先週のアリゾナ・ユタ州ドライブツアーで
どうしても外せない一点がありました。
それを記して、春休みツアー報告の最後とします。
今回の旅で最も大きな感銘を受けて私の記憶に残っている地名が
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■ antelope
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これまでも何度か旅行雑誌に紹介された幻想的な岩肌の色は見てきました。
しかし写真で見るのと、現物で見るとのとはやはり次元が違います。
訪れる時間によって天井の岩間から差し込む光線の角度が変わり
毎分、刻々と岩の色が変化して行きます。
義母はかつて、
antelopeをその目で見たらそこで死んでもいい。
そんな感想を言ったほどです。
それをこの目に納めて堪能できたことは、生涯忘れることはないでしょう。
ガイドの女性がカメラを構えるそのスポット一点に立たない限り、
美しい文様の写真が取れない不思議さ。
わずかそこから1歩でもズレてしまうと、平凡な光景しか写真に残らない有様は、
そのアメリカン・インディアの60歳ほどの女性が、
魔力を持っているかのように錯覚してしまうほど、神秘を秘めたところです。
その秘境のantelope canyonは、The Navajo Nation と言われる広大なナバホ・インディアン居住地に位置しています。
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■ アメリカ原住民の居住区
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インディアン居住区は、米国の中に点在しており、
そこでは自治が営まれています。
連邦税や収税などの所得税は免罪となり、
ギャンブルも許されてます。
そのantelopeまで行くにも、ナバホ族が経営するツアーに参加しなくてはならず、
個人が勝手に踏み込むことができない、独立自治区。
Paigeのダウンタウンからジープに揺られること25分ほど。
舗装されていない原野の砂の上を80キロほどの猛スピードで突き進みました。
運転手は先述の女性。
土地の説明からカメラのポジショニングとその設定を手伝うことまで
何から何まで一人でやってのけるたくましい女性でした。
岩肌の自然が織りなす芸術に圧倒されましたが、
それと共に、アメリカ先住民について考える時ともなりました。
白人が来るまで、この豊かな大陸は彼らのものでした。
白人政府は彼らから土地を取り上げて、価値の低い居住区に追いやったのです。
その負い目を今も継承しているためか、
居住区では所得税が免除。
それでいて、道路や学校、水道光熱などのインフラは州や連邦政府が他と同様に負担します。
警察や消防などのサービスもある他、カジノ許容といった他にはない特典も。
良いことづくめのように見えますが、
その結果は、決してそうではありません。
白人政府に依存した結果、かつての誇り高い自主独立の気風を失い、援助漬けの生活。
主な産業といえば、観光とカジノくらいしか育たず、ほとんどの方々は貧困から抜け出ていません。
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■ 聖書の言葉
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聖書にも怠惰や一方的な援助に頼る生き方を戒める次の言葉があります。
7 どのように私たちを見ならうべきかは、あなたがた自身が知っているのです。
あなたがたのところで、私たちは締まりのないことはしなかったし、
8 人のパンをただで食べることもしませんでした。
かえって、あなたがたのだれにも負担をかけまいとして、
昼も夜も労苦しながら働き続けました。
9 それは、私たちに権利がなかったからではなく、
ただ私たちを見ならうようにと、身をもってあなたがたに模範を示すためでした。
10 私たちは、あなたがたのところにいたときにも、
働きたくない者は食べるなと命じました。
11 ところが、あなたがたの中には、何も仕事をせず、おせっかいばかりして、
締まりのない歩み方をしている人たちがあると聞いています。
12 こういう人たちには、主イエス・キリストによって、命じ、また勧めます。
静かに仕事をし、自分で得たパンを食べなさい。
(2テサロニケ3:7-12)
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ホサナキリスト教会・聖書広場でのノートです。
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「奥義としての王国―その②:御国の5つの側面」
マタイ13章18~23節
~マタイ福音書連続講解説教32~
{メッセージの抜粋}
聖書では「神の国」が5つの様相をなしています。
どれを指しているのかは、その文脈で判断をせなばなりません。
正しい判断ができないと正しい解釈ができずに、聖書が何を伝えんとしているのか分からなくなります。
マタイ福音書では「天の御国」用語が使われていますが、
これは「神の国」と全く同じものです。
マタイはユダヤ人に向けて福音書を書きましたので、「神」という語を意図的に避けたかったのです。
ユダヤ人は、畏怖の念から「神」を筆記も口述もしないのです。
聖書の言う「神の国」は、
我々一般の日本人が抱いてる「神の国」とは根本的に異なるものです。
「死んだら天国に行ける」意味でのそれではありません。
それは現世において体験できるものであり、
かつ力を持って実現しつつあるものであり、
将来に圧倒的な実存的威力で完成されるものです。
それでは、聖書の教える「神の国」の5つの側面とは、
1. 宇宙的・永遠の御国
神が森羅万物の創造者にして、供給者あり、支配者である側面
全宇宙が、そしてあらゆる時代がすでに神の国であるといえます。
なぜなら神が究極的には全てを統べ治めておられるからです。
「この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。」 (使徒 17:24)
「主は世々限りなく王である。 国々は、主の地から滅びうせた。」 (詩篇10:16)
2. 霊的な御国
聖霊によって新しく生まれた者たちの心に存在するもので、
アダムから現在まで、信仰によって義とされたものたちがその住人である。
「 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」 (マタイ 6:33 )
ここでの神の国は、信者の心に実現する神の統治を指しているもので、
それは信仰により新生することにより、現在可能のことである。
この御国はアダムから永遠の先までの信者をメンバーとする
3. 神政政治による御国
神政政治国家(イスラエル)を通じての神の間接統治
神様は、イスラエルをご自身が特別に統治する民族・国家として選ばれた。
ゆえにそこに「王国」があった。それは限定期間であり、
大きく二つの時代に分けることができる
モーセによって始めて樹立された王国(神の国)~ 律法が与えられて神政国家の土台が敷かれる
モーセからサムエルまでは、神の召命による仲介者による統治(士師時代)
君主制による世襲統治~サウルからダビデ、デゼキア王による統治
出エジプト19章~Ⅱ歴代36章までがこの御国時代である
神政時代後半は衰退期。
南北分裂とバビロン捕囚によって終焉した王国である
終焉後、現在まで「異邦人の時代」が続いている
預言者による新しい御国形体の預言が衰退期に活発となる
それが、将来に実現されるメシアの御国(千年王国)である
4. メシアの御国(千年王国)
統治者か、統治年数に注目するかで呼び名が変わる
OTのほとんどの御国預言はこの側面である。特に捕囚期以降の預言。
メシアによる直接統治の王国。
エルサレムでダビデの座についての文字通りの地上統治
これはダビデ契約の成就
とこしえの家、王国、王座、子孫を与えるとの約束
Ⅰ歴代17:11~15
B.ヨハネと主イエスが「近づいた」と伝えた御国
当時のユダヤ世代からは取り去られたが、
将来のユダヤ世代(艱難期)に再び提供されるもの
「神の国の実を結ぶ国民」(マタイ21:43)とはユダヤ人のことである。多くの学者が「教会」と解釈しているのは誤り。この国民(単数形)が教会(あらゆる民族から形成されるもの)に取って代わったとする立場が置換神学である。
「異邦人」(口語訳)と訳しているのは置換神学の史観であり、誤訳と言わざるを得ない
人間的な視点からは、千年王国は延期された
神の視点からは想定内のことであった。異邦人に伝道が進むことによる成就が既に旧約聖書に預言されている(イザヤ49:1~3)。
5. 奥義としての御国
12章でのメシア拒絶があって、神の国プログラムは変更された。
突如歴史に介入された神の国である。
イエスは答えて言われた。「あなたがたには、天の御国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていません。 (マタイ 13:11 )
この奥義を解説しているのが13章である。
それは奥義である
「旧約聖書では啓示されてず、新約時代になって初めて明らかにされた真理」を意味する専門用語である。
OTではこの側面は全く言及されていない
この御国の期間は、メシアの初臨から再臨までの間である
さらに厳密には、ユダヤ人のメシア拒絶(12章)から、将来の艱難期のメシア受容までの間である
「キリスト教界」"Christendom” が最もふさわしい用語であろう
王(メシア)は天におられて、地上には不在状態の御国である
13章のたとえ話は、現在進行中の地上の御国の様子を描写したものである
朝日を浴びるグランドキャニオン
米国の観光地として日本人がベスト3にランクインしている
グランドキャニオンには
いつか行きたいと願ってましたが、
渡米16年目にしてその願いがかなったことになります。
公園内にあるVilleageに宿泊。
6時前に起床して家内と
朝日の当たるキャニオンを見に行きました。
うーん、確かに巨大な岩の塊の威容、
その岩が水平にバームクーヘンの様な幾つもの層を形作り
しかもその層がそれぞれ異なる岩石なので色がこれまた異なる。
朝食後、家族とRim という絶壁の頂上角を平行にハイキングして、
キャニオンを眺めながら散策。
ある展望台に立つと、足元から千メートル以上も垂直に切れ込んだ岩の断崖絶壁。
ランチ後は、売店で買い物をしたいという家族と離れて
私一人はRimから谷を目掛けてのハイキング。
Bright Angel Trail というその手のコースでは最も人気あるコース。
谷底のコロンビア河までは10時間ほどもかかる長丁場。
高低差のある角度から見るキャニオンを見たくて
人々は息も絶え絶えになりながら歩くらしい。
私もその一人とさせてもらって、谷底近くまで進みました。
確かに上から眺めるキャニオンとは違う魅力を見ることができました。
帰は当然ながら上り坂。
久方ぶりに汗が出るほどの運動となりました。
明日はきっと、太腿が筋肉痛となることでしょう。
子供って時に鋭いコメントをくれます
さて、
数日前喪失感にうなだれている私を見て長男がヒントをくれました。
長男が私に伝授してくれた元気を取り戻す名案とは、
「そんなに多く書かなければいいじゃん」
そっ、そうか!
その手があったんだ!
これまでなぜ旅行中にもかかわらずにブログを気にしていたんだろう?
その時間を捻出するために目の色を変えたこともあった。
家族の皆がパッキングを終えて部屋を出る時も、
まだ私はPCを前にしてピコピコとキーボードを叩いてたことが何度も。
「いったい、貴方のブログ何て誰が気にしてるのよ」
「私たちよりも、アレの方が大事なんだわ」
こんな事を言われながらも、ピコピコを止めなかったんです。
27名のメルマガ購読者様のために!
1日にすると平均10名ほどのブログ読者様のために!
使命感を持って書き続け、報告して、分かってもらって、、、
だいぶ、、使命意識をしょってしまったみたい、、、
「そんなに多く書かなければいいじゃん」
長男の一言は
私に開眼を与えました。
目の前にいる家族を愛せないで、
世界の裏側におられる名も知らない人を愛せるだろうか?
目に見える現実のことの方が優先されるべきでなかったか!?
、、、と言うわけで、皆さん。
ここに私は所信表明させていただきます。
私は読者の皆様よりも家族を愛していきます!
家族の必要に応えるためでしたなら、たといブログが日刊にならずとも、
短かくとも、
陳腐であったとしても(もとより陳腐でした(^O^)、
屁にも思わないとにします!
と言うわけで、
大したこともないエントリーとなる(元々そうだ)言い訳で、
今日の記事が書けてしまいました。
「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」(聖書)
目の前にいる人よりも、
見えない全世界の人を愛する方が易しい。
聖書は実に現実味あるチャレンジをしている。
Zion 国立公園内にて
Zion 国立公園の族長たちの広場
左からアブラハム、イサク、ヤコブと名づけられた山々です
Zion(シオン)とは、エルサレムの雅名。
19世紀の後半に、ここに移住した開拓者たちは
切り立った岩の断崖絶壁を見て、イスラエルを彷彿とさせられそう名付けました。
昨年、ヨルダンとイスラエルの聖地旅行へ行ってきましたが、
ヨルダン渓谷南部で見た巨石の断崖は、
ここZionにあるのと確かに変わらないほどそっくり。
その有名な例は、ペトラ遺跡。
モーセとイスラエルの民はシナイ半島からヨルダン渓谷の東側(ヨルダン領地)を通って約束の国へ入りました。
私たちの聖地旅行はその逆コースを進んだのですが、
そのとき、バスはヨルダン渓谷を3時間以上もかけて「王の道」を通り抜けました。
天を切り裂く断崖が見渡す限り続いている威容は
確かにこのZionと変わりません。
Zion公園内にあるWeeping Rock
この車で荒野の道を進んで、秘境のロッククライミングへ
この数日間、厳しい喪失体験をしました。
一つは、作成したメルマガ&ブログ文書の二日分を失ったことです。
久々に気合をいれた2時間ほどのエントリーでした。
Zionにて、その開拓者から現在の国立公園に至る経緯を書いた記事と
そこでロッククライミングや乗馬をした記事でした。
かなりのまとまった時間をかけたものでしたので、落胆も大きかったです。
通常は保存せずともPCに自動保存されるはずですが、移動中にバッテリーがなくなりシャットダウンしたためか、どこにも見出すことができません。
さらに昨日はカメラを失いました。
カヤックをした後デッキに上がる時、ジャケットの下に忍ばせておいたデジカメがずて落ちて、カヤックの上に落下したかと思うと、そのまま湖の中へドボン。
そのカメラにはその日に行ったAntelopeの7色に変わる岩肌や、千メートルの断崖絶壁のHorseshoeで撮った百枚を超える写真が納められていました。
「網で救えないかしら?」
「潜って取りに行ったら?」
心無い言葉を家族から浴びせられてシドロモドロ のワタシ( ̄▽ ̄)
オフィスへ行って聞いてみると
水深は最低でも400フィートあるとのこと。
100m以上も潜れるはずもなく、キッパリと諦める他にありません。
翌日の朝、これら悲劇がフラッシュバックして来たとき、
私は頭を抱えてうなだれていたのです。
そこへシャワーを終えた長男がやって来て聞きました。
「ダディ、どうしたの?」
理由を話すと、彼には名案があるようで、
目を光らせて語ってくれました。
続きは近日中に。
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