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ホセア二章

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ホセア二章
2017年9月10日日曜日礼拝メッセージ音声は、


イスラエルの民の名前が変わってく過程についての預言。鍵は、神の愛。
ホセア2:2-23

先週に続いてホセア書の第二章です。一章の終わりに名前が変えられるということが出てきました。ホセアの子供たちの名前を文字通り使っての預言です。さて、どのようにして名前が変えられるのでしょうか。

●裁き・罪の結果 v2-13 Judgement and Consequence of sins

まず、前半裁きの言葉です。裁きというのは、ただ、自由気ままに神様が怒るのが裁きではありません。裁きは、罪の結果によるものであり、自分の行動の結果とも言えます。

☆偶像と手を切るように Leave the Idols

V2-4「あなたがたの母をとがめよ。とがめよ。彼女はわたしの妻ではなく、わたしは彼女の夫ではないからだ。彼女の顔から姦淫を取り除き、その乳房の間から姦通を取り除け。3 そうでなければ、わたしは、彼女の着物をはいで裸にし、生まれた日のようにして彼女をさらし、彼女を荒野のようにし、砂漠のようにし、渇きで彼女を死なせよう。4 わたしは彼女の子らを愛さない。彼らは姦淫の子らであるから。

まず、偶像と手を切るようにと神様は言われます。イエス様も、「二人の主人に同時に仕えることはできない。」また、「わたしに仕えるのか、マモンに仕えるのか」ともおっしゃいました。私たちは、決して、二人の主人には仕えられないのです。どちらかを愛して、どちらかをおろそかに必ずするからです。ですから、神様よりも大事なものを持つことは、偶像礼拝です。何を失っても、神様がいれば大丈夫。これが信仰です。
彼女の顔から、胸の間から姦通を取り除け。私たちの顔の向く方が私たちの求めているものではないでしようか。愛する人がいたら、女性は、顔と顔を合わせて見つめ合いたいのではないでしょうか。また、心のうちに大切に、親密な思いは、胸においておくのではないでしょうか。完全に異なる神、偶像から自分自身を取り除くようにと神様は言われます。

☆罪の結果 The Consequence of Sins

そうでなければ、彼女の着物をはいで裸にし、生まれた日のようにさらし、砂漠のようにし、渇きで死なせる。。。と。私たち、キリストに出会っている者たちは、分かります。恵みのクッションの大きさが。私たちを覆う覆いでキリストにより罪が隠されていることを。しかし、そのようなものもなく、罪の恥をさらし、まっぱだかで、しかも、潤いもなく、神の恵みも憐れみも感じず、飢え渇き過ぎて死なせると。。。。この状態、私たちも味わったことがある感覚ではないでしょうか。そう、救われる前。何をしても砂をかむような、白黒写真のような。。。でも、神様に出会ってから、渇くことのない泉のように、神様に頼れば頼るほど、恵みがあふれてくる。。。その反対になるというのです。そうです、神様に背を向けては、真のいのちがなくなってしまうのです。

☆偶像礼拝には理由がある The Reason of Idol Worshipping

V5-9 5 彼らの母は姦淫をし、彼らをはらんで恥をさらし、そして言った。『私は恋人たちのあとを追う。彼らは私にパンと水、羊毛と麻、油と飲み物を与えてくれる』と。6 それゆえ、わたしは、いばらで彼女の道に垣を立て、彼女が通い路を見いださないように、石垣を立てよう。7 彼女は恋人たちのあとを追って行こう。しかし、彼らに追いつくことはない。彼らを捜し求めよう。しかし、見つけ出すことはない。彼女は言う。『私は行って、初めの夫に戻ろう。あの時は、今よりも私はしあわせだったから。』8 彼女に穀物と新しいぶどう酒と油とを与えた者、かた、バアルのために使った銀と金とを多く与えた者が、わたしであるのを、彼女は知らなかった。9 それゆえ、わたしは、その時になって、わたしの穀物を、その季節になって、わたしの新しいぶどう酒を取り戻し、また、彼女の裸をおおうためのわたしの羊毛と麻とをはぎ取ろう。

罪から離れられない最大の理由は、罪を愛していことです。罪は嫌わないとやめられません。母たち、イスラエルの民全体のこと。国。偶像礼拝には理由があります。それは、「彼らは私にパンと水、羊毛と麻、油と飲み物を与えてくれる」とあるとおりです。今、私が欲しいものをくれる。自分の思うとおりになることが、偶像礼拝の根っこです。偶像礼拝の反対は、では何でしょうか。そうです。信頼と信仰です。みなさん、気を付けてください。信頼と信仰がないところには神様はおられないです。今欲しいものが与えれないことを悲しみとするなら、それは偶像礼拝なのです。神は、バアルを通してでも物事を与えたのさえも真の神であるとおっしゃいます。それさえ、知らないのか。。。と。それが分からないものには、すべて新しい葡萄酒も取り戻すし、羊毛も麻も剥ぎ取り、恥をさらすと。

☆礼拝も取り上げられる Religion was taken away

V10-13 10 今、わたしは彼女の恥を、恋人たちの目の前にあばく。だれも彼女をわたしの手から救い出せる者はない。11 わたしは彼女のすべてを喜び、祭り、新月の祭り、安息日、すべての例祭を、やめさせる。12 それから、わたしは彼女が『これは私の恋人たちが払ってくれた報酬』と言っていた彼女のぶどうの木と、いちじくの木とを荒れすたらせ、これを林にして、野の獣にこれを食べさせる。13 わたしは、彼女がバアルに香をたき、耳輪や飾りを身につけて、恋人たちを慕って行き、わたしを忘れてバアルに仕えた日々に報いる。—主の御告げ—

二人の主人には仕えられません。しかし、当時のイスラエルの民は、教理も何も偶像とごっちゃにし、ユダヤの神を拝む体で、偶像礼拝をしていました。みなさん、これ、怖いと思いませんか。私は、真の神を信じているといいながら、実は、心の奥底では異なる神を拝んでいるとは。。。しかし、当時のようにバアルなどはっきりしているものと違って、今の教会に置き換えるなら、本当にはっとさせられます。私は、どなたを礼拝しているのか。。。

●再び主がイスラエルを追い求める v14-23 God pursues Israel again

☆主とのエンカウンター Encounter with God

14 それゆえ、見よ、わたしは彼女をくどいて荒野に連れて行き、優しく彼女に語ろう。15 わたしはその所を彼女のためにぶどう畑にし、アコルの谷を望みの門としよう。彼女が若かった日のように、彼女がエジプトの国から上って来たときのように、彼女はその所で答えよう。

主は、ご自身に背いているイスラエルに近づいてくどき、優しく語ってくれる。何ということでしょうか。顔に泥を塗られるようなことをされて、まだ、優しく説得してくれる神。私たちは、その神の声に気が付くようでありたいですね。そして、何も実を結ぶことも取り上げられていたところをブドウ畑にし、アコルの谷を希望の門、入り口とする。と。アコルの谷は、ヨシュア記でてきますが、昔、アイに攻め入ったときに、アカンが完全に聖絶せよという神の命令に背いて、欲がでて、自分のために金の延べ棒などを自分のぽっけにないないしました。そのことで、アカンは殺されました。その場所がアコルの谷です。そうです。アカンの心には偶像礼拝の心がありました。自己中心のあまり、神の声に従えませんでした。神に従っては戦うけど、自分のためにこれは取っておこうという心が偶像礼拝の心です。しかし、この箇所で、そのアコルの谷を希望の入って来る門にすると預言されているのです。二心のイスラエル、しかし、その二心さえも、それに気がつくことで変革とそれに伴う祝福が来るように、そこは、希望の入り口になると。。。そして、奴隷だったエジプトから救われてきた日のように、神に救われ、神に出会うだろうと。。。

☆主と契りMake a Covenant with God

16 その日、—主の御告げ—あなたはわたしを『私の夫』と呼び、もう、わたしを『私のバアル』とは呼ぶまい。
17 わたしはバアルたちの名を彼女の口から取り除く。その名はもう覚えられることはない。18 その日、わたしは彼らのために、野の獣、空の鳥、地をはうものと契約を結び、弓と剣と戦いを地から絶やし、彼らを安らかに休ませる。19 わたしはあなたと永遠の契りを結ぶ。正義と公義と、恵みとあわれみをもって、契りを結ぶ。
20 わたしは真実をもってあなたと契りを結ぶ。このとき、あなたは主を知ろう。

私たちも主に立ち変える時が、人生のうち、一度ではなく何度となくその時が訪れるものです。私はバアルの名をイスラエルの口から取り除く。と。その口は、主を告白するようになるからです。そして、契りを結ぶ。主と再び結ばれ、そして、主を深く知るようになる。私たちは、神と結ばれなければ、主を知ることはありません。こっちに足を突っ込み、あっちにも足を突っ込んでいる状態では、主を知ることはできないのです。信仰は、あるかないかであって、大きいか小さいかではありません。少しの信仰があったらいいのかな、ではなく、主以外のものによりたのんでいたら、信仰ではないので、信仰はないということになります。

☆アイデンティティの変革 The Transformation of Identity

21 その日、わたしは答える。—主の御告げ—わたしは天に答え、天は地に答える。
22 地は穀物と新しいぶどう酒と油に答え、それらはイズレエルに答える。
23 わたしは彼をわたしのために地にまき散らし、『愛されない者』を愛し、『わたしの民でない者』を、『あなたはわたしの民』と言う。彼は『あなたは私の神』と言おう」

名前が変わるということは、アイデンティティが変わるということです。イズレエルは、散らすものから集めるものとなり、愛されないものは、愛され、私の民ではない者は、あなたは私の民と変えられます。私たちは、心の中心に何を持っているかで、生き方が変わり、アイデンティティが変わります。二章の預言は、どのようにして名前が変わるのかというプロセスでしたが、簡単に言うと、偶像と手を切る。そして、優しく語り掛けてくれる神の声に耳をまず傾けるということです。

今日聖霊様が、私たちのうちに働いてくださり、私たちのうちに隠された偶像を明らかにしてくださいますように。これだけは私から取らないでという、神様よりも大事なものがあるならば、手放しましょう。そして、神の声が聞こえるようになりますように。。。神様に新たに出会うことができますように。
#ホセア #旧約聖書 #礼拝メッセージ

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