詩篇ともいわれていて、イエス・キリストに関する預言であることでも有名です。今日は、このダビデの傑作から、今年一年、私たちもこうありたいというお話しをしたいと思います。

★ 身の避けどころ v1-3 I take refuge
1 神よ。私をお守りください。私は、あなたに身を避けます。
2 私は、主に申し上げました。「あなたこそ、私の主。私の幸いは、あなたのほかにはありません。」3 地にある聖徒たちには威厳があり、私の喜びはすべて、彼らの中にあります。
 
ダビデは、その人生の中で幼い時から羊飼いをし、危険を感じたとき、一人で獣と戦う時に、いつでも逃げ込める避けどころを持っていました。それは、神様です。あなたには、危険を感じたときに逃げ込める場所がありますか?ここに行けば必ず守られてる。また、ダビデは、地にある聖徒たち、神に従う仲間たちを大変尊重していて、彼らの中に喜びを見出しています。信者たちのコミュニティほど、私たちの心を慰め励ますものはありませんね。


★ 他の神々 v4 other gods
4 ほかの神へ走った者の痛みは増し加わりましょう。私は、彼らの注ぐ血の酒を注がず、その名を口に唱えません。

二節では、ダビデにとっては、神様が全てであると言いました。神様こそ、ダビデの幸い、幸せの源であると。しかし、他の神々に行くものは痛みが増し加わるだけだと。神を信じるものにも、苦しみはあります。しかし、苦しむ者の避けどころは神です。
他の神々とは何でしょうか。私たちは、無神論者であっても必ず何かを信じて、信念をもって生きています。何かを信じないで人は生きて行けません。信じるものがあるからには、みな何かしらの神を心に持っています。
お金、人、地位、仕事、生活、でしょうか。あなたの神は何ですか。人を喜ばせることでしょうか。人との関係で波風を立たせないことが一番大事でしょうか。一番大事なものは何でしょうか。

★ 神がゆずりの地所 V5 the portion of my inheritance
5 主は、私へのゆずりの地所、また私への杯です。あなたは、私の受ける分を、堅く保っていてくださいます。5 O Lord, You are the portion of my inheritance and my cup; You maintain my lot. 

1) ダビデの経験。。。ダビデは、陣地を取ることに必死になっていた様子が聖書にありません。また、1サムエル26章にもあるように、実際に追って来るサウルに対して、あなたの土地を奪ったりするつもりはありませんと言っている。彼は実際に、陣地を広げたりとるよりも、神ご自身を自分のゆずりの地とすることをダビデは選びました。陣地とは、王としての地位、権力、財産、収入を直接に表すものですが、地上に属する陣地よりも、ダビデは、全ての源の神を選んで恥なかったのでした。

2) 土地や財産と言えば、モーセの時代に、民数記18:20で神は、神に仕えるレビ人に対しては、「私があなたがたの取り分であり相続財産である」"I am your portion and your inheritance" と約束されました。ダビデは、その約束を自分のものとして信じていました。ダビデは、王であり祭司でありましたから。

3) 私たちもキリストにあって「王である祭司」1ペテロ2:9 “しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださったかたのすばらしいみわざを、あなたがたがたが宣べ伝えるたるためなのです。
私たちも、ダビデのように、主ご自身を自分の財産、譲りの地、として生きることができますし、神のために奉仕する祭司にはそれが約束されているのです。キリストにあって、あなたは主を譲りの地として受けたのです!

★ 測り縄は落ちた V6 The line have fallen
6 測り綱は、私の好む所に落ちた。まことに、私への、すばらしいゆずりの地だ。6 The lines have fallen to me in pleasant places; Yes, I have a good inheritance.

落ちた。。。と書いてありますね。これは、くじを引いて当たるように、自分の力でかせいだのではなくて、自分に当たった、あてがわれたという意味です。ヨシュアが約束の地で、12部族に土地を分ける時に、それぞれ測り綱をして土地を分けました。そして、それが代々その部族の土地となります。ダビデは、神に導かれて、神を自分の取り分として得た。自分の願った以上だというのです。
これは何を意味しているでしょうか。そうです、私たちの命、導き、今日ここにいること、人生、魂の救いが神にかかっているということです。私たちの力や努力によらないということです、それはたまたま、偶然のように感じるかもしれません。あなたは大きな宝くじに当たったかのようです。それは、恵みよるのです!

★ 私の心が私に教えるv7 My heart instruct me
7 私は助言を下さった主をほめたたえる。まことに、夜になると、私の心が私に教える。7 I will bless the Lord who has given me counsel; My heart also instructs me in the night seasons.
ダビデの命の源は主の教えでした。詩篇一篇にもあるように、主の教えを昼も夜もくちづさみ瞑想するのです。すると、静まる時に、その教えがよみがえるのです。昔に覚えた暗証聖句が心に蘇ることがありませんか。夜にとありますが、暗闇にいるとき、苦難をのときに、主の言葉が心に湧き上がって私たちを養うのです。

★ 私はいつも私の主を私の前に v8 Set the Lord always before me
8 私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。8 I have set the Lord always before me; Because He is at my right hand I shall not be moved. 
これが、ダビデの秘訣です。これは、イエス・キリストについての預言ともいわれている箇所です。

◎レネグディー{Renegdi}(の前に、相対するの意before, in opposite direction) suitable
ダビデは、私の前に常に主を置いたと言います。私のイメージでは、イエス様の後姿を見ながら日々、イエス様について行く感じだと思っていました。が、しかし、言語によると、なんと、イエス様の顔を私の顔の前に置くということだそうです。なんと、向き合っている形になります。衝撃でした。レネグディー(の前に、相対するの意)
ダビデは、いつも主と顔と顔とを合わせているという親密さを日々体験しているというのです。

◎またそれは、「主が私の右におられる」ことでもある。On the right side.
右は絶対的信頼を表します。私の右腕なんて、日本語でも言いますね。これは、実に親密な守られている関係をも示します。
結婚式の時に新婦の右を歩くのは父親です。父が絶対的に信頼できる守り手として今まで育て上げたからです。そして、新婦が結婚の宣言の後、新郎と会場を出る時には、新婦が新郎の右を歩きます。新婦は新郎にとって神のような絶対的な信頼できる伴侶となったという象徴であります。また、結婚も相対して生きて行くものであります。親密な中に、その力があります。夫婦が親密であるほど、互いに強くあることができ、またゆるぐことがありません。
ダビデは、神が右におられるので、私はゆるぐことがない。と自信を持つて言っています。それは、神と相対しており、確固たる信頼をしているからでした。

★9 それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる。私の身もまた安らかに住まおう。10 まことに、あなたは、私のたましいをよみに捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。11 あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。

神とともにある人生は、心に喜び楽しみ、平安があり、たとい苦しむことがあっても必ず守られる。それは、永遠に続く、というのです。

今日は、16篇全体を読みました。いろいろと皆さんそれぞれに心に響いたところがあると思います。今週も、ダビデのように、またイエス様のように、神と向き合い、神を信頼し、神を選びながら、恵みのなかを歩んで行きましょう。

#礼拝 #一月

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あらゆる境遇に対処する秘訣 The secret of Contentment

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礼拝後、折り紙をして遊ぶみんな... 礼拝後、折り紙をして遊ぶみんな。。。平和だー♪ お兄さんが、でっかい手でこんな... お兄さんが、でっかい手でこんなにちっこい米粒大の折り鶴を折ってくれました。すごいわー
2019年1月20日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ音声はこちら、


ピリピ4:4-13

4 いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。5 あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。6 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
7 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。8 最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。9 あなたがたが私から学び、受け、聞き、また見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます。10 私のことを心配してくれるあなたがたの心が、このたびついによみがえって来たことを、私は主にあって非常に喜びました。あなたがたは心にかけてはいたのですが、機会がなかったのです。11 乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。12 私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。13 私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。

★ピリピ書 Letter to Philippians

この書はパウロがローマでとらえられ牢屋に入れられていた時にピリピという町の信徒たちにあてて書いた手紙です。この教会のできたいきさつなどは使徒の働きに書かれています。パウロは、イエス様を伝えるためにあらゆる苦難にあいました。何度も死ぬほどの目にもあいました。そんなパウロが、異教の地で信仰を守っている聖徒たちに手紙を送りました。パウロは、ピリピの人たちから救援物資を受け取ってその感謝も伝えています。よくぞ、パウロの苦しみと心を共にしてくれた、と。あまりある霊的な祝福を祈りながら。苦しい時の折にかなったこくりもの、助けは、たわしたちに孤独ではない事を知らせ、神の御手が守っていることを確信させます。私たちもそうなりたいものです。ピリピ書は喜びの書ともいわれています。喜ぶことが勧められています。しかし、いかに実際のパウロの状態と正反対なことを勧めているのかと思いませんか。今日はそのお話しをしたいと思います。

◎パウロは、ピリピの人たちがパウロのことを思って贈り物をローマに送ってくれたことの感謝を表す中でこう云います。

★私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。V11 for I have learned to be content whatever the circumstances.

パウロは、食べ物やお金がない状態であり、牢屋に入っている状態でるが、満たされている。というのです。幸福だ。というのです。そして、パウロは、私はその秘訣を習得したというのです。パウロは、様々なことを経験する中でそれを学んだというのです。

◎12 私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。12 I know what it is to be in need, and I know what it is to have plenty. I have learned the secret of being content in any and every situation, whether well fed or hungry, whether living in plenty or in want.

豊かさにおいても、貧しい時にも、ミニストリーが成功している時でも、捕らえられているときでも、どんな時でも満ち足りる秘訣を学んだというのです。
私たちは、境遇に左右されるものです。私たちはまた、富んでいるときには高慢になりけちになり、貧しい時には卑屈になって自分を低く見るものです。しかし、私たちの身分は私たちの境遇に左右される必要がないことを今日覚えていただきたいと思います。
なぜなら、パウロは、どんな状況の中でも、満たされることができる。というからです。
ただし、それをあなたが習うなら、です。パウロもそれを学ばなければなりませんでした。

今日、あなたが行きずまっていると感じるなら、チャンスです、あなたも満ち足りる秘訣を習うことができます。

◎13 私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。13 I can do all this through him who gives me strength.

パウロの秘訣は、イエス・キリストです。ピリピ書にはIn Christ キリストにあって。という言葉がよく出てきます。キリストにあって、キリストの中にいれば強められる。どんなことでもできる。というのです。

どんな状況にいても、どんな境遇にいても、その境遇があなたのアイデンティティを変えることはできない、あなたの心を操作することはできないのです。
キリストにあって、あなたは、神の王子王女とされたからです。キリストにあって、あなたの国籍は天にあるからです。キリストにあって、あなたは誰の奴隷でもないからです。キリストにあってあなたは自由だからです。神の子だからです。

◎In Christ キリストにある

キリストにあるということは、場所のようなものです。私たちは、どんな境遇の中にいる前に、キリストの中にいることを確認するのです。キリストは私たちの隠れ家です。
立ち上がってみましょう。一歩動いてみましょう。キリストの中に入る。。。を創造して。
その場所へのアクセスは、信仰です。

また、In Christ という場所は、永遠へのアクセスです。私たちの人生は、一時的なもの、私たちの人生の本番は天国です。天国へのアクセスはキリストにあります。キリストにとどまり、キリストの愛の中にいる時、私たちは一時的な痛みから解放されそして休みを得ることができるのです。クリスチャンが永遠の感覚から切り離される時、私たちは苦しむのです。
これは、またコーピングスキルではなく、キリストを信じるものには、霊的な現実であります。

イエス様を信頼することです。苦しい時、息を吐いて、「ハレルヤ、イエス様―」と私はイエス様を呼びます。イエス様を信頼していることを自分の心で確認するのです。

★パウロの簡末の奨励 Paul’s end of letter exhortation 4:4-9
4 いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。5 あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。6 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
7 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。8 最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。9 あなたがたが私から学び、受け、聞き、また見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます。

パウロは勧めています。喜びなさい。喜べない時は、思い煩うことをやめ、感謝をもって祈り、あなたの願い事を神に知っていただきなさい。と。。喜べない時に、私たちはいろんな感情を経験しています。悲しみ、苦しみ、痛み、嘆き、怒り。。。私たちのすべての感情は私たちの必要に直結しているのです。ですから、あなたの「願い事」と書かれているのはもっともだと思います。そうすると神の平安が心を満たし、あなたは、In Christ キリストの中におり、守られる。というのです。

また私たちの考えというのは、厄介なもので、ネガティブなことを考え続けたりしてしまいます。パウロのように試練に合い、孤独を感じていたでしょうからどんなにこのネガティブな考えと戦ったことでしょうか。パウロはまた勧めています。私の大好きな聖書の言葉です。

◎8 最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。Finally, brothers and sisters, whatever is true, whatever is noble, whatever is right, whatever is pure, whatever is lovely, whatever is admirable—if anything is excellent or praiseworthy—think about such things.

私たちは、腹の立つとき、ネガティブな時、否定的なことばかり数えてしまいますが、むしろ、良いこと、美しいこと、愛すべきこと、清いことを心にとめるように勧められています。良かったさがしです。それは、パウロがしていたことであり、v9「そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます。」とあります。put it into practice. And the God of peace will be with you.

すなわち、これも、私たちをキリストの中に移すことができるというのです。In Christ …

★実践Practice
今、一緒に祈りましょう。心の重荷を神様の前に降ろしましょう。こんなことが苦しいです。また、こんな風に変わりたいです。と願い事も祈りましょう。
それを祈ったら、今度は、感謝なこと、そして美しいこと、に心を留めましょう。黙想しましょう。感謝の祈りができる人はそうしてください。

★「あしあと」の詩 Poem “Footprint”
#礼拝 #喜び #キリストにあって

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自分を愛すること

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自分の親に虐待を受けた子供は、... 自分の親に虐待を受けた子供は、親を愛することをやめることはないが、自分を愛することはやめる。

メンタルヘルス、

セラピストとしてインターンを初めて早、四カ月ほど。

いろいろな虐待を受けて傷を負っている患者さんたち。

皆さんに言えるのが、これです。

私の仕事は、自分を愛することのお手伝いをすることです。

皆さんは、自分を愛することができますか?

自分に寛容に、

自分を赦すことができるでしょうか。

自分を大切にするという意味が分かるでしょうか。

聖書には、

あなた自身を愛するように、隣人を愛せよ

という言葉があります。

自分を愛せないでは、人を愛することは分からないというのです。

全くその通りです。

また、おいおいその辺もお話します。

#日常 #ブログ #メンタルヘルス

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2019年の抱負

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年末に、教会のみんなのお父さん... 年末に、教会のみんなのお父さん的な方がエリックと私に励ましとともに送ってくれた写真。きれいですねー。
さて、年が明け、新年礼拝が終わり、今年の書初めは、開門と書きました。

何かが開かれている、ドアが開く年だと思っています。

個人的にも、エリックにも、教会の皆さんにも、何かが開いていくという年、と感じています。

私は、今年の夏、大学院を卒業します。その後、ワシントン州のサイコセラピストとしてのライセンスを取るには、3000時間のクリニカルアワーが必要になるので、それに向けてセラピストとしてどこかで働くでしょう。

また、教会では、私のペーパーに終われる日々が終わるので、何か新しいことができそうです。
今、心があるのは日本人むけの子育てクラブのようなものや、言語を超えてのスモールグループの確立です。人が来て、癒されるグルーブ、コミュニティづくりをしたいと思います。

今年、ますます祈り深く、神様に近く歩みたいものです。

個人的には、健康オタクの私ですが、
フィットネスにもここ三、四年ほど生活の一部になっていますが、
筋肉も随分ついてきたことだし、今年は、絞ってみるか、なんて思っています。日本でも筋肉女子が流行っているようですが、
絞るとさらにディフィニションが出るのではないかと思っています。

あと、遊ぶこと。
あまり遊ばない人なので、遊ぶことも考えてみようかなー。

去年、中学生の子とアートをしていたんですが、今年も続けて創造性を養ってみたいと思います。
自己流なので、エリックに教えてもらってデッサンをしてみようかなぁ。。。

日本にも今年中に訪問したいです。。

それから、もしできたら、ハワイか、メキシコか、イタリヤかどこか温かいところに休暇で行きたいなぁ。。。。。
これは、難しいかなーー。

と、いろいろ書いてみました。書くのはただやし。。。。

皆さんの、今年の抱負はどんな感じですか?

コメント欄にコメントください!

皆さんの一年がとても祝福された一年でありますように、お祈りしています!

愛をこめて

ぼくし
#日常 #ブログ

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新年礼拝 頭を上げよ!

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お節。三日間かけて、ぼーちぼち... お節。三日間かけて、ぼーちぼち作りました。美味しくできてくれーと祈りながら。また、食べた人が幸せな気持ちになれますように。神様の愛が伝わりますようにと、祈りました。祈りが聞かれたようで、みなさん、全部美味しかったーーと。。。。神様ありがとう! 和やか、和気あいあい。どのテー... 和やか、和気あいあい。どのテーブルも楽しくお互いの存在を楽しみました。 写真がぼけている。。私の目がぼ... 写真がぼけている。。私の目がぼけているだけではなかったー。がくっ。書初めも楽しくできました。 みなさんと作品。子供たちの成長... みなさんと作品。子供たちの成長が目覚ましい。。。。今年も元気で皆さん祝福が大いにありますように。。。と祈りつつ、一日を終えました。
2019年1月6日新年礼拝メッセージ音声は、


あけましておめでとうございます。

英語では、ハッピーニューイヤーと言いますが、日本語では直訳すると、Congratulation on New Year! となりますね。
日本の文化には、代々、新年をポジティブに過ごすことを勧めてきたそうで、それが習慣になり、「おめでとう」というのだそうです。決して初めの一週間ほど、否定的なことを口にせず、肯定的なことだけを言うようにし、それによって、福を呼び込むようにしたのだそうです。これは、なかなか迷信のように感じるかもしれませんが、実に聖書的でもあります。
聖書の言葉を見てみましょう。

詩編24:7, 8
7 門よ。おまえたちのかしらを上げよ。永遠の戸よ。上がれ。栄光の王が入って来られる。8 栄光の王とは、だれか。強く、力ある主。戦いに力ある主。Lift up your heads, you gates; be lifted up, you ancient doors, that the King of glory may come in. 8 Who is this King of glory? The Lord strong and mighty, the Lord mighty in battle.

◎ 門… ユダヤの習慣では、門で相談ごとがなされ、決断がなされ、契約が結ばれたりします。私たちの身体で言うと、頭です。
その頭を上げよ。と聖書は言っています。どういうことでしょうか。一度、教会で実験をしたことがありますが、目を閉じて、人生の中で一番悲しい時、つらかったことを思い出してください、というと、みなさん、だんだんだんだん、肩が縮こまり、頭がずーんと下がって来るのです。また、反対に、人生で一番感謝だったこと、嬉しかったこと、幸せを感じたことを思い出してくださいと言うと、どんどん頭が上に上がり、天を見上げるような形になりました。
私たちは、感謝の心を持つときに、肯定的なことを数える時に頭が上がるのです。

◎ 永遠の戸 Everlasting door
聖書の有名な言葉で、

13 こういうわけで、いつまでものこるものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。(1コリント13:13) And now these three remain: faith, hope and love. But the greatest of these is love.

人は、何かを信じてみな生きています。人は、何かを信じずには生きて行けない存在です。無神論者もです。例えば、「私は、いつも○○だ」という言葉を信じていませんか?  私たちの、希望は、私たちの信じていることにかかっています。そして、私たちの信じたいことは、必ず「愛」であり、裏切らない愛であります。もし、私たちが裏切らない愛を信じるなら、必ずそこに希望があるのです。希望は、絶対にあなたを去らないのです。

◎裏切らない愛を信じることは、永遠に繋がります。それは、刹那的な、今、この瞬間だけ満たされる愛ではなく、裏切らない愛は、永遠に続くからです。

◎永遠につながる戸とは、あなたの心の扉です。裏切らない愛とは、私たちがまだ罪人であったときに、ご自分のいのちを下さるほどに私たちを愛してくださったイエス・キリストの愛です。

あなたの頭を上げ、そして心の扉を開くなら、だれが入って来ると書いてあるでしょうか。それは、栄光の王、戦いに強い主です。今年どんなに苦しいことが起ころうとも、あなたの頭を上げ、心を開くならば、その戦いに打ち勝たせてくださる強い神様が入ってきてくださるのです。


#礼拝 #新年

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新年あけましておめでとうございます

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新年あけましておめでとうござい... 新年あけましておめでとうござい...
2019年あけましたー

アメリカでは、正月はカウントダウンして花火を見て。。。
それだけですね。

私も明日二日には、大学院でプレゼンを控えているので、今日は準備にいそしみます。
元旦だけど。。。

お店もジムも開いているみたいで、
こちらでは、クリスマスの方が何も開いてないですねーー

今日もジムに行きますー

近所の花火のビデオを撮ってみました。
短いですがお楽しみください

みなさんに上に今年もたくさんの祝福がありますように。。。
お祈りしています!

一月六日は、新年礼拝です。お雑煮やお節を用意します。
毎年たくさんの方がいらっしゃいますので楽しみです。
これを見られた方、お気軽にいらしてくださいね。

#日常 #ブログ #新年

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