誰にも期待されていない。
そんな日々を送る。
でも、それが気になるってことは、裏を返せば期待されたい、ということなんだろうか。
ついイライラしてしまうことがあるけど、そのイライラの原因は【羨ましい】に他ならないと最近気づいた。
何かのことに対して権限があったり、何かを始めたり、何かを常に開拓している人、そんな人たちをこき下ろしながらも羨んでる自分。
全く小さいよなー、ホント。
でも誰にも期待されてない、ってことは、それだけ自由だということ。
何をしたところで、賞賛も無ければ批判も無い。
ならば、思うが侭に行ってみればいいか。
ただし、心を込めて。
そこに妥協をしては絶対いけないんだと、身体の奥底にいる小さな自分が呟くのだ。
今、復興支援イベントに向けて着々と準備を進めている。
大手メディアの後援も取れた。
あとはただひたすら邁進するだけ・・・
と思ったのだけど、これは私じゃなくて他の人がやるほうがいい、と言う人が増える気がした。
私じゃなくて、もっと相応しい人。
その人が動けば、数百人は動かせるであろう人。
そんなことを考えたら、私は準備だけ整え、その人たちに全部譲る方が世の中のためなのかな、とも思う。
ボランティアは結局自己犠牲の上に成り立つものだから、他の人に花を持たせてやるのが筋じゃないかと。
私は、純粋に被災地の方々に心を寄せていこう。
イベントのトップなんて誰だって構わない。
誰かが笑顔になれることに、力を注がなければ。
あと一つ・・・
愚痴だけど(笑)
私の一挙手一投足、誰かに話した言葉がそのまま誰かへ伝わっていること。
噂話のネタですか?w
最近いろいろ落ち込むことがあって、何て自分は駄目人間なんだろう、と悩んでいた。
まるで仲間外れにされてるが如く、私だけ何にも知らなくて・・・。
身近にいる人のことなのに、それを遠くの友人から聞かされたり・・・。
群れていたくて、輪に入りたくて、悶え苦しむ日々。
他人から嫌われないためにはどうしたらいいか、頭を抱え行動を直そうとした。
・・・がしかし、ふと思った。
そんなことで悶々と考える姿は滑稽だな、と。
そんなことで悩む人間に魅力はない。
誰かがこうありたいと願う人物。
即ちメンター。
出来れば、そんな人格を目指して行こうではないか。
群れなくても、カッコ良い、と思える人に。
切り替えるぞ!
本当に苦しいのはこれからで
でも本当のスタートもこれからで
振り返れば小さな自分ではあるけれど
もっと自信を持とうよ、堂々と
今生きている
それだけで素晴らしい
父親がまたもやいろいろな物を捨て始めた。
今日外に放り投げてあったのは、母が使っていたヴィトンのバッグ。
中は母の手帳やらハンカチ、診察券などなど、生前使っていたときそのままの状態だった。
捨てておくに忍びなく、拾ってまたそっと納戸の中へ入れておいた。
母が亡くなってから、父はありとあらゆるものを捨て、母の物はもうほとんど無い。
私のへその緒でさえ、父は捨ててしまった。
この夏には、買ったばかりの仏壇さえ玄関に放り投げてあり、その悲惨な有様に涙したのだった。
父にとってこれは断捨離なんだろう。
執着を捨て、シンプルに生きること・・・。
津波で流されたわけじゃないのに、思い出のほとんどを捨てられた私は「断捨離」という言葉が嫌いになった。
捨てることに美意識を見出すなら、いつかは死んでしまうのだから、今生きてる価値さえないような気がする。
そう思えば、「自殺」さえ断捨離になる。
父の家に新たに増えたのは、愛人の物。
襖の桟にかかっている彼女の洋服と、外に放り投げられた母のバッグを見て、吐き気がするくらいの憎悪に見舞われた私は、人間失格なのである。
なるべく楽しい言葉を使っていこう。
大変なときこそ、笑っていたい。
ゲラゲラ笑って嫌なことを忘れ、また明日も頑張るんだ、って気持ちになるんだ。
さ、明るい気分で次の曲を考えるぞ!
あるコンテストのDVDを最後まで見てみた。
審査結果に照らし合わせると、ふ~んって感じ。
復興とか、「がんばろう日本」系は、審査では敬遠されるんだな。
あざといからか??
入賞するために謳ってるとでも思ってるのだろうか。
涙ながらに喜んでくれる人もいるが、明らかに眉をひそめる人もいる。
毀誉褒貶・・・・・
全くそれが日本らしい。
ま、健全ってとこか。
それでも私は進むんだもんねー。
大好きな金子由香利さんのシャンソン。
今日もまた、金子由香利さんの歌から勇気をもらった。
大好きな、大好きな「O Toi La Vie(おお我が人生)」
O Toi La Vie 真心こめ
愛し合える恋人もなくて
ただ過ぎていく日を
悲しみこめて 見送るだけ
O Toi La Vie もし明日も
暗い朝が訪れたときは
ただ寂しいその日を
苦しくても耐えていこう
いつの日か 小さくても
薫り高く素晴らしい夢を
いつの日か 見つけたときは
この両手に しっかり抱いて
La Vie 雨の朝も
嵐の夜も
命の限り
もし苦しいときは 青く晴れた空を想い
耐えていこう それが人生
La Vie La Vie
原文の作詞・歌はシャルル・アズナブール
私にとって人生の応援歌です。
いつもあると思っていたことが、これからもあると限らない。
人も世の中も常に変わっていくものだ。
大切なのは、変わるたびに良くなることを選ぶこと。
選ぶ責任は全て自分自身にある。
誰も恨むことなく、誰のせいにもしないで選ぶことが出来たら、結果はどうであれ後悔しない選択となるだろう。
他人の思惑、自分の思惑、その「思惑」が入るだけで、選択は誤る。
全てを自分に帰結させる決意。
それだけでいいのだ。
年々歳々 花相似たり
年々歳々 人同じからず
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