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自分のあり方を見つめ直す50音

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自分のあり方を見つめ直す50音
倫理観、道徳心、自己哲学、自己知…最近は目まぐるしくこんなワードと触れ合っている感覚の毎日。
 
 
自分のあり方を考える時間が長くなると苦しくなるので、どっかで適当に切り上げないと。
 
再掲になるけど、時々ふと見返す『より良い関係を築く50音』

大好きな人とはより仲良く、そうでない人とはちょうどいい距離で。
 
そんなことを考える日でした𓈒𓂂𓏸
 
 
。.ꕤ………………………………………..ꕤ.。
 
「あ」焦って話しをしない。
「い」言い訳を許す。
「う」うまく話そうとしない。
「え」偉そうな振る舞いをしない。
「お」怒った口調で話しをしない。
 
「か」カッコつけて話しをしない。
「き」決めつけた話し方をしない。
「く」屈折した思い込みを持たない。
「け」敬意のない態度で話しをしない。
「こ」腰を折って自分の話しをしない。
 
「さ」さっさと終わらせようとしない。
「し」正直に話す。
「す」全て聴き出そうとしない。
「せ」専門的な言葉ばかり使わない。
「そ」損得で話しをしない。
 
「た」淡々とした態度で話しをしない。
「ち」知識をひけらかした話しをしない。
「つ」つまらなそうに話しを聞かない。
「て」適当な態度をとらない。
「と」棘のある言葉で話さない。
 
「な」内緒話ばかり話さない。
「に」逃げ道を作ってあげる。
「ぬ」温もりのある話し方をする。
「ね」ネガティブな話題ばかり聞かせない。
「の」能力を貶める話しをしない。
 
「は」早口で話さない。
「ひ」否定した言葉遣いをしない。
「ふ」不機嫌な態度で話さない。
「へ」返事をする。
「ほ」本音で話す。
 
「ま」惑わせる情報を伝えない。
「み」身振りも交えて伝える。
「む」無理に言わせようとしない。
「め」目を合わせる。
「も」物差しが違うことを心掛ける。
 
「や」安らぎを与える。
「ゆ」譲り合う。
「よ」要求だけしない。
 
「ら」乱暴な態度を見せない。
「り」理屈を通さない。
「る」ルールを守る。
「れ」連帯感を大切にする。
「ろ」論破しない。
 
「わ」笑いを共有する。
 
「ん」ん?どうした?と相手に興味を寄せる
 
。.ꕤ………………………………………..ꕤ.。
 
実践できていないことも多いので、自分自身心に掛けていこう!

ワオ!と言っているユーザー

諦めの手前に、まだ残っているもの

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諦めの手前に、まだ残っているも...
(もう、すべてやり尽くした)
 
そう感じる瞬間が訪れることがある。
 
努力しても報われない。
 
工夫しても届かない。
 
何をしても変わらない。
 
 
そんなとき、「もう無理だ」と心を閉じたくなる。  
 

けれども、その『諦めの手前』には、まだ思い出せることがある。  
 
 
なぜなら
 
実はそんな経験を乗り越えてきて今があるから。
 

それは、過去の自分の姿かもしれないし、誰かの言葉かもしれないし、ほんの小さな希望のかけらかもしれない。
 
 
「すべてやり尽くした」と感じるその瞬間こそ、『まだ残っているもの』に目を向けるための静かな問い直しのときなのかもしれない。
 
 
(やり尽くした)の中に、まだ見えていない自分がいる気がする。
 
「やり尽くした」と感じるときに、人は「できること」をすべて出し切ったように思うことがある。  

けれども、その「できること」の定義が、無意識に狭くなっていることもあるように思う。
 
 
たとえば
 
「頑張る」
 
「考える」
 
「動く」といった『能動的な努力』ばかりを重ねてきたとき、「委ねる」とか「待つ」とか「誰かに頼る」といった選択肢が見えなくなっていることがある。
 
「やり尽くした」と思ったときこそ、『自分の中にまだ使っていない力』があるかもしれないと問い直すこと。  
 

それは、「何をするか」ではなく、「どう在るか」を見つめ直す時間でもあるんだろう。
 
 
諦めたくなるほどに頑張ったということは、それだけ真剣に向き合ってきた証。  
 

「もう無理だ」と思えるほどに、あなたはすでに多くのことを試し、考え、動いてきた。  
 

その事実を、まずは誰よりも自分自身が認めてあげることが大切。
 
「まだ頑張れるでしょ」
 
と自分を叱咤するのではなく、  
「ここまでよくやってきたね」と自分の歩みを労うことが、次の一歩を生む『静かな回復』につながる。
 
 
諦めの手前で必要なのは、努力の継続ではなく、努力の承認かもしれない。
 
 
 
「やり尽くした」と感じるとき、私たちは往々にして“自分一人で”なんとかしようとしてきたのかもしれない。
 
けれども、人は誰かとつながることで、思いもよらない力を取り戻すことがある。  
 

誰かに話を聴いてもらうことで、自分の考えが整理されたり、  
何気ない一言に救われたり、  
「あなたがいるだけで助かっている」と言われて、自分の存在の意味を思い出したり。
 
諦めの手前で思い出したいのは、「自分がすべてを背負わなくてもいい」ということ。  

そして、「誰かと共にあることが、もう一度歩き出す力になる」ということなんだろう。
 
 
 
「すべてやり尽くした」と感じる瞬間は、決して弱さではない。
 
 
それは、真剣に生きてきた人だけがたどり着ける、ひとつの節目。
 
 
けれどもその節目の手前には、まだ思い出せることがある。  
 

まだ見えていない自分、すでに積み重ねてきた歩み、そして誰かとのつながり。
 
 
それらを丁寧に見つめ直すことで、(もう一度、自分を信じてみよう)と思える小さな灯りがともるんじゃないかな。
 
諦める前に、ほんの少しだけ立ち止まって、  
「本当に、すべてやり尽くしたのだろうか?」と、  
自分に問いかけてみたい。
 
その問いの中に、まだ終わっていない物語の続きを生きる力が、きっと眠っているはずなんだ。
 
思い起こそう!

ワオ!と言っているユーザー

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