記憶
8月
8日
今年は色々節目の年。
昭和から数えると100年。
戦後80年。
日航ジャンボ機墜落から40年。
自分自身を考えれば、今年は父を失った。
父の葬儀のため写真を探していたら、中学生の時の親戚一同で行った旅行の写真が出てきた。
写真をよく見てみたら、未だ生きているのは私と私の妹だけで、両親含め写っている祖父祖母含め伯父、伯母、みな幽明境を異にする世界にいる。
この頃から戦後という言葉は飛び交っていたけど、この祖母や伯父たちのお陰で戦争は身近に感じられたものだ。
父が幼かった頃、佐野の駅前で空襲による機銃掃射があり、近くにいた人が撃たれたことなど聞いた。
また佐野の実家は権力者で、陸軍の中尉クラスの宿泊所としても使われていたとか。
確か二階堂中尉・・・と言っていたか、記憶が定かではないが。
父はその戦車に乗せてもらったことがあると言って自慢していたっけ。
祖母と伯母は「いざ来いニミッツ、マッカーサー」と歌を口ずさんでいたこともある。
てっきり手まり唄かと思ってたが、当時の日本のプロパガンダの唄だったのだと今頃知った。
伯父の本棚にはレイテ戦記やその他戦争物の本がぎっしり並べられ、よく読んでいた。
祖父は満州からの二等帰還兵。
伯母は学徒動員で働き、伯父は戦争が長引いたら予科練に入る寸前だったとか。
第二次大戦を全く知らない私だけど、身近にその最中を生きた人たちがいて、昔の話だけどそんなに昔でもない感覚だったのだ。
ちなみに祖母は関東大震災を経験している。
9月1日の夜、東京方面の空が赤く染まっていた、と幼い私に教えてくれたっけ。
私から後の世代は、戦争の生々しさは判らないかもしれない。
まさに戦後の時代。
今は時代の区切りでも「戦後」とは言わないよな。
それでも忘れないため、祖母や父から聞いた言葉は、子や孫に語って行きたいと思う。
その積み重ねが歴史なんだろう。