ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「内なる人が強められるように」
エペソ人への手紙 3章14~21節
"こういうわけで、私は膝をかがめて、
天と地にあるすべての家族の、「家族」という呼び名の元である御父の前に祈ります。
どうか御父が、その栄光の豊かさにしたがって、内なる人に働く御霊により、力をもってあなたがたを強めてくださいますように。
信仰によって、あなたがたの心のうちにキリストを住まわせてくださいますように。そして、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、
すべての聖徒たちとともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、
人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。そのようにして、神の満ちあふれる豊かさにまで、あなたがたが満たされますように。"
"どうか、私たちのうちに働く御力によって、私たちが願うところ、思うところのすべてをはるかに超えて行うことのできる方に、
教会において、またキリスト・イエスにあって、栄光が、世々限りなく、とこしえまでもありますように。アーメン。"
(序論)
「内なる人」とは近代的自我のことと一般的に理解され安い。
「強められるように」とはつまり健全な自己愛や自尊心を持てとのことか。
動詞の時制と様相に注目すれば、その共通した用法から何を意味しているかが明らかとなる。
それは何を意味するのか
愛を理解する力を得られるように(18) Aorist + Subjunctive
愛こそがキリストの教えの要約であり最高峰のものであり全て
神の満ちている様にまで満たされるように(19) Aorist + Subjunctive
どこまでも制限のない神の満ちている様相にまで
(2) それを求める根底は何か(17)
キリストが心の内に住んでおられるのだから
「住まわせてくださいますように」と希求形で訳すのは疑問
Aorist + 不定詞〜「心に住んでおられるキリスト」と本来訳すべきもの
愛に根ざし(完了形・受動態)、基礎を置いている(完了形・受動態)ゆえ
植物を支える根と建物を支える基礎工事が背景に
そこに至る方法は何か
人知を超えたキリストの愛を体験し続けることによる(19)
「知ることができますように」と希求形で訳すのは疑問
Aorist + 不定詞〜「(既に)知っている」と本来訳すべきもの
「超えている」は現在形+動名詞ゆえに、知ることが絶えず更新され続けるように勧められる
すべての聖徒と共に生きることによる(18)
その長さ〜年齢差や時代差
その広さ〜人間性の幅の大きさ
その高さ〜山よりも高い気高さ
そに深さ〜人の罪の深淵さ
(結論)
目に見える即物的で実現可能な事は祈らなくても努力で実現可能。
パウロの祈りは人間のできることを超えたもの。
私たちに働いている聖霊の力によってキリストが期待していることである(20)。
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「私たちの国籍は天に」
ピリピ人への手紙 3章17~21節
"兄弟たち。私に倣う者となってください。また、あなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。
というのは、私はたびたびあなたがたに言ってきたし、今も涙ながらに言うのですが、多くの人がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。
その人たちの最後は滅びです。彼らは欲望を神とし、恥ずべきものを栄光として、地上のことだけを考える者たちです。
しかし、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待ち望んでいます。
キリストは、万物をご自分に従わせることさえできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自分の栄光に輝くからだと同じ姿に変えてくださいます。"
(1)人の帰属先(ID)
①人が何者であるかを決定するもの
住居地、職業、家系、所属教会など。
自己紹介等に用いるし、おおよそ客観的に人を類型化出来る便利さがある
②人の本質はどこで決まるか
住居は移動するし、仕事や教会も変わることがある
この世界に私自身の本質に関わる帰属先を預けるとなると永続的な基盤はなくなる
(2) 失われた帰属先
①表面でなく本質的な意味で帰属先が失われてしまった
〜失楽園以後の人の姿
②その結果の混乱と錯綜
彼らの神〜欲望
彼らの栄光〜恥
彼らの最後〜滅び
(3) 回復された帰属先
①帰属先=国籍が天にある生き方とは何か
キリストは最終ゴールであり永続する継続的な世界に私たちを招かれておられる
②キリストはやがて来られる
天(神)によって地上の営みは統制されているが、その天がやがて地上に投入される
その時にはこの滅びる体も栄光の体に変えられる
(結論)
キリスト者とは、キリストに所有された者の事。
この世にあっては異質かもしれない。異なる原理で生きているからである。
しかしその原理こそ普遍的で永続する天からの生き方であろう。
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「私の所有者は誰なのか」
ローマ人への手紙 14章4~11節
"他人のしもべをさばくあなたは何者ですか。しもべが立つか倒れるか、それは主人次第です。しかし、しもべは立ちます。主は、彼を立たせることがおできになるからです。
ある日を別の日よりも大事だと考える人もいれば、どの日も大事だと考える人もいます。それぞれ自分の心の中で確信を持ちなさい。
特定の日を尊ぶ人は、主のために尊んでいます。食べる人は、主のために食べています。神に感謝しているからです。食べない人も主のために食べないのであって、神に感謝しているのです。
私たちの中でだれ一人、自分のために生きている人はなく、自分のために死ぬ人もいないからです。
私たちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死にます。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。
キリストが死んでよみがえられたのは、死んだ人にも生きている人にも、主となるためです。
それなのに、あなたはどうして、自分の兄弟をさばくのですか。どうして、自分の兄弟を見下すのですか。私たちはみな、神のさばきの座に立つことになるのです。
次のように書かれています。「わたしは生きている──主のことば──。すべての膝は、わたしに向かってかがめられ、すべての舌は、神に告白する。」"
(1) 私自身のものであるとする誤解
①通常、私たちは衣食住を決める自由を持っている
〜よってこのような誤解を生み安い
②時に制限もあるが
独裁国家による自由の制限や、前近代的な奴隷搾取生活
(2) 私自身を持て余してしまうとき
①心や体を思い通りに制御できるのか。
〜自律神経などの不随的働き
②社会通念等によって知らず知らずのうちにコントロールされる場合もある
〜「日」や「食」に関する宗教的戒律下にあった当時のローマ教会
(3) キリスト者は神が所有権となった者
①キリストが死んで甦られたゆえに
〜「生きるにしても死ぬにしても」私は私のものでなくキリストのもの
②神のものは神がお守りになられる
〜その生死に関わること、最期に臨んで責任を取られるのだ
(結論)
キリストは私を捉えられた。
私はキリストのものとなり、キリストが私のものとなった。
今や私の心と体の全てをキリストが所有しておられる。
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「あなたを信じ抜く方」
ルカの福音書 22章24~34節
"また、彼らの間で、自分たちのうちでだれが一番偉いのだろうか、という議論も起こった。
すると、イエスは彼らに言われた。「異邦人の王たちは人々を支配し、また人々に対し権威を持つ者は守護者と呼ばれています。
しかし、あなたがたは、そうであってはいけません。あなたがたの間で一番偉い人は、一番若い者のようになりなさい。上に立つ人は、給仕する者のようになりなさい。
食卓に着く人と給仕する者と、どちらが偉いでしょうか。食卓に着く人ではありませんか。しかし、わたしはあなたがたの間で、給仕する者のようにしています。
あなたがたは、わたしの様々な試練の時に、一緒に踏みとどまってくれた人たちです。
わたしの父がわたしに王権を委ねてくださったように、わたしもあなたがたに王権を委ねます。
そうしてあなたがたは、わたしの国でわたしの食卓に着いて食べたり飲んだりし、王座に着いて、イスラエルの十二の部族を治めるのです。
シモン、シモン。見なさい。サタンがあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って、聞き届けられました。
しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
シモンはイエスに言った。「主よ。あなたとご一緒なら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」
しかし、イエスは言われた。「ペテロ、あなたに言っておきます。今日、鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います。」"
聖書の中心メッセージは何か
神は人を信じられた
エデンの園で。
シナイ山での律法付与の時に。
サタンの挑戦
「人はあなたの信頼に値する者なのか」 ヨブ1章〜2章
確かに人の歴史は神の期待を裏切り、その御顔に泥を塗ってきた。
(2) キリストの戦い
人の代表として神の信頼に応える事
アブラハム、ヨブ、ダニエルなど信仰者としての系譜に置かれている。
ご自分の弟子らを信じ抜かれる事
十字架を前に裏切った彼らをなおも信じた主。
神の愛は人を信じ抜く。
「信」に生きる者とされて
信を失う試練と隣り合わせの私たちの人生
しかし、人には耐え得ない試練はやって来ない〜神の許容範囲。
"主はサタンに言われた。
「では、彼の財産をすべておまえの手に任せる。
ただし、彼自身には手を伸ばしてはならない。」
そこで、サタンは主の前から出て行った。"
ヨブ記 1章12節
私たちが神を信じる以上にキリストは私たちを信頼される
"主はサタンに言われた。「おまえは、わたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように、誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっている者は、地上には一人もいない。」"
ヨブ記 1章8節
(結論)
キリストは値しない私たちを信じておられる。
これを知る時、不真実な私たちに「信」が立ち上がって来る。
そこにキリストとの霊の交流が始まる。
ヨルダンのペトラ
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「生きている者にも、死んだ者にも」
ルツ記 2章17~20節
"こうして、ルツは夕方まで畑で落ち穂を拾い集めた。集めたものを打つと、大麦一エパほどであった。
彼女はそれを背負って町に行き、集めたものを姑に見せた。また、先に十分に食べたうえで残しておいたものを取り出して、姑に渡した。
姑は彼女に言った。「今日、どこで落ち穂を拾い集めたのですか。どこで働いたのですか。あなたに目を留めてくださった方に祝福がありますように。」彼女は姑に、だれのところで働いてきたかを告げた。「今日、私はボアズという名の人のところで働きました。」
ナオミは嫁に言った。「生きている者にも、死んだ者にも、御恵みを惜しまない主が、その方を祝福されますように。」ナオミは、また言った。「その方は私たちの近親の者で、しかも、買い戻しの権利のある親類の一人です。」"
(1) 恵みは生きている者にのみ与えられるのか
①私たちの陥る錯覚〜順境のときには神は愛であると感じ逆境には神はいないと感じる
②だが、私たちの知らない所でも神の働きは続いている
〜目に見えないのでこのことをなかなか信じることができない
(2)死んだ者にも与えられた恵みがあった
①ルツの例。死んだも同然な姑のナオミとの今日の生活生活、その境遇。
「"私は出て行くときは満ち足りていましたが、主は私を素手で帰されました。どうして私をナオミと呼ぶのですか。主が私を卑しくし、全能者が私を辛い目にあわせられたというのに。」"
ルツ記 1章21節
②人から見捨てられ、失望の中で死んでいたこの私にも恵みは届けられた。
逆境にあって神の愛を感じられず見えないが、信頼を構築する好機となる。
(3) キリストが死なれ、その後復活された理由
① 神のなさる事は人の想像を超える
"キリストが死んでよみがえられたのは、死んだ人にも生きている人にも、
主となるためです。" ローマ人への手紙 14章9節
②この死んだにも等しいものにも神の霊が吹き込まれ
再び起こしてくださる方がおられる。
(結論)
あなたは今生きているのか〜その幸ではなくそれを与えられた神を喜ぼう
あなたは今死んでいるのか〜そのあなたを甦らすことができる神への信頼を与えられる時だ
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「キリストの言葉がもたらす革新」
ヨハネの福音書 6章60~65節
"これを聞いて、弟子たちのうちの多くの者が言った。「これはひどい話だ。だれが聞いていられるだろうか。」
しかしイエスは、弟子たちがこの話について、小声で文句を言っているのを知って、彼らに言われた。「わたしの話があなたがたをつまずかせるのか。
それなら、人の子がかつていたところに上るのを見たら、どうなるのか。
いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話してきたことばは、霊であり、またいのちです。
けれども、あなたがたの中に信じない者たちがいます。」信じない者たちがだれか、ご自分を裏切る者がだれか、イエスは初めから知っておられたのである。
そしてイエスは言われた。「ですから、わたしはあなたがたに、『父が与えてくださらないかぎり、だれもわたしのもとに来ることはできない』と言ったのです。」"
(1) 人を生かす切り札
人は食物を摂取して肉体的生命を維持している。
同様にもう一つの隠された命を支えるのは、
主イエスの肉であり血を食する者であると言う。
「これはひどい言葉だ」として多くのユダヤ人らは去っていった。
主の比喩的なお言葉を理解できないでいる。
食するのと同様な実存的な帰依・親炙がモチーフとされている。
(2)霊であり命
命を根本的に支えているのは肉体ばかりではない〜そこには心理的または霊的な要因があり、現代科学でも証明されている。(例)プラシボー効果。
言葉と霊との関係。
主のお言葉には霊の力があり、そのお言葉を受ける者には御霊の働きに預かる。
(例)日本古来からも同様のアイディアがある〜言霊
(3) 父なる神に至らせる
① 主はやがてもといたところに上られる(62)=父のおられるところに帰られる
主のお言葉を受け入れたもの達を父のところに導かれる。
②その啓示に預かり主のお言葉を受けるのも父なる神の意思によるもの(65)
(結論)
主イエスのお言葉を通じて私自身にも御霊が働くものにしてもらおう。
その働きは私たちをして父なる神の御下へと導く。
そのように御父は当初より意図されて私を招いておられるのだから。
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「あなたの友となられたイエス」
ヨハネの福音書 15章13~16節
"人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。
わたしが命じることを行うなら、あなたがたはわたしの友です。
わたしはもう、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべなら主人が何をするのか知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。父から聞いたことをすべて、あなたがたには知らせたからです。
あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。それは、あなたがたが行って実を結び、その実が残るようになるため、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものをすべて、父が与えてくださるようになるためです。"
(1) 友としての人材選抜
もしあなたがビジネスのパートナーを選ぶとすれば誰を選ぶか
・いざとなったときに自分を見捨て裏切りそうな人?
・仲間の言葉を信じない人?
・感情的に激昂し理性的判断ができない人?
キリストが友として選んだ人たちはそのような者たちだった
・ペテロ〜3度も主を否定した
・トマス〜復活の主に出会ったと言う他の弟子たちの証言を信じなかった
・マグダラのマリヤ〜7つの悪霊に取りつかれ理性的判断のできない女性だった
(2) 友に託された行くミッション
①復活された主は彼らと個人的に出会い、優しくセラピーをされた
・ペテロ〜3回、わたしを愛するかと尋ねられた(ヨハネ21:15、16、17)
・トマス〜指を、手を肉体の傷跡に着けよと(ヨハネ20:25、27)
・マグダラのマリヤ〜すがりつくことを許されなかった(ヨハネ20:17)
②そして3人の各人には各人なりのミッションが託された
・ペテロ〜3回、わたしの羊を飼いなさい=初代教会の監督への召し
・トマス〜信じないものにならないで信じるものになれ=インドへ宣教し福音の東回りへの道を
・マグダラのマリヤ〜他の弟子たちに伝えよ=復活の主の最初の目撃証言者
(3) 彼らを共として信じ抜かれた主イエス
① 彼らは相性が尽きるほどの不確かな者たちだった
世間的標準で見たら決して一流企業には採用されないだろう彼ら
② あえてそのような者たちを選んで、その上信じ抜かれた主
同様に私たちを友とし選ばれた主は、私たちと共に歩き、
私が歩けない時は背負ってくださる。
(結論)
私が主を選んだのではない〜自分自身ではなく、あてのないこの自分を信じ抜かれたキリストを見上げよう。
そして私もまた信仰の友を信じよう〜その人もまた主が信じていらっしゃるのだから。
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「人の本質を決するもの」
ヨシュア記 1章1~9節
"主のしもべモーセの死後、主はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに告げられた。
「わたしのしもべモーセは死んだ。今、あなたとこの民はみな、立ってこのヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの子らに与えようとしている地に行け。
わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたが足の裏で踏む場所はことごとく、すでにあなたがたに与えている。
あなたがたの領土は荒野からあのレバノン、そしてあの大河ユーフラテス川まで、ヒッタイト人の全土、日の入る方の大海までとなる。
あなたの一生の間、だれ一人としてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしはモーセとともにいたように、あなたとともにいる。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。
強くあれ。雄々しくあれ。あなたはわたしが父祖たちに与えると誓った地を、この民に受け継がせなければならないからだ。
ただ強くあれ。雄々しくあれ。わたしのしもべモーセがあなたに命じた律法のすべてを守り行うためである。これを離れて、右にも左にもそれてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたが栄えるためである。
このみおしえの書をあなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさめ。そのうちに記されていることすべてを守り行うためである。そのとき、あなたは自分がすることで繁栄し、そのとき、あなたは栄えるからである。
わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたの神、主があなたとともにいるのだから。」"
(1) あなたは強く雄々しい戦士であれ(6、7、9)
①イスラエルの人々にとっては未経験の領域。
エジプトでは奴隷状態、荒野にあっては放浪者
②悪魔の策略に立ち向かう戦士である
エペソ6:11-16。神の与える武具を取って戦え。
(2)あなたには勝利が約束されている
Abrahamに約束されている領土の領有(4)
先住民との戦いにおいて「立ちはだかるものはいない」(5)
本当にそうか?この後の良光にはそれとは異なる戦争と時には敗北が記されている。
神はご自身の視座と評価、そのタイムテーブルから語られる。
不可解な私どもの生涯においても最善を約束しておられる。
"「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、
人の心に思い浮かんだことがないものを、
神は、神を愛する者たちに備えてくださった」
と書いてあるとおりでした。"
コリント人への手紙 第一 2章9節
(3) あなたにはパラプレートス(助け主・助言者)がおられる
① 律法の書を昼も夜も絶えず口ずさみ、守り行え(7-8)
② 新約時代にあってこの律法に代わるものが主イエスの御霊である。
"しかし、自由をもたらす完全な律法を一心に見つめて、それから離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならず、実際に行う人になります。こういう人は、その行いによって祝福されます。"
ヤコブの手紙 1章25節
"イエスは、ご自分を信じたユダヤ人たちに言われた。
「あなたがたは、わたしのことばにとどまるなら、本当にわたしの弟子です。
あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」"
ヨハネの福音書 8章31~32節
"そしてわたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。
この方は真理の御霊です。世はこの方を見ることも知ることもないので、受け入れることができません。あなたがたは、この方を知っています。この方はあなたがたとともにおられ、また、あなたがたのうちにおられるようになるのです。"
ヨハネの福音書 14章16~17節
(結論)
他者の評価によるのでなく自分で決めつけた自己像でもなく、
神が語られるあなたへの言葉、そこに本質がある。
そのお言葉に自らの人生を築いて行こう。
ホサナキリスト教会日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「あなたの家に泊まることにしてあるから」
ルカの福音書 19章1~10節
"それからイエスはエリコに入り、町の中を通っておられた。
するとそこに、ザアカイという名の人がいた。彼は取税人のかしらで、金持ちであった。
彼はイエスがどんな方かを見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。
それで、先の方に走って行き、イエスを見ようとして、いちじく桑の木に登った。イエスがそこを通り過ぎようとしておられたからであった。
イエスはその場所に来ると、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。わたしは今日、あなたの家に泊まることにしているから。」
ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。
人々はみな、これを見て、「あの人は罪人のところに行って客となった」と文句を言った。
しかし、ザアカイは立ち上がり、主に言った。「主よ、ご覧ください。私は財産の半分を貧しい人たちに施します。だれかから脅し取った物があれば、四倍にして返します。」
イエスは彼に言われた。「今日、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。
人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。」"
断ち切られた関係
高校生の銃乱射による21名の生徒と教師の死亡例
高校生の追い詰められた孤独と恐怖、それによる抑えられない怒りと鬱積
ザアカイが置かれていた孤独
地位と高収入があってもなお満たされない心
(2)訪ねて来られる主イエス
①ザアカイとの関係を求めて声をかけられた
初対面にかかわらず個人名を呼ばれたイエス。
中東世界で宿泊客になるとは特別な親しい関係のこと
②神は今も私たちを訪れ声をかけられる
「あなたはどこにいるのか」(エデンの園で物陰に隠れているアダムに対して)
⑶永遠の世界が今この時訪れる
① 主イエスはご自身の王国を確立させるために来られた
私の心にそして私の住む世界に〜私たちが落胆したとしてもその関係は永久に保持される
②今のこの私に永遠の世界が訪れる
主が私のところに来られるなら新しい世界が広がる
(結論)
主は誠を持って私の名を呼ばれた。
その誠はご自身の血を流すほどの犠牲を伴うものであった。
今私たちは誠を持って主に応答しよう。
「あなたの前を歩ませ、いのちの光を照らしてください」と祈ろう。
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「あなたの手を握る」
イザヤ書 42章1~6節
"「見よ。わたしが支えるわたしのしもべ、わたしの心が喜ぶ、わたしの選んだ者。
わたしは彼の上にわたしの霊を授け、彼は国々にさばきを行う。
彼は叫ばず、言い争わず、通りでその声を聞かせない。
傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる灯芯を消すこともなく、
真実をもってさばきを執り行う。
衰えず、くじけることなく、ついには地にさばきを確立する。
島々もそのおしえを待ち望む。」
天を創造し、これを延べ広げ、地とその産物を押し広げ、その上にいる民に息を与え、
そこを歩む者たちに霊を授けた神なる主はこう言われる。
「わたし、主は、義をもってあなたを召し、あなたの手を握る。
あなたを見守り、あなたを民の契約として、国々の光とする。"
(1) 手を握られる神
親に手をつないでもらう時
子供はつまずいても転ぶ事はない。
手を繋ぐ相手との関わりは十全で、他のことができなくなる。
神は私の手を握られると言う
神はご自身のすべてを投げ出して私たち一人ひとりに関わろうとされる
(2)義を持ってあなたを召した
①あなたは神に召し出され、神に属するものとされた(ヨハネ15:16)
私が主イエスを選んだのではなく、主イエスが私を選ばれた
② そのカラクリは神の「義」にある
人を救うべく実行される神の行動のこと
〜その究極は主イエスの十字架による贖いにある
⑶あなたを契約とし、光とする
① 聖書にある契約はすべてユダヤ人に対して与えられたもの
その契約を締結、執行、完徹されるのが主イエスであられた
②その祝福はあらゆる諸民族にとっての光となる
ユダヤ人に与えられている契約に私たちは継木された霊的異邦人である
(結論)
私たちの手は弱くなることがある。
自らの信仰の力で神を把握することに限界を感じることもある。
しかし主イエスの手は弱まることなく、永遠に私たちを握り続けてくださっている。
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