Ⅱ.嫌われてもまぁいっか 伝えることで生まれる誤解より伝えないで生まれる距離の深刻さ
6月
15日
もしも
「伝えないことで失うもの、伝えることで得るもの」
があるとしたら。
「まあ、このくらいなら言わなくてもいいか」
そう思うことが増えていた。
違和感を覚えても、空気を壊したくなくて黙る。
必要最低限さえも言わない。
誰かに言いたいことがあっても、角が立つのが嫌で流してしまう。
気づけば、心の中に「伝えそびれた言葉」がどんどん溜まっていく。
それは、いつか消えると思っていた。
でも、消えなかった。
消えたものもあるけど、消えずにふくらむものもたくさんあった。
そして
言わなかったことが積もるほど、自分が自分でなくなっていくような気がした。
「言うべきか、言わざるべきか」
その選択のたびに迷い、言えなかった自分にモヤモヤする。
人間関係を守るために沈黙したはずが、その沈黙が逆に距離を生んでいるのではないか?
そんな疑問が心の隅にわだかまる。
でも、正直に言ったら嫌われるかもしれない。
関係が壊れるかもしれない。
そう思うと、喉の奥に言葉がひっかかったまま動けなくなった。
喉が乾くのは、飲み物がほしいだけとは限らない。
「どう思う?」
と視線を向けられたことがあった。
賛成とも反対とも言えない案だった。
賛成とも反対とも言えない案だった。
でも、何かが引っかかっている。
いつもの自分なら、「まあ、大丈夫です」と濁す。
けれど、その瞬間ふと考えずにいられなかった。
……もし、誰も何も言わなかったら、どうなる?……
このまま進んでは、あとで後悔するかもしれない。
それなら、「何か」は言うべきじゃないか?
「少し気になっている点がありま
す」
と、いつもより深く息をして言葉を出した。
少しだけ声が震えていたような気もする。
心拍の高鳴りを感じる。
頭は真っ白に近かった。
場の空気がすーっと静まった。
誰かが
「自分も思っていた」
と続けた。
その瞬間、気づいた。
言葉に出してもなかなか伝わらないのに、言葉を出さなければ、本当に誰にも伝わらない。
だからこそ、言葉に出したことで生まれるものがある。
それが、はじめてストレートに言葉を投げた瞬間だったかもしれない。
それからは、できる限り自分の言葉でストレートに伝えることを意識した。
文法なんてクソ喰らえ。
接続がめちゃくちゃだろうが気にしない。
会話の展開法なんて考えていたら気持ちなんて伝えられない。
自分の真意は
感情は
自分と相手に対する敬意を最上位に置いて
「私はこう感じています」
「こういう可能性もあると思います」
「こういう可能性もあると思います」
単なる批判ではなく、視点を共有することを大切にした。
最初はぎこちなかったが、少しずつ場の空気が変わっていったように感じた。
そして、自分の言葉が相手の思考のきっかけになることがあることも知った。
伝えることで、関係がより深くなる瞬間を何度も経験できるようなった。
気づけば、「嫌われるかどうか」ではなく、「素直に思いをに届けられているか」が基準になっていた。
伝えなかったことで、後悔することがある。
いや、伝えなかったことで後悔したことばかり浮かぶ。
伝えたことではじめて生まれる関係がたくさんあった。
言葉は、自分を守るためではなく、「自分と相手と本当に向き合うため」にあると思っている。
もし今、言いたいことを飲み込もうとしているなら、 それが「恐れ」からなのか、「敬意」からなのか、問い直したい。
素直に、ストレートに。
そこから、本物の対話を楽しんでいきたい。
投稿日 2025-06-17 12:46
ワオ!と言っているユーザー