「戦後思想界の巨人」と言わしめた<吉本隆明>は、昨年の3月16日に亡くなっています。
彼ほど多面的で、しかも私たちの生のそれぞれの領域と現象に対して確信をついた批評家は少ないと思います。
タイトルの『真贋』は、正に著者自身の批評の眼の確信であり、あまりにも常識的な「問い」と「答え」にあふれた現状を、真剣に考える上での姿勢がよく表されている言葉です。
繰り返し本書の中で、思春期までの人間形成には母親ないし母親代理の愛情が不可欠であり、出来上がった性格は直らないからこそ、自分を冷静に見つめ考える態度が必要だと説いています。
最後の結びとして、<今は考えなければいけない時代です。考えなければどうしようもないところまで人間がきてしまったということは確かなのです。(略)いま、行き着くところまできたからこそ、人間とは何かということをもっと根源的に考えてみる必要があるのではないかと思うのです>と書かれています。
世の中に流されることなく立ち止り、モノの本質の「真贋」を見抜く目で社会に対応しなければいけない時代の難しさだけは感じ取れましたが、実践はこれまた別問題です。
乃南アサには、女刑事の<音道貴子>シリーズ(6冊)と、新米警官を扱った<高木聖大>シリーズ(2冊)がありますが、これは警視庁捜査一課の係長<土門功太朗>を主人公として、短篇が4話収録されています。
作品が書かれたのは、2009~2010年ですが、<土門>が活躍するのは1980年代前後に設定されており、聖徳太子のの一万円札、テレホンカード、よど号事件等、懐かしい時代背景が描かれ、またその当時の流行歌の歌詞がうまく台詞に使われいて、楽しめました。
主人公の<土門>は、事件の解決は刑事の情熱と勘だという昔ながらの地道な捜査で容疑者を追いつめ、犯行の動機をそれとなく喋らせる人情家です。
四十半ばで娘二人の父親でもあり、後輩の面倒見の良さや上司との絡みもあり、今後のシリーズ化がこれまた楽しみな主人公の登場です。
今年の読書の1冊目に選んだのは、『子供の眼』です。作品としては新しくありませんが、<四六版・上下二段組み・606ページ・厚さ4センチ・定価3200円>と、読み応えがありそうな<法廷スリラー>なので、お正月三日間で読み切るのにちょうどいいかなと選んできました。
6歳の娘<エレナ>の養護権を夫<リッチ>と争っている<テリーザ>は、試験的別居生活が始まると、憧れていた上司の<クリストファー>の所に身を寄せてしまいます。
<リッチ>は定職にもつかず、弁護士として働いている<テリーザ>から養育費をむしり取るために卑劣な手段で妻と諍いが続いているところ、<リッチ>が自殺として見せかけられて銃殺されてしまいます。
上院議員に立候補予定だった<クリストファー>ですが、この事件を機に容疑者として被告人となり、心許せる弁護士<キャロライン>との法廷戦術が始まります。
アメリカならではの陪審員制度を巧みに取り入れながら、検察側、弁護側の駆け引きは元弁護士ならではの知識と経験が生かされ、良く計算された筋立てで、長編にも関わらず最後まで一気に読ませてくれます。
脇役の登場人物たちの性格付けも面白く、意外な結末の伏線も、<テリーザ>の育った幼児体験と<エレナ>の家庭環境と対比させる中で散りばめらています。
被告弁護士として活躍した<キャサリン>の登場する作品が続くようですが、じっくりと腰を落ち着けて読める機会を持ちたいとおもいます。
<今年の読書>も、目標の120冊を超え、141冊目でいよいよ最後になりました。
著者の本は初めて読みましたが、どれも質の高い短篇が6話が収められています。
元銀行員の経歴を生かし、6編のお話しはどれも銀行員を主人公として、中小企業の社長さんたちとの金銭に関わる出来事を、銀行員の目線で、優しくもありタテ社会の銀行内部の哀愁もありと、人間関係を主軸にお金を中心とした物語が展開されてゆきます。
タイトルの『かばん屋の相続』は、読み出してすぐに京都の有名な「一澤帆布」の相続争いがネタ元だと気が付きますが、著者流の味付でほっとする結末は見事です。
お金自体は単なる経済社会の中で、国に保障された<印刷物>ですが、扱う人間によって価値観が変わる<印刷物>でもあることを、改めて感じさせてくれた一冊でした。
2009年に発表された第一作目の『血のケープタウン』に続き、同じく南アフリカ共和国のケープタウンを舞台とする犯罪小説です。
元モデルの<ロクシー>は、武器商人の夫と帰宅中に強盗に襲われ、ベンツを盗まれますが、その際強盗が落としていった拳銃で夫を射殺してしまいます。
<ロクシー>の行動に疑問をもった強盗たちは、彼女をゆすろうと出向いてきます。
そんなとき夫に雇われていた傭兵の元刑事<ビリー>が、遅れている支払いを求めに訪ねてきますが、未払いの賃金をもらえるまでの期間、<ロクシー>の護衛役をかってでます。
ケープタウンという犯罪が当たり前に横行する街を中心に置き、対抗する二つのギャング団の抗争を絡め、また<ビリー>の幼馴染であり終身刑者の<パイパー>が脱走し、横暴な殺戮が繰り返されてゆきます。
登場人物たちがどこかで過去の接点を持ち、人種差別の強いケープタウンの社会背景を巧みに取り入れながら、ラストまで一気に読ませるクライムスリラー小説として、読み応えのある一冊でした。
『家族の言い訳』・『こちらの事情』 に続く、「双葉文庫」からの<家族小説短篇集シリーズ>として著者の三冊目になる『小さな理由』です。
父と娘、母と息子、男兄弟、夫と妻等、家族の形態をいろいろと使い分けながら、著者の目線は「家族とは、こうあるべきだ」というおしきせがなく、ただ淡々と読者に物語として語りかけています。
幸せも不幸せも、その家族、家族によって違いますし、喜びや悲しみの内容も千差万別です。
端から見れば、
取るに足りない理由かもしれない。
でも、その小さな理由がなければ
人は生きていけない。
冒頭で著者が書かれている言葉ですが、登場するそれぞれの家族に取っての「小さな理由」を織り込みながら、何気ない人間の<愛情>が素直に表現されている8話の短篇集、今回も感動させていただきました。
『制服捜査』に続く、シリーズです。
札幌の刑事だった<川久保篤>は、道警不祥事のあおりのために、志茂別駐在所に単身赴任しています。
三月末に「彼岸荒れ」と呼ばれる強烈な暴雪が起こり、志茂別近辺の交通網は遮断され、大きな密室状態に町は閉ざされてしまいます。
そんな暴雪のなか、暴力団の組長宅に二人組の強盗がおそい、組長の妻を射殺して現金を強奪する事件が起こります。
事件と並行して、出会い系サイトで不倫関係に陥り、夫に知られる前に自力で解決しようとする主婦や、義父の性的虐待から逃れるために家出した女子高生、病気で死にゆくだけの人生に絶望して会社のお金を持ち逃げした会社員等が、吹雪の中一軒のペンションに偶然に集まり、天気の回復を待つ長い夜が始まります。
逃亡する犯人を縦軸に、それぞれの人生を切り開こうとする市井の人々を横軸として、人間ドラマが紡ぎ出されるサスペンスに仕上がっています。
<川久保篤>の駐在所員としての人間的な側面も良く出ており、警察小説としての魅力も十分です。
副題に「みちのく麺食い記者」とありますように、福島・山形・青森・秋田・岩手に続き、最終の6作品目で宮城県が舞台です。
前作までは読んでいませんが、新聞記者<宮沢賢一郎>が東京から遊軍記者として派遣された仙台総局を中心に活躍するミステリーシリズだと想像できます。
所属しています大和新聞社の経理局長が、怪しげな投資ファンドで会社のお金を運用して70億円もの損失を出し、仙台に逃避しているという情報を得た<宮沢>は調査に乗りだしますが、経理局長は殺され、ファンドと関わりのある人物の第二の殺人事件が起こります。
冒頭はアメリカの<9・11事件>から始まるのですが、話しの筋とどこで結びつくのかと訝りながら読み進めましたが、計算された筋立てと思わぬ犯人の存在、持ちつ持たれつの警察関係者との絡みなど、一気に読み進める内容でした。
新聞記者を主人公にした堂場瞬一の 『虚報』 も秀逸でしたが、時間に追われる新聞業界の舞台は緊迫感に追われ、楽しめる世界です。
主人公の<佐月恭壱>は、花師として銀座のお店に花を飾ることを生業としていますが、同時に絵画修復師として二つの顔を持っています。
個人の肖像画、古備前のツボ、藤田嗣治、女体の秘画等、絵画修復にまつわる三編の物語が連作で続き、<佐月>の過去の人生も浮かび上がらせます。
絵画修復と言う特殊な分野の話が中心ですので、興味深い美術の裏世界が垣間見れました。
内容が濃く楽しめた美術ミステリーだけに、著者がすでの2010年1月に逝去されており、この<佐月恭壱>の続きが読めないのが残念に思える一冊でした。
読み終わりただ一言、「これはいい本に当たった」というのが正直な感想です。
年末に入り、一躍今年の読書のベスト5に躍り出た感があります。
「公園デビュー」という言葉が一時流行りましたが、市営アパートに付属する通称「ひょうたん公園」に、子供を連れて集まる5人のお母さんたちを主人公として、それぞれが歩んできた人生を、連作短篇5話として組まれています。
お母さんが井戸端会議に夢中の間、よその子供たちの動向を見守っている母親、最年少の二十歳で二児の母親、ブランド物で身を固めている母親、眼鏡の物静かな母親、しきりたがり屋の母親等、それぞれ個性ある母親たちの目線から、自らの人生を見つめ直した短篇が続き、著者の切りこんだ人間性溢れる描写に、ただただ感動を覚えて読み終わりました。
乱読派として気になる本を読んでいますが、「なるほど」と思わずうなってしまう著者の目線に、感動しました。
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