インターナショナル地下にある宇和島屋に久方ぶりに行ってみました。
改装工事中であり店内には至るところにベニア板で覆われた区域があります。ただ今までのレイアウトに比べると断然買い物しやすく変えられています。
隣接している紀伊国屋書店にも行ってみたのですが、店内からのアクセスは改装工事に阻まれて閉ざされています。
一旦外に出て大きくうかいしたのですが、既に閉店していました。
コロナ禍のゆえに短縮営業しているらしく、午後6時に閉店とはうかつでした。
ここ昨今、娘の日本語学習熱が上がってきたためその教材テキストを調達したかったのです。また改めて出直しです。
私個人の期待や願望に環境や他者が応えてくれないと、その時私自身が不機嫌になったり、他者批判をしたことが過去に何度もありました。
その時の私は、他者の言動によって自らの幸福が左右される自立してない人間だったのです。
英語では「責任」のことをレスポンスビリティー(Response + Ability)となります。つまり責任ある大人とは、環境や他者に運命を握られずに、自らの応答を対処しコントロールできる能力ある者のことを指す、穿った言葉です。
そしてそのような自立は、人間同士の相対的力関係の中からは生まれて来ません。どんな優れた知者や権者であったであったとしても、どんぐりの背比べに過ぎません。絶対的に超越した他者、つまり創造主との出会いが各人をして自立へと導くように思うのです。
今日のシアトル地区の空は、硬く雲に閉ざされて夕日も見えないほどでした。
その時は閉ざされていても、雲の向こう側には夕日が輝いていることには変わりありません。そしてやがて他日、美しい夕日を見せてくれる日もあるのです。
"光は心地よく、日を見ることは目に快い。
人は長い年月を生きるなら、ずっと楽しむがよい。
だが、闇の日も多くあることを忘れてはならない。
すべて、起こることは空しい。
若い男よ、若いうちに楽しめ。若い日にあなたの心を喜ばせよ。
あなたは、自分の思う道を、また自分の目の見るとおりに歩め。
しかし、神がこれらすべてのことにおいて、
あなたをさばきに連れて行くことを知っておけ。"
伝道者の書 11章7~9節
I went to Uwajimaya in the International District for the first time in a while.
The store is undergoing a renovation and there are veneer covered wall areas all over the store.However, compared to the old layout, it's definitely a lot easier to shop there.
I visited the Kinokuniya bookstore next door, but the access to it is blocked by the renovation work.
I went out and had a look around, but the bookstore was already closed.
It seemed to be open for shortened hours due to the corona crisis, and it was stupid of them to close at 6pm.
My daughter's fever for learning Japanese has been rising recently, so I wanted to get some textbooks for her.I'll have to come back again.
There have been many times in the past when my personal expectations and aspirations have not been met by the environment or others, and at those times I've been grumpy and critical to others.
I was not an independent person then whose happiness depended on what others said and did.
In English, the word of responsibility is made of two words (Response + Ability). In other words, a responsible adult is a perceptive term that refers to someone who is capable of dealing with and controlling his or her own responses, without the environment or others holding their fate in their hands.
And such self-reliance does not come from the relative power relations between human beings.No matter what kind of intellectuals and authorities they are, they are nothing more than an acorn comparison.It is the encounter with the other person who absolutely transcends, that is, the Creator, that leads each person to independence.
The sky in the Seattle area today was so cloudy that I couldn't even see the sunset.
The sun may be closed off at the time, but bright the sunset is still shining on the other side of the clouds.And eventually, other days in the future, the sun will show us a beautiful sunset.
“Light is sweet,
and it pleases the eyes to see the sun.
However many years anyone may live,
let them enjoy them all.
But let them remember the days of darkness,
for there will be many.
Everything to come is meaningless.
You who are young, be happy while you are young,
and let your heart give you joy in the days of your youth.
Follow the ways of your heart
and whatever your eyes see,
but know that for all these things
God will bring you into judgment.”
Ecclesiastical 12:7-9
Israel・カペナウムにあるシナゴーグ
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「希望へのうめき」
ローマ人への手紙 8章18~24節
"今の時の苦難は、やがて私たちに啓示される栄光に比べれば、取るに足りないと私は考えます。
被造物は切実な思いで、神の子どもたちが現れるのを待ち望んでいます。
被造物が虚無に服したのは、自分の意志からではなく、服従させた方によるものなので、彼らには望みがあるのです。
被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由にあずかります。
私たちは知っています。被造物のすべては、今に至るまで、ともにうめき、ともに産みの苦しみをしています。
それだけでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだが贖われることを待ち望みながら、心の中でうめいています。
私たちは、この望みとともに救われたのです。目に見える望みは望みではありません。目で見ているものを、だれが望むでしょうか。"
(序論)
既に達している恵みと、やがてもたらされる栄光の間の中で、私たちは「うめき」と言う苦しみの現実がある。
やがて実現する栄光の約束に比べると取るに足りないものではあるが、3つのうめきが現実にこの世界に存在している。今回は1と2を取り上げる。
被造世界のうめき
①滅びの束縛の中にある
全世界での異常気象や天災、また日常的に目にしている花の美しさや動物の可愛さの中にも束縛を感じ取れる。
②「虚無に服した」瞬間とは
アダムの堕罪によって全世界に罪が入ったときにその全世界の様相も変わり罪の影響受けるている。
創世記3:17-18。
(2)私たちのうめき
①からだが贖われること=子にしていただくこと(23)
老、病、死と言う宿命を負っている私たちの肉体ではあるが、やがて朽ちない栄光の体をいただくことができる。
②「御霊の初穂をいただいている」ゆえの保証。
初穂の後に大収穫が約束されている。
その望みによって救われている=救いの保障を得て、現在の救いの確信となる。
今日も素晴らしい1日が与えられたことが感謝でなりません。
シアトルではこの夏一番の暑さを記録したことと思います。
91℉(摂氏33度)まで気温が上がりました。
初めて我が家にも扇風機だけでなくクーラーが欲しいなと思いました。
ですけど日本では梅雨が明けると30度前半はいつものことで、40度近くまで上がる日がいくつもあるんですよね。しかもすごい湿気。
この程度で暑いと不平を言っていては、日本の皆さんに申し訳ないです。
この暑さを吹き飛ばそうと、川まで浸かりに行きました。
万年雪から流出てくる水は確かに冷たく、10秒以上は入っていることができません。その冷たさにもうこれでおしまい、と決めるのですが暑さのため、また飛び込みを繰り返します。
天然クーラーで暑気払いが一時出来たことが感謝でした。
室内にては、先日の誕生プレゼントにもらった風鈴の音の音を聞きながら涼んでいます。
今日の夕日は少々変わっていて、味な演出を見ることができました。
山際に沈んだ太陽の真上に、薄い雲が小さくかかっているのです。
すると夕日の赤い光線がその雲に反射して、辺り一面をさらに赤く染めてくれていました。
毎日の夕日の鑑賞ですが、その沈む位置は言うまでもなく、その時の雲の配置もまた色合いも二つとして同じものはなく、すべて異なるユニークなものです。
そして私たちの毎日も人々のとの出会いや出来事によって、それぞれの日々に異なる色合いを脚色してくれています。
そしてこれらのすべて、気温も人々も事象も経済も、私たち人間を離れた創造者による作品です。
"主が命じられたのでなければ、だれが語って、このようなことが起きたのか。
わざわいも幸いも、いと高き方の御口から出るのではないか。
生きている人間は、なぜ不平を言い続けるのか。自分自身の罪のゆえにか。
自分たちの道を尋ね調べて、主のみもとに立ち返ろう。"
哀歌 3章37~40節
この詩は、エレミヤと言う人がバビロニアによってエルサレムが徹底的に破壊し尽くされ、母国イスラエルが滅亡したことを悲しんで読んだものです。おぞましい殺戮と強制移住が起こっているその中で、この悲劇もまた神の御手(許可)の中にあることとして受け止めました。
その上で自分たちがとるべき決断を促しています。
I can't be thankful enough for being given us another great day.
I think we recorded the hottest day of the summer this season in Seattle.
The temperature rose to 91℉ (33 degrees Celsius).
It was the first time I thought we need an air conditioner as well as a fan in our house.
But in Japan, after the rainy season over, we usually have days when the temperature goes up to the lower half of 30 degrees Celsius and sometimes it goes up to 40 degrees Celsius. And it's also soooooo humid.
I feel bad for the Japanese people if I complain about how hot it is in this degree in Seattle.
To blow off the heat, we went to the river to take a dip.
The water running off from the perennial snow is indeed cold and you can't stay in it for more than 10 seconds. The coldness of the water makes me decide to call it a done deal, but the heat makes me jump back in.
I was grateful to be able to get rid of the heat with the natural air conditioner for a while.
Inside my house, I'm cooling off listening to the sound of the wind chimes I got as a birthday present the other day.
Today's sunset was a bit different, and we got to see a tasteful performance.
The sun was setting over the mountainside with a thin layer of clouds hanging directly above the sun, and the red rays of the sun setting over the clouds.
Then the red rays of the sunset were reflected in the clouds and made the whole area even redder.
Every day's sunset is unique, no two sunsets are the same, not to mention the position of the sunset, the placement of the clouds, and the color of the clouds, etc....
And our days are also different, each day a different hue, depending on our encounters and events.
And all of these elements, the temperature, the people, the events, the economy, are the work of a creator apart from us humans.
“Who can speak and have it happen
if the Lord has not decreed it?
Is it not from the mouth of the Most High
that both calamities and good things come?
Why should the living complain
when punished for their sins?”
Lamentations 3:37-40.
This verse was read by a man named Jeremiah, who was saddened by the utter destruction of Jerusalem by the Babylonians and the destruction of his homeland, Israel. In the midst of the horrible slaughter and forced emigration, this tragedy was also accepted as being in the hand (permission) of God.
He then urged them to make their own decisions.
初のサンセットヨガに挑戦しました。
インストラクターはAkemi。
彼女の言う通りに足を出したり、手をのばしたり、片足で立ったり.......私は片足でのバランスが取れずに、2秒後には体制を崩してしいました。しかし彼女は何秒であろうとも平気。
しかも片足を高く上げる。私は途中まで上げると、太ももをつってしまった。
その直前の懸垂では、私はまだ彼女には負けていないと安心したのですが、ヨガでは完全に敗北です。こんなにも体が固かったり、バランス感覚が欠如していたとは知らず、驚きとともにがっかりしました。
「自分はまだ大丈夫」と思っていても、それは独りよがりなものになりやすいものです。
他者の目で、他者のスタンダードと比較されて自分の位置づけが分かります。
ところで世界に存在している最大で絶対の他者とは、創造主なるお方です。この方からの視線や評価、それに価値観に照らされて自分自身を保つなら、あら不思議!
それ以外の小さな他者の評価や言葉に踊らされず、一喜一憂しない自立できる世界が開かれて来ます。
"いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名が聖である方が、こう仰せられる。「わたしは、高く聖なる所に住み、砕かれた人、へりくだった人とともに住む。へりくだった人たちの霊を生かし、砕かれた人たちの心を生かすためである。"
イザヤ書 57章15節
I tried Sunset Yoga for the first time.
The instructor was Akemi.
I did as she told me, legs outstretched, hands outstretched, and standing on one leg.... I couldn't balance on one leg and after two seconds I was out of alignment. But she didn't care how many seconds it took.
And she raises one leg high. When I was halfway up, I pinched my thigh.
Just before yoga, we did pull-ups, I was reassured that I hadn't been defeated by her, but in yoga, I was completely defeated.
I was both surprised and disappointed, not realizing that I was so stiff and lacking in balance.
It's easy to become complacent, even when you think, "I'm still okay.
You can understand your position in the eyes of others, compared to their standards.
By the way, the greatest and absolute other person in the world is the Creator. If you keep yourself in the light of this person's gaze, evaluation, and values, oh my goodness!
The world where you can be independent and not be swayed by the evaluations and words of others, and not be happy or sad all at once, will open up to you.
“For this is what the high and exalted One says—
he who lives forever, whose name is holy:
“I live in a high and holy place,
but also with the one who is contrite and lowly in spirit,
to revive the spirit of the lowly
and to revive the heart of the contrite.”
Isaiah 57:15
月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり。
船の上に生涯を浮かべ、
馬の口とらへて老いを迎ふる者は、
日々旅にして旅を栖(すみか)とす。
古人も多く旅に死せるあり。
現代語訳(口語訳)
月日は永遠に(終わることのない旅をする)旅人(のようなもの)であって、去ってはまたやって来る年もまた旅人(のようなもの)である。船頭として船の上で生涯を過ごす人や、馬子として馬のくつわを引いて老いるのを待ち受ける人は、毎日が旅であって旅を住処としているのだ。昔の人も多くが旅をしながら亡くなっている。
松尾芭蕉による「奥の細道」の冒頭部分です。
それが記されている額縁は、長年物置に眠ったままになっていたのですが、今日になってようやく壁に設置しました。
これは日本のある地方教会の敷地の隣に立つ民家のおじいさまの作品です。
ところで皆さん、本日の私の誕生日には多くのお祝いのお言葉を賜りありがとうございました。ついこの前緊張したまま小学校に入学したと思っていたら、既に半世紀を優に超える歳月を食ってしまいました。
私は40代の頃、年を聞かれるのが嫌でこのFacebookにも誕生日登録をあえてしませんでした。家族にもお祝いとか、おめでとうとか、何もしなくて良いと言っていたのです。おそらくその年に至っても、何も世の中に貢献していない我が身を恥じての事だったと思います。
50代を過ぎると、そんな心境にも変化がありました。
織田信長が本能寺の変で非業に倒れたのが49歳です。
敦盛の歌にあるように、「人間50年」であるなら、既に私はおまけの余生を過ごしていることになります。
無駄に歳だけ食って何事もなし得ていない自分自身を恥じるのではなく、その我が身をそのまま受け入れるようになったようです。もはや自己満足や他者の賞賛には動じない死人の境地に至ったのかもしれません。
松尾芭蕉は時の流れ自体を、変わらずに過ぎ行く旅人だとしました。
私の人生、その生きている事自体は旅人のように思えます。
それは短かろうと長かろうと仮の姿に過ぎません。
旅を終えた時、硬い基礎の上に立つ永遠の家に招かれ住むようになるのです。
そしてどんな旅であったかを評価・採点するのは、自己でも他者でもなく、その永遠の住まいに招いてくださるお方、時間と命の創造者であるお方のみです。この方からの報酬だけを当てにしたなら、今を生きること自体を肯定的に受け取ることができるようになった気がします。
本日の夕日は、地平線に沈む10分ぐらい前には既に厚い雲の中に隠れてしまいました。その雲から漏れる光線が辺の雲を赤く染めるのを子供らと楽しむことができました。
"私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。
そのほとんどは労苦とわざわいです。
瞬く間に時は過ぎ私たちは飛び去ります。
だれが御怒りの力をあなたの激しい怒りの力を知っているでしょう。ふさわしい恐れを持つほどに。
どうか教えてください。自分の日を数えることを。そうして私たちに知恵の心を得させてください。
帰って来てください。主よいつまでなのですか。あなたのしもべたちをあわれんでください。
朝ごとにあなたの恵みで私たちを満ち足らせてください。私たちのすべての日に喜び歌い楽しむことができるように。
どうか喜ばせてください。私たちが苦しめられた日々とわざわいにあった年月に応じて。"
詩篇 90篇10~15節
The days are like a traveler, and the years that come and go are also like a traveler. Those who spend their lives on board as boatmen, or those who wait for their time to grow old pulling horses are traveling every day, and they make their home in the journey. Many people in the past also died while traveling.
This is the first part of "The Narrow Road to the Tohoku" by Matsuo Basho.
The frame in which it is written has been lying dormant in a storage room for many years, but today I finally installed it on the wall.
It is the work of an old man in a house standing next to the property of a local church in Japan
By the way, thank you all for the many words of congratulations on my birthday today. It was as if a few days ago I had entered elementary school with a nervous breakdown, but it has already been over half a century since I then.
When I was in my 40s, I didn't even register my birthday on Facebook because I didn't want people to ask me how old I was. I told my family that they didn't have to congratulate me or anything. I think I was probably ashamed of myself for not having contributed anything to the world even at that age.
When I passed my 50s, my mind changed.
Oda Nobunaga was 49 years old when he was killed in the Honnoji Incident.
If I am a "human being of 50 years" as in Atsumori written, I have already lived my life and lest of it is just a bonus.
Instead of being ashamed of myself for wasting my years and not getting anything done, I have come to accept myself as I am. I may have reached the state of a dead man who is no longer moved by self-satisfaction or the praise of others.
Matsuo Basho regarded the flow of time itself as a traveler who passes on unchanged.
My life, that living itself seems to be a traveler.
It is only a temporary figure, no matter how short or long it is.
At the end of the journey, we are invited to live in our eternal home, which stands on a solid foundation.
And the only the Person who will evaluate and grade what kind of journey it has been is the One who invites us into that eternal dwelling, the One who is the Creator of time and life, not myself or others. If I only rely on the rewards from this One, I feel that we can now receive the affirmation of living in the present moment itself.
Today's sunset was already hidden by thick clouds about 10 minutes before it set on the horizon. My children and I enjoyed watching the rays of light leaking out of those clouds and turning the clouds on the edges red.
“Our days may come to seventy years,
or eighty, if our strength endures;
yet the best of them are but trouble and sorrow,
for they quickly pass, and we fly away.
If only we knew the power of your anger!
Your wrath is as great as the fear that is your due.
Teach us to number our days,
that we may gain a heart of wisdom.
Relent, LORD! How long will it be?
Have compassion on your servants.
Satisfy us in the morning with your unfailing love,
that we may sing for joy and be glad all our days.
Make us glad for as many days as you have afflicted us,
Psalm 90:10-15
Alaska アンカレッジの午後9時
三浦綾子さんの表彰式
8時45分pm頃、窓から日没を見るともうすでに地平線に沈みかけている。慌てて展望台に登る。太陽が半分ほど山の頂にすでに顔隠してるところだった。既に夏至から1ヵ月ほどが経過して、日没時間が20分ほど早くなったようだ。
太陽の右上空に黒い点となっているのはシアトルの空港を離陸したばかりの飛行機で、まだ上昇体勢にある。
そのまま北に進むのなら日本行きの航空便かもしれない。
いや確か夕刻発の日本行きはなかったはず。
日本やアジア行きの航空路は、最短距離を選ぶため北上してアラスカ沖を通る。そしてアリューシャン列島を撫でるように北太平洋を西へと向かう。
友人がこの日の午後9時のアラスカの街の様子を写真で紹介してくれた。さすがに北に位置しているだけあって9時でもまだ日焼けが必要なほど太陽は空高くあるという。
日常生活の中で目に見える範囲の世界が全てであると私たちは思い込みやすい。自分の目には見えない世界、自分の想像だにしない別の世界もあり、そこには自分が計り知れない原理で動いている世界もまたあるようだ。
本日7月21日は、作家の故三浦綾子さんが「氷点」で新聞社懸賞小説で入賞しその表彰の日であったようだ。
以下、その日を思い出している彼女の文章を紹介します。
「七月二十一日東京朝日新聞社講堂で授賞式。
壇上に次席の方三名と椅子に座って幕の上がるのを待つ。静かに静かに幕が上がった。そっと場内に目をやって母を探す。
前列の吉屋信子先生の横に母がいた。いつもより小さくみえる。
「母さんありがとうさん」
母は私の便器を何千回始末してくれた事だろう。ギュッと胸が痛くなる。
ふいに目の前がギラギラと明るくなる。テレビのライトだ。
夫の顔が目に浮かんだ。今年の一月二十五日急性肺炎で危篤に陥った時の苦しそうな夫の顔。ふっと涙がこぼれそうになる。
「生きていてよかったわね」
私の名が呼ばれた。立上ると力強い拍手が一斉に起って、一瞬ギクリとする。
「拍手しないで下さい。期待をかけないで下さい」
と叫びたくなる。
生まれて初めて多勢の大人の前で(子供は教師時代に経験ずみ)挨拶をする。
「私をほめないで下さい。私の理解ある周囲の人をほめて下さい。その背後にある神を讃(ほ)めて下さい」
これが東京・大阪・名古屋・小倉・旭川・札幌に於ける私の挨拶の大要であった。
(「入選その後の一ケ月」『「氷点」を旅する』所収)
雑貨屋の主婦がすべての仕事を終え、真夜中を超えてからの執筆で書いたと評判になった作品。
自分自身を支えた周囲の人々。
そしてその人々を支えている神へ思いを寄せている三浦さん。
目に見えないものにも、目が開かれていた人。
"私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。"
コリント人への手紙 第二 4章18節
"たとえ私たちの地上の住まいである幕屋が壊れても、私たちには天に、神が下さる建物、人の手によらない永遠の住まいがあることを、私たちは知っています。"
コリント人への手紙 第二 5章1節
Around 8:45pm, I look out the window at the sunset and it's already setting on the horizon. I hurriedly climbed up to the observation deck. The sun was already halfway up the mountain, hiding its face. It's already been about a month since the summer solstice, and the sun has set about 20 minutes earlier than the day’s.
The black dot to the right above of the sun was a plane that had just taken off from the Seattle airport and was still in an ascending position.
If it was going north, it might be a flight to Japan.
No, I'm pretty sure there was no evening flight to Japan.
Flights to Japan and Asia go northward through the Alaskan coast to choose the shortest distance. And then, as if stroking the Aleutian Islands, they head westward in the North Pacific.
A friend of mine showed me a photo of what the city of Alaska looked like at 9 p.m. today. The sun was still high in the sky then and he said he needs sunscreen at the time.
It's easy for us to believe that the world within our sight is everything in our daily lives. There is another world that we cannot see, another world that we never imagined, and another world that is driven by our own unfathomable principles.
Today, July 21, was the day when the late Ms. Ayako Miura won a prize for her novel "Hyoten" in a newspaper contest, and it was awarded to her.
Here is what she wrote as she recalled that day:
On July 21, there was an award ceremony at the auditorium of the Tokyo Asahi Shimbun newspaper.
“ I was seated on the stage with three people sitting next to me in chairs, waiting for the curtain to rise. The curtain went up quietly and quietly. I quietly looked around the hall to find my mother.
My mother was sitting in the front row next to Dr. Nobuko Yoshiya. She looked smaller than usual.
Thank you, Mom.
I wonder how many thousands of times my mother has cleaned up my toilet bowl. My chest starts to ache.
Suddenly, my eyes became bright and shiny. It was the light from the television.
I saw my husband's face. The face of my husband, who looked so distressed when he had fallen into critical condition due to acute pneumonia on January 25 this year. I felt tears spill out of my eyes.
'You're lucky to be alive,'
My name was called. When I stood up, there was a powerful round of applause, and I cringed for a moment.
"Please don't clap. Don't put your hopes on it.
I want to scream.
For the first time in my life, I am greeted in front of a large number of adults (in from of children, I've experienced this when I was a teacher).
Please don't praise me. Praise the people around me who understand me. Praise the God behind it.
This was the gist of my address in Tokyo, Osaka, Nagoya, Kokura, Asahikawa and Sapporo.“
The novel was written by a housewife in a grocery store after all the work was done and written after midnight.
The people around her who supported her.
And Ms. Miura's thoughts turn to God, the God who supports those people.
A person whose eyes were opened to the unseen.
"We keep our eyes not on what we can see, but on what we cannot see. For what is seen is temporary, and what is unseen is eternal."
2 Corinthians 4:18
"For even if our earthly dwelling place, the tabernacle, is broken down, we know that we have a building in heaven, a building that God will give us, an eternal dwelling place that is beyond the reach of man."
2 Corinthians, chapter 5, verse 1
本日の朝のエルサレム、ダマスコ門
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「凱旋的生涯」
ローマ人への手紙 8章28~31節
"神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。
神は、あらかじめ知っている人たちを、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたのです。それは、多くの兄弟たちの中で御子が長子となるためです。
神は、あらかじめ定めた人たちをさらに召し、召した人たちをさらに義と認め、義と認めた人たちにはさらに栄光をお与えになりました。
では、これらのことについて、どのように言えるでしょうか。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。"
(序)詩篇91篇は信仰者への保護と供給が説かれ、ローマ書においてはさらなる積極的な意味での勝利の凱旋が謳われている。
保護や勝利をいただく理由はどこにあるのか。
(1)神との関係
①「ご自分の羽であなたを覆われる」(詩篇91:4)
「神が私たちの味方であるなら」(ローマ8:31)
そこには一致と調和の関係がある
②その調和は試練や困難から逃れさせるものではない
(2) 神への姿勢
①その関係は愛と尊敬に基づくものではならない
詩篇91:4、ローマ8:37。
②愛の関係の結果は継続的な語らいを読む=祈り
そのつながりが試練の中にあっても潰えない力となる
⑶ 神からの賜物
①最終的な救いと凱旋の保障(約束)
詩篇91:15
ローマ8:30 「予定」「召」「義認」「栄光」
これらは将来に関することであっても、過去形が使われている。
②「神が全てのことを働かせて益としてくださる」のは「召された者」に対して。
(結論)
キリストは人類最大の敵である死を滅ぼしてくださった。
キリストと同じ栄光の姿に私たちはあらかじめ定められた。
この大いなる保証を得た今、私たちは神の召の中で神と共に働くことができる。
昨日のオーナー会ズーム会議を終えてから、あるメンバーの方が次ようなメールを会員の皆さんに送ってくれました。
「人生はあきらめず、何歳になっても常に希望をもち、しつこくやれば定刻通りに飛ばなかった飛行機に間に合うというラッキーなこともなんどもありました。収容所に行った日系一世の方がたが良く口にしたことば、もったいない、がまん、しかたがない、それに加えて新一世としてはどんなことがあっても”あきらめない”という言葉を送りたいと思います。」
ステイホーム政策が続いてメンバーの中には収入が半減どころかほとんどない数ヶ月間を暮らしている方々もいらっしゃいます。
そんな窮状に対しての大きな励ましを先輩から頂いた言葉でした。
80年ほど前日系移民たちは日米開戦によって着の身着のまま2つだけのスーツケースを持って収容所に強制移住させられました。
それまでに開墾した畑も家も、あらゆるビジネスも全てを捨てざるを得ない状況での数年間の収容所暮らし。
「もったいない」
「がまん」
「仕方がない」
これらが貞観した彼らの言葉だったそうです。
戦争が終わって、再び無一文から彼らは生活を立ち上げていきました。
その苦境から比べたら、私たちはまだまだ恵まれています。
先達者らはあのような中でもあきらめなかったのです。脱出の道がどこかに開かれていることを信じて、あきらめずに進みたいと思いました。
"あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。"
コリント人への手紙 第一 10章13節
After yesterday's owners' zoom meeting, a member sent the following email to all members.
“Never give up on life, always have hope no matter how you are, and if you're persistent, you won’t miss your flight. Many times we were lucky enough to catch our flight. The Issei who were forced to intern camps often said,
What a waste,
Endure,
Can’t help to do that.
In addition, as a new Issei, I would like to say "never give up", no matter what happens.”
The stay-home policy continues, some members income were so limited until a half amounts, even to nothing.
These words of encouragement were powerful to us.
About 80 years ago, after the outbreak of war between Japan and the United States, Japanese immigrants were forced to leave all their fortunes and carry only two suitcases with them. They were forced to move to the camps.
They were forced to abandon all the fields which had cultivated before, their houses, and all kinds of businesses for a few years in order to live in the gulag.
What a waste.
Endure it.
Can’t help it.
These were their words of chastity, they said.
When the war ended, they started up their lives again from nothing.
Compared to that predicament, we are still blessed.
Our predecessors did not give up in the midst of all that. They wanted to go on, not giving up, believing that the way out was open somewhere.
“No temptation has overtaken you except what is common to mankind. And God is faithful; he will not let you be tempted beyond what you can bear. But when you are tempted, he will also provide a way out so that you can endure it.”
1 Corinthians 10:13
あらゆるものは多面体で出来上がっています。
ダイアモンドが妖しい光を放つのは、精緻な多面体カットが施されているからです。
高騰する医療費に米国の行き着いた資本主義社会の弱肉強食の負の面を見る思いがしました。
一方でここ地元で発生したCOSTCOの誇る最強のコスパ商品があります。それはチキンの丸焼きローストでこれがわずか4ドル強で買えてしまうのです。日本円でワンコインの500円。
家族全員がお腹いっぱいチキンを食べられるのですから、最もお得なコスコ商品だと私は思っています。
本日コスコへ行った時もやはりこれを買いました。
私のすぐ前に並んでいたおじさんは、そのチキンだけを買っていました。
今日の夕日自体は全く見えなかったのですが、それでも雲はあかね色に輝いて素敵な夕焼け空を形作ってくれていました。
キリスト教をヨーロッパ世界に宣教した使徒パウロには大きな肉体的ハンディがあったのです。それが病であったのか、障害であったのかはっきり解りません。彼は神にその肉体のハンディを取り去ってくれるようにと何度も祈ったのですが、神は意外な答えを彼に与えています。そのハンデのままで良い。その弱さの中にこそ、力を見いだすことができるのだ、と言われたのです。
私たちの人生は、あらゆる面で良いものだけで装いたいと考えます。しかしある面においては人知れずネガティブな側面を持たざるを得ないことがあるでしょう。しかしそんなマイナスと見えるところにこそ、神の恵みと力が働くのです。
"その啓示のすばらしさのため高慢にならないように、私は肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高慢にならないように、私を打つためのサタンの使いです。
この使いについて、私から去らせてくださるようにと、私は三度、主に願いました。
しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。"
コリント人への手紙 第二 12章7~9節
Everything is made of polyhedra.
A diamond gives off a bewitching beautiful shinning because of its intricate polyhedral cut.
The skyrocketing cost of medical care in the United States reminded me of the negative aspects as the capitalism society we have ended up in.
There is one of COSTCO's strongest cosmetic products. It is a whole roasted chicken that can be purchased for just over four dollars. It's only 500 yen, which is one coin.
Since the whole family can enjoy a full meal of chicken, I think it is the most affordable COSTCO product.
When I went to Cosco today, I also bought this.
The man who was standing in line right in front of me only bought the chicken.
The sunset itself wasn't visible at all today, but the clouds were still shining in a brilliant reddish-brown color, and I could see a beautiful sunset sky.
The Apostle Paul, who preached Christianity to the European world, had a great physical handicap. Whether it was a disease or a disability, we do not know for sure. He prayed many times to God to take away his physical handicap, but God gave him an unexpected answer. He said that you can remain at that handicap. It is in that weakness that we can find extraordinary strength coming from Him.
We want to dress our lives up in every aspect with only good things. But there will be certain aspects of our lives that we don't know about and that have a negative one. However it is in those areas that appear negative that God's grace and power work.
“because of these surpassingly great revelations. Therefore, in order to keep me from becoming conceited, I was given a thorn in my flesh, a messenger of Satan, to torment me. Three times I pleaded with the Lord to take it away from me. But he said to me, “My grace is sufficient for you, for my power is made perfect in weakness. ” Therefore I will boast all the more gladly about my weaknesses, so that Christ’s power may rest on me.”
2 Cor. 12:7-9
いつもの高台から日没を眺めると、シアトルに帰ってきた感がさらに広がります。
ポーランドから運転すること約3時間、今回は睡魔と戦うこともなく余裕鑠鑠で帰ってきました。
昨日の丸一日を使ったハイキングでかなり疲れていましたが、その晩10時間程も睡眠するとすっかり元気を取り戻すことができました。
一方子供たちは昨夜ポートランドで夕食を済ませた後、その晩のうちに帰途につきました。
私だけ1人でもう1泊したのです。
いつも働きを終えてポートランドに帰る道中は睡魔が襲って来ます。すると平手打ちを頬にしながらそれと戦ったり、途中レストエリアで仮眠を取ったりするのです。運転をしながらレクチャーを聞いていますが子守唄にしか聞こえず、ほとんど頭に入りません。
今回は眠気を催ずに、しっかりとレクチャーを楽しみ学ぶことができました。
今晩見たシアトルの日没にはなんだ遮る雲はなく、日輪自体がオリンピックの山肌に没する瞬間を見ることができました。
ところで神について、人間について、人間の死後の世界について、やがて来る神の統治する世界について、私たちはぼんやりとしたものしかしか知らなかったのですが、2000年前のキリストの十字架と復活、そして昇天を通してはっきりとした啓示が与えられました。
それまでは夢とか幻などを見た預言者が語る内容の範囲内でしか私たちには知らされていなかったのです。しかし、キリストご自身の語る言葉を通じて、またその教えに接した十二使徒らの残した書簡を通じて神のスピリットが確かなこととして示した27冊の書物が聖書として残されています。
この聖書の言葉がはっきりくっきりとこれらの永遠の謎であったことについて、しかし生きる上でとても大切なことを私たちに明らかに伝えてくれています。
"神は昔、預言者たちによって、多くの部分に分け、多くの方法で先祖たちに語られましたが、
この終わりの時には、御子にあって私たちに語られました。神は御子を万物の相続者と定め、御子によって世界を造られました。
御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。御子は罪のきよめを成し遂げ、いと高き所で、大いなる方の右の座に着かれました。"
ヘブル人への手紙 1章1~3節
Watching the sun set from my usual perch, I felt even more like I was back in Seattle.
I didn't have to fight sleepiness to get back during the three-hour drive from Poland. .
I was pretty tired from last day's full day of hiking, but after about 10 hours of sleep that night. I was able to completely regain my energy.
The kids, on the other hand, had dinner in Portland last night and then headed home later that night.
I was the only one who stayed one more night.
I always get sleepy on the way back to Portland after working. I would fight it with a slap on the cheek and take a nap in the rest area on the way home!
I listen to the lecture while driving, but it sounds like a lullaby and I can barely get into the lecture.
This time I was able to enjoy the lecture and learn without getting drowsy.
There was not a cloud to block the sunset in Seattle tonight, the sun wheel itself was just sinking into the Olympic mountains.
We could see about God, by the way, about man, about man's afterlife, and about the world of God's government that will eventually come only vaguely for many years.
However, about the 2000 years ago, through Christ’s cross, his resurrection and his ascension, a clear revelation was given to us.
Until then, it was only made known to us within the confines of what the prophets told us in his dreams and visions, etc. But through the words of Christ Himself and through the letters left by the twelve apostles who were exposed to His teachings, there are twenty-seven books left as the New Testament Bible that the Spirit of God has shown certainly of these facts.
The words of this Bible clearly and unambiguously state that these were eternal mysteries before, but now It clearly tells us something very important about ourselves.
“In the past God spoke to our ancestors through the prophets at many times and in various ways, but in these last days he has spoken to us by his Son, whom he appointed heir of all things, and through whom also he made the universe. The Son is the radiance of God’s glory and the exact representation of his being, sustaining all things by his powerful word. After he had provided purification for sins, he sat down at the right hand of the Majesty in heaven.“
Hebrews 1:1-3
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