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マジンガーZの目を持った人間

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マジンガーZの目を持った人間 マジンガーZの目を持った人間 マジンガーZの目を持った人間 マジンガーZの目を持った人間


本日は実に青空を見ることがました。
嬉しくなって日の明るいうちに散歩。

今までの世界とは違い、どこもかしこも輝いて見えます!

ところで聖書時代のユダヤ人は目に映るものに対して真逆の発想を持っていました。

明るく見えるのは、体の中に明かりがあり、その明かりを目から放って物事を照射して明るく見えると言うのです。

つまりウルトラマンやマジンガーZが放つ、目からのビームのようなものが人間の目から出ていると考えたのです。

当時は生物学や解剖学がまだ未発達の段階で古代人の制限制約された科学的知見からのものでした。

主イエスはそのような一般理解のある中で、次のように話されています。

"からだの明かりは目です。
ですから、あなたの目が健やかなら全身が明るくなりますが、
目が悪ければ全身が暗くなります。
ですから、もしあなたのうちにある光が闇なら、
その闇はどれほどでしょうか。"
マタイの福音書 6章22~23節

長い間この聖書箇所が謎でした。
ユダヤ的視座を知って、ようやく謎が氷解されて行きます。

物事を正しく見る(認識する)には、
あなた自身のうちに確かな真理(光)がなくてはならない。

正確な物差しがなければ、対象物がどのような長さかを測ることができません。

古代ユダヤでは目について現代の解剖学や生物学の教えるところと真似逆の考えを抱いていたのです。

目は、はフラッシュライトのようなもので、あなたの目が光を放ち、その光で物事を判断すると言うものです。

最近始めたオンラインでのユダヤ的洞察での聖書クラスで学んだことです。
このクラスで、次のような英語の格言も紹介されてました。

It is your attitude(態度)、not your aptitude(才能)、that determines your altitude(高度).

Today I saw a really blue sky.
I went for a walk in the light of day, happy.

Unlike the world in my state so far, everywhere looks brilliant!

The Jews of biblical times, by the way, had the exact opposite idea of what they saw.

They said that what appears to be brighter is that there is a light inside the body, and that the light is emitted from the eyes to illuminate things.

In other words, they thought it was like the beams from the eyes that Ultraman and Mazinger Z , they are my hero in Japanese animation, coming from the human eye.

This was from the limited scientific knowledge of the ancients at a time when and anatomy and biology were still in their infancy.

In the midst of such a general understanding, the Lord Jesus spoke as follows.

"The light of the body is the eye.
Therefore, if your eyes are healthy, your whole body will be brightened, but
If your eyes are bad, your whole body will be dark.
So if the light in you is darkness
How much more so will that darkness be?"
Matthew 6:22-23

For a long time this Bible verse was a mystery to me.
With the discovery of the Jewish perspective, the mystery is finally cleared away.

To see (or perceive) things correctly,
There must be a certain truth (light) within yourself.

Without an accurate measure, you cannot measure what length an object is.

The ancient Jews thought about the eye in a way opposite to what modern anatomy and biology teaches.

The eyes are like a flashing light; they say your eyes give off light and you judge things by that light.

This is something I learned in a Bible class I recently started online at Jewish Insights.
In this class, the following English proverb was also introduced:

“It is your attitude, not your aptitude, that determines your altitude.”
#メッセージ

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「あなたは知らないのか」

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ヨルダンの世界遺産ペトラ ヨルダンの世界遺産ペトラ 8年前の今日はイスラエル旅行の... 8年前の今日はイスラエル旅行の初日。
最初の訪問地ネボ山にて。


ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。




「あなたは知らないのか」


イザヤ書 40章27~31節


"ヤコブよ、なぜ言うのか。イスラエルよ、なぜ言い張るのか。「私の道は主に隠れ、私の訴えは私の神に見過ごされている」と。
あなたは知らないのか。聞いたことがないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造した方。疲れることなく、弱ることなく、その英知は測り知れない。
疲れた者には力を与え、精力のない者には勢いを与えられる。
若者も疲れて力尽き、若い男たちも、つまずき倒れる。
しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように、翼を広げて上ることができる。走っても力衰えず、歩いても疲れない。"


(1)なぜ言い張るのか


①当時の時代状況
バビロンの脅威が迫り、その侵攻によるエルサレム崩壊(BC587)を前にしている
飢餓、殺戮と言う無慈悲な攻撃にさらされるユダの人々。

②イザヤ書の文脈の中で
1ー39章〜バビロンによるユダと近隣諸国への審判
40ー66章〜バビロン捕囚からの解放とメシア王国の樹立と栄光


(2)あなたは知らないのか


①「知らないのか」〜神にこそ最終的な解決と救いがあることを

② 「聞いていないのか」〜神の言葉を委ねられた民であるはず


⑶主は永遠の神


①全てを治めたもう方に恨みを抱く事はナンセンス
あなたの期待通りの方法や時にことがならないことがある。
主の叡智は計り知れないのだから

②すべてを見極め探り出そうとする営みは徒労に終わる。
「疲れる」「たゆむ」が3度繰り返されている(28、29、30)


(結論)


主を待ち望むものには、新しく力が与えられる。
私たちが最終的にできる事は信頼することのみである。


#メッセージ

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「油のツボ一つ」

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「油のツボ一つ」

ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。



「油のツボ一つ」


列王記 第二 4章1~7節


"預言者の仲間の妻の一人がエリシャに叫んで言った。「あなたのしもべである私の夫が死にました。ご存じのように、あなたのしもべは主を恐れていました。ところが、債権者が来て、私の二人の子どもを自分の奴隷にしようとしています。」
エリシャは彼女に言った。「何をしてあげようか。私に話しなさい。あなたには、家の中に何があるのか。」彼女は答えた。「はしためには、家の中に何もありません。ただ、油の壺一つしかありません。」
すると、彼は言った。「外に行って、近所の皆から、器を借りて来なさい。空の器を。それも、一つや二つではいけません。
家に入ったら、あなたと子どもたちの背後の戸を閉めなさい。そしてすべての器に油を注ぎ入れなさい。いっぱいになったものは、わきに置きなさい。」
そこで、彼女は彼のもとから去って行き、彼女と子どもたちが入った背後の戸を閉めた。そして、子どもたちが次々と自分のところに持って来る器に油を注ぎ入れた。
器がどれもいっぱいになったので、彼女は子どもの一人に言った。「もっと器を持って来なさい。」その子どもが彼女に、「もう器はありません」と言うと、油は止まった。
彼女が神の人に知らせに行くと、彼は言った。「行ってその油を売り、あなたの負債を払いなさい。その残りで、あなたと子どもたちは暮らしていけます。」"



(1)人生の試練


①女やもめの悲惨さ
社会保障制度のない当時の女寡婦は最も貧しい身分。
身売りする他なかった

②信者未信者を区別なく襲い掛かる試練
天災、人災、経済的、どんな人間関係における試練にあっても


(2)現実の認識


①主のもとに来た〜「エリシャに叫んで言った」(1)
窮状に陥ったときの人の一般的な応答とは?

② あなたには何があるか?あなたはどういう人なのか?
「家にどんなものがある、言いなさい」(2)
「告白」=ホモ(同じ)+ロゲオー(言う)


⑶無尽蔵の供給


①信仰への挑戦〜「外に行って隣の人皆から器をを借りてきなさい。空の器を」(3)
信仰の行為は、非常識ではないが超常識である。

②こんなもの!と思える素材を通じての十分な供給
自分はつまらないものであっても主の恵みは永久まで。


(結論)


ここの聖書記事は「繁栄の神学」を教えるものではない。
主に信頼することを教えている〜供給に制限があるとしたらそれは人の側の信仰キャパシティー。私たちの主は、尽きない恵みを与えられる方であることを体験しよう。



#メッセージ

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ワシントン湖で朝日を受けて

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ワシントン湖で朝日を受けて


ワシントン湖から登った朝日。明るく美しい。
創造主を見失った人間はこの自然界の美しさを忘れてしまった。

 "あなたの指のわざであるあなたの天あなたが整えられた月や星を見るに
人とは何ものなのでしょう。あなたが心に留められるとは。人の子とはいったい何ものなのでしょう。あなたが顧みてくださるとは。
あなたは人を御使いよりわずかに欠けがあるものとしこれに栄光と誉れの冠をかぶらせてくださいました。
あなたの御手のわざを人に治めさせ万物を彼の足の下に置かれました。
羊も牛もすべてまた野の獣も
空の鳥海の魚海路を通うものも。
主よ私たちの主よあなたの御名は全地にわたりなんと力に満ちていることでしょう。"
詩篇 8篇3~9節

Bright and beautiful.
Man has lost sight of his Creator and has forgotten the beauty of this natural world.

“When I consider your heavens,
the work of your fingers,
the moon and the stars,
which you have set in place,
what is mankind that you are mindful of them,
human beings that you care for them?
You have made them a little lower than the angels
and crowned them with glory and honor.
You made them rulers over the works of your hands;
you put everything under their feet:
all flocks and herds,
and the animals of the wild,
the birds in the sky,
and the fish in the sea,
all that swim the paths of the seas.
LORD, our Lord,
how majestic is your name in all the earth!”
Psalm 8:3-9
#メッセージ #日常

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「良い羊飼いなる主」

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「良い羊飼いなる主」


ホサナキリスト教会日曜礼拝のメッセージアウトラインです。


「良い羊飼いなる主」


ヨハネの福音書 10章7~15節



"そこで、再びイエスは言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしは羊たちの門です。
わたしの前に来た者たちはみな、盗人であり強盗です。羊たちは彼らの言うことを聞きませんでした。
わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら救われます。また出たり入ったりして、牧草を見つけます。
盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかなりません。わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため、それも豊かに得るためです。
わたしは良い牧者です。良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます。
牧者でない雇い人は、羊たちが自分のものではないので、狼が来るのを見ると、置き去りにして逃げてしまいます。それで、狼は羊たちを奪ったり散らしたりします。
彼は雇い人で、羊たちのことを心にかけていないからです。
わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っており、わたしのものは、わたしを知っています。
ちょうど、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じです。また、わたしは羊たちのために自分のいのちを捨てます。"


(1)個別理解を持つ方


①個人名を呼ばれた(3)
福音のメッセージを聞いて反応できた理由。
主に名前を呼んでいただいたから。

②なぜなら私を知っておいでになられるゆえに(14-15)
父とイエスの関係レベル程に私たちをご存知であられる。
さらに私たちもまたそのレベル程に主を知り得るようになる。


(2)命を捨てられた方(11)


①雇い人との違い〜命を捨てる覚悟があるかないか。
便益のために羊を管理するのが雇い人。

② 命を捨てた羊飼い〜歴史的事実
主は言葉だけでなく実行された。


⑶羊の祝福のために存在している方(10)


①名を呼ばれ、自ら命を犠牲にされ(18)、そして復活された(18)のは、私たちが命を得るため。
その命とは神的な命、ヨハネ流には「永遠の命」。

②さらに豊かに持つため(10)
クリスチャンの成長とはすなわち命の漸進的な充実。


(結論)


"主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させいこいのみぎわに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ御名のゆえに私を義の道に導かれます。"
詩篇 23篇1~3節

主はご自身の命を捨ててまで私どもを生かし、緑の牧場と憩いの水のほとりにまで導かれる方である。この真の羊飼いになる方の声を聞け分けよう。

#メッセージ

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Central theme of the Bible

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Central theme of the Bible



As we grasp the whole picture of the Bible as we interpret and peruse it in its literal sense, we come to realize that the entire vast volume of the Bible is also a single unified and harmonious book.

There are two main theological systems by which evangelicals organize the entire Bible volumes.

* Covenant Theology - This is the mainstream and is adopted by most denominations.
* Dispensational - It is in the minority and, as you may have noticed, is the author's position.

❶ Central themes of the Bible as understood by covenant theology.

It is the salvation of man.
It is the only way for the glory of God to be manifested in man's salvation.
And he understands the spread of the Kingdom of God as the spread of the Church Christian power.Augustine's "Kingdom of God" was written at that point in time about the struggle against secular power.Therefore, the plan of redemption is the principle that harmonizes and unifies the entire Bible.

* Its hermeneutics
They try to read the Old Testament around the cross of Christ who completed the atonement because human salvation must be the center of it.
It is right to use the New Testament to understand the Old Testament.But it is wrong to impose the New Testament on the Old Testament.The effect is to take the revelation of the New Testament and apply it to the Old Testament and read it into the Old Testament.
As a result, the Bible is interpreted figuratively, and its meaning is determined by the figurative interpreters.

*The Church Theory of it
Some say that the church began with Adam and others say that the church began with Abraham.This is an unreasonable interpretation of the result of adopting the "one God's people theory" that the people of God are the church.Thus, Israel today is already excluded from the "chosen people".In the transition from the Old to the New Testament era, it adopts a replacement theology, which says that the people of God have been replaced by the church from Israel.

* That theory of salvation
He states that the faith is one and the same.
That is, they assume that the saints of Old Testament times were also saved by the cross and resurrection of Christ.In some divine way they are deemed to have known.
He explains, "The saints of Old Testament times waited for the cross, and the saints of New Testament times looked back to the cross for salvation.”

❷ The central theme of the Bible as understood by Dispensations.

*That it is the glory of God.
Human salvation is certainly a central theme as well, but it is not the only one.The created world was already complete before man was created on the sixth day of creation.Adam's fall brought the negative effects of sin and death upon the whole creation, but the redemption of the whole creation, and the glory of God shining in it, is the theme of the Bible.
"Even the creation itself is freed from the bondage of destruction and is set free in the freedom of the glory of God's children.
We know.All of creation is groaning together and suffering in childbearing together until now."
Romans 8:21-22

*The benefits of recognizing "the glory of God" as a Bible-centric theme
There will be continuity and harmony between the Old and New Testaments.
There will be no need to read into the Old Testament at all for the full atonement of Christ and its revelation.

There will be continuity and harmony between the Old and New Testaments.

The three basic pillars of dispensationalism by Riley.
(1) Consistent literal interpretation.
The important point is "consistent.Covenant theology interprets certain parts of Israel and eschatology figuratively.In dispensations, any part of the Bible is interpreted literally.

(2) The distinction between Israel and the church.
The Bible clearly distinguishes between the two.In other words, there are two kinds of people of God, Israel and the church, each with its own separate plan of salvation.

(3) The central theme of the Bible is the glory of God.
In other words, the ultimate goal of the Bible is that the whole world is affected by the Fall and destroyed, but the glory of God will be restored to the state of the Garden of Eden that it was in at the time of creation and the glory of God will fill the whole world.The salvation of man is only one part of it.Salvation (the restoration of the whole world) is completed in the second coming of Christ to sit on the throne of Jerusalem and rule the whole world, rather than the expansion of the Christian church's power to save the world.
#メッセージ

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聖書の中心テーマについて

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聖書の中心テーマについて
聖書を字義通りに解釈し熟読していく中でその全体像を把握していくと、膨大な聖書全巻も1つの統一性・調和性を持った書物であることに気がつくようになる。

福音派が聖書全巻を整理する神学体系には、主に2つのものがある。

*契約神学〜主流派であり、ほとんどの教派・教団が採用している。
*ディスペンセイション〜少数派であり、お気づきのように著者の立場である。

❶契約神学の理解する聖書の中心テーマ

*それは人間の救いであるとする。
人間の救いを神の栄光が現れる唯一の方法だとする。
そして神の国の広がりを教会キリスト教会勢力の広がりであると理解する。アウグスティヌスの「神の国」はその時点で世俗権力との抗争を書いたもの。よって贖いの計画が聖書全体を調和統合する原則としている。

*その解釈学
人間の救いが中心でなくてはならないので贖いを完成したキリストの十字架を中心に旧約聖書を読み込もうとする。
旧約聖書を理解するために新約聖書を用いるのが正しいことである。しかし新約聖書を旧約聖書に押し付けるのは間違っている。新約聖書の啓示を持って旧約聖書に当てはめ、読み込もうと言う作用が働いている。
結果、聖書の比喩的解釈が行われ、その意味するところは比喩的解釈者によって決定させられている。

*その教会論
ある人はアダムから教会が始まり、またある人はアブラハムから教会が始まったとされている。神の民とは教会であると言う「1つの神の民論」を採用した結果の無理な解釈である。よって、現在のイスラエルは「選ばれた民族」から既に除外されていることになっている。旧約から新約時代の変遷において、神の民がイスラエルから教会に置き換わったと言う置換神学を採用している。

*その救済論
信仰の内容は1つで同じだとしている。
つまり旧約時代の聖徒たちもキリストの十字架と復活によって救われたのだとする。何らかの神的な方法で彼らは知っていたとみなす。
「旧約時代の聖徒たちは十字架を待ち望み、新約時代の聖徒たちは十字架を振り返って救いを得ている」と説明している。

❷ディスペンセイションの理解する聖書の中心テーマ。

*それは神の栄光であるとする。
人間の救いも確かに中心的なテーマではあるが、そればかりではない。人間が創造の6日目につくられる前にすでに創造世界は完成していた。アダムの堕落によって罪と死の悪影響が全被造物に及んだが、その全被造物の贖い、そこに輝く神の栄光が聖書のテーマである。
"被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由にあずかります。
私たちは知っています。被造物のすべては、今に至るまで、ともにうめき、ともに産みの苦しみをしています。"
ローマ人への手紙 8章21~22節

*「神の栄光」を聖書中心テーマであると認識する利点
旧約聖書と新約聖書の継続性と調和が生まれる。
キリストによる十全な贖いとその啓示を、旧約聖書に読み込む必要は全くなくなる。

緒契約の間の継続性と調和が生まれる。

*ライリーによるディスペンセイショナリズムの3大基本柱。
①一貫した字義通りの解釈
「一貫した」が大切な点。契約神学ではイスラエルや終末論のある部分を比喩的に解釈する。ディスペセイションでは聖書のどの部分も字義通りに解釈する。

② Israelと教会の区別。
聖書は明確にこの両者を区別している。つまり神の民にはイスラエルと教会の2つがあり、それぞれに別個の神の救いの計画がある。

③聖書の中心テーマは神の栄光である。
つまり全世界が堕罪の影響受け滅び行くものとなっているが、創造当初のエデンの園の状態に回復されて神の栄光が全世界に満ちることが聖書の最終ゴールであるとする。人間の救いはその中の1部に過ぎない。キリスト教会の勢力拡大が世界を救うのではなく、キリストが再臨してエルサレムの王座に座し、全世界を統治することにおいて救い(自然界の回復)が完成する。
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「エリムの憩い」

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「エリムの憩い」


ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。



「エリムの憩い」


出エジプト記 15章23~27節


"彼らはマラに来たが、マラの水は苦くて飲めなかった。それで、そこはマラという名で呼ばれた。
民はモーセに向かって「われわれは何を飲んだらよいのか」と不平を言った。
モーセが主に叫ぶと、主は彼に一本の木を示された。彼がそれを水の中に投げ込むと、水は甘くなった。主はそこで彼に掟と定めを授け、そこで彼を試み、
そして言われた。「もし、あなたの神、主の御声にあなたが確かに聞き従い、主の目にかなうことを行い、また、その命令に耳を傾け、その掟をことごとく守るなら、わたしがエジプトで下したような病気は何一つあなたの上に下さない。わたしは主、あなたを癒やす者だからである。」
こうして彼らはエリムに着いた。そこには、十二の水の泉と七十本のなつめ椰子の木があった。そこで、彼らはその水のほとりで宿営した。"


(1)人生の旅路


①荒野への旅程
紅海横断の輝かしい勝利(1-21)
三日間のシェルの荒野への旅程
飲料水の不足

②私たちの歩みも荒野の旅路
勝利〜困難〜エリムの泉(安息)
日曜礼拝は安息の時である


(2)モーセは主に叫んだ(25)


①マラ(苦味)のただ中にあって、問題を持っていく所を知っていた
イスラエルの民の訴えに対し彼自身の内には応える資源は無い

② 主は応答をされた(25b)
「おきてと定めを授け」〜み言葉を通して主は語られる
「彼を試みられた」〜信仰的応答は机上の学びからではなく実際の試練の中から習得する


⑶エリムの憩い


①荒野の旅路でのオアシス
12の泉、70本のナツメヤシの木〜民全体を潤すに十分な資源
そこには供給と休息、霊的刷新があった

②この休息と刷新は次なる荒野への準備となる
シンの荒野へ(16:1-2)


(結論)


「わたしは主、あなたを癒すものである」(26)
安息と新しい学びに招かれる主イエス(マタイ11:28)。
イエスの十字架は、苦味を甘みに変える場であり、
安息と刷新とを与える場である。
"すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。"
マタイの福音書 11章28~29節







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聖書を字義どおりに解釈する祝福

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聖書を字義どおりに解釈する祝福 聖書を字義どおりに解釈する祝福 聖書を字義どおりに解釈する祝福 聖書を字義どおりに解釈する祝福 聖書を字義どおりに解釈する祝福 聖書を字義どおりに解釈する祝福 聖書を字義どおりに解釈する祝福 聖書を字義どおりに解釈する祝福



聖書を字義どおりに解釈するべき理由


❶解釈の目的からして必要なことゆえ

神はご自身を聖書著者を通じて啓示された。
その啓示の内容は一貫している字義通りの解釈でなくては明らかとならない。
主観的解釈は解釈者を聖書の上に置くことにつながる。


❷あらゆる種類のコミニケーションに調和しているゆえ
恣意性排除して最も自然な意味に取る解釈法が字義通りの解釈。
それは文脈を重視して解釈する方法。
比喩は比喩として解釈する。
学者の間では「歴史的・文法的解釈」と呼ばれているものである。


❸それは聖書の権威、また究極の著作者である神の権威を認めることに繋がるゆえ

聖書解釈は、
意味の汲み取りであり(exegetical)
意味を読み込むこと(eisegetical)ではない。

聖書は帰納的に読むべきであり(inductive)
演繹的であってはならない(deductive)。

帰納法とは、数多くのテキストの意味を発見し、そこから調和ある神学を構築すること。
演繹法とは、まず枠組みとなる1つの神学体系があり、それに調和するために各テキストの意味を確定していくもの。

字義どおりの解釈法は、聖書の意味を汲み取ること(帰納法)で聖書の権威に伏している。
意味の読み込みや押し付けは、その解釈者が聖書よりも優位に立っていることを意味している。
#メッセージ

ワオ!と言っているユーザー

聖書解釈逸脱の歴史

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聖書解釈逸脱の歴史 聖書解釈逸脱の歴史 聖書解釈逸脱の歴史 聖書解釈逸脱の歴史


聖書神学とその解釈学の発展段階においてギリシャの影響を見逃わけにはいかない。
と言うよりも、ギリシア文化とその哲学に正当な聖書解釈が飲み込まれてきたと言っても過言ではないと思う。
アレキサンダー大王が地中海を内海とする中近東一帯を征服・統一して以来、ギリシャ文化はユダヤの伝統や文化を凌駕してきた。

ディアスポラのユダヤ人最大都市であるアレキサンドリアで旧約聖書が初めて外国語に翻訳されたが、それはもちろんギリシャ語であった。
70人訳と呼ばれているそのギリシャ語訳旧約聖書は、より古い写本が発見管理されていることから今日でも時に原典ヘブライ語聖書よりも権威があり、信憑性あるとみなされる。
そして新約聖書は当初からギリシャ語で記されている。

❶アレキサンドリアのフィロン(BC.20-BC50)
聖書解釈する際にギリシャ哲学を根本とした手法を用いた。
さらにユダヤ的思想とギリシャ哲学を融合させるための比喩派解釈を採用している。

❷殉教者ユスティノス(100-165)
著作の「ユダヤ人トリュフォンとの対話」の中で聖書を既に比喩的に解釈している。

❸オリゲネス((185-254)
フィロンの聖書解釈法を採用・発展させ、1つの聖句には3重の解釈が可能であると主張した。
*字義どおりの解釈
*道徳的霊的解釈
*比喩的解釈
彼は文字通りの千年期前再臨説を放棄してキリストの再臨を比喩的に解釈した。
つまりキリスト信者となるときに、キリストがその人の内に臨まれるので、それが再臨であると解釈した。

❹アウグスチヌス(354-430)
2面的解釈を採用した。
*予言の部分は比喩的に解釈する。
*それ以外の箇所は字義どおりに解釈する。
アウグスチヌスほど西方教会に大きな影響を及ぼした神学者はいない。
この聖書解釈法がローマカトリック教会の手法となり決定的なものとなった。
聖書解釈を逸脱させた最大の戦犯である。

❺ 16世紀の宗教改革者たち
聖書の多くの部分を字義どおりに解釈する運動であった。
よって善行ではなく信仰義認、万人祭司主義と言う本来の教理を復活させた。
しかし予言箇所とIsraelに関しては比喩的解釈のままを維持した。
つまりそれはアウグスチヌスによる2面的解釈の継続である。

❻第二世代の宗教改革者たちに聖書解釈の復興の芽生えが見える。
ジョセフ・ミード(1586-1638) :イギリスの聖公会神学者
1世紀から3世紀においての教会歴史の初期の時代は、千年期前再臨説が正統的な信者の間で最も支持を集めたものであった。それは「キリアズム」呼ばれ、多くの教会教父たちが証言するところである。長い間教会史から忘れ去られていたこのキリアズムを採用したのがジョセフ・ミード。

❼特にイギリスにおいて18世紀になるとこのキリアズムの復興が顕著となる。

*神の霊感と聖書の権威に対する信頼が土台である
*健全な聖書研究が広がった
*聖書本文の字義どおりの解釈の結果である
*復興したこの千年期前再臨説はその後20世紀まで続く根本主義運動における主要な役割を果たした。

❽ イギリスで復興したこの千年期前再臨説は、19世紀の第3四半期には米国で広まるようになった。
*D.L.ムーディ
*RA トーレー
*ビリー・サンディ
*ATピアソン
*ABシンプソン
*CIスコフィールド

The influence of Greece in the development of biblical theology and its hermeneutics cannot be overlooked.
Rather, I don't think it's an exaggeration to say that legitimate biblical interpretation has been swallowed up by Greek culture and its philosophy.
Ever since Alexander the Great conquered and united the entire Middle East, with the Mediterranean Sea as an inland sea, Greek culture has surpassed Jewish traditions and culture.

In Alexandria, the largest Jewish city in the Diaspora, the Old Testament was first translated into a foreign language, but it was, of course, in Greek.
The Greek translation of the Old Testament, known as the translation by 70, is still sometimes regarded today as more authoritative and authentic than the original Hebrew Bible, as older manuscripts have been found and maintained.
And the New Testament has been written in Greek from the beginning.

❶ Philon in Alexandria (BC20-BC50)
In interpreting the Bible, he used a method based on Greek philosophy.
In addition, he adopted a metaphorical interpretation to combine Jewish and Greek philosophy.

❷ Justinos the Martyr (100-165)
He has already interpreted the Bible figuratively in his work "Conversations with the Jewish Truffon

❸Origenes (185-254)
Adopting and developing Philon's biblical hermeneutic, he argued that a threefold interpretation of a single verse is possible.

*Literal interpretation.
* Moral and Spiritual Interpretation
*Figurative interpretation

He abandoned the literal pre-millennial second coming theory and interpreted the second coming of Christ figuratively.
In other words, he interpreted it as the Second Coming because Christ will come in him when he becomes a Christ-follower.

❹Augustine (354-430)
He adopted a two-sided interpretation.
The prophetic part is to be interpreted figuratively.
The rest of the passage is to be interpreted literally.
No theologian has had a greater influence on the Western Church than Augustine.
This method of biblical interpretation became the method of the Roman Catholic Church and was decisive.
He was the greatest criminal who deviated from biblical interpretation.

❺ The 16th century religious reformers.
It was a movement to interpret many parts of the Bible literally.
Thus, it revived the original doctrine of justification by faith and all-priestcraft.
But with regard to the prophecies and Israel, it maintained a figurative interpretation.
In other words, it is a continuation of the two-sided interpretation by Augustine.

❻The germ of a revival of biblical interpretation can be seen in the second generation of religious reformers.
Joseph Mead (1586-1638):English Anglican theologian.
In the early years of church history, from the 1st to 3rd centuries, the theory of the pre-millennial second coming was the one that gained the most support among the orthodox believers.It was called "Chiliasm" and is attested to by many of the Church Fathers.Joseph Mead was the one who adopted this Chiliasm, which had long been forgotten by church history.

❼ Especially in England, in the eighteenth century, this revival of Chiliasm became remarkable.

*The inspiration of God and trust in the authority of the Bible are the foundations
* Sound Bible study has expanded.
*It is the result of a literal interpretation of the text.
*The restored theory of the pre-millennial second coming played a major role in the fundamentalist movement that continued into the 20th century.

❽The pre-millennial second coming theory, which had been revived in England, became widespread in the United States in the third quarter of the 19th century.

*D.L. Moody.
RA Torrey
Billy Sandy
AT Pearson
AB Simpson
CI Scofield
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