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癌・34.6%

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氏名は自称:岩魚太郞。この写真... 氏名は自称:岩魚太郞。この写真は18歳?19歳?に撮った写真だと思います。撮影時期については定かな記憶はありませんが、この一見清純そうな若者は、1937年(昭和12年3月11日)生まれで、平成31年3月11日(月)を迎え82歳の誕生日を迎えました。
2011年(平成23年)3月11日に発生した「東北地方太平洋沖地震」奇しくも岩魚太郞の誕生日と同じです。
私の中の癌です。 咽頭がんは5... 私の中の癌です。
咽頭がんは50~80代の男性に多いがんです。喫煙と過度な飲酒によりリスクが高まり、咽頭がんを発症している人の90%以上が喫煙者だといわれているそうです。
下咽頭生存率 全国がんセンター... 下咽頭生存率
全国がんセンター協議会の生存率共同調査(2018年9月集計)です。

2011年(平成23年)3月11日に発生した「東北地方太平洋沖地震」奇しくも岩魚太郞の誕生日と同じです。

昭和12年生まれの人口=150万人:男性70万人・女性80万人【平成21年に誕生日を迎えた時の年齢(総務省統計局)】
この統計は平成21年のデータで、平成31年現時点の昭和12年生まれの男性人口は不明ですが、少なくとも70万分の1の岩太郎は、82歳を迎え、まだ生きていることになります。

しかし、下咽頭癌でステージⅣで放射線治療の継続中です。

人の誕生は、親の選別は出来ません。
社会人になり、上司の選別も出来ません。
天災(東北地方太平洋沖地震)の回避も出来ません。
死の回避も出来ません。
癌の回避も出来ません。病を呼び込まない注意をしても病にかかります。

日本人の平均寿命です。〈女性〉87.26歳 〈男性〉81.09歳。
岩魚太郞は82歳で平均寿命を超えました。
5年相対生存率は表のように34.6%です。
願わくは、34.6%の中に入りたいと思いますが、その希望が叶うかどうかわかりません。
人の意志で回避出来ないことを、【運命:天命】とも言われます。

運命
人間の意志にかかわりなく、身の上にめぐって来る吉凶禍福。それをもたらす人間の力を超えた作用。人生は天の命(めい)によって支配されているという思想に基づく。以下省略(広辞苑)と言うそうです。
岩魚太郞は、その運命と闘っています。せめて34.6%の一人になろうとしています。
死の恐怖と戦っているのではありません。

趣味でシナリオ:小説:を書いてきました。できる事なら……
中小企業の戦い(仮題:記述中):長編小説(A5:300頁)を完成させて死にたい……と思っています。

 この小説の中で登場する主婦恵子が、医者から余命半年と言う「癌」の宣告を受けました。その事を、愛する夫に知らせるべきか否かを悩む設定があります。

余生の時間を知らせて共の癌と闘うのが夫婦愛だ……
余生を夫と楽しく暮らしたい。夫が知らない方が……
余生をどうやって暮らしていくのかは、逝く者の意見を尊重すべきだ……
恵子と友人との「癌」=「愛」の苦悩を描いた記述があります。

その記述した作者岩魚太郞が、まさか「癌」になるとは思いませんでした。
癌になってよかった事が一つでかあります。
50歳を超えた子供二人と夫婦四人で、本音で会話が出来たことです。
子供たちに家族の絆を実感させられたことでした。

過去の岩魚太郞の作品集
 友情は生きていた:TVシナリオ
 おてもやん:TVシナリオ
 渓流の夢尚子:渓流写真集
 男と女の人類学:エッセイ
 岩魚と山女魚が釣れる本:渓流の本
 警視庁特捜班:シナリオ小説(Amazon電子書籍)
 津輕娘の四つ葉のクローバー:(Amazon電子書籍)
 奇妙な矛盾:シナリオ(ラジオドラマ)(Amazon電子書籍)
 

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昭和の二枚

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中味はお茶です。用途はご存じで... 中味はお茶です。用途はご存じですか? 現在では完全なセクハラです。こ... 現在では完全なセクハラです。この日常は社会が公認していました。と言うより、セクハラと言う意識すら無かったのです。
男性も女性も、必死で働いていたのです。
2019年、和暦が変わります。昭和・平成・**?……昭和生まれの我が輩とすれば感無量です……が?

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謹賀新年

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謹賀新年
あけましておめでとうございます。

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1970年(昭和45年)大阪万博見聞禄

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1970年(昭和45年)大阪万...
2025年大阪万博が決まった。来年和暦の元号が決まるが、55年前、 1970年(昭和45年)大阪万博の私の万博体験録を綴る。

1970年(昭和45年)大阪万博が開催された。
私は34歳のであった。会社が東京に有り、ライトバンの後部に二組の布団を積み、東京から万博に向かった。
布団を積んだ理由は、結婚していて、妻がいて、5歳になる子供がいて、生活は苦しく、万博に行く費用などは出せないと愛妻に言われた。

愛妻の言うことが正論である。しかしどうしても万博に行きたく、食費とガソリン代だけは出して貰い、会社の車を借用して、 宿泊は車を利用した。
そう言う訳で二組の布団である。
勿論高速道路などと言う便利な道もなく、国道1号線(東海道)を、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』で、友人と二人で、弥次喜多道中をライトバンの旅で万博に向かった。

1970年(昭和45年)の万博の鳴り物は、岡本太郎の『太陽の塔』と『アメリカ館の月の石』であるが、それも見ていない。見ない理由は、万博会場に一番に入場するには、夜中から並ばないと駄目で、両パビリオン(博覧会の展示用建物)に普通に並んで見物するには5時間程度かかった。
限られた広い会場で限られた日数である。空いてる人気がないパビリオンを回った。

質より量を選択した私は失敗であった。カメラも庶民には手が出ない代物で、写真を撮っている人は皆無。従ってパビリオンに置いてある無料のパンフレットしか記念に持ち帰るしかなかった。唯一記憶に残存するのは、パビリオンはドイツ館のレストラン。
昼食で、馬鹿でかいソーセージで生ビールを飲んだ。お勘定をしようと思ったらレジがなかった。

ウエーターを呼んだところ、そのウエーターお尻のポケットから分厚い皮財布を取り出し、テーブルの上に置かれた皿とグラスを見て、勘定を払ったこと! 日本では、考えられない光景であった。要は、現代風に言うと、宅配便での『代引き』の光景である。

唯一そのことが、私が体験した、1970年(昭和45年)大阪万博の記憶であった。
しかしビールとソーセージは旨かった。




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明治の浮世絵

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明治の浮世絵
明治の浮世絵画家:「庄田耕峰」の作品

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眼球の一枚

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CG加工一切なし! 人間の眼球... CG加工一切なし!
人間の眼球を撮影したら、とんでもないことになっていた

「瞳に吸い込まれる」という表現がありますが、まさにその言葉の通り!でした。もちろん、CG加工一切なし。人体の不思議をアナタの目で確かめてください。これが、眼科医しか見えなかった世界人間の目。そこに極限まで近づいていくと、驚くほどに繊細!火山の火口のようにも、月のクレーターのようにも、プラズマ波の中をワープしていくSF映画のような世界でした。茶色の人もいれば青みがかった人もいますが、よく言う“黒目”

(記載本文は、写真解説内容をそのまま転載)

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昭和の一枚

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昭和の一枚
秋場原駅の部品屋。電気部品、何でも売ってるよ。

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幕末の一枚

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幕末の一枚
右側の背が高い人が「西郷隆盛」だそうです。

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三年保証の落とし穴!

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三年保証の落とし穴!
敢えてメーカーの名前を公表します。
画像のモニターを約1.6年前に購入しました。
製品不良障害が発生して、3年保証の制度もあり、修理を依頼しました。

修理期間は2週間強が必要とのこと。
デスクトップのモニターです。
個人使用です。モニターがなければどうにもなりません。

2週間仕事をしない訳にはいきません。
新しくモニターを購入する羽目になりました。
3年保証制度の修理期間と言う落とし穴がありました。

1年保証・3年保証・5年保証・事前に修理期間を確認しましょう。
当然不良品です。不良品の発送は着払いと思っていましたが、購入者負担でした。

保証期間=修理期間を確認して購入しましょう。




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昭和の二枚

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昭和の二枚 http://www6.pla... http://www6.plala.or.jp/ebisunosato/nomugi2.htm (引用)
http://www6.plala.or.jp/ebisunosato/nomugi2.htm (引用)  

「ああ野麦峠」は、、昭和43年(1968)朝日新聞社から出された山本茂実のルポルタ-ジュ。製糸工場の女工さんだった明治生まれのお年寄り達に、聞き取り調査したものを本にまとめた。故郷を前に野麦峠で死んだ若き製糸工女みね。富国強兵政策に押しつぶされていった無数の娘たちの哀しい青春を描く、戦後ノンフィクションの名作!

 明治から大正にかけて、外貨を稼ぐ手だては、生糸でした。養蚕が日本を支えていた時代、その陰では10代、20代のうら若き製糸工女たちの悲惨な生活がありました。

 諏訪地方には豊富な水のおかげもあり、製糸工場が集中していました。周辺農村部から集められた大半の少女達は、山深い飛騨の山中の村々から連れてこられた貧しい農家の子供達であった。多くの少女達が半ば身売り同然の形で年季奉公に出されたのだった。工女たちは、朝の5時から夜の10時まで休みもほとんどなく過酷な労働に従事しました。工場では、蒸し暑さと、さなぎの異臭が漂う中で、少女達が一生懸命、額に汗をしながら繭から絹糸を紡いでいた。苛酷な労働のために、結核などの病気にかかったり、自ら命を絶つ者も後を絶たなかったという。

(以下 ああ野麦峠より抜粋)

      工場づとめは監獄づとめ
           金のくさりがないばかり

      籠の鳥より監獄よりも
           製糸づとめはなおつらい


 工場の寄宿には厳重に鉄の桟がはめられていた。逃げた工女があれば監視員はいっせいに馬で四方にとび、各街道、峠、後には各駅をおさえ、たちまちつかまって引きもどされる、それは文字通りの監獄であった。
 「それでも行かずばならない。そういうもんじゃと思って歯を食いしばって、みんなのあとについていったのでございます」

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