先週のオレゴン・トリップでは、サンド・ボードを初めて経験。
7年後のオリンピック競技に参入できるかしらん?
この日、2020年夏のオリンピック開催都市に東京が選ばれたことが報道され、
私も少々、というか、実を言うと大いに感動。
NHK「クローズアップ現代」で、その選出方法の舞台裏が紹介されていた。
それによると、世界に103名いるIOC委員の無記名投票による選挙で決められるが、
その選出基準は各委員に完璧に任されているもので、
各候補地による露骨なロビー活動の対象となる。
103名のうちの57名は、
IOC前会長であるサマランチ氏による任命による委員が今も残る。
スペインのIOC委員であり、招致委員会委員長出る、
ご子息のサマランチ・ジュニアには、父親譲りの強固なパイプがその57名にある。
そのような中、苦手とされた日本側のロビー活動も積極的に行われ、
何よりも「All Japanでつかんだ勝利」であるとは、
日本IOC委員兼招致委員長の竹田氏の弁。
竹田氏は「最高で60票はとれるだろう」との事前予想の通りに、
決選投票で過半数の60を獲得しての勝利。
ということは、誰がどの国に投票するかはおおよそ見当がついている事になる。
オリンピックで金メダルを獲得する選手を予測するよりも、
はるかに客観性の高いゲームであるといえよう。
101から太平洋に突き出した灯台を眺める。
オレゴン・トリップから。
ポートランドからの帰り道、ハイウエイ5は、
州都オリンピアにある州立議事堂の隣を掠めるように抜けている。
そのオリンピック市街に至る直前に、ハイウエイ101への分岐点がある。
101へ入るとピュゼット湾の西岸を洗いながら進み、巨大な入り江を挟んでカナダ国境まで北上している。
左手にあるオリンピック山脈を抱きかかえるように、
101は左へ折れて、東へ進む。
太平洋岸近くで南に進路が折れている。
その辺りは昨年、キャンプしたところ。
フラッタリー岬も訪れて、
地元のマカ族・インディアンが運営しているレストランでランチをご馳走となった。
日本人漁師の漂流民がマカ族に助けられて、
幕末の開国史に名を連ねるようになるが、彼らが上陸したのもその辺り。
101は以後、ワシントンからオレゴン、カリフォルニアの太平洋岸
を洗いながら続いている。
先週のオレゴン・トリップでは、
その101をカリフォルニアの北岸からオレゴン州北部までを北上したことになる。
この日、公園に設置されてある案内板を見て、
101がオリンピアを始点・終点としているのを始めて認識した。
オレゴンのアイスクリームショップにて。
2次選考合格の知らせを受けた直後の長女。
先週のオレゴン旅行中に、
長女のブロードウエイミュージカル"オリバー"の
子役オーディションの合格結果がメールで届きました。
そのときが第2次選考。
そしてこの日は最終選考。
会場はシアトルのFifth Theater.
200人ほどの集団でダンスをしたり、
課題曲を歌ったりしたそうです。
本人曰く、この日はどうも調子が上がらずに、声が出なかったようです。
ダンスも訓練をしていないためか、自信が持てなかったとか。
もし抜擢されたとすると、学校も休まねばならなくなるし、
感謝祭やクリスマス休暇も返上しての特訓となります。
運命の分かれ道は来週に。
家内のたっての願いでこの看板をパチリ。
「ポートランドよ、そのまま変わり者であれ」
さて、私は一人で再びポートランドへ出張である。
この日宿泊したホテルに、USA TODAY新聞が置いてあった。
その一面記事に、興味をそそる統計が紹介されてあった。
通勤に自転車を主に使っているとする市民の割合で、ポートランドが全米一位。
上位には何れも西海岸の都市が占めている。
「自転車が主な通勤手段である市民の割合」
ポートランド 6.3%
シアトル 3.5%
サンフランシスコ 3.4%
ミネアポリス 3.4%
ワシントン 3.2%
もう一度統計を見てほしい。
5位から2位までは、その数値にほとんど変わりはない。
1位だけは飛び抜けていて、2位に大きく差をつけてその倍ほどある。
確かにこのポートランドでは、自転車専用道路が至る所に整備されている。
街の中にも、車道の端にきっちりと自転車用の別枠が設けられているところが多い。
ダウンタウンを突き抜けて東西の郊外へと伸びる路面電車(ストリートカー)は、ホームから段差がなく、自転車持込がたやすいことも一役買っているようだ。
何よりオレゴニアンは、がつがつせずにおおらか。
自然愛好家であり、ゆえに公害も嫌いな上、五体を自然界に晒したいらしい。
湖畔の夜明け~オレゴン・トリップから
本日から進学年度が始まる。
長男は小学5年生へ。
小学校最終学年である。
集団登校のないこの地区では、車で送迎しない限り、
親が学校まで送っていくことになる。
車送迎をねだり、他の子供たちのようにせよとせがむ長男であるが、
私は首を縦に振らない。
「山形の小学生たちを見よ。
お前より3倍も遠い道を酷暑の中、歩いているではないか」
自ら体験している分だけ、
このフレイズには説得力があり、以後反論はしなくなった。
家から一歩離れると、車に乗る生活が普通のここの社会では、
大人も子供も意識しなくては、歩くことが極端に減って来る。
「歩くことで新鮮な朝の空気を体内に取り込み、
有酸素運動が脳への血流をうがなし、勉強への良い準備となる。」
と、信じている頑固なオヤジでした。
オレゴンへ旅行へ行っていたりして、見れなかった「八重の桜」を久方ぶりで見た。
新島襄が八重さんにプロポーズする場面を楽しみにしていたが、何とも拍子抜けである。
米国で教育を受けたからといって、あそこまで女性の権威を持ち上げることは当時あったとは思えない。
米国ですらその当時、フェミニズムは今日ほど盛んでないはずだ。
譲さんは、命を懸けて密航した侍である。
途上、言葉の不自由さゆえに無礼を働いた外国人を切り捨てようとまで激昂したこともある。
ドラマが描いている草食男子ぶりは、実際とは大きく異なるだろう。
八重さんの肉食ぶりを引き立たせるためか、現代的男性を演出して受けを良くするためだろうか?
この夏のオレゴン・トリップから
「山麓で勝利するために」
マタイ17章19~ 27節
~マタイ福音書連続講解説教46~
聖書本文とメッセージノートはこちらから:
http://wdx.hosannamin.org/whatsnew/view/7192746
山麓では、9人の弟子たちが戦いに巻き込まれていました(9~18節)
今回は、その世界にある現実問題にどう対処して行けば良いのか、という観点から
主イエスの教えを学んで見ましょう。
私たちは常に問題に取り囲まれてますが、
勝利のための秘策も用意されているからです。
Ⅰ 生きた信仰によります(19~21節)
「なぜ自分たちでは悪霊を追い出せなかったのか」
と密かに弟子たちは主に問いかけます。
かつて悪霊追放のための権威も与えられていて、
実績もあった(10:8)のに、
ここで律法学者たちとの議論にも破れて面子を失っているのです。
主イエスのお答え(20)は、
「信仰が薄いから」という、直球できびしいお言葉でした。
彼らは、活性化されていない信仰状態にあり、
過去の経験や、
優位な立場・肩書きに頼っても、
霊の世界では意味がないのです。
「からし種ほどの信仰があれば」と主は言われます。
これは最も小さなものを表すユダヤの格言です。
小さな「信仰」であっても、
種の中には命があるように
それが生きた信仰であるなら
そこに神からの命が通い、
「山」をも動かす、と言われます。
「山」とは、克服困難な大問題を比ゆ的に表現するユダヤの文学形態です。
マタイ21:21
すなわち「山を動かす」とは、
神にしかできない大問題を解決することで、
ここでは、口の聞けない悪霊を追放することでした。
神には不可能は一つもないのです(ルカ1:37)。
処女降誕も、
死からの復活も、
罪の赦しも
神にしか実現不可能な「山」です。
その神の力を引き出すパイプ役が信仰です。
その信仰を抱いて、世界の山と対峙するのです。
Ⅱ 御心への献身(22~23節)
主は、本拠地・カペナウムへ帰ってこられました。
そこで2回目の主の受難告知をされます。
初めての受難告知がピリポ・カイザリヤでのリトリートの最中でした。
いわば非日常での思いがけない啓示でしたが、
ここ彼らの生活の場にあっても、
主の定められたゴール(十字架)は、
変わらないことが示されます。
主イエスは父なる神の御心に献身しているのです。
弟子たちには不評ですし、多くの群衆にも理解できないことでした。
しかしそれは、旧約聖書預言の成就の道であり、
主が地上に来られた目的でもあったのです。
ここに不遇の境遇にあっても勝利する秘訣があります。
人の感心や自己の都合ばかりでなく、
最後のところで父なる神の御心に追従するかどうかです。
Ⅲ 他者への愛の配慮(24~27節)
徴税人たちは弟子のペテロに詰問します。
「あなた方の先生は、宮の納入金を納めないのか」
連続したリトリートゆえに、神殿税の納入期限が過ぎていたのです。
ここで神殿税とは、
20歳以上のすべてのユダヤ人が過ぎ越しの祭りの際に
神殿経費として納めていたものでした(出30:13)。
主は口伝律法をことごとく無視されました。
安息日の詳細な仕事をしない決まりや、食前の清めの儀式などです。
ただしモーセ律法はことごとく守り、一度も破られたことはないのです。
既成権威のパリサイ人達とは衝突されること多く、
ラディカルに見えた主でしたが、
本来の旧約聖書の権威にはことごとく従われていることを見逃してはなりません。
世の王たちはその家族・子供たちから税を徴収しないことをたとえに、
主イエスには納税の義務はないことをペテロに教えられます。
主こそ、神殿の主人であられるからです。
ところが、
「彼らにつまずきを与えないために」湖で釣りをするように命じて、
その口にあるスタテル1枚を
ペテロと合わせた二人分の神殿税とするよう命じられます。
福音の本質的な事柄でないなら譲歩して、
時に権利も放棄された主の姿から学びましょう。
真理を曲げてまで世の風潮に追随はできませんが、
どちらでも良いことなら、
相手がつまずきとならないための最大限の配慮をしましょう。
沖合いに、鯨が潮を噴き上げているのが見えました
誰もいないBeachが子供にはお気に入りだったようです
太平洋の水は冷たく、泳ぐことはできません。
日本のように沖合いは暖流でなく、北からの寒流が流れているからです。
Beachでは、ひざまで水に浸かってみました。
数分としないうちに、骨の芯までが冷やされるのを感じます。
さらにしばらくすると、痛みを感じるほどです。
ただ、ある日のBeachの砂は太陽に熱せられて、フライパンの上を歩かされているような暑さに耐えられませんでした。
太平洋岸を北上する間、多くの灯台を見つけました。
オレゴン州の太平洋岸は、101という高速が南北に伸びています。
I-5という基幹道路ができる以前は
カリフォルニアとワシントンを結ぶ唯一の道路でした。
それだけに古い町並みもあちこちに残っていて、
家内はそんな歴史を感じる古い町に一人で早朝、カメラを片手に入っていきました。
それに灯台も、いうまでもなく船舶には重要な役割を担っていて、
それが地域のランドマークになっていたりしています。
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