ロマ12章③ キリスト者の生き方 ⅰ
2月
7日
ロマ12:9-21
12:9愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。 12:10兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。 12:11勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。 12:12望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。 12:13聖徒の入用に協力し、旅人をもてなしなさい。
続けてロマ12章を読んでいますが。先週の真のコミュニティであるキリストの身体、キリストの共同体を受けて、今週は、その共同体のあり方、キリスト者の生き方について語られています。
パウロは、冒頭第一声、
12:9愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。Love must be without hypocrisy. Abhor what is evil, cling to what is good. と言っています。
今日の箇所全体のテーマが、「愛」となっています。「愛するということはどういうことだろうか。」ということを皆さんで考えてみたいと思います。どうぞ、黙想しながら一緒に聖書を開いてみましょう。
★ アガペーの愛 Love of Agape
12:9愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。. 9 Love must be without hypocrisy. Abhor what is evil, cling to what is goodパウロは、キリストの身体の第一は、アガペーの愛。すなわち、神の愛、一方通行の見返りを求めない愛。キリストの愛。となっています。キリストの身体の愛というのは、混じりけのない、偽善と偽りのない愛、であるのだというのです。そもそも、キリストがご自分の全身全霊をかけて十字架の死を経験されたから、救いがもたらされ教会ができたのです。私たちは、キリストの混じりけのない愛の産物であるからです。
★ 主を畏れる Fear of the Lord
続いて、悪を憎み、善に親しみなさい。キリスト者の基本の資質というのは、「主を畏れる」姿勢です。主を畏れる姿勢とは、神を信じる私たちが、神の愛していることをとことん愛し、神の憎まれることをとことん憎むことであります。その感覚を失うことは、塩が塩気を失うことであり、また、灯台が光を失うことであります。
★ フィレオーの愛 友愛 Love of Philadelphia
12:10兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。10 Be devoted to one another with mutual love, showing eagerness in honoring one another.
キリストの身体の中では、互いに愛し合う、兄弟愛を持ちなさい。そして、そのカギは、英語では、熱心に互いにオナーしなさいとあります。私たちがよくする、アフォーメーションです。互いにほめあい、良いところを見出すこと。この精神があれば、分裂や仲間割れなどすることがないのです。いつも、祈りの中ででも、あの人に良い言葉を上げるとしたら。。。という風に祈ることもおすすめです。すると、神様から超自然的にその人の好い所や、預言の言葉が与えられます。パウロは、熱心に周りの人をオナーしなさいと言っています。
★ 聖霊に満たされる Be filled with the Spirit
12:11勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。Do not lag in zeal, be enthusiastic in spirit, serve the Lord.
熱心になることを後回しにせず、霊に燃えて、神に仕えなさいとあります。私たちは、以前も話しましたが、自分の思いだけで熱心になることはできます。しかし、神の霊に満たされてなければただの肉の働きとなり、空回りたり、物事が裏目に出たりするものです。第一に、聖霊に満たされることを求めましょう。聖霊様は、歓迎されるところにおいでになります。ご自分が歓迎されていないと思うと、すーーと静かに去られます。私たちの心が開いていないのに、聖霊に満たされることはできません。私たちの心が高慢でも満たされることはできません。聖霊に満たされることを求めて、私たちが失敗することはありません。満たされ続けるように、求めること。ここから主に使える原動力が来ます。
勤勉さ、また本当の熱心さというのは、聖霊様への従順からくるものです。聖霊様を求め続けましょう。
★ 希望 Hope
12:12望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。Rejoice in hope, endure in suffering, persist in prayer.
希望というのは、患難と切り離せません。また喜びも患難と切り離すことができません。希望とは、やがて来る良きことに思いをはせることであり、自分の苦しみにしっかりと向き合わなければ、決して持つことができません。本当に自分を神が愛するように愛するのならば、苦しみ、あるいは、自分の弱さにも向き合います。自分を愛さないならば、ほかのことで忙しくて向き合うことをしません。その場合には、希望を持つことはないでしょう。
キリストは、ご自分前に置かれた喜びの故に十字架の苦しみをもろともしなかったと聖書にあります。喜びというのは、このように、苦しみがあるから、努力があるから、失敗があってこそ、与えられるものなのです。みなさん、創造のはじめ、エデンで、アダムは何をしたのでしょうか。何もせずに毎日ぶらぶらして、ただで木の実を食べて、だらだらしていたのでしょうか。違います。神様は、彼に、すべての被造物に名前を付けることを命じられました。これは、大変な仕事です。ある意味、神との共同創造でありました。一つ一つのものに、アイデンティティを与えて行ったのです。仕事が任されているから、生きがいがあり、喜びがありました。
あなたの神様からの目的は何でしょうか。召命は何でしょうか。ぜひ、神様に祈り、求め、聞いてみてください。あなたの喜びは、従うごとにうんと増し加わることでしょう。また神の召命に生きることは、神に私たちをますます近づけます。
「絶えず祈りに励みなさい」とあるように、祈らざるを得ないのです。アダムが神と共同創造人となったように、私たちも召命に生きるときに、神の同労者となるからです。
★ ホスピタリティ Hospitality
12:13聖徒の入用に協力し、旅人をもてなしなさい。Contribute to the needs of the saints, pursue hospitality.
キリスト教の特徴は、ホスピタリティにあるといえます。私たちの神は、良い人にも悪い人にも平等に雨を降らせる方。イエス様が浜辺で、弟子たちのために朝食を作って待ってたシーン。ヨハネ21章。また、イエス様は、貧しい人たちに施した人に対して、感謝を表し、「この最も小さいものにしたことは、私にしたのです」と言われました。それほどに、ホスピタプル、他人に気前よくもてなすことをイエス様は、神様の心として示しておられました。聖徒の入用に協力し、旅人をもてなす。私たちも金曜日にともに祈りましたが、私たちの周りにも、必要のある方々がおられます。もてなしの心を忘れずにしたいものです。
今日は、途中ですが、ここで区切りたいと思います。また続きは、さ来週。