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「いっさいを委ねなさい」

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「いっさいを委ねなさい」


ホサナキリスト教会・
日曜礼拝のメッセージアウトラインです。






「いっさいを委ねなさい」


ペテロの手紙 第一 5章1~7節


"私は、あなたがたのうちの長老たちに、同じ長老の一人として、キリストの苦難の証人、やがて現される栄光にあずかる者として勧めます。
あなたがたのうちにいる、神の羊の群れを牧しなさい。強制されてではなく、神に従って自発的に、また卑しい利得を求めてではなく、心を込めて世話をしなさい。
割り当てられている人たちを支配するのではなく、むしろ群れの模範となりなさい。
そうすれば、大牧者が現れるときに、あなたがたは、しぼむことのない栄光の冠をいただくことになります。
同じように、若い人たちよ、長老たちに従いなさい。みな互いに謙遜を身に着けなさい。「神は高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵みを与えられる」のです。
ですから、あなたがたは神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神は、ちょうど良い時に、あなたがたを高く上げてくださいます。
あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。"




(序論)


「おまかせ」料理の特徴

店長お勧めの高食材、
顧客満足、
ただしばしば高価ではある。


(1)背負わないこと


①ペテロは長老の1人として勧めている(1)
初代教会の土台の1人であったペテロは
他の長老たちを尊重していた

② 背負うことを始めると精神的に疲れていく
疲弊感が支配欲へとつながる。
リーダーが目指すべきものは支配ではなく模範となること(3)


(2)うぬぼれないこと


①若い人への勧め(5)
若い段階では視野が狭く、結果自己尊大か卑下に陥りやすい

② 時代を貫く普遍的鉄則
「神は高ぶるものに敵対し
へりくだるものに恵みを与えられる」(5)


⑶ 資源は神からのものであること


①力は神からのもの(6)
生きる上でまたミッションを果たす上で必要な資源は自分にはない

②時も神のもの
今はわからないことがある。今は実現しない祈りがある。
神は「ちょうど良い時」をご存知であられる(6)


(結論)


自分の力で奮い立たち、その力でことを実現しようとすると
多くの煩いを抱え込むことになる。
神に委ねよ。
自分で自分を心配(ケア)するのではなく神にしていただこう(7)。



#メッセージ

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「ことばと思いとが」

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「ことばと思いとが」

ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。



「ことばと思いとが」


詩篇 19篇14節


"私の口のことばと私の心の思いとが
御前に受け入れられますように。
主よわが岩わが贖い主よ。

(序論)

❶自然界による啓示  1ー6節
❷みことばによる啓示 7ー11節
❸聖霊による啓示   12ー14節


(1)啓示があって、私たちに問われているもの


①啓示〜これは人へのギフトである
応答は祈りとなった
(御中元を戴いてお返しをしないだろうか)

② ことば>思い
ことばと言う可見出来る行為は
思いと言う不可見の思惟から産まれる
(主イエスのモーセ十戒の解釈・マタイ5:27-28)
"『姦淫してはならない』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。
しかし、わたしはあなたがたに言います。情欲を抱いて女を見る者はだれでも、心の中ですでに姦淫を犯したのです。"


(2)普段着の祭壇宗教


①「御前に」
神殿が神の臨在の場所


② 「受け入れられる」
「喜ばれる」(英訳)
捧げ物に関する詳細な規定
その年齢、その健康や障害の無い事など


⑶ 可能とさせる神の義


①岩なる主
人がその心を変革する事は不可能。
せいぜい自己義による自己満足。
主が歩の確固たる地盤を敷いてくださる。

"滅びの穴から泥沼から主は私を引き上げてくださった。
私の足を巌に立たせ私の歩みを確かにされた。"
詩篇 40篇2節

②贖い主なる主。
罪のことばと思いの結果からの贖い。
その束縛からの贖い。


(結論)


神からの多くの啓示を受けるに従い、その応答は宗教行為や儀礼ではなく、
日常生活に顕される。
口からのことばと、その萌芽の心に抱く思い。
刷新してくださる聖霊様に委ねよう。

#メッセージ

ワオ!と言っているユーザー

父の日に寄せて〜その6 【聖書は男尊女卑を勧めているのか】

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父の日に寄せて〜その6


【聖書は男尊女卑を勧めているのか】


私は23歳で神学院を卒業し、
牧師としての最初の1歩を三重県のある漁村で始めました。

そこは米国人女性宣教師が1人で教会を運営されていらっしゃたところで、私は「伝道師」という任命をいただいて、牧師であるその女性宣教師の補佐役として着任したのです。

聖書が女性が宗教指導者として立つことを禁じているなら、当時の教団が下した任命は誤りだったのでしょうか。

その女性宣教師は私が生まれる遥か10年以上も前から日本宣教に単身で励み、そしてその漁村においても既に私の年齢以上の年月を教会建設に注いでおられました。
聖書の言葉を再度記します。

「私は、女が教えたり男を支配したりすることを許しません。
むしろ、静かにしていなさい。
アダムが初めに造られ、それからエバが造られたからです。
そして、アダムはだまされませんでしたが、
女はだまされて過ちを犯したのです。」
(テモテへの手紙 第一 2章11~14節)

最初に作られたのがアダムであると言うことから、
男性により大きな権威があると聖書は明確に教えていると私も理解します。

そしてこの教理はある1教会に限定されるものではなく、
すべての時代を超えた、あらゆる教会に適応し得る普遍的な教えであると
私はこれまで指摘してきました。

そしてエヴァは蛇に騙され誘惑され罪に陥りました。
女性は感情や情緒が豊かである反面、
甘美なものに魅せられると短絡的に物事を判断しやすいと言う性質を併せ持っているようです。

つまり判断力に欠けていると。
(女性の皆さんごめんなさーい)

神学校卒業したてのホヤホヤの23歳の若造と
教団最高齢の73歳の経験豊かな女性宣教師。

それでは、
どちらが判断力に長けているでしょうか。

私は全く新しい人間関係の中で右も左もわからないばかりか、
信仰によって経済を回していくと言うことや
人々に仕えると言うことがどういうことなのかもわからなかったのです。

飯の炊き方すら知らないので、
自分用の台所はありましたが数ヶ月後にはそこも放棄し、
1日3食をその女性宣教師の台所で共に過ごすこととなったのです。
つまり3食をその宣教師から食べさせてもらいました。


もし私がその当時の教団指導者であるなら
全く同じ任命判断を下していたはずです。

「女が教えたり男を支配したりしてはならない」
と言う聖書のある1部分だけを取り出して
常に男性が女性の上のポジションにいなくてはならないと言う結論には至らないのです。

聖書にはこのような教えもあります。

"同じように、若い人たちよ、長老たちに従いなさい。」
(ペテロの手紙 第一 5章5節)

「若い人たち」は当時の私の事でしょう。
「長老たち」とは、ユダヤ的な表現で長年の人生経験を積んで人として円熟し、その組織の指導を任されている人のことです。そこには女性も男性もありません。旧約聖書には女性の預言者やリーダーが出てきますし、新約聖書の教会リーダーである執事には女性も認められていました。

聖書はある1カ所を取り上げて単眼的にその聖句を判断してはならず、
関連成句の中から、時に相反すると思われる事柄の中からも、それらを総合的調和的に統合して理解するプロセスを経なくてはなりません。

さらに続けて行きます。




For Father's Day - Part 6


Is the Bible advocating male chauvinism?



I was 23 years old when I graduated from seminary.
My first step as a pastor was in a small fishing village in Mie Prefecture.

There was an American woman missionary who was running the church by herself, and I was appointed as an "evangelist" to assist her as the pastor.

If the Bible forbids women to stand as religious leaders, was the appointment made by the church group at that time a mistake?

The woman missionary had been working single-handedly on a mission to Japan for more than ten years before I was born, and she had already spent more years than my age planting church in that fishing village.

I would like to reiterate the words of the Bible.

“I will not allow a woman to teach or to rule over a man, but rather to be quiet.
For Adam was created first, and then Eve.
And Adam was not deceived.
But the woman was deceived and made a mistake.”
(First Epistle to Timothy, chapter 2, verses 11-14)

The fact that Adam was the first to be created.
I also understand that the Bible clearly teaches that men have greater authority because they were created first.

I have been pointing out that this doctrine is not limited to one church, but is a universal teaching that can be applied to all churches across all time periods.

And Eva was deceived and seduced by the serpent and fell into sin.
It seems that women are rich in emotions and sentiments, but they also have a tendency to make short-sighted judgments when they are attracted to sweet things.

In other words, they are lacking in judgment.
(I'm sorry, ladies!).

A 23 year old young man who just graduated from seminary
and a 73 year old experienced female missionary who is the oldest person in the church group.

So, which one of us has better judgment?

Not only do I have no idea what is right and wrong in a completely new relationship in the local church, but I also have no idea what it means to run an economy by faith or to serve people.
Also, I didn't even know how to cook a meal.

I had my own kitchen, but after a few months, I abandoned it and spent three meals a day in the kitchen of the female missionary.
In other words, I was fed three meals a day by the missionary.

If I had been the leader of the church group at that time
I would have made the exact same appointment decision.

You can't just take one part of the Bible that says, "A woman should not teach or rule over a man" and conclude that a man must always be in a position above a woman.

The Bible also has this teaching.

"In the same way, young men, obey your elders.
(First Epistle of Peter, Chapter 5, Verse 5)

The "young people" would have been me at the time.

“Elders" is the Jewish term for people who have been through life for many years, have matured as person, and are in charge of the leadership of the organization.
There is no such thing as a woman or a man. There are female prophets and leaders in the Old Testament, and women were allowed to be stewards, the leaders of the church in the New Testament.

The Bible should not be judged singularly in terms of a single verse.
It must be understood through a process of synthesizing and harmonizing related passages, even those that seem to conflict with each other.

I'll keep going.
#メッセージ

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父の日に寄せて〜その5 【聖書は男尊女卑を勧めているのか】

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父の日に寄せて〜その5


【聖書は男尊女卑を勧めているのか】




キリスト教会内の女性の地位について多少なりとも論じていますが、
教会人の皆様から今一つコメントが少ないのは、女性を恐れてばかりのことではないと思います。笑。

これは以前から
一歩間違えると教会が分裂しかねない微妙な問題なのです。

実は、女性の教職者は聖書の教えからして認められないと考える多くの教会があります。

それに対して男女間を差別的に扱っている聖書の教えは現在に直接適用できない古いもので、
教職地位についても男女平等であるべきだと考える教会もあるからです。

実際に私は米国から派遣されてきたある宣教師が立ち上げた教会の群のことを知っています。
その働きは数十年かけてとても祝され、女性献身者が何人も与えられて神学校卒業後、
単身や女性同士がチームとなって教会建設に励みました。

それを知った米国宣教団体はその宣教師への支援を打ち切ったのでした。
「聖書の教えに忠実ではない」と言うのがその理由です。

やむなくその宣教師は除名された後に
他の支援宣教団体を探さざるをえませんでした。

そのようなセンサティヴな問題を何故私はあえてここに持ち出すのでしょう。

臭いものに蓋をして(?)、ソッと触れないでおくのも大人の知恵と言うものではないでしょうか。
そのような「常識」に反してここでオープンにしてしまう理由がいくつか考えられます。


理由の第一として
聖書の信憑性を保持するためです。

もし聖書の中に実際には適応できない「やばい教え」があるとして
教会の教師らがそれらを避けているのなら、
聖書にも信頼できない部分があると言う印象を人々に与えてしまうでしょう。

「聖書は神の言葉だ、そのように牧師らは教えながらも、その全ては実行していないよね」
そのようなダブルスタンダードを持っているとみなされないでしょうか。


第二の点として、
人の理解力の限界性という点はどうでしょうか。
聖書は誤りのない神の言葉であったとしても、
それを理解する人間の側は完全ではなく理解力に乏しい場合が多いのです。

原典から翻訳されている言語ゆえの理解限界性と言う点もあります。

先回は創世記3章で人が堕罪したときにそれまでの男女間の関係が崩壊し、
それまでにはない新たな欲求が女性の側に生まれたと言う点を解説しました。

それはヘブル語原典の言語の使用法を探求して、
さらにその旧約の史実が新約聖書にある教会の問題につながっていると考察できるまでに
私自身が40年ほどの時間を要しているのです。

聖書には他にも矛盾するように見える教えや、
理解し得ない教えがあります。

理解できないところをその通りに理解できないと教師が認めるのも、
正直で大切な点ではないかと考えます。


第三は、解釈の汎用性や相対性と言うものです。

聖書のある1部分を取り上げて、
「ここに書いてあるから、このように受け取り理解しなくてはならないはずだ」と、
そのように自らの解釈を絶対視してしまうと、
聖書文言に囚われる拘泥に陥り、教条主義に傾いてしまいます。

すると、他者との対話や解釈の幅があることへの理解を欠いたまま
独善と自己義へと走るパリサイ主義への道が開かれることになります。

結果として「論語語りの論語知らず」、
つまり聖書の教えと相反する信仰姿勢に陥ってしまう危険性です。


次回はこの第三を事例とともに取り上げてみたいと思います。



For Father's Day - Part 5


Does the Bible encourage male chauvinism?

I've been discussing the status of women in the Christian church for some time now, and I don't think it's only because of fear of women that I haven't received many comments from church members. LOL.

This argument has been going on for a long time.
This is a sensitive issue that could divide the church if we make a mistake.

In fact, there are many churches that believe that female ministers are not allowed according to the teachings of the Bible.

In contrast, There are also churches that believe that there should be equality in teaching positions, biblical teachings that discriminate between men and women are old and not directly applicable to the present.

In fact, I know of a group of churches that were started by a missionary from the United States.
The ministry was so blessed over the decades that a number of women ministers were given to the ministry after seminary.
After graduating from seminary, they were given the task of planting churches on their own or as a team of women.

When the U.S. missionary organization found out, they cut off their support for the missionary, citing "unfaithfulness to the teachings of the Bible" as the reason.

The missionary was expelled from the mission.
After being expelled, the missionary had no choice but to look for another missionary organization to support.

Why do I dare to bring up such a sensitive issue here?
I think it would be wise as adults to keep a lid on the stink and not touch it.

There are several reasons why you might want to go against such "common sense" and bring it up here.


The first reason is
To preserve the authenticity of the Bible.

If there are some "bad teachings" in the Bible that are not really applicable, and if the teachers of the church are avoiding them, what would happen?

"The Bible is the of God," pastors teach, but of you don't practice all of it,
Wouldn't that be seen as having a double standard?


As a second point.

What about the limitations of human understanding?

Even though the Bible is the infallible word of God, the human beings who understand it are not perfect and often lack the ability to understand it.

This is partly due to the language in which the Bible is translated from the original.

In the previous article, I explained that when man fell in Genesis 3, the relationship between man and woman collapsed and a new desire was born in the woman's side.

It has taken me about 40 years to be able to explore the use of the original Hebrew language and to see how the Old Testament historical facts connect to the problems of the church in the New Testament.

There are other teachings in the Bible that seem contradictory or incomprehensible.

It's an honest and important point for a teacher to admit that he or she doesn't understand something.


The third is what I call the versatility and relativity of interpretation.

If you take one part of the Bible and say, "This is what it says, so this is how I must understand it.”
If we make our interpretations absolute, we will fall into the trap of being confined to the words of the Bible and become dogmatic.

This leads to self-righteousness without dialogue with others and understanding of the range of interpretation.
This paves the way for Phariseeism.

As a result, we end up with "a man who speaks in Bible but does not know them.”
In other words, there is a danger of falling into an attitude of faith that conflicts with the teachings of the Bible.


In the next article, I would like to discuss this third issue with examples.


#メッセージ

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【聖書は男尊女卑を勧めているのか】

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【聖書は男尊女卑を勧めているの... 【聖書は男尊女卑を勧めているの...




父の日に寄せて〜その3

【聖書は男尊女卑を勧めているのか】

先回はパウロが創造の際の秩序から、
男性の女性に対するリーダーシップが依拠している点を見ました。

そこで創世記の記事から
女性は男性にとってどのような立場として創られたのか
確認したいと思います。


"また、神である主は言われた。
「人がひとりでいるのは良くない。
わたしは人のために、ふさわしい助け手を造ろう。」"
(創世記 2章18節)


女性のことを神が「助け手」であるとされました。
その日本語の意味は補助的な役割というニュアンスとなりましょう。

しかし原語のヘブライ語には
そのような消極的な意味は無いようです。

それは「エゼル」という語で
聖書には21回使われています。

その多くは詩篇に見出されるものですが
神を「助け」と呼ぶ際に使用されているものです。


"私は苦しむ者貧しい者です。神よ私のところに急いでください。
あなたは私の助け私を救い出す方。主よ遅れないでください。"
(詩篇 70篇5節)

神が人に対して偉大な助けであるのと同程度に
女性は男性にとっての偉大な助けである。

男女間においてその両者に
決して価値の上下も優劣もありません。

ここで神は、
「人が1人でいるのは良くない」と否定的に語られて後、
その助け手を得ることで両者は補完しあい、満足し得る存在になり得るとされました。

男女の間にあるのは役割の違いでしか無いのです。


P.S.

キャシーが芝刈りをしている間、
息子と将棋を指しました。

第1回戦目はご覧の通りで私の完敗。
第2戦目に勝利をもぎ取りました。

将棋の世界にあまり女性をお見受けしません。
たまに女性棋士が誕生して話題になりますが稀なケースです。

勝負事に惹かれるのも男性の特徴だと思います。
男女間の能力の差ではなく、単に将棋を嗜む人口層の違いではないしょうか。







For Father's Day - Part 3

Does the Bible advocate male dominance?

So, from the article in Genesis
In the previous article, we saw that Paul relied on male leadership over women in the creation order.

I would like to confirm this.

"And the Lord God said, "It is not good for man to be alone.
I will make for man a helper worthy of him."
(Genesis 2:18)


God referred to women as "helpers".
The Japanese meaning of the word "helper" is "auxiliary role”.

But in the original Hebrew language, it does not have such a negative meaning.

It is the word "ezer.
It is used 21 times in the Bible.

Most of them are found in the Psalms.
It is used to refer to God as "helper".


"I am the afflicted and the poor. Hurry to me, O God.
You are my helper and my deliverer. Do not delay, O Lord."
(Psalm 70:5)

To the same extent that God is a great help to men.
Women are a great help to men.

There is never a higher or lower value or superior or inferior.

Here, God says that it is not good for a man to be alone,
but that by having a helper, they can complement each other and be satisfied.

The only difference between men and women is the difference in roles.


P.S..

While Kathy was mowing the lawn.
I played Shogi chess with my son.

As you can see, I lost the first game.
But, I won the second game.

I don't see many women in the world of Shogi.
Every once in a while, a female professional shogi player is born and becomes a topic of conversation, but it is a rare case.

I think it is a characteristic of men that they are attracted to competitive games.
I think it is not a difference in ability between men and women, but simply a difference in the demographic of people who enjoy playing Shogi.

#メッセージ

ワオ!と言っているユーザー

父の日に寄せて〜その2。

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父の日に寄せて〜その2。


父の日に寄せて〜その2。

【聖書は男尊女卑を勧めているのか】


「女のかしらは男です」
(コリント人への手紙 第一 11章3節)

そのようにコリント教会宛に書かれたメッセージは、
当時のある特定教会にだけ当てはまるものでしょうか。

それとも時代を超えて
さらに全世界のキリスト教会にも適応できる
普遍的な教えなのでしょうか。

これを考察するにあたり
そのような教えが抽出されている土台が
どこにあるかを探し当てねばなりません。

そこでテモテへ書いた
パウロ書簡にある男女関係の教えの箇所を参考にします。


「私は、女が教えたり男を支配したりすることを許しません。
むしろ、静かにしていなさい。
アダムが初めに造られ、それからエバが造られたからです。
そして、アダムはだまされませんでしたが、
女はだまされて過ちを犯したのです。」
(テモテへの手紙 第一 2章11~14節)

パウロは弟子のテモテに教会の中で女性が男性を教えたり、
支配する事は許されないと明言します。

その根拠として当時の社会情勢が男尊女卑であるからとか、
ある特定教会の現実に合わせたものであると言うのではなく、

創造の秩序を引き合いに出して根拠としているのに注目せねばならないでしょう。

「神が人間を創られたときに
先に男性としてのアダムを創られた。」

「蛇に騙されて禁断の木の実を食べたのはエヴァであった。」

これらの歴史的事象が男女の地位関係を決定する理由であるとしたならば、
どんな文化圏やどんな時代をも超越する普遍的教えであると言わざるを得ません。


それでは現在のアメリカや日本のキリスト教会に見られる
女性教職者の立場はどうなるのでしょうか。

キリスト教会の中で女性が指導的な立場に就いたり、
男性を教えたりすることが不可能であると言うことを
どのように理解したら良いのでしょう。

聖書は女性は男性よりも低い、
下等な存在として創られたと教えているのでしょうか。

さらに論考が続いて行きます。



P.S

昨日の父の日、キャシーは芝刈り機で家の前後の広大な芝生を1人で刈り上げました。
昨年までは私がしていたのです。
ガソリン駆動の芝刈り機でエンジンを始動させるだけで大変な労力だし、
さらに煙を出しながらの重たい機械です。男性向きの仕事であろうかと。

最近になって彼女は充電式の電気芝刈り機を購入。
これならエンジン始動はスイッチ1つ。

しかも音もなく軽く押すだけで機械は進んでいきます。
「Kaiにやってもらえばいいでしょ」と私が水をを向けると、
「私はこうした庭仕事が好きなのよ」とのこと。

米国女性は日本女性よりもパワフルですかね〜?



In honor of Father's Day - Part 2.

Is the Bible advocating male chauvinism?


"The head of the woman is the man.
(1 Corinthians 11:3)

So Does the message written to the Corinthian church apply only to one particular church at that time?

Or does it apply to all Christian churches throughout the ages?
Is it a universal teaching that can be applied to all Christian churches throughout the world?

In examining this
Where is the foundation from which such a teaching is extracted?

So, let's look at what Paul wrote to Timothy.
In this regard, we will refer to the Pauline letter to Timothy, which teaches about the relationship between men and women.

“I will not allow a woman to teach or to dominate a man.
Rather, be quiet.
For Adam was created first, then Eve.
And Adam was not deceived.
But the woman was deceived and made a mistake.”
(First Epistle to Timothy, chapter 2, verses 11-14)

Paul makes it clear to his disciple Timothy that women are not allowed to teach or dominate men in the church.

The reason for this is not because the social situation at the time was male-dominated or because it was in accordance with the reality of a particular church.

It should be noted that he cites the order of creation as the basis for his argument.

"When God created man, he first created Adam as a male.”

"It was Eve who was tricked by the serpent into eating the fruit of the forbidden tree.”

If these historical events are the reason for determining the status relationship between men and women, then it must be said that they are universal teachings that transcend all cultures and all times.

So what is the position of women ministers in the Christian churches in the U.S. and Japan today?

Is it really impossible for a woman to hold a leadership position or teach men in the Christian church?

How do we understand that it is impossible for women to hold leadership positions or teach men in the Christian church?

Does the Bible teach that women were created lower and less valued than men?

More discussion to follow.



P.S

Yesterday, Father's Day, Kathy mowed the huge lawn in front and behind the house by herself with the lawnmower.
Until last year, I had done it myself.
It's a lot of work just to start the engine of a gasoline powered lawn mower.
It is also a heavy machine that emits smoke. I thought it was a job for men.

Recently, she bought a rechargeable electric lawn mower.
With this mower, the engine can be started with a single switch.

When I turned to her and said, "Why don't you have Kai do it?”
“I like this kind of gardening," she replied.

American women are more powerful than Japanese women, aren't they?

#メッセージ

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父の日特別寄稿

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父の日特別寄稿


父の日おめでとうございます。

聖書は、世界の創造主のことを「父」と啓示します。
父はすべての生き物の源流です。

主イエスは神を「アバ」と呼ぶように教えられました。
それは当時使われていたアラム語で「お父ちゃん」です。

女性の地位向上や社会進出が進んでいるのが
ポストモダンの世界です。素晴らしいことです。
女性の持っている本来の特性と賜物を生かした場がもっと与えられて欲しいです。

この点日本は先進国の中でも最下位で、
まだまだ女性が抑圧されている社会環境と言えます。

女性解放の波はキリスト教会の中にも浸透しています。

少し前まではユダヤ教のラビであっても
キリスト教会の司祭・牧師であっても
宗教指導者に女性が立てられる事はありませんでした。

いや現在でもユダヤ教のラビでもイスラム教の教師でも
女性が立てられる事はあり得ません。

最近私が参加している勉強会で
そのことが取り上げられました。

曰く、「聖書には女性差別と男尊女卑を教えている」と。
「それは当時の文化に沿ったことであり、
当時の人々に対する教えであるので
それを今日まで持ってくることができない」と。

「当時の社会状況を踏ま得た上で
今日的適用を吟味しなくてはならない」と。

そうでしょうか?

聖書は当時の人々の考えや習慣、生き方を超越して
どの時代にも適応出来る普遍的な真理を伝えている
箇所もあるのではないでしょうか。

特にこの男女間の地位に関する教えは
注意深く見たならば
時代を超えた普遍性を伝えていないでしょうか。

「kyotaさん。
いつもリベラルなことを言って私たちを驚かせるのに
男女間のことについては保守的なんですか。
女性蔑視をしてるんですか?」

そんな事を言われてしまいそうです。

私はリベラルでも保守でもありません。

時代を超えた聖書の教えを今日に活かし
そこに生きようと試みるまでです。

例えば次の2つの聖句を紹介します。


"しかし、あなたがたに次のことを知ってほしいのです。
すべての男のかしらはキリストであり、
女のかしらは男であり、キリストのかしらは神です。"
コリント人への手紙 第一 11章3節

"男は神のかたちであり、神の栄光の現れなので、
頭にかぶり物を着けるべきではありません。
一方、女は男の栄光の現れです。"
コリント人への手紙 第一 11章7節

ここでは明らかに男性が女性の上にリーダーシップを取るべきであり、
男性の女性は男性の栄光の表れに過ぎないと、その補助的立場を伝えています。

その序列はキリストが私たち人間のかしらであるのと同様の確かさであると。

これはパウロがコリントの教会に書き送った手紙の中にある教えですが、
私たちクリスチャンはこれを神からの教えであると信じています。

さてこれはコリント教会特有の教えなのでしょうか。
それとも時代や国を越えて今日の日本のキリスト教会にも
適用すべき教えでしょうか。

賛同反論歓迎です。
皆さんのお考えをお伝えください。






Happy Father's Day!

The Bible reveals the Creator of the world as "Father".
The Father is the source of all living things.

The Lord Jesus taught us to call God "Abba".
That is "Father" in the Aramaic language used at that time.

Women are improving their status and advancing in society.
It is a postmodern world. It is wonderful.
I would like to see more opportunities for women to make use of their inherent characteristics and gifts.

In this respect, Japan is the lowest among the developed countries, and it can be said that women are still oppressed in our social environment.

The wave of women's liberation is also penetrating into the Christian church.

Until a while ago, even Jewish rabbis
Even priests and pastors of Christian churches,
there were no women in religious leadership positions.

Even today, there is no such thing as a Jewish rabbi or a Muslim teacher.

Recently, in a study group that I attend
This was brought up there.

One said, "The Bible teaches misogyny and chauvinism.
It is in line with the culture of the time, and it is a teaching for the people of the time.
You can't bring that up today.

"You have to take into account the social conditions of the time.
"We have to examine the application of the teachings to today based on the social conditions of the time.

Isn't that right?

The Bible is a universal text that can be adapted to any age, transcending the thoughts, customs, and lifestyles of the people of that time, I believe.

If you look carefully, this teaching on the status of men and women, in particular, conveys a timeless universality, don't you think?

“Hey Kyota,
You always surprise us by saying liberal things.
Are you conservative when it comes to gender issues?
Do you despise women?”

That's what you might say to me.

I am not a liberal or a conservative, but I am trying to apply the timeless teachings of the Bible to today.
I am just trying to live by them.

For example, here are two verses of Scripture.

"But I want you to know that
The head of every man is Christ, and the head of every woman is man, and the head of Christ is God."
1 Corinthians 11:3

"For the man is the image of God, and the manifestation of his glory.
He should not wear a headgear.
The woman, on the other hand, is a manifestation of the glory of the man."
1 Corinthians 11:7

It's clear here that men are to take leadership over women and woman is merely a manifestation of the glory of the man, and conveys his auxiliary position.

That the pecking order is as certain as Christ being the head of us humans.

This is the teaching of Paul in his letter to the church at Corinth.
We Christians believe this to be a teaching from God.

Is this a teaching that is unique to the Corinthian church only , or is it a teaching that should be applied to the Christian church in Japan today, transcending time and country?


I welcome your support and opposition opinions
Please let me know what you think.
#メッセージ

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「仕えられるためではなく仕えるため」

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「仕えられるためではなく仕える...
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。


「仕えられるためではなく仕えるため」


マタイの福音書 20章17~28節


"さて、イエスはエルサレムに上る途中、十二弟子だけを呼んで、道々彼らに話された。
「ご覧なさい。わたしたちはエルサレムに上って行きます。人の子は祭司長たちや律法学者たちに引き渡されます。彼らは人の子を死刑に定め、
異邦人に引き渡します。嘲り、むちで打ち、十字架につけるためです。しかし、人の子は三日目によみがえります。」
そのとき、ゼベダイの息子たちの母が、息子たちと一緒にイエスのところに来てひれ伏し、何かを願おうとした。
イエスが彼女に「何を願うのですか」と言われると、彼女は言った。「私のこの二人の息子があなたの御国で、一人はあなたの右に、一人は左に座れるように、おことばを下さい。」
イエスは答えられた。「あなたがたは自分が何を求めているのか分かっていません。わたしが飲もうとしている杯を飲むことができますか。」彼らは「できます」と言った。
イエスは言われた。「あなたがたはわたしの杯を飲むことになります。しかし、わたしの右と左に座ることは、わたしが許すことではありません。わたしの父によって備えられた人たちに与えられるのです。」
ほかの十人はこれを聞いて、この二人の兄弟に腹を立てた。
そこで、イエスは彼らを呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者たちは人々に対して横柄にふるまい、偉い人たちは人々の上に権力をふるっています。
あなたがたの間では、そうであってはなりません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。
あなたがたの間で先頭に立ちたいと思う者は、皆のしもべになりなさい。
人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのと、同じようにしなさい。」"


(1)ゼベダイの子らの願い


①血縁関係を利用しての出世願望
ゼベダイの子らの母とイエスの母マリアは姉妹
「1人を左大臣に、1人を左大臣に」

② 聞きたいことだけを選り好みする聖書の読み方
エルサレムでの苦難と死刑の予言であり、
王国樹立ではない(18-19)


(2)逆転された価値観


①支配者はその領民を支配し、権力者は権力を持つ
ローマにされ支配されていたユダヤ社会では納税や労役の義務が課された

②主は仕えられるためでなく、仕えるために来られた
「大臣」の英語名はMINISTER(奉仕者)
仕えるものが最も偉大、人の先に立つものは僕となるべしとの聖書的価値観の反映


⑶ 父なる神の聖定


①イエスの杯を飲むことができるか。
ここで杯とは、神のゆえに甘受する苦難や迫害。
彼らの分からないままでの返答と、イエスの予言。
ヤコブに成就とは?
ヨハネに成就とは?

②「それに備えられた人々が既にある」
この動詞は完了形。
将来のことが既に父なる神によって規定=聖定。


(結論)


"曲げられたものを、まっすぐにはできない。
欠けているものを、数えることはできない。"
伝道者の書 1章15節

①神が既に定められたことがある。
・支配者や権力者の存在。
・女性に対する男性の地位
〜秩序や順序がある

"しかし、あなたがたに次のことを知ってほしいのです。
すべての男のかしらはキリストであり、
女のかしらは男であり、キリストのかしらは神です。"
コリント人への手紙 第一 11章3節
"男は神のかたちであり、神の栄光の現れなので、
頭にかぶり物を着けるべきではありません。
一方、女は男の栄光の現れです。"
コリント人への手紙 第一 11章7節

②世界は異なる(誤った)解釈をしてきた。
・支配者が支配横暴を極める
・男性の方が上だ。聖書は男尊女卑を認めているのか?
「"女は、よく従う心をもって静かに学びなさい。
私は、女が教えたり男を支配したりすることを許しません。
むしろ、静かにしていなさい。
アダムが初めに造られ、それからエバが造られたからです。
そして、アダムはだまされませんでしたが、
女はだまされて過ちを犯したのです。"
テモテへの手紙 第一 2章11~14節

③聖書の価値観に帰ろう
・男女の地位関係は特定文化に寄り添ったものでなく、
創造の秩序が土台となっている。
・上位の立場にあるものが仕えるもの、命を与えるもの
低いものとされるのが聖書の価値〜その模範をキリストに見る。


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「神と格闘する宗教家」

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「神と格闘する宗教家」



「神と格闘する宗教家」


創世記 32章24~32節


"ヤコブが一人だけ後に残ると、ある人が夜明けまで彼と格闘した。
その人はヤコブに勝てないのを見てとって、彼のももの関節を打った。ヤコブのももの関節は、その人と格闘しているうちに外れた。
すると、その人は言った。「わたしを去らせよ。夜が明けるから。」ヤコブは言った。「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」
その人は言った。「あなたの名は何というのか。」彼は言った。「ヤコブです。」
その人は言った。「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたが神と、また人と戦って、勝ったからだ。」
ヤコブは願って言った。「どうか、あなたの名を教えてください。」すると、その人は「いったい、なぜ、わたしの名を尋ねるのか」と言って、その場で彼を祝福した。
そこでヤコブは、その場所の名をペヌエルと呼んだ。「私は顔と顔を合わせて神を見たのに、私のいのちは救われた」という意味である。
彼がペヌエルを通り過ぎたころ、太陽は彼の上に昇ったが、彼はそのもものために足を引きずっていた。
こういうわけで、イスラエルの人々は今日まで、ももの関節の上の、腰の筋を食べない。ヤコブが、ももの関節、腰の筋を打たれたからである。"


(1)宗教が現実味を帯びる時


1人になれた時〜思いがけない神からの接近(ベテル経験:創世記28章)
家族の元を離れざるを得なかった。
叔父ラバンの元での生活は未知数で不安。

② 1人となったとき〜神を求めざるを得ない苦境(ペヌエル経験)
家族を先に旅立たせ自分は1人残った。
兄エサウとの再会は想像するも、激しい恐れ。


(2)宗教の核心に迫る時


①神の顕現〜夜明けまで格闘した相手
神についての知識や思想、想念することとは違う。
「どうかあなたの名を教えてください」-実存する存在の実質を会得せんとの願い。

②神との会話
「わたしを去らせよ。夜が明けるから」
「去らせません。私を祝福してくださらなければ」
「あなたの名は何と言うのか」
「ヤコブです」


⑶ 宗教の源泉が変革をもたらす時


①そこには命をかけたやりとりがあった
「顔と顔と合わせて神を見たのに、私の命は救われた」
死線を超えた戦いを終えた今、彼の人生は変革された。

②「ペヌエルを通り過ぎた頃、太陽は彼の上に上ったが
彼はそのもものためにびっこひいていた」
彼の恐れと不安の雲は過ぎ去り、エサウと対峙する勇気が与えられた。
それは自己信頼からの蛮勇ではなく、謙遜を知り太陽に照らされた委任と静寂さ。


(結論)

1人となれる時とは、特別な技術が必要とされる。
私たちは神と相撲を取るほどに、聖霊様との折衝に生きることが少ないのではないか。
聖霊様も主イエスも神の言葉も、父なる神との交流に私たちを導く手段である。




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「その方が来ると」

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「その方が来ると」


「その方が来ると」


ヨハネの福音書 16章5~16節


"しかし今、わたしは、わたしを遣わされた方のもとに行こうとしています。けれども、あなたがたのうちだれも、『どこに行くのですか』と尋ねません。
むしろ、わたしがこれらのことを話したため、あなたがたの心は悲しみでいっぱいになっています。
しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのです。去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はおいでになりません。でも、行けば、わたしはあなたがたのところに助け主を遣わします。
その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世の誤りを明らかになさいます。
罪についてというのは、彼らがわたしを信じないからです。
義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなるからです。
さばきについてとは、この世を支配する者がさばかれたからです。
あなたがたに話すことはまだたくさんありますが、今あなたがたはそれに耐えられません。
しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導いてくださいます。御霊は自分から語るのではなく、聞いたことをすべて語り、これから起こることをあなたがたに伝えてくださいます。
御霊はわたしの栄光を現されます。わたしのものを受けて、あなたがたに伝えてくださるのです。
父が持っておられるものはすべて、わたしのものです。ですからわたしは、御霊がわたしのものを受けて、あなたがたに伝えると言ったのです。
しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなりますが、またしばらくすると、わたしを見ます。」"


(1)あなたとの人格的関係を築かれる方


①主イエスとの人格的関係の中にいた12使徒たち
主が離れ去ることを聞いて心は悲しみでいっぱいとなった(5-6)

② 「その方」(8)〜“HE” 男性人称代名詞
主イエスに代わられる方、「イエスの御霊」(使徒16:7)とも呼ばれている


(2)あなたのうちに内住される方


①「助け主」(7)が来られる方が「益」であると言う
弟子らと内住されるため。
常時同行できるため。

②私たちをうちから支えて教導する
罪について〜キリストを信じないこと(ヨハネ15:24)
義について〜復活と昇天によってキリストが義であられた
裁きについて〜悪魔とその力が最終的に敗北すること


⑶ 恒久的にあなたにとどまる方


①「すべての真理に導き入れる」(13)
初歩的な教えからさらに霊的な事柄にも目が開かれていく
霊のことは、御霊によってしかわきまえることができない。

②三位一体の神があなたを栄光に導き入れる
御霊は主イエスの全てを啓示し、イエスの栄光を表す
主イエスは父なる神の全てを任されておられる。


(結論)


ペンテコステ礼拝の日。
主イエスの約束された聖霊が今、
私たちに注がれ、うちに生きておられる。
この方が、主の栄光に私たちを預からせてくださる。
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