本書は、2006年『沖で待つ』で第134回芥川賞を受賞している著者が、自ら調理するB級グルメの奮闘エッセイー集で、笑えました。
東京を離れ、群馬県高崎市に移り住んでいる著者ですが、車で15分かかるスーパーマーケットで食材を揃え、「現直」(現地で直接販売している野菜類)を手に入り、一人暮らしのキッチンで試行錯誤をしながらの料理が、楽しくもあり、ときに哀切を感じさせます。
初出は『Hanako』ですので、女性向けの料理エッセイというのも面白く、また文章も著者の人柄がよく出ていると感じました。
たとえば、副題にもなっている「豚キムチにジンクスはあるのか」の文中の表現として<・・・しかも嫌な世間を忘れられ空前絶後百鬼夜行天網恢恢疎にして漏らさずスーパーエコノミカルグレイテイストリミテッドなおすすめ料理、それはずばり豚キムチです>などは、さすが文学者的表現で説得力があります。
タイトルそのものが、本書の内容を表していますが、主人公<高田友恵(トモ)>は、実家を離れ神奈川の獣医大学の新入生として下宿生活を始めます。
女らしい姉に対抗するべく好きな動物の勉強ができる学科を選び、ひとつのことをやりとげるべく空手道部に入部します。
学科の仲間との付き合い、呑み会を通して付き合いあ出した<築山楓>との恋と失恋、空手部の同期の退部、食肉のためだけに飼育される「産業動物」や「フリーマーチン」といった雌牛の現状等、キャンパスライフの青春小説だけに終わらず、獣医学生としての悩みも散りばめられています。
著者自身が獣医学部に在籍、空手道部に入部しているという実体験が<トモ>と重なり合い、自伝的要素もあるようで面白く読み終えれました。
男女とも平均寿命が延び、超高齢社会になりつつある日本ですが、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」と思われる人物が少なくなってきていると感じます。
この『老いの才覚』も、そのような世間の風潮に釘指す指導書として、自立した老人としての心構えについての意見が、全8章の構成で述べられています。
<曽野綾子>氏いわく、「老いの才覚」=「老いる力を持つことが重要」ということで、
1.「自立」と「自律」の力
2. 死ぬまで働く力
3. 夫婦・子供と付き合う力
4. お金に困らない力
5. 孤独と付き合い。人生を面白がる力
6. 老い、病気、死と馴れ親しむ力
7. 神さまの視点を持つ力 等7つを指摘されています。
80歳を超えられた著者自身が後期高齢者の立場ですので、説得力ある内容に共感を覚えました。
植物好きとして<ファルコン植物記>を日課のごとくシリーズ化していますので、本書を見つけたときは、嬉しくなりました。
本書は1940(昭和15)年に<柳田>自身の装丁で刊行されていますが、<柳田>が逝去(1992年8月8日)した同年(昭和37)年9月に角川文庫版が出ています。
「野草・野鳥」とも、民俗学者の肩をこるような学術論文ではなく、それと正反対の<雑記>という散文形式で、著者の細やかな作業が伝わる内容です。
身近な「タンポポ」や「ツクシ」・「ペンペングサ」等の地域による名称の違い、「百舌」や「時鳥」・「郭公」・「雀」といった身近な鳥たちの民族的な意味合いなど、興味ある話題が楽しめた一冊でした。
本書には表題作の『おちゃっぴい』を含め、江戸の下町を舞台とした6篇の物語が納められています。
「おちゃっぴい」とはおてんば娘を指す言い方で、札差業の「駿河屋」の16歳の娘<お吉>のことで、父から薦めらえた21歳の手代<惣助>との縁談に逆らって家を飛び出したものの、偶然出会った絵師の<菊川英泉>の諭しに実家に帰ります。
「甚助店」に住む浪人<花井久四郎・みゆき>夫婦と、長屋の住人との心温まる日常生活、薬種問屋「丁子屋」の倅<菊次郎>が憧れる5歳年上の女筆指南<お龍>とのいきさつなど、なぜか憎めない登場人物たちの喜怒哀楽が、見事に描かれている一冊でした。
本書でも、『天女湯おれん』 (諸田玲子)に登場する「銭湯」の2階の男たちの団欒の場が、江戸庶民の交流の場として一役かっていました。
本書は、副題に<警視庁捜査一課・貴島柊志>とあるように、殺人事件を捜査するミステリーものです。
冒頭は5歳の少女<里見悦子>の身の回りに起こった姪<アイ>の池での水死事件や、その母親である叔母も同じ池で水死する回想から導入部分は始まります。
忌まわしい事件から17年経った<悦子>は、「日本ミステリー大賞」を受賞、受賞後第一作目の作品『ミラージュ』を発表する寸前、仕事場のマンションの密室で刺殺死体として発見されますが、関係者には皆アリバイが成立しています。
その後<悦子>の原稿担当者の<的場武彦>が突然行方不明になり、<悦子>の母親<里中充子>も自宅で刺殺死体で発見され、事件は複雑さを増していきます。
「鏡」を一つのアイテムとして作品のなかで生かし、読者の推理を導こうとしながらも、最後のどんでん返しの構成が見事で、余韻の残るミステリーでした。
主人公は江戸の歌舞伎小屋「森田座」の大部屋女形<梅村濱次>で、幽霊や物の怪などの怨霊事が好きで、のんびりとした性格です。
ある日<濱次>は、見知らぬ娘から朝顔の植木鉢を預かってくれと頼まれ、小屋に持って帰る羽目になってしまいましたが、それは「変化朝顔」という種類でした。
<濱次>の奥役(付け人)<清助>は、金になると考えて<濱次>から世話をするということで鉢を預かり、金もうけを企み自ら「花合せ」の場にその朝顔を持ち込みますが、「親木・出物」といった専門用語についていけずに長屋に持ち帰るのですが盗まれてしまいます。
預かった<濱次>は、消えた朝顔の鉢と鉢を預けた見知らぬ娘の正体を探るべく、自らが謎解きのために動き出します。
<濱次>の座元<森田勘弥>、師匠の<有島仙雀>、料理屋の女将<お好>などの脇役の設定も面白く、一件落着のあとに思わぬ展開があるなど楽しめました。
著者自身の自伝的な行動録の(今のところ唯一の)「エッセイ」ながら、三人称で綴られているので、読み手は「これは小説か」と間違えそうな構成でした。
<登美彦>は勤め先(註:国立国会図書館)の同僚<鍵屋>家の所持する荒れ放題の竹林をきれいにしようと思い立ち、大学の友人<明石>氏と二人で果敢に「竹」の伐採に挑戦し始めます。
全編「竹」に関する<登美彦>の妄想と、京都大学農学部時代の学生生活や作家生活の回想を織り込み、最後は荒れ果てた竹林の手入れを足掛かりとしてMBC(モリミ・バンブー・カンパニー)設立へ夢は膨らんでいきます。
タイトルの『美女と竹林』は、美女がいて竹林があるという意味ではなく、美女と竹林が灯火関係にあることを示しています。
憧れの女優<本庄まなみ>さんとのエピソードも面白く、深く考えることなく著者の人世の一コマが面白く読み切れる一冊でした。
21世紀後半、アメリカ合衆国で起きた暴動をきっかけとして多くの核弾頭が飛び交い放射能で汚染された<大災禍(ザ・メイルストロム)>が起こり、従来の「国」は崩壊、新たな統治組織として「正府(ヴァイガメント)」が誕生、人間は健康と幸福の福利厚生社会を築き上げていました。
そこでは、<個人用医療薬精製システム>が各家庭に常備され、病気にかかることなく生活が送れます。
女子高校生の<ミァハ>は自己意識を憎悪する社会に対して反感を持ち、自ら自死を決行、友人の<キアン>と語り手こと<トァン>を残して消え去ります。
13年後、<トァン>はWHO螺旋観察事務局の上級監察官として働いていましたが、禁止されている飲酒・喫煙が露見し日本に送還、再開した<キアン>が昼食時に自殺を図り目の前で亡くなってしまいます。
全世界規模で意識を洗脳させる行為が行われている現状をみて<トァハ>は、犯人の思考が<ミァハ>と同じことに気づき、一人で真実を突き止めようとします。
健康で病気にならない人類社会をベースに、人間の意識と幸福はなにかと問い詰めていく課題は大きく、読み手に「人間」とは「人間社会」とはを語りかける重さのある一冊でした。
主人公<夏目栞>が、10年ぶりに故郷の小学校を訪れ、自分が4年2組で過ごした一年を振り返る物語で、「第18回椋鳥十児児童文学賞」の受賞作品です。
<栞>は、「ち」と「き」の発音がうまくできずに特別授業として『ことば教室』に通い、定年間近の<佐山先生>に指導を受けていますが、日常生活の出来事を通じて、わかりやすい言葉で<栞>にモノの見方や考え方を諭してくれます。
ある日校庭にそびえ立つ大きな「セコイヤ」の樹が伐採されることになりますが、クラスメートと伐採反対の署名運動に協力したり、奉仕委員としてプルトップを集めたりとの生活を通して、人生の「幸せ」について学んできた過程が回想的に描かれていきます。
「ボクシング・デー」とは、クリスマスに祝えなかった人たちが、一日遅れでプレゼント(Box)を開けることを意味していますが、「遅れたとしても、誰にでも必ずいいことは巡ってくるんだよ」という人生の暗示をそれとなく感じさせてくれる一冊でした。
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