それは自分のフィルター?それとも自分の中の他人のフィルター?
6月
17日
「なんだか最近、うまくいかない。」
いや、なんだかずっとそんな感覚が続いていた。
意見を交わしても、話がすれ違うことが増えた。
良い案だと思っていても、どこか行き詰まる感じがあった。
「自分は間違っていないはずなのに、なぜうまくいかないのだろう?」
そんな思いが、心に重くのしかかる。
いつの間にか「自分の視点だけで世界を見ていた」のかもしれない。
過去の経験、知識、価値観——それらがフィルターとなり
「こういうものだろう」
と決めつける癖がついていた。
とはいえ
それだけだろうか。
これは本当に自分が見ている景色なのか。
自分にはない景色も、自分に取り込んではいないだろうか。
見える景色の色は?
それも自分のものなんだろうか。
いずれにしても、そのフィルターのせいで、新しい可能性を閉じていたんだろう。
そんな風に思った時、自分が見たい景色がどんなものか、わからなくなっていた。
友人がふとした会話の中で言った。
「それ、ちょっと視点変えたら面白いかもしれないよ。」
え?
「違う視点?でも、これはこういうものでは?」
「なんじゃそりゃ」
そう思いながらも、試しに考え方を変えてみた。
いつの間にか、知らず知らずのうちに、自分のフィルターなのか他人のフィルターなのか、それすらもわからず、考えもせずに存在していたようだ。
「フィルターを外すことは難しいかもしれないけど、どんなフィルターで見ているのか、それを少し感じるだけでも、違う気がする」
その実感が、思考の転換点になった。
それからは、意識的に自分のフィルターを外すことを試した。
✅ 「これはこういうものだ」と決めつけず、一度『かもしれない』と柔軟に考える
✅ 違う意見が出たとき、まず否定するのではなく「その視点ではどう見えているのか?」と尋ねる
✅ 過去の経験だけで判断せず、「もし今ゼロから考えたら?」と問い直してみる
それすらも、もしかしたら自分だけのフィルターではないのかもしれない。
自分の中にある他人のフィルターを通しているのかもしれない。
ただ
この習慣を続けるうちに、驚くほどアイデアの幅が広がり、何より、人との対話が楽しくなった。
「こうかもしれない」
「ああいう見方もある」
その余白があることで、会話にも新しい発見が生まれていった。
世界を狭めているのは、環境ではなく、自分の思い込みかもしれない。
だからこそ、一度フィルターを外してみるだけで、可能性が広がる。
フィルターを外しているようで、外れているかはわからない。
チャレンジしてみたようで、結局はいつも同じような服しか着ていない自分が、はたしてどこまでそれを実践できているかは、よくわからないが(笑)
それでもそれをやる価値は大きいと思う。
もし今、考えが行き詰まっているなら
まずは「これは本当にそうなのか?」と問い直してみてほしい。
「これは本当のボクの思いなのか」
「これは〇〇さんの思いに寄っているような気がする」
そして感じてほしい。
「ボクの思いのようだ」
「〇〇さんのフィルターがはいってるな(笑)」
そんな風に気軽でいいと思う。
そこから、また今と違う新しい世界が見えてくるはずだ^^