じいさんの上を向いて泣いたお話し
12月
29日
むかしむかしのお話しが聞きたいとな
そうじゃなあ
ひとつお話しをしようかな
わしの初恋ってのはどうだい
そうか
それは聞きたくないって言うと思ったが
では話を始めるかねえ
わしが小学校に上がる前の話じゃ
家はまだぼっとん便所でな
ああ
今みたいな水洗トイレでなくてな
和式便器があってその下に大きな穴があって
そこにするんじゃよ
便所のサンダルをそこに落としてしまい
父親によく叱られたわ
そんな話はいらないな
そうそう
まだ洋風な家などなかった近所に
レンガが数段つまれてた塀で
その上に白いパイプが建てられての
そこにバラが巻きつき
真っ赤な花を咲かしていたんじゃよ
家も真四角で真っ白な家で
外国のお話しに出てくる
世界って感じの不思議な魅力があった
そうなんじゃよ
そこの家族は金髪で鼻の高いひとたちで
なんせ言葉が通じなかったんじゃよ
パパさんは少し日本語が話せたんだけどな
いつも家にいるのはママさんとお嬢さん
そうそう
そのお嬢さんの名前はヘレンって言って
わしと同じ歳くらいだったの
言葉はまったく通じなかったけど
ずっといっしょに遊んでいたんじゃ
ヘレンはピアノが上手で
聞いた音楽をすぐに弾いたりするんじゃよ
「上を向いて歩こう」がわしはとても好きで
人差し指を立て日本語で「もう一回」というと
嬉しそうにピアノを弾いてふたりで歌ったんじゃ
今でもあのヘレンの笑顔は忘れないの
わしはヘレンを笑わせるのが楽しくて
バラのトゲをパチンと取ってツバをつけ
自分の鼻の頭やおでこにつけて
怪獣のマネをするとヘレンはキャアーと
半分笑いながら逃げるんだよ
楽しかったの
そうそう
ヘレンの誕生日に
わしは上手ではなかったけどヘレンが
ピアノを弾いている姿を絵に描いてプレゼントしたんじゃ
その時な
はいはい
その時な
ヘレンはわしのぽっぺたにキスをしたんじゃ
固まっているわしを見るヘレンが笑っていて
嬉しいのに嬉しくないというか
初めての感覚だったの
しかし
楽しい時間というのあっという間に過ぎてしまい
ヘレンとは小学校を上がるちょっと前に
さよならすることになってしまったんだよ
別れる日のことは鮮明に覚えてるの
ヘレンにサヨナラの言葉さえ出なくて
車に荷物を運ぶパパさんとママさんを見て
ヘレンとわしは手を繋ぎ突っ立っていたんじゃ
パパさんとママさんがわしに「ありがとう」と
とても優しく言ってくれたんじゃ
だが
それがヘレンとのお別れの時というのがわかり
口をきつく結び泣くのをガマンしたんじゃの
ヘレンと手が離れた感触も今でも覚えてとる
車が出るとわしは突然に大きな声で
「上を向いて歩こう」を歌い出したんじゃ
するとヘレンは後部座から振り向いて
ピアノを弾くマネをしたんだ
わしは「涙がこぼれぬように……」と歌ったが
涙はいつまでも流れたんじゃなあ
これがわしの初恋の話になるの
おお
お前さんも泣いてくれるんかい
聞いてくれてありがとうな