思うことなど・・・
来月の大ホールでの舞台に、私は出ないつもりでいた。
いつも相対でレッスンをやっているから、左右が全部逆になってしまい、私が一番間違えるだろうと思ったこと。
照明や音響が入る本格的なステージで、生徒みんなに何か起きたとき、すぐに対処できるよう裏方に徹したほうが良いと思えたこと。
本当はみんなが主役なのに、いい歳をした私がシャシャリでるのが憚られたこと。
この3点でみんなと一緒に舞台に立つのはやめようと思ったのだ。
でも今日親御さんから言われた言葉が胸に突き刺さった。
「いつもは一緒に踊ってくれるのに、なんで今度は踊ってくれないんだろう。障害者と一緒は嫌なんじゃないか。そうみんなと話したんですよ」、と。
そんなこと思うはず無いじゃないか。
そんなこと思うなら8年もボランティアなどしていない。
大事な舞台だから、私も真剣に考えた末のこと。
一緒に出てほしいと熱望されれば、そこはやはり考え直す他無い。
一緒に踊りたい、というみんなの気持ちは私だって嬉しいよ。
だから結論は「出る」。
頑張るしかないな(笑)
誰にも期待されていない。
そんな日々を送る。
でも、それが気になるってことは、裏を返せば期待されたい、ということなんだろうか。
ついイライラしてしまうことがあるけど、そのイライラの原因は【羨ましい】に他ならないと最近気づいた。
何かのことに対して権限があったり、何かを始めたり、何かを常に開拓している人、そんな人たちをこき下ろしながらも羨んでる自分。
全く小さいよなー、ホント。
でも誰にも期待されてない、ってことは、それだけ自由だということ。
何をしたところで、賞賛も無ければ批判も無い。
ならば、思うが侭に行ってみればいいか。
ただし、心を込めて。
そこに妥協をしては絶対いけないんだと、身体の奥底にいる小さな自分が呟くのだ。
今、復興支援イベントに向けて着々と準備を進めている。
大手メディアの後援も取れた。
あとはただひたすら邁進するだけ・・・
と思ったのだけど、これは私じゃなくて他の人がやるほうがいい、と言う人が増える気がした。
私じゃなくて、もっと相応しい人。
その人が動けば、数百人は動かせるであろう人。
そんなことを考えたら、私は準備だけ整え、その人たちに全部譲る方が世の中のためなのかな、とも思う。
ボランティアは結局自己犠牲の上に成り立つものだから、他の人に花を持たせてやるのが筋じゃないかと。
私は、純粋に被災地の方々に心を寄せていこう。
イベントのトップなんて誰だって構わない。
誰かが笑顔になれることに、力を注がなければ。
あと一つ・・・
愚痴だけど(笑)
私の一挙手一投足、誰かに話した言葉がそのまま誰かへ伝わっていること。
噂話のネタですか?w
最近いろいろ落ち込むことがあって、何て自分は駄目人間なんだろう、と悩んでいた。
まるで仲間外れにされてるが如く、私だけ何にも知らなくて・・・。
身近にいる人のことなのに、それを遠くの友人から聞かされたり・・・。
群れていたくて、輪に入りたくて、悶え苦しむ日々。
他人から嫌われないためにはどうしたらいいか、頭を抱え行動を直そうとした。
・・・がしかし、ふと思った。
そんなことで悶々と考える姿は滑稽だな、と。
そんなことで悩む人間に魅力はない。
誰かがこうありたいと願う人物。
即ちメンター。
出来れば、そんな人格を目指して行こうではないか。
群れなくても、カッコ良い、と思える人に。
切り替えるぞ!
本当に苦しいのはこれからで
でも本当のスタートもこれからで
振り返れば小さな自分ではあるけれど
もっと自信を持とうよ、堂々と
今生きている
それだけで素晴らしい
父親がまたもやいろいろな物を捨て始めた。
今日外に放り投げてあったのは、母が使っていたヴィトンのバッグ。
中は母の手帳やらハンカチ、診察券などなど、生前使っていたときそのままの状態だった。
捨てておくに忍びなく、拾ってまたそっと納戸の中へ入れておいた。
母が亡くなってから、父はありとあらゆるものを捨て、母の物はもうほとんど無い。
私のへその緒でさえ、父は捨ててしまった。
この夏には、買ったばかりの仏壇さえ玄関に放り投げてあり、その悲惨な有様に涙したのだった。
父にとってこれは断捨離なんだろう。
執着を捨て、シンプルに生きること・・・。
津波で流されたわけじゃないのに、思い出のほとんどを捨てられた私は「断捨離」という言葉が嫌いになった。
捨てることに美意識を見出すなら、いつかは死んでしまうのだから、今生きてる価値さえないような気がする。
そう思えば、「自殺」さえ断捨離になる。
父の家に新たに増えたのは、愛人の物。
襖の桟にかかっている彼女の洋服と、外に放り投げられた母のバッグを見て、吐き気がするくらいの憎悪に見舞われた私は、人間失格なのである。
なるべく楽しい言葉を使っていこう。
大変なときこそ、笑っていたい。
ゲラゲラ笑って嫌なことを忘れ、また明日も頑張るんだ、って気持ちになるんだ。
さ、明るい気分で次の曲を考えるぞ!
あるコンテストのDVDを最後まで見てみた。
審査結果に照らし合わせると、ふ~んって感じ。
復興とか、「がんばろう日本」系は、審査では敬遠されるんだな。
あざといからか??
入賞するために謳ってるとでも思ってるのだろうか。
涙ながらに喜んでくれる人もいるが、明らかに眉をひそめる人もいる。
毀誉褒貶・・・・・
全くそれが日本らしい。
ま、健全ってとこか。
それでも私は進むんだもんねー。
大好きな金子由香利さんのシャンソン。
今日もまた、金子由香利さんの歌から勇気をもらった。
大好きな、大好きな「O Toi La Vie(おお我が人生)」
O Toi La Vie 真心こめ
愛し合える恋人もなくて
ただ過ぎていく日を
悲しみこめて 見送るだけ
O Toi La Vie もし明日も
暗い朝が訪れたときは
ただ寂しいその日を
苦しくても耐えていこう
いつの日か 小さくても
薫り高く素晴らしい夢を
いつの日か 見つけたときは
この両手に しっかり抱いて
La Vie 雨の朝も
嵐の夜も
命の限り
もし苦しいときは 青く晴れた空を想い
耐えていこう それが人生
La Vie La Vie
原文の作詞・歌はシャルル・アズナブール
私にとって人生の応援歌です。
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