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「愛はすべてを統合する」

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「愛はすべてを統合する」
 

ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
 
 
 
「愛はすべてを統合する」
 
 

コリント人への手紙 第一 13章4~7節
 
 「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。
礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、苛立たず、人がした悪を心に留めず、
不正を喜ばずに、真理を喜びます。
すべてを耐え、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを忍びます。」
 
 
(1)  すべてを耐え
 
 
① STEGO: to cover closely, to keep water out
          Never give up
 
②簡単に傷ついたり、つまずいたりしない  
 

(2)  すべてを信じ
 
 
①神と人々の最善を常に考える、その言動に悪い動機や意図を勘繰らない
 
②その間逆にある日本の処世訓に「人を見たら泥棒と思え」
 
 
(3)  すべてを望み
 
 
① 神の約束がやがて成就あいて、贖いの間計画が完成することを期待している
人々に最善がなることを、ネガティブな側面があったとしてもよりよく変化することを期待している
 
 
(4) すべてを忍ぶ
 
 
①HYPOMENEI : HYPO(under) + MENO(stay)
   Remaining under, Remain behind
 少年イエスがエルサレムにとどまった(ルカ2:43)
 激しい迫害に耐えた(ヘブル10:32)
 
②神が時に送ってくる試練や困難、また人々が不条理にも私たちを傷つけ理解できない仕打ちの中にあっても愛はこれらは耐え忍ぶ
 
 
   
(結論)  
 
 
旧約聖書にある教えを全てまとめるとするならば、神と隣人とを愛することになると主イエスは教えられた。言い換えれば、聖書のすべての戒めや教えは、愛を解釈したものだ。
この愛に生きて、愛を実践し、愛を完成された主イエスを見よ。
#メッセージ

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「真理があなたを解き放つ」

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「真理があなたを解き放つ」
ホサナキリスト教会の日曜礼拝・メッセージアウトラインです。
 
 
 
 
 

「真理があなたを解き放つ」
 
 

ヨハネの福音書 8章31~44節
 
 
 
"イエスは、ご自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「あなたがたは、わたしのことばにとどまるなら、本当にわたしの弟子です。
あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」
彼らはイエスに答えた。「私たちはアブラハムの子孫であって、今までだれの奴隷になったこともありません。どうして、『あなたがたは自由になる』と言われるのですか。」
イエスは彼らに答えられた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。罪を行っている者はみな、罪の奴隷です。
奴隷はいつまでも家にいるわけではありませんが、息子はいつまでもいます。
ですから、子があなたがたを自由にするなら、あなたがたは本当に自由になるのです。
わたしは、あなたがたがアブラハムの子孫であることを知っています。しかし、あなたがたはわたしを殺そうとしています。わたしのことばが、あなたがたのうちに入っていないからです。
わたしは父のもとで見たことを話しています。あなたがたは、あなたがたの父から聞いたことを行っています。」
彼らはイエスに答えて言った。「私たちの父はアブラハムです。」イエスは彼らに言われた。「あなたがたがアブラハムの子どもなら、アブラハムのわざを行うはずです。
ところが今あなたがたは、神から聞いた真理をあなたがたに語った者であるわたしを、殺そうとしています。アブラハムはそのようなことをしませんでした。
あなたがたは、あなたがたの父がすることを行っているのです。」すると、彼らは言った。「私たちは淫らな行いによって生まれた者ではありません。私たちにはひとりの父、神がいます。」
イエスは言われた。「神があなたがたの父であるなら、あなたがたはわたしを愛するはずです。わたしは神のもとから来てここにいるからです。わたしは自分で来たのではなく、神がわたしを遣わされたのです。
あなたがたは、なぜわたしの話が分からないのですか。それは、わたしのことばに聞き従うことができないからです。
あなたがたは、悪魔である父から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと思っています。悪魔は初めから人殺しで、真理に立っていません。彼のうちには真理がないからです。悪魔は、偽りを言うとき、自分の本性から話します。なぜなら彼は偽り者、また偽りの父だからです。"
 
 
 
 

(1) 自分に束縛された状態
 
 
①人はだれでも自分なりの生き方や枠組み、ひいてはプライド持っている
 ユダヤ人にとっては、アブラハムの子孫であると言ういう自負心 (33)
 
②それは、自分を中心とした生き方であり、本来的の外れた生き方
 罪(ハマルティア)=的ハズレ
 自由と奴隷に対するイエスの回答 34節
  
 

(2)  真理があなたに自由を与える
 
 
①イエスの言葉に心を留める時なら
 分裂していた心が1つに、不自由な心が自由とされる
 
②自分自身を縛っているものの正体とは 44節
 悪魔の欲望とは何か?
 人殺し、真理に対する反逆、偽り
 
 

(3)  自由を手にする生き方
 
 
① イエスの弟子となる
 それは主の言葉を学び続け、とどまり続けること(31)
 イエスは神から出たものであり、神ご自身であるから(42)
 
②主イエスは、悪魔の束縛を解き放つ権威をお持ちの方(36)
 自由とされた息子はその家を受け継ぐものとされる(35)
 
 
 
(結論)  ヨハネは天的視点から、究極的な原因究明に光を投じる
 
 
 
①言葉が通じない、コミュニケーションが成立しない両者 (43)
 激しい思い込みの中にある「信じたユダヤ人」(31)
 
 
②その原因を突き詰めるなら、誰を父とするかの相違 (38)
 人間的血縁はAbrahamであっても、霊的には悪魔だとグサリ
 
③主イエスは、悪魔の鎖を解き放つ自由への解放者
 神の言葉を聞き分けるものと変えてくださった(47)
#メッセージ

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「あなたの罪は赦されました」

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「あなたの罪は赦されました」
 
 
 
ホサナキリスト教会の日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
 
 
 
「あなたの罪は赦されました」
 
 
ルカの福音書 5章17~26節
 
 
"ある日のこと、イエスが教えておられると、パリサイ人たちと律法の教師たちが、そこに座っていた。彼らはガリラヤとユダヤのすべての村やエルサレムから来ていた。イエスは主の御力によって、病気を治しておられた。
すると見よ。男たちが、中風をわずらっている人を床に載せて運んで来た。そして家の中に運び込み、イエスの前に置こうとした。
しかし、大勢の人のために病人を運び込む方法が見つからなかったので、屋上に上って瓦をはがし、そこから彼の寝床を、人々の真ん中、イエスの前につり降ろした。
イエスは彼らの信仰を見て、「友よ、あなたの罪は赦された」と言われた。
ところが、律法学者たち、パリサイ人たちはあれこれ考え始めた。「神への冒瀆を口にするこの人は、いったい何者だ。神おひとりのほかに、だれが罪を赦すことができるだろうか。」
イエスは彼らがあれこれ考えているのを見抜いて言われた。「あなたがたは心の中で何を考えているのか。
『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか。
しかし、人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたが知るために──。」そう言って、中風の人に言われた。「あなたに言う。起きなさい。寝床を担いで、家に帰りなさい。」
すると彼はすぐに人々の前で立ち上がり、寝ていた床を担ぎ、神をあがめながら自分の家に帰って行った。
人々はみな非常に驚き、神をあがめた。また、恐れに満たされて言った。「私たちは今日、驚くべきことを見た。」
 
 
 
(1) 友人らの信仰
 

 ①行動に裏付けられた信仰(18-19)
 屋根からは埃が舞い、家中が騒然となったことだろう
 
②愛に基づいた信仰       
  「運び込む方法が見つからない」~愛は、あきらめず、障害を乗り越える
   愛は、信仰を駆り立てる
 
 
(2)  病人の信仰
 
 
①「中風を患っている人」(18)=自力で歩くことができない障害を負って
 イエスを求める心さえなかったかもしれない
 
②友人らとの間には信頼関係があった事が伺える
 「パリサイと律法の教師たち」がそこに居たのはイエスのメシア性を審査するため
 何と言う対比か
 

(3)  広がり行く信仰
 
 
 ①個人信仰の限界~「洗礼を受けてないので、クリスチャンではない」と教会内で囁かれる事がある。その個人には障害ゆえに信仰告白や奉仕ができない場合がある
 
②愛は全ての罪を覆う
 友人に対する揺るがない愛は、主イエスへの信仰を創り出して神の業へと至らしめた
 
 
 
(結論)  「あなたの罪は(あなたにとって)赦されました」
 原文には(あなたにとって)が記されている
 
 
 
①罪とは、他者が介在できない至極個人的な事柄
~罪の意識や認識に悩まされる度合いは各自で異なる
 
 
②主は罪を赦す権威をお持ちの方だ
~完了形で記されている。神にしかあり得ない権威を行使され完遂された
 

③神の国が地上に介入してきた(26)
~赦された者たちに、愛と信仰が満ちて行く
赦す=Aphiem=apo(away) + hiemi(send)
離れがたい粘着したものから解放されて行く事
#メッセージ

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「栄光から栄光へ」

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「栄光から栄光へ」
 
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです
 
 
 
 

「栄光から栄光へ」
 
 
 
コリント人への手紙 第二 3章13~18節
 
 
 
"モーセのようなことはしません。彼は、消え去るものの最後をイスラエルの子らに見せないように、自分の顔に覆いを掛けました。
しかし、イスラエルの子らの理解は鈍くなりました。今日に至るまで、古い契約が朗読されるときには、同じ覆いが掛けられたままで、取りのけられていません。それはキリストによって取り除かれるものだからです。
確かに今日まで、モーセの書が朗読されるときはいつでも、彼らの心には覆いが掛かっています。
しかし、人が主に立ち返るなら、いつでもその覆いは除かれます。
主は御霊です。そして、主の御霊がおられるところには自由があります。
私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。"
 
 
 
(1) モーセの顔おおい 出34:29-35
 
 
①律法授与の時の栄光
 「主と話したので」(29)、顔の肌が光を放っていた
 
 
②「消え去るべきもの」(11)の栄光とは       
  完全なものが来たときに、不完全なものは廃れる
 
 
 

(2)  御霊のあるところには自由がある
 
 
 
①「古い契約」(14)=律法に縛られた生き方は縛られたものである
 自らの哲学フレームの中で生きる、自らの力に頼ろうとするのが律法主義
 
 
②現在の私たちの顔を覆うものとは何か
 病や困難の中で痛みや苦しみを経験する時、なおも他者を祝福できるか
 罪へと誘う誘惑の中で、なおも正しい立場を貫けるか
 
 
 
(3)  栄光から栄光へ
 
 
 
①主に向くなら、そのおおいは取り除かれる(16)
 主は自由を得させるために私たちを解放してくださった(ガラテヤ5:1)
 主の十字架の効力は、私たちを奴隷から解放した
 
 
②主と同じかたちに姿を変えられていく
 本来、人は神の「かたち」に造られている
 「変えられる」=メタモフォオー= サナギが蝶に変身する様
 
 
 (結論)
 
 
おおい取り除けていただこう。
健康や経済の心配と思い煩い、律法や完璧主義に陥る罠のストレスから
主の栄光を反映するものへと脱皮させてもらおう
#メッセージ

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「その子をわたしのところに連れてきなさい」

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「その子をわたしのところに連れ...
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
 
 
 

「その子をわたしのところに連れてきなさい」
 

マルコの福音書 9章14~27節
 

"さて、彼らがほかの弟子たちのところに戻ると、大勢の群衆がその弟子たちを囲んで、律法学者たちが彼らと論じ合っているのが見えた。
群衆はみな、すぐにイエスを見つけると非常に驚き、駆け寄って来てあいさつをした。
イエスは彼らに、「あなたがたは弟子たちと何を論じ合っているのですか」とお尋ねになった。
すると群衆の一人が答えた。「先生。口をきけなくする霊につかれた私の息子を、あなたのところに連れて来ました。
その霊が息子に取りつくと、ところかまわず倒します。息子は泡を吹き、歯ぎしりして、からだをこわばらせます。それであなたのお弟子たちに、霊を追い出してくださいとお願いしたのですが、できませんでした。」
イエスは彼らに言われた。「ああ、不信仰な時代だ。いつまで、わたしはあなたがたと一緒にいなければならないのか。いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。その子をわたしのところに連れて来なさい。」
そこで、人々はその子をイエスのもとに連れて来た。イエスを見ると、霊がすぐ彼に引きつけを起こさせたので、彼は地面に倒れ、泡を吹きながら転げ回った。
イエスは父親にお尋ねになった。「この子にこのようなことが起こるようになってから、どのくらいたちますか。」父親は答えた。「幼い時からです。
霊は息子を殺そうとして、何度も火の中や水の中に投げ込みました。しかし、おできになるなら、私たちをあわれんでお助けください。」
イエスは言われた。「できるなら、と言うのですか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」
するとすぐに、その子の父親は叫んで言った。「信じます。不信仰な私をお助けください。」
イエスは、群衆が駆け寄って来るのを見ると、汚れた霊を叱って言われた。「口をきけなくし、耳を聞こえなくする霊。わたしはおまえに命じる。この子から出て行け。二度とこの子に入るな。」
すると霊は叫び声をあげ、その子を激しく引きつけさせて出て行った。するとその子が死んだようになったので、多くの人たちは「この子は死んでしまった」と言った。
しかし、イエスが手を取って起こされると、その子は立ち上がった。"
 
 
 
(1) 失望の父子
 
 
①律法学者と弟子たちとの議論
 期待していた悪霊追放を弟子たちにはできなかった
 イエスのメシア性への疑問
 
②口を聞けなくさせる悪霊追放はメシアのみが可能とする不文律
  
 
 
(2)「 信」の欠如  「ああ不信仰な世だ」(19)
 
 
①主イエスの問い 「この子がこんなになってから、どのくらいになりますか?」(21)
 家庭の中に「信」があったのか。この子の必要に、その魂に向き合ってきたか。
 
②信仰の無いところは、コミニケーションの断絶
  そこに悪霊が心に入る隙を与えた
 

(3)  激しく貫かれた愛
 
 
 ①主イエスのこの子に対する愛
 その後の様子をご覧になられて(20)、深く憐れみ強い激しく心を揺さぶられた
 
②信じる力=愛の力
 言葉によって、この子は解放されることをご自身で知っておられた主
 激しい愛は、信じることを得させる
 
③父親の告白
 自分には信仰も愛もないことを知った時、主イエスに全面的に明け渡し、帰依する信仰が生まれた
 「信じます。不信仰な私をお助けください。」(24)
 
 
 
(結論)
 

主イエスの激しい愛は、私を信じるものに変えさせる。
その激しい愛に今日も満たして頂こう。
その愛に生きるものとさせていただこう。
#メッセージ

ワオ!と言っているユーザー

「わたしにとどまりなさい」

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「わたしにとどまりなさい」
 
 
 
ホサナキリスト教会日曜、礼拝のメッセージアウトラインです。
 
 
 
「わたしにとどまりなさい」
 
 
 
"わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫です。
わたしの枝で実を結ばないものはすべて、父がそれを取り除き、実を結ぶものはすべて、もっと多く実を結ぶように、刈り込みをなさいます。
あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、すでにきよいのです。
わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木にとどまっていなければ、自分では実を結ぶことができないのと同じように、あなたがたもわたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。
わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。"
ヨハネの福音書 15章1~5節
 
 
 
"父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛にとどまりなさい。
わたしがわたしの父の戒めを守って、父の愛にとどまっているのと同じように、あなたがたもわたしの戒めを守るなら、わたしの愛にとどまっているのです。
わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたが喜びで満ちあふれるようになるために、わたしはこれらのことをあなたがたに話しました。
わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。
人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。
わたしが命じることを行うなら、あなたがたはわたしの友です。
わたしはもう、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべなら主人が何をするのか知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。父から聞いたことをすべて、あなたがたには知らせたからです。"
ヨハネの福音書 15章9~15節
 
 
 
(1)  ぶどうの木と枝
 
 

 ①イエス様はぶどうの木であり、私たちが枝、父なる神が農夫
  たった今でも、私たちに実を成らせるために農夫は働き続けておられる
  「実」とは、愛、喜び、平安などの御霊の実(ガラ5:22)
 

②農夫の世話
  「取り除く」=地面から引き上げる、持ち上げるの意味。大きな石を挿入し、空間を与える。
  「刈り込み」=きよめる。3節と同語
 
 
 
(2) たった今、イエス様にとどまる
 
 
①主イエスは私たちを探しておられる
  弟子はいても、真の意味で友のいなかった孤独な主イエス
  私たちを友と呼ぶために、今日も声をかけておられる
 

②命を捨てられた主イエス 15:13
 真の友、最大の友となられた主イエス
 
 
 
(3)  主イエスの言葉にことばにとどまる
 
 
 ①ことばとは、主イエスご自身 15:3,7  「初めにことばがあった」(1:1)
  ことばが私たちのうちに受肉することによって、主は私たちに内在される
 
 
②愛にとどまる 9-10節
  主イエスにとどまる結果は、愛に生きること
  具体的には、他者を認める、褒める、励ます
 
 
(結論)
 
 
世界に革命を起こされた主イエス
愛による革命であり、それは現在も進行中である。
#メッセージ

ワオ!と言っているユーザー

「今日はあなたの家に泊まることにしてあるから」

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「今日はあなたの家に泊まることにしてあるから」
 
 
ルカの福音書 19章1~10節
 
 
"それからイエスはエリコに入り、町の中を通っておられた。
するとそこに、ザアカイという名の人がいた。彼は取税人のかしらで、金持ちであった。
彼はイエスがどんな方かを見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。
それで、先の方に走って行き、イエスを見ようとして、いちじく桑の木に登った。イエスがそこを通り過ぎようとしておられたからであった。
イエスはその場所に来ると、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。わたしは今日、あなたの家に泊まることにしているから。」
ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。
人々はみな、これを見て、「あの人は罪人のところに行って客となった」と文句を言った。
しかし、ザアカイは立ち上がり、主に言った。「主よ、ご覧ください。私は財産の半分を貧しい人たちに施します。だれかから脅し取った物があれば、四倍にして返します。」
イエスは彼に言われた。「今日、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。
人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。」"
 
 
 
(序論)
 

パームサンディの日を迎えた。
有名なザアカイの記事は、主がエルサレムに最後の入京する直前の出来事である。
 

多くの群衆に歓迎される主と、1人の個人を探し出す(19:10)対比がある。
その家に宿泊されると言う事は、ユダヤ文脈で深い友人となることを意味する。
主は熱狂する大群衆に浮かれる方ではなく、私やあなたを探しておられる方。
 
 
(1) あなたの名を知っておられる主。
 
 
①「ザアカイ」は、「純粋な者」「清廉な者」の意味。
 その名前とかけ離れたところにいたようだ。
 
 
②ユダヤ国民の裏切り者としての取税人の立場。
 背が低いことから来るコンプレックスゆえからの屈折。
 そんな彼を全て知っておられた主。
 
 
 
(2) あなたが木の上にいるのも知っておられた主。
 
 
①ザアカイ自身が作り上げた勝利のフレームに飽き足らず、渇きがあった。
 その渇きが、彼を見世物と嘲笑の場所に追いやった。
 
 
②主の生き方とザアカイのそれとは、見事な対象があった。
 その渇きの深さを主はご存知であられた
 
 
 
(3)  あなたと契約を結ばれる主。
 
 
 
 ①彼が救いを得たのは、償いの良い行いをしたからではなく「Abrahamの子」であるゆえ。
  それがアブラハム契約の傘下に入ったと言う意味である。
 

②異邦人の私たちにとっては新約の中に入られたことである。新約はAbraham契約に内包されているから。ガラテヤ3:7-8。
 
 
 
(結論)
 
 
今日も主は私の全てをご存知の上で私を探し出し、
私と共に時を過ごされて、私を神の国に招き入れてくださっている。
#メッセージ

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「神の与えた賜物を燃え立たせよ」

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ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
 
 
 
 
 「神が与えた賜物を燃え立たせよ」
 
 
テモテへの手紙 第二 1章3~10節
 
 
 
 

"私は夜昼、祈りの中であなたのことを絶えず思い起こし、先祖がしてきたように、私もきよい良心をもって仕えている神に感謝しています。
私はあなたの涙を覚えているので、あなたに会って喜びに満たされたいと切望しています。
私はあなたのうちにある、偽りのない信仰を思い起こしています。その信仰は、最初あなたの祖母ロイスと母ユニケのうちに宿ったもので、それがあなたのうちにも宿っていると私は確信しています。
そういうわけで、私はあなたに思い起こしてほしいのです。私の按手によってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください。
神は私たちに、臆病の霊ではなく、力と愛と慎みの霊を与えてくださいました。
ですからあなたは、私たちの主を証しすることや、私が主の囚人であることを恥じてはいけません。むしろ、神の力によって、福音のために私と苦しみをともにしてください。
神は私たちを救い、また、聖なる招きをもって召してくださいましたが、それは私たちの働きによるのではなく、ご自分の計画と恵みによるものでした。この恵みは、キリスト・イエスにおいて、私たちに永遠の昔に与えられ、
今、私たちの救い主キリスト・イエスの現れによって明らかにされました。キリストは死を滅ぼし、福音によっていのちと不滅を明らかに示されたのです。"
 
 

(1) 賜物が与えられた背景とは(5)
 

①テモテが宿している「純粋な信仰」は、祖母ロイスと母ユニケから受け継いできたものだ。
 ユダヤ教徒としての敬虔なや信仰を先祖から受け継いで来た。

②家族からまた民族から、尊い文化的な遺産を引き継いできた私たち。
 日本民族にも純粋な信仰が育つ土壌があるのではないか。
 
 
 
(2) 賜物を燃え立たせよ(6)
 
 
 
①賜物は既に与えられた~パウロから按手を受けたときに。
 パウロの二次伝道旅行の際にルステラで見出された信者でありユダヤ教からクリスチャンに改宗した(使徒16:1)
 
②キリスト者が聖霊様と言う賜物をいただくのは信仰を抱いた時。
 所持してるのと、これが使用可能な状態になってるのとは違う。
 
 
 
(3)  賜物を活かせよ(7)
 
 
 
 ①臆病の霊ではない。当時のパウロは囚人として辱めの中にあり、その弟子のテモテも同様の危険の中にあるが、「恥」と捉えてはならない(8)。
 
②力と愛と慎みとの霊である。この3つは聖霊様の現れの3頂点をなす、緊張関係の中にある。  
 賜物が活性化されるために「力」が必要であり
 賜物が使われるときにキリストが崇められるためには「愛」が必要であり
 それがふさわしいTPOで使われるためには、「慎み=自己規律」が必要であろう。
 

 
 
(結論)
 
 
 
キリスト者は、誰もが神の賜物としての聖霊様をいただいている。
この賜物を十分に燃え立たせていただこうではないか。
神の与えたスピリットはあなたをして勇気ある力を与え、キリストの愛で満たし、自らを律するものとする。
#メッセージ

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「私の名前を呼ばれる方」

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「私の名前を呼ばれる方」

ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。






「私の名前を呼ばれる方」




イザヤ書 49章1~6節




"島々よ、私に聞け。遠い国々の民よ、耳を傾けよ。主は、生まれる前から私を召し、母の胎内にいたときから私の名を呼ばれた。

主は私の口を鋭い剣のようにし、御手の陰に私をかくまい、私を研ぎ澄まされた矢とし、主の矢筒の中に私を隠された。

そして、私に言われた。「あなたはわたしのしもべ。イスラエルよ、わたしはあなたのうちに、わたしの栄光を現す。」

しかし私は言った。「私は無駄な骨折りをして、いたずらに空しく自分の力を使い果たした。それでも、私の正しい訴えは主とともにあり、私の報いは私の神とともにある。」

今、主は言われる。ヤコブをご自分のもとに帰らせ、イスラエルをご自分のもとに集めるために、母の胎内で私をご自分のしもべとして形造った方が言われる。私は主の御目に重んじられ、私の神は私の力となられた。

主は言われる。「あなたがわたしのしもべであるのは、ヤコブの諸部族を立たせ、イスラエルのうちの残されている者たちを帰らせるという、小さなことのためだけではない。わたしはあなたを国々の光とし、地の果てにまでわたしの救いをもたらす者とする。」"

(1) 存在理由を尋ねて


①人が偶然に生まれてきたのなら、生きる価値を問う意味はない
 進化論教育に人を生かす力はない


②あなたの存在する以前よりあなたを知り、あなたを価値あるものとして創造された方がいる
 ここに初めて人は人生の生きる意味を見いだす



(2) あなたの名を呼ばれる方




名を呼ぶとは、他者と区別し、特別に価値あるものとして認識すること
 「母の胎内にいたときから私の名を呼ばれた」



②それはあなたと関わり、期待しあなたを通して何か目的を果たしたいとの思いゆえ
 (3節、6節)



(3)  創造者の栄光を現すものとして



① すかし、それとは逆の人生のように思える~無駄な骨折りをして来た
 それすら神の許しの中で起こった~「矢筒の中に私を隠した」(2節)


②神が力となられて
 無駄だと思っていたが、報酬は神と共にある。神は見えないお方だ(4節)


(結論)


 人は期待されて、愛を感じるときに生きる喜びを知る

 あなたを創られ生かしている方と出会うときに、生きる意味と自身の尊さを知る

 この方が、あなたの名を呼んでおられるのだから
#メッセージ

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「生きるにしても、死ぬにしても」

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「生きるにしても、死ぬにしても...
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。













「生きるにしても、死ぬにしても」



ローマ人への手紙 14章1~8節



"信仰の弱い人を受け入れなさい。その意見をさばいてはいけません。

ある人は何を食べてもよいと信じていますが、弱い人は野菜しか食べません。

食べる人は食べない人を見下してはいけないし、食べない人も食べる人をさばいてはいけません。神がその人を受け入れてくださったのです。

他人のしもべをさばくあなたは何者ですか。しもべが立つか倒れるか、それは主人次第です。しかし、しもべは立ちます。主は、彼を立たせることがおできになるからです。

ある日を別の日よりも大事だと考える人もいれば、どの日も大事だと考える人もいます。それぞれ自分の心の中で確信を持ちなさい。

特定の日を尊ぶ人は、主のために尊んでいます。食べる人は、主のために食べています。神に感謝しているからです。食べない人も主のために食べないのであって、神に感謝しているのです。

私たちの中でだれ一人、自分のために生きている人はなく、自分のために死ぬ人もいないからです。

私たちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死にます。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。"




(1) 自分のとは一体誰のものか

①子供から大人になると自立し、自己を確立し、自己決定権を増して行く
 すると私たちは自分自身の人生の全てをコントロールできると思いがちだ

②人生の決定的な事は何一つ選べない
 生まれた日も、両親も、自己の能力や賜物までも選べていない

 私たちは実は、主に属するものであると聖書は教えている


(2) こんな自分であったとしても


①自分自身を信じろと教えられてきた。「努力は裏切らない」とは本当か?
 信じたくても緊急な時、危機的状況で重大決意をする時に、私たちの足はすくんでしまう。

②自分で自分を信じること、頼るには到底弱いものであるにを知っている私たち
  何度失敗しても、そのだめな私を愛し私を支えてこられた方がおられた


(3)  主に対して生きるもの


①たとえ死に至ることがあったとしても
 主は私を迎え入れてさらに深い交わりの輪に入れてくださる


② もし生きるとしたなら、恐れや失望に取り付かれることがあるかもしれない。

 その中にあってさらに良いものを示してくださる。生きることで、さらに主にある生き方を学ぶのだ。それは今まで最高善と考えていた枠組みが再構築されること。


(結論)


 「愛情、厚遇、栄誉。金メダルはもらえなかったけれど、代わりにもっと大切なものを日本で手にしました」~銀盤の妖精・ジャネット・リン(朝日新聞、1996年12月9日)

自分の望む成功を手にしなかったとしても、たとえ最悪の死に直面しても、私たちを所有しておられる主は私たちから離れず、その愛から私たちを引き裂くものはない。
#メッセージ

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