コロンビア河にかかるハイウエイ5.
こちら側がワシントン州で、橋を越えるとオレゴン州です。
海のように広がる河。対岸までの距離はかなりあります。
ポートランドでの今回の宿舎は、コロンビア河の湖畔に位置しています。
先回ここに泊まった時は、窓の外には隣の建物しか見えなかったんです。
ぞこで河の見える部屋がないか聞いてみました。
すると、、、スンナリとそこを与えてくれました。
何でも聞いて見るものですね。
この大型のパンは文句なしの一品。
夕食はレバノン料理のお店へ。
地中海料理は、イスラエルへ行って以来好物となりました。
ですが、ここのお店は大外れ。
Kabob の羊肉が固くて噛みきれない上に、
おせいじにも美味いとは言えないあり様。
それでも、
笑顔で対応してくれるウエイトレスには、罪は無い。
「とても良いですよ」と答えた私に、大型の石造りの釜での焼き立てであり、
ポートランドではすでに3軒のお店が成功している話を得意になってしてくださる。
確かに、写真の平たいパンは美味い。
が、メインの羊肉とライスはど〜しようもない( ̄▽ ̄)
やがて伝票をお願いした時、信じられない事が起こった。
「今回の会計は心配しないでください。私が支払うことにさせていただきます。」
「えっ、、?? どういうこと?、、、
なぜですか?」
「あなたがナイスだからです。」
「そーんなこと聞いたことありませんよ…
『私』って、お店ですか、それともあなたのことですか。」
「私がお客様の代わりにお支払いします。本当に気になさらないで下さい。」
このような接客をいただいたのは、アメリカ生活ながしといえども、初めてのこと。
始終明るい接客サービスをしてくださってる30前後と思しき彼女に
料理にガッカリした本心は見破られていないはず。
パンをいただいていた上機嫌の時に、弾む会話をしたのだから。
彼女のオファーを退けるのも気が引けたので、伝票のないままで料理の支払いはしませんでした。
ただ彼女のサービスに対しての多目のチップをサンキューノートと一緒に置いてきました。
こんなことってあるんですね。
Gresham のダウンタウンにあるお店でした。
ミニゾウでランチをしました。
ポートランド中心部から北へ10分ほど、
最近開発の進むミシシッピー通りにあるそれは、
移動用屋台車の集積地にありました。
10程のエスニック料理の屋台車が所狭しと並んでいる一角。
ポートランドで初めてのラーメン。
日本でも成功している有名居酒屋チェーン店のものだけあって、
味は唸らせるものでした。
これで7ドルは納得。
きっと、先日新横浜のラーメン博物館で子供達が試食したラーメンよりもうまいと思う。
彼らはそこでは納得していなかった。
ここならウンといってくれそうな気がする。
だけど、たった一人のお兄さんが働いているのでは、
家族での注文はほかの客に迷惑となるかな?
このビルの27階にポートランドの総領事館が置かれています。
今週月曜から金曜までの5日間が、選挙の投票日です。
参議院選挙のための投票へ行って来ました。
神奈川選挙区からの議員選出選挙と、
比例代表制政党選出選挙の二つでした。
海外居住者がこうして国政選挙に参加できるようになってから、十数年が経ちます。
私は現在オレゴン州ポートランドにいるため、
いつものようにシアトル総領事館での投票ができないと危ぶんだのですが、
ポートランドでも投票ができる事が分かりました。
いや、海外居住者で選挙人登録カードとIDとの2点があれば、
世界のどの総領事館でも投票が行えるのを初めて知りました。
ポートランドのダウンタウン、
ある銀行のビルディングの27階に総領事館は位置しています。
投票方法ですが、
日本と違い、投票用紙をただ箱へ投函するのではないのです。
記入した投票用紙は2枚、それぞれの専用封筒に2重にして納められます。
外側の封書には「立会人」の証明を記す欄が設けられています。
領事館側と選挙人側が正しく投票事務を踏襲しているかを見定めている
「立会人」がその部屋の中で座を占め、始終監視を続けています。
その人のサインがあってはじめて投票が有効となる仕組み。
無事にその方のサインをいただいて、投票を完了。
あとは、その投票用紙が日本へ運ばれて後、各選挙管理事務所へ郵送されてから開封されることとなっています。
そういうわけで、日本国民としての主権を行使できて、
少々誇らしく感じた午後の一時でした。
激動の生涯を生き抜いたジョン万次郎の物語。
本日は、本についてのエピソード。
日本のニュースを見ていたら、米国の小学生間でベストセラーとなっている話題の本が取り上げられていました。
Heart of a SAMURAI という本です。
ジョン万次郎の生涯について書かれたものです。
幕末、漁師の見習いであった少年万次郎は嵐に遭い遭難。無人島で米国の捕鯨船に救出せられてから、東海岸にある船長の家に移り住み、そこで学校へ通います。
やがて帰国しますが、時は明治維新。
彼は日本側通訳官として勝海舟艦長の船に乗り込んで、日米の条約締結の橋渡しをします。
試練と困難の中でもめげずに道を切り開いて行った万次郎の物語が、米国の子供たちに大きな励ましを与えているようです。
その話を家族にしたところ、小学4年の長男のクラス担任は毎朝の読書の時間、この本を子供たちに読み聞かせているのだそうです。
先月の長男の誕生プレゼントにはこの本を買い与えました。
彼は一向に読もうとしないので、
私が先に読むことにします。
いつかハードルを越えて、飛翔しよう!
長女の初パラセイリング。
この日、長女を連れれ本屋へ。
何やら読みたくてたまらない本があるらいしい。
家内に頼むと「図書館で借りればよい」となるので、私に連れて行け、と言う。
彼女は何度も読み返すし、赤線も引けるだろう、と考えて自分の本として所有するのは賛成だ。
読書以上にコストパーフォーマンスの優れた投資はないだろう。
それが10代の子供であったらなおさらだ。
実際に購入できるとなった段階でも、さらに長女には越えなくてはならないハードルがある。
彼女の年齢に適しているかどうかを、家内が判断しなくてはならない。
本屋に到着後に、レビューを読んだ家内は携帯電話で長女には相応しくないと告げる。
長女は泣く泣く、購入予定の本を半分ほどにさせられてしまう。
5冊ほどのシリーズものを買ったが、1週間で読んでしまうのだそうだ。
おたまげ。。
ここ3週間ほど見ていなかった
八重の桜を見ました。
まだ会津戦争なのですね。
戦いばかりのドラマっていう印象になりそう。
それにしても、
開城・恭順を説く西郷タマモは徹底的に正論。
降伏は腰抜けでなく、勇気ある選択。
指導者の頑固さやプライドが、どれほどの尊い会津人の命を奪ったことか。
二本松での年少者の死、白虎隊の自害、、、無念です。
見るのに辛いです。
偕楽園の好文亭にて
先週、山形県の大江町教会へした礼拝説教の要旨をまとめたものを紹介します。
説教題: 「よくなりたいか」
聖書箇所: ヨハネ福音書5章2ー9節
このベテスダの池に佇む足の不自由な男の癒しの記事は、
今から30年以上も前、
私が高校1年生の時に
東戸塚教会での特別伝道集会で語られていた物語した。
その時は、
小学校低学年時に数年間日曜学校に出席してからの、
初めてとなる教会出席でした。
そこで「天啓」とも言えるメッセージに大きな衝撃を受けて以来、
今日まで私の教会生活が続けられています。
当時のウブな高校生に拓かれた啓示とは、
①私のことを知っておられたお方がおられた。
「イエスは彼が伏せっているのを見、
それがもう長い間のことなのを知って」(6節)
思うように歩めずに自分自身に失望しては他者を非難している病人(7節)の姿は、
見事に当時の私を照らし出しました。
劣等感と自己嫌悪に陥り、
自分で自分の事が分からなくなっていた私は、
その実情を全てご存知の上で
それを言い当てられたお方の存在に圧倒されたのです。
②私に語られたお言葉があった。
「よくなりたいか」(6節)
ⅰ それは単純な問いかけでした。
よくなれない理由は数多く上げることができた(7節)中で、
主はたった一つのことを聞かれておられます。
ⅱ それは本来的な問いかけでした。
37年間の病の現実は、彼から回復の希望を奪い取っていた。
俗信(4節)に藁をもつかむ思いでベテスダ池に留まっているのは、
他に居場所がないからであり、
癒しのためという本来の目的は忘れていたのだ。
ⅲ それは自己存在に関わる問いかけでした。
鉛のように重たい現実の前に、
良くなれることなんて誰に聞いても無理と言われたであろう。
家族、友人、教師や上司の意見でなく、
「あなたはどうしたいのか」という、あなたの意思に向けられた問いであった。
③私に決断を迫った瞬間であった。
「イエスは彼に言われた。『起きて、床を取り上げて歩きなさい。』」(8節)
この主のお言葉はあまりにも文脈を超越した、
唐突なものでした。乱暴とも言えるかもしれません。
彼に決断を迫るものとなりました。
知識と信仰との間にはギャップ・断絶があります。
人が主の御業に与るためには、
貴方の理屈や経験、
蓄積されて来た自負心などから
飛躍・ジャンプしなくてはならないのです。
当時の私は、聖書知識も教会生活もないに等しい状態でした。
人の説得力からでなく、
天的に迫り来るものを感じたのです。
その招きに応答するなら、
これまでの生き方とは全く別個で別次元の世界が拓かれるのではないだろうか、、
そのように感じながら、
押し出されるようにようにして挙手決心へと導かれていました。
その決心は今振り返って見ると、
私の生涯で最大に意義のある、
最善のものでありました。
森の中でのブランコ。
栃木県にて。
このあと、スペース・ラグに?
これまで成田~シアトル間のときは、シアトル到着が午前10時ころ。
今回の羽田~シアトル間では、シアトル到着が午後7時ころとなりました。
どちらが身体の負担が軽いだろう、と興味がありました。
昨日は疲れも感じずに、荷解きやデスクワークに励めました。
この日、ついに疲労感が大波のようにやってきました。
腰痛で深いソファから立ち上がるのが難儀。
この症状は妻も同様に現れています。
彼女の場合、さらに軽い風邪も併発。
子供たちも睡眠時間の調整ができずに、日中に6~8時間も寝て、深夜3時から目覚めてしまうといった状態。
夕刻に到着した今回のほうが、どうも調整に難儀しているように感ぜられます。
仕事パフォーマンスを向上させるためにも
一刻も早いジェット・ラグからの回復の方策も今後の課題です。
大江町教会にて
婚約されたばかりのお二人と。
山形はサクランボの産地
妻がFaceBook に投稿した文章を紹介します。
“Furusato” is a song beloved by many Japanese. It conveys a longing for the past with a hint of hope that those happier times may one day be recovered. We just returned from Japan where we helped a friend’s ministry in Fukushima to those displaced by the 3.11.11 earthquake and tsunami. There are more than 300,000 people still living in temporary housing without the hope of ever recovering their furusato (hometown).
I shot this recording two days after leaving Fukushima while sitting around with members of Oe-cho Christ Church in neighboring Yamagata Prefecture who began singing “Furusato.” Most people aren’t aware that the song was written by Christians to portray this earthly home as temporary – one where we journey for a time while awaiting our eternal home. I was so moved by this spontaneous singing while reflecting on those we visited in Fukushima. It renewed my commitment to praying for those in Japan who remain displaced and for those who serve them.
(いかが翻訳文です)
「ふるさと」は多くの日本人に愛されている歌です。
それは過去の幸いが、いつの日か回復される希望を託したものです。
私たちはちょうど日本から帰ったばかりですが、そこで3・11の大震災と津波で立ち退きを余儀無くされた福島県の被災者のために支援活動をしてる友人の働きのお手伝いをしてきました。
現在、3万人以上の方々が仮設住宅で、彼らのふるさとが復興する望みもないまま暮らしておられます。
福島県を去って二日後、隣接する山形県にある大江町キリスト教会にいた時、同席の教会員の方々がふるさとを歌い出されたのを録画しました。
多くの方はご存知ないと思いますが、この曲はあるクリスチャンによって作詞されたものです。この世での住処は一時的に過ぎずー永遠の住まいを望みながら今しばらく旅をしているに過ぎないことを描写したものです。
私が福島でお会いした方々のことを考えていたその時に、誰からともなくその曲が自発的に歌われたことに心動かされました。
この曲は、日本の被災者の方々とそれに仕えている支援者のために祈り続けなくてはならないとの、私の決意を新にするものです。
- ブログルメンバーの方は下記のページからログインをお願いいたします。
ログイン
- まだブログルのメンバーでない方は下記のページから登録をお願いいたします。
新規ユーザー登録へ