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「良い羊飼いなる主」

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「良い羊飼いなる主」


ホサナキリスト教会日曜礼拝のメッセージアウトラインです。


「良い羊飼いなる主」


ヨハネの福音書 10章7~15節



"そこで、再びイエスは言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしは羊たちの門です。
わたしの前に来た者たちはみな、盗人であり強盗です。羊たちは彼らの言うことを聞きませんでした。
わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら救われます。また出たり入ったりして、牧草を見つけます。
盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかなりません。わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため、それも豊かに得るためです。
わたしは良い牧者です。良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます。
牧者でない雇い人は、羊たちが自分のものではないので、狼が来るのを見ると、置き去りにして逃げてしまいます。それで、狼は羊たちを奪ったり散らしたりします。
彼は雇い人で、羊たちのことを心にかけていないからです。
わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っており、わたしのものは、わたしを知っています。
ちょうど、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じです。また、わたしは羊たちのために自分のいのちを捨てます。"


(1)個別理解を持つ方


①個人名を呼ばれた(3)
福音のメッセージを聞いて反応できた理由。
主に名前を呼んでいただいたから。

②なぜなら私を知っておいでになられるゆえに(14-15)
父とイエスの関係レベル程に私たちをご存知であられる。
さらに私たちもまたそのレベル程に主を知り得るようになる。


(2)命を捨てられた方(11)


①雇い人との違い〜命を捨てる覚悟があるかないか。
便益のために羊を管理するのが雇い人。

② 命を捨てた羊飼い〜歴史的事実
主は言葉だけでなく実行された。


⑶羊の祝福のために存在している方(10)


①名を呼ばれ、自ら命を犠牲にされ(18)、そして復活された(18)のは、私たちが命を得るため。
その命とは神的な命、ヨハネ流には「永遠の命」。

②さらに豊かに持つため(10)
クリスチャンの成長とはすなわち命の漸進的な充実。


(結論)


"主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させいこいのみぎわに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ御名のゆえに私を義の道に導かれます。"
詩篇 23篇1~3節

主はご自身の命を捨ててまで私どもを生かし、緑の牧場と憩いの水のほとりにまで導かれる方である。この真の羊飼いになる方の声を聞け分けよう。

#メッセージ

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Central theme of the Bible

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Central theme of the Bible



As we grasp the whole picture of the Bible as we interpret and peruse it in its literal sense, we come to realize that the entire vast volume of the Bible is also a single unified and harmonious book.

There are two main theological systems by which evangelicals organize the entire Bible volumes.

* Covenant Theology - This is the mainstream and is adopted by most denominations.
* Dispensational - It is in the minority and, as you may have noticed, is the author's position.

❶ Central themes of the Bible as understood by covenant theology.

It is the salvation of man.
It is the only way for the glory of God to be manifested in man's salvation.
And he understands the spread of the Kingdom of God as the spread of the Church Christian power.Augustine's "Kingdom of God" was written at that point in time about the struggle against secular power.Therefore, the plan of redemption is the principle that harmonizes and unifies the entire Bible.

* Its hermeneutics
They try to read the Old Testament around the cross of Christ who completed the atonement because human salvation must be the center of it.
It is right to use the New Testament to understand the Old Testament.But it is wrong to impose the New Testament on the Old Testament.The effect is to take the revelation of the New Testament and apply it to the Old Testament and read it into the Old Testament.
As a result, the Bible is interpreted figuratively, and its meaning is determined by the figurative interpreters.

*The Church Theory of it
Some say that the church began with Adam and others say that the church began with Abraham.This is an unreasonable interpretation of the result of adopting the "one God's people theory" that the people of God are the church.Thus, Israel today is already excluded from the "chosen people".In the transition from the Old to the New Testament era, it adopts a replacement theology, which says that the people of God have been replaced by the church from Israel.

* That theory of salvation
He states that the faith is one and the same.
That is, they assume that the saints of Old Testament times were also saved by the cross and resurrection of Christ.In some divine way they are deemed to have known.
He explains, "The saints of Old Testament times waited for the cross, and the saints of New Testament times looked back to the cross for salvation.”

❷ The central theme of the Bible as understood by Dispensations.

*That it is the glory of God.
Human salvation is certainly a central theme as well, but it is not the only one.The created world was already complete before man was created on the sixth day of creation.Adam's fall brought the negative effects of sin and death upon the whole creation, but the redemption of the whole creation, and the glory of God shining in it, is the theme of the Bible.
"Even the creation itself is freed from the bondage of destruction and is set free in the freedom of the glory of God's children.
We know.All of creation is groaning together and suffering in childbearing together until now."
Romans 8:21-22

*The benefits of recognizing "the glory of God" as a Bible-centric theme
There will be continuity and harmony between the Old and New Testaments.
There will be no need to read into the Old Testament at all for the full atonement of Christ and its revelation.

There will be continuity and harmony between the Old and New Testaments.

The three basic pillars of dispensationalism by Riley.
(1) Consistent literal interpretation.
The important point is "consistent.Covenant theology interprets certain parts of Israel and eschatology figuratively.In dispensations, any part of the Bible is interpreted literally.

(2) The distinction between Israel and the church.
The Bible clearly distinguishes between the two.In other words, there are two kinds of people of God, Israel and the church, each with its own separate plan of salvation.

(3) The central theme of the Bible is the glory of God.
In other words, the ultimate goal of the Bible is that the whole world is affected by the Fall and destroyed, but the glory of God will be restored to the state of the Garden of Eden that it was in at the time of creation and the glory of God will fill the whole world.The salvation of man is only one part of it.Salvation (the restoration of the whole world) is completed in the second coming of Christ to sit on the throne of Jerusalem and rule the whole world, rather than the expansion of the Christian church's power to save the world.
#メッセージ

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聖書の中心テーマについて

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聖書の中心テーマについて
聖書を字義通りに解釈し熟読していく中でその全体像を把握していくと、膨大な聖書全巻も1つの統一性・調和性を持った書物であることに気がつくようになる。

福音派が聖書全巻を整理する神学体系には、主に2つのものがある。

*契約神学〜主流派であり、ほとんどの教派・教団が採用している。
*ディスペンセイション〜少数派であり、お気づきのように著者の立場である。

❶契約神学の理解する聖書の中心テーマ

*それは人間の救いであるとする。
人間の救いを神の栄光が現れる唯一の方法だとする。
そして神の国の広がりを教会キリスト教会勢力の広がりであると理解する。アウグスティヌスの「神の国」はその時点で世俗権力との抗争を書いたもの。よって贖いの計画が聖書全体を調和統合する原則としている。

*その解釈学
人間の救いが中心でなくてはならないので贖いを完成したキリストの十字架を中心に旧約聖書を読み込もうとする。
旧約聖書を理解するために新約聖書を用いるのが正しいことである。しかし新約聖書を旧約聖書に押し付けるのは間違っている。新約聖書の啓示を持って旧約聖書に当てはめ、読み込もうと言う作用が働いている。
結果、聖書の比喩的解釈が行われ、その意味するところは比喩的解釈者によって決定させられている。

*その教会論
ある人はアダムから教会が始まり、またある人はアブラハムから教会が始まったとされている。神の民とは教会であると言う「1つの神の民論」を採用した結果の無理な解釈である。よって、現在のイスラエルは「選ばれた民族」から既に除外されていることになっている。旧約から新約時代の変遷において、神の民がイスラエルから教会に置き換わったと言う置換神学を採用している。

*その救済論
信仰の内容は1つで同じだとしている。
つまり旧約時代の聖徒たちもキリストの十字架と復活によって救われたのだとする。何らかの神的な方法で彼らは知っていたとみなす。
「旧約時代の聖徒たちは十字架を待ち望み、新約時代の聖徒たちは十字架を振り返って救いを得ている」と説明している。

❷ディスペンセイションの理解する聖書の中心テーマ。

*それは神の栄光であるとする。
人間の救いも確かに中心的なテーマではあるが、そればかりではない。人間が創造の6日目につくられる前にすでに創造世界は完成していた。アダムの堕落によって罪と死の悪影響が全被造物に及んだが、その全被造物の贖い、そこに輝く神の栄光が聖書のテーマである。
"被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由にあずかります。
私たちは知っています。被造物のすべては、今に至るまで、ともにうめき、ともに産みの苦しみをしています。"
ローマ人への手紙 8章21~22節

*「神の栄光」を聖書中心テーマであると認識する利点
旧約聖書と新約聖書の継続性と調和が生まれる。
キリストによる十全な贖いとその啓示を、旧約聖書に読み込む必要は全くなくなる。

緒契約の間の継続性と調和が生まれる。

*ライリーによるディスペンセイショナリズムの3大基本柱。
①一貫した字義通りの解釈
「一貫した」が大切な点。契約神学ではイスラエルや終末論のある部分を比喩的に解釈する。ディスペセイションでは聖書のどの部分も字義通りに解釈する。

② Israelと教会の区別。
聖書は明確にこの両者を区別している。つまり神の民にはイスラエルと教会の2つがあり、それぞれに別個の神の救いの計画がある。

③聖書の中心テーマは神の栄光である。
つまり全世界が堕罪の影響受け滅び行くものとなっているが、創造当初のエデンの園の状態に回復されて神の栄光が全世界に満ちることが聖書の最終ゴールであるとする。人間の救いはその中の1部に過ぎない。キリスト教会の勢力拡大が世界を救うのではなく、キリストが再臨してエルサレムの王座に座し、全世界を統治することにおいて救い(自然界の回復)が完成する。
#メッセージ

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「エリムの憩い」

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「エリムの憩い」


ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。



「エリムの憩い」


出エジプト記 15章23~27節


"彼らはマラに来たが、マラの水は苦くて飲めなかった。それで、そこはマラという名で呼ばれた。
民はモーセに向かって「われわれは何を飲んだらよいのか」と不平を言った。
モーセが主に叫ぶと、主は彼に一本の木を示された。彼がそれを水の中に投げ込むと、水は甘くなった。主はそこで彼に掟と定めを授け、そこで彼を試み、
そして言われた。「もし、あなたの神、主の御声にあなたが確かに聞き従い、主の目にかなうことを行い、また、その命令に耳を傾け、その掟をことごとく守るなら、わたしがエジプトで下したような病気は何一つあなたの上に下さない。わたしは主、あなたを癒やす者だからである。」
こうして彼らはエリムに着いた。そこには、十二の水の泉と七十本のなつめ椰子の木があった。そこで、彼らはその水のほとりで宿営した。"


(1)人生の旅路


①荒野への旅程
紅海横断の輝かしい勝利(1-21)
三日間のシェルの荒野への旅程
飲料水の不足

②私たちの歩みも荒野の旅路
勝利〜困難〜エリムの泉(安息)
日曜礼拝は安息の時である


(2)モーセは主に叫んだ(25)


①マラ(苦味)のただ中にあって、問題を持っていく所を知っていた
イスラエルの民の訴えに対し彼自身の内には応える資源は無い

② 主は応答をされた(25b)
「おきてと定めを授け」〜み言葉を通して主は語られる
「彼を試みられた」〜信仰的応答は机上の学びからではなく実際の試練の中から習得する


⑶エリムの憩い


①荒野の旅路でのオアシス
12の泉、70本のナツメヤシの木〜民全体を潤すに十分な資源
そこには供給と休息、霊的刷新があった

②この休息と刷新は次なる荒野への準備となる
シンの荒野へ(16:1-2)


(結論)


「わたしは主、あなたを癒すものである」(26)
安息と新しい学びに招かれる主イエス(マタイ11:28)。
イエスの十字架は、苦味を甘みに変える場であり、
安息と刷新とを与える場である。
"すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。"
マタイの福音書 11章28~29節







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聖書を字義どおりに解釈する祝福

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聖書を字義どおりに解釈するべき理由


❶解釈の目的からして必要なことゆえ

神はご自身を聖書著者を通じて啓示された。
その啓示の内容は一貫している字義通りの解釈でなくては明らかとならない。
主観的解釈は解釈者を聖書の上に置くことにつながる。


❷あらゆる種類のコミニケーションに調和しているゆえ
恣意性排除して最も自然な意味に取る解釈法が字義通りの解釈。
それは文脈を重視して解釈する方法。
比喩は比喩として解釈する。
学者の間では「歴史的・文法的解釈」と呼ばれているものである。


❸それは聖書の権威、また究極の著作者である神の権威を認めることに繋がるゆえ

聖書解釈は、
意味の汲み取りであり(exegetical)
意味を読み込むこと(eisegetical)ではない。

聖書は帰納的に読むべきであり(inductive)
演繹的であってはならない(deductive)。

帰納法とは、数多くのテキストの意味を発見し、そこから調和ある神学を構築すること。
演繹法とは、まず枠組みとなる1つの神学体系があり、それに調和するために各テキストの意味を確定していくもの。

字義どおりの解釈法は、聖書の意味を汲み取ること(帰納法)で聖書の権威に伏している。
意味の読み込みや押し付けは、その解釈者が聖書よりも優位に立っていることを意味している。
#メッセージ

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聖書解釈逸脱の歴史

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聖書解釈逸脱の歴史 聖書解釈逸脱の歴史 聖書解釈逸脱の歴史 聖書解釈逸脱の歴史


聖書神学とその解釈学の発展段階においてギリシャの影響を見逃わけにはいかない。
と言うよりも、ギリシア文化とその哲学に正当な聖書解釈が飲み込まれてきたと言っても過言ではないと思う。
アレキサンダー大王が地中海を内海とする中近東一帯を征服・統一して以来、ギリシャ文化はユダヤの伝統や文化を凌駕してきた。

ディアスポラのユダヤ人最大都市であるアレキサンドリアで旧約聖書が初めて外国語に翻訳されたが、それはもちろんギリシャ語であった。
70人訳と呼ばれているそのギリシャ語訳旧約聖書は、より古い写本が発見管理されていることから今日でも時に原典ヘブライ語聖書よりも権威があり、信憑性あるとみなされる。
そして新約聖書は当初からギリシャ語で記されている。

❶アレキサンドリアのフィロン(BC.20-BC50)
聖書解釈する際にギリシャ哲学を根本とした手法を用いた。
さらにユダヤ的思想とギリシャ哲学を融合させるための比喩派解釈を採用している。

❷殉教者ユスティノス(100-165)
著作の「ユダヤ人トリュフォンとの対話」の中で聖書を既に比喩的に解釈している。

❸オリゲネス((185-254)
フィロンの聖書解釈法を採用・発展させ、1つの聖句には3重の解釈が可能であると主張した。
*字義どおりの解釈
*道徳的霊的解釈
*比喩的解釈
彼は文字通りの千年期前再臨説を放棄してキリストの再臨を比喩的に解釈した。
つまりキリスト信者となるときに、キリストがその人の内に臨まれるので、それが再臨であると解釈した。

❹アウグスチヌス(354-430)
2面的解釈を採用した。
*予言の部分は比喩的に解釈する。
*それ以外の箇所は字義どおりに解釈する。
アウグスチヌスほど西方教会に大きな影響を及ぼした神学者はいない。
この聖書解釈法がローマカトリック教会の手法となり決定的なものとなった。
聖書解釈を逸脱させた最大の戦犯である。

❺ 16世紀の宗教改革者たち
聖書の多くの部分を字義どおりに解釈する運動であった。
よって善行ではなく信仰義認、万人祭司主義と言う本来の教理を復活させた。
しかし予言箇所とIsraelに関しては比喩的解釈のままを維持した。
つまりそれはアウグスチヌスによる2面的解釈の継続である。

❻第二世代の宗教改革者たちに聖書解釈の復興の芽生えが見える。
ジョセフ・ミード(1586-1638) :イギリスの聖公会神学者
1世紀から3世紀においての教会歴史の初期の時代は、千年期前再臨説が正統的な信者の間で最も支持を集めたものであった。それは「キリアズム」呼ばれ、多くの教会教父たちが証言するところである。長い間教会史から忘れ去られていたこのキリアズムを採用したのがジョセフ・ミード。

❼特にイギリスにおいて18世紀になるとこのキリアズムの復興が顕著となる。

*神の霊感と聖書の権威に対する信頼が土台である
*健全な聖書研究が広がった
*聖書本文の字義どおりの解釈の結果である
*復興したこの千年期前再臨説はその後20世紀まで続く根本主義運動における主要な役割を果たした。

❽ イギリスで復興したこの千年期前再臨説は、19世紀の第3四半期には米国で広まるようになった。
*D.L.ムーディ
*RA トーレー
*ビリー・サンディ
*ATピアソン
*ABシンプソン
*CIスコフィールド

The influence of Greece in the development of biblical theology and its hermeneutics cannot be overlooked.
Rather, I don't think it's an exaggeration to say that legitimate biblical interpretation has been swallowed up by Greek culture and its philosophy.
Ever since Alexander the Great conquered and united the entire Middle East, with the Mediterranean Sea as an inland sea, Greek culture has surpassed Jewish traditions and culture.

In Alexandria, the largest Jewish city in the Diaspora, the Old Testament was first translated into a foreign language, but it was, of course, in Greek.
The Greek translation of the Old Testament, known as the translation by 70, is still sometimes regarded today as more authoritative and authentic than the original Hebrew Bible, as older manuscripts have been found and maintained.
And the New Testament has been written in Greek from the beginning.

❶ Philon in Alexandria (BC20-BC50)
In interpreting the Bible, he used a method based on Greek philosophy.
In addition, he adopted a metaphorical interpretation to combine Jewish and Greek philosophy.

❷ Justinos the Martyr (100-165)
He has already interpreted the Bible figuratively in his work "Conversations with the Jewish Truffon

❸Origenes (185-254)
Adopting and developing Philon's biblical hermeneutic, he argued that a threefold interpretation of a single verse is possible.

*Literal interpretation.
* Moral and Spiritual Interpretation
*Figurative interpretation

He abandoned the literal pre-millennial second coming theory and interpreted the second coming of Christ figuratively.
In other words, he interpreted it as the Second Coming because Christ will come in him when he becomes a Christ-follower.

❹Augustine (354-430)
He adopted a two-sided interpretation.
The prophetic part is to be interpreted figuratively.
The rest of the passage is to be interpreted literally.
No theologian has had a greater influence on the Western Church than Augustine.
This method of biblical interpretation became the method of the Roman Catholic Church and was decisive.
He was the greatest criminal who deviated from biblical interpretation.

❺ The 16th century religious reformers.
It was a movement to interpret many parts of the Bible literally.
Thus, it revived the original doctrine of justification by faith and all-priestcraft.
But with regard to the prophecies and Israel, it maintained a figurative interpretation.
In other words, it is a continuation of the two-sided interpretation by Augustine.

❻The germ of a revival of biblical interpretation can be seen in the second generation of religious reformers.
Joseph Mead (1586-1638):English Anglican theologian.
In the early years of church history, from the 1st to 3rd centuries, the theory of the pre-millennial second coming was the one that gained the most support among the orthodox believers.It was called "Chiliasm" and is attested to by many of the Church Fathers.Joseph Mead was the one who adopted this Chiliasm, which had long been forgotten by church history.

❼ Especially in England, in the eighteenth century, this revival of Chiliasm became remarkable.

*The inspiration of God and trust in the authority of the Bible are the foundations
* Sound Bible study has expanded.
*It is the result of a literal interpretation of the text.
*The restored theory of the pre-millennial second coming played a major role in the fundamentalist movement that continued into the 20th century.

❽The pre-millennial second coming theory, which had been revived in England, became widespread in the United States in the third quarter of the 19th century.

*D.L. Moody.
RA Torrey
Billy Sandy
AT Pearson
AB Simpson
CI Scofield
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「神学とは聖書解釈である」

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「神学とは聖書解釈である」 「神学とは聖書解釈である」 「神学とは聖書解釈である」 「神学とは聖書解釈である」 「神学とは聖書解釈である」


本日午後、広大な芝生の公園で息子と1対1のサッカーのゲームをした。
2回戦とも10対3ほどで負けた。
彼の絶妙な足技、その巧みなボールコントロールのトリックに煙に巻かれたようにして抜き去られてしまう。

これを父親の力や権威の失墜と見るか、
息子の成長を喜ぶか、解釈次第である。

高台に着いた時、落日の半分ほどが水平線上に顔を残していた。
夕日を見て1日の終わりに寂寥感を感じるか、
1日を終えた安堵感を抱くか。
これも各人による解釈による。

ユダヤでは聖書時代も今日も、1日の始まりは日没から始まる。
そして翌日の日没でその日が終わる。
安息日とは、金曜の日没から土曜日の日没の24時間である。

iPhoneが使えない数日間、運転中はアナログに戻ってCDを聴いた。
ハーベストタイムミニストリーズによる「聖書解釈の逸脱と回復」(2018年聖書フォーラムキャンプ)。

中川健一先生の講義は、単純な言葉で深いことを突き刺さして歯切れが良い。
「神学とは解釈学である。
解釈学とは神学である」

キリスト教界には、特に終末論において様々な神学がある。
よって解決のつかない泥沼にハマった議論として揶揄されて、政治の世界にも使われてきた。
かつて前小泉純一郎首相が安保法案を審議中の国会で、
「神学論争はしません。常識で行きましょう」といった言葉が思い出される。

なぜ同じ聖書から様々な神学が派出してきたのか。
それは聖書をどう解釈するか、各人がまちまちであるからだ。

各人が感じたことを主観的に解釈するなら、10人が10通りの解釈ができてしまう。
聖書を解釈する際には、踏み外してはならない原則があり法則があると言う。


〜福音的聖書解釈とは〜

①聖書は1人の理性(人格)の作品である。
②約40人の人間の聖書記者がいるが、究極の著者は神である。
③それで正しい聖書解釈が体系的で調和ある神学を生み出す。
④正しい聖書解釈とは字義どおりの解釈である。
⑤字義どおりの解釈の結果生まれてくるのが、ディスペンセーションナリズムである。


___________________________________________________________________



字義どおりの解釈とはどういうことか?
難解なところ、特に預言の聖句はこれまで比喩的解釈が施された。
字義どおりの解釈でなく、比喩的・霊的解釈をどれほど施しているかによって、貴方の正当な神学からの逸脱距離が測られる。

これら最後の3センテンスは、私が独自にまとめたものです。
このセミナーCDから学んだことをしばらく続けて行きます。



This afternoon I played a few games of one-on-one soccer with my son in a huge grassy park.
I lost both games by about 10-3.
His exquisite footwork, his deft ball control tricks, smoked me out and he left me behind all the time.

Do I see this as a loss of his father's power and authority?
Do I rejoice in my son's growth?
It's up to me how to interpret it.

When I reached the high ground, half of the falling sun had left its face on the horizon.
I could look at the sunset and feel a sense of desolation at the end of the day, or
Do I feel a sense of relief at the end of the day?
This, too, is up to each person's interpretation.

In Judaism, in biblical times as well as today, a day begins at sunset, and the next day ends at sunset.
The Sabbath is the twenty-four hour period between sunset on Friday and sunset on Saturday.

For a few days when my iPhone didn't work, I went back to analog world and listened to CDs while driving.
“Deviations and Restoration of Biblical Interpretation" by Harvest Time Ministries (2018 Bible Forum Camp).

Dr. Kenichi Nakagawa's lecture was so crisp, using simple words to pierce the deepest things.

”Theology is hermeneutics.
Hermeneutics is theology.”

There is a variety of theologies in Christian world, especially in eschatology.
It has therefore been derided as a debate mired in an unresolvable quagmire, and has been used in politics as well.
Former Prime Minister Junichiro Koizumi once said in the Diet during the debate on the security bill.
‘We won't have a theological debate.Let's go with common sense.’

Why have so many different theologies emanated from the same Bible?
It's because each person has his or her own interpretation of the Bible.

If each person subjectively interprets what he or she feels, then ten people can interpret it in ten different ways.
When interpreting the Bible, there are principles and laws that should not be overstepped.


~What Is the evangelical biblical interpretation?

(1) The Bible is the work of one GOD reason (personality).
(2) There are about 40 human Bible reporters, but the ultimate author is God.
(3) So a correct interpretation of the Bible produces a systematic and harmonious theology.
⑷Correct biblical interpretation is a literal interpretation.
⑸Dispensationalism is the result of literal interpretation.


___________________________________________________________________ ...



What does it mean to interpret the word literally?
Difficult places, especially prophetic passages of scripture, have been given a figurative interpretation so far.
The amount of figurative/spiritual interpretation applied, rather than literal interpretation, will determine the distance you deviate from the legitimate theology.

These last three sentences are my own summation of them.
I will continue with what I learned from this seminar CD for a while.








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「あなたの知らない大いなることを」

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「あなたの知らない大いなること... 「あなたの知らない大いなること... 「あなたの知らない大いなること... 「あなたの知らない大いなること... 「あなたの知らない大いなること... 「あなたの知らない大いなること... 「あなたの知らない大いなること...




今日の太陽は特別でした。
これまでの夕焼けは太陽の放つ光が雲に照らされてあかね色に染まったのです。

しかし今日の夕日は日輪自体が絶妙な湿度と雲の作用で赤く染まりました。
ここのポイントからは200回以上夕日を眺めていますが、このようなものは初めての経験です。

創造主のなさる事は特に私たちの思いや想像を超えます。
これまでの私どもの経験則や前例の枠に当てはまらないことがあります。

「こういう症状の時はこちらの薬ねー
こういった家庭環境出身の子はこういう対処の仕方ねー
この国民はこういった考え方をするのよねー
キリスト教って結局、数ある宗教の1つよねー
大統領選でこちらの候補者が勝ったら、社会はこういう風になるわよねー
---------////////」

もちろん時代や社会の趨勢や長年から培われた経験則が大まかの結果を推論することが出来るでしょう。

しかし神に関する限り神のなさることを人間の浅はかな論理や経験で型枠の中に押し込めることは愚かな事です。

ですから私たちは他人の評価やこれまでの前例にとらわれることなく神に新たなことを期待するのです。


"「地を造った主、それを形造って堅く立てた主、その名が主である方が言われる。
『わたしを呼べ。そうすれば、わたしはあなたに答え、あなたが知らない理解を超えた大いなることを、あなたに告げよう。』"
エレミヤ書 33章2~3節


Today's sun was special.
Previous sunsets had been tinted red by the sun's rays, illuminated by the clouds.

Today's sunset, however, the sun's ring itself was reddish due to the perfect humidity and cloud action.
I've watched the sunset more than 200 times from this point and I've never seen anything like this before.

Sometimes the things the Creator does are beyond our thoughts and imagination.
Sometimes they don't fit our rules of thumb or precedent.

"Here's a pill for these symptoms!
Kids from this kind of family background don't have to deal with things like this.
This is the way these nation’s people think!
Christianity is one of many religions, after all!
This is what society will look like if that candidate wins the presidential election!
---------////////

Of course, it is possible to deduce rough results based on the trends of the times, the trends of society, and the rules of thumb we have developed over the years.

However, as far as God is concerned, it is foolish to confine God's actions to a framework based on shallow human logic and experience.

Therefore, we can expect God to do something new without the judgment of others or the precedents of the past.


“This is what the LORD says, he who made the earth, the LORD who formed it and established it—the LORD is his name: ‘Call to me and I will answer you and tell you great and unsearchable things you do not know.’
Jer.33:2-3

"「地を造った主、それを形造って堅く立てた主、その名が主である方が言われる。
『わたしを呼べ。そうすれば、わたしはあなたに答え、あなたが知らない理解を超えた大いなることを、あなたに告げよう。』"
エレミヤ書 33章2~3節


Today's sun was special.
Previous sunsets had been tinted red by the sun's rays, illuminated by the clouds.

Today's sunset, however, the sun's ring itself was reddish due to the perfect humidity and cloud action.
I've watched the sunset more than 200 times from this point and I've never seen anything like this before.

Sometimes the things the Creator does are beyond our thoughts and imagination.
Sometimes they don't fit our rules of thumb or precedent.

"Here's a pill for these symptoms!
Kids from this kind of family background don't have to deal with things like this.
This is the way these nation’s people think!
Christianity is one of many religions, after all!
This is what society will look like if that candidate wins the presidential election!
---------////////

Of course, it is possible to deduce rough results based on the trends of the times, the trends of society, and the rules of thumb we have developed over the years.

However, as far as God is concerned, it is foolish to confine God's actions to a framework based on shallow human logic and experience.

Therefore, we can expect God to do something new without the judgment of others or the precedents of the past.


“This is what the LORD says, he who made the earth, the LORD who formed it and established it—the LORD is his name: ‘Call to me and I will answer you and tell you great and unsearchable things you do not know.’
Jer.33:2-3
#アウトドア #メッセージ

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朝毎に新しい主の恵み

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朝毎に新しい主の恵み 朝毎に新しい主の恵み 朝毎に新しい主の恵み 朝毎に新しい主の恵み 朝毎に新しい主の恵み 朝毎に新しい主の恵み


「それは朝ごとに新しい」
〜今朝のデボーションから〜

①この朝も刷新されて[新たな気づき]
目覚めてから呼吸法やストレッチ、そしてレモン水を飲み運動。
いつもの朝のルーティンが始まった朝。単調でマンネリを感じた朝ではあったが、
散歩すれば、空気が新鮮なのと、木立の葉がすでに紅葉しているのに気づいた。
私たちは今日1日のために、またこの瞬間のために新しい恵みが必要です。
私たちの創造主が溢れるばかりの恵みを今日も注いで下さるのです。

②今滅ぼされずに生き延びたではないか[現実を見よ]
この哀歌を残したエレミヤはエルサレムがバビロンによって蹂躙され、老若男女問わず惨殺され、おぞましい現実を目のあたりにした。しかし一握りのものが残されまた捕囚となって連れていかれた。そこにも主の哀れみを見出した。愚かさと罪のゆえに悩みと裁き、呪いにさらされているものであったとしても、今ここに生きているのは、主に生かされているゆえである。

③主の真実は力強い[信仰の根拠を確認せよ]
暗闇に光を待ち望み、新しい朝を待望するのはなぜか。その根拠はどこにあるのか。
自分自身の内にある信心深さによるのか。だとしたらなんとも頼りない。
朝毎に刷新される主の恵みの約束の根拠は、主ご自身の真実によるもの。
主はご自身の命を賭して約束された。
「我が子よ。
わたしがあなたを贖ったのだ。あなたの罪は赦されている。
わたしの命をあなたに与える。あなたは永遠の家に招かれている」
主ご自身の血潮を持って締結された契約が破棄される事は無い。

たった今、オリンピック山脈は朝日を受け、その不動の勇姿を現してくれている。

10日間のアリゾナ・ユタ・モンタナ・アイダホでのキャンプ生活とロードトリップからの帰り道にある娘たちは昨夜、初めてホテルのベッドで一夜を過ごした。キャンプサイトが既にいっぱいだったので深夜過ぎの午前1時半にホテルに駆け込んだのだった。しばらくぶりの快適なベッドで活力を取り戻した彼らは今日、約5時間のドライブで帰宅してくる。
イエローストーンでは野生動物にこんな近くまで近づいて大丈夫なのかとハラハラする写真を送ってきた。

今朝、息子が自分で作った朝食。
食材はすべてヴィーガン。
シリアルに牛乳を注ぐだけの事しかできなかった息子が、ここまで生きるスキルを身に付けた。

まことに主の真実は力強い。
私たちそれぞれに新しい恵みと生きる力とを今日も与え、支えておられる。

"私の苦しみとさすらいの思い出は、苦よもぎと苦味だけ。
私のたましいは、ただこれを思い出しては沈む。
私はこれを心に思い返す。それゆえ、私は言う。
「私は待ち望む。
主の恵みを。」
実に、私たちは滅び失せなかった。
主のあわれみが尽きないからだ。
それは朝ごとに新しい。
「あなたの真実は偉大です。
主こそ、私への割り当てです」
と私のたましいは言う。
それゆえ、私は主を待ち望む。"
哀歌 3章19~24節

It's new every morning.
〜From this morning's devotional note

This morning was also renewed [new awareness]

Waking up, breathing exercises, stretching, and drinking lemon water and exercising.
As every morning my usual morning routine began.It was a morning that felt monotonous and rutted.
As we walked, however, I noticed that the air was fresh and the leaves in the grove were already changing color.
We need new grace for this day and for this moment.
Our Creator is pouring out His overflowing grace today.

(2) You have survived not to be destroyed now [look at the reality].

Jeremiah, who left this lament, saw the horrific reality of Jerusalem being overrun by Babylon and slaughtered, young and old, men and women alike.But a handful were left behind and taken into captivity.There, too, he found the Lord's compassion.
Even though we were subjected to troubles and judgments and curses because of our foolishness and sins, we are still alive here because the Lord has made us alive.

(3) The truth of the Lord is powerful [confirm the basis of your faith].

Why do we wait for the light in the darkness and long for a new morning?
What is the reason for this?
Does it depend on the faithfulness within ourselves?If so, it's not very reliable.
The basis for the promise of His grace to be renewed in the every morning is due to the truth of the Lord Himself.
The Lord has promised it at the risk of His own life.
'My child,' he said, 'I have redeemed you.
I have redeemed you.Your sins are forgiven;
I give you my life, and you shall have it.You have been invited to your eternal home.’
The covenant made with the Lord's own blood will not be broken.

Right now, the Olympic Mountains are catching the morning sun and revealing their steadfast statue.

My daughter and one family member, on their way back from a 10-day camping and road trip in Arizona, Utah, Montana and Idaho, spent the night in their hotel bed for the first time last night.
They rushed to the hotel at 1:30 a.m., because the camp site was already full.They'll be making the five-hour drive home today, having not had a comfortable bed in a while.
In Yellowstone, they sent me a picture of a wild animal that made me nervous, wondering if it was safe enough to get this close to it.

My son made his own breakfast this morning.
All the ingredients are vegan.
My son, who could only pour milk on his cereal, has developed the skills to live so far.

Truly the Lord's truth is powerful.
He gives each of us new blessings and strength to live and sustains us today.

“I remember my affliction and my wandering,
the bitterness and the gall.
I well remember them,
and my soul is downcast within me.
Yet this I call to mind
and therefore I have hope:
Because of the LORD’s great love we are not consumed,
for his compassions never fail.
They are new every morning;
great is your faithfulness.
I say to myself,
“The LORD is my portion;
therefore I will wait for him.””
Lam. 3:9-24
#メッセージ

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「主よ。お話し下さい」

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「主よ。お話し下さい」 「主よ。お話し下さい」



ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。

「主よ。お話し下さい」


サムエル記 第一 3章1~10節


"さて、少年サムエルはエリのもとで主に仕えていた。そのころ、主のことばはまれにしかなく、幻も示されなかった。
その日、エリは自分のところで寝ていた。彼の目はかすんできて、見えなくなっていた。
神のともしびが消される前であり、サムエルは、神の箱が置かれている主の神殿で寝ていた。
主はサムエルを呼ばれた。彼は、「はい、ここにおります」と言って、
エリのところに走って行き、「はい、ここにおります。お呼びになりましたので」と言った。エリは「呼んでいない。帰って、寝なさい」と言った。それでサムエルは戻って寝た。
主はもう一度、サムエルを呼ばれた。サムエルは起きて、エリのところに行き、「はい、ここにおります。お呼びになりましたので」と言った。エリは「呼んでいない。わが子よ。帰って、寝なさい」と言った。
サムエルは、まだ主を知らなかった。まだ主のことばは彼に示されていなかった。
主は三度目にサムエルを呼ばれた。彼は起きて、エリのところに行き、「はい、ここにおります。お呼びになりましたので」と言った。エリは、主が少年を呼んでおられるということを悟った。
それで、エリはサムエルに言った。「行って、寝なさい。主がおまえを呼ばれたら、『主よ、お話しください。しもべは聞いております』と言いなさい。」サムエルは行って、自分のところで寝た。
主が来て、そばに立ち、これまでと同じように、「サムエル、サムエル」と呼ばれた。サムエルは「お話しください。しもべは聞いております」と言った。"



(1)祈りの前提


①一人となった時に 2:18-19
人間的には好ましくない環境が、祈りのためにふさわしい環境となり得る

②心霊が1人孤独を感じる時
経済や健康的な困難、他者に理解されない時、また深い霊的な認罪など


(2)祈りの訓練


①エリの所へ走りに行く
エリは親代わりであり師匠であり世界の全てだった。
神の言葉を聞き分ける準備が未だ不十分

② 4回繰り返された神からの呼びかけ
継続されて訓練されなくてはならない


⑶祈りの実態


①心と心のやりとり、人格的な交流である 3:7

②「聴く」姿勢の確立〜「お話ください。僕は聞いております」(10)
「信仰は聞くことから始まり、聞く事はキリストについての御言葉による」(ローマ10:17)


(結論)


華やかな外なる世界が閉じられると、静かな内なる世界が開かれて行く。
そこでは知識ではなく、主イエスとの人格的交流が始まる。
主の言葉を通じた主との交流である。
「絶えず祈りなさい」(1テサ5:17)
#メッセージ

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