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加藤雄一のブログ

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素直な気持ちを大切に

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素直な気持ちを大切に
 
 
「人のためになりたい」
 
「誰かを支えたい」
 
私と同じようにそんな思いで福祉職に就いた人は、たぶんたくさんいると思います。
 
  
ただ
 
現場に立ち続けるうちに、  
 
「頑張っても報われない気がする」  
 
「自分の支援(思い)に意味があるのかわからない」
  
「これから先、何を目指せばいいのか見えない」
 
そんな思いに悩む方もたくさんいるように感じてます。
 
福祉職の多くの方のキャリアの悩みには
 
「やりがいがなくなる」ではなく、「やりがい」を放っておかれていたり、「やりがい」なんて無視される中でも、「やりがいがあるからこそ迷う」という、深い誠実さから生まれる問いなのだと思います。
 
そのうえで
 
福祉職のキャリアに悩みが生まれやすい理由はたくさんあると思っていますが、構造的な要因が重なっているからだとも思っていて
 
・ 役割が曖昧になりやすい  
  → 支える側としての立場が、関係性の中で拡張·変形しやすく、自分がこの仕事を目指した思いがどんどん見えづらくなる。
 
・ 専門性が可視化されにくい  
  → 対人支援や関係調整などの成果が「定量化」されにくく、スキルや成長が実感しづらい。また、(組織に)スケールするための仕組みがない。
 
・ 評価と報酬が乖離しやすい  
  → いくら工夫しても、励ましや承認を得られず、成果が見えづらいことから、現場での貢献を何かしらの形でフィードバックされる環境にない。
 
・ 感情労働による疲弊  
  → 常に「関係性の温度」を扱うことで、知らず知らずに自分の感情が摩耗していく。
そのうえで人間関係をサービスの基本とするため、人間関係で消耗する自分の限界を、自分で認めることを難しくさせている。
 
そんな感じで、福祉職には
 
「やりがいがあるが、成果が見えづらい」
 
「貢献しているが、報酬が少ない」
 
といった、構造的なアンバランスさがたくさん存在しているんでしょうね。
 
そしてそれらが要因となって
  
・ 自分の仕事に意味を見出すのが難しくなったり  
 
・ キャリアの次の一歩が見えなくなったり  
 
・ 支援者ではあるが、自分自身が組織に支えられていない感覚になる
 
という、それはそれは「静かな消耗」が起こり、キャリアの悩みとしてどんどん膨らんでいくんじゃないかと。
 
まぁこの辺は私自身の実感に過ぎませんが(笑)
 
ただ
 
悩むことは、「弱さ」ではなく、自分の思いに正直な姿勢と、この仕事を目指してきた「意味」を求める誠実さなんだと思っています。
 
  
そして
 
人間関係の最前線で一生懸命取り組まれている福祉職の方こそ、常に「問いを持つ」ことを意識することが、キャリアの質を支える柱になるんじゃないかと。
 
 
 
・ できることだけではなく、大切にしたいことを軸にしながら  
 
・外側の評価だけではなく、時には自分だけの内側の納得を育て  
 
・ 役割から離れても、自分の素直な思いに戻ってこられるようなスタンスをいつも心に掛け、日々の実践を行う
 
などなど
 
それらが、福祉職のキャリアを『(現場にしか有益ではない)決まりごとよりも個人の思いを大切にする』『(組織の)普通の書き換え』を行う道筋となり、本当は自分の力をどう使いたかったのか、自分が目指す先へ向かう原動力になっていくような、そんな気がしています。  
 
心が折れることがたくさんあるかと思いますが、現場の皆さんがいるからこそ実現されている今の安心を、これからも一緒に支えていきたいし、これから現場に飛び込んでくる若者の力にもなりたいし、何よりもサービスを必要としている方々と、大変ながらも笑い合える時間を作っていきたいなと、そんなことを思う1週間でした。
 
さぁ、明日はゆっくり休んでまた明後日から頑張ろうーっと(笑)
 
皆さん今週もありがとうございました♪
 
現場で頑張る皆さんと一緒に、この暑い夏を乗り越えます👨🏿‍🦲笑
 
引き続きどうぞよろしくお願いいたします!
 

ワオ!と言っているユーザー

『壁』の正体って

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『壁』の正体って

【壁の正体は、「越えられないもの」ではなく、「見えない問いが立ち上がる場所」である】
 
「壁を感じる」
 
「ここから先に進めない」
 
そう思う瞬間、人はそれを『障害』として扱いたくなるような気がしています。
 
そう、何度壁にぶち当たったことか(笑)
 
 
けれども
 
本質的に壁とは
 

「外側の構造」ではなく、「自分の内側との対話が始まるきっかけ」。
 
 
つまり
 
壁の正体とは
 
「止まったこと」ではなく「問いが立ち上がったこと」そのものなんだと思うようになりました。
 
 
 
【『壁』があらわすのは、能力や状況ではなく、「自分のかかわり方」】
 
 
壁にぶつかったとき、私たちはよくこう考えませんか?
  

・ 実力不足かもしれない  
・ 周囲の環境が整っていない  
・タイミングが悪かった
 
そして
「誰かのせい」(笑)
 
 
けれども
 
その奥にあるのは

・ 自分はこの問いをどう扱おうとしているか  

・ 選ぼうとしている行動は、どんな前提に根ざしているか  

・ 今の関係性の中で、自分はどんな姿勢で立っているか
 
つまり
 
壁は『自己の在り方』を問い直す鏡であり、今の自分にとっての限界領域を知らせてくれる存在のように感じます。
 
だからこそ
 
壁は
 
「越える」
 
「乗り越える」
 
 
 
だけではなく
 
 
 
「見つめる」
 
「意味づける」
 
「対話を始める」
 
 
ことで、新しいかかわり方に変わっていく可能性があるように思っています。  
 
 
【『壁』は、行き止まりではなく、「意味を育てる入口」】
 
「越えられない」
 
「難しすぎる」
 
と思うその瞬間こそ
 
  
・ 自分が何を恐れているのか  

・ どんな前提で場に立っているのか
 
・ 今の実践に、何が足りていないのか
 
そんなことに静かに目を向けるタイミング。
 
 
そして、その問いが見えない扉となり、  壁はやがて、自分らしさを育てる場に変わっていく。
 
「壁打ち」なんて言葉もあるくらいですから、対話を楽しんでみるくらいの気持ちでゆっくり向き合えたらいいですね。
 

ワオ!と言っているユーザー

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