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加藤雄一のブログ

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自分だけは自分の味方でいたい

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自分だけは自分の味方でいたい
人と比べては落ち込み、SNSで流れるキラキラした投稿や他人の活躍にため息が出る。  
 
「楽しそう」
 
「いいな」

「どうしてあの人はあんなに好かれるんだろう」  
 
そのたびに
 
「自分なんて…」
 
という声が心の中でささやき始める。
 
 
 
誰にも必要とされていない気がして、静かに静かに自信がすり減っていく感覚を感じずにはいられない。
 
 
 
自分に優しくいようとしても何だか報われなかったり、頑張ったつもりでも誰にも認められなかったり。  

「自分の何がいけないんだろう」
 
とひたすらに理由探しを続けていたけれど
 
本当は誰かに
 
「いいじゃん!」
 
「一緒に頑張ろう!」
 
そんなことを言ってほしかった。  
 
背中を押して欲しかった。
 
認められたかった。

でも、待っても待ってもそんな言葉は訪れなかった。
 

誰かがこんなことを言ってたの思い出した。

「ねえ、自分が自分を見捨てたら、誰が自分の味方でいてくれるの?」
 

その瞬間、深く息を飲んで、ひとりぼっちどころの騒ぎではないような気もした。  

そうか、自分が自分に冷たくしていたんだ。  

それじゃあ、どこにいったって安心できる場所なんて見つかるわけが無い、そんな気もした。
 

それからは、少しでもうまくできたと感じた時には
 
「自分よくやった」
 
と声をかけてあげるようにした(笑)
 
「ありがとう」
 
とも呟いたりした。
 
  

誰かに褒められなくても、自分で「これってけっこうがんばったよね」と認めてみる。  
 
「自分ってけっこうやるじゃん」
 
そう自分に思ってあげる。
 
語りかけてあげる。

小さなことでも、自分の中の小さな応援団として、心を寄せてあげる。
 
自分のことだけど、自分にして「あげる」。
 

誰にも愛されていないように感じる日があったとしても、(自分は自分を愛している)という実感が、心の背骨になり、骨格となり、肉がついていくんじゃないかな。
 
 
太るわけではない(笑)
 
 

誰かに評価されるかどうかではなく、自分が自分にどう接するかが、人生の質を左右する。  
 

だからこそ、つらいときこそ、こう言ってあげてほしい。  
 
 

よくやってるよ。
ちゃんと見てるよ。
大丈夫、私はあなたの味方だよ。
 
そう声をかけてほしい。
 
そしてボクもアナタにそう声をかけたい。
 
めっちゃ頑張ってるぞ!

ワオ!と言っているユーザー

迷った時に最後に頼るもの

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迷った時に最後に頼るもの
「どっちを選ぶべきか…」  
 
 

人生には、簡単に決められない選択がある。  

仕事の転機、人間関係、新しい挑戦…
 
どれも「この選択でいいのか?」と悩みがつきまとうものよね。  
 
 

考えれば考えるほど、選択肢のメリット・デメリットが見えてきて、決められなくなる。  

「こっちを選んだら後悔するかも」
 
「あっちの方が安全かもしれない」
 
結局はいつもいつも結論が出ず、時間だけが過ぎていく。  

頭の中では答えを出そうとしているのに、どうしても最後の決め手が見つからない。  
 

そんなとき、「本当に大切なものは何か?」という問いを投げかけられた。  

単なるメリット・デメリットではなく
 
「自分にとって、本当に価値のあるものは何か?」

ふと頭に浮かぶ景色。  
 
自分が進みたい方向が少しだけ見えてきた気がする。
 
 未来の自分を想像する力は絶大だと思う。
 
誰にも遠慮なく、自分が実現したいことは自分だけのものであっていい。

「この選択をした一年後、五年後の自分はどう感じるか?」

目の前の不安ではなく、長期的な景色に触れることで、感覚が研ぎ澄まされる気がした。  
 

ただ、考えすぎると、選択の本質が見えにくくなる。  

最後は「どちらを選んだとき、心が軽くなるか?」を感じる。  

これまでの知識や経験といった論理だけではなく、自分の内側の声を聴いてみる。  
 
あー、私は今こんなことを話してるんだなって。
 
そして自分は何を大切にしているか?  

「挑戦」
「安定」
「楽しさ」
「成長」
 
どの選択が、自分の価値観に合っているか。
 
自分が大切にしたい軸は何なのか。

それを判断基準に、少しずつ納得できる選択を温めていったらいい。  
 
 

「迷ったときこそ、自分の本音を信じる」  

情報を集め、頭で整理することも大切。  

でも、最後に決めるのは、「自分が何を大切にしているか」。  

迷ったときこそ、自分の軸を問い直すことで、心から納得できる選択ができたらいいよね。

ワオ!と言っているユーザー

誤魔化してきたことを形にする方法

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誤魔化してきたことを形にする方...
いつかは本気で向き合う「つもり」!
 
そう思いながら、ずっと後回しにしてきたことがある。  

やりたいことがあった。
 
ような気がする。
 
それが何だかわからなくなってきているような気もする。
 
時間がない…
お金がない…
スキルが足りない…
準備ができていない…  

そんな理由をつけて、誤魔化し続けた。  

でも、本音ではずっと気になっていたのよ。
 
「形にしたいんだ!」と。  
 
 
 
 時が経つほどに「今さら始めても意味があるのか?」という迷い。  
 

自分が逃げてきた時間が重くのしかかり、「どうせ今からじゃ遅い」と思って、ますます手につかない。  

その一方で
 
「でも、ずっとこれが気になっていたのは事実なのよ…」
 
という想いもある。  
 

やるべきなのか?
 
それとも
 
もう諦めるべきなのか?  
 

ある日、過去に書きかけたメモ帳を見返した。  
 
毎年買い替えては、だいたい同じような内容。

そこには、昔の自分が夢中になっていたアイデアや考えが詰まっていた。  
 
やりたいことをどう面白くできるか。
 
自分なりの実現の方法。
 
いろんなことが書かれていた。
 
年を経るごとに、知らず知らずにブラッシュアップしてる自分。
 
やるじゃん、自分(笑)

読んでいるうちに、「この感覚、まだ自分の中にあるわ」と確信した。  
 

誤魔化していた時間があったからこそ、今の自分はより深く理解できている。  

つまり、「今からでも形にする意味はある」
 
そう思えた瞬間だったのかも。  
 
そこからいくつか実践したことを書き留める。
 
 
 
① 小さく始める

いきなり完璧を目指さず、まずは試してみる。  
たとえば、ずっと描こうと思っていた絵なら、スケッチから始める。  
執筆なら、短い文章をSNSに投稿してみる。  
 
ボクの場合は学んだことを自分なりにアウトプット。

完璧でなくていいから、まずは「形」にしてみることが大事。  
 
 
 
② 溜め込んだものを整理する
 
過去のアイデアやメモを見返し、「今でも使えそうなもの」「今ならもっと良くできるもの」を選び出す。  

すると、誤魔化していた時間も「蓄積」だったと気づける。  
 
今回のメモ帳がそう。
 
 
 
③ 公開することで動きをつくる

誰かに話す、SNSで発信する、作品として公開する。
 
どんな形でもいい。  

人に見せることで、自分の中で「本格的に動かす」スイッチが入る。  

フィードバックが得られれば、さらに磨きをかけられる。  
 
宣言に近いのかも。
 
やれなかったらやれなかったで笑われてもいい。
 
自分の歩みでやったらいい。
 
 
 

「逃げていた時間は、準備の時間だったのかもしれない」  

誤魔化していたことがあるなら、今こそが向き合うタイミングなのかも。  

小さくてもいいから、形にすることで、その時間が価値を持つようになる。  

今から始めるのは、決して遅くない。
 
むしろ、その時間があったからこそ、今がベストなタイミングなんだ。
 
きっとそうだ。  

ワオ!と言っているユーザー

誤魔化してきた時間を力に変えよう

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誤魔化してきた時間を力に変えよ...
「本当は違うことがしたいんだけどな…」  

そう思いながら、適当に現状に合わせて、周りばかり気にして生きる毎日。  
 

やりたいことがあった。
 
んだよね、たしか。
 
そうだった気がする。
 
 
でも、リスクを恐れて、周りになんと言われるか気にして踏み出せず、無難な選択を繰り返していた。  

「この道を選んだのは正解だったのか?」  
 
「いや、そうじゃないんだけど、仕方がない」

そんな気持ちを抱えながら、気づけば数年、いやもう十年以上過ぎている気もする。  
 
 
 
 
何に悩んでいる?
 
 

心のどこかで、「このままでいいのか?」とずっとずっと語りかけ続けていた。  
 
「いや、ほんとは違う」

でも、それを認めてしまったら、今までの選択が間違いだったと認めることになる気がして、誤魔化し続けた。  

新しい挑戦をする勇気はない。  

でも、今のままで満足できるほど、自分を騙しきることもできない。  
 

そんな葛藤を抱えながら、何も変えられずにい続けたのよ。  
 
 

ところが、ふと振り返ったとき、「誤魔化してきた時間の中にも価値があることがたくさんある」
 
そんなことに気づいた。  

理想を叶えられなかった時間は、全部が全部無駄ではなかった。  

その間に培ったスキルや経験が、今の自分を支える基礎になっている気もする。  

むしろ、遠回りしたからこそ、何かを実現するための準備が整っていたのかもしれない。  
 
 

あとは「これまでの時間を活かす」ことに意識を向けるだけだ。  

誤魔化してきた過去を否定するのではなく、「今の自分だからこそできること」に必死で切り替える努力をした。  
 

すると、不思議なことに、今まで選んできた道が「理想への土台」になっていることに確信を感じ、自然と踏み出す勇気が湧いてきた。  
 
 

「遠回りした時間は、決して無駄ではない」  

誤魔化しながら過ごした日々も、すべて未来の自分のための伏線だと思ったらいい。  
 
これはむしろ決めつけてしまって力に変えるべきこととも思う。

何かを諦めてしまった過去があっても、それは失敗ではなく、別のルートだっただけ。  

だからこそ、今からでも遅くはないし、活かせるすべての経験を活かしながら、理想へと進んでいきたいね。  

ワオ!と言っているユーザー

人の言葉に揺さぶられる日々— それでも自分を貫いてみる話

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人の言葉に揺さぶられる日々— ...
「それ、やめたほうがいいんじゃない?」  
「そんなことして、意味あるの?」
「(君に)できるの?」
 
周囲からの言葉に、心が少しずつ揺らいでいく。  

新しいチャレンジを始めようとすると、そんな誰かの声が今までに聞いたことのない大きさで耳に届く。  

それはアドバイスなのか?
それともただの否定なのか?  
 
励ましなのか
嫌味なのか

気づけば、自分の選択に自信が持てなくなっていた。  
 

「周りの声に振り回される」  

それが、自分の一番の悩みだった。  

アドバイスを聞くのは大事。
 
でも、どこまで受け入れるべきなのか?  

気づけば
 
他人の言葉の中で生きることが平穏で波風なんて立てない方がいい
 
そんな風な思いになり、自分が何をしたいのか分からなくなっていた。  
 
それでも自分の気持ちに素直になれる日がやってくる。

ある日、尊敬する人に言われた。
 
「周りの言葉って、単純に単なる“意見”じゃない?」  

それを聞いてハッとした。  

今まで、自分の選択を誰かの言葉で決めていたことに気づいた。  

でも、本当に大切なのは、自分がどうしたいか。  
 

そこから、「言葉を選別する」ことを意識した。  

ただの批判なのか?
 
「意味のある」アドバイスなのか?  

「聞く」べき言葉と、「聞き流す」べき言葉を見極めることで、心の揺れが少なくなった。
 
そして意識してソレができるように、自分なりにたくさんの方から学んだり、できるだけ気になる本を読んだり。
 
 
すると、自分の選択に堂々と向き合えるようになり、周囲の反応を気にする時間が減った。  
 
そう、なくなることはないけど、とにかく反応に反応し続けることは格段に減ったのよ。
  
「すべての言葉に影響されなくていい」  

人は、それぞれの価値観で話す。  
 
「影響される言葉を自分には選ぶ権利がある」

その言葉が正しいかどうかは、自分で決めるもの。  

だからこそ、自分の選択を大切にしたい。  

誰かに何を言われても、「自分がどうしたいか」を忘れなければ、多少の揺らぎはあっても、崩れるまでに至ることはなくなるような気もする。  
 
自分はどんな言葉にだったら影響を受けたいか。
 
好きな言葉で満たせるようになりたいね。

ワオ!と言っているユーザー

相手の言葉が自分の世界を変えてくれる

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相手の言葉が自分の世界を変えて...
誰かとの会話が、いつの間にか「話し合い」ではなく「説得」になっていた。  
 
そんなこと、あるよね。

自分の考えを伝えて、納得してもらうことばかり意識していた。  

でもある日、ふと気づいた。
 
「会話が噛み合っていない気がする…」  
 
気持ちを共有したいのに、相手はどこかものすごく遠い。  
 
 

「分かってほしい」と思って話せば話すほど、距離が広がるような感覚。  
 

なぜ伝わらないのか?
なぜ会話がうまくいかないのか?  
 

その答えをずっと探していたのかもしれない。  
 
ある日の出来事。
 
ポツリとこぼした一言
 
(ちゃんと聴いてほしいのに)
 
そうとしか受け取れなかった言葉に、衝撃を覚えたのね。
 
 
 
今まで「話すこと」ばかりに集中していて、「聴くこと」をしていなかった。
 
いや、聴くことなんて簡単で、できていないわけなんてないとさえ思ってた。
 

その気づきが、関係を大きく変えるきっかけになった。  
 
 

もう積極的にそして意識的に「聴く」ことを始めた。  

途中で意見を言わず、最後まで話を聞く。  
 
言いたくて言いたくてしょうがないのに。

「次に何を話そう?」と考えるのではなく、「今、何を私に伝えようとしているのか?」に集中する。  
 

すると、不思議なことに、相手の表情が柔らかくなり、心の距離が縮まっていくのが分かった。
 
そしてそんな機会が増えた。
 

「話す」ことだけでは、心は通じない。  

本当に大切なのは、「聴く」ことで相手の気持ちを理解しようとすることなのかもしれない。  
 

誰かとの関係で悩んだときは、まず「聴くこと」を大切にしてみたらいいい。
 
 
それだけで、自分の言葉の重みも、相手が伝えようとした思いの感じ方も大きく変わり、絆が深まる感覚を理解できると思う。  

ワオ!と言っているユーザー

不一致の乗り越え方

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不一致の乗り越え方
仕事に限らず、年齢も限ったものではないが、年上の方とのお付き合いに大変さを感じること、ありませんか。

新しい環境に身を置くことになった時、直属の先輩の指導を受けることになったり、親切な年長者さんがアドバイスをくれたりすること、ありませんか。
 
でも、考え方も仕事の進め方もまったく違い、最初のやり取りからズレを感じて、何だかやりづらくなったこと、ありませんか。
 
たとえていうと

先輩は「根性と努力」を重視するタイプ。
 
対して自分は「効率と戦略」を重視するタイプ。
 
何かを提案しても「そんな甘い考えじゃダメだ」と一蹴されることが多く、会話するたびに消耗していく。
 
〇〇世代で簡単に片付けられる話しではない(笑)
 
この関係をどうすれば改善できるのか——それが悩みだったり。  
 
 
 
ただ、そんな悩みが軽くなるのも、付き合いの積み重ねによるものでしかないような気もする。
 

ある日、先輩が「昔は私も君みたいな考えだったんだけどな」と何気なく言った瞬間、ひとつの気づきが生まれた。
 
「もしかして、この人は様々な経験をされたからこそ、今の価値観になったのでは?」と考えるようになり、少しずつ距離の取り方を変え始めてみる。  
 

まずは先輩の話を(嫌でも)しっかり聞くことからスタート。
 
「どうしてこのやり方を大事にしているのか?」と考えながら会話すると、ただの押し付けではなく、先輩なりの理由があることが感じられてくる。
 
 
そこからは、意見を戦わせるのではなく「自分の考えをどう相手に理解してもらえるか」を工夫してみる。
 
すると、次第に先輩も「意外と悪くない考えかも」と歩み寄るようになった。
 
いや、これだけですごい進展よ(笑) 
 
 
「気が合わない相手は、ただの敵ではない」  
 
そう、敵ではないのよ。

違いがあるからこそ、自分にない視点を学ぶチャンスになる。
 
まずは相手の価値観を理解し、それを前提に対話すると関係が変わる。
 
仕事や人生で「合わない人」と出会ったときこそ、視点を広げるチャンス。
 
うまく向き合えば、自分に思わぬ成長が待っている。
 
それを毎日少しだけ心にかけておきたい。 

ワオ!と言っているユーザー

違いが生み出すまだ見ぬ世界

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違いが生み出すまだ見ぬ世界
自分と異なる価値観を持つ相手と過ごすことで、今まで気づかなかった視点を得られる。
 
これこそが自分とタイプの違う方々と一緒に過ごす醍醐味。
 
「そんな考え方があったのか!」という発見が増え、物事を多面的に捉える力がつくような気がする。  
 
 
例えば、ボクはどちらかというと感情優位なタイプなので、論理優位な方々といると、いろいろな組み立て方はとても勉強になる。
 
だから、論理的思考が得意な人と、感覚的なひらめきが得意な人が組むことで、バランスの取れた結果を生み出すことができると思ってる。
 
お互いの強みを活かし、弱みを補い合うことで、より良い選択ができるようになれたら、ひとりでは見つけられないことが見つかりそうだよね。  
 

その時、自分と似たタイプ同士ならスムーズに話せるが、違うタイプの相手には「どう伝えればいいか」を考えながら話す必要がある。
 
この過程で言葉選びの精度が上がり、より幅広い人と円滑にコミュニケーションを取れるようになれるのは、有意義でしかない。  
 
 

自分と異なる興味を持つ相手といることで、「そんな世界があるのか」と知る機会が増える。
 
押し殺していた好奇心を刺激され、新しい趣味やチャレンジが生まれることで、人生の幅が広がっていくよね。  
 

一方では違うタイプの相手とは、ときに考え方が合わないこともある。
 
しかし、それを乗り越える過程で「相手の立場で考える力」が磨かれ、より深い人間関係を築けるようになるような気もする。  
 
 
「違い」は、時に理解を難しくするが、それ以上に自分を成長させてくれる要素でもある。
 
同じタイプ同士の心地よさも良いけれど、あえて異なるタイプの人と向き合うことで、人生の選択肢や可能性は何倍にも広げていきたいな。  

ワオ!と言っているユーザー

自分の器は自分で決めよう♪

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自分の器は自分で決めよう♪
期待に胸を膨らませて飛び込んだ先が、自分が積み重ねてきたものを活かすことのできない環境だとしたら、毎日が手探りでつらい。
 

思うように進まず、指摘が続いた。
 
 
「自分の器以上のことはするもんじゃない」と言われた瞬間、大切にしてきたものが砕け散る。
 
 
やる気はあってできるようになろうと努力しているのに、成果が出ない。
 
自分は本当に向いているのか。
 
 
そんな疑念ばかりが募る。
 
 
ある日、以前お世話になった方を思い出し、自分へのかかわり方でとても力をいただいたことがよみがえった。
 
そして、その方が勧める本を読んだことで、自分のアプローチの狭さに気づいた。
 
仕事だけでなく、あらゆる物事を深く考えることの大切さに気づく。
 
 

そこから、周囲の人の考えを積極的に聞き、異なる視点を吸収する努力を始めた。
 
ひとつの答えに固執せず、たくさんの可能性を考えるようになった。
 
その結果、少しずつが日々を過ごす感覚が変わってきた。
 
  
躓いたり、凹んだ時は自分が新しい力を得る成長のチャンスかもしれない。
 
悩んでいるときこそ、視点を広げることが大切。
 
思考の幅を広げ、柔軟に対応できるようになれば、少しくらいの困難は平気で乗り越えられるようになっていた気がする。
 
失敗とは何か。
 
自分の可能性を信じて挑戦し続けよう。

ワオ!と言っているユーザー

言葉の力に救われた日

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言葉の力に救われた日
思うように進まない毎日。
 
何をやってもうまくいかない。
 
「自分には価値がないのでは?」
 
という不安だけが心を蝕んでいくのを感じて。
 

周囲の友人たちは何だかうまくいっているような感じがして、自分だけが立ち止まっているような、取り残されているようなそんな気持ちにさえなる。
 
努力しているのに報われない。 
 
「何が足りないのか?」
 
何が何だかもうよく分からず、焦りばかりが増していく。
 
そんな中、SNSをグルグルしていると、何気に気になる一冊の本と出会う。
 
そこに書かれていた言葉を目にして、少しだけ勇気をもらった気がした。
 
 
その時、単純に周りのせいにしていたことに気づき、
 
「今の自分にできること」
「自分が求めていること」
「自分が楽しめること」
 
そんなことに気持ちが向くようになった。
 
  
まずは翌日から、自分の捉え方を変えるために、使う言葉を変えてみた。
 
なるべく「どうしてできないのか?」を「どうしたらできそう」に意識してみる。
 
そして「なんとなく話す」ではなく、「自分の感じることをなるべく自分の言葉で伝える」ことから始めてみた。
 
初めのうちは、相手の反応が気になり落ち着かない日が続いたが、いつの間にか自分の中にある不自然さが抜け、自然と笑顔で話せるようになった。
 
そうしているうちに、自分の想いを大切にしながら一緒に取り組むことができる仲間たちが増えた。
 

今うまくいっていないと決めつけて、自分の価値を決めないこと。
 
あれから8年。
 
失敗が続いても、それは自分の本質を否定するものではないと、徐々に思えるようになってきた。
 
 
まずこれくらいなら自分はできる。
 
そうやって小さくても自分を肯定することで、選択肢は広がる。
 
だからこそ、焦らず、心の声に耳を傾けて進んでいきたいな。
 
今日も頑張ろっと。
 
いつもお立ち寄りありがとうございます。

ワオ!と言っているユーザー

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