僕には自由な翼がないけれど 君のやさしい微笑みで 何度も何度も救われてきたんだ その微笑みは青空を透かし 飛ぶことの意味を教えてくれる だからどんな時でも 僕は大事にしたい君の微笑みを 冬の冷たい風に吹かれ 夏の強い日差しに打たれ 君から微笑みが奪われそうになったら 僕は命がけで守ることができるんだ 君は僕の翼だし僕は君の翼なんだから
交差点を直進する二輪車と 右折をするトラックとの衝突事故で 昨日も二十歳の女性が亡くなられた この右直事故による死亡事故は 三日に一度起きているということだ もちろんスピードを超過せずに 交差点を通過するならば過失は自動車側が大きいが ほぼ生身で衝突するのは二輪車な訳で ここに「バイクは危険」といわれる ひとつの事由がある 自動車側から対向車線を走る二輪車は 小さいので遠くに見える 夜間時の二輪車が認識しづらい 第二車線にいる自動車が止まり その後方裏に隠れていた 第一車線にいる二輪車が見えず などの条件で自動車は右折を始め その時はすでに衝突が避けられない 私が二輪車に再び乗ろうとした時 この右直事故が怖くて二輪車を諦めよう しかし最大限の注意を払えば何とか 避けられるのではいかと考えてみた 最近では右直事故に恐怖を抱く ライダー達の注意喚起の動画発信などがあり 参考になることが多くとても有難い 交差点前では 後ろを走る車両に気をつけアクセルオフ ブレーキレバーには指を添え ブレーキペダルに足を添え あの車は出てくると ヘルメットがきちんと着用されずの死亡事故も多い ベルトのあごひもが調整され結束がされているか 発進前はさらに確認が必要 また胸部への衝撃による死亡原因が 頭部と同じくらい多い 胸部のプロテクター着用率は10%未満だが 着用はライダーの自由な判断に委ねられている 私はないより良いだろうと着用している 右直事故は二輪車の運転技術で避けられない 二輪のプロレーサーでも右直事故にあう 交差点はライダーにとって危険度の高いエリア その場の交通情報を収集するスキルを上げ いつでも避けられる止まれるように 心とブレーキに添える想像力が必要なのだろう
膝、腰、腹、胸、背中、肩、肘、頭 これだけのプロテクターをして 準備に時間をかけエンジンが回る バイクは転ぶのが前提で走るのである 若い頃はヘルメット着用も規制がなかったが 思い出すと怖い話だ 走り方はずいぶんと変わった 信号が青になるとアクセルを強く捻り マフラーからの爆音に快感を得ていたが 今はアクセルを使わない半クラッチ発進で エンスト寸前でアクセルを回し ヌルッとスムーズに走り出すことを楽しんでいる 車の間を通り抜けることはしない それは必ず事故を起こしてしまうからだ 渋滞があろうとも紳士なライダーたるものを 目指して低速走行の技術を高めたい それでもやはりバイクは危険な乗り物だ 車の死角に入ってしまうからだ 交差点ではいつでも止まれる速度で 車が突っ込んでくると想定し クラクションにはいつでも指を添え 交通情報のアンテナを張って通り過ぎる こちらが交通ルールを守ると逆に危険なこともある 交差点前で信号が黄色に点灯した時 どう考えても通過する時は赤になるが バックミラーには車間距離の近い車が映っている 止まりたいけど後ろから追突されてしまう よくある場面である そんな時は少し左車線により止まり 後ろの車が突っ込むのなら横に逃してやる ほとんどの車が赤信号で通り抜けていく そこでサンキュー事故になっても自業自得だろう さらに道路規制が変わり 最近では自転車が車道を走るようになり しかも電動自転車やスポーツタイプの自転車は けっこうなスピードが出たりする 自転車も講習を受けて免許制になる日が来るかもしれない バイクに乗る身として自転車の動きを感知して 接触を防ぐことに徹しなければ そこまで危険ならバイクに乗らなきゃ良いだろう そう思われてもあの風を切って走る操縦感は 堪らなく気持ちいいものである 季節をこの身へ直に沁み込ませながら バイクの心音と共に弾む自分の心音 安全走行を楽しみながら そりゃ走らずにいられないのだ
時間に追われているのに 気持ちが目的地から遠ざかってしまうのは 今、がんばりたくないからだ がんばらなくちゃ、ということは ぜんぜん楽しくないから だからってずっと逃げてはいられない 俺、大人だろ 説得力のない理由だが自分の尻を叩く その目的地へ行くのに どうやったら楽しめるのだろうか まずは立ち上がり顔を洗い歯を磨き 着替えてパンをかじり 大きな声で行って来ますを響かせよう 動き出せば何かが変わるはずと思い込む 楽しみを待つのだけではなく 拾いに行ってやろうじゃないか 歩き出せは俺の気持ちが街に映り 無理やり楽しいと思えばその気になって 周りをキョロキョロしてスキップなんかして 俺、大人だろ と思いつつクスクスひとり笑い 目的地が見えてきた 最後にどんなゴールをして楽しむか ガッツポーズをしようか それとも感動の涙で目頭をおさえるか 自分のドラマを楽しまなくちゃ 俺、大人だろ 間違いない素敵で楽しい大人だろ
四十年ぶりの教習所 大型二輪に跨っている 車体の大きさに乗っているのではなく こいつに乗らされている 中型二輪の時には あれだけ自信があった一本橋 そこからほぼ落ちたことはなかった 今となってはバランスを崩し ガクンという衝撃に気持ちが落ち込んだ 幅三十センチ、長さ十五メートル 十秒以上で通過しなければならない 衰えをカバーするにはどうするか 悩んだ末にやはり基本に戻る それしかないことに気づかされる 上身体の力を抜く 近くばかり見ず遠くを見る しっかりと二輪のタンクを挟む 進もうとするアクセル バランスを取るブレーキにクラッチ 落ちそうになったらハンドル切る それは苦手を克服する楽しみ 細く長い道のりへの恐怖心や不満に 乗せられるのではなく 自分がどう乗るかがこの一本橋にあり これからの人生に大切な学びがあったと この課題コースは気づかせてくれた
四角い甲羅から頭だけ出し 南国の亀の気持ち ずいぶん疲れた心身が それでいいと頷きぬくぬく眠る 目が覚めたのなら お茶ときどきお餅みかん 怠惰を頬張りお腹ぽっこん 洗濯、食器、ホコリの山 チラリと気になることはあるが いいんですいいんです 寝られるほど疲れ 食べられるほどストレスがあり 冬のオアシスでハメハメハーの力を 蓄えているのだから 四角い甲羅から頭だけ出し 世間や社会を遠退いて ぬくぬくどっぷりヒト充して 冬の幸せはここにあり *モバイル充電→モバ充 ヒト(人間)充電→ヒト充(造語)
こう言うと でも何とかと 言われる 聞きたくない その話 早く終われと その顔の パーツを楽しむ 聞いているのかと 耳を摘まれ 僕の話はすでに 盗まれ 君は天才 僕は阿呆に いつもの構図 その友だちは 必要ないとなる そんなこんなで さよならは 心地よい そこに不安とか 寂しさは まったくない 最近わかってきた やっと 僕が僕に きちんと聴くと 僕が僕になる
白い靴を白く履くと 心地よい景色が色づき 振り子のように落ちる萌ゆる葉 目に入る模様は心を弾ませる 空の青さと靴の青いライン 繋がる上と下は平らになって いつもと違う二センチ浮く地面 葉を壊さなぬよう歩けている 靴紐に絡んだ秋とともに どこまでも歩ける気がすれば 誰に感謝すればいいのだろうと 支えてくれたひとを巡る 少し汚れた白い靴を脱ぎ 今日の想い出を拭きとれば 明日へに沁み込む夢の道しるべ 気はゆくゆくとゆく
枯葉と枯葉を擦り合わせ 乾いた空気にくるくると回りながら その匂いは君の嗅覚に間違いなく アートなセンチメンタルとして 今年もキャッチされました 心地よいネガティブは微妙な雰囲気で なんだか柔らかで温かいモノに 包まれながらも見えています しゅんしゅんしゅんと 鳴いているのが聞こえてきます この世にはもう優しいひとしか いないという話になって とげとげの光なんてもう要りません 暑さで狂った頭を冷やすには この寂しさが必要だったりします 乾いた何のためにが描き始めます 君の許せないと君以外の許せないの戦いは お互いの何を消してゆくのの戦いになり 君以外の痛みは君の痛み 香ばしいアートは夢ではないのです
らしくの始まりは 風に吹かれても風を感じず 水面に手を入れても感覚がなく そこにいたことも何かをしたことも 何も無いところで僕に起こる らしく自体が僕自身にはなく 誰かに見える点線で枠が描かれ その型取について聞かされ 僕は誰かと比べられてしまう 双方の現実は重なることを知らない らしくの僕はあなたにあって あなたのらしくは僕にあるのだから 鬼ごっこは続いてしまう あなたにある僕らしさに囚われて 何が楽しいというのだろうか らしくの終わりは頭の重さに その言葉だけ記憶喪失してしまう 裸足のままあっちへそっちへこっちへ 僕は力が抜けて歩けることを知り 一番大切から遠ざかるほどに心地よい