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ホセア五章

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シアトルの秋のそらです。とても... シアトルの秋のそらです。とても、さわやか。朝晩は、寒いですが、その冷たい空気もさわやかで、大好きです。紅葉で山もきれいです。日本の紅葉には勝てませんけどねー。こちらは、常緑樹が多いので。。。
2017年10月8日日曜日礼拝メッセージ音声は、


ホセア5:1-15

祭司たちよ。これを聞け。イスラエルの家よ。心せよ。王の家よ。耳を傾けよ。あなたがたにさばきが下る。あなたがたはミツパでわなとなり、タボルの上に張られた網となったからだ。2 まがった者たちは落とし穴を深くした。わたしは彼らをことごとく懲らしめる。3 わたしはエフライムを知っていた。イスラエルはわたしに隠されていなかった。しかし、エフライムよ、今、あなたは姦淫をし、イスラエルは身を汚してしまった。4 彼らは自分のわざを捨てて神に帰ろうとしない。姦淫の霊が彼らのうちにあって、彼らは主を知らないからだ。5 イスラエルの高慢はその顔に現れている。イスラエルとエフライムは、おのれの不義につまずき、ユダもまた彼らとともにつまずく。6 彼らは羊の群れ、牛の群れを連れて行き、主を尋ね求めるが、見つけることはない。主は彼らを離れ去ったのだ。7 彼らは主を裏切り、他国の男の子を生んだ。今や、新月が彼らとその地所を食い尽くす。8 ギブアで角笛を吹き、ラマでラッパを鳴らし、ベテ・アベンでときの声をあげよ。ベニヤミンよ。警戒せよ。9 エフライムは懲らしめの日に、恐怖となる。わたしはイスラエルの部族に、確かに起こることを知らせる。10 ユダの首長たちは地境を移す者のようになった。わたしは彼らの上に激しい怒りを水のように注ぐ。11 エフライムはしいたげられ、さばかれて打ち砕かれる。彼はあえてむなしいものを慕って行ったからだ。12 わたしは、エフライムには、しみのように、ユダの家には、腐れのようになる。13 エフライムがおのれの病を見、ユダがおのれのはれものを見たとき、エフライムはアッシリヤに行き、大王に人を遣わした。しかし、彼はあなたがたをいやすことができず、あなたがたのはれものを直せない。14 わたしは、エフライムには、獅子のように、ユダの家には、若い獅子のようになるからだ。このわたしが引き裂いて去る。わたしがかすめ去るが、だれも助け出す者はいない。15 彼らが自分の罪を認め、わたしの顔を慕い求めるまで、わたしはわたしの所に戻っていよう。彼らは苦しみながら、わたしを捜し求めよう。

歴史的背景
ホセアのイスラエルに対する預言、この預言は、アッシリアの侵略によって生じたパレスチナにおける、前733年いわゆるシリア・エフライム戦争を示していする。
敵に打ちのめされるという状況の中で。。

○神には知られているが、自分は隠れているつもり—恥 

V3-4 3 わたしはエフライムを知っていた。イスラエルはわたしに隠されていなかった。しかし、エフライムよ、今、あなたは姦淫をし、イスラエルは身を汚してしまった。4 彼らは自分のわざを捨てて神に帰ろうとしない。姦淫の霊が彼らのうちにあって、彼らは主を知らないからだ。

神は、知っていた。私たちが罪を犯している時も、どんな時も、私たちは神に知られている。Gaze 神のまなざしについて、以前話しましたが、私たちは、神のまなざしから離れるといいことがないのです。私たちは苦しみ、寂しく、むなしくなります。しかし、私たちは、神のまなざしから逃げてしまうのです。それは、罪から来る私たちの自動的な行動です。罪が入ると、罪悪感が入り、そして、恥が入り、恐れが入り私たちは神の目から隠れようとします。最初の人、アダムとエバが罪を犯して真っ先にしたことは、隠れることでした。物理的だけではなく、心理的にも、実は、脳科学的にも恥は、私たちを隠そう、または、人目に見えないようにしよう、まなざしを避けるようにするのです。恥と、脳について。

V4「彼らは自分のわざを捨てて神に帰ろうとしない。」とありますが、なぜでしょうか。

ここでも、恥が貢献しています。アディクションもワークホリックも仕組みが同じです。恥から恥へと私たちは導かれるようにサイクルの中にはまります。聖書は、御霊の働きによって栄光から栄光から栄光へと書いてあるのに、まるで真逆ですね。恥にとっては、感じることが恐怖です。見つかりたくないから、自分の脳や心の中でさえも、恥は、自分の存在を隠して、影武者のように人生を支配していきます。恥の存在に向き合わないために人は、自分の感覚を麻痺するようにするように行動します。ある人は、お酒によって自分を麻痺させ、この箇所では姦淫によって、また働きすぎでも自分の感覚を麻痺させることができます。その結果、どうなるでしょうか。また恥に導かれます。飲みすぎた、仕事でトラブル、また恥の恥になりまたくるくるサイクルに入っ行きます。

ブリネー・ブラウンは、人は喜びに耐えられない。と言いました。恥は、喜びという栄光ある感情に耐えられないというのです。これは真理をついてます。栄光が本当に欲しいなら、隠れないで神の前に出てこなければいけません。喜びをつかむには、ボルナラビリティがなくてはなりません。(隠さず神の前に裸になること。)

○躓きは、躓きをうみ、霊的な目が曇る、神が余計に見えない

v5-6 5 イスラエルの高慢はその顔に現れている。イスラエルとエフライムは、おのれの不義につまずき、ユダもまた彼らとともにつまずく。6 彼らは羊の群れ、牛の群れを連れて行き、主を尋ね求めるが、見つけることはない。主は彼らを離れ去ったのだ。

先のみ言葉に続いて、恥のサイクルの中にいては、主を見つけることは難しいとあります。躓く人は、何度も躓きます。不思議なことです。それは、一つの躓きが次の躓きを産み、躓けば躓くほど、霊的な目がくもり、心が麻痺していくからです。躓きを避ける最大の攻略は、いつも神様の前にボルナボル裸になれるかということにかかっています。神様に正されても、それに従う勇気があるか。神様の忠告を受ける勇気を持っているかということです。

○目に見える人/国に希望を見出そうとする、助けを求めても無駄だ

v12-13 12 わたしは、エフライムには、しみのように、ユダの家には、腐れのようになる。13 エフライムがおのれの病を見、ユダがおのれのはれものを見たとき、エフライムはアッシリヤに行き、大王に人を遣わした。しかし、彼はあなたがたをいやすことができず、あなたがたのはれものを直せない。

人は、自分の問題に気が付き始めたとき、行動を起こそうとします。神様は、この預言の中で、イスラエルは、神をないがしろにし、神を役立たずのようにみなし、自分の問題を直すために、大国に助けを求めたというのです。しかし、この大国でさえ、イスラエルの病をいやすことはできなかったのです。

人に頼ると罠に陥ると箴言にも書いてあります。何か問題が起きたときに、自分の問題が見えたとき、私たちは、人でなく、神に向かうべきです。今、何か、物事がうまく行かない、自分の腫物を見たなら、神に行くべきです。無駄な時間を過ごさず、神様を腐れにせず、そんな時こそ、神様に聞くべきです。

○罪を認め、神の臨在を求めること

v15 15 彼らが自分の罪を認め、わたしの顔を慕い求めるまで、わたしはわたしの所に戻っていよう。彼らは苦しみながら、わたしを捜し求めよう

  罪を知ることは、解放。罪を認めることは、自由。顔=臨在 神と共にいること
勝利の入り口は、ありのままの自分の状態に目が開かれることです。これは、簡単なことではありせん。自分を客観的に見れることは、成熟を意味しています。何も恥ずかしいことではありません。本当の自分を隠して、自分を美化して美化された自分を信じるのではなく、ありのままの自分を知り、そんなありのままの自分が神に受け入れられている、神に知られていることを理解するところに解放と成長があります。

自分が分かったら、もう癒しが90%なされたと言っていもいいくらいなのです。そういう意味では、人は、自分自身をもGaze することが難しい存在なのかも知れませんね。自分を見つめることを避けて、自分の美化した理想像を追いかけているのでは、それはそれで偶像礼拝のようになってしまいます。
自分を見つめること、そして、神の御顔を求める、つまり、神のまなざしの中に入ることは、私たちの解放と癒しであります。

#礼拝メッセージ #ホセア #旧約聖書

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ホセア四章

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ねずみちゃんの五歳の誕生日のお... ねずみちゃんの五歳の誕生日のお祝いをしました。 正面からこんな感じ。。。 今日... 正面からこんな感じ。。。
今日は、ママがケーキー作ってくれました。とっても美味しかったです。。。お誕生日おめでとう。元気に育ってね。
2017年9月24日日曜日礼拝メッセージ音声はこちらから。。。
今回は、時間が無くて、一番初めのポイントしか語れませんでした。残りは、書いたものからどうぞ。。。。



先週に続いてホセア書を読みますが、第四章は、はじめの10節は神様がイスラエルの罪の本質をついて示している言葉、そして、11節から最後までは、姦淫の霊について語られています。今日は、特に前半、イスラエルの罪の本質についてみていきたいと思います。

ホセア4:1-10

1 イスラエル人よ。主のことばを聞け。主はこの地に住む者と言い争われる。この地には真実がなく、誠実がなく、神を知ることもないからだ。2 ただ、のろいと、欺きと、人殺しと、盗みと、姦通がはびこり、流血に流血が続いている。3 それゆえ、この地は喪に服し、ここに住む者はみな、野の獣、空の鳥とともに打ちしおれ、海の魚さえも絶え果てる。4 だれもとがめてはならない。だれも責めてはならない。しかし祭司よ。わたしはあなたをなじる。5 あなたは昼つまずき、預言者もまた、あなたとともに夜つまづく。わたしはあなたの母を滅ぼす。
6 わたしの民は知識がないので滅ぼされる。あなたが知識を退けたので、わたしはあなたを退けて、わたしの祭司としない。あなたは神のおしえを忘れたので、わたしもまた、あなたの子らを忘れよう。7 彼らはふえるにしたがって、ますます、わたしに罪を犯した。わたしは彼らの栄光を恥に変える。8 彼らはわたしの民の罪を食いものにし、彼らの咎に望みをかけている。9 だから、民も祭司も同じようになる。わたしはその行いに報い、そのわざの仕返しをする。10 彼らは食べても、満たされず、姦淫しても、ふえることはない。彼らは主を捨てて、姦淫を続けるからだ。

★ 神を知ることもない v1   There is no knowledge of God.

一節目に重大なことが書かれています。1 イスラエル人よ。主のことばを聞け。主はこの地に住む者と言い争われる。この地には真実がなく、誠実がなく、神を知ることもないからだ。Hear the word of the LORD, You children of Israel, For the LORD brings a charge against the inhabitants of the land: “There is no truth or mercy Or knowledge of God in the land.

①まず、「主の言葉を聞きなさい。」

シェマーイスラエル。。。申命記。神の言葉を聞くことは、何にもまして一番大前提、大重要な事柄です。ヨハネの福音書でも、イエス様が、「羊は羊飼いの声を知っている」と言われています。誰に聞くかということが人生のかじ取りの中心であります。最初の人、アダムとエバは、神の声を聞いていたのですが、途中からサタンの声に聞き、それに従いました。そこからが、全ていのちの番狂わせが始まったわけです。

②「この地には真実がなく、誠実がなく」 No truth and mercy
聖書の箇所に次のような言葉があります。

箴言1:7 主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。The fear of the Lord is the beginning of knowledge,
But fools despise wisdom and instruction.

知識は、第三の神を知ることですが、まず、主を恐れることがなければ、神を知ることができません。主を恐れるとは、真実と誠実によります。まごころから神の愛することを愛し、神の嫌うことを嫌うことであります。これがなしに、ここなしに、神に近づくことはできません。そこを飛び越えて、神を知ることはできません。

③「神を知ることもないからだ」

神を知ることは、最大の武器でありますし、守りでありますし、私たちの成熟であります。先ほど、なつこさん証しがありましたが、いろいろと辛いなかを通りながらも、何が残っているでしょうか。それは、主を知ること、主の知識が最も大きく彼女に与えられたものではないでしょうか。物事がうまく行く、危険が避けられる、以上に、それをなさった主を知ることが最大の祝福です。またそのことによって、彼女が成長し、聞いた私たちも主への知識が深まります。
みなさん、知ることは、愛することです。以前から言っていますが。祈りによって、主に知っていただく、主にこのように介入していただいて主を知る。これが私たちの愛の関係です。苦しみも、罪も、分からないことも、悩みも、全ていいんです。恥ずかしくない。すべて、主に知っていただきましょう。主を知っていく機会にしましょう。

★ 地は喪に服す-- 自然界・環境への影響 v2, 3 The land will mourn

2 ただ、のろいと、欺きと、人殺しと、盗みと、姦通がはびこり、流血に流血が続いている。3 それゆえ、この地は喪に服し、ここに住む者はみな、野の獣、空の鳥とともに打ちしおれ、海の魚さえも絶え果てる。2 By swearing and lying, Killing and stealing and committing adultery, They break all restraint, With bloodshed upon bloodshed. 3 Therefore the land will mourn; And everyone who dwells there will waste away With the beasts of the field And the birds of the air; Even the fish of the sea will be taken away.

皆さん、90年代後半のフィジーのリバイバルのお話しを知っているでしょうか。ユーチューブでもあるのでぜひご覧ください。https://www.youtube.com/watch?v=AmvYQ-Zp79A

愛がさめ分裂が起こり、犯罪が増え、漁業の町から魚がいなくなり、国が傾きました。クリスチャンたちが教派を越えて集まり、悔い改めの祈りの日々が続きました。国を挙げて神様の前に悔い改めて祈りだしたのです。すると、町に魚が返ってき、地が栄え、犯罪が消えた。最初の人アダムとエバの堕落以降、土地が呪われたように、私たちの罪の結果により、私たちの環境も祝福を受けることができないのです。ホセアの時にも同じでした。
私たち、アメリカに住んでいる人は何をするべきでしょうか。そうですね。愛がさめています、分裂が起きています。今、悔い改めて祈る時です。

★ フェイク宗教 v4, 5 Fake religion

4 だれもとがめてはならない。だれも責めてはならない。しかし祭司よ。わたしはあなたをなじる。5 あなたは昼つまずき、預言者もまた、あなたとともに夜つまづく。わたしはあなたの母を滅ぼす。4 “Now let no man contend, or rebuke another; For your people are like those who contend with the priest. 5 Therefore you shall stumble in the day; The prophet also shall stumble with you in the night; And I will destroy your mother.

外見がどうであれ、本質が神に従っていない。すなわち、宗教的ではあるが神を知らない。宗教的行事はすべてするし、見た目宗教人だけど、神の声を聞かず、サタンの声に聞き従っている状態。

白昼どうどうと罪を犯し、罪に鈍く、平気である様を言っている。また、夜に、隠れて罪を犯す。これは、隠れて犯しているから、人目に触れてないから罪が薄まるのでないですね。むしろ、確信犯。だめなこと知っててやるから、隠れてやる。人に隠れてグレーゾーンをすることは、白昼どうどうよりの場合は、躓いちゃったかもしれませんが、夜隠れての方が心の闇が深いかも知れません。
神は、宗教を商売化し、生きてゆく糧を得るすべにしている祭司たちを真っ先に指しています。

キリスト教は、誰の声を聞いているか? その声に従っている時に、良い実がなり、それによって周りの人が神を知るようになるものなのです。形じゃない。本質です。本質は、思想じゃない。哲学じゃない。行いが必ず伴います。

間の節は、また主を知ることに戻りますので飛ばします。

★ 罪によって満たされことは永遠にない v10 There is no fulfillment by sins forever

10 彼らは食べても、満たされず、姦淫しても、ふえることはない。彼らは主を捨てて、姦淫を続けるからだ。10 For they shall eat, but not have enough; They shall commit harlotry, but not increase; Because they have ceased obeying the LORD.

彼らは食べても食べても満たされず、姦淫してもそれによる繁栄はない。とあります。私たちは、罪を愛しているから、罪はやめられないのですが、それを続ければ続けるほど、満たされるどころか、もっとはらぺこになります。もっと渇きます。なのにやめられません。まるで奴隷のようです。
その奴隷状態から解放することができるのが、イエス・キリストです。

主を恐れることは、知識のはじめ。。。
イスラエルの罪の本質は、主を知らないこと、それは、主に聞かないことからくるのです。
今日、神の声を聞きましょう。今日、神の声を聞いたなら、心をかたくなにしてはいけませんと、聖書にもあります。主を知ることを求めましょう。

#礼拝メッセージ #ホセア #旧約聖書

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ホセア三章

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八月末から、大学院二年目、始ま... 八月末から、大学院二年目、始まっております。最近、にわかに課題の多さに気が付きまして。。。。焦って、ブレイク中にスタバで必死でキャッチアップ。。。。専門的になってきました。今学期は、心理病理学、人間発達学、性的障害、安息日と霊性という科目を取ってますが、明らか取りすぎやな。。。。溜息
2017年9月17日日曜日礼拝メッセージ音声は、


先週に続き、ホセア書三章です。先週は、裁きの預言に続き、神が再びイスラエルを追い求めるという預言と方法が書いてありました。ここでは、実際に、神は、預言者ホセアの人生を用いて、その愛のメッセージをホセアに体現させています。

ホセア3:1-5

1 主は私に仰せられた。「再び行って、夫に愛されていながら姦通している女を愛せよ。ちょうど、ほかの神々に向かい、干しぶどうの菓子を愛しているイスラエルの人々を主が愛しておられるように。」
2 そこで、私は銀十五シェケルと大麦一ホメル半で彼女を買い取った。
3 私は彼女に言った。「これから長く、私のところにとどまって、もう姦淫をしたり、ほかの男と通じたりしてはならない。私も、あなたにそうしよう。」
4 それは、イスラエル人は長い間、王もなく、首長もなく、いけにえも、石の柱も、エポデも、テラフィムもなく過ごすからだ。
5 その後、イスラエル人は帰って来て、彼らの神、主と、彼らの王ダビデを尋ね求め、終わりの日に、おののきながら主とその恵みに来よう。

★ 恥を癒すoffered gaze v1
恥の結果の反対  反対のスピリットで神は近ずかれる 
1 主は私に仰せられた。「再び行って、夫に愛されていながら姦通している女を愛せよ。ちょうど、ほかの神々に向かい、干しぶどうの菓子を愛しているイスラエルの人々を主が愛しておられるように。」

今、日本でもいろいろ不倫の話題が多いようですが、なかなか第三者からは手厳しい裁きを読んでいます。誰も、不倫をしている人の味方はいません。不倫をされた側からみると、きっと力が抜けるほど腹がたつことだと思います。どうして? 先週、顔と顔と合わせる、親密さ。Gaze の話しを少ししました。また、先月には、顔と顔と合わせるところに、その会話の中に栄光があるという話しもしました。神に背くことを、背を向けるとも表現する通りに、人を裏切る時には、このgaze がどこかを違う方向に向くのです。

この夫がありながら、ほかの男と姦通する妻は、恥さらしです。本当なら、この恥から目を背けたいのが人間です。そうですね、例えば、道に落ちている汚いものをじっとまじかで見つめたい人なんていないですよね。それと同じです。みな、顔を背けたいのです。
また、罪を犯している本人だって、その恥から目をそらし、心の中では、自分自身に向き合うことなんてできないのです。恥とは、そのようなものです。

干しブドウ二個分が、売春婦の一回の価格だった。また、バアル礼拝の儀式に用いられているものでもあった。姦淫のシンボルである。

★ 払う必要のない犠牲を払ってまで v2 Unnecessary sacrifice
2 そこで、私は銀十五シェケルと大麦一ホメル半で彼女を買い取った。

ホセアは、売春婦を初めて自分のものにするためにお金を払うのではありません。自分の妻を買い戻すためにお金を払ったのです。なんということでしょうか。。。妻を買うためにお金を出さないといけないとは。。。
出エジプト記によると、奴隷の一人の買い取り価格が、銀30シュケルでした。ゴメルは、ホセアの妻でありながら、売りに出ていたのです。なんというこでしょう。ホセアは、銀15シュケルと足りない分は、大麦を集めてそれを足して、ゴメルを買い取り自分のものにすることができました。この部分だけを読んでも、ゴメルを奴隷状態から買い戻すのは、簡単ではないことが分かりますね。いろいろと工面しなければいけなかった。
文字通り、贖いの行為です。
私たちは、みな神に造られたものたち。しかも、神の似姿に造られたものたちです。みな、霊を持ち、賜物が与えられている。しかし、神から離れているがゆえに、買い戻されなければいけなかった。。。
イエス様の十字架、誰もが目を背けるほどのむごさであり、恥の集約でした。それを体験している、その気持ちの分かる神。
目をそむけたくなる、恥にまみれたゴメルを代価を払って買ったホセアでした。

★ 再び結婚の誓い v3 Marriage Vow again
私は彼女に言った。「これから長く、私のところにとどまって、もう姦淫をしたり、ほかの男と通じたりしてはならない。私も、あなたにそうしよう。」And I said to her, “You shall stay with me many days; you shall not play the harlot, nor shall you have a man—so, too, will I be toward you.”

ホセアの一方的な赦しがあってこその誓いの言葉であり、新しく交わされた契約であった。洗礼式の時に、みなさんお気づきかと思いますが、「死に至るまで忠実でありなさい。」と祈ります。神の救いは、永遠に至る救いです。ですから、私たちは、命の限り、誠実であるべきだからです。結婚式の時にも、誓いの言葉を交わします。死が二人を分かつまで、忠誠を誓うのです。ホセアは、永遠の愛をゴメルにオファーしているのです。

○赦しと悔い改めの実について


★ 究極の王の訪れと真の救いの希望を示す  V4, 5 Ultimate King and hope of salvation

4 それは、イスラエル人は長い間、王もなく、首長もなく、いけにえも、石の柱も、エポデも、テラフィムもなく過ごすからだ。
5 その後、イスラエル人は帰って来て、彼らの神、主と、彼らの王ダビデを尋ね求め、終わりの日に、おののきながら主とその恵みに来よう。4 For the children of Israel shall abide many days without king or prince, without sacrifice or sacred pillar, without ephod or teraphim. 5 Afterward the children of Israel shall return and seek the Lord their God and David their king. They shall fear the Lord and His goodness in the latter days.

アッシリヤに征服されてから、イスラエルに王が立てらることは実際にありませんでした。王は、ただ一人、イエス・キリストのみとなります。長い間。。。とあります。神は、目に見えるものによりたのむのではなく、目に見える王でなく、やがて来られる真の王、霊の王、イエス・キリストのおとずれを示唆しているのです。
いけにえも、石の柱も、エポデも、テラフィムもなくwithout sacrifice or sacred pillar, without ephod or teraphim
とは、様々な異教的な文化をさしています。カナン文化とも言えますが、石の柱は、バアル神の象徴。エボデは祭司が占いを行うときに着けるベスト。テラフィムは人の形の像で、家の守り神的な像、サムエル記、さかのぼって創世記にも出てきますよね。

やがて、人間的な王、この世の宗教ではなく真の神、王イエス・キリストに出会う日が来る。という、終末的預言に至っています。



#礼拝メッセージ #ホセア #旧約聖書

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ホセア二章

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ホセア二章
2017年9月10日日曜日礼拝メッセージ音声は、


イスラエルの民の名前が変わってく過程についての預言。鍵は、神の愛。
ホセア2:2-23

先週に続いてホセア書の第二章です。一章の終わりに名前が変えられるということが出てきました。ホセアの子供たちの名前を文字通り使っての預言です。さて、どのようにして名前が変えられるのでしょうか。

●裁き・罪の結果 v2-13 Judgement and Consequence of sins

まず、前半裁きの言葉です。裁きというのは、ただ、自由気ままに神様が怒るのが裁きではありません。裁きは、罪の結果によるものであり、自分の行動の結果とも言えます。

☆偶像と手を切るように Leave the Idols

V2-4「あなたがたの母をとがめよ。とがめよ。彼女はわたしの妻ではなく、わたしは彼女の夫ではないからだ。彼女の顔から姦淫を取り除き、その乳房の間から姦通を取り除け。3 そうでなければ、わたしは、彼女の着物をはいで裸にし、生まれた日のようにして彼女をさらし、彼女を荒野のようにし、砂漠のようにし、渇きで彼女を死なせよう。4 わたしは彼女の子らを愛さない。彼らは姦淫の子らであるから。

まず、偶像と手を切るようにと神様は言われます。イエス様も、「二人の主人に同時に仕えることはできない。」また、「わたしに仕えるのか、マモンに仕えるのか」ともおっしゃいました。私たちは、決して、二人の主人には仕えられないのです。どちらかを愛して、どちらかをおろそかに必ずするからです。ですから、神様よりも大事なものを持つことは、偶像礼拝です。何を失っても、神様がいれば大丈夫。これが信仰です。
彼女の顔から、胸の間から姦通を取り除け。私たちの顔の向く方が私たちの求めているものではないでしようか。愛する人がいたら、女性は、顔と顔を合わせて見つめ合いたいのではないでしょうか。また、心のうちに大切に、親密な思いは、胸においておくのではないでしょうか。完全に異なる神、偶像から自分自身を取り除くようにと神様は言われます。

☆罪の結果 The Consequence of Sins

そうでなければ、彼女の着物をはいで裸にし、生まれた日のようにさらし、砂漠のようにし、渇きで死なせる。。。と。私たち、キリストに出会っている者たちは、分かります。恵みのクッションの大きさが。私たちを覆う覆いでキリストにより罪が隠されていることを。しかし、そのようなものもなく、罪の恥をさらし、まっぱだかで、しかも、潤いもなく、神の恵みも憐れみも感じず、飢え渇き過ぎて死なせると。。。。この状態、私たちも味わったことがある感覚ではないでしょうか。そう、救われる前。何をしても砂をかむような、白黒写真のような。。。でも、神様に出会ってから、渇くことのない泉のように、神様に頼れば頼るほど、恵みがあふれてくる。。。その反対になるというのです。そうです、神様に背を向けては、真のいのちがなくなってしまうのです。

☆偶像礼拝には理由がある The Reason of Idol Worshipping

V5-9 5 彼らの母は姦淫をし、彼らをはらんで恥をさらし、そして言った。『私は恋人たちのあとを追う。彼らは私にパンと水、羊毛と麻、油と飲み物を与えてくれる』と。6 それゆえ、わたしは、いばらで彼女の道に垣を立て、彼女が通い路を見いださないように、石垣を立てよう。7 彼女は恋人たちのあとを追って行こう。しかし、彼らに追いつくことはない。彼らを捜し求めよう。しかし、見つけ出すことはない。彼女は言う。『私は行って、初めの夫に戻ろう。あの時は、今よりも私はしあわせだったから。』8 彼女に穀物と新しいぶどう酒と油とを与えた者、かた、バアルのために使った銀と金とを多く与えた者が、わたしであるのを、彼女は知らなかった。9 それゆえ、わたしは、その時になって、わたしの穀物を、その季節になって、わたしの新しいぶどう酒を取り戻し、また、彼女の裸をおおうためのわたしの羊毛と麻とをはぎ取ろう。

罪から離れられない最大の理由は、罪を愛していことです。罪は嫌わないとやめられません。母たち、イスラエルの民全体のこと。国。偶像礼拝には理由があります。それは、「彼らは私にパンと水、羊毛と麻、油と飲み物を与えてくれる」とあるとおりです。今、私が欲しいものをくれる。自分の思うとおりになることが、偶像礼拝の根っこです。偶像礼拝の反対は、では何でしょうか。そうです。信頼と信仰です。みなさん、気を付けてください。信頼と信仰がないところには神様はおられないです。今欲しいものが与えれないことを悲しみとするなら、それは偶像礼拝なのです。神は、バアルを通してでも物事を与えたのさえも真の神であるとおっしゃいます。それさえ、知らないのか。。。と。それが分からないものには、すべて新しい葡萄酒も取り戻すし、羊毛も麻も剥ぎ取り、恥をさらすと。

☆礼拝も取り上げられる Religion was taken away

V10-13 10 今、わたしは彼女の恥を、恋人たちの目の前にあばく。だれも彼女をわたしの手から救い出せる者はない。11 わたしは彼女のすべてを喜び、祭り、新月の祭り、安息日、すべての例祭を、やめさせる。12 それから、わたしは彼女が『これは私の恋人たちが払ってくれた報酬』と言っていた彼女のぶどうの木と、いちじくの木とを荒れすたらせ、これを林にして、野の獣にこれを食べさせる。13 わたしは、彼女がバアルに香をたき、耳輪や飾りを身につけて、恋人たちを慕って行き、わたしを忘れてバアルに仕えた日々に報いる。—主の御告げ—

二人の主人には仕えられません。しかし、当時のイスラエルの民は、教理も何も偶像とごっちゃにし、ユダヤの神を拝む体で、偶像礼拝をしていました。みなさん、これ、怖いと思いませんか。私は、真の神を信じているといいながら、実は、心の奥底では異なる神を拝んでいるとは。。。しかし、当時のようにバアルなどはっきりしているものと違って、今の教会に置き換えるなら、本当にはっとさせられます。私は、どなたを礼拝しているのか。。。

●再び主がイスラエルを追い求める v14-23 God pursues Israel again

☆主とのエンカウンター Encounter with God

14 それゆえ、見よ、わたしは彼女をくどいて荒野に連れて行き、優しく彼女に語ろう。15 わたしはその所を彼女のためにぶどう畑にし、アコルの谷を望みの門としよう。彼女が若かった日のように、彼女がエジプトの国から上って来たときのように、彼女はその所で答えよう。

主は、ご自身に背いているイスラエルに近づいてくどき、優しく語ってくれる。何ということでしょうか。顔に泥を塗られるようなことをされて、まだ、優しく説得してくれる神。私たちは、その神の声に気が付くようでありたいですね。そして、何も実を結ぶことも取り上げられていたところをブドウ畑にし、アコルの谷を希望の門、入り口とする。と。アコルの谷は、ヨシュア記でてきますが、昔、アイに攻め入ったときに、アカンが完全に聖絶せよという神の命令に背いて、欲がでて、自分のために金の延べ棒などを自分のぽっけにないないしました。そのことで、アカンは殺されました。その場所がアコルの谷です。そうです。アカンの心には偶像礼拝の心がありました。自己中心のあまり、神の声に従えませんでした。神に従っては戦うけど、自分のためにこれは取っておこうという心が偶像礼拝の心です。しかし、この箇所で、そのアコルの谷を希望の入って来る門にすると預言されているのです。二心のイスラエル、しかし、その二心さえも、それに気がつくことで変革とそれに伴う祝福が来るように、そこは、希望の入り口になると。。。そして、奴隷だったエジプトから救われてきた日のように、神に救われ、神に出会うだろうと。。。

☆主と契りMake a Covenant with God

16 その日、—主の御告げ—あなたはわたしを『私の夫』と呼び、もう、わたしを『私のバアル』とは呼ぶまい。
17 わたしはバアルたちの名を彼女の口から取り除く。その名はもう覚えられることはない。18 その日、わたしは彼らのために、野の獣、空の鳥、地をはうものと契約を結び、弓と剣と戦いを地から絶やし、彼らを安らかに休ませる。19 わたしはあなたと永遠の契りを結ぶ。正義と公義と、恵みとあわれみをもって、契りを結ぶ。
20 わたしは真実をもってあなたと契りを結ぶ。このとき、あなたは主を知ろう。

私たちも主に立ち変える時が、人生のうち、一度ではなく何度となくその時が訪れるものです。私はバアルの名をイスラエルの口から取り除く。と。その口は、主を告白するようになるからです。そして、契りを結ぶ。主と再び結ばれ、そして、主を深く知るようになる。私たちは、神と結ばれなければ、主を知ることはありません。こっちに足を突っ込み、あっちにも足を突っ込んでいる状態では、主を知ることはできないのです。信仰は、あるかないかであって、大きいか小さいかではありません。少しの信仰があったらいいのかな、ではなく、主以外のものによりたのんでいたら、信仰ではないので、信仰はないということになります。

☆アイデンティティの変革 The Transformation of Identity

21 その日、わたしは答える。—主の御告げ—わたしは天に答え、天は地に答える。
22 地は穀物と新しいぶどう酒と油に答え、それらはイズレエルに答える。
23 わたしは彼をわたしのために地にまき散らし、『愛されない者』を愛し、『わたしの民でない者』を、『あなたはわたしの民』と言う。彼は『あなたは私の神』と言おう」

名前が変わるということは、アイデンティティが変わるということです。イズレエルは、散らすものから集めるものとなり、愛されないものは、愛され、私の民ではない者は、あなたは私の民と変えられます。私たちは、心の中心に何を持っているかで、生き方が変わり、アイデンティティが変わります。二章の預言は、どのようにして名前が変わるのかというプロセスでしたが、簡単に言うと、偶像と手を切る。そして、優しく語り掛けてくれる神の声に耳をまず傾けるということです。

今日聖霊様が、私たちのうちに働いてくださり、私たちのうちに隠された偶像を明らかにしてくださいますように。これだけは私から取らないでという、神様よりも大事なものがあるならば、手放しましょう。そして、神の声が聞こえるようになりますように。。。神様に新たに出会うことができますように。
#礼拝メッセージ #ホセア #旧約聖書

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ホセア一章 Hosea Chapter1

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いつも礼拝に来ているマイカくん... いつも礼拝に来ているマイカくんでーーす。来年、短期宣教師として日本に行く予定!!! 今から、祈ってみんなで備えています。。。
2017年9月3日日曜日礼拝メッセージ音声は、


人というものは、それぞれ自分の物語を生きています。誰でも、自分というストーリーを持っています。私たちの脳もまたたくさんのストーリーを蓄積させながら、自分という道のりをメイクセンスしながら生きています。あなたにも、ストーリーがあるはずです。しかし、こんなことは、ないでしょうか。どうして、あのことが私に起きたのだろう。とか、どうして、私はこの家に長女として生まれてきたのだろう。などと。。メイクセンスしたいのだけど、できないことも多いのが事実。また、自分でメイクセンスさせようとするから、その過程で、不健康な考え方に傾いたりもするものです。私たちのストーリーの中に、私たちを素晴らしく造って下った神様をお迎えしたらどうでしょうか。神様なしには、私たちのストーリーもつながらなかったりするものです。今週から、神の人ホセアのお話しを読んでいきたいと思います。ぜひ、心の片隅に、創造主なる神を置いて読んでいきましょう。

ホセア1章

1 ユダの王ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代、イスラエルの王、ヨシュアの子ヤロブアムの時代に、べエリの子ホセアにあった主のことば。2 主がホセアに語り始められたとき、主はホセアに仰せられた。「行って、姦淫の女をめとり、姦淫の子らを引き取れ。この国は主を見捨てて、はなはだしい淫行にふけっているからだ。」3 そこで彼は行って、ディブライムの娘ゴメルをめとった。彼女はみごもって、彼に男の子を産んだ。4 主は彼に仰せられた。「あなたはその子をイズレエルと名づけよ。しばらくして、わたしはイズレエルの血をエフーの家に報い、イスラエルの家の王国を取り除くからだ。5 その日、わたしは、イズレエルの谷でイスラエルの弓を折る。」6 ゴメルはまたみごもって、女の子を産んだ。主は彼に仰せられた。「その子をロ・ハマルと名づけよ。わたしはもう二度とイスラエルの家を愛することはなく、決して彼らを赦さないからだ。7 しかし、わたしはユダの家を愛し、彼らの神、主によって彼らを救う。しかし、わたしは弓、剣、戦い、および馬、騎兵によって彼らを救うのではない。」8 ゴメルは、ロ・ハルマを乳離れさせてから、みごもって男の子を産んだ。9 主は仰せられた。「その子をロ・アミと名づけよ。あなたがたはわたしの民ではなく、わたしがあなたがたの神ではないからだ。10 イスラエル人の数は、海の砂のようになり、量ることも数えることもできなくなる。彼らは、「あなたがたはわたしの民ではない」と言われた所で、「あなたがたは生ける神の子らだ」と言われるようになる。11 ユダの人々とイスラエルの人々は、一つに集められ、彼らは、ひとりのかしらを立てて、国々から上って来る。イズレエルの日は大いなるものとなるからである。

○ ホセア… 救いの意味
私たちにも、名前があり、意味があります。

○ 預言者
当時は、神様は、預言者を通して民に話しかけておられました。ホセアも預言者の一人でした。

○ 歴史的背景

北王国末期の四十年間に、ホセアは預言者として働いていた。アモスと同時期。イザヤとミカはホセアの後輩。彼の預言した時期の王たちは、ユダ、南では、ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤ、イスラエル、北では、ヤロブアム二世です。
ホセアからさかのぼって200年前に、十二部族の中から十部族がダビデの王国から離れ、金の子牛を神とする国を立ち上げた。神は、エリヤ、エリシャ、アモスを遣わし、そして、この時、ホセアを遣わした。彼の生きた時代は、北王国では、繁栄していた。

○ 北イスラエル・北王国 ヤロブアム二世 (BC790-749)

○ 神の言葉

2 主がホセアに語り始められたとき、主はホセアに仰せられた。「行って、姦淫の女をめとり、姦淫の子らを引き取れ。この国は主を見捨てて、はなはだしい淫行にふけっているからだ。」2 When the Lord began to speak through Hosea, the Lord said to him, “Go, marry a promiscuous woman and have children with her, for like an adulterous wife this land is guilty of unfaithfulness to the Lord.”

預言者として、神の声を聞き始めたとき、主はホセアに、姦淫の女を娶れと言われました。これは、必ずしも、ゴメルが姦淫してたという文字通りの意味でなく、当時は、他の神々について行き、自分の身をゆだねていたイスラエルの民を姦淫の女に例えている。姦淫の民といってもいいほどの民。その中の一人と結婚するように、という意味。しかし、当時、偶像礼拝において、不倫行為を伴っていたこともあり、一人の人に貞淑であることは、文化的にも難しかったとされています。

ホセアが誰と結婚したかを私たちに適用するつもりはありません。

しかし、考えてみると、ホセアの人生を通して、神が語られ、彼の結婚を通しても神が語られるとすれば、新約の時代、祭司であり王である私たちの人生の出来事、そして、ストーリーに神のメッセージ性が秘められていることを心を留めましょう。
あなたの成功も失敗も、誰と結婚した、しない、も、全部、神にあっては、メッセージなのです。しかし、神ぬきでは、メッセージとはなりません。。。

〇 預言者の資質

ホセアは、神の言葉の通り、行って、ゴメルをお嫁さんにしました。ここで考えてみたいことは、神の人の資質です。
預言者とは、神の言葉を預かり、それを届けることです。その働きには、神の言葉に忠実であることが求められます。与えられたものに対して忠実でなければ、私たちは、メッセージを人に与えることができないからです。あなたの行動は、内にある神の言葉の現れ。

一章では、ホセアとゴメルは、愛し合っていることがうかがえます。二人の間に三人もの子供が生まれました。また、ゴメルも貞淑を尽くしていることがうかがえます。ホセアは、彼女を妻として愛しており、ゴメルもホセアを愛していたのだと思います。

○ 子供たちの名前

神は、三人の子供に名前を付けるように、言われました。ホセアは、言われた通りに、しました。その子供たちの名前が、イスラエルの未来を示す、預言になっています。

第一子 男 イズレエル … エフーが残虐をおこなった土地名前、イズレエルの谷からとっている。エフーは、バアル礼拝のアハブ王と王妃ジャズベルをやっつけ、バアル礼拝者をことごとく殺した人。しかし、ヤロブアムの金の子牛を拝むのはやめなかった人。神のイスラエルに対する刑罰の時が近いということを示すために、エフーが多くの報復の血を流したイズレエルと名付けた。また、「集める」と「散らす」の意味もある。やがて、神によって散らされるという意味としてここでは使われる。

第二子 女 ロ・ハルマ … もう二度と愛することはない。の意味。

第三子 男 ロ・アミ … 私の民ではない。の意味。ロは、でないの意味。

○ 回復の約束

V10, 11 イスラエル人の数は、海の砂のようになり、量ることも数えることもできなくなる。彼らは、「あなたがたはわたしの民ではない」と言われた所で、「あなたがたは生ける神の子らだ」と言われるようになる。11 ユダの人々とイスラエルの人々は、一つに集められ、彼らは、ひとりのかしらを立てて、国々から上って来る。イズレエルの日は大いなるものとなるからである。


#礼拝メッセージ #ホセア #旧約聖書

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栄光は対面の中に Glory is in “face-to-face”

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今日のメッセージは、ブーバーに... 今日のメッセージは、ブーバーに出会ったからこそ、語られたことでした。。。。。
神様、感謝します。
教会は、成長しています。人々が解放され、生き生きとしています。それが、何よりの私の食べ物です。。。
ハレルヤ!

2017年8月13日日曜日礼拝メッセージ音声はこちらから、


今週ある方と話していて、ディスカッションしたことを分かち合いたいと思います。みなさん、イエス様の変貌の箇所を読んだことがあるでしょうか。そこから、今日は学んで行きたいと思います。

マタイ17:1-8

1 それから六日たって、イエスは、ペテロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に導いて行かれた。2 そして彼らの目の前で、御姿が変わり、御顔は太陽のように輝き、御衣は光のように白くなった。3 しかも、モーセとエリヤが現れてイエスと話し合っているではないか。4 すると、ペテロが口出ししてイエスに言った。「先生。私たちがここにいることは、すばらしいことです。もし、およろしければ、私が、ここに三つの幕屋を造ります。あなたのために一つ、モーセのために一つ、エリヤのために一つ。」5 彼がまだ話している間に、見よ、光り輝く雲がその人々を包み、そして、雲の中から、「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい」と言う声がした。6 弟子たちは、この声を聞くと、ひれ伏して非常にこわがった。7 すると、イエスが来られて、彼らに手を触れ、「起きなさい。こわがることはない」と言われた。8 そこで、彼らが目を上げて見ると、だれもいなくて、ただイエスおひとりだけであった。

マタイ16章、17章にはいろいろとペテロの言動が取り上げられて出てきます。時期は、イエス様が十字架にかかる前に弟子たちに心備えを促していた時。十字架で死ぬんだよーと教え始めたころです。ペテロは、あなたは私を誰というか? と聞かれ、「あなたは神の子キリスト」と告白し、それは神様が言わせてくれているのだよと、ちょっとほめられた感じになり、その後、イエス様が殺されるんだよ、という話になると、「いやいや、そんなことないよ」とイエス様をいさめて、「下がれ、サタン」と怒られちゃったりしました。
私たちは、こんなペテロの姿を見て、自分を見るような気分になります。。。あるときは、霊的で、聖霊によって、バシッと話せたり、そうかと思えば、とても肉的になって、神様に叱られたり。。。私たちは、そんな危うい存在なのかもしれませんね。誰しも経験が。。。
その出来事の一週間後、イエス様は、特別に三人の弟子を連れて、山に登りました。そして、不思議な体験をしたのです。

★ 神は公平、不公平?

イエス様は、このペテロとヤコブとヨハネをいつもそばに置きました。ゲッセマネにだって連れて行きました。ここぞ、というときには必ず連れて行きました。イエス様にはほかにも弟子はたくさんいました。女の弟子たち、12弟子、七十人弟子。。。。どうして三人だけ。。。肉的な人は、三人を特別扱いされていると思うかも知れません。どうやったら、あの三人になれるのか。。。などと、実際に、他の箇所では、誰が天でイエス様の近くに座るかなどと議論されたり、誰が一番偉いかと議論される箇所がありますね。私たちは、肉の目で見ると、このような失敗をします。

ヨハネの16章でも、「あなた方が私を選んだのではなく、私があなた方を選んだのです。」とあります。神様の世界は、教室的な学校ではないのです、一人ひとりにカスタマイズされた選びがあり、使命があります。誰が偉いとか、下だとかありません。ただ一つ、賞賛に値するのは、自分の置かれた場所で、導かれていることに、忠実であることです。小さいことに忠実である人は、多くをやがて任されるようになります。(ルカ16) 私たちが注目するべところは、いかに神に誠実に、忠実であるか。。。である部分です。

忠実であるときに、神の喜びとともに喜ぶというご褒美に預かることができるのです。(マタイ25)

★ 変貌への応答から学ぶこと

さて、この三人は、この光栄な出来事の中で忠実であることでできたのでしょうか。。。

2 そして彼らの目の前で、御姿が変わり、御顔は太陽のように輝き、御衣は光のように白くなった。3 しかも、モーセとエリヤが現れてイエスと話し合っているではないか。

① 栄光のとどめ方レシピ?

ペテロは、あまりにもすごい光景を見て、驚きました。モーセとエリヤは、モーセは神から律法をいただいた偉大な指導者、エリヤは預言者の代表、ユダヤ人にとっては二大英雄、律法と預言二つ合わせて聖書全体をあらわし、それを全うしたイエス様と出会っている様を見たのです。なんというすごい光景。しかも、光輝き、この世のものとは思えない光景です。いよいよ、十字架の話をみんなにしている時期に、旧約の二大英雄、そして神の教え全体を表す二人と「あなた方に新しい戒めを与えよう、互いに愛し合いなさい」と言われた、新しい生き方のイエス様が対面しているというこの意味深さ。。。弟子たちには理解できたのでしょうか。

その時、ペテロは、あまりの栄光に圧倒されて、これを保てればいい。。。ずっとここにいたい。。。とも思ったことでしょう。彼は、話しているイエス様に割って入って言いました。「おひとりおひとりのためにここに私が幕屋を作ります!」と。。。ここに、私たちへの警告が示されています。

私たちは、何かすごいムーブメントがあれば、それと同じことをフランチャイズしてそのムーブメントをとどめようとします。幕屋を立てて、そこにとどまってもらう。。。というのは、何か、クッキーカッターのように、これをすれば、この栄光がまた来るという期待からのもので、これが、宗教の霊の始まりです。クッキーカッターとムーブメントの約束があれば、神との関係なんていらないのです。また、信仰なんて必要ないのです。型、形、に神はいないことを私たちは知らなければなりません。

② 栄光はどこにあるか?

みなさん、この栄光は、どこから来ていたのでしょうか。。。それは、モーセとエリヤとイエス様がそれぞれ顔と顔とを合わせて語り合っているそのただ中にあったのです。やり方や、フランチャイズされたムーブメントではないのです。神との対峙の中に、栄光は宿るのです。

ブーバー。。。純粋な二人の人が対峙するところに神がいる。。。私の証し。
神との対峙、対面こそが一番のメッセージであって、現象ではないのです。現象は、とどめることができません。それは、無くなったり、行ったり来たりします。けれども、愛、神との出会いは無くなりません。

③ 彼の言うことを聞きなさい

ペテロが幕屋の一件を言うと。。。天からの声が、「これは、私の愛する子、私はこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい。」という声がしました。
私たちの第一とするものは、ムーブメント、現象ではなく、イエス様の声に聞き従うことです。「見よ、聞き従うことはいけにえにまさり/耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる」(一サムエル記15)つまり、聞き従うことは、宗教に勝るのです。私たちは、イエス様との関係、出会い、対峙、愛の関係を宗教に成り下がらせてはいけないのです!

★ 変貌目撃の結果

マタイ16章の最後の方に、「誰でも私についてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そして私についてきなさい。」V24 とありますが、この栄光を目撃した三人は、みな神様のために死にました。ヤコブは初めの殉教者となり、ペテロも十字架刑になりましたし、ヨハネは、パトモスで死にました。
現象をとどめようとしたペテロは、後の文書でこのように書いています。

Ⅱペテロ1:16-19

私たちは、あなたがたに、私たちの主イエス・キリストの力と来臨とを知らせましたが、それは、うまく考え出した作り話に従ったのではありません。この私たちは、キリストの威光の目撃者なのです。キリストが父なる神から誉れと栄光をお受けになったとき、おごそかな、栄光の神から、こういう御声がかかりました。「これはわたしの愛する子、わたしの喜ぶ者である。」私たちは聖なる山で主イエスとともにいたので、天からかかったこの御声を、自分自身で聞いたのです。また、私たちは、さらに確かな預言のみことばを持っています。夜明けとなって、明けの明星があなたがたの心の中に上るまでは、暗い所を照らすともしびとして、それに目を留めているとよいのです。

彼は、試練の中で、あの体験で経験した、神との対話、顔と顔とを合わせる中にある栄光に思いをはせながら、耐えたのです。神との出会いが彼の生涯の力となったわけです。あの栄光のある天国を見据えながら耐え抜いたのです。それは、信仰によりました。
神との対面は、私たちを強める。私たちは、神と対面しながら、日々生活し、日々奉仕し、試練に耐え、等々。。。全て、神との関係、神と顔と顔とを合わせながら歩むのです。

私たちは、あの現象がこの現象がと現象を追いかけてはいないでしょうか。あれさえあったら。。。などと。。。しかし、あなたが愛の関係、日々のface to faceの時間が神とないならば、栄光などないのです。神を心から求めませんか? 神との愛の関係を築くことをもう一度考えてみませんか?


#教会 #礼拝 #日曜日 #礼拝メッセージ #栄光 #神との会話

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シリーズGod’s Image④受肉と神の働きpart 2

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木曜日は、子供たちを連れてシア... 木曜日は、子供たちを連れてシアトルセンターにピクニック。
暑かったです。
私もすごく日焼けしました。
お弁当も食べて、楽しい一日でし... お弁当も食べて、楽しい一日でした!

子供たちは、いくら泳いでも元気... 子供たちは、いくら泳いでも元気いっぱい。
すごい体力です。
暑いのに。。。
2017年8月6日日曜日礼拝メッセージ音声と書いたものと、だいぶ違うことになっています。音声の方がおすすめです!


今日は、先週の続きです。先週は全部カバーすることができませんでした。

ヨハネ1:1-2 “初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the Word was God.” 
イエス様のことを話している箇所ですが、私たちも、クリスチャンとして成熟すればするほどキリストに似たものとなります。私たちも神の言葉を体現するものとなります。そして、それが私たちの働きとなります。先週「神に造られた健全な私であることが私の召しである」という話しをしました。

よく聞かれる質問ですが、「自分が無くなることが、キリストのようになることですか」答えは、Yes and No です。神様と対話し、私が神様と一つになれば一つになるほど、ますますあなたらしくなるのです。本来は、神様に造られた通りで生きられていれば、何も問題がないのですが、生まれて来て私たちは、罪を犯し、罪にまみれた世の中で生きているので、いろいろな自己防衛システムができました。自分らしさ、自分の素晴らしさということに気付き、また、それを大いに発揮している人というのは少ないのです。

ですが、この罪の性質につられて生きてしまう自分を古い人といいますが、神の愛の中に歩む時に、この古い人を脱ぎ捨てながら、生きていったらいいのです。そうすれば、あなたらしく、イエス様の似姿に成熟していけるのです。
この「あなたらしく」の中には、過去の苦労や、悲しみ、そして罪も含まれています。これらを神にあって回復され癒されるときに、ますます、あなたの持ち味がでてくるのです。

★神の働きは、受肉の働き。

私たちの働きというのは、神の言葉の受肉の働きです。愛によって、私と神とが一つになっている時、真の意味で用いられる。古い自分の思うがまま、奔放に自分のしたいことをするのが神の働きではありません。Ego-centered vs God-centered service 神と心が一つになってれば、思いのままに動いても間違いはあまりせん。しかし、神と思いが一つになってないのに、思いのままにやると、それは、肉の働きになり、何の益ももたらされません。

ヨハネ15:5
わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。“I am the vine, you are the branches. He who abides in Me, and I in him, bears much fruit; for without Me you can do nothing.

ブドウの木は、つるです。リンゴの木のように、どこからどこが幹でどこが枝がよくわかりません。つるなのです。キリスト者というのは、それほどキリストと一つになっているのです。キリストが私のうちにおられ、私はキリストのいのちのうちに隠されている存在です。ブドウの木のように、他から見れば、一つに見えるものであるはずです。しかし、必ずしも、私たちを見たらキリストを見る人はいないのかもしれません。。。。そのためには大切なことがあります。

ヨハネ15:1,2
わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。2 わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。“I am the true vine, and My Father is the vinedresser. 2 Every branch in Me that does not bear fruit He takes away; and every branch that bears fruit He prunes, that it may bear more fruit.

神様は、実を結ばない、枝は剪定してくれるのだそうです。私たちは、痛い思いをしたくないし、また、自分の自己中心的な思いで、ああしたい、こうしたいという枝を伸ばし放題にしていたいのですが、それでは、実がならないのだそうです。たとえ、それが、この世の目で見て、人間的に成功的に見えていても、神と一つになってないなら、きっと実ができていないはずです。

★実をみたら分かる

「愛があったら、わかります」の言葉。。。私の恩師が言いましたが。。。

神と一つであるかどうかというのは、自分の側では、ただ、神を純粋に愛する、人を純粋に愛することを求めて行ったらいいと思います。ただし、神との対話の中で。。。しかし、それが本当に神様から来ていたことかどうかという、吟味は、日がたってみないと分からないことが多々あります。ああ、あの人、活躍しているなー。すごいなーと思うかもしれません。しかし、実際、その人に会ってみたら、御霊の実を感じないとしたら、なんとがっかりでしょう。その人に、忍耐がなく、愛がなく、喜びが無ければ、がっかりするのです。

ガラテヤ5:22-23
122 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、23 柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません

美味しい御霊の実は、どこから来るのでしょうか。

★死は、あなたが無くなることではない

受肉を考える時に。。。神と思いを一つにするためには、いつも心の一新(ロマ12)悔い改めしかありません。
常に、はじめの愛に帰ること、常にキリストの死と葬りと復活と一つであることを知ること。

ガラテヤ2:20

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

もはや私ではなく、キリストが生きているということ。神は、そういう私たちの中におられて一緒に事業をなされたい。預言、み言葉の奉仕、励まし、癒し、神と一つとなって働くこと。神の荷姿というのは、どこまでも、一つであることだ。

★愛の中にとどまること

ヨハネ14: 23 イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。」Jesus answered and said to him, “If anyone loves Me, he will keep My word; and My Father will love him, and We will come to him and make Our home with him.

私の命令を守るなら、あなたは愛にとどまっている。

人は、人に愛された通りに、また人にするものです。これが、生きた命令です。神の言葉・愛があなたの中に生きるようにするには。愛にとどまること。多く愛され、おおく赦されることによります。

あなたは、神の言葉です。イエス様の美味しい実を周りの人に食べてもらいましょう。それが、あなたの働きであり、召しです。

#教会 #子供 #礼拝 #日曜日 #礼拝メッセージ #神の似姿 #受肉

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シリーズGod’s Image④受肉と神の働きYou are Incarnated His Word

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これは、先週の写真ですが、最近... これは、先週の写真ですが、最近ギターの練習の成果が出てきて、Mさんが一人でも奏楽の奉仕ができるようになりました! すごい!! さすが、男性ですねーー。楽器を練習している方々もいらっしゃるので、これからも楽しみです。。。牧師としては、喜んで主に仕える姿を見ることが何より一番の喜びです。技術は二の次三の次です。。。。
2017年7月23日日曜日礼拝メッセージ音声は


★人生とは、対話である。

前回のメッセージを覚えていますか。人とは、神と対峙し、神に応答するために造られているというお話しでしたね。マーチン・ブーバーという、有名なユダヤ人哲学者が言うには、「人生とは、対話である」。第一回でも話したように、私たちのアイデンティティは、人との関係性の中で見いだされる。三位一体の神の関係から学びましたね。また、感情についてのお話しでもいかに、自分にとって対峙する相手が必要か分かりましたよね。人は、他者と対話をするごとに、自分を見出していくのです。不思議なことですが、私たちの傷というものは、人から来ます。でも、癒しも人からくるのです。私たちの人生にとって他者は切り離せない存在です。人生は対話。対話の中で自分を見出し、癒され、そして成長していく。隣人は、対峙しコミュニケーションをとる相手である。すなわち愛の対象であり、共感の対象である。ブーバーは、真の私と、隣人が本当に出会うところに神が働かれる。と言います。少し、真の私とは何かということを探ってみたいと思います。

★私になるという召し。

私たち一人一人に名前がついているように、私たちには一人ひとりユニークなデステニーが神に用意されています。神の意図された私になるには、召しがいる。召しがある。召しというのは、すべての人に与えられている。神からの天職というか、神の目的ともいえましょうか。自分が自分になるために献身する必要ある。私たちは、自分が分かるまで、自分の人生の目的が分かるまで、すっきりしないのではないでしょうか。

私がよく聞かれる質問に、どうやったら自分の召しが分かるのですか? 私は、どうやって自分の召しを自分のものにしたらいいですか? 私は、宣教師になるという召しが与えられましたが、どうやったら宣教師になれますか? と聞かれます。実は、この質問は本末転倒なのです。

召しは、あなたであることが召しなのです。もし、健全な神に造られた通りのあなたであるなら、ほかの働きはすべてついてくるのです。頑張って達成するゴールではないのです。

ただ、そこには、コミットメントが必要。自分が健全な自分になるために献身しなければ到達できません。ふわっと、ただ生きているだけでは到達しません。ライザップも結果にコミットするというてます。。

1、 神との対話を大切に
2、 人との対話を大切に
3、 真剣に神の声に従う= 神を恐れる= 神の愛することを愛し、神の嫌うことを嫌う
4、 自我に死ぬことを知ること
5、 赦すことを学ぶ = いつも心の癒しを受け取っている

これらをまとめると、愛することと言い換えることができます。愛の中にとどまること。神を愛し、自分を愛するように隣人を愛すること。

召しは、賜物ではありません。神に造られたあなた自身になることです。私たちは、神のために生きる。または、自分の召しを全うするということに関して、たびたび賜物を用いることと混同して考えてしまいます。ですから、パウロは、他者の集まりのキリストの身体のことを説明し、そして、愛について説明し、それから聖霊の賜物について説明しているのです。一緒に、あなたがあなたとなるために必要なみ言葉、を読んでみましょう。

★最も優れているのは、愛。

 Ⅰコリント13章

たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。2 また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値打ちもありません。3 また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のしたあくを思わず、6 不正を喜ばずに真理を喜びます。7 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。8 愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。9 というのは、私たちの知っているところは一部分であり、預言することも一部分だからです。10 完全なものが現れたら、不完全なものはすたれます。11 私が子どもであったときには、子どもとして話し、子どもとして考え、子どもとして論じましたが、おとなになったときには、子どものことをやめました。12 今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔を顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知らされているのと同じように、私も完全に知ることになります。13 こういうわけで、いつまでものこるものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。

賜物を追いかけるでもない、実際、聖霊様が働かれるのは、召されて、召しに応じているあなたが、神と対話し、対峙する中で、他者に出会うときに、流れるものがある。それが、神様のお働きであり、御業である。エリックの父の日のメッセージでも話されましたが、愛によって、父から子に渡る霊的財産があるのです。イエス様も、ヨハネ14: 15 「もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。」If you love Me, keep My commandments.と言われました。愛の関係のあった人の信念というのは、自然に受け継ぐものです。死んだおばあちゃんがよく、こんなことをしてくれた。私も知らず知らずのうちに、同じことをしているな、と、言うものです。

★神の働きは、受肉の働き。

私たちの働きというのは、神の言葉の受肉の働きです。愛によって、私と神とが一つになっている時、用いられる。一つになることも、愛。相手に向かう愛がなければ、働きもない、また働きの実も愛である。神と一つになることは、先週も感情というシグナルも大切だという話しをしましたが、「死」も大切な要素です。「死」とは、どういうことでしょうか。それは、古い肉の自分に死ぬことです。自己中心の肉が、愛の一番の邪魔者です。

受肉を考える時に。。。神と一つになるためには、いつも心の一新(ロマ12)悔い改めしかありません。

ガラテヤ2:20

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

もはや私ではなく、キリストが生きているということ。神は、そういう私たちの中におられて一緒に事業をなされたい。預言、み言葉の奉仕、励まし、癒し、神と一つとなって働くこと。神の荷姿というのは、どこまでも、一つであることだ。

★愛の中にとどまりなさい。

ヨハネ14: 23

イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。」

  私の命令を守るなら、あなたは愛にとどまっている。

神を愛することは、神の愛していることを心から愛し、神の嫌うことを嫌うことです。今日、神に対峙し、神と対話し、また人との交わりの中で、自分を見出し、真の自分になることにコミットしませんか?

#教会 #子供 #礼拝 #日曜日 #礼拝メッセージ #神の似姿 #受肉

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シリーズGod’s Image③会話相手と応答者

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毎週日曜日は、ランチから始まり... 毎週日曜日は、ランチから始まります。食卓を共にし、食事をすることは大変大切なことです。これだけは、続けたいものです!
2017年7月2日日曜日礼拝メッセージ音声は、


神様のイメージ、神の似姿に造られた人間という視点から、学んでいますが、二週間前は、ことばということを話しました、また先週は、コミュニティなる神そしてそのカギは愛であること。そして、今回は、ある意味で、ことばというカテゴリーなのかもしれません。しかし、文字、口から発する言葉以外の意思伝達方法である感情についてお話ししたいと思います。神は、ダイアログパートナーを探しておられます。私たちは、その呼びかけに答えるリスボンダーです。その関係の中に宝があります。
共感について前も見たかもしれませんが、次のビデオを見てみましょう。
ビデオはこちらから、


① 共感についてEmpathy

私たちが愛を学ぶためには、神との対峙、対話、face to face の時間が必要。
Youtube Video Mirroring
私たちは、自分以外の人がいてこそ、感情が理解できるのです。人一人では生きていけないのです。
このミラーリングによって感情を知るということは、神様によってデザインされ、意味をもって私たちの身体に組み込まれたものです。

② 感情の大切さ

全ての感情は神様からのメッセージ、自分へのサイン。この世の中では、ネガティブな感情を表現することをよくないこととしています。また、キリスト教会の中でも、ずいぶん長い間、「感情ではなく、信仰のみによって」であるとか、「感情は関係ない」というような教えをしてきたのではないでしょうか。前回も話した通りに、神様にも感情があるのです。私たち、神に似せられて造られている者たちとしても、感情には意味があるのです。

(例) 怒りは、ネガティブにとらえられるから、怒りを表さない、または、子供の時に怒れない状態だった場合、親が危険など。。。鬱になったり、いわれのかない倦怠感、原因不明の病気など。。。体に現れてくる

③ 神との共感

○報酬…天のお金は、喜びです。私たちのご褒美は、喜びです。これも、感情の一つです。
主人の喜びとともに喜んでくれ、と新約聖書にも書いてあります。

○悔い改め…一つの例として、ダビデ、ナタンを通して罪を示される。私たちは、神が罪を赦してくれるという言葉に聞きなれていると思います。しかし、自分のしたことというのは、共感する心がなければ、理解できません。自分のしたことのインパクトがどれほどあったのかということが分からなければ、本当の意味で悔い改めることはできないでしょう。

Ⅱサムエル12:1-7 ダビデが姦淫と殺人の罪を犯しても平然としていた時。預言者ナタンが神に遣わされます。

「ある町にふたりの人がいました。ひとりは富んでいる人、 ひとりは貧しい人でした。富んでいる人には、非常に多くの羊と牛の群れがいますが、 貧しい人は、自分で買って来て育てた一頭の小さな雌の子羊のほかは、何も持っていませんでした。 子羊は彼とその子どもたちといっしょに暮らし、彼と同じ食物を食べ、同じ杯から飲み、 彼のふところでやすみ、まるで彼の娘のようでした。あるとき、富んでいる人のところに ひとりの旅人が来ました。彼は自分のところに来た旅人のために 自分の羊や牛の群れから取って調理するのを惜しみ、貧しい人の雌の子羊を取り上げて、 自分のところに来た人のために調理しました。」「主は生きておられる。そんなことをした男は死刑だ。 その男は、あわれみの心もなく、そんなことをしたのだから、その雌の子羊を四倍にして 償わなければならない。」「あなたがその男です。」

これは、いかに私たちの感情が、神様の心を知る鍵となっているかが分かります。ダビデは、人の気持ちが分かり、神の怒りと悲しみがどれほどのものであるかが、このナタンの言葉ではっきりと分かったのです。

○私たち共同体には…私たちの神は、共同体の神であり、あなたと、私、そして神の感情を通して、互いに共感し、思いやり、愛することができるようにしてくださっているのです。ロマ書12章の共同体、キリストの身体について書かれている続きに、ローマ書12:15喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。Rejoice with those who rejoice, and weep with those who weep. と、ある通りです。
感情について少し、考えが変わったでしょうか。

④ 知ることとは、愛すること

創世記4: 1
人は、その妻エバを知った。彼女はみごもってカインを産み、「私は、主によってひとりの男子を得た」と言った。Now Adam knew Eve his wife, and she conceived and bore Cain, and said, “I have acquired a man from the LORD.”

アダムはエバを知った。知るは、ヤーダーというへブル語。男女が愛し合い身も心も親密に知り合うときに、神様からの賜物として子供が与えられたというのです。
知るということには、深い意味があります。

人は、誰かに本当の自分を全て見られる、知られるときに、癒される。問題の解決そのものが事実上の解決では決してない、ということにお気づきでしょうか。
神は、先週話した通りに、コミュニティの神です。知ることにはチャレンジが伴います。知りたくなかったら、向き合わなくてもいいからです。しかし、相手を知りたかったら、自分の心も開かなければならないのです。
聖書の中で、神に個人的に知られ、神を知り人生が変わった人たちを幾人か挙げてみましょう。

○ヨブ… 凄まじい試練の中で、なぜなぜと苦しんでいたヨブ、いつか神様に直接質問したいと願っていた。とうとう、神様が現れる。ヨブの持っていた質問そのものには答えられなかったが、ヨブの気持ちはすっかり治まってしまった。その後、ヨブに転機が現れ、すべてが回復した。

○ダビデ… ダビデは、数々の詩を詩編に残している。辛いことはそのまま辛いと書き、包み隠さず自分の感情を神様に伝え、向き合っている。彼は、神に愛された人と呼ばれている。

○ハンナ(1サムエル)… 不妊であったハンナは、いじめにもあい、つらくて、宮で長く祈った。祈りの後、彼女は別人のようになっていた。つまり、神に感情を知ってもらい、神の心をいただき、満足し、今までのように、悩み疲れ、身も心もずたずたの容姿ではなくなっていたのです。1:18 And she said, “Let your maidservant find favor in your sight.” So the woman went her way and ate, and her face was no longer sad. 彼女の顔は、もはや以前のようではなかった。

⑤ 勧め

今まで、自分の感情を無視してきた人はありませんか。また、感情を用いて物事を操作していた人はありませんか。
神と顔と顔を合わせることによって、私たちは、神からの愛を受け取り、また、神の心を受け取ることができます。
まず、第一のステップとして、自分の心を神様に正直に注ぎだすことから始めましょう。

2歴代誌 16:9
主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。For the eyes of the LORD run to and fro throughout the whole earth, to show Himself strong on behalf of those whose heart is loyal to Him.

言葉である神は、私たちと会話を持ちたいと思っています。心の傷、悲しみ、怒り、喜び、すべての感情を共有し、互いを深く知る関係でありたいと願っています。私たちが神に知っていただき、私たちが神の心を知るならば、私たちは、変えられ、愛することが分かるものたちとなります。隠れた感情がないか、祈り、聖霊様に探っていただきましょう。


#教会 #子供 #礼拝 #日曜日 #礼拝メッセージ #神の似姿 #会話相手

ワオ!と言っているユーザー

シリーズGod’s Image②愛

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今週は、マイカの誕生日をお祝い... 今週は、マイカの誕生日をお祝いしました。
日本と日本人を愛していつも礼拝に来てくれているマイカ君。神様の祝福が豊かにありますように。。。。いつも、お祈りありがとうございます。。。
土曜日は、子供たちをシアトルセ... 土曜日は、子供たちをシアトルセンターに連れていきました。とても高い滑り台があるんですが、とってもチャレンジングです。。。
また五歳になったばかりのチェリーちゃんも挑戦。。。しかし、最後の最後に背が低くて、届かず、滑り台まで到達できませんでした。後で、簡単な方から回ってリベンジ。。。子供たちのたくましさに励まされました。
土曜日は、噴水でも遊びました。... 土曜日は、噴水でも遊びました。興奮しすぎて、みんな転んですりむいてしまいました。見かねた通りすがりの方がバンドエイドを分けてくれて、助かりました!
人のやさしさに感動した一日でした。
2017年6月25日日曜日礼拝メッセージ音声はこちら


シリーズ神のイメージ第二回。今日は、愛なる神についてお話ししたいと思います。神の姿は、愛ですが、逆説的に言うと、愛であるためには次の要素がなくてはなりません。
言葉と愛との間にある、神の最も重要な性質は、共同体コミュニティの神であるということ。

① 共存の原理  Coexistence Principal

人は一人でいるために作られていず、一人であることに愛はいらない。相手がいてこそ、愛を実行できる。Love is interpersonal. Without partner or community, you won’t need to practice love. 愛の意味が分かるのは、愛の対象があってこそです。

② 共同体 Community

○神は三位一体です。Rolheiser calls it shared existence. 互いに存在を分かち合う仲。その、根底には互いに愛する姿があます。

マタイ28:19 
父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け in the name of the Father and of the Son and of the Holy Spirit
父なる神、子なる神、聖霊なる神の三位が一つである神です。

互いの接し方によって、また互いの受け方によって、独自性が示されてきます。
子なる神は、すべてを父に委ねる姿をとっていた。「わたしは父のしていることを見て、それを行っている。」また、「父よ、私の思いではなく、あなたの御心を。。。」と十字架の前に祈り、

マルコMark 1:10–11
水の中から上がられると、すぐそのとき、天が裂けて御霊が鳩のように自分の上に下られるのを、ご覧になった。11 そして天から声がした。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」And immediately, coming up from[d] the water, He saw the heavens parting and the Spirit descending upon Him like a dove. 11 Then a voice came from heaven, “You are My beloved Son, in whom I am well pleased.”

ヨハネJohn 14:26
しかし、助け主、すなわち父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。But the Helper, the Holy Spirit, whom the Father will send in My name, He will teach you all things, and bring to your remembrance all things that I said to you.

ヨハネJohn 5:19
そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。子は、父がしておられることを見て行う以外には、自分からは何事も行うことができません。父がなさることは何でも、子も同様に行うのです。Then Jesus answered and said to them, “Most assuredly, I say to you, the Son can do nothing of Himself, but what He sees the Father do; for whatever He does, the Son also does in like manner.

ヨハネJohn 11:41–42
そこで、彼らは石を取りのけた。イエスは目を上げて、言われた。「父よ。わたしの願いを聞いてくださったことを感謝いたします。42 わたしは、あなたがいつもわたしの願いを聞いてくださることを知っておりました。しかしわたしは、回りにいる群衆のために、この人々が、あなたがわたしにお遣わしになったことを信じるようになるために、こう申したのです。」Then they took away the stone from the place where the dead man was lying. And Jesus lifted up His eyes and said, “Father, I thank You that You have heard Me. 42 And I know that You always hear Me, but because of the people who are standing by I said this, that they may believe that You sent Me.”

ヨハネJohn 17:1
イエスはこれらのことを話してから、目を天に向けて言われた。「父よ。時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現すために、子の栄光を現してください。 Jesus spoke these words, lifted up His eyes to heaven, and said: “Father, the hour has come. Glorify Your Son, that Your Son also may glorify You,
(Dan A. 結婚関係の中で互いの栄光を輝かせないような関係はいけない、と。)

○人も複数で一人です。Human is also plural in one.

神は人を男と女に造られた。
創世記1:27
神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。God created humankind in his own image, in the image of God he created them, male and female he created them.

人間は、女と男がいて初めて人間です。どちらかのみで人間ではない。
そして、結婚は、父母を離れ、一心同体になること。

創世記2:24
それゆえ男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。 Therefore a man shall leave his father and mother and be joined to his wife, and they shall become one flesh.

です。これは、神のイメージを表すことであり、また、キリストと教会の関係を示しています。

○愛の役割 Love in the community

教会も共同体ですね。先月のペンテコステのお話しを覚えていますか。聖霊様が来られたことによって、教会が誕生しました。教会は、建物でなく、人々の共同体です。キリストの身体は一つです。キリストを頭として、一人ひとりは、それぞれの器官です。

1コリント、またピリビ書などでは、教会に対して、互いに愛することと、互いに尊敬することを使徒、パウロは勧めています。

教会という神の共同体は、キリストの花嫁と言われます。世の終わりにキリストが私たち信じる者たちを迎えに来られるとき、私たちは、いよいよキリストと一つになり、天では盛大な婚礼の祝いが始まるのです。黙示録19、
マタイ 22:2
婚礼のたとえ話; 天の国は、ある王が王子のために婚宴を催したのに似ている。“The kingdom of heaven is like a certain king who arranged a marriage for his son, 3 and sent out his servants to call those who were invited to the wedding;

天の御国は、私たち神を信じた者たちと神が一体となる場所です。
そこには、愛が必要不可欠です。神に愛された者たちが、神を愛し、その結果御国において完全に一つになるからです。

キリストと教会関係が結婚に例えられるように、旧約聖書時代も、神と人とは契約によって結ばれていました。他の神々を礼拝したり、従ったりするならば、霊的姦淫とよばれ、神様にいみ嫌われました。神はねたむ神ともいわれています。なぜ、ねたむのでしょうか。愛しているから、親密な関係として相手を独占したいからです。強いきずなを築いて離したくないからです。

○人の使命 Man’s calling

親密さから生まれるのは、繁殖です。Reproduction
神様は、神と親密な関係を持つ者たちが地の上に増え広がることを御心とされました。
産めよ増えよ地を満たせ。

創世記1:28
神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」Then God blessed them, and God said to them, “Be fruitful and multiply; fill the earth and subdue it; have dominion over the fish of the sea, over the birds of the air, and over every living thing that moves on the earth.”
神は、共同体の拡大を御心とし、それを私たちの使命とされた。

④ 神はダイアログパートナーを探している。Dialogue partner

先のみ言葉にもありますが、三位一体の神は、いつも私たちに手を差し伸べて、私たち人間も三位一体のダイアログに含みたいと願っておられます。
彼らがあなたを知るために。。。などなど
神の思いは、いつも私たちと一つになることであります。

人とは、神に応答する者たちであり、神の協力者である
God is dialogue. God is searching His dialogue partner. Because He is love. He wants to love you. Love means to know and to be known. Yada in Hebrew.
神は、私たちを求めている。探しておられる。誰が、神の心と共感してくれるだろうか。。。と。


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