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豆腐(私)は食べる人^^;作る人は豆腐嫁です!➡
1年目冬(2007年2月)
休日は料理をする日。
それがだんだん習慣になってきました。
1月21日のことです。
『肉じゃが』を作りました。
肉は豚ではなく牛肉にしました。
余った肉じゃがを冷凍してしまったら
シラタキの水分がなくなり酷いことになりました。
その後もきのこ鍋、豆腐キムチ鍋と
鍋の勢いも衰えていませんでした。
カレーも作りました。
そして、2月4日にはフライパンを買い替え
2月9日には
なんと『圧力鍋』を購入したのでした。
ここから【へんてこ創作料理】が始まりました。
1年目冬(2006年12月)
ミキサーを購入し、ブロッコリー・スプラウトは
毎朝ジュースにしていただくようになりました。
そして夜は『ひとり鍋』です。
豚キムチ鍋にしたり、紅鮭を入れたり、
牡蠣を入れたり
甘みを増す白菜に魅了され
『ひとり鍋』は本当にはまりました。
1年目秋から冬(2006年11月)
胃痛対策から健康志向がより強くなりました。
食材はブロッコリースプラウトやサラダ
刺身が中心となりました。
もちろん毎日欠かさず豆腐です。
そして11月28日のことです。
少し気温も低くなりはじめました。
スーパーで買い物をしながら、ふと思いました。
「そう言えば、ホットプレートがあったよなぁ、
そうだ!今日は鍋にしよう!」
ちゃんこ鍋セットと鶏肉を買って帰り
さっそく「ひとり鍋」を始めました。
いつまでも熱々でいただける鍋は
寒い夜にはぴったりです。
白菜は後になるほど味がしみ込んで美味しい!
ここから『ひとり鍋生活』が始まったのです。
1年目秋(2006年10月)
単身赴任も半年が経過した10月のはじめ
体調を崩しました。
もともと胃痛持ちです。
キリキリとした重たい胃痛が続きました。
胃痛対策として
ブロッコリー・スプラウトを使うようになりました。
ブロッコリー・スプラウトに含まれる
スルフォラファンにはピロリ菌の殺菌効果が報告されています。
(※今でも毎朝、野菜ジュースにして摂取しています。
胃痛はほとんど起きなくなり、起きても軽く済むようになりました。)
ブロッコリー・スプラウトに合わせようと
豚冷しゃぶにしたり玉子と炒めたりして
調理をする日が増えてきました。
1年目秋(2006年9月)
単身赴任も半年近くとなり生活にも慣れてきました。
健康管理に注意して
ごまを多用するなど少しずつ工夫はしていましたけれど
相変わらず
お決まりのパターン化されたメニューが続いていました。
1年目夏(2006年7月〜8月)
相変わらずのレトルトカレー
さんま丼にざる蕎麦とパターン化されたメニューが続いてました。
健康志向が出てきて
中段右側の黒い献立は塩ワカメを戻して
すりごまと青ジソをかけたものです。
夏バテ防止には体力をつけなければ
『そうだ!肉を焼いてみよう!』と思い立ちました。
8月6日のことです。
単身赴任4カ月目にして初めてフライパンを使いました。
肉を焼いただけで少し豪華な食卓となりました。
1年目初夏から夏(2006年5月〜7月)
しばらくしてガスコンロを買いました。
インスタントラーメンを作るようになりました。
チキンラーメン+生玉子は非常に多いパターンでした。
夏前ぐらいからは業務用スーパーがブームとなりました。
パックに入りのご飯とレトルトカレーを備蓄するようになりました。
さんまや鰯の缶詰を玉子ご飯にのせる
『さんま丼』や『いわし丼』は定番メニューとなりました。
暑くなってくると、ざる蕎麦を食べるようにもなりました。
震災から50日が経過しGWに入りました。
弘前からも桜の便りが届きました。
北国にも春が訪れています。
単身赴任生活をはじめた日から5年が経ちました。
当時を振り返ってみます。
☆1年目はじめの1,2カ月(2006年4月〜5月)
社会人1年目に仙台に赴任して3年間は一人暮らしをしていましたので
単身生活は初めてではなかったのですが
結婚して家事は全てお任せ状態でしたでの完全になまってました。
単身赴任最初の【今日の献立】は遅い帰宅となり
コンビニで買いました。
店内のレンジで温めるタイプで
オムライスにデミグラスソースがかかっているものでした。
それから
スーパーの弁当を買って帰る日が続きました。
しかし、弁当には飽きてしまい
コロッケやサラダなどの総菜を買って帰るようになりました。
そのうち、それも面倒になってきて
レンジでチンするだけのパスタや炒飯の
冷凍食品を備蓄するようになりました。
木曜日にスーちゃんこと田中好子さんが55歳の若さで他界されたとの
悲しいニュースがありました。
ご冥福をお祈りいたします。
金曜日には「ぴあ首都圏版休刊」のニュース。
私はマスコミ・出版社に就職希望でした。
でも、どこからも内定が出ず、
友人のバイト先だった三省堂のマネージャーから
「ぴあの非正規雇用なら斡旋してもよいよ」と言われたことを思い出しました。
39年の歴史に幕。
『終わりははじまり』です。
金曜日は高校時代の友人と飲み会を企画していました。
集まれたのは4人。
年賀状やメールでのやり取りはあるものの
会うのは数年ぶりだったり十数年ぶりだったりです。
いつのまにか一部上場企業の部長になってたりしてました。
私が声をかけたメンバーだったので
2人はまさかの初対面でまさかの「はじめまして」でした。
でも、同じ高校で同じ時間を過ごした仲間です。
すぐに打ち解け2時過ぎまで飲み、語り明かしました。
その飲み会の最中には大学時代の友人から電話が鳴りました。
その時は気がつかず、今日かけてみました。
こちらも十数年ぶりの会話です。
『僕のたったひとつの過ちは一日だけミシシッピに長居してしまったこと』Bob Dylan / mississippi
旅が終わってしまったかのようだと話す友人。
昭和の終わり頃、私は彼から佐野元春と村上春樹を授かりました。
昭和回顧が続いています。
昨年の直木賞受賞作は
作者が5年連続でノミネートされ初めて受賞した作品でした。
直木賞受賞作家はそれまでも、
たびたびブラウン管に登場し
ビックマウスと呼ばれ注目を集めていました。
私がたまたま見ていたTVでも
取材を受けながら小説を書くということをやり遂げて自画自賛。
ビックマウスを演じていたのかもしれません。
とにかく、この作家のことがとても気になっていて
書店に並ぶ直木賞受賞作品を手にとっては眺め
古本屋で過去に書かれた作品を見つけては
ペラペラとページを繰ったこともありました。
けれど、なぜか購入するには至りませんでした。
それが、15日金曜日のこと
仲良くしていただいている取引先の方から
「豆腐さん、小説読みますか?」
「はい、読みますよ^^」
とうことで、貸していただいたのが
ずっと憧れ続けていた直木賞作家の直木賞受賞作品でした。
思いがけないところで読む機会が巡ってきました。
これが縁と言うものなのかと思うほど。
小説を読む前に書評などは一切読みません。
帯のキャッチコピーさえも見ずに
先入観ゼロで読みます。
ビックマスはどんな物語を展開するのだろう。
どんな世界にいざなってくれるのだろう。
一気に読みました。
序盤、中盤までは完璧なレース運びでした。
テンポも良く
中盤までは映画化した時のキャストを想像し
わくわくしながら読み進めました。
どんな結末を迎えるのだろうかと
作者になったつもりでストーリーを想像します。
しかし、終盤に差しかかるころから
人物設定に急に違和感を感じる展開になりました。
そんなわけないだろうと、、、
ゴールはそっちですか。と。
急激に失速したように感じました。
そして
共感できないまま最終章となり最終頁となりました。
最後の力を振り絞り
よろけながらゴールに倒れこんできた作者を思い浮かべました。
期待が大きかったからかもしれませんが
疑問符だらけの結末でした。
以下
具体的な批評を書いてますので
白字で書きます。
読んでない方はネタばれになりますので読まないでください。
利根慎一(主人公)
春也に嫉妬心を持っていくあたりの描写は秀逸でした。
でも、
母親が同級生の父親と密会していることで
それだけで殺意を抱くことになるのか全く理解できません。
母親が不幸になったとか特別に嫌な思いをしているとかではなく
不倫でもないし、誰も不幸にはしていません。
むしろ母親は恋をして女を取り戻している様子です。
それは喜ぶべき状況だと思いますが。
息子としては複雑な気持ちで喜べないとしても
殺意を抱くという設定がどうしても理解できません。
葉山鳴海
鳴海はとても母親を慕っているし
母親を殺されたことがを恨みに思っている。
染みついた恨みの感情をどうにかしたいともがいていた。
父親の幸福よりも愛も一人占めしたかった。
それは良いとしても。
結果的には慎一の心ををもてあそんだだけ。
慎一に対する謝罪の気持ちは微塵も感じられない。
「大人になるのって本当に難しいよ」とポツリ言う。
自分のことしか考えていないような、
つまらない魅力のない子で終わってしまった。
利根純江
未亡人の哀愁のようなものがほとんど感じられない。
とても健康的。
利根昭三
昭三の死は不自然だし、意味があるとも思えない。
タイトルのために死んだのか。。。
富永春也
台詞から読み取れる性格は
とてもしっかりした思慮分別を持った優秀な子です。
クラスでは強いリーダーシップを発揮できるでしょう。
友達がいないという設定には無理があります。
親から虐待されても表に出さない強い精神力を持った子です。
内側にストレスがあったとしても決して
陰湿な手紙を書くようなタイプではないはず。
父親との確執をナイフで脅すというだけで
いとも簡単にクリアしてしまう。
この描写には、わずか2ページ。
書こうと思えば20〜30ページは書けるだろうに。
書いたとしてもとても陳腐で安易な展開だから
あえて書かなかったのかもしれない。
言い残した言葉は「大人も、弱いもんやな。」
彼も最後は慎一に対してはとても冷淡だ。
慎一は作者の分身だと思う。
作者が伝えたかったことは”人の世は無常だ”
そのことだろうか。
ヤドカミ様
こっくりさんしかり、子どもは神秘体験に興味があるし
感受性も高いし信じる気持もある。
ヤドカリの赤ちゃんを育む気持ちがあっても
炙って殺す残虐性も併せ持つ、それは子どものならでは。
あの子たちはそんな無邪気な普通の子どもの精神じゃないと思う。
それにしても
最後のグダグダはなんなのだろうか。
鳴海の父親を殺して欲しいとヤドカミ様に願い。
その日が来て夜になって
願いが叶うと想像をめぐらして興奮していたところに
突然、鏡に映るグロテスクな顔をした少年(自分)が現れ
恐怖に覆い尽くされてしまう。
突如、思い直してヤドカミ様の殺人阻止に走り
鳴海の父親が運転する車に激突してしまう。
これがクライマックスか。。。
唐突に果物ナイフが登場し
ナイフが春也を救う。
なんとかしてゴールしなきゃという
作者の焦りすら垣間見えてしまった。
作者は直木賞の受賞後にインタビューで
小説家になった理由として
「自分が読んで面白い小説を自分で書いてやろうと思った」
的なことを言っていた。
世の中に面白い小説がないから自分で書くと言わんばかりに。
マスターベーションのように
一人で書いて一人で読めば良いんじゃないか。
とまで思いました。
でも、描写力、文章力にはすばらしい才能を感じます。
この小説だって
あと500ページ書く気になれば
もう少し違う仕上がりになったかもしれないのに
と思いました。
読ませていただき、ありがとうございました。
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