普段はほとんど開かないままの(汗)聖書通読ガイドブックであるクレイを開いてみました。
今月はパウロの第3次伝道旅行のところが取り上げられていて、私自身が今まで気がつかなかったことを含め、学んだことを整理してお分かちしたいと思います。
それは使徒の働き18章23節から始まります。
①パウロはアンテオケから陸地を通ってエペソまで移動します。
第3次伝道旅行の中心地となったのがエペソで、そこで彼は約3年間ほど腰を据えて働きます。彼の働きはその近辺にも及び、黙示録2章と3章にに出てくる7つの教会は、この時期に彼により開拓され設立されたものと考えられます。
②エペソからトロアスへ向かいます。
旅行記である使徒の働き20章1節にはトロアスへの言及はありません。でもどうしてマケドニアへ渡る前にトロアスに行ったと言えるかと言えば、彼の書簡から解るのです。
"私がキリストの福音を伝えるためにトロアスに行ったとき、主は私のために門を開いておられましたが、
私は、兄弟テトスに会えなかったので、心に安らぎがありませんでした。それで人々に別れを告げて、マケドニアに向けて出発しました。"
コリント人への手紙 第二 2章12~13節
③トロアスから船出してマケドニアのフィリピへ。
ここでテトスに会うことができた。先に代理人としてテトスをコリント教会に送っていたが、その教会がパウロの指導を彼を通じて受け入れたかどうかが非常に気になっていた。テトスから悔い改めたと聞いて大いに慰められたパウロは、ここでコリント人への手紙第2を書いた。
"マケドニアに着いたとき、私たちの身には全く安らぎがなく、あらゆることで苦しんでいました。外には戦いが、内には恐れがありました。
しかし、気落ちした者を慰めてくださる神は、テトスが来たことで私たちを慰めてくださいました。
テトスが来たことだけでなく、彼があなたがたから受けた慰めによっても、私たちは慰められました。私を慕うあなたがたの思い、あなたがたの深い悲しみ、私に対する熱意を知らされて、私はますます喜びにあふれました。
あの手紙によってあなたがたを悲しませたとしても、私は後悔していません。あの手紙が一時的にでも、あなたがたを悲しませたことを知っています。それで後悔したとしても、
今は喜んでいます。あなたがたが悲しんだからではなく、悲しんで悔い改めたからです。あなたがたは神のみこころに添って悲しんだので、私たちから何の害も受けなかったのです。"
コリント人への手紙 第二 7章5~9節
すると、使徒20章1節には、エペソからフィリピに至る旅行が凝縮されていて、そこにはテトス再会についての悲哀こもごもと第二コリントへの手紙の執筆があったのです。
"騒ぎが収まると、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げ、マケドニアに向けて出発した。"
使徒の働き 20章1節
④フィリピからコリントへ
パウロはここで3カ月を過ごすが、ガイオの家に滞在した可能性が大きい(ローマ16:23)。そしてこの3カ月間の滞在中にローマ人への手紙を執筆したと考えられる。
⑤コリントの外港であるケンクレアから直接シリアに海路で向かう予定だったが、陰謀者の情報を聞いて陸路を通りマケドニアを経て帰ることに計画を変更した。
⑥フィリピから船出してトロアスまで行き、そこで7日間滞在している。出発の前夜、屋上の間で長い説教した時にユテコと言う1人の青年が3階の窓から下に落ち、死亡すると言う悲劇が起こる。だが彼の祈りによって蘇生した。
⑦その後アジア州の海岸線を南下する。
海路でアソス、ミティレネ、ミレトスと言う港に寄港ながらの船旅が続く。
⑧ミレトスでは近郊のエペソへ使いを送り、そこの長老たちに集まってもらい、そこで告別説教をする(使徒20章17-38節)。祭りのある五旬節までにはエルサレムについていたかったので時間節約のためであった。そして彼はこれがペソ教会の人たちと会う最後の機会であると直感していた。
⑨ミレトスから船出して、シリアのツロに到着した。
⑩ ツロからエルサレムに登り、第3次伝道旅行が終了している。
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