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加藤雄一のブログ

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あなたの魅力や強みを輝かせるお手伝いをしています

強みは「見つける」ものではなく「信じる」もの

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強みは「見つける」ものではなく...
自分を認めることって、とても難しい。
 
 

まわりから
 
「それって、君の強みよね」
 
と言われても、どこかピンとこなかった。  

「こんなの当たり前でしょ」って思ってしまって、素直に受け取れなかった。  
 

それよりも
 
「足りないこと」
 
の方が気になって、いつも自分にダメ出ししかしていなかったような。
 
 

強みを探しては
 
「んー…でも自信がない」
 
「これって、特別じゃない」
 
と否定してしまう。  

他人のすごさばかりが目に入って、自分の良さには超絶鈍感だった。  
 

本当は、もっと堂々と自分のことを認めたいのに、たぶんそれは怖かったんだと思う。
 

自分が何気なくやったことに対して、誰かがこう言ったことがあった。  

「それ、私にはできないから本当にすごいことよね」

その言葉を聞いてハッとした。
 
エッ?と思った。
 
「当たり前にできること」を強みって思ってもいいんだ。
 
それはきっと、誰かにとっては価値のある才能なのかもしれないと、少しだけ胸が温かくなった。
 
 
 

そこではじめたのが、「強み」っぽいことをメモ帳に記していくことだった。  
 
 
 
気になる言葉。
 
何となく心地好いワード。
 
聞くと心が反応する。
 

1日1つは、自分ができたこと、誰かに喜ばれたこと、小さな達成を記録する。  
 
1つどころでおさまらない(笑)
 
胸に残る言葉でドンドン埋まっていたのよ。
 
 

さらに、その行動の裏にある「資質」を思うままに言葉にしてみた。  

たとえば

「相手の話を丁寧に聞いた」
→共感力・傾聴力  

「アイデアを整理して伝えた」
→構造化・伝達力  
 
そうすることで、「できごと」が「能力」として自分の中に定着していくような感覚になった。
 
そうなんだ。
 
強みは名詞ではなく、動詞として発揮されていて、それは誰かのために使われてはじめて自分の力として実感できる、そんな気持ちになることができた。
 


「なんとなく得意かも」
 
「周りからよく褒められる」
 
と感じたことは、立派な才能の芽なんだ。  

まずは、自分自身が信じてあげること。それが何よりも大切な第一歩になる。
 
そしてそれは、遠慮なく使うべき、自分とそれによって助かる誰かのための力なんだと思う。

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感情を隠していた自分に、さよなら♪

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感情を隠していた自分に、さよな...
 

いつからだろう。  
 
 

感情を見せるのは「弱いこと」だと思っていたのは。  

人前で泣くなんて、カッコ悪い。  
 
いや
 
泣くこと自体、かっこ悪い。
 

そうやって笑顔で平気なフリをして、たくさんの気持ちを押し込めてきた。  
 
むしろ
 
泣くことを忘れてた。
 
 

心の奥ではずっとしんどかった。  
 

でも「大丈夫?」と聞かれると、条件反射のように「大丈夫」と答えてしまう。  
 
本当はそれだけで泣きそう。
 
絶対に下手くそな笑い顔になってる。
 
それだけはわかった。
 
いや
 
自然に笑顔を作ることすら難しくなってるんだ。
 
 

ひとりになった夜にだけ、少しだけため息をつく。  
 
自然と深く。
 

「泣いたら、負けたみたいで嫌だ」
 
そんな意地みたいなものが、自分を余計に苦しめているのもわかってる。  
 
 
 
ただ日常の中に、グッと心をつかまれる時もある。
 
それが映画のワンシーンだったり、
誰かのひと言だったり。
 
とある本に書かれていた、こんなフレーズに涙が溢れた。
 
「泣くって、心の浄化なんだよ。心の中の嵐を外に出すことなんだ」
 

その瞬間、堰を切ったように涙が溢れてきた。  

誰にも見られていないのに、泣くことすらためらっていた自分が、少しずつほぐれていくのを感じた。
 
涙だけじゃない。
 
自然と声まで出る。
 
そうだ
 
ボクは泣きたかったんだ。
 
 
  
泣いたあとは、不思議なくらい心が軽くなる。  
 
ずっと込み上げていて、ノドのその辺にあったものが、嘘のようにどこかに行ってしまう。
 
 

そこからは、感情を否定しないことにした。  

辛いときは辛いと言う。
 
泣きたいときは泣く。  
 
嫌いなものは嫌い。
 
何か気分が悪いことは、気分が悪いという。
 
それは「他の誰か」に言っているわけじゃない。
 
 
自分がそうなんだって、自分に言ってあげてるだけ。
 

誰かに迷惑をかけないように、じゃない。  
 
誰かに嫌われないように、じゃない。

「自分の心に嘘をつかないように」
 
と、優先順位を変えただけなんだ。  
 
自分が泣きたい時
 
誰かが泣きたいんじゃないかなと感じる時に思うのが
 
「泣くことは、壊れることじゃない。整えることだ」
 
「泣くことはかっこ悪くない。ちょっと切り替えたいだけ」
 

涙は、溜まりすぎた想いを外へ流すためのやさしい「しくみ」なんだと思う。
 
泣ける自分は、壊れているんじゃない。
 
感じていることを正しく表現するための強さであるとも思う。。  
 

だから、感情を閉じ込めそうになったときは、こう言ってあげてほしい。
 
「もうめっちゃ泣いていいよ」
 
「さっぱりするから」

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結局、戻ってくるのは“あの輪”だった~ 信頼でつながる人間関係 ~

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結局、戻ってくるのは“あの輪”...
「新鮮で刺激的!」
 
 
新しい挑戦を始めたころ、刺激が欲しくて、さまざまな場所で新しい人と出会った。  
 

何かチャンスや成長のヒントを求めて、人脈を増やし続けた日々。  
 

名刺もSNSでのご縁も増えて、「繋がり」は膨らんで、何だかとても面白かった。
 

でも
 
何かが少し違う。
 
何か満たされない。  
 
拭えない違和感。
 

一緒にいてもどこか気を使い、笑顔の裏で探り合う空気が流れているような、そんな気配を勝手に感じる。  
 
 

「本音で話せる人って、誰だったっけ?」
 
 
 
とふと立ち止まる瞬間が増えた。  
 

広がった繋がりの中で、心の深いところはどこか孤独だった。
 
決定的にそんなことを感じているわけではないけど、何かそんな感じがした。
 
 

と、ある日、地域活動を共に楽しんでいた頃の友人と再会した。  

取り繕う必要もなく、言葉を選ばなくても通じる空気。  

仕事や実績を並べなくても、「そのままの自分」でいられる時間に、張りつめていた気持ちがあったことに気づき、そして緩んだままでも大丈夫な時間に心地好ささえ感じていた。
 
 
  
もしかしたら
 
 
肩書きやメリットが膨らんでいたのかもしれない。
 
 
 
とにかく言葉を並べ続けて、黙ったままだと何だか気持ち悪い時間を、ここ最近はすごしていたのかもしれない。
 
 
“安心して黙ってても大丈夫”
 
そんな仲間といたのは、いつだっただろう。  
 

共通の目的がなくても、いてくれるだけで強くなれる仲間。  
 
それでいて志に理解があって、目指す景色は何だか同じ、そんな同志。
 

新たな出会いももちろん大切だけれど、自分の軸を保てる関係があるからこそ、挑戦できると、毎日実感してる。
 
 
  
どんなに世界が広がっても、最後に笑っていられるのは
 
間違いなく「気心の知れた仲間」
 
だと思う。  
 

自分を飾らずにいられて、弱音も言える存在は、何よりの安心材料。
 
派手じゃなくていい。少なくてもいい。  
 
遠慮なくぶつかりたい。
 
 

本音でつながれる数人がいれば、人生はずっと強くてあたたかいものになるんだと、そんな気がしてる。

ワオ!と言っているユーザー

自分だけは自分の味方でいたい

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自分だけは自分の味方でいたい
人と比べては落ち込み、SNSで流れるキラキラした投稿や他人の活躍にため息が出る。  
 
「楽しそう」
 
「いいな」

「どうしてあの人はあんなに好かれるんだろう」  
 
そのたびに
 
「自分なんて…」
 
という声が心の中でささやき始める。
 
 
 
誰にも必要とされていない気がして、静かに静かに自信がすり減っていく感覚を感じずにはいられない。
 
 
 
自分に優しくいようとしても何だか報われなかったり、頑張ったつもりでも誰にも認められなかったり。  

「自分の何がいけないんだろう」
 
とひたすらに理由探しを続けていたけれど
 
本当は誰かに
 
「いいじゃん!」
 
「一緒に頑張ろう!」
 
そんなことを言ってほしかった。  
 
背中を押して欲しかった。
 
認められたかった。

でも、待っても待ってもそんな言葉は訪れなかった。
 

誰かがこんなことを言ってたの思い出した。

「ねえ、自分が自分を見捨てたら、誰が自分の味方でいてくれるの?」
 

その瞬間、深く息を飲んで、ひとりぼっちどころの騒ぎではないような気もした。  

そうか、自分が自分に冷たくしていたんだ。  

それじゃあ、どこにいったって安心できる場所なんて見つかるわけが無い、そんな気もした。
 

それからは、少しでもうまくできたと感じた時には
 
「自分よくやった」
 
と声をかけてあげるようにした(笑)
 
「ありがとう」
 
とも呟いたりした。
 
  

誰かに褒められなくても、自分で「これってけっこうがんばったよね」と認めてみる。  
 
「自分ってけっこうやるじゃん」
 
そう自分に思ってあげる。
 
語りかけてあげる。

小さなことでも、自分の中の小さな応援団として、心を寄せてあげる。
 
自分のことだけど、自分にして「あげる」。
 

誰にも愛されていないように感じる日があったとしても、(自分は自分を愛している)という実感が、心の背骨になり、骨格となり、肉がついていくんじゃないかな。
 
 
太るわけではない(笑)
 
 

誰かに評価されるかどうかではなく、自分が自分にどう接するかが、人生の質を左右する。  
 

だからこそ、つらいときこそ、こう言ってあげてほしい。  
 
 

よくやってるよ。
ちゃんと見てるよ。
大丈夫、私はあなたの味方だよ。
 
そう声をかけてほしい。
 
そしてボクもアナタにそう声をかけたい。
 
めっちゃ頑張ってるぞ!

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迷った時に最後に頼るもの

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迷った時に最後に頼るもの
「どっちを選ぶべきか…」  
 
 

人生には、簡単に決められない選択がある。  

仕事の転機、人間関係、新しい挑戦…
 
どれも「この選択でいいのか?」と悩みがつきまとうものよね。  
 
 

考えれば考えるほど、選択肢のメリット・デメリットが見えてきて、決められなくなる。  

「こっちを選んだら後悔するかも」
 
「あっちの方が安全かもしれない」
 
結局はいつもいつも結論が出ず、時間だけが過ぎていく。  

頭の中では答えを出そうとしているのに、どうしても最後の決め手が見つからない。  
 

そんなとき、「本当に大切なものは何か?」という問いを投げかけられた。  

単なるメリット・デメリットではなく
 
「自分にとって、本当に価値のあるものは何か?」

ふと頭に浮かぶ景色。  
 
自分が進みたい方向が少しだけ見えてきた気がする。
 
 未来の自分を想像する力は絶大だと思う。
 
誰にも遠慮なく、自分が実現したいことは自分だけのものであっていい。

「この選択をした一年後、五年後の自分はどう感じるか?」

目の前の不安ではなく、長期的な景色に触れることで、感覚が研ぎ澄まされる気がした。  
 

ただ、考えすぎると、選択の本質が見えにくくなる。  

最後は「どちらを選んだとき、心が軽くなるか?」を感じる。  

これまでの知識や経験といった論理だけではなく、自分の内側の声を聴いてみる。  
 
あー、私は今こんなことを話してるんだなって。
 
そして自分は何を大切にしているか?  

「挑戦」
「安定」
「楽しさ」
「成長」
 
どの選択が、自分の価値観に合っているか。
 
自分が大切にしたい軸は何なのか。

それを判断基準に、少しずつ納得できる選択を温めていったらいい。  
 
 

「迷ったときこそ、自分の本音を信じる」  

情報を集め、頭で整理することも大切。  

でも、最後に決めるのは、「自分が何を大切にしているか」。  

迷ったときこそ、自分の軸を問い直すことで、心から納得できる選択ができたらいいよね。

ワオ!と言っているユーザー

誤魔化してきたことを形にする方法

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誤魔化してきたことを形にする方...
いつかは本気で向き合う「つもり」!
 
そう思いながら、ずっと後回しにしてきたことがある。  

やりたいことがあった。
 
ような気がする。
 
それが何だかわからなくなってきているような気もする。
 
時間がない…
お金がない…
スキルが足りない…
準備ができていない…  

そんな理由をつけて、誤魔化し続けた。  

でも、本音ではずっと気になっていたのよ。
 
「形にしたいんだ!」と。  
 
 
 
 時が経つほどに「今さら始めても意味があるのか?」という迷い。  
 

自分が逃げてきた時間が重くのしかかり、「どうせ今からじゃ遅い」と思って、ますます手につかない。  

その一方で
 
「でも、ずっとこれが気になっていたのは事実なのよ…」
 
という想いもある。  
 

やるべきなのか?
 
それとも
 
もう諦めるべきなのか?  
 

ある日、過去に書きかけたメモ帳を見返した。  
 
毎年買い替えては、だいたい同じような内容。

そこには、昔の自分が夢中になっていたアイデアや考えが詰まっていた。  
 
やりたいことをどう面白くできるか。
 
自分なりの実現の方法。
 
いろんなことが書かれていた。
 
年を経るごとに、知らず知らずにブラッシュアップしてる自分。
 
やるじゃん、自分(笑)

読んでいるうちに、「この感覚、まだ自分の中にあるわ」と確信した。  
 

誤魔化していた時間があったからこそ、今の自分はより深く理解できている。  

つまり、「今からでも形にする意味はある」
 
そう思えた瞬間だったのかも。  
 
そこからいくつか実践したことを書き留める。
 
 
 
① 小さく始める

いきなり完璧を目指さず、まずは試してみる。  
たとえば、ずっと描こうと思っていた絵なら、スケッチから始める。  
執筆なら、短い文章をSNSに投稿してみる。  
 
ボクの場合は学んだことを自分なりにアウトプット。

完璧でなくていいから、まずは「形」にしてみることが大事。  
 
 
 
② 溜め込んだものを整理する
 
過去のアイデアやメモを見返し、「今でも使えそうなもの」「今ならもっと良くできるもの」を選び出す。  

すると、誤魔化していた時間も「蓄積」だったと気づける。  
 
今回のメモ帳がそう。
 
 
 
③ 公開することで動きをつくる

誰かに話す、SNSで発信する、作品として公開する。
 
どんな形でもいい。  

人に見せることで、自分の中で「本格的に動かす」スイッチが入る。  

フィードバックが得られれば、さらに磨きをかけられる。  
 
宣言に近いのかも。
 
やれなかったらやれなかったで笑われてもいい。
 
自分の歩みでやったらいい。
 
 
 

「逃げていた時間は、準備の時間だったのかもしれない」  

誤魔化していたことがあるなら、今こそが向き合うタイミングなのかも。  

小さくてもいいから、形にすることで、その時間が価値を持つようになる。  

今から始めるのは、決して遅くない。
 
むしろ、その時間があったからこそ、今がベストなタイミングなんだ。
 
きっとそうだ。  

ワオ!と言っているユーザー

誤魔化してきた時間を力に変えよう

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誤魔化してきた時間を力に変えよ...
「本当は違うことがしたいんだけどな…」  

そう思いながら、適当に現状に合わせて、周りばかり気にして生きる毎日。  
 

やりたいことがあった。
 
んだよね、たしか。
 
そうだった気がする。
 
 
でも、リスクを恐れて、周りになんと言われるか気にして踏み出せず、無難な選択を繰り返していた。  

「この道を選んだのは正解だったのか?」  
 
「いや、そうじゃないんだけど、仕方がない」

そんな気持ちを抱えながら、気づけば数年、いやもう十年以上過ぎている気もする。  
 
 
 
 
何に悩んでいる?
 
 

心のどこかで、「このままでいいのか?」とずっとずっと語りかけ続けていた。  
 
「いや、ほんとは違う」

でも、それを認めてしまったら、今までの選択が間違いだったと認めることになる気がして、誤魔化し続けた。  

新しい挑戦をする勇気はない。  

でも、今のままで満足できるほど、自分を騙しきることもできない。  
 

そんな葛藤を抱えながら、何も変えられずにい続けたのよ。  
 
 

ところが、ふと振り返ったとき、「誤魔化してきた時間の中にも価値があることがたくさんある」
 
そんなことに気づいた。  

理想を叶えられなかった時間は、全部が全部無駄ではなかった。  

その間に培ったスキルや経験が、今の自分を支える基礎になっている気もする。  

むしろ、遠回りしたからこそ、何かを実現するための準備が整っていたのかもしれない。  
 
 

あとは「これまでの時間を活かす」ことに意識を向けるだけだ。  

誤魔化してきた過去を否定するのではなく、「今の自分だからこそできること」に必死で切り替える努力をした。  
 

すると、不思議なことに、今まで選んできた道が「理想への土台」になっていることに確信を感じ、自然と踏み出す勇気が湧いてきた。  
 
 

「遠回りした時間は、決して無駄ではない」  

誤魔化しながら過ごした日々も、すべて未来の自分のための伏線だと思ったらいい。  
 
これはむしろ決めつけてしまって力に変えるべきこととも思う。

何かを諦めてしまった過去があっても、それは失敗ではなく、別のルートだっただけ。  

だからこそ、今からでも遅くはないし、活かせるすべての経験を活かしながら、理想へと進んでいきたいね。  

ワオ!と言っているユーザー

人の言葉に揺さぶられる日々— それでも自分を貫いてみる話

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人の言葉に揺さぶられる日々— ...
「それ、やめたほうがいいんじゃない?」  
「そんなことして、意味あるの?」
「(君に)できるの?」
 
周囲からの言葉に、心が少しずつ揺らいでいく。  

新しいチャレンジを始めようとすると、そんな誰かの声が今までに聞いたことのない大きさで耳に届く。  

それはアドバイスなのか?
それともただの否定なのか?  
 
励ましなのか
嫌味なのか

気づけば、自分の選択に自信が持てなくなっていた。  
 

「周りの声に振り回される」  

それが、自分の一番の悩みだった。  

アドバイスを聞くのは大事。
 
でも、どこまで受け入れるべきなのか?  

気づけば
 
他人の言葉の中で生きることが平穏で波風なんて立てない方がいい
 
そんな風な思いになり、自分が何をしたいのか分からなくなっていた。  
 
それでも自分の気持ちに素直になれる日がやってくる。

ある日、尊敬する人に言われた。
 
「周りの言葉って、単純に単なる“意見”じゃない?」  

それを聞いてハッとした。  

今まで、自分の選択を誰かの言葉で決めていたことに気づいた。  

でも、本当に大切なのは、自分がどうしたいか。  
 

そこから、「言葉を選別する」ことを意識した。  

ただの批判なのか?
 
「意味のある」アドバイスなのか?  

「聞く」べき言葉と、「聞き流す」べき言葉を見極めることで、心の揺れが少なくなった。
 
そして意識してソレができるように、自分なりにたくさんの方から学んだり、できるだけ気になる本を読んだり。
 
 
すると、自分の選択に堂々と向き合えるようになり、周囲の反応を気にする時間が減った。  
 
そう、なくなることはないけど、とにかく反応に反応し続けることは格段に減ったのよ。
  
「すべての言葉に影響されなくていい」  

人は、それぞれの価値観で話す。  
 
「影響される言葉を自分には選ぶ権利がある」

その言葉が正しいかどうかは、自分で決めるもの。  

だからこそ、自分の選択を大切にしたい。  

誰かに何を言われても、「自分がどうしたいか」を忘れなければ、多少の揺らぎはあっても、崩れるまでに至ることはなくなるような気もする。  
 
自分はどんな言葉にだったら影響を受けたいか。
 
好きな言葉で満たせるようになりたいね。

ワオ!と言っているユーザー

相手の言葉が自分の世界を変えてくれる

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相手の言葉が自分の世界を変えて...
誰かとの会話が、いつの間にか「話し合い」ではなく「説得」になっていた。  
 
そんなこと、あるよね。

自分の考えを伝えて、納得してもらうことばかり意識していた。  

でもある日、ふと気づいた。
 
「会話が噛み合っていない気がする…」  
 
気持ちを共有したいのに、相手はどこかものすごく遠い。  
 
 

「分かってほしい」と思って話せば話すほど、距離が広がるような感覚。  
 

なぜ伝わらないのか?
なぜ会話がうまくいかないのか?  
 

その答えをずっと探していたのかもしれない。  
 
ある日の出来事。
 
ポツリとこぼした一言
 
(ちゃんと聴いてほしいのに)
 
そうとしか受け取れなかった言葉に、衝撃を覚えたのね。
 
 
 
今まで「話すこと」ばかりに集中していて、「聴くこと」をしていなかった。
 
いや、聴くことなんて簡単で、できていないわけなんてないとさえ思ってた。
 

その気づきが、関係を大きく変えるきっかけになった。  
 
 

もう積極的にそして意識的に「聴く」ことを始めた。  

途中で意見を言わず、最後まで話を聞く。  
 
言いたくて言いたくてしょうがないのに。

「次に何を話そう?」と考えるのではなく、「今、何を私に伝えようとしているのか?」に集中する。  
 

すると、不思議なことに、相手の表情が柔らかくなり、心の距離が縮まっていくのが分かった。
 
そしてそんな機会が増えた。
 

「話す」ことだけでは、心は通じない。  

本当に大切なのは、「聴く」ことで相手の気持ちを理解しようとすることなのかもしれない。  
 

誰かとの関係で悩んだときは、まず「聴くこと」を大切にしてみたらいいい。
 
 
それだけで、自分の言葉の重みも、相手が伝えようとした思いの感じ方も大きく変わり、絆が深まる感覚を理解できると思う。  

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不一致の乗り越え方

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不一致の乗り越え方
仕事に限らず、年齢も限ったものではないが、年上の方とのお付き合いに大変さを感じること、ありませんか。

新しい環境に身を置くことになった時、直属の先輩の指導を受けることになったり、親切な年長者さんがアドバイスをくれたりすること、ありませんか。
 
でも、考え方も仕事の進め方もまったく違い、最初のやり取りからズレを感じて、何だかやりづらくなったこと、ありませんか。
 
たとえていうと

先輩は「根性と努力」を重視するタイプ。
 
対して自分は「効率と戦略」を重視するタイプ。
 
何かを提案しても「そんな甘い考えじゃダメだ」と一蹴されることが多く、会話するたびに消耗していく。
 
〇〇世代で簡単に片付けられる話しではない(笑)
 
この関係をどうすれば改善できるのか——それが悩みだったり。  
 
 
 
ただ、そんな悩みが軽くなるのも、付き合いの積み重ねによるものでしかないような気もする。
 

ある日、先輩が「昔は私も君みたいな考えだったんだけどな」と何気なく言った瞬間、ひとつの気づきが生まれた。
 
「もしかして、この人は様々な経験をされたからこそ、今の価値観になったのでは?」と考えるようになり、少しずつ距離の取り方を変え始めてみる。  
 

まずは先輩の話を(嫌でも)しっかり聞くことからスタート。
 
「どうしてこのやり方を大事にしているのか?」と考えながら会話すると、ただの押し付けではなく、先輩なりの理由があることが感じられてくる。
 
 
そこからは、意見を戦わせるのではなく「自分の考えをどう相手に理解してもらえるか」を工夫してみる。
 
すると、次第に先輩も「意外と悪くない考えかも」と歩み寄るようになった。
 
いや、これだけですごい進展よ(笑) 
 
 
「気が合わない相手は、ただの敵ではない」  
 
そう、敵ではないのよ。

違いがあるからこそ、自分にない視点を学ぶチャンスになる。
 
まずは相手の価値観を理解し、それを前提に対話すると関係が変わる。
 
仕事や人生で「合わない人」と出会ったときこそ、視点を広げるチャンス。
 
うまく向き合えば、自分に思わぬ成長が待っている。
 
それを毎日少しだけ心にかけておきたい。 

ワオ!と言っているユーザー

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