写真はすでにオレゴン・トリップです。
セントラル・オレゴンには広大な荒野が広がっています。
今週、我が家は夏休みを戴きます。
当初、カリフォルニアのヨセミテまでを計画したのですが
それですと2週間近くの日程が必要なため、今回は見送ることに。
オレゴン州は近くといっても、まだ未踏破地域が数多く残っています。
この日も家内はオレゴン州でのアクティビティの調査や予約に余念がありませんでした。
後日、その様子も紹介していきます。
川の左側にそびえる岩山が、Smith Rock。
その右側の岩山にこれから上るところです。
都市部から数時間のドライブで、このような広大な荒野が手付かずのまま残されています。
この日の聖書広場には、
明治大学で教員をされていらっしゃるS氏がお出で下さいました。
毎年S氏は8月のこの時期に、
教員仲間や大学生を伴ってシアトルに数週間、滞在されます。
学生たちをクリスチャンホームに滞在させながら、
「米国のキリスト教に触れることで、その文化の根底を理解してもらう」
というコンセプトがあるようです。
その学生たちは、
米国の地元教会に出席されるのですが、
S氏とすでに社会人となられた教員の皆様は毎年、
当ホサナ教会に出席して下さいます。
毎週続けているマタイの福音書の学びは、
突然のゲストの方にはハードルが高いはず。
そこでこの日は、
私が高校時代にどのようにして信仰に導かれたかを、
お話しさせていただきました。
すでに30年を経過した出来事ですが、
昨日のことのように鮮明に記憶に残っています。
数日後に帰国された皆様の上に、
神様の祝福が豊かでありますように。
これはオレゴン州中央部に広がる荒野です。
毎週日曜日、午後6時からホサナ教会では日曜礼拝をしています。
この夕方の時間帯に、
それも「聖書広場」と銘打って持つようになってから約1年が経とうとしています。
「広場」としたのは、質問・コメント・ツッコミ歓迎で、
誰もが疑問や不明な点を自由に発言できる狙いがあります。
コの字型の几配置で皆が向かい合って着席します。
私もその端っこの席からメッセージを語らせて頂いています。
難解な聖書の箇所に差し掛かると、質問のオンパレードが続くことがあり、
その質疑応答に費やす時間の方が説教自体よりも長くなることもしばしばです。
思っても見なかった読み方の視点をそこから私が教えられることが多く、
語る側も聴く側も、
どのように発展していくか1分先は分からない集会の流れに、
緊張感を絶やすことなく学びが進められて行きます。
その日に学ぶ聖書箇所は、前日の土曜日の夕刻ほどには「メッセージ・ノート」として当教会のWEBに3ページほどのアウトラインがUPされます。
出席者の皆さんはそれを一読して、各自で印刷して来会されています。
現在では、マタイの福音書を1章から扱って17章にまで至りました。
連続メッセージをして、46回が終わりました。
マタイ福音書は全部で28章ありますから、全巻を扱うには100回ほど続けなくてはならないでしょう。
この先、悠に1年はかかりそうです。
礼拝の集会ですから信仰者対象に自由献金がありますが、
入会金等の義務はなく、もちろん入会も退会も何時でも可能です。
クリスチャンでない方でも大歓迎です。
「聖書を一度読んで見たい、
何が書かれてあるのか興味がある、
一人で読むよりも皆で学んだ方が刺激がありそうだ」
そのようにお考えの方、ぜひ一度聖書広場にお越になられてみては?
貴方のお越しをお待ちしています。
ホサナ教会のWEB
http://hosannamin.org/
あの8月15日も猛暑の一日であったと聞きます。
今夏の日本は毎日、その猛暑がトップニュースです。
そんな平和な時代がずっと続きますように。
8月15日は、68回目の終戦記念日でした。
近隣諸国と領土問題を抱えた上に、
安倍首相がその近隣諸国には国粋主義者に見えるらしくて、
今年ほど「歴史認識」がかまびすしいキーワードとなっている外交世界
もないのでは、という印象。
先日の広島と長崎で行われた平和式典で、
イスラエル政府高官で元幹部のダニエル・シーマン氏が
自らのフェイスブックに書き込んだ内容はいただけない。
「独善的な式典にはうんざりだ。
広島と長崎(の原爆)は日本の侵略行為の報いだ」
さらに、
「日本は帝国主義や大量虐殺の犠牲になった中国人や韓国人、
フィリピン人などを追悼すべきだ」とも書いたという。
日本政府からの抗議とイスラエル政府からの注意も受けて、
すぐにその発言を削除したが、
そのように認識する人はシーマン氏だけではないだろう。
お隣の韓国の新聞は、原爆が「神の懲罰だ」なんて論評したというし、
米国では戦争終結を早め、数十万の米国人兵士の人命を救った
「平和の兵器」だなんて言うあべこべがまかり通るところもあるとか。
未だに、必要悪であり、正義の爆弾だったという見方が実際に存在する。
あの原爆の雲の下で、
どのような地獄絵が展開していたかの想像力が
乏しいのではないかと疑ってしまう。
いや想像力というよりも、
科学的な検証と事実の直視をしたのなら、
そのような発言が出て来るものでしょうか?
どの国の立場に立つかで、原爆や日本の敗戦に対する認識も変わってきます。
でも、どの国の人にも共通していることがあります。
それは、
すでに過去となった歴史を、自らの寄って立つ社会の視点から読み込んで、
これに論評、ひいては断罪・断定している点。
その評論家自身の歴史認識は伺えても、
それなら将来をどうしたいのか、という未来志向の発想がない。
8月15日は、一般の米国人はどう感じているのだろう?
アンケートのような問いをその日、知人数人に聞いてみました。
「本日、何の日だか知ってますか?」
誰もがその日のことを知らない、と答えてました。
「日本と戦争して、終わった日です」
と私が答えたとき、あるご婦人が次のように返答をしてくれました。
「それは良かったわ。
私は戦争が始まった日よりも、終わった日を喜びたいのよ。」
市井の女性が持っていたこの単純で、
優れた平衡感覚を大切にしたい
と思わされました。
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サクラメント・バプテスト教会牧師の荒井先生ご夫妻と。
ご子息のTaroさんは其の著作の中で、「母親の作る手料理は世界で一番だ」と書いておられましたが、私も同意します。
Mikuniレストランの創業者であられ、
バプテスト教会牧師の荒井先生ご夫妻のご自宅にお邪魔となり、
夕食をご馳走になりました。
日本での伝道生活、渡米時の苦労、創業時のこと、ご家庭や教会のこと、、、
そのすべてに神の恵みの導きがあり、ここまでやってこられたことを伺いました。
密度の濃い、祝福あふれる宵となりました。
Mikuniでのランチは、J st.ロール。
ダウンタウンの中央を走るJ stを冠したもの。
サクラメントに来て忘れてはいけない日本レストランが、Mikuni.
市内にMikuniが6店舗ほどもあって、どこに行こうかと迷うが、
今回はMidtown店に。
平日のランチだというのに、店内はすでにテーブル席が満席で行列ができていた。
オフィス街に位置するだけあって、公務員がランチを食べに来る。
寿司でありながら、その体裁や概念を超越してしまったMikuniの寿司。
数百もあるメニューから一つを選ぶのは至難の業なので、
受付テーブルに案内されていた今月のスペシャルを素直に注文。
新装したサクラメント空港。
巨大なウサギが出迎えてくれました。
数年ぶりにサクラメント空港に降り立った。
改装、拡大、改良されていて、それまでのこじんまりさがウソのよう。
到着ゲートから、手荷物受取所までの移動に無人トレイル電車が新しく設置。
コンコース建物自体がどこも作り直したと見えてきれいです。
ガス・ワークス・パークには起伏激しい芝生の丘が波を打ってます。
丘の上からシアトル・ダウンタウンを望んで。
この雲の並び方、芸術的でしょ。
久方ぶりにシアトルのガス・ワークス・パークへ行ってきました。
家内が撮った写真があまりに上出来ですので、紹介します。
オレゴン・トリップから
「山麓での戦い」
マタイ17章9~18節
~マタイ福音書連続講解説教45~
聖書本文とメッセージノートはこちらから:
http://wdx.hosannamin.org/whatsnew/view/791845
ヘルモン山の頂で栄光ある主の輝き、
モーセとエリヤの顕現の特別の祝福に預かった弟子たちは、
今やその山を下る時が来ました。
山頂から山麓への下山は、
シャカイナ・グローリー(神の栄光)の臨在から、
罪と悪霊に関わる暗闇の世界への移動を象徴とするものです。
• それはすでに天の御座を捨てて、
地上に下られた主イエスの謙遜さに模範が見らます。
• 教会内にある恵みの世界から、
ミッション(伝道)の場へと派遣される私たちにとっても身近なトピックスです。
私達もまた栄光ある場所から、
問題の渦巻いている現実世界へと遣わされているからです。
Ⅰ 下山途上にて(9~13節)
弟子たちは、「律法学者たちはエリヤが先ず来ると言っているが…」
と主に訪ねます。
そのような疑問が彼らの内に沸き起こるのも、
旧約聖書時代からの伝統と信仰とのゆえです。
マラキ4:5~6の預言のよれば、
メシア到来前にエリヤがやって来て、
人々の心を整えることになっている。
そのエリヤを山上で目撃した彼らは、
「今や、メシア王国の樹立だ」と考えた。
そのエリヤが見えなくなってしまった今、
イエスのメシア性と預言成就の関連性に疑問が生じたというのです。
それに対して主は、
エリヤはすでにB.ヨハネがそのタイプとして来たのである、
とお答えになられます。
そのタイプとしての預言は、マラキ3:1にあります。
なお、本物のエリヤは今後、主の再臨前に地上にやって来られます。
それは黙示録11:3に預言されている
「二人の証人」のうちの一人であると考えられています。
彼らは大艱難時代のエルサレムで、
3年と半年間伝道したあとに殉教死を遂げますが、
復活して天へと挙げられて行きます。
その奇蹟は、多くのユダヤ人を信仰へと目覚めさせるしるしとなります。
さて、山麓(世の戦い)に臨む私達が身に付けなくてはならない準備が、
この下山途中の会話から読み取れます。
それは、
• 主の言葉を聴いて、聖書理解に進むことが準備となり
• それは、神の人類救済計画の全体の流れを把握することに他ならず
• 神のことば・約束が今度も違わずに成就して行くことの確認です
Ⅱ 山麓にて(14~18節)
麓で彼らを待っていた戦いとは、
一人息子(ルカ9:38)が幼い時から(マルコ9:21)
悪霊に取りつかれているのでどうかしてほしいという、父親の問題でした。
律法学者たち(マルコ9:14)が激しく弟子たちと議論をしていました。
弟子たちには悪霊追放ができなかったからです。
それはかつて彼らに与えられていた権威(10:8)なので、
試みたはずなのですが、、、
弟子たちの失態は、
律法学者たちの格好の攻撃材料、
物笑いの種となっていました。
主は、
真っ先に愛弟子たちをかばう代わりに、
深く嘆息されて嘆かれました。
「不信仰な、曲がった今の世だ。…
いつまであなたがたに我慢していなくてはならないのでしょう」
それでは、ここでの「あなたがた」とは誰で、
主は誰を嘆いておられたのでしょうか。
結論を言えば、その場に居合わせた者たち全員です。
• 父親のことである:
子供の幼少時から悪霊の干渉を受けるほどに、
信仰から離れた家庭生活を築いていた責任がある
• 9人の弟子たちのことである:
かつてガリラヤ伝道では悪霊追放ができたのに、今回は不能となっている。
ピリポ・カイザリヤ以後、信仰の歩みからそれてしまった。
主の受難告知が彼らにとって心外であったから。
• 律法学者たちである:
偏見から、どれほどメシア奇蹟を目撃しても、メシア拒否をすでに決定していた。
山麓とは、
常に神の国の反対者(パリサイ人)、
無関心者(父親)、
無理解者(弟子たち)
であふれている世界である。
その現実の中で、私達はどんな問題も主の下に持っていくことができる。
「その子をわたしのところに連れてきなさい」
日本式のホットドックを食べさせてくれるこの店が大盛況。
他の店は半分も人がいないですが、ここだけは人であふれていました。
私がランチをしたのはここ。
カレーライスは日本の味。それもそのはず、6名いたすべての従業員は日本人です。
もう1回だけ、ヴァンクーバーのことを記します。
やはり、グルメ情報を載せませんとね。
シアトルから北上した高速道路が、
バンクーバーのダウンタウンに入るには
入江をまたぐ大きな橋を越えねばなりません。
その橋を通って市内中心部を貫いている道が、Granville通りです。
GranvilleがRobsonと交差した辺りの界隈は、
ブティックやお土産屋などが立ち並び、
観光客ばかりでなく地元の人たちで賑わっています。
その交差点から東へ進んで数ブロック、
Homor通りまでの南側は気取らないレストラン街となってます。
気軽に食事を楽しむなら、このところがお勧め。
日本料理だけでも、牛丼、カレーライス、うどんやそばなどの店が軒を連ね、
最近地元民に注目の日本式ホットドックの店が盛況でした。
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