ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
(序論)
既に達している恵みと、やがてもたらされる栄光の間の中で、私たちは「うめき」と言う苦しみの現実がある。
やがて実現する栄光の約束に比べると取るに足りないものではあるが、3つのうめきが現実にこの世界に存在している。先回は、全世界と私たち人間のうめきを学んだ。今回は御霊ご自身がうめいている箇所。
私たちを助ける御霊〜「御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます」(26)
①肉体と言う制限された牢獄の中に魂は生きている
〜眠りに落ちるゲッセマネの園での弟子たち
②知性や霊性においても制限された中にいる
〜変貌山で眠りに落ちていた弟子たち
(2)私たちを執り成す御霊〜「深いうめきによって私たちのためにとりなしてくださいます」(26)
①祈りを知らない私たち
祈りは神とのコミニケーション。
1方向だけからの訴えではない。
②御霊ご自身が祈っておられる
深いうめきを持って〜言葉にはできないところの深さ
(3) 私たちの内におられる御霊
①私たちを変貌させ続ける人格である
(使徒25:23-24)
アグリッパとベルニケ夫妻は貴人たちを従え威儀を整え盛装して講堂に入る。一方のパウロには囚人服と鎖に繋がれたまま連れてこられた。
②私たちの必要と使命と最善とを知っておられる方である
幽閉の2年間において主との親しい関係を持つことができた〜獄中書簡の執筆へとつながる
(結論)
この世界には、そして人として生きている現実はうめかざるをえない困難なことに遭遇する時がある。
と同時に御霊ご自身が不明取られると言う現実は、次の28節にある信仰者の最終的勝利への約束へとつながる。
「神が全てのことを働かせて益としてくださる」
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