仏教でいう「縁起(えんぎ)」の教え
根底にあるのは「物事はすべて繋がって成り立っている」という考え方があるのではと教えてくださった方がいました。
特に最近はどの出会いをとっても、数えきれない無数の人や場面が関係し合って成り立っているのを感じます。
極端な言い方をすれば、誰かと出会っていなければ、今の舞台が存在していなかったかもしれません。
極めて裕福なわけではないけれど、今やれていることができない場面に立っていたとしたら、今体験出来ているココが存在しなかったとしたら、それはそれでもったいない気がするし、それ以外を想像することが今はできません。
きっと割りと楽しみで溢れているのだと思います。
また、「縁」に「ご」がついて「ご縁」と敬語にするのはナゼなのでしょうか。
きっとそれは当たり前ではないからこその「巡り会い」だから、相手の存在を敬うからこその敬意が込められているんでしょうね。
最近出会わない方がいい人もいる、とつぶやきました。
その考え自体は変わりませんが、そんな人と出会ったからこそ感じたことや、取り組んでみたことには自分の人生の中でも特に価値のあることのように感じます。
だからこそ、これからもできるだけストレートに受け容れる意識を持って、意図して遠ざけることで不自然にならないようにしたいと思った2024年2月29日でございました。