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諦めの手前に、まだ残っているもの

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諦めの手前に、まだ残っているも...
(もう、すべてやり尽くした)
 
そう感じる瞬間が訪れることがある。
 
努力しても報われない。
 
工夫しても届かない。
 
何をしても変わらない。
 
 
そんなとき、「もう無理だ」と心を閉じたくなる。  
 

けれども、その『諦めの手前』には、まだ思い出せることがある。  
 
 
なぜなら
 
実はそんな経験を乗り越えてきて今があるから。
 

それは、過去の自分の姿かもしれないし、誰かの言葉かもしれないし、ほんの小さな希望のかけらかもしれない。
 
 
「すべてやり尽くした」と感じるその瞬間こそ、『まだ残っているもの』に目を向けるための静かな問い直しのときなのかもしれない。
 
 
(やり尽くした)の中に、まだ見えていない自分がいる気がする。
 
「やり尽くした」と感じるときに、人は「できること」をすべて出し切ったように思うことがある。  

けれども、その「できること」の定義が、無意識に狭くなっていることもあるように思う。
 
 
たとえば
 
「頑張る」
 
「考える」
 
「動く」といった『能動的な努力』ばかりを重ねてきたとき、「委ねる」とか「待つ」とか「誰かに頼る」といった選択肢が見えなくなっていることがある。
 
「やり尽くした」と思ったときこそ、『自分の中にまだ使っていない力』があるかもしれないと問い直すこと。  
 

それは、「何をするか」ではなく、「どう在るか」を見つめ直す時間でもあるんだろう。
 
 
諦めたくなるほどに頑張ったということは、それだけ真剣に向き合ってきた証。  
 

「もう無理だ」と思えるほどに、あなたはすでに多くのことを試し、考え、動いてきた。  
 

その事実を、まずは誰よりも自分自身が認めてあげることが大切。
 
「まだ頑張れるでしょ」
 
と自分を叱咤するのではなく、  
「ここまでよくやってきたね」と自分の歩みを労うことが、次の一歩を生む『静かな回復』につながる。
 
 
諦めの手前で必要なのは、努力の継続ではなく、努力の承認かもしれない。
 
 
 
「やり尽くした」と感じるとき、私たちは往々にして“自分一人で”なんとかしようとしてきたのかもしれない。
 
けれども、人は誰かとつながることで、思いもよらない力を取り戻すことがある。  
 

誰かに話を聴いてもらうことで、自分の考えが整理されたり、  
何気ない一言に救われたり、  
「あなたがいるだけで助かっている」と言われて、自分の存在の意味を思い出したり。
 
諦めの手前で思い出したいのは、「自分がすべてを背負わなくてもいい」ということ。  

そして、「誰かと共にあることが、もう一度歩き出す力になる」ということなんだろう。
 
 
 
「すべてやり尽くした」と感じる瞬間は、決して弱さではない。
 
 
それは、真剣に生きてきた人だけがたどり着ける、ひとつの節目。
 
 
けれどもその節目の手前には、まだ思い出せることがある。  
 

まだ見えていない自分、すでに積み重ねてきた歩み、そして誰かとのつながり。
 
 
それらを丁寧に見つめ直すことで、(もう一度、自分を信じてみよう)と思える小さな灯りがともるんじゃないかな。
 
諦める前に、ほんの少しだけ立ち止まって、  
「本当に、すべてやり尽くしたのだろうか?」と、  
自分に問いかけてみたい。
 
その問いの中に、まだ終わっていない物語の続きを生きる力が、きっと眠っているはずなんだ。
 
思い起こそう!

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