品種名の【西王母(セイオウボ)】は、中国で古くから信仰された女神(仙女)の名前で、3000年に一度だけ実を結ぶ不老不死の霊薬とされる桃の木の所有者です。
幕末の頃、金沢で育成された<椿>にも、同名の「西王母」の品種があります。
梅の原種に近い野梅系の紅筆性として淡い桃色をした一重咲き、花径20~25ミリの中輪で、開花時期は2月~3月頃です。
本来の<桃>には「西王母」という品種がないのかなと調べますと、山形県天童市にあります<イシドウ>が、「川中島白桃」と「ゆうぞら」を交配させ選抜育成させた「西王母」を、2004年11月に品種登録をしていました。
何とも重たい主題に、読み終えて唸ってしまいました。
ひとつは、来月11日で4年目を迎える東北大震災ですが、本書の初出は遡ること5年前の2006年11月から『小説すばる』に連載(~2007年12月)が始まっていることです。
伊豆大島に近い美浜島に、ある日突然津波が押し寄せ島全体が壊滅、中学生の<信之>と同級生の<美花>、幼馴染の<輔(たすく)>、そして船で釣りに出ていた<輔>の父親と釣り客の<山中>、灯台守の爺さんだけが生き残ります。
自衛隊が救援作業中、<山中>は<美花>を襲い、目撃した<信之>は<山中>を殺してしまい、<輔>はそれを目撃、写真を撮影していました。
時は20年が経ち、<信之>は市役所に勤め5歳の娘を持ち平凡に暮らしていたのですが、20年ぶりに<輔>は<信之>の前に現れ、現金を要求してきます。
それぞれの登場人物が相手のことを想いながら、真実の愛情とはなにかという重い主題を織り込み、人間の弱さと凶暴性は表裏一体だと改めて感じさせてくれる一冊でした。
本書は、江戸町名主の跡取り息子<麻之助>を主人公に据えた 『まんまこと』 シリーズの第三弾目になります。
相変わらず幼馴染の同じ町名主で色男で女たらしの<清十郎>、堅物で品行方正な見習い同心<吉五郎>とともに、神田町内や江戸に起こる謎めいたことや揉め事の解決に紛争する様子が6話、ユーモアたっぷりに描かれています。
『鬼神のおつげ』では、「富くじ」を題材に江戸時代の「庚申待」などの風習を絡ませて、江戸物として興味深く読めました。
本書では女房<お寿ず>が懐妊、町名主の跡取りとして頑張る<麻之介>でしたが、早産で無事に生まれず女房も亡くなってしまいます。
全体の物語の流れからして、突然に<お寿ず>を亡くならす必要性があるとも思えず、今後の展開に向けての伏線なのかなと、少し寂しい気分で読み終えました。
第2次湾岸戦争に従事した<イーサン・バーク>は、除隊後シークレットサービスの捜査官になり、同僚二人が行方不明になっている「ウェイワード・パインズ」という地方都市に出向きますが、そこで交通事故に合ってしまいます。
身分証明書も現金、携帯電話も失ったまま「パインズ」の保安官事務所に助けを求めるのですが、なぜか外部との連絡も取れず、みずから病院を抜け出して自動車で町からの脱出を試みるのですが、なぜか元の町に戻りついてしまいます。
ある日町の住民全員が、<イーサン>の町からの脱走を阻止すべく集結、手助けしてくれた一人の女性はなぶり殺しにされてしまいます。
彼女がまだ試みていない森の奥に脱出できる道がないかと逃げる<イーサン>ですが、行く手には見たことのない異形の生物が現れます。
これでもかと町から脱出させないように保安官や住民たち、病院の医師や看護師の行動に読み手側もハラハラ・イライラとさせられるのですが、結末は意外な方向に向かい、予測不可能な衝撃のラストが待ち受けていました。
建築に携わる者には、スペインのバルセロナを中心に活躍した建築家<アントニオ・ガウディー>の名は知れ渡っていますが、一般的に彼の名が知られるようになったのは、30年ほど前に流れていたサントリーローヤルのテレビCMで、「グエル公園」が登場していました。
本作品は、<ガウディー>が1926(昭和元)年6月7日に路面電車にはねられる場面から始まります。
美術史家の<マリア>は、祖父から自分は<ガウディー>の後継者で、彼は「七人の騎士」の代表者であるがゆえに、悪魔の結社「メンスラ団」の<アスモダイ>に殺されたのだと教えられ、ソロモン王の時代から「七人の騎士」が守り通してきた『キリストの鍵』の謎を解いて、<ガウディー>の使命をを完成させるようにと打ち明けられます。
<マリア>は恋人である数学者の<ミケル>の協力のもと、バルセルナに点在する<ガウディー>の建築物を巡り、「メンスラ団」の妨害を受けながらも、謎解きの世界に没頭していきます。
キリスト教を中心とする宗教的な要素と<ガウディー>の建築物の神髄を絡ませながら、バルセロナの歴史を背景に、壮大なスケールのミステリーが楽しめました。
(文春文庫)としては、高知のよさこい祭りを舞台に中学生時代に一緒に参加した名前も知らない女性を人を捜し求める大学生の<篤史>を主人公とした 『夏のくじら』 に次ぎ、本書が2冊目になります。
本書は、大手出版社の<千石社>に入社して2年目の<新見佳孝>が主人公ですが、『週刊千石』の編集部から中学生の少女を対象にした『ピピン』の編集部に移動させられるところから物語は始まります。
文芸書籍の編集担当を目指している<新見>は、少女のファッションや小物のカタログのような雑誌の編集に気合いが入らず、企画も無視され撮影の段取りなどの失敗を繰り返してしまいます。
雑誌の編集作業には、カメラマンやスタイリスト、モデルと言った人間関係の調整が伴い、また10代前半のモデルたちのライバル心の葛藤をも取り入れ、<新見>の仕事の成長ぶりと業界モノとしての裏側が垣間見れる構成で、知らない雑誌編集の世界が楽しめました。
このところミステリー作品を続けて読んできていますので、少し軽めのモノと思い、気楽に読める<西村京太郎>の登場です。
本書には9編の短篇が収められていますが、『歪んだ顔』は、冒頭の短篇のタイトルです。
警察学校を出てきたばかりの<梶原巡査>は、アパートで発生した心中事件の現場に出向きますが、女性のほうは青酸カリで死んでいましたが、それより若い男は睡眠薬だけでしたので、一命を取り留めます。
「自分が殺した」という男の自白に疑問を感じた<梶原>は、再度事件の捜査を続けていきます。
それぞれの犯罪に隠された裏側の真実を求める内容の短篇集として楽しめましたが、この文庫本は2014年9月(単行本は2007年)に刊行されていますが、文中に出てくる値段や固定電話が小道具に使われていたりと、作品的には古い短篇が並んでいました。
物語の舞台は、東京の各駅電車しかとまらない私鉄沿線の商店街にある「ここ家」というお総菜屋さんです。
オーナーの<江子>は61歳、従業員の<麻津子>は60歳、従業員募集のチラシで入った<郁子>は、彼女たちよりも年上です。
<江子>は10年前に<恵海>と共同でお店を始めましたが、夫の<白山>は<恵海>と一緒になり、離婚したあとも友達付き合いが続いています。
<麻津子>は離婚した幼馴染の2歳年下の<旬>に恋心を描き、<郁子>は息子を2歳で亡くし、昨年夫とも死別した過去を抱えています。
タイトルの『キャベツ炒めに捧ぐ』を含め、『ひろうす』・『豆ごはん』・『トウモロコシ』など惣菜に関するタイトルの短篇が11編連作で楽しめ、三人三様の彼女たちの人生を絡ませながら、季節感あふれる惣菜を通して明るく前向きな姿勢に元気づけられる一冊でした。
殺人事件ばかりがミステリーではないという視点から、「人の死なないミステリー」が、4人の作家のアンソロジーとして4編が納められています。
書き手はミステリーの範疇で、心に温まる<ほっこり>とさせる組み立てを考えなければいけません。
納められている作品は、
伊坂幸太郎 『BEE』 中山 七里『二百十日の風』 柚月 裕子『心を掬う』 吉川 英梨『18番テーブルの幽霊』です。
『二百十日の風』以外は、各著者の作品として今までに登場している馴染のある主人公が、それぞれ登場する短篇仕立てになっています。
<伊坂>さんの「兜シリーズ」としてのユーモア、<中山>さんのファンタジーを思わせる結末、<柚月>さんの真摯な検事役の歯切れ良さ、<吉川>さんの刑事 <原麻希> の母親目線での事件の解決と、どれもが楽しめる内容でした。
江戸時代の享保7(1722)年8月を舞台に、町医である<青庵>の6歳の息子<太一>が「神のおつげ」だということで突然無縁仏の墓場を掘り起し、墓の下に広がる妖怪たちをこの世に広めたことから物語は始まります。
前段の「序」に始まり第五話までの話が納められており、主人公は<青庵>の16歳の「医者小町」とよばれている娘<真葛(まくず)>で、母亡き後、父を手伝っていました。
<太一>が墓場の妖怪たちをこの世に送り出した日、父<青庵>は突然寝込んでしまい、妖怪の統率者<うわん>が<太一>に宿り、七歳の誕生日までに逃げ出した999の妖怪を捕えなければ<太一>の命は貰い受けるとの難問を命じられてしまいます。
気丈夫で利発な<真葛>は、<太一(うわん)>と二人で町中で起こる異様な病気や事件に対処していきます。
本書に納められた五話だけでは、捕えることのできた妖怪の数は知れていますので、この先長いシリーズ物になりそうです。
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