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「安息を与えよう」

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「安息を与えよう」


「安息を与えよう」


出エジプト記 33章12~19節


"さて、モーセは主に言った。「ご覧ください。あなたは私に『この民を連れ上れ』と言われます。しかし、だれを私と一緒に遣わすかを知らせてくださいません。しかも、あなたご自身が、『わたしは、あなたを名指して選び出した。あなたは特にわたしの心にかなっている』と言われました。
今、もしも私がみこころにかなっているのでしたら、どうかあなたの道を教えてください。そうすれば、私があなたを知ることができ、みこころにかなうようになれます。この国民があなたの民であることを心に留めてください。」
主は言われた。「わたしの臨在がともに行き、あなたを休ませる。」
モーセは言った。「もしあなたのご臨在がともに行かないのなら、私たちをここから導き上らないでください。
私とあなたの民がみこころにかなっていることは、いったい何によって知られるのでしょう。それは、あなたが私たちと一緒に行き、私とあなたの民が地上のすべての民と異なり、特別に扱われることによるのではないでしょうか。」
主はモーセに言われた。「あなたの言ったそのことも、わたしはしよう。あなたはわたしの心にかない、あなたを名指して選び出したのだから。」
モーセは言った。「どうか、あなたの栄光を私に見せてください。」
主は言われた。「わたし自身、わたしのあらゆる良きものをあなたの前に通らせ、主の名であなたの前に宣言する。わたしは恵もうと思う者を恵み、あわれもうと思う者をあわれむ。」"


⑴道をお教えていただくことによる


①荒野の中に道はない
これまでは雲の柱が行くべ道に導いてくれた

②「わたしが道である」(ヨハネ14:6)
イエス様をより深く知ることが安息につながる


⑵みこころにかなってる事を確認して


①「名指しで選び出した」(12、17)

②救いの1側面として神の選びによって信仰に立ったこと。マタイ11:27。


⑶栄光を仰ぎ見ることで


①主の名を宣言された
ヘブル的に名は実態実質を著している
主ご自身を啓示されること

②日々の信仰の更新であり刷新の営み


(結論)
新年を迎えるにあたって私たちも新たな決意を持って臨みたい。主が与えて下さる安息に憩うものとされ、この約束に生きるものとされよう。
#メッセージ

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「伝道者に対する遺言の書」

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「伝道者に対する遺言の書」


ホサナキリスト教会朝礼拝のメッセージ・アウトラインです。




「伝道者に対する遺言の書」


Ⅱテモテ2章3-12節


"私は夜昼、祈りの中であなたのことを絶えず思い起こし、先祖がしてきたように、私もきよい良心をもって仕えている神に感謝しています。
私はあなたの涙を覚えているので、あなたに会って喜びに満たされたいと切望しています。
私はあなたのうちにある、偽りのない信仰を思い起こしています。その信仰は、最初あなたの祖母ロイスと母ユニケのうちに宿ったもので、それがあなたのうちにも宿っていると私は確信しています。
そういうわけで、私はあなたに思い起こしてほしいのです。私の按手によってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください。
神は私たちに、臆病の霊ではなく、力と愛と慎みの霊を与えてくださいました。
ですからあなたは、私たちの主を証しすることや、私が主の囚人であることを恥じてはいけません。むしろ、神の力によって、福音のために私と苦しみをともにしてください。
神は私たちを救い、また、聖なる招きをもって召してくださいましたが、それは私たちの働きによるのではなく、ご自分の計画と恵みによるものでした。この恵みは、キリスト・イエスにおいて、私たちに永遠の昔に与えられ、
今、私たちの救い主キリスト・イエスの現れによって明らかにされました。キリストは死を滅ぼし、福音によっていのちと不滅を明らかに示されたのです。
この福音のために、私は宣教者、使徒、また教師として任命されました。
そのために、私はこのような苦しみにあっています。しかし、それを恥とは思っていません。なぜなら、私は自分が信じてきた方をよく知っており、また、その方は私がお任せしたものを、かの日まで守ることがおできになると確信しているからです。"



⑴直弟子テモテへの遺言の書


①1章:信仰者としてどうあるべきか

②2章:伝道者としてどうあるべきか

③3章:困難な時代にどうあるべきか

④4章:死を前にしてどうあるべきか


⑵情熱を燃え立たせる事(6)


①パウロの祈りによって与えられたもの

②現在時制〜「絶えず注意喚起したい」

③それは神からの賜物であり、家系の良い伝統が寄与しているもの


⑶与えらた賜物(7節、アオリスト時制)


①力〜10節

②愛〜9節

③健全な判断力〜3:14-15


(結論)
既に与えられている神からの賜物を確認し、
それを燃え立たせる事で、職を全うしよう。

#メッセージ

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「マゴス達の観た星」

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「マゴス達の観た星」 「マゴス達の観た星」



「マゴス達の観た星」


マタイの福音書 2章1~12節

"イエスがヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東の方から博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。
「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちはその方の星が昇るのを見たので、礼拝するために来ました。」
これを聞いてヘロデ王は動揺した。エルサレム中の人々も王と同じであった。
王は民の祭司長たち、律法学者たちをみな集め、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。
彼らは王に言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれています。
『ユダの地、ベツレヘムよ、あなたはユダを治める者たちの中で決して一番小さくはない。あなたから治める者が出て、わたしの民イスラエルを牧するからである。』」
そこでヘロデは博士たちをひそかに呼んで、彼らから、星が現れた時期について詳しく聞いた。
そして、「行って幼子について詳しく調べ、見つけたら知らせてもらいたい。私も行って拝むから」と言って、彼らをベツレヘムに送り出した。
博士たちは、王の言ったことを聞いて出て行った。すると見よ。かつて昇るのを見たあの星が、彼らの先に立って進み、ついに幼子のいるところまで来て、その上にとどまった。
その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。
それから家に入り、母マリアとともにいる幼子を見、ひれ伏して礼拝した。そして宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
彼らは夢で、ヘロデのところへ戻らないようにと警告されたので、別の道から自分の国に帰って行った。"



⑴「メシアの星」と認識出来るほどの知識


①バビロン捕囚以降存在するユダヤ人共同体
民数記24:14に関する知識

②マゴスのための王立アカデミー学院長官はダニエルだった。ダニエル2:48。
ダニエル2:4ー7章はアラム語で記された。当時中東世界の共通語


⑵いのちを拾われた恵みの経験


ネブカドネザルによる全マゴス殺戮の命令。ダニエル2:12。

② 夢の解き明かしを成功したダニエルによる救済


⑶イスラエルの神に対する信仰

①贈りものからメシアへの理解力が分かる。
黄金(王様)、乳香(祭司)、没薬(贖罪死)

②民族また国としてイスラエルに敵対するバビロンではあるが、個人においては優れた信仰心に召された。


(結論)

マゴスらは命そのものをリスクとして差し出してメシアにお会いした。そのリスクを報いるリターンを得た。そのために啓示の星が与えられたのであった。
#メッセージ

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右に行くにも、左に行くにも

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カリフォルニア・ウオルナッツク... カリフォルニア・ウオルナッツクリークにあるお気に入りのタイレストランでランチ。クリスマス時期になるとこの店はクッキーの詰め合わせなどのプレゼントしてくれる。



1時間ほどの所用を終えて建物を出てすぐ歩き出したところで、気がついたことがあった。

「あれ、どこに車を停めたんだっけ?」

右に行って良いのか、左に行って良いものか、さっぱりわからない。目の前の道路を車で走ったことは確か。そこまでの経路を思い出そうとする。

右のような気がして歩きながらリモコンキーの開錠ボタンを押す。近くにあればテールランプが光ってくれるはず。

2ブロックほど進んで気がついた。
あの時、左に行くべきだったんだ。

来た道を引き返しながら、これって徘徊老人の始まりなのかなぁ、とやや不安になる。こんな事は初めてだった。

iPhoneマップには車を降りた地点を地図上に示す時が度々ある。
どうするとそのような設定になるのか、IT音痴の私にはわからない。

ところで、

たとい痴呆が進んで認知能力が衰えたとしても、大いなる方のスピリットが指し示す道を捉える霊性は失いたくはない。

生活の細々としたところ、また将来の進路を決する判断をし続けるのが私どもの生涯ですが、そのすべてにスピリットが示す道を選んだなら間違いない。

"あなたが右に行くにも左に行くにも、うしろから「これが道だ。これに歩め」と言うことばを、あなたの耳は聞く。"
イザヤ書 30章21節
#メッセージ

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「契約の箱を担いで」

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「契約の箱を担いで」


ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。


「契約の箱を担いで」


ヨシュア記 3章14~17節


"民がヨルダン川を渡ろうとして彼らの天幕から出発したとき、契約の箱を担ぐ祭司たちは民の先頭にいた。
箱を担ぐ者たちがヨルダン川まで来たとき、ヨルダン川は刈り入れの期間中で、どこの川岸にも水があふれていた。ところが、箱を担ぐ祭司たちの足が水際の水に浸ると、
川上から流れ下る水が立ち止まった。一つの堰が、はるかかなた、ツァレタンのそばにある町アダムで立ち上がり、アラバの海、すなわち塩の海へ流れ下る水は完全にせき止められて、民はエリコに面したところを渡った。
主の契約の箱を担ぐ祭司たちは、ヨルダン川の真ん中の乾いたところにしっかりと立ち止まった。イスラエル全体は乾いたところを渡り、ついに民全員がヨルダン川を渡り終えた。"




⑴2千キュビトの距離を置く(4)


①契約の箱は神の臨在の象徴であり、新約の光からはキリストご自身

②契約の箱は先頭を進む(3)〜これまで通った事のない道。摂理を飛び越えて先回りしてはならない。


⑵祭司の足が水際に達したとき(15)


収穫時のヨルダン川は満水〜超える事の出来そうにない人生の大問題。健康、経済、事業の課題に直面して

② 「信仰の創始者・完成者」であられる主がすでに通られた道


⑶川の真ん中にしっかりと立つうちに(17)



①内住されるキリストを自覚しているか。
問題の只中で尚も臨在の主を礼拝し賛美しているか。

②その時の祈りがキリストの祈りとなっているか。


(結論)
私たちはヨルダン川渡河と言う前代未聞の劇的な奇跡に心奪われる。しかしここでちゅうし注目すべきは、
①主の御心の中に居続けているのか
②主に祈りの成就の時と方法とを委ねているのか
③主の祈りと同一化されているのか
#メッセージ

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原因ではなく結果だ

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原因ではなく結果だ



「嫌われる勇気」からの抜粋
アドラー心理学にある「原因論の誤り」
〜人間の行動の全てには原因があるのではなく、あるのは結果だけ〜

何のことかわからないでしょうから、実例を挙げて解説します。

ある神学生が牧師からひどい剣幕で怒られていました。
その牧師はその神学生の頬を拳で殴り付けることまでしました。
「今どうして殴られたのかは貴方には分からないかもしれない。
でも数十年後にわかるようになるでしょう。」と声を上ずらせながら、何が起こっているか分からずにいるその神学生に牧師は言い放っていた。背後では事の成り行きを心配そうに見つめている牧師夫人が外階段の上に無言のまま立っていた。

大抵の場合、その神学生がひどいミスをやらかした原因があったので激しく叱られたのだと人は思うことでしょう。ところがアドラーによれば、神学生に原因があったのではなくその牧師の側にある結果がすごい剣幕になって現れたと言うのです。

会社でも上司が部下に対して怒るのは、今後、自分が上でお前が下だと見つけ見せつけるためのものである場合があります。違う部下であるならば同じミスであったとしても、そこまで声を上げることもないからです。相手を威嚇してその場を丸め込んでしまおうとするのは、自分の過去に禍根やストレスがあり、それを発散しなくてはならない結果として現れたと言えます。

私たちは相手に原因を探したり、自分の暗い過去に縛られるところから解放されなくてはならないのです。イライラや怒りの感情、あらゆるネガティブな行動は自らのうちに蓄えてきた結果から現れるものです。

例の神学生は確かに数十年経って後、なぜあそこまで怒りの鉄拳を食らったのか分かるようになりました。神学生がやらかした事と言えば、あるクリスチャンホームの家庭に居座り教会への帰宅が夜の8時か9時ごろになったことでした。

あの牧師は教会員を「私の羊」であるとして囲いたかったのです。
若い神学生が自分から人望をさらう羊泥棒のように見えて、「今か、今か」と遅い帰宅を待ちきれずにしびれを切らして爆発してしまったのでしょう。

その牧師だったか確認は出来ていませんが、その教団内であった実例です。
かつて教会員が地方出張時に同じ教団の地方教会に日曜礼拝のために出席する時には、所属教会牧師の許可を得なくてはならないとの暗黙の決まりがあったようです。その牧師はある時、許可を与えなかったがために、その人は日曜礼拝にも出席できなかった例があったとのこと。

牧師は羊(教会員)を真の牧者であられる主イエス様につなげるためのサポート役であり、羊飼い自体ではありません。


"わたしは良い牧者です。良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます。
牧者でない雇い人は、羊たちが自分のものではないので、狼が来るのを見ると、置き去りにして逃げてしまいます。それで、狼は羊たちを奪ったり散らしたりします。
彼は雇い人で、羊たちのことを心にかけていないからです。
わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っており、わたしのものは、わたしを知っています。"
ヨハネの福音書 10章11~14節
#メッセージ

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活動と安息

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活動と安息


"するとイエスは彼らに言われた。「さあ、あなたがただけで、寂しいところへ行って、しばらく休みなさい。」出入りする人が多くて、食事をとる時間さえなかったからである。"
マルコの福音書 6章31節

安息。
それは心を鎮まらせて神との対話を始めること。
私たちはなかなかこれができない。
おしゃべりをしたり活動したりすることの方がよっぽど簡単で楽ちんである。

教会では礼拝前の数分間、黙して神を待ち望むことが勧められる。
これに慣れてないと久方ぶりの方や友人に近況報告のおしゃべりが始まる。

なぜ神の前に静まらなくてはならないのか。自らの立ち位置を神の前に調整するため。
そうでないなら「羊飼いのいない羊」(6:34)のように目標のなく彷徨出してしまう。
#メッセージ

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「あなたはわたしに従いなさい」

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「あなたはわたしに従いなさい」




ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。




「あなたはわたしに従いなさい」


ヨハネの福音書 21章17~25節


"イエスは三度目もペテロに、「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛していますか」と言われた。ペテロは、イエスが三度目も「あなたはわたしを愛していますか」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ、あなたはすべてをご存じです。あなたは、私があなたを愛していることを知っておられます。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。
まことに、まことに、あなたに言います。あなたは若いときには、自分で帯をして、自分の望むところを歩きました。しかし年をとると、あなたは両手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をして、望まないところに連れて行きます。」
イエスは、ペテロがどのような死に方で神の栄光を現すかを示すために、こう言われたのである。こう話してから、ペテロに言われた。「わたしに従いなさい。」
ペテロは振り向いて、イエスが愛された弟子がついて来るのを見た。この弟子は、夕食の席でイエスの胸元に寄りかかり、「主よ、あなたを裏切るのはだれですか」と言った者である。
ペテロは彼を見て、「主よ、この人はどうなのですか」とイエスに言った。
イエスはペテロに言われた。「わたしが来るときまで彼が生きるように、わたしが望んだとしても、あなたに何の関わりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」
それで、その弟子は死なないという話が兄弟たちの間に広まった。しかし、イエスはペテロに、その弟子は死なないと言われたのではなく、「わたしが来るときまで彼が生きるように、わたしが望んだとしても、あなたに何の関わりがありますか」と言われたのである。
これらのことについて証しし、これらのことを書いた者は、その弟子である。私たちは、彼の証しが真実であることを知っている。
イエスが行われたことは、ほかにもたくさんある。その一つ一つを書き記すなら、世界もその書かれた書物を収められないと、私は思う。"



⑴愛を土台とした促し


①ペテロの自主性に訴えている

②ペテロと主イエスの信頼関係があって成り立つ


⑵新しい局面における促し


弟子として召された時同様のシーン(ルカ5章)
その時ペテロは動揺を感じたであろうが今回は恐れであり躊躇を覚えたはず

② 信仰生活が深まるにつれて「従う」意味も深まる。得と思えることばかりでなく損と感じることもありえる


⑶ゴールへ方向づけられた促し



①ペテロの従った先にあったもの
〜予言の通りにローマでの殉教死

②ヨハネの従った先にあったもの
〜パトモス島への流刑と主の再臨の幻。黙示録執筆


(結論)
人生の局地戦おいては困難で負けてるように感じることがあるかもしれないが、その大戦略上の大局的見地においては勝利している。主の栄光に招かれていると言う事は最終的な勝利の保証である。

"これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。」"
ヨハネの福音書 16章33節
#メッセージ

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「圧倒的な勝利者」

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「圧倒的な勝利者」


ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。


「圧倒的な勝利者」


ローマ人への手紙 8章31~37節


"では、これらのことについて、どのように言えるでしょうか。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。
私たちすべてのために、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神が、どうして、御子とともにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがあるでしょうか。
だれが、神に選ばれた者たちを訴えるのですか。神が義と認めてくださるのです。
だれが、私たちを罪ありとするのですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのために、とりなしていてくださるのです。
だれが、私たちをキリストの愛から引き離すのですか。苦難ですか、苦悩ですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。
こう書かれています。「あなたのために、私たちは休みなく殺され、屠られる羊と見なされています。」
しかし、これらすべてにおいても、私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な勝利者です。"



⑴供給の保証ー31-32
「すべてのものを私たちに恵んで下さらないことがあるでしょうか」


①父なる神にとり最も大切な存在が御子

②その御子をさえ死に渡された


⑵審判の際の弁護ー33-34


神が義とされたのが信者
これを訴えるのがサタンの役割(ゼカリヤ3:1-2)

② 神の右の座にあるキリストのとりなし


⑶勝利者としての行進



①神のためにほふられる羊とされる試練
〜7通りの試練の中で

②脱出ではなくそのただ中にある勝利


(結論)
キリストにおいて神の愛が現れた。
その愛の力はどんな逆境よりも強く私たちに注がれている。
よって勝利者以上の勝利者とされる。
#メッセージ

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香とは聖徒の祈り

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香とは聖徒の祈り

ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。

「香の壇の建設」


出エジプト記 30章1~10節


"また、香をたくための祭壇を作れ。それをアカシヤ材で作る。
長さ一キュビト、幅一キュビトの正方形で、その高さは二キュビトとする。祭壇から角が出ているようにする。
祭壇の上面と、側面すべて、および角には純金をかぶせ、その周りには金の飾り縁を作る。
また、その祭壇のために二つの金の環を作る。その飾り縁の下の両側に、相対するように作る。これは祭壇を担ぐ棒を通すところとする。
その棒はアカシヤ材で作り、それに金をかぶせる。
それを、あかしの箱をさえぎる垂れ幕の手前、わたしがあなたと会う、あかしの箱の上の『宥めの蓋』の手前に置く。
アロンはその上で香りの高い香をたく。朝ごとにともしびを整え、煙を立ち上らせる。
アロンは夕暮れにともしびをともすときにも、煙を立ち上らせる。これは、あなたがたの代々にわたる、主の前の常供の香のささげ物である。
あなたがたはその上で、異なった香や全焼のささげ物や穀物のささげ物を献げてはならない。また、その上に、注ぎのぶどう酒を注いではならない。
アロンは年に一度、その角の上で宥めを行う。その祭壇のために、罪のきよめのささげ物の、宥めのための血によって、彼は代々にわたり、年に一度、宥めを行う。これは主にとって最も聖なるものである。」"

⑴「香」とは聖徒らが捧げる祈りである


①「私の祈りが御前の香として、、、立ち上りますようにように」(詩篇141:1-2節)

②祭司の勤め
材料を日々に砕いて(謙遜)から日々の必要な分量(その日の必要)を捧げる


⑵角に血を塗る


アロンによる年一度の贖罪の制度。大祭司なるキリストによる贖いを表す

② 祈りにも贖いが必要?
誠意を尽くし言葉を選んだとしても私たちの祈りには欠陥がある。その清めを象徴している。


⑶キリストを通して父の前で祈りとなり得る
「これは主に対して最も聖なるものである」


①キリストの名よって父なる神が私たちの祈りを成就してくださる。ヨハネ16:23。

②キリストご自身が私たちのために執り成しをされている。ローマ8:34。


(結論)
キリストの名によって捧げる私どもの祈りは、清められ、父なる神のもとに届けられ、そしてそのキリスト名において実現される。
#メッセージ

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