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加藤雄一のブログ

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先が見えなくても進もうとするのはどうして?

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先が見えなくても進もうとするの...

【見えないものを信じる力は、確信ではなく『かかわり続ける姿勢』によって育まれる】
 
未来、可能性、関係性、自分の変化…
 

それらは、感じることはあってもなかなか目に見えるものではありません。  
 
 
だからこそ不安になることもあるし、立ち止まりたくなることもある。
 
ただそれでも進もうとするのは、どこかに「信じる自分」がいて、「実現させようとする自分」がいるはずなんですよね。
 
 
その「信じる」という営みには、証拠や保証ではなく、かかわり続けることによって少しずつ実感が育っていくプロセスがあって、その納得感がいつの間にか根拠のない自信となり、自分を形作っていくような、そんな気がしています。
 
つまり、「見えないものを信じる」とは、信じるに値するかではなく、信じることで意味が育つかを問い続ける実践なのだと思います。
 
 
 
【信じるとは、確かさではなく、自分にとって大切なことの意味づけの選択】
 
 
人は、見えないものに対して
 
・ 疑う  
・ 距離を取る  
・ 保留する
 
といった反応をしがちです。  
 

それは
 
傷つきたくない…
 
裏切られたくない…
 
無駄にしたくない…
 
という防衛の表れでもありますよね。
 
 
けれども
 
「信じる」という行為は、
 
・ その対象に意味を宿し
 
・ 自分の行動に納得を与え  

・ 関係性に余白をつくる
 
などという構造的な選択の表れでもあると思っています。
 
 
そして、見えないものを信じるためにできることは
 
🔍【問いを持ち続けること】

→「これは本当に意味があるのか?」ではなく、「この営みに、どんな意味を宿したいか?」という問いを持ってみる
 
 
🧭【記録すること】

→ 小さな実感や違和感を言葉に残すことで、「見えないもの」が「見え始めるもの」に変わっていく
 
 
🫱【誰かと共有すること】

→ 自分だけでは揺らいでしまう信じる力を、他者との対話によって支えられている
 
つまり、信じるとは確かさだけではなく、意味づけの技術でもあり、関係性の構造でもあるのかもしれません。
 
 
 
見えないものを信じるためにできることは
  
・ 問いを持ち続けること  
・ 実感を記録すること  
・ 他者と語り合うこと
 
そして何より、かかわり続けることそのものが、信じる力を育てていく。
 
大変なのにそこで終わることができないことが、何よりも今大切に感じていることの表れなのかと。
 
 
手応えもなく成果が見えなくても、進もうとしている自分がいる。
 
そんな見えないものとの関係性を丁寧に紡ぐ実践、そのものが「信じる」ことの表れなんでしょうね。
 
さぁ今日も一緒に1mmでも先に進みましょう!

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