「お着物に触る事でもできれば、きっと」
2月
26日
「お着物に触る事でもできれば、きっと」
マルコの福音書 5章25~34節
"そこに、十二年の間、長血をわずらっている女の人がいた。
彼女は多くの医者からひどい目にあわされて、持っている物をすべて使い果たしたが、何のかいもなく、むしろもっと悪くなっていた。
彼女はイエスのことを聞き、群衆とともにやって来て、うしろからイエスの衣に触れた。
「あの方の衣にでも触れれば、私は救われる」と思っていたからである。
すると、すぐに血の源が乾いて、病気が癒やされたことをからだに感じた。
イエスも、自分のうちから力が出て行ったことにすぐ気がつき、群衆の中で振り向いて言われた。「だれがわたしの衣にさわったのですか。」
すると弟子たちはイエスに言った。「ご覧のとおり、群衆があなたに押し迫っています。それでも『だれがわたしにさわったのか』とおっしゃるのですか。」
しかし、イエスは周囲を見回して、だれがさわったのかを知ろうとされた。
彼女は自分の身に起こったことを知り、恐れおののきながら進み出て、イエスの前にひれ伏し、真実をすべて話した。
イエスは彼女に言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。苦しむことなく、健やかでいなさい。」"
(1) 希望を失った女性
①不治の病
12年間の漏出を病む女性~体力を消耗するばかりか、社会的に大きな制約を受けた。
レビ5:25
②悪くなる一方であった
全財産をつぎ込んでも医者には解決できずに、症状は悪化するだけ
これはまさに罪ある私たちの写し絵ではないか~ドラック、酒、快楽などに溺れて中毒になった挙句、健康と財産を失う。
(2) イエスのことを耳にして
①イエスをメシアであると信じて
メシアにしかできない癒しの奇跡を、主が行っていることを耳にしたゆえ
② 「お着物に触る事でもできれば、きっと直る」
ユダヤ人男性の着るガウンの四隅についているフサの事
自分に直していただく資格があると考えたのではない。癒し主にその権威があるとの確信。
(3) 病気にかからず、健やかで
①主のなされた「救い」=「直る」(28,29,34)の業は、瞬間の出来事
私たちを赦し、命を与える主の業は瞬間的である
恐れ震えながらも、主がしてくださったことを告白して確証を得る
②その後の人生においても健やかであれとの継続される祝福
主に対する感恩と感謝からの信頼関係が継続した
(結論)
時に私たちは重たい現実を前にしてどう祈ればよいのか、人々に説明したら良いのか分からないことがある。そんな私たちの罪や汚れ、恐れや戸惑う心を主はご存知だ。
主はそんな私をも拒絶されずに受け入れてくださる。礼拝に来たのは、御衣に触れるため。それだけでも良いのではないか。