父親がまたもやいろいろな物を捨て始めた。
今日外に放り投げてあったのは、母が使っていたヴィトンのバッグ。
中は母の手帳やらハンカチ、診察券などなど、生前使っていたときそのままの状態だった。
捨てておくに忍びなく、拾ってまたそっと納戸の中へ入れておいた。
母が亡くなってから、父はありとあらゆるものを捨て、母の物はもうほとんど無い。
私のへその緒でさえ、父は捨ててしまった。
この夏には、買ったばかりの仏壇さえ玄関に放り投げてあり、その悲惨な有様に涙したのだった。
父にとってこれは断捨離なんだろう。
執着を捨て、シンプルに生きること・・・。
津波で流されたわけじゃないのに、思い出のほとんどを捨てられた私は「断捨離」という言葉が嫌いになった。
捨てることに美意識を見出すなら、いつかは死んでしまうのだから、今生きてる価値さえないような気がする。
そう思えば、「自殺」さえ断捨離になる。
父の家に新たに増えたのは、愛人の物。
襖の桟にかかっている彼女の洋服と、外に放り投げられた母のバッグを見て、吐き気がするくらいの憎悪に見舞われた私は、人間失格なのである。
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