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加藤雄一のブログ

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先が見えなくても進もうとするのはどうして?

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先が見えなくても進もうとするの...

【見えないものを信じる力は、確信ではなく『かかわり続ける姿勢』によって育まれる】
 
未来、可能性、関係性、自分の変化…
 

それらは、感じることはあってもなかなか目に見えるものではありません。  
 
 
だからこそ不安になることもあるし、立ち止まりたくなることもある。
 
ただそれでも進もうとするのは、どこかに「信じる自分」がいて、「実現させようとする自分」がいるはずなんですよね。
 
 
その「信じる」という営みには、証拠や保証ではなく、かかわり続けることによって少しずつ実感が育っていくプロセスがあって、その納得感がいつの間にか根拠のない自信となり、自分を形作っていくような、そんな気がしています。
 
つまり、「見えないものを信じる」とは、信じるに値するかではなく、信じることで意味が育つかを問い続ける実践なのだと思います。
 
 
 
【信じるとは、確かさではなく、自分にとって大切なことの意味づけの選択】
 
 
人は、見えないものに対して
 
・ 疑う  
・ 距離を取る  
・ 保留する
 
といった反応をしがちです。  
 

それは
 
傷つきたくない…
 
裏切られたくない…
 
無駄にしたくない…
 
という防衛の表れでもありますよね。
 
 
けれども
 
「信じる」という行為は、
 
・ その対象に意味を宿し
 
・ 自分の行動に納得を与え  

・ 関係性に余白をつくる
 
などという構造的な選択の表れでもあると思っています。
 
 
そして、見えないものを信じるためにできることは
 
🔍【問いを持ち続けること】

→「これは本当に意味があるのか?」ではなく、「この営みに、どんな意味を宿したいか?」という問いを持ってみる
 
 
🧭【記録すること】

→ 小さな実感や違和感を言葉に残すことで、「見えないもの」が「見え始めるもの」に変わっていく
 
 
🫱【誰かと共有すること】

→ 自分だけでは揺らいでしまう信じる力を、他者との対話によって支えられている
 
つまり、信じるとは確かさだけではなく、意味づけの技術でもあり、関係性の構造でもあるのかもしれません。
 
 
 
見えないものを信じるためにできることは
  
・ 問いを持ち続けること  
・ 実感を記録すること  
・ 他者と語り合うこと
 
そして何より、かかわり続けることそのものが、信じる力を育てていく。
 
大変なのにそこで終わることができないことが、何よりも今大切に感じていることの表れなのかと。
 
 
手応えもなく成果が見えなくても、進もうとしている自分がいる。
 
そんな見えないものとの関係性を丁寧に紡ぐ実践、そのものが「信じる」ことの表れなんでしょうね。
 
さぁ今日も一緒に1mmでも先に進みましょう!

ワオ!と言っているユーザー

誰とも話したくない時こそ、本を読む

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誰とも話したくない時こそ、本を...
【「誰とも話したくない時間」は、自分との対話を育てるための静かな入口になる】
 
人と話すことがしんどい。
 
誰かとかかわることに疲れてしまった。  
 
とにかく全てが雑音に聴こえる。
 
 

そんなとき、ありませんか?
 
私はもうしょっちゅうあります(笑)
 
 
何かしようとしても無気力。
 
何かやったら空回り。
 
 
 
そんなときは、もう無理に誰かと話そうとせず、 とにかく『一人で黙々と本を読む』
 
これです(笑)
 
他にも私なりの方法がいくつかありますが、今回は『黙々と本を読む』をお伝えしたいと思います。
 
 
 
 誰とも話したくないという時は、とにかく「ひとりになって整えたい」、そんな時ではないでしょうか。
 
ひたすらボーッとするのもいいし
 
とにかく好きな音楽を聴くもいいし
 
体を動かすもいいし
 
喋りたいことを喋り倒すもあり(笑)
 
 
ただ、いずれの時間も『言葉との関係性』が保たれていて(ボーッとしているようで頭の中のヒトリゴトがおさまらないとか)、結局は自分との対話が静かに育まれていませんか?
 
つまり、「誰とも話したくない」という感覚は、閉じこもるのではなく、『整える』ための時間。  

そしてその時一冊の本は、その時間に寄り添う『静かな他者』になっていると思っています。
 
 
 
【本は、「関係性の温度」を自分で調整できる対話のかたち】
 
人との会話には
  
・ 相手の反応に気を遣う  

・ 自分の言葉がどう受け取られるかを考える  
・ 関係性の温度を保つためのエネルギーが必要
 
 
といった『感情的コスト』がともないます。  
 
(これは負の感情でいる時の側面)
 
 

けれども本との関係には
  
・ 読むタイミングもペースも自分で選べて  

・ 反応を気にせず、自分の感覚に集中できるし  

・ 言葉を「受け取る」だけでなく、自分に『響かせる』ことができる
 
 
といった『自分との対話を支える構造』があると思っています。
 
さらに、『本』は
  
・ 自分の気持ちを代弁してくれる言葉に出会わせてくれて  

・ 今の自分では語れない感情を、他者の言葉を借りて表現ができて  
 
そして

・ 自分の中にある大切な『問い』を静かに育ててくれる
 
そんな存在のような気がして。
 
 
本は「話さなくても関係性を持てる第三者」として、孤独の中に意味を宿してくれる『大切な他者』だと感じています。
 
 
 
【誰とも話せなかった時期に、本が「言葉の再接続」を支えてくれた】
 
私がそうだったように、多くの方もまた職場での人間関係や家庭の変化によって、誰とも話したくない時期を過ごしたことがあると思っています。  

「言葉を出すことが怖い」
 
「誰かと関わると、余計に疲れてしまう」
 
そんな感覚の中で私が手に取れたのが、エッセイだったり哲学書だったり本との出会いでした。
 
 
そんな本の中には

・「言葉にならない感情を抱えている人間の姿」  

・ 「問いを持ち続けることの意味」
 
・ 「沈黙の中にある誠実さ」
 
が描かれていて、羅列されている文字から「自分の感覚が否定されていない」と感じられたものです。
 
そして、そこから少しずつ

・ 心に留まった本の言葉をノートに書き写したり
 
 自分の気持ちを「誰かの言葉を借りて」語ってみたり
 
・ 誰かに話すのではなく、『自分に語る』という営みを始めてみたり
 
そんなプロセスを経て、再び人との関係性に向き合えるようになったのが40歳を過ぎた頃でした。
 
だからこそ一冊との出会いが
  
「誰とも話したくない時期に、本が自分との関係を保ってくれた。  
それが、自分を見失わずにいられた理由だった」
 
と言えるような気がしています。
 
 
【「話したくない」は、言葉を整える時間であり、本はその『伴走者』になる】
 
 
人と話せないとき、無理に関わる必要はないと私は思っています。
 

けれども、言葉との関係を切らさないことは、自分を保つためにとても大切。  
 

そして本は
 
・ 自分のペースで関われる  

・ 自分の感情に寄り添ってくれる  

・ 自分の問いを育ててくれる
 
そんな、『静かな他者』として、孤独の時間に意味を宿してくれる存在。
 

そんな一冊の『本との対話』の中に、自分だけの本当の気持ちが息づいているように感じます。
 
今、誰ともかかわりたくないと思っているあなたへ。  
 
どうか人生を変える素敵な一冊との出会いが生まれますように😊
 
 
 
 
 

ワオ!と言っているユーザー

本気で取り組むからかっこいい

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本気で取り組むからかっこいい...
【本気のかっこよさは、結果ではなく、『姿勢』に宿る】
 
 
 

私の周りにはかっこいい人がたくさんいますが
 
 
 

かっこいい人とは
 
 
 

成功している人でも、目立っている人でもなく
  
目の前のことに、誠実に、本気で向き合っている人のことだと感じます。
 

 
それは、他人の評価に左右されず、自分の感情や信念と向き合っている人。
 
本気で取り組むことは、自分との対話と実感のための営みであり、その姿勢こそがかっこよさを形づくっているような、そんな気がしています。
 
 
 
 
 

【本気とは、失敗や不安を含めて、それでも『立ち続ける力』】
 

本気で取り組むことには
  
・ 簡単でないこと  
 
・ 結果が出るとは限らないこと  
 
・ 途中で気持ちが揺れること
 

そんなことが含まれると思っています。
 
 
 
けれども
 

それでもやる。  
 
それでも向き合い続ける。
 

 
その姿に、人は「実直さ」を感じ、『本物のかっこよさ』を感じるのです。
 
 
 

さらに、本気でかかわろうとする人は
 
・ 言葉がぶれることもある  
 
・ 迷いながら進むこともある  
 
それでも
 
・ 完璧じゃない自分にも意味を宿す
 

ことができる
 

つまり、本気=強さではなく、本気=誠実な気持ちで脆さを扱う姿勢なんじゃないかと。
 

 
それが、支援者・リーダー・表現者において、関係性の深さを育てる姿勢につながっていくのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 

【本気は、完璧ではなく、問いに向き合い続ける力】
 
 
 

かっこよさは、「揺らぎながらもかかわり続ける姿勢」に宿る気がしています。
 
 
本気とは
 
・ 失敗しても、やめず
 
・ 言葉にならなくても、立ち止まらず  
 
・ 結果がすぐに出なくても、意味を宿そうとすること
 
 
 

それらすべてに
 

「この人、本気なんだな」と伝わる温度があるんじゃないかと。
 
そしてその温度が、支援の場や日常の関係性に「安心と信頼」を育てていくのだと思っています。
 

よし、イケオジ目指そー(笑)
 
 

ワオ!と言っているユーザー

40代の楽しみ方~これまでの全てが「楽しい」を膨らませてくれる~

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40代の楽しみ方~これまでの全...

【40代は迷いの季節ではなく、「遊びと問いが育つ時間」】
 
 
「もう若くないな…」と思うことが増えるのが40代なんじゃないかと(笑)  

ただ、残り時間が少なくなっているのは間違いないかもしれませんが
 
「まだ終わらない!」
 
「問い直す余白がある!」
 
そんな『深められる』とか『やり直せる』とか、そういった時間でもあるような気がしています。
 

これまでの蓄積を足場にしながら、「答えを求める」ではなく、自分が大切にしている『問いを楽しむ』ことができる年代。  

それが40代なんじゃないかと。
 
 
 
【40代には、役割の『再設計』と自己の存在の『再編集』を許された余白がある!】
 
40代が進むにつれ、

・すでに ある程度のスキルや経験があって
 
・ 社会との関係性がだいぶ出来上がり  

・ 自分の『得意』と『苦手』の型も整ってきている
 
そんな方が多いんじゃないかと。
 
 
だからこそ、逆に 

・ キャリアに遊びを入れることができて  

・ 子育てや家族関係、そして身近な社会とのつながりの中に、自分なりの『選び直し』が起こせるようなり  

・ 経験があるからこその、新しい習慣や表現を始める余白が生まれる
 
つまり、「こうでなければならない」が外れていく時期。
 
(外せるのに外さない人も多いけど)
 
そしてその分、「問い直してもいい」「選び直してもいい」という、人生の『遊び場』が育ち始めているような感じもします。
 
人生の『踊り場』でもあるのかな。
 
それは、「不安定さに耐える時期」ではなく、「揺らぎを味方につけて楽しめる時期」として読み替えてもいいんじゃないかと。
 
 
【「40代になって、やっと自分の問いを扱えるようになった」】
 
40代になってから「仕事がつまらなくなった」と語る人が多くなったように感じるのは、私だけ?。
 

その多くの人が
 
「毎日が同じことの繰り返し」
 
「このまま続けても同じことの繰り返し」
 
「成長が止まっている気がする」
 
とそんなことを口にしています。
 
 
ただよくよく話しを聞いてみると、そんな風に感じている方の中でも、『日常のなかで心が動いた瞬間』を持っている人がほとんどで 

・ 誰かの言葉が静かに響いてきた時間  

・ 人のチャレンジを目の当たりにして自然と湧き上がる問い
 
・ 子どもやパートナーとの会話のなかにある『価値観の揺らぎ』
 
などが蓄積され、「あ、自分にもまだ諦め切れない何かがある」と気づいたりすることがあったりします。
 
 
そして、その気づきから
 
・ 今の自分が抱える『問いの再設計』だったり 

・ 日常会話にちょっとした問いのエッセンスを差し込んだり  

・ 自分の行動を『問いから始まる』ものに変更してみたり
 
そんな小さな実践を始めたりします。
 
「これまでの経験」の豊かさと「工夫してみることのできるアイディア」の引き出しの多さは、40代ならではですよね。
 
 
 
思い切って
 
「迷い」を「遊びに転換してみる」
 
そのための一歩は?
 
 
 
【40代は「再構成の技術」と「問いを楽しむ感性」が育っている黄金期】
 
 
人生の前半が「とことん実績を積み上げる時間」だとすれば、  

40代以降は自分なりの「意味の時間」「問いの時間」なんじゃないかと。
 
 
だからこそ

・ 整いすぎた理想のキャリアに惑わされず「問い直しの余白」を差し込んでみて
 
・ 過去に選ばなかった表現や関係性を『遊び』として「今だからこそ」再選択してみる 

・ そして誰かにとっての『正しくあろうとする自分』ではなく、自分が『面白がれる自分』と共に歩いてみる
 
それが、『40代を楽しむ』という言葉の本質のような気がして。
 
いつだってそれを始めることはできる。
 
それをいつから始めてみるか。
 
さぁ何から始めてみましょうか^^
 
 
 
 

ワオ!と言っているユーザー

自分を変えるのは小さな言葉の積み重ね

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自分を変えるのは小さな言葉の積...
【人は、インパクトのある言葉より『日々に染み込む言葉』によって変わる】
 
 
「言葉で人は変わる」と言うと、感動的なメッセージや、強い説得力を持つ一言───
 
私自身、そんなインパクトのある瞬間に意識が向きがちです。  
 

ただ、実際には、人の変化とは一度の衝撃より、何度も『響いてきた』小さな言葉によって育っていくものなのかと。  
 

つまり、関係の中で繰り返され、静かに染み込んでいく言葉の積み重ねこそが、自己認識を揺らし、行動の再選択を可能にしてくれているような気がしています。
 
 
 
【小さな言葉には、「認識の再構築」と「自己肯定感の地ならし」をする力がある】
 
人は、自分に対する言葉
 
特に、他者のまなざしを伴った言葉によって、「自分がどんな存在か」を少しずつ形づくっていきます。
 
小さな言葉は、  

・ 無防備な自分に届く  

・ 日常の中に溶け込んでいるため、違和感なく自分に染み込み
 
・ 「ただの会話」として扱われながら、自分の中で意味の再認識を促してくれる。
 
 
それによって
  
・ 「あ、そんなふうにも見てもらえてるのか」  

・ 「そうか、自分のこの動きには意味があるんだな」  

・ 「知らず知らず、言葉が変わってきてるかもしれない」
 
 
といった、「自己認識のずれ」が生まれ、そこから変化を許す余白と、自分を肯定する土台が整ってくるような気がしています。
 
 
また、声量ではなく回数によって届く言葉であるとも言えるような気がして、まずは穏やかに関係性に変化をつくる実践でもあるように思います。
 
 
 
【相手との言葉の積み重ねによって、自分の枠組みが変わった方の話】
 
 
「自分は何かに熱中するタイプではない」と長らく思っていた方がいました。  

挑戦や創造よりも、淡々とした日々を選びがちで、「変化を好まない自分」という枠組みを持っていたようです。
 
そんな風に自分をとらえていたこの方も、日々自分の興味関心のある事を楽しむ時間を過ごしていました。
 
 
そんな中、他者との何気ない会話の中で、こんな言葉を繰り返し受け取るようになったそうです。
 

 「最近、表情がやさしくなったね」 
 
「あのときの言葉、すごく相手に届いていた感じがしたよ」  

 「いつも誰にでも丁寧に接してるよね」
 
 
 
それらが繰り返されていくうちにこの方の中で、「淡々とした自分」ではなく「相手に対して丁寧な自分」という新しい枠組みが育ち始めたそうで  

それからは 
 
・ 自分なりの表現に一歩踏み出してみる 

・ 相手とのかかわりの中で、自分の強みを発揮してみる
 
ということを実践してみたことで
 
・ 無理なく静かな自己肯定が根付いているような感覚が生まれた
 
という変化が起きたそうです。
 
 
それは
 
大きな励ましじゃなくて、小さくて静かな言葉たちがこの方の輪郭を整えてくれた気がして「急かされずに変わる」という、優しいプロセスだったような感じがしています。
 
「小さな言葉の積み重ねが人を変える」が実感として宿った場面だったといえるのではないでしょうか。
 
 
 
【無理に変化させようとするよりも、「言葉を置く」ことで変化を育てる】
 
 
人を変えるのは、「説得」でも「指導」でもなく、『関係の中に置かれた言葉の温度』だと思っています。
 
  
・ 相手の存在にまなざしを向けた一言  

・ 何気ないけれど肯定を含んだ対話  

・ 繰り返し差し出される静かな思いやり
 
それが、「自分を変える」ではなく、「変わっていく自分」に気づくための土台を作ってくれるんだと。
 
さて
 
私はどんな『小さな言葉』を日々受け取っているでしょう。
 
意識してみることで、何かが変わり始めるかもしれませんね^^
 
 

ワオ!と言っているユーザー

『人が変わるとき』のメカニズム

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『人が変わるとき』のメカニズム...
【人が変わるとは、状況が変わることではなく、『自己認識の枠組み』が書き換わることである】
 
 
私自身「人が変わる」と聞くと
 

・ 新しい行動を始める  

・ 習慣が変わる  

・ 周囲との関わり方が変化する
 
 
といった「外から見える変化」を思い浮かべがちです。  
 

そのうえで本質的な変化とは
 
「自分はこういう人間だ」
 
「この場ではこう振る舞うものだ」
 
という『 枠組み』の書き換えなんじゃないかと。  
 

つまり
 
人が変わるときには、行動以上に
 
『認知の更新』と『意味の再構築』が起きているんでしょうね。
 
 
 
【変化は、実践だけではなく『自己の積み重ねの問い直し』によって起こる】
 
人が変わるために必要なのは、「行動力」ももちろんですが、「認識力」に大きく左右されると思っています。  
 

少し逸れますが、人の振る舞いや態度は、ひとつには以下の構造に支えられているということを学びました。
 
〇心理的構造

・ 信念(Beliefs):自分や世界に対する信じ込み  

・ 自己概念(Self-schema):自分の性格・役割・期待に対する理解  

・ 選択モデル(Choice map):どういう選択肢があると思っているか
 
 
この辺が変わらない限り、表面的な行動の変化は起こすことができたとしても、長続きしないといわれています。
 
 
そして、これらが書き換わるタイミングには必ず
  

・ 「これまでの認識では対処できない」  

・ 「現状が意味づけできない」
 
・ 「関係性の中で違和感が立ち上がる」
 
 
といった、『心理的な揺らぎ』が起きているような気がします。
 
その揺らぎに対して、問いが立ち、構造が再編されることで、人は少しずつ変化が進んでいく。  

つまり、人が変わる瞬間とは、認識の土台が揺れ、再構築が始まった瞬間でもあるように思います。
 
 
 
【私自身の変化として】
 
私自身、以前は「私は関係構築が苦手だ」と思い込んでいました。  
 
というのも「どう思われているか」が気になり過ぎて、ついつい話し過ぎたり、汗が止まらなくなったり。
 
この辺はまだ変わっていない部分でもありますが(笑)
 

そのため、場に出ても
 
「話しづらいな…」
 
「関係が薄いような…」
 
「わかってもらえたかな...」
 
なんてことを感じ、手応えが持てないでいました。
 
 
ところがある日、とある場面でこんな言葉をいただきました。
  
「あなたは、私の話す準備が整うまで待ってくれるような気がして。  
だから、安心して話せる気がします。」
 
この言葉によって、「私は関係構築が苦手」から「関係性の中にゆとりをつくることのできるタイプ」なのかもしれない
 
という『枠組みの書き換え』が始まりました。
 
 
それからは

・ 沈黙しても大丈夫
 
・ 伝えようとするばかりではなく、『待つ』ということの大切さを知り

・ 「静かに関係を支える力」を自分の軸にしてもいい
 
ということを意識するようになりました。
 
 
行動は小さく変わっただけですが、認識の枠組みが変わったことで、存在そのものが変化したような、そんな感覚でした。
 
 
 
 
【人が変わるとは、「問いと意味の手ざわりが変わる」こと】
 
 
変化は、成果や行動に現れる前に「自分との対話の質」に現れるように思っています。  

そして、人が変わるときには
 
・ 信じていた自分像に違和感が生まれ  

・ 新しい言葉が自分に響き、今までの前提が揺らいで  

・ 揺らぎの中に意味が『宿り直す』ことで、実践が再構成されていく。
 
 
それが、人が変わる心理的メカニズムの核心のような気がしています。
 
 
 
 

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【第2章】「理想的なキャリアの実現」から考える 自分らしい働き方の見つけ方

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【第2章】「理想的なキャリアの実現」から考える 自分らしい働...
第2章:理想的なキャリアとは何か?

・キャリア=肩書きではなく「人生の物語」

「あなたのキャリアは何ですか?」と問われたとき、私たちはつい、職業や肩書きで答えてしまいがちです。
 
けれど、本当にそれだけがキャリアなのでしょうか。
 
キャリアとは、単なる職歴や肩書きではなく、自分がどんな価値を大切にし、どんな選択を重ねてきたかという「人生の物語」です。
 
それは
 
成功や失敗
 
迷いや決断
 
出会いや別れ
 
そうした一つひとつの出来事が織りなす、あなただけの軌跡。
 
アメリカのキャリア理論家マーク・サビカスは、「キャリアは意味を運ぶ物語である」と語りました。
 
つまり、私たちは自分の経験に意味を見出し、それを語ることで、自分自身のキャリアを「構築」していくのです。
 
「キャリア=人生の物語」という視点から、
肩書きに縛られない、自分らしいキャリアのあり方を探っていきましょう。
 
きっと、あなたの中にある『静かな強さ』が、そっと顔を出してくれるはずです。
 

・キャリア形成の6つのステップ

ー自己理解から適応までの旅路ー
 
理想的なキャリアは、偶然の積み重ねではなく、意識的な選択と行動の連続によって形づくられていきます。
 
キャリア形成は以下の6つのステップで構成されるとされています。
 
 
 ステップ①:自己理解
まずは、自分自身を深く知ることから始まります。
価値観、強み、弱み、興味、ライフスタイル、人生の優先順位などを棚卸しすることで、キャリアの土台が築かれます。

 
 
 ステップ②:仕事理解
次に、自分が関心を持つ仕事や職業についての情報を集め、理解を深めます。
仕事内容、必要なスキル、働く環境、報酬、将来性などを知ることで、選択肢が現実味を帯びてきます。
「ジョブ」と「ワーク」の違いを意識することも大切です。
 
 
 ステップ③:啓発的経験
選択肢を絞る前に、実際に体験してみる段階です。
インターンシップ、職場見学、ボランティア、副業などを通じて、仕事のリアルな側面に触れることで、内的キャリアと外的キャリアの接点が見えてきます。
 
 
 ステップ④:意思決定
十分な情報と体験をもとに、自分にとって最も納得感のある選択を行います。
この段階では、迷いや葛藤が生じることもありますが、「選ぶこと」そのものが自己信頼の表れでもあります。
 
 
 ステップ⑤:方策の実行
選んだ道に向かって、具体的な行動を起こします。
就職・転職活動、学び直し、スキル習得、ネットワーク構築など、意思決定を現実に落とし込むフェーズです。
ここでは「小さな一歩」が大きな変化を生むこともあります。
 
 
 ステップ⑥:仕事への適応
新しい環境に身を置きながら、自分らしく働く術を見つけていきます。
適応とは、ただ「慣れる」ことではなく、自分の価値を活かしながら環境と調和すること。
この段階での振り返りが、次のキャリア形成のサイクルへとつながっていきます。
 
 
キャリア形成は一度きりのプロセスではなく、人生の節目ごとに繰り返される「螺旋的な成長の旅」です。
どのステップも、あなた自身の物語を深める大切な章。
 
どうぞ、焦らず、丁寧に。
あなたの歩幅で、次の一歩を見つけていってくださいね。
 
 
 
また、キャリア形成における躓きやすい点と心掛けておきたい点についても触れてみたいと思います。
 
キャリア形成は、一直線に進むものではありません。
 
時には立ち止まり、迷い、思い通りにいかないこともあるでしょう。
 
 
それでも、その過程こそが「物語」を深める大切な要素です。
 
 
以下に、各ステップで躓きやすい点と、心掛けておきたいことをまとめました。
 
 
 ステップ①:自己理解

躓きやすい点:自分の価値観や強みが曖昧なまま進めてしまう
他者の評価に引っ張られてしまう

心掛けたいこと:「何が好きか」「何に違和感を覚えるか」など、感情の動きを手がかりにする
定期的に振り返り、言語化する習慣を持つ(ジャーナリングなども有効です)
 

 ステップ②:仕事理解

躓きやすい点:情報が多すぎて混乱する
理想と現実のギャップに戸惑う

心掛けたいこと:「自分にとっての働く意味」を軸に情報を整理する
実際に働いている人の声を聞くことで、リアルな視点を得る

 
 ステップ③:啓発的経験

躓きやすい点:体験の場が見つからない
一度の経験で判断してしまう

心掛けたいこと:小さな体験でも「何を感じたか」に注目する
複数の場面で比較しながら、自分の反応を観察する

 
 ステップ④:意思決定

躓きやすい点:選択肢が多すぎて決められない
「間違えたらどうしよう」と不安になる

心掛けたいこと:「今の自分にとっての納得感」を大切にする
完璧な選択よりも、選んだ後に育てていく意識を持つ

 
 ステップ⑤:方策の実行

躓きやすい点:行動に移す勇気が出ない
周囲の反応が気になってしまう

心掛けたいこと:小さな一歩から始める(例:1人に話してみる、1冊本を読む)
「行動=実験」と捉え、結果よりも気づきを重視する

 
 ステップ⑥:仕事への適応

躓きやすい点:理想と現実のギャップに落ち込む
自分らしさを出すことに遠慮してしまう

心掛けたいこと:適応とは「自分を消すこと」ではなく「自分を活かすこと」

小さな違和感を放置せず、対話や振り返りを通じて調整していく。
 
 

 
キャリア形成は、「正解を探す旅」ではなく「自分らしさを育てる旅」です。
 
躓きも、迷いも、物語の一部。
 
どうぞ、安心して歩みを進めてください。
 
その一歩一歩が、きっと誰かの希望にもつながっていきます。
 
 

・理想は描くことで現実に近づく

「理想を描くことに意味はあるのか?」
 
そんな問いを抱えたまま、日々の忙しさに流されてしまう人は少なくありません。
 
けれど、理想を描くことは、ただの空想ではなく、現実への道筋を照らす灯りになるのです。
 
たとえば、私がかかわらせていただいた、ある30代の会社員の方の話です。
 
彼は「人の成長に関わる仕事がしたい」という漠然とした理想を持ちながら、営業職として日々を過ごしていました。
 
ある日、研修の際に「理想の自分」を紙に書き出す機会があったそうです。
 
そこには、「人の話を丁寧に聴き、気づきを促す存在」「安心感を与える言葉を届ける人」といった姿が描かれていました。
 
その瞬間、彼は気づきます。
 
「今の仕事でも、顧客との対話を通じて、相手の課題に寄り添うことはできる」と。
 
それから彼は、営業の場面で『聴く姿勢』を意識し始め、社内でも「相談しやすい人」として信頼を集めるようになりました。
 
数年後、彼は社内の人材育成部門に異動し、今では若手社員のメンターとして活躍しています。
 
理想を描いたからこそ、現実の中に「意味」を見出せた。
 
そして、その意味が行動を変え、環境を変え、未来を変えていった場面でした。
 
 
理想は、現実とのギャップを生むこともあります。
 
でも、そのギャップこそが、自分が本当に望んでいることを教えてくれます。
 
そして、理想を描くことで、今の自分にできる小さな一歩が見えてくる。
 
どうぞ、静かに自分自身に問いかけてみてください。
 
「理想の自分は、どんなふうに人と関わっているだろう?」
 
「その姿に近づくために、今日できることは何だろう?」
 
その問いが、あなたの物語を動かし始めるかもしれません。
 
そして、描いた理想が、やがて現実にそっと寄り添ってくるはずです。
 
 
☆第3章~第8章まではnoteにて公開いたしますので、お楽しみに!
 
 
 
 
 
 

ワオ!と言っているユーザー

「理想的なキャリアの実現」から考える 自分らしい働き方の見つけ方

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「理想的なキャリアの実現」から考える 自分らしい働き方の見つ...
 
 
「理想的なキャリア」と聞いて、あなたは何を思い浮かべますか?

多くの人が夢や目標を掲げる一方で、現実とのギャップに戸惑いながら働いています。

自分らしくあることと、社会に適応すること
 
その間に揺れる感情は、決して他人事ではありません。

本記事では、「理想」の定義を再考しながら、あなたらしい働き方に近づくための視点を探ります。
 
───────────────
 
noteにもチャレンジしてみようと書いた記事をこちらにも少し書き残したいと思います。
 
まだ途中ですが、よければお付き合いください!
 
───────────────
 
 
第1章:はじめに —— 働くとは何か?
 
・働くことの意味を問い直す
・「生きるため」から「生き方そのもの」へ
・自分らしさと社会との接点
 
 

第2章:理想的なキャリアとは何か?
 
・キャリア=肩書きではなく「人生の物語」
・キャリア形成の6つのステップ(自己理解〜適応)
・「理想」は描くことで現実に近づく
 
 

第3章:自分らしさの源泉を探る
 
・自己理解の深め方(価値観・強み・感情のトリガー)
・人生の棚卸しと問いかけの技法
・「静かな情熱」に耳を澄ます
 
 

第4章:働き方の選択肢を広げる
 
・多様な働き方(フリーランス、複業、リモート etc.)
・働き方のスタイルとライフステージの関係
・外の世界との接点がもたらす気づき
 
 

第5章:理想のキャリアを描く
 
・3年後・5年後・10年後の未来設計
・キャリアプランの時間軸と役割の変化
・自分らしさが活きる環境の見極め方
 
 

第6章:自分らしい働き方の実現ステップ
 
・実践と試行錯誤のすすめ
・専門家や仲間との対話の力
・柔軟性・自己主張・手放す勇気
 
 

第7章:変化とともに働き方を育てる
 
・時代と自分の変化への適応
・キャリアはスパイラルに育つもの
・「今の違和感」は未来へのサイン
 
 

第8章:おわりに —— 働くことは、自分を生きること
 
・自分らしい働き方は「静かな革命」
・誰もが持つ物語を、働くことで紡いでいく
・あなたのキャリアは、あなたにしか描けない
 
───────────────
 
第1章:はじめに —— 働くとは何か?

働くことの意味を問い直す

私たちは、なぜ働くのだろう。

生活のため?
 
社会の一員としての責任?
 
それとも
 
自分らしさを表現するため?
 
この問いは、あまりにも日常に埋もれていて、立ち止まって考える機会は少ない。
 
けれど、働く時間が人生の大半を占める今だからこそ、「働くことの意味」を問い直すことは、自分自身の生き方を見つめ直すことにつながる。
 
古代ギリシャでは、労働は自由人の営みではなく、奴隷の役割とされていた。
一方、近代の哲学者マルクスは「労働こそが人間を人間たらしめる」と語り、ハンナ・アーレントは「労働・仕事・活動」の三層構造で人間の営みを捉えた。
 
時代とともに、働くことの意味は変化してきた。
 
そして今、私たちは「働くこと=生きること」と捉える時代に生きている。
 
一度立ち止まり「働くとは何か?」を問い直しながら、自身の働き方に対する固定された視点を揺さぶるきっかけができたとしたら、今の自分はどんなことを感じるだろう。
 
それは、理想的なキャリアを描くための第一歩であり、静かに自分らしさを育てる旅の始まりでもあるような気がする。
 
 
 
・「生きるため」から「行き方そのもの」へ
 

かつて、働くことは「生きるための手段」として語られてきた。
 
衣食住を支え、家族を守り、社会の一員として役割を果たす
 
それは確かに尊い営みだ。
 
けれど、私たちは今、働くことに「目的」だけでなく「意味」を求める時代に生きている。
 
働くことは、単なる手段ではなく、自分の価値観や美意識、そして「どんなふうに生きたいか」を映し出す鏡になっている。
 
働き方は、生き方そのものになった。
 
どんな場所で、どんな人と、どんな姿勢で働くか。
 
その選択の積み重ねが、私たちの人生の輪郭を形づくっていく。
 
「何のために働くか」ではなく、「どんなふうに働くか」が、私たちの存在を語る時代。
 
「働くこと=行き方そのもの」という視点から、自分自身の働き方に宿る哲学や美意識を見つめ直してみるのはどうだろうか。
 
それは、キャリアの選択を超えて、自分らしく生きるための「姿勢」を見つ直す時間になるかもしれない。
 

・自分らしさと社会の接点
 
 
 
「自分らしく生きたい」
 
この言葉は、今や多くの人が口にする理想となった。
 
けれど、私たちは社会の中で生きている。
 
価値観
 
役割
 
期待
 
評価
 
それらが複雑に絡み合う場所で、「自分らしさ」はときに揺らぎ、見失われる。
 
自分らしさとは、孤立した個性ではない。
それは、社会との関係性の中で育まれ、磨かれていくものだ。
 
社会が私たちに何を求めているのか。
 
そして、私たちはその期待にどう応えるのか。
 
その往復の中にこそ、「自分らしさと社会の接点」がある。
 
たとえば、職場でのふるまい。
 
家庭での役割。
 
SNSでの発信。
 
それぞれの場面で、私たちは「〇〇としての私」を演じている。
 
それは偽りではなく、社会との接点を持つための知恵でもある。
 
けれど
 
もしそのふるまいが「本当の自分」を遠ざけていると感じたら
 
その違和感こそが、問いの始まりだ。
 
「私は、どんな価値を大切にしているのか?」
 
「この社会との接点は、私の物語にどう影響しているのか?」
 
自分らしさは、社会から切り離された「純粋な核」ではない。
 
むしろ、社会との接点を通じて、少しずつ形を変えながら育っていく「動的な輪郭」なのかもしれない。
 
時には立ち止まって「自分らしさ」と「社会との接点」をめぐる問いを通じて、少しずつ形を変えてきた自分を感じてみてはどうだろうか。
 
次回へ
 
 
 
 

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学生時代とは違う社会人だからこその「予習・実践・復習」学びの大切さ

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学生時代とは違う社会人だからこ...
【社会人にとっての『予習・実践・復習』は、単なる学習ではなく、実感を伴う知識化の手順】
 
学生時代の学びは、インプットとアウトプットが分かれている構造が多く、「予習→授業→復習」といったどちらかと言うと一方向の流れでした。
 
けれども社会人になると

・ 学びが実践に結びついて 
・ 行動を成果に変える責任がともない
 
そのため

・ 自分で選び、自分で振り返る力が必要になる
 
ことを実感しています。
 
つまり
 
予習・実践・復習は「受け身の学習」ではなく、「自分で意味づけして結果を作るための循環」になっているんじゃないかと。
 
 
それによって、知識は「覚えたこと」から、「使える・育てられるもの」に変わり、今があるような気がしています。
 
 
【学びは、「扱った量」と同じだけ「扱った結果」で定着するから】
 
社会人の学びには学生時代とは違う、意味づけの質が問われます。
 
それは結果を求められる機会が増えるからだと思うのですが
 
 
どれだけ知識を得ても、ただ受け取って終わりでは、自分の経験値に染み込ませることができない。  
 

そのためには
 

・ 予習:事前に自分の問いや関心を見つけておく  

・ 実践:知識をただ使うのではなく、「どんな場面でどう効くか」を体感する  

・ 復習:結果や反応をもとに、「何が起きたか」を再整理し、再定義する
 
こうしたプロセスによって、知識は「他人の言葉」から「自分の言葉」になっていくんじゃないかと。  

つまり
 
「扱える知識」とは、「関係性と経験の中で意味づけされた言葉」の集合体になっているんでしょうね。
 
また
 
この循環があることで

・ 知識が実践の場で無くなることがない  

・ 失敗が学びに転換される  

・ 自分なりの再現性が生まれる
 
という、「学びの持続性」が育っていくと思っています。
 
 
学びは、「知識の量」だけではなく、「関わる質」。  

だからこそ、社会人にとっての予習・実践・復習は、  

・ 自分の関心と問いを整える予習  
・ 自分の体感と違和感を育てる実践  
・ 自分の意味づけを言葉にする復習
 
という「自分との対話の設計」そのものになるような、そんな気がしています。
 
新しい週のはじまりですね!
 
今週も一緒に頑張りましょう!

ワオ!と言っているユーザー

素直な気持ちを大切に

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素直な気持ちを大切に...
 
 
「人のためになりたい」
 
「誰かを支えたい」
 
私と同じようにそんな思いで福祉職に就いた人は、たぶんたくさんいると思います。
 
  
ただ
 
現場に立ち続けるうちに、  
 
「頑張っても報われない気がする」  
 
「自分の支援(思い)に意味があるのかわからない」
  
「これから先、何を目指せばいいのか見えない」
 
そんな思いに悩む方もたくさんいるように感じてます。
 
福祉職の多くの方のキャリアの悩みには
 
「やりがいがなくなる」ではなく、「やりがい」を放っておかれていたり、「やりがい」なんて無視される中でも、「やりがいがあるからこそ迷う」という、深い誠実さから生まれる問いなのだと思います。
 
そのうえで
 
福祉職のキャリアに悩みが生まれやすい理由はたくさんあると思っていますが、構造的な要因が重なっているからだとも思っていて
 
・ 役割が曖昧になりやすい  
  → 支える側としての立場が、関係性の中で拡張·変形しやすく、自分がこの仕事を目指した思いがどんどん見えづらくなる。
 
・ 専門性が可視化されにくい  
  → 対人支援や関係調整などの成果が「定量化」されにくく、スキルや成長が実感しづらい。また、(組織に)スケールするための仕組みがない。
 
・ 評価と報酬が乖離しやすい  
  → いくら工夫しても、励ましや承認を得られず、成果が見えづらいことから、現場での貢献を何かしらの形でフィードバックされる環境にない。
 
・ 感情労働による疲弊  
  → 常に「関係性の温度」を扱うことで、知らず知らずに自分の感情が摩耗していく。
そのうえで人間関係をサービスの基本とするため、人間関係で消耗する自分の限界を、自分で認めることを難しくさせている。
 
そんな感じで、福祉職には
 
「やりがいがあるが、成果が見えづらい」
 
「貢献しているが、報酬が少ない」
 
といった、構造的なアンバランスさがたくさん存在しているんでしょうね。
 
そしてそれらが要因となって
  
・ 自分の仕事に意味を見出すのが難しくなったり  
 
・ キャリアの次の一歩が見えなくなったり  
 
・ 支援者ではあるが、自分自身が組織に支えられていない感覚になる
 
という、それはそれは「静かな消耗」が起こり、キャリアの悩みとしてどんどん膨らんでいくんじゃないかと。
 
まぁこの辺は私自身の実感に過ぎませんが(笑)
 
ただ
 
悩むことは、「弱さ」ではなく、自分の思いに正直な姿勢と、この仕事を目指してきた「意味」を求める誠実さなんだと思っています。
 
  
そして
 
人間関係の最前線で一生懸命取り組まれている福祉職の方こそ、常に「問いを持つ」ことを意識することが、キャリアの質を支える柱になるんじゃないかと。
 
 
 
・ できることだけではなく、大切にしたいことを軸にしながら  
 
・外側の評価だけではなく、時には自分だけの内側の納得を育て  
 
・ 役割から離れても、自分の素直な思いに戻ってこられるようなスタンスをいつも心に掛け、日々の実践を行う
 
などなど
 
それらが、福祉職のキャリアを『(現場にしか有益ではない)決まりごとよりも個人の思いを大切にする』『(組織の)普通の書き換え』を行う道筋となり、本当は自分の力をどう使いたかったのか、自分が目指す先へ向かう原動力になっていくような、そんな気がしています。  
 
心が折れることがたくさんあるかと思いますが、現場の皆さんがいるからこそ実現されている今の安心を、これからも一緒に支えていきたいし、これから現場に飛び込んでくる若者の力にもなりたいし、何よりもサービスを必要としている方々と、大変ながらも笑い合える時間を作っていきたいなと、そんなことを思う1週間でした。
 
さぁ、明日はゆっくり休んでまた明後日から頑張ろうーっと(笑)
 
皆さん今週もありがとうございました♪
 
現場で頑張る皆さんと一緒に、この暑い夏を乗り越えます👨🏿‍🦲笑
 
引き続きどうぞよろしくお願いいたします!
 

ワオ!と言っているユーザー

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