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比べられることを受け入れる

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比べられることを受け入れる...
【比べられることは、「自分を形作る輪郭を知るための鏡」にもなり得る】
 
 
誰かと比べてホッとしたり
 
誰かと比べられてガッカリしたり。
 
 
人は誰かと比べられると、多くは
  
・ 劣っているように感じる  
 
・ 自分の価値が揺らぐ  
 
・ 評価に支配される
 
 
そんな苦しさを抱えがちになりますよね。
 
  
ただ、これまで比べられることから逃げずに向き合うことで、自分の「強み・価値・願い」などが浮かび上がることもあったのではないでしょうか。  
 
そして逃げてみたからこそ、わかったこともあったのではないかと。
 
つまり、比べるとは競争ではなく、『自己理解の補助線』として扱うことができるような気がしています。
 
 
 
【比較は、違いを通じて自分の意味を問い直す契機になる】
 
 
比べられることが苦しいのは
  
・ 評価軸が他者にある  
 
・ 自分の価値が外側で決まる  
 
・ 勝ち負けの構造に巻き込まれる
 
といったことから感じられるものではないでしょうか。
 
 
そうだとすると、その構造を問い直すことで、比較は次のような意味を持ち始めるように思っています
 
〇 自分の輪郭を知る
 
→ 他者との違いを通じて、「自分は何を大切にしているか」「どんな場面で力を発揮するか」が見えてくる
 
 
〇価値観の再確認
 
→ 比較されることで、「自分は何に納得できないか」「どんな評価軸に違和感があるか」が明確になる
 
 
〇 関係性の質を問い直す
 
→ 比較される場面で、「この関係は自分を活かしているか?」という問いが立ち上がる
 
つまり、比較は自分を見失うきっかけではなく、『自分を見つけ直すきっかけ』にもなり得るのです。
 
 
 
【比べられることを通じて、自分の軸を見つけた話】
 
 
私自身、同僚の仕事ぶりに圧倒され、「自分はこの仕事に向いていないのでは」と感じていたものです。
 
場の盛り上げ方、言葉の選び方、構造の整え方──すべてにおいて「自分より上」と感じていました。
 
 
それから年月を重ね、自分自身も自己研鑽してきたつもりではあるものの、なかなか人と比べることから抜け出せず。
 
そんな中、とある学びの時間の中で、参加者から「あなたの話す雰囲気や沈黙の使い方が、安心感を生んでいた」と言われたことで、  
 
「自分は無理してまで場を動かすタイプではなく、場に安心感を作っていくタイプなのかもしれない」ということを感じました。
 
 
そこから
 
・ 自分の支援スタイルを『静かな関係性設計をする者』として言語化し 
 
・ 他者との違いを『役割の違い』として捉え直す  
 
そして
 
・ 比較されることを『自分の輪郭を知る機会』として扱う
 
という変化が起こり、他者とのかかわりの質も、自己理解も深まっていったように感じています。
 
比べられることは怖かったけれど、逃げずに向き合ったことで、『自分在り方』が見えてきた。
 
違いは、劣っている証じゃなくて、『役割の分担』だったのではないかと、そんな気づきがありました。
 
まさに、比較が『自己理解の補助線』に変わった瞬間だったかもしれせん。
 
 
【比べられることは、自分を見失うリスクではなく、自分を見つけ直す契機】
 
 
逃げたくなる比較の場面はきっとこれからもたくさんあると思います。
 
そんな時こそ
  
・ 自分の価値観を問い直すチャンス
 
と捉えて
 
・ 他者との違いを言語化する機会
 
と考え
 
・ 自分の輪郭を整えるための鏡
 
にしてみる。
 
そして何より、「違いを扱える力」を最大限に活用して、『関係性の質』を高めていく。
 
そうやって比較と誠実な向き合いながら、その延長線上にある自分自身や他者とのかかわりの実践を重ねていきたいと思っています。
 

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