「立って、真ん中に出なさい」
6月
15日
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージ・アウトラインです。
「立って、真ん中に出なさい」
マルコの福音書 3章1~6節
"イエスは再び会堂に入られた。そこに片手の萎えた人がいた。
人々は、イエスがこの人を安息日に治すかどうか、じっと見ていた。イエスを訴えるためであった。
イエスは、片手の萎えたその人に言われた。「真ん中に立ちなさい。」
それから彼らに言われた。「安息日に律法にかなっているのは、善を行うことですか、それとも悪を行うことですか。いのちを救うことですか、それとも殺すことですか。」彼らは黙っていた。
イエスは怒って彼らを見回し、その心の頑なさを嘆き悲しみながら、その人に「手を伸ばしなさい」と言われた。彼が手を伸ばすと、手は元どおりになった。
パリサイ人たちは出て行ってすぐに、ヘロデ党の者たちと一緒に、どうやってイエスを殺そうかと相談し始めた。"
(1) 片手の萎えた人
①会堂の隅に遠慮勝ちに座っていたか?第一次産業が主な産業であった当時の社会で、生産性の低い男性は、肩身が狭かった
②パリサイ人らがじっと見ていた~イエスを罠にはめるための道具として利用されていた可能性がある~いよいよ居場所を失い、人としての尊厳を見失っていたであろう
(2)立って、真ん中に
①真ん中に導き出した理由~イエスの想いと眼差しはその人自身に向けられ、その人も生きるに値いし、神の恵みを受けるににふさわしい存在であることを示した。
②イエスの問い~安息日に相応しいのは、悪/善、命/殺か?
答えられない彼らに対するイエスの嘆き
答えられない彼らに対するイエスの嘆き
(3) 手を伸ばしなさい
①元々動かない手であり、常識を飛躍した大きなチャレンジ
イエスに対する信頼が、その男をして挑戦に駆り立てた
イエスに対する信頼が、その男をして挑戦に駆り立てた
イエスの噂を耳にし、その人となりに接したゆえの直感か
②たちまちに癒された手
私たちの萎えた心も、弱った体も、イエスの言葉に従うときいのちを得る
(結論)
宗教の規律や教義から他者を裁き判断するなら、自他共に殺す者となり得る
居場所のない隅にいる私にも主は声をかけてくださった。「真ん中に出よ」と
この朝、萎縮している心と体にいのちを与えていただこう