新装したサクラメント空港。
巨大なウサギが出迎えてくれました。
数年ぶりにサクラメント空港に降り立った。
改装、拡大、改良されていて、それまでのこじんまりさがウソのよう。
到着ゲートから、手荷物受取所までの移動に無人トレイル電車が新しく設置。
コンコース建物自体がどこも作り直したと見えてきれいです。
ガス・ワークス・パークには起伏激しい芝生の丘が波を打ってます。
丘の上からシアトル・ダウンタウンを望んで。
この雲の並び方、芸術的でしょ。
久方ぶりにシアトルのガス・ワークス・パークへ行ってきました。
家内が撮った写真があまりに上出来ですので、紹介します。
オレゴン・トリップから
「山麓での戦い」
マタイ17章9~18節
~マタイ福音書連続講解説教45~
聖書本文とメッセージノートはこちらから:
http://wdx.hosannamin.org/whatsnew/view/791845
ヘルモン山の頂で栄光ある主の輝き、
モーセとエリヤの顕現の特別の祝福に預かった弟子たちは、
今やその山を下る時が来ました。
山頂から山麓への下山は、
シャカイナ・グローリー(神の栄光)の臨在から、
罪と悪霊に関わる暗闇の世界への移動を象徴とするものです。
• それはすでに天の御座を捨てて、
地上に下られた主イエスの謙遜さに模範が見らます。
• 教会内にある恵みの世界から、
ミッション(伝道)の場へと派遣される私たちにとっても身近なトピックスです。
私達もまた栄光ある場所から、
問題の渦巻いている現実世界へと遣わされているからです。
Ⅰ 下山途上にて(9~13節)
弟子たちは、「律法学者たちはエリヤが先ず来ると言っているが…」
と主に訪ねます。
そのような疑問が彼らの内に沸き起こるのも、
旧約聖書時代からの伝統と信仰とのゆえです。
マラキ4:5~6の預言のよれば、
メシア到来前にエリヤがやって来て、
人々の心を整えることになっている。
そのエリヤを山上で目撃した彼らは、
「今や、メシア王国の樹立だ」と考えた。
そのエリヤが見えなくなってしまった今、
イエスのメシア性と預言成就の関連性に疑問が生じたというのです。
それに対して主は、
エリヤはすでにB.ヨハネがそのタイプとして来たのである、
とお答えになられます。
そのタイプとしての預言は、マラキ3:1にあります。
なお、本物のエリヤは今後、主の再臨前に地上にやって来られます。
それは黙示録11:3に預言されている
「二人の証人」のうちの一人であると考えられています。
彼らは大艱難時代のエルサレムで、
3年と半年間伝道したあとに殉教死を遂げますが、
復活して天へと挙げられて行きます。
その奇蹟は、多くのユダヤ人を信仰へと目覚めさせるしるしとなります。
さて、山麓(世の戦い)に臨む私達が身に付けなくてはならない準備が、
この下山途中の会話から読み取れます。
それは、
• 主の言葉を聴いて、聖書理解に進むことが準備となり
• それは、神の人類救済計画の全体の流れを把握することに他ならず
• 神のことば・約束が今度も違わずに成就して行くことの確認です
Ⅱ 山麓にて(14~18節)
麓で彼らを待っていた戦いとは、
一人息子(ルカ9:38)が幼い時から(マルコ9:21)
悪霊に取りつかれているのでどうかしてほしいという、父親の問題でした。
律法学者たち(マルコ9:14)が激しく弟子たちと議論をしていました。
弟子たちには悪霊追放ができなかったからです。
それはかつて彼らに与えられていた権威(10:8)なので、
試みたはずなのですが、、、
弟子たちの失態は、
律法学者たちの格好の攻撃材料、
物笑いの種となっていました。
主は、
真っ先に愛弟子たちをかばう代わりに、
深く嘆息されて嘆かれました。
「不信仰な、曲がった今の世だ。…
いつまであなたがたに我慢していなくてはならないのでしょう」
それでは、ここでの「あなたがた」とは誰で、
主は誰を嘆いておられたのでしょうか。
結論を言えば、その場に居合わせた者たち全員です。
• 父親のことである:
子供の幼少時から悪霊の干渉を受けるほどに、
信仰から離れた家庭生活を築いていた責任がある
• 9人の弟子たちのことである:
かつてガリラヤ伝道では悪霊追放ができたのに、今回は不能となっている。
ピリポ・カイザリヤ以後、信仰の歩みからそれてしまった。
主の受難告知が彼らにとって心外であったから。
• 律法学者たちである:
偏見から、どれほどメシア奇蹟を目撃しても、メシア拒否をすでに決定していた。
山麓とは、
常に神の国の反対者(パリサイ人)、
無関心者(父親)、
無理解者(弟子たち)
であふれている世界である。
その現実の中で、私達はどんな問題も主の下に持っていくことができる。
「その子をわたしのところに連れてきなさい」
日本式のホットドックを食べさせてくれるこの店が大盛況。
他の店は半分も人がいないですが、ここだけは人であふれていました。
私がランチをしたのはここ。
カレーライスは日本の味。それもそのはず、6名いたすべての従業員は日本人です。
もう1回だけ、ヴァンクーバーのことを記します。
やはり、グルメ情報を載せませんとね。
シアトルから北上した高速道路が、
バンクーバーのダウンタウンに入るには
入江をまたぐ大きな橋を越えねばなりません。
その橋を通って市内中心部を貫いている道が、Granville通りです。
GranvilleがRobsonと交差した辺りの界隈は、
ブティックやお土産屋などが立ち並び、
観光客ばかりでなく地元の人たちで賑わっています。
その交差点から東へ進んで数ブロック、
Homor通りまでの南側は気取らないレストラン街となってます。
気軽に食事を楽しむなら、このところがお勧め。
日本料理だけでも、牛丼、カレーライス、うどんやそばなどの店が軒を連ね、
最近地元民に注目の日本式ホットドックの店が盛況でした。
リッチモンドでの最終日は、中国レストラン。
ここは中国の街。本物の中国料理が軒を連ねています。
金曜の夜、ベルビューに帰国しました。
帰国と言っても、リッチモンドから出立して2時間ほど走っただけで自宅到着です。
日本から帰国するのとは違います。
今回は国境検問所に誰も並んでなく、審査も1分もかからずに終わりました。
大抵金曜の夜は長蛇の車列が並び、
1時間ほど待たねば審査を受けれないのが普通なのですが、
その日はどうしたことでしょうか。
何の要因があって、米国へのカナダ人の流入が激減したのでしょうか?
米国経済がどの指標も堅調な伸びを示し
再び米ドルはカナダドルを5%ほども凌駕しているようですが、
それと関係しているのでしょうか。
オリンピックの際のロゴマークともなった、インディアンデザインの石。
この日はカナダ・ヴァンクーバーにて、宣教師のIさんと夕食。
彼女は日本の社会人や留学生をお世話されながら伝道をしておられます。
ホサナ教会がサポートをしているキース&セイラ宣教師ご夫妻(札幌)の
紹介で彼女と初めてお会いしたのが3年ほど前。
Iさん曰く、
「私のミニストリーをハチャメチャにしている要因」
であるカナダの移民政策について知りました。
カナダは米国と比べて外国人の滞在ビザ交付条件がかなり緩いです。
米国では、4年生大学を卒業した留学生に1年間の就労が認められる、
プラクティカル・トレーニング・ビザがあります。
それとてスポンサーとなってくれる雇用先を見つけるのは至難のことで、
多くの学生は夢半ばにして帰国せねばならないのが実情。
国境線をまたいだカナダでは、
ワークホリック・ビザがあり、
30歳以下であれば誰もが入国出来、就職も自由となっています。
その緩さが、Iさんを超多忙にさせているとのこと。
ワーホリの申請時に30歳の誕生日前ならビザは発給されるため、
33歳の人もいます。
その30から33歳までの人たちは
ギリホリ(ギリギリのワーホリ所有者)
と呼ばれているのだそうです。
そう言えば、カナダでは美容師・理容師免許は必要ありません。
学校を出て(あるいは出なくとも)、誰もが簡単に美容店で働くことができます。
お客が付くかどうかはその人の腕にかかっていて、
政府発行の証明書はないのです。
米国では美容免許が就労には必要です。
それも州によって免許証が異なりますので、
州をまたいで引っ越すと、
新たにその州の試験を受けて免許を取り直さねばならなくなります。
数年おきの免許更新時にも試験が課せられます。
Iさんとの会話の詳細はここで公表出来ませんが、
陸続きの国境を超えただけで
社会の様子がガラッと変わってしまう事例を見せていただきました。
その社会は移民政策に多くを負っていることも。
注射針は医師が人体に使用するような鋭いもので、
指先に触れただけで、流血となりました。
プリンター自体の価格は驚くほど低くても、
そのインク・カートリッジがこれまた驚くほど高い。
安く機械を買わせてた後に、
その機械しか通用しない専用インクで儲けようとするメーカーの作戦は明白。
悲しいかな、その作戦に分かっていながらハマる以外に無かった。
数年前、どのメーカーにも使用可という詰め替え用カートリッジを
宣伝に釣られて買って見たが、見事に外れた。
その値段は通常の4分の1以下のもので、つい宣伝に乗せられたが、
印字ができない。
以来、高額なメーカー発の専用カートリッジを買い続ける他なかった。
それにしても、メーカー側の戦略に負け続けるのは癪である。
先日、補充インクを買って見た。
インクの固有名称と一致する補充液だったので、信頼性があると判断。
この日、帰宅すると家内がプリンターがインク切で印刷出来ないとパニック状態。
数分後にはサンダーズのゲームに息子と出発せねばならないが、
オンラインで購入したチケットを印刷しなくちゃならない。
説明書とにらめっこしながら、
インクを補充しようとする私の闘いが始まった。
「ラベルを剥がせば、3つの穴が見える。
その穴をドリルでさらに大きくこじ開けろ。
その穴に組み立てた注射針を差し込み、
中にあるスポンジにゆっくりとインクを染み込ませろ」
と能書きにある。
理屈は分かる。
だが、ラベルがそう簡単に剥がれない。
剥がれるようには出来ていない。
爪で引っ掻いてなんとか下地が見えるまでに17分もかかってしまった。
その上、「3つの穴」なんて現れて来なかった。
当てずっぽうでそれらしいマークのあるところに、ハンドル・ドリルを当てる。
そのドリルを手にしての穴開けに、1箇所7分はかかった。
大型ボトルから吸い取ったインクを容器内に注入する作業は楽しかった。
テスト印刷して見る。
プリンターが作動を始めた。見事に印字してくれる!
表示はインク無しのままなのが心配だが、今のところ印字自体はOKだ。
これならインク代が10分の1程に節約できそうだ。
コロンビア川です。対岸はオレゴン州で、手前がワシントン州。
私たちが天国に渡るときは、天使がエスコートしてくれます。
今日も家内は、ケアハウスに入居している義父を見舞ってきた。
彼に夕食を食べさせるサーブをして先ほど帰ってきました。
普段、その義父を介護してくれている人に、Gさんがいます。
彼女は数年前、交通事故で重症を負い骨盤と片足、膝を複雑骨折。
肋骨も多く骨折した上に両肺が潰されて
心配停止で人工呼吸器につながれたそうです。
医師は家族にリスクを冒して人工呼吸器を外してみるか、
それとも、このまま残る生涯を機械につながれたままにするかの判断を迫った。
家族が導きを求めて、皆で祈っていた時です。
意識のないGさんでしたが、ちょうどその家族が祈っている時、ある幻を見ました。
とても背の高い人がベットに横たわるGさんに近づいて来ました。
その人の影が長く伸びています。
そして彼女にこう言ったそうです。
「一歩ずつ、わたしの陰の上を歩いてくればいいんだ」
家族はその後、人工呼吸器を取り外すことを決意。
Gさんは、6ヶ月後に退院します。
そして職場に復帰して、最初にあてがわれた患者さんが義父でした。
その夜に再び幻を見たそうです。
あの背の高い人物が再び現れて、
彼女の後ろから肩を叩いて言うのです。
「このひとだ。この人のためにあなたは退院したんだ」
Gさんは義父のケアを始めますが、
衰えた義父は、やがて24時間介護のあるホスピス病棟に引っ越すことになります。
「誰がドクター(義父)にホスピスケアが必要だと決めたのですか?
彼はまだここで大丈夫です。
もしドクターがそこに引越すのでしたら、
私も配置換えをして彼のケアを続けさせてください。
そうでないなら、私は仕事を辞めます。」
彼女がマネジメントにそのように嘆願した時に、
これらの話を家内にしてくれたのです。
今日も義父は、Gさんの手厚い心あふれる介護に支えられています。
Gさんの幻に現れた背の高い人とは、もちろん主イエスのことです。
「あなたがたのすることは、
ことばによると行いによるとを問わず、
すべて主イエスの名によってなし、
主によって父なる神に感謝しなさい。 」
(コロサイ 3:17 )
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この日、入道雲がモクモクと発生。
真夏を思わせる気候となりました。
「山頂での栄光」
マタイ17章1~ 8節
~マタイ福音書連続講解説教44~
聖書本文とメッセージノートはこちらから:
http://wdx.hosannamin.org/whatsnew/view/71844
先回のマタイ16章のピリポ・カイザリヤからのストーリーを追って見ましょう。
17章との間には、6日間の時間の流れ(1節)があります。
その6日間、主と弟子たちとの間には冷たい隙間風が流れていたと推察されます。
主は最も大切な「受難」を打ち明けたのでしたが、
弟子たちには受容できないばかりか、
「引き下がれ、サタン」と厳しく叱責されてしまったからです。
メシア王国建設の代わりに受難と死だけが主の将来に待っているとしたなら、
その弟子として追従する意味があるのだろうか、
と弟子たちは自問自答したことでしょう。
気まずい空気の中で、
その話題を持ち出すことは弟子たちからはできませんでした。
この師弟関係のつまずきをどのように修復するかが、
17章の一つのテーマとなっています。
主は3人の内弟子だけを伴って高い山(多分ヘルモン山)へ登られます。
❶シャカイナ・グローリー
主イエスが祈っておられると、
「御姿が変わり、御顔は太陽のように輝き、御衣が光のように」
輝きます。
これは、主がその内側にすでに保持しておられる神としての本質が、
肉体のベールを裂いて輝き出た瞬間でした。
そして旧約聖書の二大巨頭と言うべきモーセとエリヤとが現れて、
主イエスのエルサレムでの最期(エクソダス:ディパーチャー)
について話し合っていたというのです。
❷ペテロの提案
彼はその時、
「先生。私たちがここにいることは、すばらしいことです。
もし、およろしければ、私が、ここに三つの幕屋を造ります。
あなたのために一つ、モーセのために一つ、エリヤのために一つ。」
(マタイ17:4)
と言います。
ペテロはその時、
「恐怖に駆られて言うべきことが分からなかった(マルコ9:6)」。
この箇所を、多くの西洋神学者たちは、
彼が光栄に接するための時間稼ぎのためか、
寝ぼけていたために
そんな見当違いを口走ってしまったのだ、と説明します。
私はあるユダヤ人学者の説明を聞いて始めて得心できました。
ここでの「幕屋」は、モーセがシナイ半島で出エジプトの際に作ったものでありません。
それは仮庵の祭りの際に建てられる粗末な掘っ立て小屋のことです。
この時期、その仮庵の祭りの前後と思われます。
仮庵の祭りは、メシアの来臨とメシア王国成就を待望して
ユダヤ人が今日に至るまで毎年継続している秋の例祭です。
ペテロは、そこでイエスが栄光のメシアとして変貌された今、
旧約の代表者らとともに王国を樹立する瞬間がやって来たと理解したのです。
つまり彼の進言は決して場違いのものでなく、
預言成就の文脈に沿った正統なものでした。
ただ彼もその他の弟子たちも、
仮庵の祭り(秋)の前に、
過ぎ越しの祭り(春)が祝われている
預言的意味を把握していません。
過ぎ越しの祭りが予表しているものは、メシアの受難です。
栄光のメシア到来の前に、受難の時が来なければならないのです。
❸バットコル:天からの声
父なる神様が、
主イエスに直接天から声をかけられたことが、主の生涯に3度ありました。
その3度は何れも主の生涯の転機となる瞬間で、
父なる神の承認・確認を必要としていた時でした。
• 洗礼の時:マタイ3:17 ~ミニストリーの開始期に
• 変貌山 にて:マタイ17:5 ~ミニストリーが弟子たちに受け入れられない時に
• 受難の直前:ヨハネ12:28 ~ミニストリーの完成間近に
「彼の言うことを聞きなさい」とのことばは、先回の洗礼のときにはないものです。
これはペテロの誤り(16:22)が指摘されネバならず、
十字架の道が神の御心であることが示すためのものでした。
ここで、
主イエスにとってエルサレムでの十字架が
主のゴールであることが確認されました。
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