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ブロードウエイ・ミュージカルへ?!

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この1年間ですっかりとティ~ン... この1年間ですっかりとティ~ンらしくなりました。

先週、ニューヨークに本拠を構えるブロードウエイ・ミュージカルが
子役の歌い手を探していて、シアトルでオーディションがあると知り、
長女がそのオーディションを受けに行きました。


200人ほどの子供たちが同様にオーディションを受けたようです。


6つの課題曲から一つを選び、1分の持ち時間で
審査員の前に一人歌わねばなりません。


この日、その結果が届きました。

合格!!!

5名の合格者の一人に選ばれたようです。

第2次選考がこの8月にあるとのことです。
#受験 #外国語 #学校 #教育 #科学

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「キリスト教の本質~ユダヤ人と異邦人:新しいひとりの人」

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ホサナキリスト教会・聖書広場からの抜粋です

「キリスト教の本質~ユダヤ人と異邦人:新しいひとりの人」
マタイ15章29~39節
~マタイ福音書連続講解説教40~

メッセージノートと聖書本文ははこちらから:
http://wdx.hosannamin.org/whatsnew/view/529-3940

{メッセージの抜粋}

マタイ15章は、キリスト教の本質を明らかとした章として学んできました。

1~20節  :パリサイ的ユダヤ教との対比:パリサイ人の偽善性
21~28節 :異邦人との対比:ユダヤ人の優先性
29~39節 :歴史的な帰結:ユダヤ人と異邦人の一体性

本日の記事は、デカポリスという異邦人の場所が舞台となっています。

そして、弟子たちを引き連れての第3回目のリトリートでした。

その場所で、主は大勢の異邦人、
「足のなえた者、手足の不自由な者、盲人、
口のきけない者、そのほかたくさんの人 」(30節)
をいやされておられます。

これは、メシアとしての業が異邦人にも広がっていることを体現しますが、
ミニストリーとしては例外的なものです。

先回学んだように、
初臨のメシアはあくまでもイスラエルに遣わされた方だからです。

それでは、異邦人社会でのこの主の働きをどのように受け止めれば良いのでしょうか。


これは「メシア的王国」の先取りであり、
やがて成就する預言のひな形であると考えるのが良いと思われます。

イザヤ35章。

さらに、新約での新しい時代・教会時代
を予表する出来事であると捉えることもできます。


教会時代の特徴について、聖書は次のように教えています。

①教会は、ペンテコステ以後に始まる、メシアを地上に体現した「からだ」である。

②教会の構成員はユダヤ人と異邦人の両者から成る。

③両者は「新しいひとりの人」である。エペソ2章11~21節。


われわれ異邦人は、かつて約束の契約からは他国人であり、望みなく、神もない者たちだった。12節

両者を隔てていた壁が壊された。神殿内の隔ての壁。14節。
律法がメシアの死によって廃棄された。15節。
今や、両者はメシアにあって一つの体:共同体である。16節。
同一の御霊によって父なる神のみもとに近づく者とされた。18節。
異邦人はユダヤ人と同様、同じ国民であり、神の家族。19節。
メシアを礎石として、一つの建物(教会)の会員として建て上げられる。22節


そしてこの教会時代が始動するためには、
モーセの古い契約に代わる、
メシアによる新しい契約が締結される必要がありました。

そのために流されたのが、メシアの尊い血潮です。

異邦人のデカポリスでパンの奇蹟が行われていますが、

ヨハネ福音書からの見方によれば、
それはメシアの肉体が割かれることを意味しています。

つまり贖いの死を予表したものです。

①ガリラヤ伝道の締めくくりでは、5千人の給食の奇蹟があった

②異邦人の地での伝道の締めくくりでは、4千人の給食の奇蹟があった

③エルサレムでの受難週の最後の晩餐の場面では、パンを裂く教えと聖餐式が制定された

『イエスは言われた。
「わたしがいのちのパンです。
わたしに来る者は決して飢えることがなく、
わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。
(ヨハネ6:35 )


主の十字架は、こうして見ると神学的に3つの重大な意味を含んでいます。

①新しい契約が成就したときです

②モーセの律法が無効となったときです

③異邦人がアブラハム契約の祝福に預かるようになったときです






#救済

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高校同窓会

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シアトル最高峰のコロンビアビル... シアトル最高峰のコロンビアビルディング展望台から
 
高校の同窓生、ABEさんがはるばるカリフォルニアからシアトルまで来られました。

昨年の学年同窓会に参加された彼から、級友たちの消息も窺い知ることができて感謝。

訪問者を通じ改めてシアトルっていいところだなあ、と再発見。

この後は、パイクプレイス・マーケット、そしてウオーターフロントのシーフードレストランで高校時代の話や幕末風雲時代の話に花を咲かせました。

「友あり、遠方より来る
 また 楽しからずや」

#旅行

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父の日、おめでとうございます。

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父の日、おめでとうございます。

朝食は、ダッチベイビというパンケーキにて祝福をうけました。

子供たちからの手作りカードを読んで危うく感涙。

あぶない、あぶない。

世界中のすべてのお父さんたちに感謝します。
祝福を祈ります。

私たちを創られ、今も生かしておられる父なる神をほめたたえます。
#ブログ

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シアトルへの帰途

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シアトルへの帰途


北カリフォルニア上空

今回はご覧のような厚い雲に覆われていますので
水平線への日没風景はお預けと成りました。
#旅行

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ゴールデンゲイトブリッジを越えて

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この日の上空は快晴。 時に厚い... この日の上空は快晴。
時に厚い雲に覆われることがあります。
この日のランチはインド料理店に... この日のランチはインド料理店にて。
数年前までここは日本料理の店でした。
そのときもここでランチしていたなあ。

今日は、ゴールデンゲイトブリッジを越えて、ミルバレーまで行ってきました。

サンフランシスコのダウンタウン部からブリッジに至る幹線道路の工事も完了していて、走りやすい自動車専用2車線と成ってました。

帰りのToll Gate (料金所)は素通りで、無料となっていたのはどうしてかな?

普段なら5ドルほどとられていたと思う。

山間にあるミルバレーはこじんまりとした、でもおしゃれな町。
#旅行

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流れている日本人の血

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安らぎを感じさせるサンフランシ... 安らぎを感じさせるサンフランシスコの日本町


本日は、日本町へやって来ました。


この界隈を歩いただけで、何故か安堵の気持ちが沸いてくるようです。


米国のショッピングモールは、

どこかギラギラしていてシャープで緊張を強いられるように感じます。


日本町にいると、その緊張感が解けていくように感じるのは

やはり日本人の血が流れているのでしょう。


日本のCOOLな品物を売っているお店の店主は、

1年半前までTAKARAという日本レストランでウエイターをしていた方です。


活躍している方を目にするのはうれしいものです。

#ブログ

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歴史の語り部

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母の日に、老紳士が奥様に贈った... 母の日に、老紳士が奥様に贈ったランの花。
母の日と誕生日には必ず花を贈るそうです。


この日にお会いしたのは、90歳少し手前となる日系人の紳士。


奥様ともご一緒に夕食をさせていただきながら、

生きた歴史の語り部にお会いできた特権のひと時となりました。


日米が開戦したとき、この方はわずか15歳でした。


米国市民権を持ちながらも「敵性日系人」扱いで、

家族そろって強制収容所へ送られます。


やがて思想調査があり、米国に忠誠を尽くすか否かの問いには、

NO, NO, と答えます。


成人扱いされる年齢に達したとき、裁判に懸けられて、

国外退去処分となり、日本へ送られます。



彼には、3歳年上の仲良しだった友人がいました。


その友人は開戦前、米軍に徴兵されるのを避けるため、

彼に別れのあいさつと宝物を渡すと帰国しました。


帰国して故郷の熊本で彼の実家を探し当てました。


彼のその友人は日本軍に徴兵され、南の島で返らぬ人となっていたそうです。


現在の平和な世界からは想像するのが困難ですが、

そのような生死の境界を潜り抜けて来た先達者がいらっしゃることは事実。


その生き証人からお話を直接いただけたこの宵は、

歴史に3D映像を与え、彩を添えることとなりました。
#ブログ

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私の救いの証

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死海での夜明け。昨年11月の聖... 死海での夜明け。昨年11月の聖地旅行にて。

日本帰国後の最初の日曜は、
横浜港南教会で礼拝を守ることになりました。

その日は、特別伝道集会のある日です。

私には、救いの証をするようにとのご依頼。

その原稿も月刊教会誌に掲載するとのことで書かせていただきました。

「どうしてイエスを信じたのか? 
信じるとは、あなたにとってどういう意味があり、
その結果どうなったのか」

というのが、
「救いの証」と言うことができるでしょうか。

その原稿を一足早く、皆様に紹介します。




「良くなりたいのか」
                      ホサナキリスト教会
                      高橋京太。


 私の生家は横浜港南教会の近く、戸塚区平戸町にあります。


私が小学生低学年の頃、

東戸塚キリスト教会が平戸町交差点に開拓伝道を始められました。


近所の友人たちと何度も日曜学校に通い、

関東教区合同での夏季日曜学校キャンプにも参加したりしていたのですが、

その時はお遊びの教会生活で終わりました。


次にその東戸塚教会に足を踏み込んだのは、

高校1年生となった時でした。


「かつて通ってたけど、今でもまだ活動しているのかなあ」

なんて不遜な思いで玄関先にある案内板を見ていた時、

ちょうどそこを通りかかった故シェルホン先生と美智子先生が

「どうぞお入りください」と声をかけて下さり、そのまま会堂内へ。


数年ぶりでお会いした伊東先生ご夫妻は、

かつてのヤンチャ坊主の私とは気がつかないまま歓迎してくださいました。


その数ヶ月後、秋の特別伝道集会にご案内を頂いて、高校同級生と出席。


講師は山形から来られた橋本幸夫先生でした。

聖書箇所は忘れもしません、

ヨハネ福音書5章のベテスダ池の間欠泉に佇む病人の癒しのお話。


「初めてお会いした先生なのに、どうして私のことを知っているのだろう?」


あまりにも的確に私の心中を射抜くようなメッセージに、

人間世界を超えた絶対者の存在に圧倒されるかのような思いで拝聴したのです。



当時の私は、期待や希望を抱いて入学した高校生活が馴染めず、

厚い壁に阻まれていたのです。


その原因を友人や家族のせいにして非難したり、

自分の足りない能力に失望して自己嫌悪に陥ってはもがいていたのです。


丁度あの病人が競争原理の中で挫折しては他者を批判し、

自己憐憫の敗北感に38年間打ちのめされていた姿と、

その時の私の姿とが見事にオーバーラップしたのです。


「病人は答えた。『主よ。私には、水がかき回されたとき、

池の中に私を入れてくれる人がいません。

行きかけると、もうほかの人が先に降りて行くのです。』」

(ヨハネ5:7 )



そんな只中に置かれていた彼に主は、

「良くなりたいか」(6節)と

問いかけられたのでした。


良くなりたいのはもちろんのはずです。

でも38年間という長期間は、その希望を彼から剥ぎ取っていました。


その彼対して、病の現実よりも、他者との競争よりも、

優しく「良くなりたいか」と語りかけられる主に

信仰の目を上げるようにと迫られたのだ、

というメッセージは、私に強烈なインパクトを持って迫って参りました。


さらに主は、「起きて、床を取り上げて歩きなさい」(8節)と言われて、

彼の病を瞬時に癒されておられます。


主のお言葉に応答するなら、

それまでの生き方とは違う、

別個の次元の生き方が開かれるのだろうか??


そのような、漠然とはしていましたが、

抗し難い迫りを感じながら、信仰の挙手決心に導かれたのでした。


以来、30年以上の月日が経過しました。

あの時の決断・決心は、生涯で最も大切で意義あるものであったと、

今振り返ることが出来ます。

主はそのお言葉通りに、

信仰を持ってついて行く者に良いことをして下さるお方でございました。


その後の歩みの中でも壁に突き当たる度ごとに、

「良くなりたいのか」と問いかけられて来たようです。

見える現実に失望することから、語りかけられる主のお顔を見上げ、

主が実現してくださる恵みの御業に参与させていただいて来ました。


あの特別伝道集会の結論に語られていた聖句を最後にご紹介します。



「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。

わたしがあなたがたを休ませてあげます。 (マタイ11:28 )」


この約束のお言葉は確かであると、

その後の30年以上の信仰生活から証言できます。


くびきを共にするように、主イエスと共に歩いた30数年間でした。

その歩みは、心地よさと安らぎとに溢れたものでした。

そして重荷を主のもとに降ろすこと、

降ろしても良いことを日々学ばせていただいております。





ヨハネ福音書5章1~8節

1 その後、ユダヤ人の祭りがあって、イエスはエルサレムに上られた。


2 さて、エルサレムには、羊の門の近くに、

ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があって、五つの回廊がついていた。


3 その中に大ぜいの病人、盲人、足のなえた者、

やせ衰えた者たちが伏せっていた。*


5 そこに、三十八年もの間、病気にかかっている人がいた。


6 イエスは彼が伏せっているのを見、

それがもう長い間のことなのを知って、彼に言われた。「よくなりたいか。」


7 病人は答えた。「主よ。私には、水がかき回されたとき、

池の中に私を入れてくれる人がいません。行きかけると、

もうほかの人が先に降りて行くのです。」


8 イエスは彼に言われた。「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」







#救済

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イスラエル旅行の同窓会

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復活された主が弟子たちに顕現さ... 復活された主が弟子たちに顕現された、
ペテロの再召命の場所
ナザレにある聖誕告知教会の前で ナザレにある聖誕告知教会の前で 地中海を望む、カイザリヤにて 地中海を望む、カイザリヤにて
来週、家族で一時帰国します。

今年も主に山形県大江町で過ごすことになります。

子供たちはそこの小学校へ体験入学。毎年の恒例行事。

長女が6年生となったため、今回で小学校は最後の体験入学です。

来年の中学校についてはまだ未定です。



昨年第1回目となったCOG聖地旅行が秋にありましたが、
その同窓会を大江町教会で開くことになりました。

日時は6月29日、土曜日。

ガイドのルツさんは、ご両親を伴い参加してくださいます。

現在、横浜・川崎からも数名の参加表明者があります。

翌、日曜礼拝では説教の御用を拝命していますので、
ガリラヤでの主イエスの働きの聖書記事を取り上げるつもりです。

私たちが訪れた地をスライドショウで紹介しながら、
さながら聖地旅行を再現するつもりです。

その時のガイドもルツさんにお願いするつもりです。



日曜礼拝の後は、流しそうめんで愛餐会。

その後は皆で、さくらんぼ狩りに出かけます。

大江町で佐藤錦のさくらんぼを直接、木からもいで食べたのが3年前。

その瞬間、驚きを通り越した衝撃が脳を走りました。

あの衝撃を再び体験できそうです。
#旅行

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