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離婚危機!

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離婚危機!
韓国に叱られそう!

日韓関係糸口はあるんでしょうか?
夫婦喧嘩に例えたらどっちが悪い?

復縁か? 離婚か? それても水に流して元の鞘に収まるか?

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我が青春の半ページ

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我が青春の半ページ
        我が青春のノスタルジア(nostalgia)

「五百円あれば充分だ」言って五人が電車に乗って渋谷に向かった。向かった先は、渋谷道玄坂日本酒専門の立ち飲み居酒屋であった。居酒屋と言っても、コの字型の店構えで、左右に腰の高さの台に、ガチャンコが並んでいる。ガチャンコとは、50円硬貨の酒自動販売機で、50円硬貨を入れるとガチャンと大きな音で硬貨の落下音がすることから、俗称ガチャンコと、仲間は呼んでいる。
 そのガチャンコの精度は優秀で、まずコップの受け皿を置き、その上にガラスコップを置き、50円硬貨を入れる。硬貨を入れると「ガチャン」と硬貨の大きな落下音がすると、木目のある長方形の中央の細いノズルから、静かに酒が注がれ、注がれたコップの酒が表面張力になり、コップの受け皿にこぼれ、こぼれた受け皿に酒が約半分になったところで酒の流れが止まる。見事の精度である。日本初の自動酒販売器?
 中央奥にカウンターがあり、湯豆腐5円、焼き鳥7円の二種類があり、金に余裕がある者はつまみ注文する。
 店の中央には、長方形のテーブルがあり、つまみや、コップ酒を置けるようになっている。
 テーブルの中央には、いつも茶碗山盛りの塩が置かれ、金の無いやからは、塩をつまみに酒を飲んでいる。ちなみに塩は無料であったが、指先で複数の人々が触る塩は、冷静に考えれば不潔であるが、酒は飲みたいが、湯豆腐や焼き鳥を買う金の無い者は、不潔なぞとは言っていられない。ただ、四郎を含めた5人がその金無しのやからに属する者ではないが、二次会に行くための節約であった。仲間の一人が言った。
「今日は二次会に行こう!」
 二次会に行くときは暗黙の慣例がある。酒はコップ二杯でつまみは塩、酒の最後の一杯は一気飲み、そして道玄坂約500メートルを全力疾走、二杯の酒が四杯飲んだように酔いが倍増、そして二次会は安キャバレーであった。

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昭和の一枚

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昭和の一枚 昭和の一枚
昭和の子供たちです。
勿論学校にプールなぞはありません。
都会の子は洗濯用のタライで水遊び。(タライ=水や湯を入れて顔や手足を洗う器の総称。今は多く、比較的大きな木製・金属製・プラスチック製などの洗濯盥をいう)。
下町の昭和っ子は、大人も夏は行水をしました。
(行水=夏期にタライに水を入れ、身体の汗を流すこと)

行水・浴衣・ビール又井戸水で冷やしたスイカ・線香花火。
この光景が懐かしい。
あぁ~昭和は遠くなりました。

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岩魚太郎の空襲体験記

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松山大空襲後(写真は総務省より... 松山大空襲後(写真は総務省より引用)
岩魚太郎の空襲体験記

004 松山大空襲 昭和二十年七月二十六日

 国松菊子28歳と四郎8歳は、菊子の夫三郎と、呉山中にある秘密海軍工廠に津輕造船から転勤を命じられ、空襲を避け七月十九日、北陸線経由て、青森駅を出発。家族三人は、呉に一週間を要して到着した。
 到着したのは七月二十六日の正午、空襲を警戒し、呉港から午後五時会社が用意した漁船に乗船、松山市の社宅に着いたのは午後八。
一週間の長旅の疲れもあって、その夜は行水をして(暑中などに、湯や水を入れたたらいに入って、身体の汗を流し去ること)午後九時には熟睡した。
 午後十一時三十分頃、熟睡したその目覚ましの音は、空襲警報と聞いたこともない爆撃機の飛行音と爆弾の爆発音だった。

東の空からB29の編隊が迫ってきていた。まるでスズメバチの大群のような音。豪雨のように焼(しょう)夷(い)弾(だん)が落ちてきた…」
 菊子は、四郎を起こし、とりあえず身の回りの品と現金を背(はい)嚢(のう)(注5)に詰め込み玄関を飛び出した。空襲警報が狂ったように鳴り響くさなか、四郎が寝ぼけ眼で空を見上げた。
 飛行機(アメリカ軍B29)から、黒い点のような物が無数に空から降ってくる。8歳の四郎が初めて見る光景であった。瞬間、強烈な爆発音と地響きがした。菊子は、慌てて四郎の手を引き、近くにあった防空壕に駆け込もうとした。防空壕の入り口に隣組の組長らしき老人が立っていた。

「あんた、見慣れない顔だが何処の組だ」
「主人が呉海軍工廠に配属されて、昨夜ここに引っ越して来たばかりです」
「そうか。引っ越して来たばかりか……気の毒だが、この防空壕は隣組の人数しか入れない広さしかない。残念ながら入れることは出来ん。外の場所に退避してくれ」
「外の場所って言いましても、引っ越して来たばかりで何処に避難したらいいか分かりません。お願いですから入れてください」
「いくら頼まれても駄目なものは駄目だ」

 菊子が哀願するそばを、「組長さんお願いします」と腰を低く頭を下げながら、夫婦と子供ずれの中年夫婦が、老婆に見送られ防空壕の中へ入って行った。老婆は菊子と四郎を横目で見ながら足早に立ち去った。
 男は、菊子と四郎の眼前で、自ら防空壕の中に入り入り口の扉を閉めた。
「母ちゃん!」
 四郎は菊子の顔を見上げながら叫んだ。
「母ちゃんの手を離すんじゃないよ!」
「うん!」
 焼夷(しょうい)爆弾(注7)と通常のと爆弾とが、混合してしながら落下する中を、あてもなく逃げる菊子と四郎姿が、炎の中にフェードアウトされて消えてゆく。

 昭和二十年七月二十七日午前八時

 松山大空襲の翌日である。
 市街地は焼け野原と化し、消火しきれない炎と煙が無数にくすぶっていた。その中を、顔面煤にまみれた菊子が、四郎の手を握りよたよたと歩いて来る。四郎が左足を引きずっている。傷を負ったらしく、ふくらはぎの位置に布が巻かれている。
 我が家の近くにようやくたどり着いた。
 勿論我が家も周囲の建物も全焼し跡形もない。
 防空壕の入り口に、大勢の人々が輪になって立っている。
 菊子が肩越しに覗き見る。

 四郎が人々の足を分けながら最前列に進み出る。
 菊子が四郎を追うように人をかき分けて前に出る。
 数人の人々が防空壕から死体を運び出し、その死体をむしろの上に順番に並べている。
「焼夷弾と爆弾で、防空壕の入り口が塞がれ逃げられなかったそうだ」
 菊子は、小声で話す後ろの男の声を聞いた。
 そのむしろの上に、昨夜防空壕に入ることを拒んだ組長の顔があった。
 四郎は菊子に手を握られ、強引に輪になっている人々の外へ連れ出された。
 菊子は、四郎の目線まで腰をかがめ黙って強く抱きしめた。
 菊子の涙は止まらなかった。

 菊子は、呉海軍工廠にいる夫の三郎に手紙を書いた。松山で空襲に遭ったこと、四郎も左足を火傷して、火傷の跡は残ったが歩行に支障がなかったこと、愛媛県東温市北郷村に移住、四郎は北郷の国民小学校に通っていること、食料は配給と少額の蓄えでしのいでいると記した。
 しかし菊子は、防空壕の話は記さなかった。手紙の検閲を恐れたからである。夫の配属先、呉海軍工廠も空襲を受けていないかどうかを心配した。
 手紙の返事はこなかった。
 戦況は、手紙どころではない緊迫した状況であることは、菊子にも分かっていた。人々はそのことは互いに分かってはいたが、口に出せば「非国民」という烙印を押されることを恐れていた。

 四郎の北郷国民小学校二年生の授業が始まった。
 松山の空襲で焼け出された生徒も数人いた。焼け出された生徒達の教科書はなかった。一冊の教科書を、机をくっつけ共有した。
 学校では、雨降り以外は八時に全校生徒の朝礼が校庭で始まる。 整列は横に一年生から六年生、縦に身長の低い順から高い順に並ぶ。その理由は、身長が低い生徒の前に身長の高い生徒が前に並ぶと、正面中央にある奉安殿が身長の低い生徒からは見えないからである。奉安殿とは、戦前の日本において、天皇と皇后の写真(御真影)と教育勅語(注8)を納めている小さな神殿である。

 その教育勅語を全校生徒で唱和させられる。当時の教育では義務化され、小学一年でも、暗唱出来ない生徒は、暗唱出来るまであらゆる手段を用いて暗唱させられていた
 体育の時間では、校庭にアメリカ兵の人形が立てられる。その人形の正面には、「鬼畜米兵」の文字が書かれてある。四郎の身長は1.2m。身長の約二倍もある長さの竹槍を小脇に抱え、走りながら人形に突進、「エイ・エイ・ヤアー」と叫びながら、「鬼畜米兵」と書かれた人形に竹槍を突き刺す。そして先生は言う。
「今回は、松山に敵の空襲を受けたが、日本は必ず勝つ。日本人には大和魂がある。畏れおおくも陛下は教育勅語でこう仰せられています。「我が臣民は忠と孝の道をもって万民が心をひとつにし敵と戦えば必ず勝利する」
 四郎は先生のその言葉を信じていた。

 しかし松山大空襲が七月、翌八月に広島と長崎に原爆が投下され、日本は一気に敗戦へと向かった。

 松山大空襲:昭和二十年七月二十六日午後二十三時三十分
  死者二百五十一名(当時の人口十一万人)
 広島に原爆投下:昭和二十年八月六日午前八時十五分
  死者十六万六千人(当時の広島市の人口は三十五万人。
 長崎に原爆:昭和二十年八月九日午前十一時二分
  死者七万四千人。(当時の長崎市の人口は二十四万人)
 原子爆弾は、一般庶民には「ピカドン」と呼ばれていた。一瞬ピカッと光ってドンと爆発するからだ。
 

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岩魚太郎の敗戦記念日特集昭和20年本土空襲被害

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ウィキペディアより引用 ウィキペディアより引用 岩魚太郞の戦争体験 1945年... 岩魚太郞の戦争体験
1945年昭和20年5月8日8時10分8歳、私は愛媛県松山市にいた。総務省Webより:昭和20(1945)年5月4日午前8時10分、B29 8機が高度約4,000mから航空隊基地に爆弾30余発を投下し、同25分にも別のB29 9機が爆弾40余発を投下した。
都道府県別被害数 ※広島と長崎... 都道府県別被害数
※広島と長崎は原爆被害を含む。沖縄の被害については沖縄戦を参照のこと。東京都の被害市町村数は23区を含む
岩魚太郎の敗戦記念日特集昭和2... 岩魚太郎の敗戦記念日特集昭和2...
下記ウィキペディアの引用である。
空襲は1945年(昭和20年)8月15日の終戦当日まで続き、全国(内地)で200以上の都市が被災、被災人口は970万人に及んだ。被災面積は約1億9,100万坪(約6万4,000ヘクタール)で、内地全戸数の約2割にあたる約223万戸が被災した。その他、多くの国宝・重要文化財が焼失した。米国戦略爆撃調査団は30万人以上の死者、1,500万人が家を失ったとしている。(以下省略)

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広告
何時の時代の広告かわ分かりませんが、記載内容が文芸的だと思いませんか?
偶然見つけました。

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歓楽街

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歓楽街
歓楽街とは
飲食店・興行場などの享楽施設が集まっている街区です。
あなたはこの灯りの中に
埋没する勇気はおありですか?

需要と供給の社会です。
埋没したい灯りを求める人々
それを受け入れる人々

人々は何を求めてこの灯りの中へ
入って行くのでしょうか?
この灯りの中にあるのは幻想です。

幻想とは、現実にないことをあるように感ずる想念です。
とりとめもない想像です。
現実からの逃避だと思いますが……

でも多くの人々はその灯りに集まってきます。
外灯に群がる蛾のように……


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夫婦の鏡?

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東京お台場の夕景 東京お台場の夕景
夫婦の理想像です。

ほどよい距離感を保ち
一人の時間も楽しめて
良いところも悪いところも受け入れて
たりないところは補い合い
苦しい時も悲しいときも
互いに謙虚に話合い
問題があれば二人で解決し
思いやりと感謝の気持ちを忘れずに
歳をとって何も言わなくとも
そばにいるだけで安心でき
お前百までで私は九十九歳まで共に生きたいと
互いに思っているのがいい夫婦

いい夫婦の定義が、あるMailで送られてきました。
皆さんどう思われますか?

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五百羅漢像

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「苦しかったね~そうね、わかる... 「苦しかったね~そうね、わかるわかる……泣いてもいいよ」
「なんで俺の人生は、そんな苦しい道なんだ」
「愛するがゆえに、去ってゆく愛もあるってことさ」
「愛いするがゆえに去る……どう言うことだ?」
「それも愛のありかたさ……」
「好きな女に逃げられた? くよ... 「好きな女に逃げられた? くよくよするなよ」
「俺、心底から愛してたんだよ」
「愛なって代物は、形の見えないまぼろしさ」
「人生なんてものは、即物的に生きればいいんだ」
「俺、そんな生き方したくないんだけど……」
五百羅漢=広辞苑の説明と画像で... 五百羅漢=広辞苑の説明と画像です。
喜多院のHome Page:https://www.kawagoe.com/kitain/
五百羅漢像がある。
埼玉県川越市「喜多院」Home Pageです。 https://www.kawagoe.com/kitain/history-lturalasset/500arhat/
五百羅漢像
島倉千代子「人生いろいろ」の歌にもあるけれど、岩魚太郎82歳の人生も「いろいろ」です。「いろいろある人生」いろいろない無い人生よりは変化があって面白い。
完全な年金生活者。愛妻が家計を仕切っています。
たまに馴染の居酒屋に出かける時、お小遣いを貰います。一万円です。
愛妻の口癖です。

「おつり返してよ!」と言います。
居酒屋での支払い代金は何時も三千円前後です。
いつもきっちり十円も残さずおつりを返します。
愛妻はそのおつりを躊躇なくうけとります。
私は、愛妻から定額のお小遣いを貰っていません。

今回デスクトップPCを5万円で買いました。
安いけどCPU 3.7GHZ メモリー8G 搭載の超安い新品のお買い得商品です。
愛妻は言いました。
「おとうさん、お金がないと言いながら、何故パソコンとか、インクと買うときに何時もお金が出て来るの?」

そんな他愛のない日常の中でも、「喜怒哀楽」な感情が「いろいろ」あります。
そんな変化する私の気持(感情)を、五百羅漢様で、私の今の顔はどんな表情してる?
と探します。あぁこんな顔なんだ……と見つけることができます
愛妻と二人、喜怒哀楽でいろいろある生活……
その「いろいろ」あるを、羅漢様の表情と比較しながら、「いろいろ」楽しんでいます。

因みにこの五百羅漢像をすべてカメラに収め、PCで閲覧出来るようのしてあります。
喜多院は、天明2年(1782年)~文政8年(1825年)約50年間わたって建てられたそうです。人の「いろいろ」ある表情は、昔も今も、変わらぬようです。
当たり前の話ですが……生きてる人間は表情を鏡を見ても固定できません。
羅漢様の「いろいろ」な表情は固定です。

人間様のその一瞬の表情が、必ず五百羅漢様にあると言われています。
人間様は、心は憎んで顔は笑顔なんてこともあります。
憎む心の表情を、どんな顔をしているのか? 五百羅漢様から探して見ませんか?
広辞苑によりますと、憎むの意味は「感情を傷つけ逆なでするものに対し、不快感・抵抗感を持ち、時にはそれをことばにし、そのものをやっつけたいと思う意(以下省略)」だそうです。

失礼! この岩魚太郎のブログを読まれる方は、憎む心の持ち合わせのない方でした。



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タイムスリップ

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タイムスリップ
タイムスリップ(和製語time slip)SFなどで、現実の時間からはずれて瞬時に過去や未来に移動することだそうです。
 一見したところ、道の中央で歩いている人物、陣笠と左手に刀?
しかしよく見ると、右側「花野屋」の玄関らしき場所に軽自動車。
自動車が無いとまさしく江戸時代の木曽路?です。

木枯らし紋次郎木曽路をゆく・・・

過去へのタイムスリップができたら
あなたの人生
やり直しを希望しますか?
それとも、あなたの過去の人生
満足されていますか?

人生と言う道は、選択が運命を決めます
これからの私の未来は
選択肢があるのでしょうか?
選択肢のない道……
その道の歩き方が問題なのです……が?

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