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加藤雄一のブログ

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今日もキャリアの中の大切な一日

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今日もキャリアの中の大切な一日
忙しさに流された日
 
うまく進まなかった日
 
自信を失った日
 
 
 
そんな日々も、過去を振り返れば「全く無意味な時間」だったとは言い切れないはず。
 
 
むしろ
 
その一日こそが、自分らしいキャリアの質を育てる「原材料」になっているのでは。
 
 
「今日もキャリアの中の大切な一日」  
 

そう自分に言い聞かせることで
  
・今の営みにまなざしが向き
  
・未来のために我慢するではなく、「今を通じて育つ」という納得が生まれ
 
・結果待ちではなく、「プロセスを生きる」という姿勢が整う
 
 
つまり
 
「今日を位置づける言葉」が、『生き方とキャリアの軸』を育てていくような気がする。
 
 
 
キャリアというと
 

「経験」
 
「資格」
 
「成果」
 
「肩書き」
 
などの外的要素として語られることが多い。  

けれども
 
本質的には、キャリアとは「自分が何を大切にして、どう振る舞ってきたか」の連続的な記録なんじゃないかと。
 
つまり

・うまくいかない中でも、誠実に関わった一日があって

・課題が明確でない中でも、問い続けた一日があって

・誰かのために、自分の余白を差し出した一日があって
 
 
これらすべてがキャリアに含まれる。  
 

それは、「成果として残るもの」ではなく、「態度として染み込むもの」として蓄積されているんだ。
 
 
だからこそ、日々の営みのなかに、  
(これは自分のキャリアの一部だ)と感じられるまなざしを持つことが、働く意味と納得感を育てていくと思っている。
 
そう考えると
 
キャリアは「実績の集合体」だけではなく、『在り方の連続性』から作られていくものと言えるんじゃなかな。
 
 
 
 
 
「何をしたか」より、「どう過ごしたか」
 
それがキャリアに温度を与えてくれる。
 
キャリアは履歴書には書ききれない部分がほとんどのような気がする。  

そこに宿るのは  

・迷いながらも、誰かに誠実に関わった時間であったり  
 
・決断の前に、問いと向き合った時間であったり  

・無理に前へ進まず、整え直した時間であったり
 
 
そんな、言葉にならない数多くの営みの温度感。
 
だからこそ
 
「今日もうまくいかなかった」ではなく、「今日もキャリアの一部を生きた」と言い換えてみる。  

それは
 
成果主義でも成長主義でもない、『納得主義』とも呼べるようなもののような気がして。  
 
 
今日もそんな時間がたくさん存在していたのを、しっかりと自分に伝えてあげたいね。

ワオ!と言っているユーザー

決断の際に大切にしたいこと

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決断の際に大切にしたいこと

決断というと
 
「正しい選択をすること」
 
「結果に責任を持つこと」
 
と捉えがちになりませんか。
 
何だか重くなりますよね。
 
 

もちろん、結果への覚悟も大切ですが、本質的には、「その選択をどんな姿勢で行うか」「どれだけ自分で納得できるか」が最も大切な要素のような気がしています。  
 

つまり
 
決断とは「選ぶこと」以上に
 
「選ぶための自分との対話」
 
その営みの質にこそ意味があると思っています。
 
 
 
 
決断は、情報や選択肢の比較だけでは完結しません。
 
なぜなら

・感情:「本当はどうしたい?」という内なる声  

・状況:「何が今ここで可能か?」という環境要因  

・価値観:「何を大切にしたいか?」という軸の確認
 
 
といったような、これらの重なりが、「今の自分」としての選択を形づくるからです。
 
この重なりを無視して「正しさ」だけで判断すると、
 
・決断後に後悔が残ったり  
・他者とのズレが生まれたり  
・自分の思いが置き去りになったりする
 
つまり、情報処理ではなく、「」自己との誠実な対話」によって選ぶことが、決断の質を整える鍵なのではなかと。
 

決断は、感情・状況・価値観の重なりによって動き始めるのかもしれません。
 
 
ある支援者が、研修プログラムの変更を検討していた時のこと。  

事前アンケートでは「現行のままが安心」という声もあれば、「もっと深めたい」という期待もあり、振り幅がある状況。  
 

支援者自身も「変えたい気持ち」「変える不安」のあいだで葛藤していました。
 
その中で支援者は、あえてすぐに決断せず
  
・自分の感情を言語化する(例:なぜ迷っているのか、何を怖れているのか)  
参加者の背景やニーズを再確認する  
・ 自分が場で大切にしたい価値を整理する
 
 
というプロセスを丁寧に行いました。 
 

結果として
 
「一部の構成を変更し、問いが立ちやすい余白を加える」という決断に至ります。
  
その後その方はこう語りました
  
「正解は分からないけれど、今の自分としては『納得して決めたという実感』がある。 それが場の質に責任を持つ第一歩だと思えた。」
 
この言葉には、決断の本質が迷いを経て育った納得にあることが、静かに表れています。
 
-
 
決断とは、ブレないことではありません。  

むしろ
 
ブレながらも、実直に選ぶという実践そのもの。  

そのために大切なのは

・ 自分の感情や直感に耳を澄ますし 

・ 判断基準に自分の価値観を含めながら
  
・ 外的な状況だけでなく、“自分らしさ”という内的条件も整える
 
 
つまり
 
「何を選ぶか」以上に、「どう選ぶか」が、リーダーとしての在り方にも、支援者としての誠実さにも、深く響いていくのだと思います。
 
今日はもしかしたら迷いに出会うかもしれません。
 
どうか納得できる選択を!

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