私に起こったことは、私ではない。
私が選んでなるのが、私だ。
カール・ユング
トラウマからの回復のセラビーをしていると、
どうしてもぶち当たるのは、間違ったことを信じ込んでしまうことです。
特に、悪いことが起きた、私は悪い存在だ。。。
全く、同じ言葉で信じていなくても、
自分のことをネガティブにとることが多いです。
しかし、今日のあなたの小さな選択が実は、未来のあなたを形どるのです。
過去を清算しながら、未来に向かって、全人的なあなたという存在を立てなおす。。。。
そんな働きをしています。
神様に造られた、神様に計画された、素晴らしいあなた。
その姿が、徐々に見えてくるのが嬉しくてたまりません。
うつは、自分の選択の問題ではない。
脳のダメージと言える。
うつは、じわじわやってきます。
朝起きれない。
眠りすぎる。
眠れない。
やる気がでない。
喜びがまったくない。
自分を喜びせることを全くしようと思わない。
否定的な考えがぐるぐる。
孤独。
食欲がない。
お腹が空いてないのに、ずって食べている。
何もしないで一日が過ぎてしまう。
急に涙がでる。。。。。。
などなど。。。鬱は、さまざまな症状をともないます。
よく、怠けものだとか、やる気だせとか、言われますが、
出せる者なら、出してるのです。
鬱は、病気です。
ちゃんと治療すれば治ります。
この症状がある人がいたら、責めずに、お近くの専門家に相談してみてください。
きっとよくなります。
どこに向かっているかは、スピードよりももっともっと重要です。
どうしてこの世の中は、スピードにこだわるのでしょうか。
どうして時間を限るのでしょうか。
信仰や癒しに関わって思うのですが、
スピードはまちまちです。
私の友達にも、自他ともに遅いと感じている人がいましたが、
私も、彼女も同じ方向を向かって歩んでいました。
今、その人が、まーーーーーーー成功していること!
全ての面において。。。。
ねーーー
よく、遅いことがわるいように思われることがあるけど、
なーーーんにも悪いこと無い。
自分のペースを大切に。
そして、あなたが向かっていること、目指していることを見失わずに。
方向性があっていたら、絶対に間違いない。
あなたは、どこに向かってるか、よく分かってますか?
日本では、壊れた器を金を使って接いで直します。欠けているところが、ユニークな柄となり、器の歴史にまた美しさが加えられます。
あなたが傷ついてると思う時、これを考えてみてください。
お友達が持っている、リアル金接ぎ。素敵ですね。
私が、グラッドスクールにいる時、
心理セラビーは、金接ぎみたいだなーって思いました。
傷を取り扱い、傷に光を当てて、癒しに導いて行きます。
癒されても、傷があった事実は変わらないし、
かえってその傷があったからこそ、今の自分になったという事実があります。
傷を接がないと、機能できないですし、器はばらばら。。。ものを入れることもできないでしょう。
しかし、金で接いでみると
とっても、ユニークな美しさとなります。
また、器としての本来の機能ももどります。
私の仕事は、金で接ぐ仕事。。。
その人の、傷の中に、またその人の歴史の中から、美しさを引き出す仕事です。。。
あなたがどんなにたくさんの資源を持っているかは関係ありません。もし、あなたがそれをどうやって使うかを知らないなら、いつまでたっても、十分の資源があるとは感じないでしょう。
シェルターで働いていて、いつも感じることがあります。
身体的虐待、性的虐待のトラウマを持っている人たちは、自分に厳しく、そして、自分でなんでもしないといけないと信じています。
自分が有能になればさえ、人生がうまく行くのではないか。
悪いのは自分だ。。。。と
そして、そんな人たちが、私達がオファーしているリソースに助けを求めてくときに、癒しが始まります。
私達は、薬物中毒の専門家もいるし、リーガルサポートもあるし、心理カウンセラーもいるし、何も持ってなくても、たくさんの献品があります、
バスに乗りたければ、バスのチケットもありますし、切手やカードもあるし、家族や友達に手紙を出せます。
そんな助けを使うには、
助けてくれる人を信頼しなければ、求められません。
助けを求めることは、信頼の現れです。
そう考えると、リソースを使えるようになることは
一つの人生の知恵でありますし、
それは、深く誰かを信頼することと
自分が助けを求める必要があることを認める謙遜さが必要になります。
私も、人に助けを求めることや
リソースを上手に使うことが苦手です。。。
人を信頼すること、が潜在的に苦手なのかも知れません。。。。
姦淫の場でとらえられ、引き連れられてきた女性。責め立てる宗教者に囲まれ、イエス様は、しゃがみこみ、無言。さて、このあと、どうなるのでしょうか??
2020年5月24日日曜日礼拝
VIDEO
ヨハネJohn 8:1-11
1イエスはオリーブ山に行かれた。 2 そして、朝早く、イエスはもう一度宮にはいられた。民衆はみな、みもとに寄って来た。イエスはすわって、彼らに教え始められた。 3すると、律法学者とパリサイ人が、姦淫の場で捕えられたひとりの女を連れて来て、真中に置いてから、 4 イエスに言った。「先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。 5 モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」 6 彼らはイエスをためしてこう言ったのである。それは、イエスを告発する理由を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に書いておられた。 7 けれども、彼らが問い続けてやめなかったので、イエスは身を起こして言われた。「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」 8 そしてイエスは、もう一度身をかがめて、地面に書かれた。 9 彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き、イエスがひとり残された。女はそのままそこにいた。 10 イエスは身を起こして、その女に言われた。「婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定める者はなかったのですか。」 11 彼女は言った。「だれもいません。」そこで、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」
★当時の姦淫の罪の位置づけ Adultery
★律法学者とパリサイ人たちの陰謀 The scribes and Pharisees’s planned trap
ヨハネJohn10:10-11
盗人(悪魔)が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。わたし(イエス様)は、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます」The thief comes only to steal and kill and destroy; I have come that they may have life, and have it to the full. 11 “I am the good shepherd. The good shepherd lays down his life for the sheep.
★本当の律法と律法理解The true law and understanding of the law
ローマRomans13:9-10
9 「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」という戒め、またほかにどんな戒めがあっても、それらは、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」ということばの中に要約されているからです。10 愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ、愛は律法を全うします。The commandments, “You shall not commit adultery,” “You shall not murder,” “You shall not steal,” “You shall not covet,” and whatever other command there may be, are summed up in this one command: “Love your neighbor as yourself.” 10 Love does no harm to a neighbor. Therefore love is the fulfillment of the law.
★イエス様の愛 Love of Jesus = The new law
①まず謙遜さを示した Love shows humility
②自分自身と向き合う時間を与えた Love gave a time for reflection
〇イエス様は地面に字をかかれた Jesus stooped down and wrote on the ground
③人々に、律法に従うことを改めて教えた。Love teaches to keep the law
〇罪のないものが。。。 He who is without sin…
④直面する Love encounters a person
〇イエス様と向き合うことになった女 Face to face to Jesus
➄石を投げない愛 Love won’t judge
ヨハネJohn 3:17
神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。
★愛が人を変える Love changes people
⑥もう一度チャンスとを与える愛。Love gave one more chance
〇行きなさい、決して罪を犯すな Go, and sin no more.
2コリントCorinthians 5:17
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。Therefore, if anyone is in Christ, he is a new creation; old things have passed away; behold, all things have become new.
自分が属さないところに、自分を強いて合わせようとしないで
人は、属することへの願いがとても強いです。
それは、自然なことです。
そして、しっかりと家族に属して、はぐくまれてきた人は
属することが上手です。
属することは、安全、安心、をもたらします。
けれども、
それが無かった人たちは、
いつまでたっても、属するところを探して生きているように感じます。
そして、いつも、どこにていも、自分はその場所にあってない、
属してるけど、属してない気がしてならないのです。
苦しいのです。
そんなことを感じているあなた。
一つの人間関係から始めましょう。
一人の人と、しっかり信頼して、自分がどんなであっても、受け入れてくれる、
また、自分も相手に対してそうできる。
そういう人を一人見つけましょう。
簡単にはできませんが、時間をかけてやっていきましょう。
また安全なコミュニティを見つけましょう。
意外に、AAとかNAなどの中毒者たちの集まりなんかは、とっても優しいです。誰でもウェルカム。
一人、また一つ属せるところが見つかったら、
広げていきましょう。
また、知っていてください。
あなたは、変じゃないです。
あなたは、あなたでいて、それでいて、素晴らしいこと。
あなたは、誰かの祝福であること。
シェルターで教えている本です。なかなか、耳が痛い本です。
今日は、第六章、なぜ安全でない人を選んでしまうのか?という題です。長いので要点だけ。。。。
人の人格を見抜く力がない
孤独であり、人に捨てられたくない
防御的希望-悲しみたくないがために希望を持つ。
相手がきっと変わってくれると信じ込む。
悪いことに直面しない-安全でない関係を選ぶ多くの人は、自分の悪いことに直面することをせず、むしろ他人に非を見つけようとします。
盲目的な願い-恋は盲目であるように、全く実態のない人間関係で満足している。相手は、いい人に違いないという考え意外はいかなる忠告も警鐘も受け入れられない。
面と向かって話すことを恐れるー境界線がしっかりしている人は、人と対面して対決でき、問題を人間関係の中で解決することが出来る。対決できない人は、安全でない状態を引き寄せる。皮膚のない体のようだ。
美化する ー相手を美化し、関係を理想化し、都合の悪い事実を無視する。
救済の必要性ー人を救いたがる人は、物事を相手のためにやりすぎる、つまり、相手の自分の人生への責任さえもあなたがとってあげようとする。結局、相手は成長しない。
熟知しているやり方ー自分の家族もそうだった、ずっと人間関係と言えば、このやり方というパターンがあり、そのパターン以外の関係を試すことが出来ない。
被害者の役目ー力がなく、自分のせいでなく、誰かに傷つけられているという立場で、自分の行動、選択に対しての責任感が薄い。
(例)気が付いたら二人でベットに入っいた、とか言うが、自分か選んで一緒に寝たとは思わないし、言わない。
罪悪感ー罪悪感を持つ人は、非を責めてくる人にたいして弱いです。それは、その人に同意するしかないからです。自分の罪悪感を処理している人は、強いです。すなわち、実務的には非を行動をもって正し、霊的に神様にあってゆるされていることを受け取ることです。
完璧主義者ー完璧主義者は完ぺきであることを求めてくる危険な人を引き寄せてしまいます。自分のありのままの姿を受け入れることと、受け入れてもらう事が無ければ安全がない。
痛み、感覚を否定するー感じることは大切です、自分の痛みを無視できる人は、危険を引き寄せてしまいます。あれ、おかしいなって思ったら、対処するべきです。
聖化への道(まとめ)
前述の全ての項目は、私たちの聖化へのプロセスで必ず取り扱われなければらならない道です。
はーーーー、長かった。。
実際の本では、具体例もたくさん載っています。
次の章は、七章。間違った解決策についてです!
お楽しみに!
チームとは、たくさんの手と一つのマインド
この絵を見たとき、わーーー聖書みたいーー
と思いました。
なかなか世の中の一般の考え方に、自立とか、独立心とか、
人に頼らない、人の助けがいらないことが、一人前の証し、またいいことのように言われています。
ある意味では、それは、正しいことですし、そうあるべきことです。
が、神様は、私達を一人ぼっちで生きて行くようには造られておらず、
一人ボッチからは、癒しも来ず、また、大きなことも一人ではできません。
私達は、多くの人の助けがあってこそ、大きなことを成し遂げることが出来ます。
また、引っ越しするとか、自分のことでさえ、人の助けがありがたいことがあります。
神様は、私達をチームワークするように造られているのです。
聖書1コリント12章をググってみてくださいね。
聖書によると、キリストは教会すなわち、大勢の私たちの頭であり、私たちは身体であると書かれています。
大勢の人が、一つの心、マインドで物事をするなら、なんといいことができることでしょうか。
組織の中で働く時に、いつも心にかかることが、ワンマインドがあるだろうか。ということ。
また、ワンマインド、私たちは何のためにこの働きをしているのかと、思い起こすことが大切だと思います。。。
私は、シェルターで奉仕していますが、
いろんな部署があります。
意見が違うことも時にはあります。
しかし、私たちの目的は、ホームレスの人たちに仕えること、ということにもう一度焦点を合わせる必要があります。
みなさんの、繋がっている組織の目的はなんですか?
その中心の心はなんでしょうか?
大切な人を失った悲しみは、
行き場を失った愛なのだ。
(私訳)
悲しむ時、苦しい。。。。
覚えていて欲しいことは、
私達の感情は、全て、健康であること。
感情は悪いものではない。
感情は、嘘をつかない。
感情は、神様からのメッセンジャーです。
悲しくて、苦しむ時、
それは、あなたの心が愛したくって痛んでいるんです。
あなたの愛を受け取ってくれていた人が、もういない。
だから、悲しいんです。
あなたは、愛する能力のある人であること、
あなたは、人にたくさん与えることが出来る人であること、
あなたは、愛という、見返りを求めない、高貴な贈り物を人に贈ることが出来るひとなんだということを
知って欲しいです。
そして、そんなあなたに言いたいことは、
あなたの悲しみ、苦しみをありがとう。
あなたでいてくれて、ありがとう、と言いたい。
悲しみは、つらいけど、あなたの愛は、美しいです。。。。。
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