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ロマ書16章 最後の勧め Paul’s last exhortation

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日曜日、礼拝後ギターの練習をは... 日曜日、礼拝後ギターの練習をはじめました。ギターが大きすぎて手が届かなかったです。。。。子供用のギターを早く探しに行かなくっちゃ!! 木曜日、みんなで仲良くビデオを... 木曜日、みんなで仲良くビデオを見ている様子。。。。
最近のお気に入りは、アンパンマンだそうです。
この日はベジテールを見ていました。
後姿も可愛らしい。。。 後姿も可愛らしい。。。
2017年3月26日日曜日礼拝メッセージ音声は、こちら


いよいよ、ロマ書最終章となりました。パウロはローマの人たちに会いに行くつもり、そして、もしもエルサレムで何かあって自分が死ぬようなことがあってはいけないので、イエス様の福音について、よくよく分かって欲しいと、後々誰でもローマにいる人たちが読めるようにと手紙を書きました。そして、その最後、しめの挨拶である16章ですが、はじめにリーダーたちへの励ましの言葉とあいさつがあります。この時のローマには、ユダヤ人と異邦人クリスチャンの律法理解やしきたりの違いからくる議論がありました。みなさんも、今までの学びで覚えていると思います。この違った文化背景と宗教理解の人たちをまとめていくという重荷を持っている人たちに一人ひとり名前を挙げてパウロはよろしくと言っています。

★ ローマのクリスチャンリーダーたちへのあいさつと称賛 v1-15

女性リーダーたちが多いことが分かる。また、何々の家の。。。家の教会がいくつもあったとみられ、そのリーダーたちの宛てている。V2 労苦した…コピアオー(ギリシャ語)パウロが福音の働きをさしてよく使った言葉。

・フィベ…手紙を託された人。解放奴隷の自由人。貧しい人たちをよく助けたし、パウロの宣教を経済的にも支えた人。女性。
・ブリスキラとアクラPriscilla and Aquila…アクラはユダヤ人、ブリスキラはロマの貴族階級
・エパネトEpaenetus、マリヤMary、ツルパナ,ツルポサ、Tryphena and Tryphosaベルシス(ペルシャ人の女) Persis、ユリヤJulia 女たち
・アムプリアトAsyncritus、フレゴンPhlegon、ヘルメスHermes、フィロロゴPhilologus…平凡な奴隷の名前
・アペレApelles…皇室に属する名前だが、おそらく平民
・アリストプロAristobulus…アグリッパ一世の兄弟 
・ナルキソ…Narcissus裕福な自由人
・アンドロニコとユニアス Andronicus and Junia夫婦
my countrymen and my fellow prisoners
Rufus
Philologus and Julia, Nereus and his sister, and Olympas

と、名前を調べるだけでも、様々な階級やバックグラウンドの人たちがともに教会を建て上げ、神に仕えていることがよく分かります。素晴らしいことではありませんか。今や、身分やランク、何人であるかも、キリストによっては関係なく、平等であり、そして、一つにされたのです! ハレルヤ!

この名前を見るだけでも、いろいろなバッググラウンドを越えて、一つになり、互いの働きを認めあい、オナーしあい、励まし合うことの重要さを私たちに教えているのではないでしょうか。

★ 愛の勧め 

16 あなたがたは聖なる口づけをもって互いにあいさつをかわしなさい。キリストの教会はみな、あなたがたによろしくと言っています。Greet one another with a holy kiss. The churches of Christ greet you.

口づけは、友情や統治者への忠誠のしるしであった。また、礼拝に来た人が、互いの愛のしるしとして、また、神にあって同等であることのしるしとして口づけをもって挨拶をしたらしい。こう見てみると、これは、パウロが特筆するだけに、重要であったはずです。こんなにも、元奴隷の人、外人、ユダヤ人、貴族と様々な人がいるのですから。。。私たちも、互いに愛のしるしをもって挨拶しましょう。アメリカ式にハグかな? とにかく、わだかまりがあったり、愛がなければ、キスでもハグでもできません。

★ 教会への警告

17 兄弟たち。私はあなたがたに願います。あなたがたの学んだ教えにそむいて、分裂とつまづきを引き起こす人たちを警戒してください。彼らから遠ざかりなさい。18 そういう人たちは、私たちの主キリストに仕えないで、自分の欲に仕えているのです。彼らは、なめらかなことば、へつらいのことばをもって純朴な人たちの心をだましているのです。19 あなたがたの従順はすべての人に知られているので、私はあなたがたのことを喜んでいます。しかし、私は、あなたがたが善にはさとく、悪にはうとくあってほしい、と望んでいます。20 平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます。どうか、私たちの主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように。

① 分裂とつまづきdivisions and offenses
分裂を起こすものから遠ざかること

パウロは、分裂と分裂のもととなる躓きについて、手紙の中にも書いていたにも関わらず、さらに特に注意しています。こう読んでくるとその気持ちも分かります。キリストがここまでしてくだって、やっと一つ身体になれたのに、パウロはじめロマの指導者たちがさまざまなバッググラウンドを越えて、一生懸命つかえているのに、分裂はきついですよね。また、神様の目的は、いつも私たちが一つになることです。神様が複数で一つであるように、私たちも複数で一つとなることに召されています。

② 善にはさとく、悪にはうとくwise in what is good, and simple concerning evil

偉大な伝道者、滝元彬先生、ハイディ・ベイカー、ヘンリー・グルーバー。。。。お会いして、共通していることは、たくさんの喜び、感謝、子供のような素直な心を持っていることでした。この言葉を読むときに思い出しまた。彼らは、霊的な戦いを日々行い、祈りの人たちでも知られています。実際に会うと。。。

ハイディの例) 握手してくださいとせがむ人に、忙しい集会後ホテルに向かう前に、人が祈ってくださいと追っかけてくるような人です。彼女はくるりと即座に振り返り、「何を言うの、私はあなたをハグしたい」とハグしていた。。
滝元先生、友達牧師の開拓している教会に来てくれて、本当はいいホテルに泊まって欲しかったけど、予算がないので信徒の方の決してきれいではない家に泊まってもらった。翌朝、滝元先生は、心から感謝して、○○旅館は素晴らしかったとほめられたということ。
善にはさとく、といえばプレッシャーに感じるでしょうが、神にあって子供のように感謝し喜んでいることが善にさとくある秘訣ではないでしょうか。また、悪にはうとくも同じく、神に繋がっているならば、悪には近づけないのです。

③ あなたがたの足でサタンを踏み砕くthe God of peace will crush Satan under your feet shortly

善にさとく、悪にうとい私たちであれば、私たちの足の下にサタンは踏んずけられています。なぜなら、私たちはイエス様と一体だからです。


#聖書 #クリスチャン #礼拝 #教会 #キリスト教 #信仰

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日曜日の風景

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教会員のRさんが月に一度の持ち... 教会員のRさんが月に一度の持ち寄りランチに持ってきてくれ手作りバースディケーキです。甘さ控えめで、すごくおいしいです。今回は、チョコレートイチゴショートケーキです。天国ーーー! 今月の誕生日は三名。我らがイン... 今月の誕生日は三名。我らがインターン、ケニーさん、麗しい賛美リーダー和美さん、そして、小さいちゃんです! 小さいちゃんは二歳になり、もうおしめも取れかけて、もはや小さくないです。。。 子供たちは、Hママによる、アー... 子供たちは、Hママによる、アートクラス! 上手に春の木々を描きました。私からしたら天才的なアートです。。。子供はクリエイティブだなぁーー チェリーちゃんは、顔にも斬新な... チェリーちゃんは、顔にも斬新なアート? おっしゃれー 最近、ガールズは、お母さんごっ... 最近、ガールズは、お母さんごっこがブームです。木曜日は、私が赤ちゃん役でしたが、赤ちゃんの人数が足りなかったのか、今日は、人形が一人に一体。。うんちをしたらおしめもちゃんとかえてはりました。すごいね!
今週は、たくさんいろいろなことがありました。

感謝なこともいっぱい。

教会は、生きています。

神様の愛がいっぱい溢れています。

#聖書 #クリスチャン #礼拝 #教会 #キリスト教 #信仰 #子供たち

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A Called Life 主の召命のある人生

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木曜日はいつも日本人教会を助け... 木曜日はいつも日本人教会を助けてくれているケニーさんのお誕生日でした。ホライズンカレッジのクラスの中でお祝い。 木曜日のロバの子クラス。なんだ... 木曜日のロバの子クラス。なんだろう、走りまくって急に疲れる遊びだそうです。今、疲れている図。笑 日曜日の朝は、英語礼拝に出ます... 日曜日の朝は、英語礼拝に出ます。日本人は午後から。祈りの時。 日本人教会ランチタイム。小さい... 日本人教会ランチタイム。小さいちゃんは、オレオプリンを食べて、美味しいお顔を作っています。口には、白いクリームのおひげーー。食べながら、まだ、まだ。と言います。もっと食べるってことかな?
今日の日曜日は、エリックがメッセージでした。下記のものは、聖書箇所だけです。簡単なノートです。

Prov. 箴言14:12
“There is a way which seemeth right unto a man, but the end thereof are the ways of death.”人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。

I. Jonah’s Calling ヨナの召命

Jonah ヨナ書1: 1-2
“Now the word of the Lord came unto Jonah the son of Amittai, saying, Arise, go to Nineveh, that great city, and cry against it; for their wickedness is come up before me.” アミタイの子ヨナに次のような主のことばがあった。2 「立って、あの大きな町ニネベに行き、これに向かって叫べ。彼らの悪がわたしの前に上って来たからだ。」

II. Jonah’s Disobedience ヨナの不従順

Jonah ヨナ書1:8
“...tell us, we pray thee, for whose cause this evil is upon us; What is thine occupation? What is thy country? And of what people art thou?” そこで彼らはヨナに言った。「だれのせいで、このわざわいが私たちに降りかかったのか、告げてくれ。あなたの仕事はなにか。あなたはどこから来たのか。あなたの国はどこか。いったいどこの民か。」 

Jonah ヨナ書1:10
.“...what shall we do unto thee, that the sea may be calm unto us?” それで人々は非常に恐れて、彼に言った。「何でそんなことをしたのか。」人々は、彼が主の御顔を避けてのがれようとしていることを知っていた。ヨナが先に、これを彼らに告げていたからである。

Jonahヨナ書 1:12
“...take me up, and cast me forth into the sea; so shall the sea be calm unto you: for I know that for my sake this great tempest is upon you.” ヨナは彼らに言った。「私を捕らえて、海に投げ込みなさい。そうすれば、海はあなたがたのために静かになるでしょう。わかっています。この激しい暴風は、私のためにあなたがたを襲ったのです。」

Jonahヨナ書 1:14
“Wherefore they cried unto the Lord, and said, We beseech thee, O Lord, we beseech thee, let us not perish for this man’s life, and lay not upon us innocent blood:...” そこで彼らは主に願って言った。「ああ、主よ。どうか、この男のいのちのために、私たちを滅ぼさないでください。主よ。あなたはみこころにかなったことをなさるからです。」




III. Jonah’s Near Death Experience – Tribulation ヨナの臨死体験- 罪の刈り取りの患難


Jonahヨナ2:9 “...I will sacrifice unto thee with the voice of thanksgiving; I will pay that I have vowed. Salvation is of the Lord.”  しかし、私は、感謝の声をあげて、あなたにいけにえをささげ、私の誓いを果たしましょう。救いは主のものです。


IV. Jonah Obeys - Nineveh and Jonah are redeemed ヨナの従順—ニネべとヨナの命の贖い
Jonahヨナ書 3:4-5
“...Yet forty days, and Nineveh shall be overthrown. So the people of Nineveh believed God, and proclaimed a fast, and put on sackcloth, from the greatest of them even to the least of them.” ヨナはその町に入って、まず一日目の道のりを歩き回って叫び、「もう四十日もうると、ニネベは滅ぼされる」と言った。5 そこで、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者から低い者まで荒布を着た。

Jonahヨナ書 3:8-9
“...let them turn every one from his evil way, and from the violence that is in their hands. Who can tell if God will turn and repent, and turn away from his fierce anger, that we perish not?” 人も、家畜も、荒布を身にまとい、ひたすら神にお願いし、おのおの悪の道と、暴虐な行いから立ち返れ。9 もしかすると、神が思い直してあわれみ、その燃える怒りをおさめ、私たちは滅びないで済むかもしれない。」

V. My Jonah Story 私のヨナ体験

Prov. 箴言14:12
“There is a way which seemeth right unto a man, but the end thereof are the ways of death.” So my way which seemed right led to death. 人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である


“We desire to be in a perfect relationship with God and others, to be free of hurt and pain, but none of this will happen in this life on a level that will completely satisfy us. So we have to groan and wait, looking with hope toward that day when all tears will be wiped away. In that hope, we will not be disappointed.” 私たちは神と人との痛みや傷のない完璧な関係を求めます。しかし、完全に私たちが満足するレベルには生きている間では到達しないでしょう。ですから、私たちはうめき、いつか流したすべての涙がぬぐわれる日を希望をもって待ち望むのです。その希望だけは、私たちを失望させることはないのです。
False Intimacy偽の親密さ, Dr. Harry W. Schaumburg 本からの抜粋

#聖書 #クリスチャン #礼拝 #教会 #キリスト教 #信仰

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ロマ12章③ キリスト者の生き方 ⅰ

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木曜日のママと子供たちの集い、... 木曜日のママと子供たちの集い、ロバの子クラスにて。J くんはこんなにも大きくなりました。今、いやいや期真っ最中で、面白いです。。。 日曜日の礼拝後、お仕事のように... 日曜日の礼拝後、お仕事のように、礼拝メッセージ、ワーシップリードの練習をするちびっ子たち。よし、そのまま育って将来、ついでくれよ! (笑) 礼拝の後、車を走らせて20分、... 礼拝の後、車を走らせて20分、友人のおうちで、スーパーボール観戦。男性陣は、一階の大きなテレビで満喫。奥さんたちは、二階のダイニングでスナックを食べながらおしゃべり。えーーーー。ファルコンズいつの間に負けちゃったのー!! という結果に。。。。
2017年2月5日日曜日礼拝バイリンガルメッセージ



ロマ12:9-21

12:9愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。 12:10兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。 12:11勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。 12:12望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。 12:13聖徒の入用に協力し、旅人をもてなしなさい。

続けてロマ12章を読んでいますが。先週の真のコミュニティであるキリストの身体、キリストの共同体を受けて、今週は、その共同体のあり方、キリスト者の生き方について語られています。

パウロは、冒頭第一声、
12:9愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。Love must be without hypocrisy. Abhor what is evil, cling to what is good. と言っています。
今日の箇所全体のテーマが、「愛」となっています。「愛するということはどういうことだろうか。」ということを皆さんで考えてみたいと思います。どうぞ、黙想しながら一緒に聖書を開いてみましょう。

★ アガペーの愛 Love of Agape

12:9愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。. 9 Love must be without hypocrisy. Abhor what is evil, cling to what is goodパウロは、キリストの身体の第一は、アガペーの愛。すなわち、神の愛、一方通行の見返りを求めない愛。キリストの愛。となっています。キリストの身体の愛というのは、混じりけのない、偽善と偽りのない愛、であるのだというのです。そもそも、キリストがご自分の全身全霊をかけて十字架の死を経験されたから、救いがもたらされ教会ができたのです。私たちは、キリストの混じりけのない愛の産物であるからです。

★ 主を畏れる Fear of the Lord

続いて、悪を憎み、善に親しみなさい。キリスト者の基本の資質というのは、「主を畏れる」姿勢です。主を畏れる姿勢とは、神を信じる私たちが、神の愛していることをとことん愛し、神の憎まれることをとことん憎むことであります。その感覚を失うことは、塩が塩気を失うことであり、また、灯台が光を失うことであります。

★ フィレオーの愛 友愛 Love of Philadelphia

12:10兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。10 Be devoted to one another with mutual love, showing eagerness in honoring one another.

キリストの身体の中では、互いに愛し合う、兄弟愛を持ちなさい。そして、そのカギは、英語では、熱心に互いにオナーしなさいとあります。私たちがよくする、アフォーメーションです。互いにほめあい、良いところを見出すこと。この精神があれば、分裂や仲間割れなどすることがないのです。いつも、祈りの中ででも、あの人に良い言葉を上げるとしたら。。。という風に祈ることもおすすめです。すると、神様から超自然的にその人の好い所や、預言の言葉が与えられます。パウロは、熱心に周りの人をオナーしなさいと言っています。

★ 聖霊に満たされる Be filled with the Spirit

12:11勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。Do not lag in zeal, be enthusiastic in spirit, serve the Lord.

熱心になることを後回しにせず、霊に燃えて、神に仕えなさいとあります。私たちは、以前も話しましたが、自分の思いだけで熱心になることはできます。しかし、神の霊に満たされてなければただの肉の働きとなり、空回りたり、物事が裏目に出たりするものです。第一に、聖霊に満たされることを求めましょう。聖霊様は、歓迎されるところにおいでになります。ご自分が歓迎されていないと思うと、すーーと静かに去られます。私たちの心が開いていないのに、聖霊に満たされることはできません。私たちの心が高慢でも満たされることはできません。聖霊に満たされることを求めて、私たちが失敗することはありません。満たされ続けるように、求めること。ここから主に使える原動力が来ます。
勤勉さ、また本当の熱心さというのは、聖霊様への従順からくるものです。聖霊様を求め続けましょう。

★ 希望 Hope

12:12望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。Rejoice in hope, endure in suffering, persist in prayer.

希望というのは、患難と切り離せません。また喜びも患難と切り離すことができません。希望とは、やがて来る良きことに思いをはせることであり、自分の苦しみにしっかりと向き合わなければ、決して持つことができません。本当に自分を神が愛するように愛するのならば、苦しみ、あるいは、自分の弱さにも向き合います。自分を愛さないならば、ほかのことで忙しくて向き合うことをしません。その場合には、希望を持つことはないでしょう。

キリストは、ご自分前に置かれた喜びの故に十字架の苦しみをもろともしなかったと聖書にあります。喜びというのは、このように、苦しみがあるから、努力があるから、失敗があってこそ、与えられるものなのです。みなさん、創造のはじめ、エデンで、アダムは何をしたのでしょうか。何もせずに毎日ぶらぶらして、ただで木の実を食べて、だらだらしていたのでしょうか。違います。神様は、彼に、すべての被造物に名前を付けることを命じられました。これは、大変な仕事です。ある意味、神との共同創造でありました。一つ一つのものに、アイデンティティを与えて行ったのです。仕事が任されているから、生きがいがあり、喜びがありました。

あなたの神様からの目的は何でしょうか。召命は何でしょうか。ぜひ、神様に祈り、求め、聞いてみてください。あなたの喜びは、従うごとにうんと増し加わることでしょう。また神の召命に生きることは、神に私たちをますます近づけます。
「絶えず祈りに励みなさい」とあるように、祈らざるを得ないのです。アダムが神と共同創造人となったように、私たちも召命に生きるときに、神の同労者となるからです。

★ ホスピタリティ Hospitality

12:13聖徒の入用に協力し、旅人をもてなしなさい。Contribute to the needs of the saints, pursue hospitality.

キリスト教の特徴は、ホスピタリティにあるといえます。私たちの神は、良い人にも悪い人にも平等に雨を降らせる方。イエス様が浜辺で、弟子たちのために朝食を作って待ってたシーン。ヨハネ21章。また、イエス様は、貧しい人たちに施した人に対して、感謝を表し、「この最も小さいものにしたことは、私にしたのです」と言われました。それほどに、ホスピタプル、他人に気前よくもてなすことをイエス様は、神様の心として示しておられました。聖徒の入用に協力し、旅人をもてなす。私たちも金曜日にともに祈りましたが、私たちの周りにも、必要のある方々がおられます。もてなしの心を忘れずにしたいものです。


今日は、途中ですが、ここで区切りたいと思います。また続きは、さ来週。
#聖書 #クリスチャン #礼拝 #教会 #キリスト教 #信仰

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ロマ書12章 ②心の一新とキリストの体-- Vulnerability

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礼拝後の風景。。。子供たちは思... 礼拝後の風景。。。子供たちは思い思いに遊んでいます かわいいちゃんは、飛行機を作る... かわいいちゃんは、飛行機を作るのがお気に入りのようです。
Jan. 29, 2017
音声は、


ロマ書 12:1-8

そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分(たち)を変えなさい。3 私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。4 一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、5 大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。6 私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので、もしそれが預言であれば、その信仰に応じて預言しなさい。7 奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教えなさい。8 勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は喜んでそれをしなさい。
先々週、心の一新について黙想しましょうということで終わりましたが、この二週間考えてくださったでしょうか。

★ 心の一新 私たちの考えが変わるとき

私たちの考えが変わる時とは、どのようなときでしょうか。失敗は最大の教師とも言いますが、私たちが自分のしでかした悪いことに気が付くとき、痛く反省し、もう二度とするまいと肝に命じる時ではないでしょうか。第一に悔い改めによって、私たちの考えが変わります。もちろん神の前に悔い改めるわけですから、悔い改めたのちの行動は、神のみこころに沿った、神に喜ばれるものであります。

★ あなた方の考えとギリシャ語では複数になっている。

このロマ書12:2 のrenewing your mind のユアは、ギリシャ語では、二人称のあなたではなく、あなた方すべての考えという風になっています。どういうことでしょうか。そして、その後、すぐに、一人ひとりはキリストの身体の一員であるということが書かれています。誰でもキリストを信じる者は、一つの身体であり、一つの共同体に属するものとなっているのです。さて、一人ひとりが存分にその賜物らしく発揮するには、まず、その考えが刷新されないといけない、そして謙遜さだというのです。

★ The first community 世界ではじめの共同体

私たちは、共同体の中で生きるようにデザインされています。私たちを造られた神も三位一体の神であり、共同体の神であります。神は、われわれを神の似姿に、女と男に造られました。男女で共同体として神のイメージです。 人間が堕落する前は、その神と人間のコミュニティに、親密さがあり、connectedness, openness, joy, no hidden message, everything was in the light. There is freedom, excitement. Creativity がありました。

創世記Gen 2:25 The man and his wife were both naked, but they were not ashamed. アダムとエバは裸であったが恥ずかしくなかった (no shame in nakedness, vulnerability) と書かれてあります。裸という最もボルナボルな状態でありなが、そこに恥がなかったのです。

★ We are made to be known 私たちは誰かに知られるために造られた

To know =love  知る=愛する

聖書は、アダムがイブを知ったと書いてありますが、これは、最も深いレベルで個人を知ったすなわち、性交渉をしたという意味です。
知ること、知られることが愛し愛されることであるというのは、実に聖書的であり、また脳科学的にも言えることであります。

人に知られることを拒むようになることは、人間として大変な問題です。自分の周りに壁を作ることであり、自分で自分を孤立させ、そして、共同体から分離するものです。

「知ろうとすることは、愛することです。」先学期、エピストモロジーというのを少しだけやりましたが、ミーク博士が言うには、「愛はすべての中心にある。」Love is core of everything. To know is to love.

もし、大切な友達とミスコミュニケーションがあったら、なんとか話をして解決しようとします。しかし、普段から嫌いな人には私たちは決してそうしないのです。本当はどう思ってるなんて、知るのが怖い。知りたくもない。のです。知ることは、愛することです。
私たちの脳も、誰かに知られるために造られています。自分が知るだけではなくです。また、何かを知るから自分を知るようにもできています。生まれたときから、母の脳と赤ちゃんの脳は見えない線でつながっています。絶えず、交信し、共鳴することによって、赤ちゃんの心拍数や体温が守られます。また、母親が、自分が泣いている時に、かわいそうにという泣き顔をして、笑っていると笑ってくれる、こういった感情と表情のやり取りからも子供たちは、相手を思いやる能力を育てます。こういった一連の当たり前の触れ合いがなかった子は、精神的な病気になってしまうか、身体的な障害さえもおってしまいます。

私たちの脳は、絶えず、愛と好奇心で接せられ、知られる=愛されるためにデザインされています。

Let’s go back to Genesis 3.

★ Shame destroys the community 恥が共同体を壊す

創世記3:7-13 the fall

罪が入り、恥が入った。二人は、裸であることに気が付き、身をイチジクの葉で隠した。隠れたくなった。
恥は、私たちを引きこもらせる。私たちの脳もそうする。 私たちの脳も、右と左が行き来しなくなり、あらゆる指令を出すはずが偏って出す、あるいは、ほかの情報とつなげる、またデータを探すなどということを一切しなくなるのです。脳というのは、恥によって、機能をシャットダウンされてしまうのです。

Shame = I am wrong.

恥が入ったアダムとエバは、神から身を隠した。知られたくなくなった。コミュニケーションを断った。またそれだけではなく、互いに対しても心を閉ざした。この人のせいだ。もう、一体、一つ心ではなくなった。恥は、私たちに孤立と断絶をもたらす。
「恥」がキリストの身体の中に一番の問題であるといえます。ロマ12:2 だからこそ、互いにへりくだって。ディフェンシブにならずに、とあるのです。

★ What we lost is vulnerability 共同体回復に必要なものは、vulnerability

イエス様は赤ちゃんになって生まれて来てくださった、その意味。たくさんのケアがいる。人の助けがなければ生きていけないような状態でこの世に来てくださった。また、イエス様は、死ぬ時も、真っ裸でたくさんのむち打ちの傷だらけのよれよれになってしまった裸を人前にさらしながら死なれました。本当なら、とても恥ずかしい。見られたくない。 ここに、私たちにとって深い意味があります。イエス様は、私たちにも、vulnerable であることは、Insecure であることではないとおっしゃっているようです。私たちにも招いておられるようです。

★ Renew Your mind…. Integration needed, getting rid of the shame
     心の一新のために恥を除く

私たちの脳が書き換えられことができます。恥によって、詰まっているところを直すことができます。ただし、一人ではできません。あなたの恥の話を誰かに心からの関心と共感をもって親身になって聞いてもらえた時に、あなたの脳の回路は変わっていくのです。そして、あなたの話し事態も変わり、もはや、自分を孤立させたり、心を閉ざしたりしなくてもよくなるのです。

今、さあ、恥について話しましょうとすすめているのではありません。
心を開く準備をしましょう。
あなたにとって、誰かを知るとは、誰かに知られるとはどういう意味でしょうか。
どうして、心を開くことが難しいのでしょうか。そこから始めましょう。



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ロマ12章①生きた供え物としてAs a living sacrifice

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英語の礼拝。。 I AM はシ... 英語の礼拝。。 I AM はシアトルの山々をイメージして塗り替えられました。今日の礼拝で、一人一人の冠をイエス様の足元に置きました。
2017年1月15日日曜日礼拝メッセージ


先週は、ロマ書11章から、神の憐れみということでお話ししました。ユダヤ人にしても、私たち異邦人にしても、神の計り知れない知恵と愛と憐れみによって、私たちは、救いに導かれている。神の備えられた召命に生かされているということを話しましたね。今週は、「そういうわけですから、だから」こういう風に生きてくださいね。とパウロは、キリスト者のあるべき姿について語っています。これは、この章にとどまらず、15章最後まで続きます。

★生きた供え物

ロマ12:1,2
そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。I beseech you therefore, brethren, by the mercies of God, that you present your bodies a living sacrifice, holy, acceptable to God, which is your reasonable service. 2 And do not be conformed to this world, but be transformed by the renewing of your mind, that you may prove what is that good and acceptable and perfect will of God.

今や、動物の捧げ物もいらない、たった一度、私たちの救い主が私たちの罪のために自らを供え物となってくださったのですから。私たちの礼拝というのは、宮で動物を捧げることではなくなりました。そして、救い主を待ち続ける生活ではなく、救われた生活に変えられたのです。私たちの礼拝とはどうあるべきでしょうか。

◎ 神に受け入れられる、聖い、生きた供え物

旧約の時代には、しみもきずもない、完璧な動物を捧げなければなりませんでした。そして、それをほふって神に捧げました。今は、しみも傷もないイエス様がほふられたので、あなた、私は、このままで、聖く、完璧な捧げ物となりました。
私の体験談…

◎ 礼拝に含まれる意味とは
・伏し拝む。。。ひれ伏して拝むことです。
・Service =主に対する奉仕である。英語では、礼拝は、Service といいます。

礼拝とは、主を拝み、主に仕えることです。パウロは、生きた供え物として神に自分を捧げる生き方をしなさい、と言っています。つまり、24時間週7日すべて神様のものとして生きたままの自分を差し出しなさいというものです。そうです、もはや、自分の罪のためにいろいろとしなくても良くなったのです。自由に神に直接お仕えしたらいいのです!

礼拝は、「受ける」ものではなく、「捧げる」ものである。

◎ 霊的な礼拝

霊的な礼拝という言葉がありますが、英語ではyour reasonable service となっています。理にかなっている、ふさわしい礼拝というのです。また、当然の礼拝とも訳すことができます。

すなわち、旧約の時代には、細かいルールが詳しく決められていて、聖なる神に肉である私たちが礼拝するのに、非常に手間がかかりました。そして、少しでも間違って礼拝をおこなうことは許されていません。傷のある動物は、捧げられないし、祭司たちは、きちっと身を清めてからでないと奉仕はできないし、奥の聖所には、年に一度、選ばれた一人の祭司しか入ることはできないですし、神様に仕えるということは大事でした。理に適う、ということは、非常に労力のいることでした。また、理にかなっていなければ、神に受け入れられる礼拝とはなりませんでした。

また、これは、霊的な礼拝である。とパウロは語っています。私たちが新約の礼拝に移ったのは、霊的な変革があったからです。

イエス様の十字架に継ぎ合わされ、自分の罪がイエス様の十字架に一緒にかかり、罪赦され、そして、天国に行ける約束をもらい、そして、永遠の命を神からいただき、神の子として養子縁組されたのです。これらすべて、地上の書類の手続きではなく、目に見えない、霊的な世界で行われたのです。私たちは、滅びの子から神の子に霊的に変革したのです。

そして、霊的な礼拝というのは、生きながらにして、自らの存在、行動すべてを神の前に捧げるということである。というのです。

礼拝というのは、もはや、宮で罪ための贖いの捧げ物をすることでもなく、日曜日の数時間教会に行くことではないのです。あなたの存在自体が礼拝なのです。

自覚して生活したいですね。

続いて二節をもう一度見てみましょう。

ローマ12:2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。 2 And do not be conformed to this world, but be transformed by the renewing of your mind, that you may prove what is that good and acceptable and perfect will of God.
① 頭につながることの土台として
パウロは、三節以降からキリストの身体としてどうあるべきかと語りだしますが、キリストの身体であるまず第一の基盤として、この二節があるわけです。

◎ この世と調子を合わせてはいけません

この意味は、現代的な文化的なことをしてはいけないということではありません。テレビを持つなとも、車を持つなということでもないです。to conform one's self (i.e. one's mind and character) to another's pattern.
この世の考え方、性質、心の問題です、心の中が感化されないようにと注意をしています。

よく、この世のやり方を教会に持ち込もうとすることがありますが、よく吟味する必要があります。この世は、マモン、富を中心化に物事を考えています。教会は、愛です。世のやり方を持ち込んだことによって、世の考え方が教会に入り込むことがあります。

Ex) Seeker sensitive movement

具体的に。。。私たちが、世の影響を受けるのではなく、世に影響を与える。身近なところでは。。嘘をつかない、不正をしない。悪口を言わない。偶像礼拝をしない、などと言うことからも、職場や家族から一目置かれるはずです。聖書に従う、イエス様に従うならば、必ず、世の光、地の塩となるのです。

◎ 何が良いことで、神の御心か

興味深いことに、12:1,2 は、これまでのロマ書の集約のように感じますね。私たちは、以前6、7章で、神様をよろこばせるために、何をしたらいいか、良かれと思いすることがことごとく裏目にでるようなことがある。自己義というものが邪魔をしているという話をしましたね。
私たちの生まれながらの肉の人には、神様の御心は理解できないのです。
そこで、肉に従えば、世の方が理解しやすので、世に流され、世に心を売ってしまうようになるのです。ですから、パウロは、続いてこういっています。

◎ 心の一新によって自分を変えなさい

Renewing your mindと、英語では書かれています。自分の頭の、考えのフィルターが何に影響されているか知る必要があります。
私たちは、考えが変わったことがあるでしょうか? 皆さん、いろいろな経験があると思います。一番変わったのは、もちろん、イエス様に出会ったときでしょう。救われた時、ものの見方が変わり、世の中にあるものがすべてキラキラして見えたものでした。
一番私たちの考えを変える瞬間というのは、自分が間違っていたと気が付いた時ではないでしょうか。そして、大反省して、二度と同じ間違いはしない、と心に誓うようなとき。。。
そういうことがあれば、行動も違ってきますよね。
考えが一新したのです。
「悔い改め」が、私たちの考えを一新します。

私の体験) 最近のリサーチの経験

私は、体験を通して、み言葉が私の心に突き刺さり、イエス様の生き方が心に突き刺さりました。古い生き方、考え方を捨て、み言葉の真理、イエス様の真理に従うときに、私たちの考えは一新されるのです。

考えが一新されるなら、それは、神の御心に従っているのですから、何が神の御心であるのかと迷う必要はないのです。

ロマ書12章1節、2節は、今までのお話しの集約のようであり、そして、三節から15章の終わりまで、クリスチャンの生き方について語っています。12章は、「神のデザインの通りに仕える」、「偽りのない愛が奉仕の鍵となる」というお話しが続いて行きます。
キリストの身体、愛ということになりますが、頭であるキリストに繋がるためには、どうしても個々人の心の一新が必要なのです。




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ローマ11章 神の憐れみ

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小さくて見えにくいですが、空に... 小さくて見えにくいですが、空に、飛行機が12の旗を羽ばたかせていました。土曜日は、シーホークスの試合でしたー。もちろん! 勝ちましたーーー。がんばれーシーホークス!!! スーパーボール行こう! チェリーちゃん、英語の教会学校... チェリーちゃん、英語の教会学校で頑張ったので、景品をもらいました。手の形のくっつく、ぴよんびよんするやつです。二つの手が重なると、欠かさず「ないすちゅーみーちゅー」というのが、かわいくて。。。思わずパチリ。。。礼拝後の風景でしたーーー。

2017年1月8日日曜日礼拝

前回、ずいぶん前になりますが、ローマ10章では、「伝統から確信へ」という題で、イスラエル人がいかに伝統にこだわるのではなく、確信が無くては救われない。ということを話しました。今週も引き続き、パウロは、イスラエルの救いについて話しています。
この章を一言で言い表せば、ロマ11:29に集約されているといえます。

V29 神の賜物と召命とは変わることがありません。For the gifts and the calling of God are irrevocable.

これは、神様の道の不思議であります。みなさん、これは、この章ではイスラエルのことを話しているという文脈ですが、私たちの人生に置き換えてみてもそうなのです。

★イスラエルは神に拒絶されたのか?

パウロは、なかなかイエス様を受け入れないイスラエルに対して、神に拒絶されているのではない。と訴えています。

V1-2, すると、神はご自分の民を退けてしまわれたのですか。絶対にそんなことはありません。この私もイスラエル人で、アブラハムの子孫に属し、ベニヤミン族の出身です。2 神は、あらかじめ知っておられたご自分の民を退けてしまわれたのではありません。.

V7-8, では、どうなるのでしょう。イスラエルは追い求めていたものを獲得できませんでした。選ばれた者は獲得しましたが、他の者は、かたくなにされたのです。8 こう書かれているとおりです。「神は、彼らに鈍い心と見えない目と聞こえない耳を与えられた。今日に至るまで。」 

○私たちも、なかなか祈りが聞かれない時に、自分の思いがかなわない時に、神に拒絶されているのではないか。。。と結論付けるところがあります。それは、自分の歩みの歴史を無視して世の霊に惑わされているのです。アブラハム、イサク、ヤコブ、神の選びの中でどんな時も神がともにいて導かれてきたこのイスラエル人が、今救われていないからと言って拒絶されているのではない。

心がかたくなにされている者もいる。でも、そのかたくなさをも、全世界の救いのために、神は、用いているのだ。と続きます。。。。

★イスラエルの役割

V11-12 では、尋ねましょう。彼らがつまずいたのは倒れるためなのでしょうか。絶対にそんなことはありません。かえって、彼らの違反によって、救いが異邦人に及んだのです。それは、イスラエルにねたみを起こさせるためです。12 もし彼らの違反が世界の富となり、彼らの失敗が異邦人の富となるのなら、彼らの完成は、それ以上の、どんなにかすばらしいものを、もたらすことでしょう。

イスラエルは、以前にも言いましたが、神に背を向けても、落ちぶれても、神の裁きを受けても、順風満帆の時でも、どんな時でも、神の民として、全世界に神を指し示しながら生きているもの。イスラエルの失敗でさえ、神は、異邦人のために用いられている。

★接ぎ木の例え

V17-25
パウロは、オリーブの木の接ぎ木の例えで、一つの霊的なイスラエル(神を信じる人たち)について話している。ユダヤ人は台木であり、異邦人は、野生のオリーブの木だ。

① 根が聖ければ、枝も聖いv16 if the root is holy, so are the branches
アブラハムはじめ、信仰の父たち、偉人たちの故に、ユダヤ人は神様に愛されている。目をかけられている。私たちも、たとえ家族にクリスチャンが一人であったとしても、あなたのキリストにある聖さは、家系、世代にわたる祝福であることを覚えていてください。呪いは四代、祝福は千代です!

② 根が枝を支えているのだから、誇ってはならないv18 if you do boast, remember that you do not support the root, but the root supports you.
この初めの信仰の偉人たちが信仰を届けたからこその、今のキリスト者たちなのだから、信じないユダヤ人を見て、自分を誇ってはいけない。それでも、なお、私たちは継れたものであり、土台は、起源はユダヤ人たちだからです。

③ 神は台木の枝を惜しんだ。イスラエルについて心を痛めている。V21 For if God did not spare the natural branches, He may not spare you either.
神は、イスラエルについて心を痛めている。

④ 不信仰が無ければ、枝はもう一度容易に継がれる v23 if they do not continue in unbelief, will be grafted in, for God is able to graft them in again.
信仰さえあれば、心の確信さえあれば、イスラエル、ユダヤ人たちは、容易に接ぎ木される、元の木に戻ることができる。

⑤ 野生種を栽培種に接ぎ木するのは本来は難しいが、神にはおできになること。V24 how much more will these, who are natural branches, be grafted into their own olive tree?

★神の憐れみと不思議

ロマ11:33-36
ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。34 なぜなら、だれが主のみこころを知ったのですか。また、だれが主のご計画にあずかったのですか。35 また、だれが、まず主に与えて報いを受けるのですか。36 というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。

すぐに、神に拒絶されているなどと、結論付ける私たちですが、神には、私たちに計り知れない知恵と知識をもって私たちと私たちの周りの人たちを導いておられるのです。ネガティブなことを想うときに、少し立ち止まりましょう。静まり、神に信頼しましょう。

★私の体験

私は、思い出します。もう、ミニストリーができないほどに疲れ、もうやめよう、向いてない。と思った時がありました。鬱になり、自暴自棄になり、自殺願望さえありました。もう、こんな汚れた自分が神の働きをすることができるはずがないと思いました。そうなると、ますます自暴自棄となりました。
ちょうどその時、アメリカへ導かれたので、もうアメリカに行って、ミニストリーはやめようと思いました。もう、私の名前を働き人のリストから取り除いてくださいと、主任牧師に頼んだところ、彼は、「神様からの賜物と召命は変わらないから、人間の私がそうすることはできない」と言うのです。まあ、アメリカに来たら、自然消滅できるかな、野垂れ死にするかもしれないし。。。とも思ってアメリカに疲れた精神できました。すると、初め一、二か月で、日本人留学生が私のドームの部屋で救われたのです。また、人が集まりだし、一年後、聖書の学びのグループが始まりました。すべて自然発生的でした。私は、神様を畏れました。”私”ではない。私は、神様にこのように用いられるように造られているのだ、と確信したのです。
皆さんの、人生の上にも神様がこのように働いているのです。皆さん方は、特別な神様の器です。私が、神様の計画をむちゃくちゃにできないのです。自分に与えられた召命を壊すことすらできないのです。神様は、試練の時も、苦しみの時も、罪の中で自暴自棄の時にもともにいらっしゃるのです。


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ローマ九章  神の選びの不思議

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私のメンターのキャリー牧師の礼... 私のメンターのキャリー牧師の礼拝している姿。麗しいです。先週は、入院されて、とても心配しました。いつまでもお元気でいてほしいです。。。。
2016年11月26日日曜日礼拝音声は、下をクリックしてくださいー


前回は、八章で、御霊に生きるという素晴らしい、何にも勝利できる道があるのだということをパウロは話しました。今週は、九章で、それにあずかっていない、同胞イスラエル人について、パウロは語っています。

★ パウロの心の苦しみ

ローマ9:1-3
私はキリストにあって真実を言い、偽りを言いません。次のことは、私の良心も、聖霊によってあかししています。2 私には大きな悲しみがあり、私の心には絶えず痛みがあります。3 もしできることなら、私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです。I tell the truth in Christ, I am not lying, my conscience also bearing me witness in the Holy Spirit, 2 that I have great sorrow and continual grief in my heart. 3 For I could wish that I myself were accursed from Christ for my brethren, my countrymen according to the flesh,

○エンパシー共感について

sympathy = syn (共に) + pathos (苦しみ) [感情共鳴]
empathy = en (内部へ)+ pathos (苦しみ) [感情移入]

sympathy はその人と一緒に悲しむことですが、empathy は、その人の心の内部へ入って、その人の苦しみを自分の苦しみとして悲しむことです。

ちょうど、イエス様が「この小さい一人にしたことは、わたしにしたのです。」と例え話中でされてますが、(マタイ25)イエス様は、私たちの日ごろの状態を自分のこととして、飢え渇き、憂い、とりなして祈っていてくださる方なのです。
パウロもまた、自分の同胞に対して、大きな悲しみ、絶えない痛みがある。自分が代わりに地獄に行ってもいいほどに、その同胞の救いのための願いと祈りが溢れています。

私たちが、共に感じる、伝道したい相手の痛みと一体化するところに、何かブレイクスルーがあるように感じてなりません。それが、イエス様のしてくださったことだからです。私たちは、日ごろ祈っている人のことに対して、どれほどその人と一体化しているでしょうか。この章のはじめに、パウロが大きなチャレンジをくれたと思います。

v4,5 栄光も、律法も、礼拝も約束も彼らのものです。先祖たちも、キリストさえイスラエルから出てるのに、それなのに、なぜ、イスラエル人がみな救われないのか。。。。。

★ イスラエルとは

ロマ9:6-7
しかし、神のみことばが無効になったわけではありません。なぜなら、イスラエルから出る者がみな、イスラエルなのではなく、7 アブラハムから出たからといって、すべてが子どもなのではなく、「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる」のだからです。
But it is not that the word of God has taken no effect. For they are not all Israel who are of Israel, 7 nor are they all children because they are the seed of Abraham; but, “In Isaac your seed shall be called.”

パウロは、しかし、同胞イスラエル人が救われていないからと言って、神の言葉が無効になったのでも、意味がなかったのでもない。。。と主張しています。
信仰によってそもそもイスラエル人となるのであって、血統ではない。肉の子供ではなく約束の子供でなければならない。自動的にはなれない。というのです。

○約束の子と肉の働きの子

アブラハムの例では、アブラハムは、神様から子孫の約束を受けたけれども、待ちきれなくて、セラとの間ではなくと他の人との間に子供をもうけました。しかし、それは、肉の働き、自分の働きであって、神の約束の子ではありませんでした。私たちは、自分の肉の力によって、神の計画を実現しようとしていまう、肉の強い働きを宿して生きています。

また、その態度がイスラエル自身の態度でもあります。一生懸命、自分で義を達成していこうとする、律法を肉の行いで満たそうと必死になってる。そこには救いがないのです。

約束を待ち望み、約束のものに気が付き、それを受け取らなければならないのです。

★ 事は憐れんでくださる神による

では、約束ってなんなの? ということになります。みんながみんな受け取れる約束ではないのか? という質問が出てきました。

ロマ9:16-17
したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。17 聖書はパロに、「わたしがあなたを立てたのは、あなたにおいてわたしの力を示し、わたしの名を全世界に告げ知らせるためである。」と言っています。So then it is not of him who wills, nor of him who runs, but of God who shows mercy. 17 For the Scripture says to the Pharaoh, “For this very purpose I have raised you up, that I may show My power in you, and that My name may be declared in all the earth.”

神は、私たちの知恵を越えた知恵で、選びをもっていらっしゃる。ちょうど、陶器師が器をいろいろな用途のために作り分けるようだという。そんなのフェアじゃない。とあなたが言おうが、造られたものが造り主にたいして偉そうに言えることではない。。。とあります。(v19-22)

「親分は、イエス様」という本や、映画が日本にはありますが、本当のお話しで、やくざがイエス様に出会って変えられてく。という話しです。また、クリスチャンの家に生まれていても、イエス様に出会わない人もいます。また、ユダも、もしかして、死ぬときにはイエス様に悔い改めて救われていたかもれませんが、彼もイエス様に選ばれておきながら裏切りました。そして、彼がいたからこそ、イエス様は十字架にかかりました。エジプトの王パロも神様がその心をかたくなにしたので、10の奇跡合戦をモーセとし、その神の名が高らかに世界中に証しされました。

すべて造り主のためです。たとえそこに、悪い器と見えるものがあっても、それを忍耐を持つての神様がゆるしておられるのです。

★ あなたも憐れみの器として召されている

ロマ9:24  
神は、このあわれみの器として、私たちを、ユダヤ人の中からだけでなく、異邦人の中からも召してくださったのです。
23 and that He might make known the riches of His glory on the vessels of mercy, which He had prepared beforehand for glory, 24 even us whom He called, not of the Jews only, but also of the Gentiles?
神様は、選びの民イスラエルを差し置いて、律法も礼拝も知らないような、今や、私たちのような遠い国の民族に届いてくださって。こんな私を憐れみの器として召してくださったのです。

不思議なことです。

あなたに、神の栄光を示し、そして、神の御名を世に知らしめるためにあなたは、召されているに他ならないことを覚えておきましょう。当たり前のように、また、何か自分が達成したかのように思わないようにしましょう。

事は、人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。So then it is not of him who wills, nor of him who runs, but of God who shows mercy.

ですから、選挙のことでも、心を騒がせないようにしましょう。どちらになっても、神の御心がすでにはたらいているのです。

★ イスラエルの躓きの石

ロマ 9:31-33 
しかし、イスラエルは、義の律法を追い求めながら、その律法に到達しませんでした。32 なぜでしょうか。信仰によって追い求めることをしないで、行いによるかのように追い求めたからです。彼らは、つまずきの石につまずいたのです。33 それは、こう書かれているとおりです。「見よ。わたしは、シオンに、つまずきの石、妨げの岩を置く。彼に信頼する者は、失望させられることがない。」but Israel, pursuing the law of righteousness, has not attained to the law of righteousness. 32 Why? Because they did not seek it by faith, but as it were, by the works of the law. For they stumbled at that stumbling stone. 33 As it is written: “Behold, I lay in Zion a stumbling stone and rock of offense, And whoever believes on Him will not be put to shame.”

   イスラエルは、イエス様が分かりませんでした。約束を待ち望んでいましたが、約束を見出せませんでした。それは、「行い」すなわち、律法、肉の働きに、とらわれていたからです。イエス様という恵みによって、行いからも解放する、救い主がかえって彼らの躓きの石となってしまったのです。ケニーさんが先週話したように、イスラエル人は、イエス様にすっかり気を悪くしてしまったのです。。

今日三つのこと、覚えてください。
① パウロやイエス様のような、エンパシー共感を持つこと。
② あなたは、神のあわれみの器として選ばれていること。
③ 「行い」にとらわれるのでなくて、約束を信じる信仰に生きること。

来週は、エリックがメッセージですが、その次は、神の選びに対して、私たちの側の選択についてお話ししたいと思います。


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ロマ八章 いのちの御霊の原理

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先週は洗礼式がありました。中国... 先週は洗礼式がありました。中国人の方が二名。。中国では、キリスト教信者が急激に増えていて、すでに求めている人が多いです。不思議に教会に引き寄せられてきたこのお二人は、お友達やお母さんもクリスチャンだったそうです。 トレーダージョーズはすでにクリ... トレーダージョーズはすでにクリスマスモード。おいしそうなトリートがたくさん並んでいます。もうすぐ感謝祭。もうすぐクリスマスです。アメリカはホリデーシーズンです!
2016年11月13日日曜日礼拝メッセージ音声は、下

先週は、クリスチャンに対してのパウロのメッセージ律法に対しても死ななければならないことを話しました。今日は、続きで、それよりも素晴らしい道、生き方を神様が用意してくだった。御霊によって生きることをお話ししたいと思います。

ロマ8章

★罪と死の原理から御霊の原理へ

ロマ8:1-2
1 こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。2 なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。There is therefore now no condemnation to those who are in Christ Jesus, who do not walk according to the flesh, but according to the Spirit. 2 For the law of the Spirit of life in Christ Jesus has made me free from the law of sin and death.

先週からの言葉を受けて、私たちは、キリストによって罪に定められることが決してないこと。また、いのちの御霊の原理が私たちを解放したとあります。
どんなにがんばっても、神を喜ばし、律法を全うできない。良い人間に自分の力でなれないこと。。先週見ていきました。

★御霊の中にいる

ロマ8:8-9
8 肉にある者は神を喜ばせることができません。9 けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。So then, those who are in the flesh cannot please God. 9 But you are not in the flesh but in the Spirit, if indeed the Spirit of God dwells in you. Now if anyone does not have the Spirit of Christ, he is not His.

肉の働きは、神を喜ばせることができません。肉が生きている限り、何も良いものが出てこないのです。

御霊の原理は、このように説明できます。人間のどんな優れた肉体の能力を使っても走って飛んで、2m45 が最高記録。それだけ飛べたら金メダル。世界一の身体能力の飛び能力。これが、肉の働きの限界。しかし、生まれたばかりの赤ちゃんでも、飛行機に乗るなら、7620m の高度を肉体の努力なしで飛べます。
あなたの能力、手腕、頑張りはいらないのです。赤ちゃんでも飛行機に乗ったら飛べるんです。あなただって、御霊の中にいれば、高く飛べるのです。どうやって乗るのですか? How? Why? という質問が心にわいたら、いつもこの答えです。信じることです。信仰によってその飛行機に乗るのです。自分で何とか乗ろうとすればするほど乗れません。

★御霊の人の祝福と希望

この章を読んでいるとたくさん希望の言葉が出てきます。とても励まされます。

○神の子とする

ロマ8:14-16
神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。15 あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。16 私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。 For as many as are led by the Spirit of God, these are sons of God. 15 For you did not receive the spirit of bondage again to fear, but you received the Spirit of adoption by whom we cry out, “Abba, Father.” 16 The Spirit Himself bears witness with our spirit that we are children of God,

今までは、罪の奴隷であり、律法の奴隷であり、自分のしたいことができない状態でした。しかし、御霊の人は、神の子だというのです。そして、御霊ご自身が証ししてくださるというのです! 自分で頑張ってそれを証明しなくてもいいのです。先週の話しではありませんが、クリスチャンらしく、聖霊の九つの実を結ぼう結ぼうとしても結べるものではないのです。むしろ、あきらめて肉が死んだ方がいいのです。

○被造物も待ち望んでいる

ロマ8:18-19
18 今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。19 被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現れを待ち望んでいるのです。 For I consider that the sufferings of this present time are not worthy to be compared with the glory which shall be revealed in us. 19 For the earnest expectation of the creation eagerly waits for the revealing of the sons of God.

私たちのこの天地は、やがてその時が来るとき、神様によって新たにされます。完全な回復がこの地にやってきます。これも、すべて、神の子たちの現れにかかっているのです。御霊の人が満ちることを被造物も待ち望んでいるのです。待ち望むというのは、希望を持っていると訳してもいいでしょう。希望は、将来の夢を描いてそこに日々向かうことであります。私たちは、希望のトラックを今走っているのです。苦しみについてパウロは言及していますが、人生世の中苦しみはつきものであるし、キリスト者として苦しみも未信者の時よりも多いのは事実です。しかし、苦しみと希望がいつも背中合わせであることをパウロは指示しているのではないでしょうか。

○御霊のとりなし

ロマ8:26-27
御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。27 人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。Likewise the Spirit also helps in our weaknesses. For we do not know what we should pray for as we ought, but the Spirit Himself makes intercession for us[b] with groanings which cannot be uttered. 27 Now He who searches the hearts knows what the mind of the Spirit is, because He makes intercession for the saints according to the will of God.

私たちは、苦しみの中で、もう自分の力も限界だ。力も根気も尽きた。祈って神様にすがる気力さえないという時があります。そんな時であっても、内にいらっしゃる御霊が私たちのいいようのない祈りをよく知り、とりなしてくれているというのです。しかも、みこころに従ってとあります。なんということでしょうか。

○すべてが益とされる

ですから、例えあなたが祈る気力さえ失っても、御霊様は必ずあなたの苦しみをも益に変えてくださるというのです。

ロマ8:28
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを私たちは知っています。And we know that all things work together for good to those who love God, to those who are the called according to His purpose

また、誰も御霊の中にあるならば、誰も私たちに敵対できるものはいないとあります。

○誰も敵対できない

ロマ8:31
では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。What then shall we say to these things? If God is for us, who can be against us?

また、すべて私たちに必要なことは与えられると書いてあります。御霊の中にあると信じられるなら、私たちは、7000メートル以上上空を飛べると信じれますよね。それなら、続くみ言葉もしっかりと心に受け止められるでしょう。

○すべての恵みがある

ロマ8: 32
私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。He who did not spare His own Son, but delivered Him up for us all, how shall He not with Him also freely give us all things?

○神の愛から離すものは何もない

ロマ8:37-39 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すことはできません。37 Yet in all these things we are more than conquerors through Him who loved us. 38 For I am persuaded that neither death nor life, nor angels nor principalities nor powers, nor things present nor things to come, 39 nor height nor depth, nor any other created thing, shall be able to separate us from the love of God which is in Christ Jesus our Lord.

何とかして神を喜ばせなければという肉の思いから、もうすでに神にとらえられ。愛の中に守られているという飛行機に私たちは、乗らなければなりません。ジャンプして到達しようという肉に死ななければなりません。いつも聖書の答えは一つです。How? Why? と心に浮かぶときは? 何ですか? 信じることです。今日、イエス様を信じて、この素晴らしい御霊の中に入りましょう。


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ロマ七章 絶望的な自分を知ること

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新しくできた、サウスレイクユニ... 新しくできた、サウスレイクユニオンのCafe Zoka の中。。。コーヒーは、相変わらず美味しかったです。中は、すごく意外でした。他のZoka はなんだか落ち着く木の家具や大きなカウチがあるんですが。。。アマゾンのビルの中にあるからからなー? イメージが少し違ってました。
2016年11月6日日曜日礼拝メッセージ




先週、ローマ書六章では、罪に対して死ぬこと、キリストに継ぎ合わさせて恵みの支配下に行くことを話しました。今週は、有名なローマ書七章です。ある人は、どうしてこの順番にこの章が来るのか。。。と思うそうです。五章と六書の間に来ればいいのに。。。と思うわけです。どうしてでしょうか。。。。

ロマ7: 1

それとも、兄弟たち。あなたがたは、律法が人に対して権限を持つのは、その人の生きている期間だけだ、ということを知らないのですか—私は律法を知っている人々に言っているのです。—Or do you not know, brethren (for I speak to those who know the law), that the law has dominion over a man as long as he lives?

★律法と私の関係

先週は罪と死のことでしたが、今週は律法です。パウロは、初めに、これは、律法を知っている人に対して言っているのですよ。と但し書きしています。そうです。これは、未信者ではなく、むしろキリストの死に継ぎ合わされたクリスチャンの葛藤のことを言っているのです。

続く二節からは、結婚関係に例えて話しています。
完璧な清い夫が重箱の隅をつつく。夫は完璧だが、私がついて行けない。。ちくちくつつかれることから解放されるには、夫が死ぬか、私が死ぬかしかない。。。という、結婚関係にたとえています。しかし、死を経験するなら、律法と別れて、新しい恵み・御霊という夫と結婚し幸せになれるというのです。

律法と私たちの関係もそうです。「天地が滅び行くまでは、律法の一点一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。」For assuredly, I say to you, till heaven and earth pass away, one jot or one tittle will by no means pass from the law till all is fulfilled. (マタイ5:18)と聖書に書いてある。切っても切り離せないのです。人間のために与えられた律法は、天地の終わりまで堅くたつのです。

★律法の役割

ロマ7:7-8 

7 それでは、どういうことになりますか。律法は罪なのでしょうか。絶対にそんなことはありません。ただ、律法によらないでは、私は罪を知ることがなかったでしょう。律法が、「むさぼってはならない」と言わなかったら、私はむさごりを知らなかったでしょう。
8 しかし、罪はこの戒めによって機会を捕らえ、私のうちにあらゆるむさぼりを引き起こしました。律法がなければ、罪は死んだものです。What shall we say then? Is the law sin? Certainly not! On the contrary, I would not have known sin except through the law. For I would not have known covetousness unless the law had said, “You shall not covet.” 8 But sin, taking opportunity by the commandment, produced in me all manner of evil desire. For apart from the law sin was dead.

これは、未信者の葛藤ではない。むしろクリスチャンの葛藤である。私たちは、クリスチャンになる前よりも、なった後の方が罪に対して敏感であり、律法に対して注意深い。クリスチャンになった後の方が、どれだけ自分が罪深いかよく理解できるのである。
律法に照らし合わされなければ罪は分からない。律法に従おうとし、聖くなろうとするから、罪が分かり、自我に死がもたらされるのです。ですから、律法は、罪ではなく、律法は、私たちを成長させる養育かかりであり、良いものです。善人の良い夫なのです。

★内なる葛藤

キリスト者の純粋な願いは、聖くなることではないでしょうか。私は、キリストによつて救われた、だから、キリストに従っていきたいと思うのは、当然であり、自分から罪を犯そうとは、先週のお話の通り、思わないのです。
もっと、キリストのように、もっと神様に喜ばれる子になりたいと思うのです。
律法は、正しくて良いことをすることであるから、大いにしたい。自分を殺すことなく、生きたまま、律法を行い、聖なる神様の基準に合う生き方をしようと頑張るわけです。

ロマ7:15 
私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行っているからです。For what I am doing, I do not understand. For what I will to do, that I do not practice; but what I hate, that I do.

ロマ7:18 
私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。 For I know that in me (that is, in my flesh) nothing good dwells; for to will is present with me, but how to perform what is good I do not find.

ロマ7:22-23 
すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、23 私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。For I delight in the law of God according to the inward man. 23 But I see another law in my members, warring against the law of my mind, and bringing me into captivity to the law of sin which is in my members.

しかし、やろうとすればするほど、できないとパウロは、その苦しみをあらわにしています。律法を愛し、書かれている通りにしたいが、自分の内なるところに違う律法が働いていて、何をしても空回り。。。と。

私も、若いクリスチャンのころ、頑張りました。自分の理解の限り、人を愛そうとしました。やればやるほど、裏目に出ました。自分が浮き彫りとなりました。愛することと、人を甘やかすことを混同しました。従順になることと、人を恐れることと混同しました。律法に従おうとすればするほど、自分の中にある律法が反応し、神様の意図している働きができないのです。どうしたら、神様に完璧にしたがえるのか。完全に律法を守れるのかと、ああでもない、こうでもないと祈り、試し、真剣に取り組みました。断食もし、聖書も読み、伝道も熱心にし、たくさんの信仰書も読みました。

私は、川で溺れかけたことがありますが、まるで、それは溺れる人のようです。もがけばもがくほど助からないものです。川と海は怖いです。。。海でも、去年も今年もバケーションで、エリックと私ともども、溺れかけました。怖かったです。。。まるでこの苦しみは溺れている人のようです

★絶望と死

パウロは次のような結論に行きつきます。

ロマ7:24-25

 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。25 私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。ですから、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。
O wretched man that I am! Who will deliver me from this body of death? 25 I thank God—through Jesus Christ our Lord! So then, with the mind I myself serve the law of God, but with the flesh the law of sin.

結局この罪の体から。。。。に行きつく。絶望に至る。一体私の内に何の良いものがあるというのだろうか。。。と

その境地に至らなければ、分からない自由がある。

溺れている人を元気な人が助けに行っては、いけません。溺れている人が元気なので、必死でしがみつかれ、もがかれ、助けに行った人ともども溺れてしまいます。溺れている人が力つきなければ、その人を水に浮かせながらスムーズにレスキューできないのです。

私たちは、罪に対してでだけでなく、律法に対しても死ななければならないのです。良いことのためにさえ、自分の力で生きることができない自分についてよく知らなければならないのです。

私の恩師がよく言いまた。「働き人は、情熱ばかりのものは、使い物にならん。情熱有り余って、わーっと走り、壁にばしーんとぶち当たり、ばたんと倒れる。その倒れた地点が一番いい塩梅なんだ。」と。

★新しい御霊によって仕える

ロマ7:6 

しかし、今は、私たちは自分を捕らえていた律法に対して死んだので、それから解放され、その結果、古い文字にはよらず、新しい御霊によって仕えているのです。But now we have been delivered from the law, having died to what we were held by, so that we should serve in the newness of the Spirit and not in the oldness of the letter.

パウロは、律法に対しても死んだ人についての、ヒントを少し、七章のはじめの方で話していました。新しい御霊によって仕える道があるのです。罪にも、律法にも死んで、御霊に生きるみち。来週はそのことをお話ししましょう。


クリスチャンに時々足りないのは、自分の罪・弱さを認めることかもしれないですね。自分を知ること。自分がどれくらい罪深いものであるかということ、それは、真剣に神様に従ってみないと分からないことでしょう。真剣にやってみて、失敗し、そして、自分に絶望する。自分に愛想が付かさなければ、本当の意味で自分を愛し、神を愛することはできません。

とりあえず、今日。おきざりにしている課題に取り組みませんか。家族の救いですか? 誰かと仲直りすることですか? 毎日聖書を読むことですか? 祈ることですか? 一日一善することでしょうか?  なんでもいい、神の聖さのために、従順してみましょう。思い切りやって絶望しましょう。

#聖書 #クリスチャン #キリスト教 #教会

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