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カ〜ラ〜ス〜なぜ鳴くの〜

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ついにワシントン州もカリフォルニア州も新コロナさんに制圧された感です。

ワシントン州では今月末まで、カリフォルニア州・ベイエリアでは4月6日まで食料品医薬品等の生活必需品確保のため以外の目的での外出が禁止されることとなりました。

ジムやカジノ、レストランやバー、理容美容店等のビジネスはこの期間閉鎖です。

そんな中、ウィルス拡散にかかわらず、季節の移ろいや天体の運行にはなんら変化がない事を昨日教えてもらいました。

見晴らしの良い屋上で家族とともに日没を鑑賞。

太陽の上辺が地平線に吸い込まれる直前、近くの木の小枝で休んでいたカラスが一斉に飛び立ち、その数百羽が日没めがけて飛んでいきました。

「カラスが鳴くから帰ろう〜」との童謡を思い出しながら 、私たちも家路に着きました。

人間社会がどれだけパニック陥ったとしても、自然界や動物界の営みは変わらずに粛々と進んでいます。

そして天界においても変わりはありません。

神の人類救済計画は今も現在進行中です。
人が神に至る道は今も備えられています。
神が私たちに保護と平安を与えてくださっていることに変わりはありません。

"わざわいはあなたに降りかからず疫病もあなたの天幕に近づかない。
主があなたのために御使いたちに命じてあなたのすべての道であなたを守られるからだ。
彼らはその両手にあなたをのせあなたの足が石に打ち当たらないようにする。"
詩篇 91篇10~12節
#メッセージ #家庭

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「自立した宗教人の育成」

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「自立した宗教人の育成」
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。




「自立した宗教人の育成」


サムエル記 第一 3章1~18節


"さて、少年サムエルはエリのもとで主に仕えていた。そのころ、主のことばはまれにしかなく、幻も示されなかった。
その日、エリは自分のところで寝ていた。彼の目はかすんできて、見えなくなっていた。
神のともしびが消される前であり、サムエルは、神の箱が置かれている主の神殿で寝ていた。
主はサムエルを呼ばれた。彼は、「はい、ここにおります」と言って、
エリのところに走って行き、「はい、ここにおります。お呼びになりましたので」と言った。エリは「呼んでいない。帰って、寝なさい」と言った。それでサムエルは戻って寝た。
主はもう一度、サムエルを呼ばれた。サムエルは起きて、エリのところに行き、「はい、ここにおります。お呼びになりましたので」と言った。エリは「呼んでいない。わが子よ。帰って、寝なさい」と言った。
サムエルは、まだ主を知らなかった。まだ主のことばは彼に示されていなかった。
主は三度目にサムエルを呼ばれた。彼は起きて、エリのところに行き、「はい、ここにおります。お呼びになりましたので」と言った。エリは、主が少年を呼んでおられるということを悟った。
それで、エリはサムエルに言った。「行って、寝なさい。主がおまえを呼ばれたら、『主よ、お話しください。しもべは聞いております』と言いなさい。」サムエルは行って、自分のところで寝た。
主が来て、そばに立ち、これまでと同じように、「サムエル、サムエル」と呼ばれた。サムエルは「お話しください。しもべは聞いております」と言った。
主はサムエルに言われた。「見よ、わたしはイスラエルに一つのことをしようとしている。だれでもそれを聞く者は、両耳が鳴る。
その日わたしは、エリの家についてわたしが語ったことすべてを、初めから終わりまでエリに実行する。
わたしは、彼の家を永遠にさばくと彼に告げる。それは息子たちが自らにのろいを招くようなことをしているのを知りながら、思いとどまらせなかった咎のためだ。
だから、わたしはエリの家について誓う。エリの家の咎は、いけにえによっても、穀物のささげ物によっても、永遠に赦されることはない。」
サムエルは朝まで寝て、それから主の家の扉を開けた。サムエルは、この黙示のことをエリに知らせるのを恐れた。
エリはサムエルを呼んで言った。「わが子サムエルよ。」サムエルは「はい、ここにおります」と言った。
エリは言った。「主がおまえに語られたことばは、何だったのか。私に隠さないでくれ。もし、主がおまえに語られたことばの一つでも私に隠すなら、神がおまえを幾重にも罰せられるように。」
サムエルは、すべてのことをエリに知らせて、何も隠さなかった。エリは言った。「その方は主だ。主が御目にかなうことをなさるように。」"




⑴ その揺籃期


①幼少期から親元を離れての献身生活

②その摂理の道に忠実であった
1The boy Samuel ministered before the Lord under Eli.


⑵その黎明期


①「神のともしびが消される前であり」
神のイスラエルの対して、人間に対しての期待が消されていないことの象徴表現

②神のメッセージと御心をキャッチするには訓練が必要
4回目にようやく正しい応答ができた少年サムエル




⑶その確立期


「恐れた」(15)が、「隠し立てをしなかった」(18)
先生に対する人間的な恩義 vs. 神の前に1人立つ自立
自立の援助をしているメンターとしてのエリ

②主の預言者としての不動の地位(20)
「主のことば」によって主のご自身の表れに接するのは今日の新約宗教と同様である


(結論)
自立のための意思があるか。

①それは「私の考え・方法」に固執することではない
②与えられている摂理と環境・教育を通じて主のメッセージをとらえる訓練である
③預言者として立てられていると言う自覚に生きるかどうか
#メッセージ

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「ヨセフのところへ行け」

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「ヨセフのところへ行け」


「ヨセフのところへ行け」


創世記 41章53~57節


"エジプトの地での豊作の七年が終わると、
ヨセフが言ったとおり、七年の飢饉が始まった。その飢饉はすべての国々に臨んだが、エジプト全土には食物があった。
やがて、エジプト全土が飢えると、その民はファラオに食物を求めて叫んだ。ファラオは全エジプトに言った。「ヨセフのもとに行き、ヨセフの言うとおりにせよ。」
飢饉は地の全面に及んだ。ヨセフはすべての穀物倉を開けて、エジプト人に売った。その飢饉はエジプトの地でもひどくなった。
全地は、穀物を買うためにエジプトのヨセフのところに来た。その飢饉が全地で厳しかったからである。"



⑴ エジプト全土が飢えた時


①飢饉対策をして十分な食料があった(54)
ヨセフの先見によって豊作の7年間に備蓄
②そのエジプトにもやがて飢える時が来た(55)
「疲れた人、重荷を負っている人」(マタイ11:28)とは、律法主義(充分な防衛体制)に行き詰まり、活路を見出せないでいる姿。


⑵ヨセフのもとに行け


①パロからの全面的な信念と権限の委譲(40-41)
夢の解き明かしとその対策よる知恵の提示
それは神の霊が宿っているゆえ(38)

②イエスのところへ行け
神の言葉の解き明かしとその力ある業はメシアであるとの証明と理解を人々にもたらした


⑶彼のいう通りにせよ


① 「ヨセフはすべての穀物蔵を開けてエジプトに売った」(56)〜王立穀物貯蔵所には無尽蔵の蓄えがあった蓄えがあった

②「わたしから学びなさい。そうすれば魂に安らぎが来ます」(29)
「来る」動作は1時のことであっても、学びはそれ以後の人生全てにおけるもの


(結論)
イエスにある宗教とは、知識や体験、またはあるシステムやノウハウの伝授ではない。
「心優しく、へりくだっている」(マタイ11:29)お方の生き方とそのスピリットを継承することにある。

#メッセージ

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「信仰の挑戦」

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「信仰の挑戦」



「信仰の挑戦」


民数記 14章13~24節


"モーセは主に言った。「エジプトは、あなたが御力によって、自分たちのうちからこの民を導き出されたことを聞いて、
この地の住民に告げるでしょう。事実、住民たちは聞いています。あなた、主がこの民のうちにおられ、あなた、主が目の当たりにご自身を現されること、またあなたの雲が彼らの上に立ち、あなたが昼は雲の柱、夜は火の柱の内にあって、彼らの前を歩んでおられることを。
もし、あなたがこの民を一人残らず殺すなら、あなたのうわさを聞いた異邦の民は、このように言うに違いありません。
『主はこの民を、彼らに誓った地に導き入れることができなかったので、荒野で殺したのだ』と。
どうか今、あなたが語られたように、わが主の大きな力を現してください。あなたは言われました。
『主は怒るのに遅く、恵み豊かであり、咎と背きを赦す。しかし、罰すべき者を必ず罰し、父の咎を子に報い、三代、四代に及ぼす』と。
この民をエジプトから今に至るまで耐え忍んでくださったように、どうかこの民の咎をあなたの大きな恵みによって赦してください。」
主は言われた。「あなたのことばどおりに、わたしは赦す。
しかし、わたしが生きていて、主の栄光が全地に満ちている以上、
わたしの栄光と、わたしがエジプトとこの荒野で行ったしるしとを見ながら、十度もこのようにわたしを試み、わたしの声に聞き従わなかった者たちは、だれ一人、
わたしが彼らの父祖たちに誓った地を見ることはない。わたしを侮った者たちは、だれ一人、それを見ることはない。
ただし、わたしのしもべカレブは、ほかの者とは違った霊を持ち、わたしに従い通したので、わたしは、彼が行って来た地に彼を導き入れる。彼の子孫はその地を所有するようになる。"




⑴ 40日間の試練


①信仰と不信仰の顕現化
12人の偵察隊の内の10人と2人の異なる報告
全会衆の判断(1-3)

②40日が40年の代償
「主の栄光が全地に満ちている」(21)のだから


⑵カレブの霊(24・新改訳2017)


①10人の者らと同じものを見たのに異なる報告(7-9)
何がこの相違を分けたのか


②たましいの性質、「霊」が霊感されているかないかによる


⑶神の経綸の進展


① 40年の遠回りをしても約束の地の嗣業には変化がなかった。モーセのとりなしと契約のゆえに(17-19)

②私たちは神の経綸のどの構成要素となるのか
不信仰の反面教師(Ⅰコリント10章)?
信仰の勇姿(ヘブル11章)?


(結論)
疫病がパンデミックしようとしているこんな現在あっても主の栄光は全地に満ちている。その中で神の経綸は、メシア的王国の完成に向かって進展している。私たちはどのようにこれに関与し参与するのか。
#メッセージ

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「わたしが道である」

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「わたしが道である」


「わたしが道である」


ヨハネの福音書 14章2~11節


"わたしの父の家には住む所がたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。
わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。
わたしがどこに行くのか、その道をあなたがたは知っています。」
トマスはイエスに言った。「主よ、どこへ行かれるのか、私たちには分かりません。どうしたら、その道を知ることができるでしょうか。」
イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。
あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになります。今から父を知るのです。いや、すでにあなたがたは父を見たのです。」
ピリポはイエスに言った。「主よ、私たちに父を見せてください。そうすれば満足します。」
イエスは彼に言われた。「ピリポ、こんなに長い間、あなたがたと一緒にいるのに、わたしを知らないのですか。わたしを見た人は、父を見たのです。どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください』と言うのですか。
わたしが父のうちにいて、父がわたしのうちにおられることを、信じていないのですか。わたしがあなたがたに言うことばは、自分から話しているのではありません。わたしのうちにおられる父が、ご自分のわざを行っておられるのです。
わたしが父のうちにいて、父がわたしのうちにおられると、わたしが言うのを信じなさい。信じられないのなら、わざのゆえに信じなさい。"



⑴ Thomasの筆問ー「どこへいらっしゃるのか私たちにはわかりません」(5)


①弟子たちを代表しての当然のレスポンス
ここで主は十字架による死、ヨミに降ること、復活、昇天、パラダイス創設、再臨までを語っておられるが弟子たちにはちんぷんかんぷん。

②「わたしが道である」
これら神の国設立までの全プログラムを知らなかったとしても救いに漏れる事は無い。イエスご自身を受け入れていたのなら主が全てを成就してくださるから。


⑵ピリポの質問ー「私たちに父を見せてください。そうすれば満足します」


①「わたしを見たものは、父を見たのです」
栄光の神ご自身が30代の通常のユダヤ人男性であると受け入れることが困難だった。
神の栄光の姿を限定的にしか体験し得ることができないのは現代の私たちも当時の弟子たちも同様である。

②「さもなければ、わざによって信じなさい」
メシア的奇跡と呼ばれるわざによって主自身がメシアであられることをユダヤ共同体に分かる形で提示された。
今日の私たちの文化脈に従って主はご自身を啓示しておられる。


(結論)
やがて顔と顔と合わせて主とお会いすることができる

"今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、そのときには顔と顔を合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、そのときには、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。"
コリント人への手紙 第一 13章12節
#メッセージ

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「全能者の陰に宿るもの」

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「全能者の陰に宿るもの」



"それはわが避け所、主をいと高き方をあなたが自分の住まいとしたからである。"
詩篇 91篇9節

「住まい」とする。
世界の創造者にして全能者であられる方に「住まう」ということが人に許されるのだろうか。

それが可能であり、しかも1時だけでなく常にこの生ける神に住まい続けると言う世界があるにをこの詩篇は教えている。

より確かな道が新約時代の私たちには具現化された。
主イエスにとどまると言うことである。

人となってこられたメシアであるこのお方と1つとなる、一体化できるというのが新約の宗教の極致であろう。
"わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木にとどまっていなければ、自分では実を結ぶことができないのと同じように、あなたがたもわたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。"
ヨハネの福音書 15章4節
#メッセージ

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「心を騒がすことなかれ」

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ガリラヤ湖の夜明け ガリラヤ湖の夜明け




「心騒がすことなかれ」


ヨハネの福音書 13章36節〜14章2節


"シモン・ペテロがイエスに言った。「主よ、どこにおいでになるのですか。」イエスは答えられた。「わたしが行くところに、あなたは今ついて来ることができません。しかし後にはついて来ます。」
ペテロはイエスに言った。「主よ、なぜ今ついて行けないのですか。あなたのためなら、いのちも捨てます。」
イエスは答えられた。「わたしのためにいのちも捨てるのですか。まことに、まことに、あなたに言います。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います。」"

"「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。
わたしの父の家には住む所がたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。"



⑴ペテロの主イエス否認預言


①「あなたのためには命を捨てます」(37)
ハッタリではないペテロの本心からの殉教精神。

②「彼は外に出て激しく泣いた」(ルカ22章62節)
もう主の弟子であるとは到底言えない。
愛想つかされて当然だと考えた事でしょう。


⑵心騒がすことなかれ


①「神を信じ、わたしを信じなさい」
ギリシャ語の現在形は現在進行形を意味し、信じる動作が継続していることを意味する。信仰を失いかけた時こそ信じ続けよとの主のお言葉であった。

②「わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました」(ルカ22章32節)


⑶「わたしの心にかない、あなたを名指しで選び出した」(出エジプト33章17節)


選びと召命の事実
「あなたはヨハネの子シモンです。あなたをペテロと呼ぶことにします」(ヨハネ1章42節)

②あなたの救いと信仰は永遠に保障されている
「お弟子達とペテロに、、、告げなさい」(マルコ16章7節)
「ケパに現れ、それから12弟子に現れたこと」(第1コリント15章5節)


(結論)
あなたが道を踏み外し信仰の逸脱があったとしても、主はあなたを見捨てる事は無い。その時、主は胸が引き裂かれる痛みを負いながらあなたのために祈っておられる。
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それぞれの23歳

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それぞれの23歳
今日入ったレストランでカウンター越しの厨房で働いている青年。
日本食レストランで日本人に見えるからといって日本語が話せる人は稀。いつもそうしてるように英語で話しかけてみた。
すると「すみません、英語がわからないんです」と日本語でのたもう。

海外に出て英語学校にも通いほぼ1年間仕事についているけど英語に伸び悩んでいると言う。日本に帰国してさらに英語を勉強するかどうするか迷ってると話して来た。
沖縄出身の23歳の好青年。
その歳になってもやりたいことが決まらず、海外に来ても英語で苦労してる様子が伝わってくる。

23歳と言う年齢はどんなことに挑戦するにもまだまだ若いものであること、英語で苦労するのはお互い様で、20年以上滞在している私自身はその苦労を苦労と認識しない悟りを得たんだというようなことを話した。
そのカウンター席でおでんが彼によってサーブされるのを待っている束の間の時間、FaceTimeタイムラインでは他の23歳の青年の記事が流れて 来た。彼は数ヶ月間河川敷で野宿生活をしながらもウーバーイーツの仕事で資金を貯め、所属教会主催のイスラエルツアーに出かけて今日、1日目の観光巡礼を終えた。エキゾチックな写真と一緒に夢の聖地に降り立った高揚感が伝わってくる。

それぞれの23歳の貴重な青春時代を謳歌している様子が眩しく見えた。

私自身が23歳の時はどうしていたか。
その年、神学院を卒業して赴任した教会は三重県の小さな漁師町にあった。
峠から99曲ある山道を降りて入ってくる世間の情報は取り寄せている一つの新聞紙からのみだった。当時インターネットはもちろん、その生活していた教会堂にはテレビラジオもなかった。
車もない私にはそこから自由に出かけることもままならず、その3000人ほどの町が世界の全てだった。

ある時その教会のある方々がイスラエル旅行に出かけると聞いて羨望の思いで駅まで見送ったこともあった。

今になってつくづくと思うこと。
私たちの神は芸術家である。

当時の私には自由なアルバイト生活や海外旅行ではなく、その小さな町でひたすら伝道や教会の働きに明け暮れることが必要な時期であったように思う。
もし自分で自由に選べる選択肢があっらそのようには選ばなかったかもしれない。私自身よりも私のことをよく知り抜いておられる方は、その時々でベストな環境や状況を配剤してくださっていたのだ。
人の考えも及ばない知恵を持って私たちそれぞれの人生に必要な人との出会い、時々の仕事、生活の場所を用意される芸術家。

そして今回のそれぞれの23歳の青年らにとってもベストな環境であるのだろう。
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「福音のエッセンス」

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「福音のエッセンス」


「福音のエッセンス」


使徒の働き 9章3~9節


"ところが、サウロが道を進んでダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。
彼は地に倒れて、自分に語りかける声を聞いた。「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。」
彼が「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。
立ち上がって、町に入りなさい。そうすれば、あなたがしなければならないことが告げられる。」
同行していた人たちは、声は聞こえてもだれも見えないので、ものも言えずに立っていた。
サウロは地面から立ち上がった。しかし、目を開けていたものの、何も見えなかった。それで人々は彼の手を引いて、ダマスコに連れて行った。
彼は三日間、目が見えず、食べることも飲むこともしなかった。"


⑴栄光の神との出会い


①天からの光〜シャカイナグローリー
地に倒れた彼に声が聞こえる(4)
それが彼を改心へと導く革命的な力を持った声

②同行した人々に同様の声が聞こえてもその実態が把握できていない
現象的経験に留まる(ヨハネ12:29、ダニエル10:7)


⑵福音のエッセンス(実態・中核)を把握した


①「主よ、あなたはどなたですか」
➡️「あなたが迫害しているイエスである」

②「しなくてはならないことが告げられる」
➡️「わたしの名を異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶわたしの選びの器です」(15)


⑶生涯とは、ダマスコ経験の拡大


パウロ書簡に見るキリスト理解の深化
「教会はキリストの体である」(エペソ1:23)
「御子は教会のかしらです」(コロサイ1:18)

②私という人間の源泉、意義と使命感の確立
使徒されたのは神による選定(ガラテヤ1:1)
生まれた時からの選定であった(ガラテヤ1:15)


(結論)
私どものクリシャン生涯は、キリストと出会ったその転機的経験の意味の深化と拡大にある。
絶えず個人的に神との接触、交渉、お取り扱いをいただこう。
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「からし種ほどの信仰」

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「からし種ほどの信仰」


「からし種ほどの信仰」


ルカの福音書 17章4~10節


"一日に七回あなたに対して罪を犯しても、七回あなたのところに来て『悔い改めます』と言うなら、赦しなさい。」
使徒たちは主に言った。「私たちの信仰を増し加えてください。」
すると主は言われた。「もしあなたがたに、からし種ほどの信仰があれば、この桑の木に『根元から抜かれて、海の中に植われ』と言うなら、あなたがたに従います。
あなたがたのだれかのところに、畑を耕すか羊を飼うしもべがいて、そのしもべが野から帰って来たら、『さあ、こちらに来て、食事をしなさい』と言うでしょうか。
むしろ、『私の夕食の用意をし、私が食べたり飲んだりする間、帯を締めて給仕しなさい。おまえはその後で食べたり飲んだりしなさい』と言うのではないでしょうか。
しもべが命じられたことをしたからといって、主人はそのしもべに感謝するでしょうか。
同じようにあなたがたも、自分に命じられたことをすべて行ったら、『私たちは取るに足りないしもべです。なすべきことをしただけです』と言いなさい。」"



⑴信仰を増してください(5)


①弟子たちの願い
主のの行動と行いについていくには信仰が必要であると感じた

②到底実践的出来そうにもない教え
1日に7度許しなさい
罪を犯しているものを戒めなさい


⑵からし種ほどの信仰(6)



①ユダヤ的文学表現〜巨大な困難の比喩
その困難の克服は信仰の大小ではなく有無による

②信仰による偉大な業績
その資源はすべて神から来るので私どもは無益な僕であるとの立ち位置を保たねばならない


⑶信仰がいやしたのです(19)


① 10人のうち1人(サマリヤ人)だけが感謝のために戻ってきた
9人はどこにいるのか(17)〜彼らの信仰はイエスを利用するだけのご利益信仰

②サマリヤ人はイエスへの人格的な信頼があった
それ故肉体的救いばかりでなく霊的な救いにも預かっている。感謝と言う行為は信仰の表れ


(結論)
神の前における自分の分をわきまえなくてはならない。神の資本を使用させていただいている私たちは、決して「何かを仕上げた」と言う意識に立ってはならない。
#メッセージ

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