2020年6月28日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ
VIDEO
マタイMatt. 14:22-33
それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗り込ませて、自分より先に向こう岸へ行かせ、その間に群集を帰してしまわれた。23 群集を帰したあとで、祈るために、ひとりで山に登られた。夕方になったが、まだそこに、ひとりでおられた。24 しかし、舟は、陸からもう何キロメートルも離れていたが、風が向かい風なので、波に悩まされていた。25 すると、夜中の三時ごろ、イエスは湖の上を歩いて、彼らのところに行かれた。26 弟子たちは、イエスが湖の上を歩いておられるのを見て、「あれは幽霊だ」と言って、おびえてしまい、恐ろしさのあまり、叫び声を上げた。27 しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ、恐れることはない」と言われた。28 すると、ペテロが答えて言った。「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」29 イエスは「来なさい」と言われた。そこで、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほうに行った。30 ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫び出し、「主よ、助けてください」と言った。31 そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」32 そして、ふたりが舟に乗り移ると、風がやんだ。33 そこで、舟の中にいた者たちは、イエスを拝んで「確かにあなたは神の子です」と言った。
★神のやり方、人のやり方 God’s Way & Man’s Way
イエス様は、大きな奇跡をなされた後、人々が自分を自分たちのために利用して担ぎあげて、人間的なメシアに仕立て上げようとするのを見て、ひとり寂しいところに祈りに行かれました。イエス様には、政治的なことを変える力ももちろんありますし、様々な能力もあり、人々を奇跡を通して自分の方向に扇動し続けることだってお出来になりましたが、その人気を捨てて、一人祈り、十字架の業、みじめな方向、神様のやり方に集中されることを選ばれました。
(神の国に集中するならば、一人のリーダーを持ち上げるべきではない。もし、持ち上げるならば間違ってしまう。。。。)
“人”すなわち、神に用いられている人、器、に焦点が当てられてた結果、イエス様は神のもとに身を避けた。
★舟の中 In the Boat
一方弟子たちは、しいて舟に乗らされ、自分たちだけで向こう岸に行くことになりました。
弟子たちは、どんな気持ちだったのでしょうか。見たこともない群衆が自分たちの先生に会いに、五千人以上も集まって、そして、あんなにすごい奇跡を見て興奮冷めやらなかったに違いありません。また、このすごい先生の側近であることに誇り高く、鼻高々であったことでしょう。ダビデもそうでしたが、勝利を経験した後は、気持ちが高揚するし、自己過信をするものです。もっとも、弟子たちの場合は、自分がしたことではなく、自分の先生がしたことでしたが。。。
★嵐 Storm
そんな中、逆風のため、普段は楽々進んで行けるところを、こぎあぐねていました。ペテロのように元漁師たちも弟子の中にはいました。しかし、どうもできなかったのです。
これは、本当に皮肉でもありますが、神の憐れみによるお計らいのように感じます。
私達も、このようなことを経験することがあります。
人生の中で、神を信じているし、神にも用いられて、祝福の道を歩んでいるように感じるが、一方で、こぎあぐねているような時。私たちは、いち早く、それを悪魔のせいにしたりしやすいものですし、周りの人のせいにしやすいものです。
神に完全に服従して、神の御働きをしたイエス様の業を見て、その側近であることで紅葉し、高慢になり、自分たちに焦点が当たっていた弟子たちは、慣れた水の上でこぎあぐねていたのです。
★私だ I am. エゴー・エイミEgo eimi
In the fourth watch of the night: This was somewhere between 3 a.m. and 6 a.m.
そんな中、人影が見えました。弟子たちは、幽霊だと思って恐れました。
これが、先ほど言ったように、彼らがいかに、自分の力に頼り、自己過信し、高慢であったかを示しているのではないでしょうか。
恐れは信仰の反対。ですが、信仰と同じ力を持つています。
自分の力によりたのんでいると、恐れが伴います。というのは。自分の力には限界があるからです。
すると、声が聞こえました。
V27 しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ、恐れることはない」と言われた。But Jesus immediately said to them: “Take courage! It is I. Don’t be afraid.”
モーセが、召された時に、私は何者でしょう。。。人々が神について聞いてきたら、なんと答えましょう?というと、神様はご自分のことを、「I am」と答えられました。
説明する必要のない、有って在る方、それが神。全ての力、権威を持ち、全てを成し、治めることのできる方。ご自分自身で。です。
弟子たちは、自分たち、また器、人としてのイエス様に頼っている時、行き詰まりました。が、イエス様が嵐の中で現れ、エゴー・エイミと言われました。
★お言葉をください Give me your Word!
ペテロは、プロフェットギフトでもあり、すぐにデザインを見抜き、行動が早い者で、イエス様に即お願いします。もしあなたでしたら、私に命じてください。と。
ペテロが理解していたのは、
イエス様が自分の力の源であること。
イエス様に頼るなら、どんなことでもできること。
しかし、それには、主である、イエス様の御心が無ければならないこと。
それで、み言葉をお願いしたのです。
イエス様は、ゴーサインを与えました。来なさい。と言われます。
するとどうでしょうか。ペテロは水の上をイエス様のように歩いたのです。
★恐れ Fear
そして、ペテロは波を見て、恐れた瞬間に沈み始めました。
V30,31「主よ、助けてください」と言った。31 そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」, “Lord, save me!”31 Immediately Jesus reached out his hand and caught him. “You of little faith,” he said, “why did you doubt?”
ペテロがイエス様だけを見ていた時は、沈みませんでした。しかし、波を見た途端沈み始めました。イエス様は、それを見て信仰が薄いと言われました。
すなわち、私たちの信仰というのは、イエス様に焦点を合わせることに終始するということです。
イエス様意外に焦点をすえるならば、私たちは、恐れの中に落ちます。なぜなら、私たちは瞬時に自分の力に頼ろうとしてしまうからです。
★今日のメッセージ Message for you
イエス様がご自身で模範を示されていますように、
人々が、奇跡のできる人間イエス・キリストに注目を集める時に、イエス様は、父なる神様と父なる神の目的、十字架のみじめな死を遂げることに集中しました。
ペテロは、エゴー・エイミなる、有って在られる、全ての力の源である神、イエス様に焦点を合わせる時に、水の上さえ歩くことが出来たのです。
しかし、波を見、自分の力に集中すると沈みました。
あなたの目は、どこに向いていますか。すなわち、あなたの信仰はどこに向いていますか。自分の能力、または能力の足りなさですか?
それとも、神の下さった計画でしょうか。神の下さった目的でしょうか。
それとも、あなたを賞賛する人でしょうか。あなたを攻撃する人でしょうか。
あなたを水の上を歩かせてくださることのできる神でしょうか。それとも、嵐でしょうか。
今日、あなたの存在の目的がはっきりと示されますように。
また、あなたの目が神のみに向けられますように。。。
今日は、シェルターの卒業式です。
私達のシェルターは、薬物、アルコール中毒でホームレスになった人、ホームレスで医療の必要のある人、それから、DVの被害者で行くところがない人たちのリカバリー施設です。
四つのフェイズに分かれていて、三カ月ごとにフェイズアップして卒業します。卒業式は三カ月ごとにあります。
今回も、私の観ている患者さんたちが複数卒業する感慨深い卒業式となりそうです。
コロナの影響で、いろいろな不便を経験しましたが、
よくここまでやりました。
一年前と比べると、もしかして私よりもメンタルヘルスいけてるんではないかというくらいに成長しました。
人が変わるのを見るのは本当に幸せなことです。
よく頑張ったなーーーほんに。
誇りに思います。
写真は載せれないのですが、
今晩の卒業式、インターネットとドライブスルーレセプションのためにお祈りください。
感謝だなーー今日は。。。。
聖書の中の有名な場面。イエス様が井戸のそばで、サマリヤの女に、水を求められる場面です。さて、どんな内容なんでしょうかー?
2020年6月21日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ
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ヨハネJohn 4: 3-10
主はユダヤを去って、またガリラヤへ行かれた。4 しかし、サマリヤを通って行かなければならなかった。5 それで主は、ヤコブがその子ヨセフに与えた地所に近いスカルというサマリヤの町に来られた。6 そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅の疲れで、井戸のかたわらに腰をおろしておられた。時は第六時ごろであった。7 ひとりのサマリヤの女が水をくみに来た。イエスは「わたしに水を飲ませてください」と言われた。8 弟子たちは食物を買いに、町へ出かけていた。9 そこで、そのサマリヤの女は言った。「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリヤの女の私に、飲み水をお求めになるのですか。」―ユダヤ人はサマリヤ人とつきあいをしなかったからである。―10 イエスは答えて言われた。「もしあなたが神の賜物を知り、また、あなたに水を飲ませてくれという者がだれであるかを知っていたなら、あなたのほうでその人を求めたことでしょう。そしてその人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。」
★バウンダリーを越える Go outside your boundary
V4 サマリヤを通って行かなければならなかった。He had to go through Samaria
ユダヤからがりややに行くには、普段は、サマリヤを通らずに、ヨルダン川の東の道を通るのが当たり前でした。しかし、今回は、サマリヤを通っていかなければならなかったとあります。サマリヤに行くことは、ユダヤ人にとっては特別な事なのです。また、決して安全なことではありませんでした。なぜなら、ユダヤ人とサマリヤ人は犬猿の中でしたから。襲われたり、嫌な言葉をかけられる可能性があります。
そうです、イエス様は、そんなリスクを冒してまでこのサマリヤの女に会うためにサマリヤに行かれたのです。
私達は、誰かに出会うためには、待っているのではなく、こちらから出かけて行くのです。マタイの28章にあるように、出て行って全世界に福音を宣べ伝えよという大宣教命令というみ言葉がありますが、伝える人が出て行くのです。伝える人は待っていないのです。
伝える人は、何がしらの障壁を越えなければならないのです。
イエス様は、ユダヤ人は通らない、サマリヤにわざわざ出かけていく、ということをされました。
私達は、不思議に思うのです、イエス様は、神でありますし、王の王です。私たちの方から出向くのなら分かりますが、イエス様は、ご自分からこの世に下ってきてくださいました。
また私を見つけに、探してくれました。
あなたも、誰かに見つけられたのではないでしょうか?
たまにはいらっしゃいますが、ほとんどの人は、生まれてからイエス様、イエス様とイエス様を探してきたというよりも、イエス様を知っている誰かに見つけられたのではないでしょうか。ある人は、断食の祈りを通して、ある人は、何年もかけて世話をしてくれたり、ある人は遠い外国から私を捜しに来てくれました。さまざまな犠牲を払って私は見つけられました。
★弱さを通して ---- 水を一杯くれませんか。V7 Through humanly weakness—give me water
そんなイエス様は、お昼頃、井戸のそばに座っていました。きっとお疲れだったことでしょう。
すると、サマリヤの女が水を汲みに来ました。すると、またまた、イエス様、普通だったらしないことをされました。
1. ユダヤ人がサマリヤ人に話しかける A Jew speaks to a Samaritan
2. 男が女に話しかける A Male talks to a female in person
3. 第六時に水を汲みに来るようないわくつきの女に話しかける Have a conversation with an immoral woman.
◎弱さ/個人的な必要を通して Vulnerability
4. 水をくれませんか
「安全な人」、聖書の教えと心理学の視点から書かれた本に、安全な人とは、私達をいつも世話をされるべき人であると、自分の下に置き、私たちに何も貢献させない人ではなく、私達にも、持ち場を与えてくれる人であるとあります。
イエス様は、この箇所に書いてあるように、お疲れでした。時間は、真昼。暑かったに違いありません。奇跡もできるお方ですが、汲むものが無くても、水だって汲める能力のある方です、がそうされません。いつもイエス様の奇跡は、父なる神の栄光を表すためでありました。自分の私利私欲のためにはその能力は用いられませんでした。
イエス様は、むしろ、奇跡を起こす能力ではなく、弱さを伝道に用いられました。
自分の肉体の弱さ、渇き、必要を女性にうったえたのです。
イエス様は、私たち人間の弱さにまで自分の目線を下げて、合わせて話して下さった。
◎人と人との繋がりができた Connection made ヨハネJohn 4: 10-19
◇ 女性は渇いていました。身も心もからから。A woman was thirsty in her soul and spirit.
◇ 10 イエスは答えて言われた。「もしあなたが神の賜物を知り、また、あなたに水を飲ませてくれという者がだれであるかを知っていたなら、あなたのほうでその人を求めたことでしょう。そしてその人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。」Jesus answered and said to her, “If you knew the gift of God, and who it is who says to you, ‘Give Me a drink,’ you would have asked Him, and He would have given you living water.”
◇ イエス様は、実は、女性の渇きに共感していらっしゃったのではないでしょうか。
水の話しをするうちに、この女性の心に希望が生まれてきました。希望は、まさに、先のことを望むことです。その水が欲しい、という希望が出てきました。
-- まるで、このようにも読み取れます。私ものど、肉体が今が渇いています。あなたも魂が渇いていますね、あなたがくめる水をください。私は、私しかくめない命の水をあげられます。
◎その水を私にください。Give me this water!
この女性は、その後救われ、サマリヤの町にリバイバルを起こす伝道者となりました。ユダヤ人が通ることのない町、ユダヤ人が関わることのない民族が住む町にリバイバルが起きたのです。なんという奇跡でしょうか。
★まとめ
あなたは、自分の弱さを知っていますか?
あなたは、自分の必要が何であるか分かっていますか? 自分の必要を知っているということは、大きな成長を産みます。
あなたの、弱さは、もしかしたら、神様が用いられるとき、強さよりも力があるのかもしれません。。。。
私達も周りに、お世話をするべき人や、イエス様のことを伝えたい人がいると思います。イエス様の言葉は、上から目線で、こうするのですと教えるよりも、むしろ、下から、自分の弱さからアプローチした方が伝わるのかもしれません。
◎互いに影響を受ける Influence each other
私達は互いに影響を受け合って、あげたり受けたりして、人間関係ができます。そして、その中でイエス様が伝わっていくのです。
◎宣教師を思い出す Missionaries
宣教師たちの働きは、本当に弱さを通してです。なぜ、言葉もたどたどしい人たちが神に大きく用いられるのでしょうか。宣教師たちは、現地の人たちの助けなしでは生きて行けません。彼らが文化を教えてくれたり、食べ物のレシピ、病気の対処の仕方、様々なことを宣教師たちに教えてくれて、宣教師たちはイエス様の愛をその人となりと、生活ぶりを通して伝えます。
言葉や文化が違うから伝わりにくいことも多いですが、不思議に伝わり神の働きが進んでいくのです。そのようにして、日本にもイエス様のメッセージが届いたのです。
今週、弱さを恐れずに、むしろそれをさらけ出して、人と接していきましょう。あなたを通して、神の愛が伝わるはずです。
みなさん、お元気でしょうか。
最近、シアトルもコロナのやつは、規制がだんだん緩和されています。
そろそろ、少人数で集まるかーーーと。。。
集まり始めてます。
で、私もまた違った忙しさになり。
ブログをアップするのが。。。。。最近疲れてますーーー
やー、二か月位毎日上げましたけど、もう無理です。
あきらめまーす。
またぼちぼちやりますので、よろしくお願いしますーーー
感謝のヒント
感謝は心理学のリサーチでも、私たちの脳内から私たちを幸福にするホルモンが出ることが広く知られています。
また、慢性的な身体の痛みを持つ人の生活の質が上がることが分かっています。
感謝することはいいことばかりのようです。
でも、どんなことについて感謝したらいいか、
急にあげてみようと思っても分からないかもしれません。
そんなとき、これを参考にしてみてください。
1 私が感謝する、わたしの長所は
2 お金で買えないもので私が感謝していることは
3 私が感謝する、私を慰めてくれるものは
4 私が感謝してる、笑わせてくれものは
5 私が感謝する、自然の中のものは
6 私の感謝する、過去の出来事は
7 私の感謝する、変化は
8 私の感謝する、難しいことは
9 私の感謝する、興味深いことは
10 私の感謝する、美しいものは
どうぞ、後ろに何か思いつくものを当てはめてみてくださいね!
今日も幸せな気持ちで1日をお過ごしください。
あなたは一度しか生きられない。もし、ちゃんとやるなら一回で十分だ。
私は、クリスチャンですので、輪廻転生は信じてなくて、
地上に生きる人生は一度きり、また、人は、一人一人大切に目的をもって造られているということを信じています。
そして、私は二十歳でクリスチャンになったのですが、
クリスチャンになってみて、生き方が変わりました。
それは、自分の生き方を大切にするようになったことです。
それまでは、傷ついていたこともありますし、
自暴自棄、どうにでもなれ、
どうせ私なんて貧乏人の子で成功なんてしない。
こんな会社に勤めててもいいことなんてなにもない。
一生こうやって、何となく生きていくんだ。つまらない人生だ。。。。
なんて思っていました。
クリスチャンになってからは、一日一日を大切に、丁寧に生きるようになりました。
毎日、神様の言葉に心が帰られて、日々目的をもって生きるように変わりました。
失敗することも多かったです。若かったですし。
また、自分の心の傷で物事が曲がって見えてたこともありますしね。
でも、長い間、クリスチャンとして生きてみて、
分かったことがあります。
あ、あと、心理学を学んで分かったことも。。
それは、やり直しはいつでもきくということです。
人生は一度きり、そして、失敗したら、またやり直したらいい。
ということが分かりました。
失敗を恐れることよりも、何も習わないことが恐ろしいと思うようになりまた。
この写真の、ちゃんとすれば、正しく生きれば、というのは、
失敗しても、やり直していくことだと思います。
どんなに傷ついた人でも必ず癒しがあるように、
私達の生き方だって、必ず改善されます。
今日も新しい気持ちで、生きて行こうと思います。
一度きりの人生だから、大切に丁寧に生きて行きます。
本当に、気ままに書きます。。。
ランダムな投稿です。。。
人間関係って難しいですよね。
でも、面白いですよね。
私も、もう年ですし、
人に好かれようなんて思って生きてない。
若いころは、人に好かれることも大事なことだったですけど。
あと、友達の多さも関係ない。
関係の質が一番大切です。
もちろん毎日、違った人たちと接して、いろんな人間関係の作り上げ方をする人たちに囲まれて、
ふーーん、そうするんだ。。。。
ほーーーなんで、いつも物事を決めてから、私に相談するんだろ。
とか、
なんで、この人は、いつも目が合わないんだろう。
目が合う時は、決まって誰かの悪口を言う時だな。
とか、
どうして、いつも論題とちょっとずらして話しを勧めてようとするんだろう。
とか、とか。。。
もともとそういう風に人間観察が好きな方でしたが、
今は、もしかして、人に好かれることがどうでもいいから、
もっとしているかも。。。。
あと、自分が人に圧倒されるとき、また、なんか裏切られたと感じる時なんかも、敏感に気が付くようになりました。
年取ってきたせいかなーー
それとも自分を守るという意味が分かってきたからかなー
みなさん、今日も、気楽にのーーびのび行きましょう。
いろいろありますし
いろんな人に囲まれてますが、
全てが益となりますように!
あなたは、あなたがすることにより認識され、あなたがするする言う言葉によらない。
カール・ユング
人は、親切な言葉や、丁寧に話すことはいくらでもできるし、
賢いことだって、知識にあふれた言葉だってたくさん話せる。
しかし、その人の行動がコンスタントに示すメッセージが人にインパクトを与え、人に印象を与えます。
また、人の行動がいつも肯定的なものであっても、その人と知り合いになり、話しをしてみてがっかりすることもあります。
人の目にいいことはしているけど、心が伴ってない場合。。。
自分の行いが、何を示しているか。。。
先週、患者さんの一人から、あなただけは私を信じてくれている、愛してくれている、あなたの愛は一年以上たった今でも変わらない。はじめて会ったあの日からずっと同じだ。と、施設の礼拝の中で、感謝の言葉として話してくれました。たくさんの拍手を受けて、涙してしまいました。
私は、必死で、彼らの癒しのために働いているだけなんですが、思いもよらず、その姿勢がみなの目に留まっていたのでした。
私は、決して善人でもないし、聖人でもありません。
人の癒しに関して、全力でやってますが、
他の面で足りないところだらけです。
心の想いは、行動に現れます。
私の信じている神様が私の行動を通して、一貫して現れてくださるようにと祈るばかりです。
聖書に、行いと信じていることについて下記のような言葉がありますので、シェアいたします。
わたしの兄弟たち、自分は信仰を持っていると言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。そのような信仰が、彼を救うことができるでしょうか。
もし、兄弟あるいは姉妹が、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとき、
あなたがたのだれかが、彼らに、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹するまで食べなさい」と言うだけで、体に必要なものを何一つ与えないなら、何の役に立つでしょう。
信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。
しかし、「あなたには信仰があり、わたしには行いがある」と言う人がいるかもしれません。行いの伴わないあなたの信仰を見せなさい。そうすれば、わたしは行いによって、自分の信仰を見せましょう。
あなたは「神は唯一だ」と信じている。結構なことだ。悪霊どももそう信じて、おののいています。
ああ、愚かな者よ、行いの伴わない信仰が役に立たない、ということを知りたいのか。
神がわたしたちの父アブラハムを義とされたのは、息子のイサクを祭壇の上に献げるという行いによってではなかったですか。
アブラハムの信仰がその行いと共に働き、信仰が行いによって完成されたことが、これで分かるでしょう。
「アブラハムは神を信じた。それが彼の義と認められた」という聖書の言葉が実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。
これであなたがたも分かるように、人は行いによって義とされるのであって、信仰だけによるのではありません。
同様に、娼婦ラハブも、あの使いの者たちを家に迎え入れ、別の道から送り出してやるという行いによって、義とされたではありませんか。
魂のない肉体が死んだものであるように、行いを伴わない信仰は死んだものです。
聖書 ヤコブの手紙 2:14-26
九章、安全な人間関係とは?
安全な人間関係の三つの要素:
1 あなたを神様に近づけてくれる
2 あなたを他者に近づけてくれる
3 私たちを、真の人になることを助けてくれる
安全な人とはどんな人でしょうか。
ありのままの私を受け入れてくれる人
私の有り様、私のすることに関わらず私を愛してくれる人
私が人を愛する能力と物事に責任感を持つことができるように影響を与えてくれる人
私の内面に愛とよい働きを作ってくれる人
私に成長する機会を与えてくれる人
私のうちに愛を増やしてくれる人
その人の周りでは自由な自分でいれる
他者と神のために自分を否定することをさせてくれる人
神が私を見てくださっている自分になれるように助けてくれる人
キリストに似たものとなるように助けてくれる人
他者をさらに愛することが出来るように助けてくれる人
このような資質はイエス様の中に見られます
1、ともに住む…私たちと繋がる能力がある、私達とともに今ここにいる
2、恵み…いつも私たちの側についてくれる
3、真実…正直さ、愛を持って間違いを正してくれる、真摯に向き合ってくれる、神の真理に従っている
あなたの人生の中に、そのような人はいますか?
次は第10章、なぜ私たちに安全な人が必要なのか?です。
お楽しみに!
鬱を患っているお友達、家族に何て言ったらいいか分からな人が多いのではないでしょうか。
日本人の方は、特に、お尻を叩いて叱咤激励して励まそうとしますが、逆効果です。鬱は、病気なのです。
叱咤激励で立ち上がれたら、世話ないのです。
私も、2003-2006ぐらいのあいだ鬱でした。もっと長かったかも。。。。
私の周りに、こんな言葉をかけてくれる人がいたらどんなにか助けになったか。。。と思います。鬱の末期は、自殺願望です。もし、自殺願望がある人がいたら、すぐに病院に連れて行ってあげてください。
あなたが必要な時、私はいつでも飛んでくるから。ほんとだよ。
私はあなたを見放さないよ。あきらめないよ。
あなたは、一人じゃないよ。
一緒に乗り越えていこう。
この病気は治るからね。
愛しているよ。
きっと、乗り越えられるよ。
今、一人にしてほしい?
あなたは、おかしくないよ。
あなたは、お荷物じゃないよ。
あなたがそんな風に感じるのは決して悪くないよ。誰もそれで責めないよ。
私は、どこにも行かないから。あなたも、そうだよね?約束ね。
この気持ちは、一生続くものではないからね。
きっと、あなたは幸せになるよ。
鬱になっていることで、余計に落ち込み、社会の一員として欠けている、自分はだめだ、負け組だと思っている患者さんですから、
追い打ちをかけて叱咤しないように、気を付けてください。
あなたが信頼できる人だと分かることがどんなにか、彼らにとっては救いであることか。。。。
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