過去の苦しみに意味を持たせる
6月
16日
「もう限界かもしれない」
そう思ったことが、何度もあった。
必死に頑張ったのに報われたような結果も、感覚すらも感じられない日々。
どれだけ努力しても、思うような結果を作ることのできなかった時間。
虚しい。
気づけば、自分の心がすり減っていくのがわかった。
「いったい何のためにこんなに苦しんでいるんだろう?」
「自分て、何したかったんだっけ」
その思いが、何度も頭をよぎった。
苦しんだのに、それが何にもならないような気がしていた。
どこに向かっているのかさえ、わからなくなりかけていた。
「この経験に意味はあるのか?」
「ただ傷ついただけじゃないのか?」
そんな思いが、過去を振り返るたびに押し寄せてくる。
でも、立ち止まって考えた時、感じていることもあった。
(この痛みを知っているからこそ、誰かの痛みをわかってあげられるのでは?)
悩んでいる後輩の話を聞いたことがあった。
その内容は、かつての自分の苦しみとそのまま重なった。
「この気持ち、すごくわかるよ。」
「ボクもそうだった」
そう言った瞬間、相手の表情がほっと和らいだのと同時に、ボクの心も和らいだ。
そのとき、思ったことが
(過去のすり減った時間は無駄じゃなかった)
(それは誰かの気持ちを理解できる力になっていたのかも)
それからは、過去の経験を違う視点で考えてみた。
✅ 「無駄な苦しみ」ではなく、「誰かの背中を押す知恵」として活かすことにつなげていこう
✅ 自分が乗り越えた方法を、言葉として整理して、誰かの力に変えられるようにしよう
(伝えることで、自分自身の意味付けが変わる気がした)
✅ 「苦しんだ分だけ、深く人を理解できる」ということを強みにして受け入れる
すると、これまでただのポンコツだった自分が
「誰かのために役立つ経験」の持ち主へと変わり始めた感じがした。
心をすり減らした経験は、決して無意味ではない。
それは
「誰かの気持ちを本当に理解できる力」になっている。
もし今、過去の苦しみが思い出されるなら、その経験が誰かを救う日がくることを、少しだけ信じてみてほしい。
自分の歩んだ時間は、自分の未来だけではなく、確かに誰かの未来にもつながっていることを、多くの人に実感してほしい。