サバティカル考
7月
25日
サンフランシスコ・ベイエリアで牧師をしているS先生と会食しました。
お互い、ほとんど同時期に6月下旬から2週間ほど訪日していたので、
そんなことも報告。
「2週間滞在して、ほとんどプライベートな時間が無かった」と述懐されたS先生。
御教会出身者のための同窓会を全国3箇所で開かれ、2箇所での被災地奉仕。
到着日と、出立日にご両親の家に寄ったのが唯一プライベートと言えるかな。。
なんておっしゃっておられました。
今年の私の訪日も、似たような感じでした。
羽田到着から10時間後には横浜港南教会の日曜礼拝、羽田出立の3時間前までは川崎教会の水曜祈祷会に家族で出席していました。
プライベートと言えるのは、隅田川クルーズに母親を誘ったのと、その夜に高校同窓会に行ったくらいでしょうか?
「そういう訳で」ということではないのでしょうが、S先生は来夏、3ヶ月間の休暇を日本でお取りになるとのこと。
大いに結構ではないですか!
サバティカルとして、これまでに取れていなかった休暇を一気に消費するとのことです。
サバティカルとは、旧約聖書にあるもので、1週に対しての1日、7年間に対しての1年間を休暇として人間や農地に与えよ、との教えです。
もちろん、その運用は社会制度や職種で様々であってしかるべきもの。
そういえば、明治学院の教員がサバティカルを利用して1年間の研究生としてワシントン大に留学、当時ベルビュウーに滞在していたそのご家族とは今でもお付き合いがあります。
もちろん留学費用も滞在費用も大学持ち。
民間企業も同様で、さらに渡航の際にはビジネスクラスが提供されるというのだからスゴイ。
日本の経済力が下火だなんて言われて久しいですが、家族毎海外に研修させるんだから。
ところで聖書に最も親しんでいるはずの、
本家本元のキリスト教会がこの点でかなりの遅れを取っているようです。
私の周りのプロテスタントの日本人教会では、そもそも休みを貰っても外泊出来ない経済事情の牧師たちばかりです。
それを清貧の美徳とするか、改善点と認識するかは、日本の教会人の民度にかかっているのではないでしょうか。
さて、私はサバティカル欲しさにこれを書いているのでありません。
いつの頃からだろうか、私は休暇という概念を捨ててしまった。
On/Offの切り替えや、労働と休養の区別はあっても、
一年365日、一日24時間、常時仕事をしているつもりでいます。
同時に趣味にも励んでいます。
仕事=趣味です。
自分の心からしたいことに取り組んでいるんです。
たった今、夜の12時を超えてしまいました。
そろそろベッドに入り、睡眠という仕事に取り掛かることにします。