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夕暮れのライン引き

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夕暮れのライン引き
先ほどサッカーフィールドのライン引きを終えて帰ってきました。
家内が今期、長女のサッカーコーチを引き受け、毎週二日間、十数名の女の子たちにサッカーをコーチするようになりました。その役割の一つに、試合会場にラインを引く仕事があります。
わたしの帰宅が今夜は遅くなりましたので、夕食が済むと家族で急ぎ出立。ライン引きやチョークの納められた倉庫まで車を走らせ、それらを載せてサッカー場へ。
ぎっしりと詰め込まれた袋は米袋ほどの大きさですが、重さはその何倍もあり、女性では車に搬入できないのです。
ライン引きは日没との競争となりましたが、残照が残る中、真っ暗になる直前に完成しました。
3袋のチョークをすべて使用したところで終わり、ここでもギリギリとなりました。
これで明日、子供たちの歓声が聞けそうです。
#スポーツ

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宗教は人を束縛するものか、自由を与えるものか

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宗教は人を束縛するものか、自由...
マタイ3章13~17節「主イエスの洗礼」 
マタイ福音書連続講解説教⑧からの抜粋

http://hosannamin.org/jpn/page/home

主が洗礼を受けられて水から上がられたとき、天から声があった。

「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」(マタイ3章17節)

父なる神がいわば主イエスのミニストリー着手を認められた宣言となり、福音書には他にも2回、それぞれ異なる機会に同様な天からの声が記録されてある。

この声は、主イエスに大切な二つの自己認識を与えた。

1) 王としての立場。
  前半の「わたしの愛する子」は詩篇2篇7節からの引用で、そこの文脈では王としてのメシア預言がなされている箇所。イエスは、やがて全世界を治める平和の王として来臨する確信を深めた。

2) 僕としての立場。
  後半の「わたしはこれを喜ぶ」はイザヤ書42章1節からの引用で、そこの文脈では僕としてのメシア預言がなされている箇所。この言葉により、人に仕えられた後に命をささげる従順な僕として世に来られたとの確信を抱いた。
 
 この主イエスが理解され受け入れられた立場は、主イエスのバプテスマを受け、主と一体化する私たち信者にも演繹される。そう、私達も王として、また僕としてこの世に派遣されている者たちなのだ。
 
 先日オリンピア半島にキャンプしたとき、我が子たちはテント設営場所にあった大木の枝からぶら下がるブランコに夢中となった。私が車からの荷物搬入を手伝うよう命じるまで、わき目も振らずに遊んでいる。
彼らは仕事はしたくない。ただ遊んでいたいだけだ。それでも良い。それも許される立場にある。なぜなら彼らは私たちからして生徒でもなく、従業員や兵隊でもなく、我が子であるのだから。オーナーの子供であるなら、王のように振舞うことも許される。

だが親としては、彼らに喜びを経験させたい。それは好き勝手に遊んでいることからは生まれて来ない。プロジェクトに共同参与して、それを達成することから得られる自信や誇りを経験してほしいのだ。それゆえ荷物の運搬から始まり、テント設営、夕食準備など諸々の仕事に協力してもらうことになる。

彼らはしぶしぶブランコから降りて、僕としての働きをはじめることになる。やがてキャンプファイヤーに火がともり、その隣のテーブルには夕食がセットされ、組み上げられたテントの内部には4人分の寝床が整えられたのを見て満足する。家族としての共同作業が、自分たちの野外での一夜の生活を支えたことを身を持って体験したのだ。
 
 私たち主に購われた者は神の家族に加えられ、キリストとの共同相続人であり、つまり「王」としての立場を持つものである。ゆえにどんな種類のミニストリー(働き)であれ拒む自由がある。同時に参与する自由もある。「僕」として働きに専念するなら、やがて完成したその働きを見て、主とともに喜ぶ者とされるのだ。
 
 王である私たちは、僕としての働きに召されていることを覚えようではないか。それが主イエスの辿られた道であった。

 「キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる名を彼に賜わった。」(ピリピ2章6~9節)
#ブログ

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忍者とNinjago

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忍者とNinjago
今週から新学期が始まった。
小学4年生となった長男は、学校が好きになれない。

毎朝、重たい気持ちで起きてきて「学校へいかないと行けないの~」と聞く。
彼は米国で流行のNinjyagoの大ファン。
漢字で「忍者」の意味を説いた。「忍耐する者なのだ」と。

するとNigagoに出てくる忍者KAIはどれほど忍耐がないかを説明しだした。
そのエピソードの物語をとうとうとまくし立てる。
忍耐なくても忍者になれる妥当性を説得しているようだ。

ヤレヤレ。
FBの友人が、「忍」とは、「心」の上に「刀」を乗せた緊張状態とコメントしてくれた。
それも彼に説いてみると、
「それじゃ、死んじゃうジャン」

なんとも諦めが早いことよ。
#学校 #教育 #受験 #外国語 #科学

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City Boy

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City Boy
レイバー・ディの週末、オリンピック半島からシアトルに戻ってきた。

フェリーからシアトルダウンタウンの摩天楼を見上げて、ようやく一息ついた。

アウトドア生活は数日間がよい。
長く暮らすなら、私は都会が良い。
完全なCity Boyである。

これはわたしの名前そのもの。
「京」はCapital Cityで、「太」は「太郎」つまりBoyを意味する。

長男も都会派だが、家内と長女は田舎派だ。
特に長女は牧場で馬とともに暮らすのが将来の夢だと言う。

アウトドアライフも日帰りできるシアトル・ノースウエストはあらためて良いところだと思う。
#アウトドア

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顔を現す広大な砂座敷

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顔を現す広大な砂座敷
オリンピック半島後半の旅は、Makahインディアン居住区にあるキャンプ場にテントを設営。そこは、20メートル幅ほどの防風林を抜けると太平洋に面するビーチとなっている。
テント設営場所に車を横付けできるので至極便利。
腰痛を抱えた私には、荷物を持って何度も車とテントの間を往復しない分だけでも助かる。

そのビーチの潮の満干の差には驚かされた。
夕刻干潮を迎えたが軽く100メートルは超える、ほぼ水平の砂浜が姿を現していた。
言うまでもなく、6時間後そこは海水で覆われる。

水が去った後の砂は硬く、足跡も残さないほど。
そこでわたし達は鬼ごっこに興じた。
我ながら、かわいい穏当なお遊びに感心する。

他の人たちがしている、カヌーでの釣りやサーフィンなども何時かしてみたいものだ。
わたし達の隣にテントを張った3人家族の30代と思しき夫は一人でカヌーを漕ぎ出だし、ザトウクジラが潮を吹いているのをすぐ近くで見たという。実際にはそれはカヌーでなく、Hobyという足を使って漕ぐ最新の優れものだった。
#アウトドア

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日本からの漂流物

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日本からの漂流物
 3.11の大震災で津波で流れ出た漂流物が米国太平洋岸に漂着しているとの報道を聞いているが、Shi Shi Beachを歩きながら探してみた。

数点見つかりました。かすんでいるが日本語が書かれたブイ。
これも黒潮に乗って1年と半年ほどかかって到着したものです。

人物が特定できるものなら持ち帰り、送り届けようなんて家内と話しながらビーチを歩く。
残念ながらそのようなものはなく、その大型のブイもナイフで二つに裂かれた後にキャンパーたちに使われた模様。それを我が子たちが格好の遊び道具にしていた。

帰宅してみると、日本政府で米国西海岸への漂着物清掃費用を負担するための懇談が始まったとの新聞記事があった。
#アウトドア

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日本人の米国大陸初上陸の聖地

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日本人の米国大陸初上陸の聖地
 Shi Shi Beachは、昨日訪れた太平洋に突き出た角の先端、Cape Flatteryから約10マイルほど南下した太平洋岸のビーチ。そこまで行き着くのに、2マイルほどの山道を歩かねばならず、これにより車での進入が妨げられていることから自然環境が太古のまま保全されている秘境である。
 おどろおどろしい岩肌が砂浜から屹立していたり、その岩に万を越える貝が付着していたり、確かに日常お目にかかれるものでない。

 そこからさらに10マイルをビーチに沿って南下すればCape Alavaがある。
その地点こそ、日本人が始めて米国大陸に足を踏み下ろした場所である。

 天保3年(1832年)、江戸に向けて出航した宝順丸は途中遠州沖で暴風に遭い難破・漂流。14ヶ月の間、太平洋を彷徨った末、ようやく漂着した場所がそのCape Alavaであり、その時に生存者は音吉、岩吉、久吉の3人しかいなかった。
彼らは現地のアメリカ・インディアン(マカー族)に救助される。というよりも、奴隷としてこき使われたのが実情。
昨日訪れたマカー族博物館には音吉らの出身地である愛知県美浜町と友好親善を交わした記念碑が陳列されていたのが、少々滑稽でもあった。

後に彼らはロンドン、そしてマカオへとイギリス船の好意を得て、帰国の望みを託しながら移される。音吉はそのマカオで、ドイツ人宣教師チャールズ・ギュツラフに協力して世界で最初の邦訳聖書「ギュツラフ訳聖書」を完成させるに至る。1837年年6月、薩摩からの漂流民4人を加えた合計7人の日本人を乗せたイギリス船ローリー号は、マカオを出発し那覇まで来る。ここで彼らはモリソン号に移乗し、あらためて日本へ向かう。

7月30日、同船が三浦半島の城ヶ島の南方に達したとき予期せぬ砲撃にさらされる。これがモリソン号事件である。当時の江戸幕府は異国船打払令を発令していて、日本沿岸に接近する外国船は、見つけ次第に砲撃して追い返すという強硬姿勢をとっていた。やむなく彼らは故郷の国の地を踏むことなく、マカオに引き返すしかなかった。

 その漂着は今からわずか180年前のことであり、当時となんら変わらない海岸線の風景を見るにつけ、3人の漂流民たちが辿った苦労が偲ばれてきた。

最後に暗記している音吉の協力によるギュツラフ訳ヨハネ福音書の1章1節を紹介して、数奇な運命の中で神に用いられた人物のよすがとしたい。

「ハジマリニ カシコイモノゴザル コノカシコイモノ ゴクラクト トモニゴザル」
#アウトドア

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Cape Flatteryに立つ

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Cape Flatteryに立...
キャンプ3日目は今回のハイライト、Makah Indian 居住区へ。
そこはアラスカを除く合衆国の最北西の地。

先ず、Makah博物館でインディアンの生活、歴史、文化等を見学。
確かなことがわかっている年代は、少なくとも500年前には彼らはこの地に居住していた。鯨やラッコ、魚を釣って食を得、衣服もラッコや熊の毛皮を使い、住まいは杉材で移動式プレハブ家屋であったことを知る。

それだけでなく、この地とMakahインディアンはわれわれ日本人にも大きな係わり合いを持っている。宝順丸の模型と3人の救出された漁師たちの物語が日本語でも展示されていた。詳細は後日に記します。

写真は米国北西部のコーナー、Cape Flatteryに立ったところ。
少し離れたところに見える島は、Tatoosh島といって、かつてMakah族たちが夏季の間だけ捕鯨基地として利用したところ。現在は無人島となり、灯台が船舶のシアトル航路の目印となっている。
#アウトドア

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Rialto Beach

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Rialto Beach
オリンピック半島探索の二日目は、Rialto Beachへ。

ここは太平洋に面していて、クレッセント・レイクのベースキャンプから西に約2時間ほど。海の向こうは言うまでもなく日本である。

Quileuteという名のインディアン居住区の北面に接している。

どこからやってきたのだろう、無数の大木が海岸に打ち上げられている。
その大木を利用して基地を建設するのが、毎年お決まりの長男のプロジェクト。

今回もおもい大木の運搬係りを仰せつかった。

父親としての尊敬を受けるチャンスとばかり、気張ったのがよくなかった。
身長ほどの大木を引き上げた途端、腰に電流が走る。
持病の腰痛を再発させてしまい、以後、杖なくして歩けなくなってしまった。
#園芸 #花

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クレッセント・レイク

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クレッセント・レイク
我が家の夏の恒例となったオリンピック半島バケイション。

初日からクレッセントレイク湖畔にキャンプ。
数千年前、氷河の侵食で形作られた深い谷間にあるこの湖は水深が200メートルほどもあり、ワシントン州でも最深の一つ。透き通るクリスタルの水はとても冷たく、長男しか泳ぐ勇気は誰も持ち合わせていない。

湖畔にテントを張るキャンパーはわたし達だけとなり、この静寂さを独占。
いつかカヌーでテントから出港して見たい。
#アウトドア

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