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「人は土を耕すものとなった」

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「人は土を耕すものとなった」


ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。













「人は土を耕すものとなった」





創世記 3章21~24節





"神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作って彼らに着せられた。

神である主はこう言われた。「見よ。人はわれわれのうちのひとりのようになり、善悪を知るようになった。今、人がその手を伸ばして、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きることがないようにしよう。」

神である主は、人をエデンの園から追い出し、人が自分が取り出された大地を耕すようにされた。

こうして神は人を追放し、いのちの木への道を守るために、ケルビムと、輪を描いて回る炎の剣をエデンの園の東に置かれた。"





(1) エデンの園から追放されたアダム





❶裁きの要素

果実・採集生活から労働による農耕生活(17-18)

やがて肉体的な死を迎え、ちりに帰る(19)



❷恵みの要素

労働は、人を堕落から守るようになる

悪を知った人が、そのままの状態で永遠に生きることの苦悩

「いのちの木への道」(24)は一時的に閉ざされていても、やがて開かれるのが暗示されている

「皮の衣を作り、彼らに着せてくださった」ー動物による はじめての生贄 、贖罪の原初タイプ







(2) 創造の業に参与するアダム





❶土地から取り出された地を耕すことで、生命を維持する生業が始まった

その土地と降水は、植物を成長させ、結実させると言う神の業に他ならない



❷主イエスの4つの種類の土地の例え話から

①道端に落ちた種、

②岩地の上の薄い土壌に落ちた種、

③棘によって塞がれてしまう土地、

④手入れされ耕された土地

〜結実に至るには、人手による耕作が必要である





(3) 自分自身を耕し、また耕して頂くアダム





❶農耕には季節を学び、種の種類を選り分け、品種を改良し、他者との共同作業が必要

〜人は自らが頑固な思いを捨てて、自らを耕す者とされねばならない



「culture」は「耕す」を意味するラテン語「colere」に由来初めは土地を耕す意味で用いられていたが、英語に入って「心を耕すこと」の意味で用いられるようになり、そこから「教養」「文化」も意味するようになった





❷その不従順でわがままな人の心を耕す方がおられる



"わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫です。

わたしの枝で実を結ばないものはすべて、父がそれを取り除き、実を結ぶものはすべて、もっと多く実を結ぶように、刈り込みをなさいます。"

(ヨハネの福音書 15章1~2節)



「刈り込み」という修正作業を通じて私たちを教導される父なる神







(結論)







私たちは、失楽園の子孫としての肉体的死と霊的死の状態で生まれてきた。

神の子イエスが究極の生贄として、自らの命を捧げられたことにより、神の前に立てるものとされた。今置かれている世界で神と共に働き、耕すものとされたのである。
#メッセージ

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