しばらく前にお店の前を通りますと、以前までは和食のお店だったのですが、<(和)バル 立ち呑み処>の文字が目につきました。気になっていたのですが、今宵ようやく訪問です。
大将に聞きますと、従業員も辞めて気軽に一人でと思いたち、立ち呑みの「バル」に切り替えて約4ヶ月ほどが経つそうです。
カウンターの向こうには、大鉢に盛られたおばんざいが並び、どれも食べたいものばかりでした。
最初に「柚子の小芋煮」を食べながら、肴を考えていたのですが、発砲スチロールに氷詰めされた殻付きの牡蠣が目にとまり、迷わずに注文です。新鮮な海のミルクの幸、美味しくいただきました。
最後の〆は、「アンチョビポテト」で、ビールとの相性は言うまでもありません。
カウンターに大きな「ハモンセラーノ」のハムが置かれてあり、「荒田にスペイン居酒屋の <BAR Mercado> さんというお店があるんですが、そこよりも大きいですね」と何気なく言えば、「ママさんとも知り合いなんですよ」との返事に驚きました。
世間は狭いもので、次回<BAR Mercado>へ顔出ししたときには、美人ママさんとの話題が出来ました。
毎日「お昼の日替り定食」(500円)として、二種類のメニューが用意されている【灯】さんです。
少し遅めのお昼ご飯になり、売り切れを心配していたのですが大丈夫でした。
本日のメニューは、「チキンカツ」か「焼そば」で、迷わず大好きな「チキンカツ」を選びました。
産経新聞を読みながら待っていますと、出てきました大きな「チキンカツ」の定食です。
カリッと揚げられた衣の中に、鶏肉のジューシさが閉じ込められています。
小鉢の<レンコン・人参・インゲン・蒟蒻>の煮物も上品な味で、おいしくいただいてきました。
前回の訪問 から間が空きましたが、相変わらず優しい女将さんの応対と共に、お昼の定食がワンコインでいただける貴重なお店として、今年は訪問の回数を増やしたいところです。
<ツバキ(椿)>は、ツバキ科ツバキ属の常緑樹で、日本原産です。
学名も、「 Camellia japonica 」と表記されています。
野生種の標準和名は「ヤブツバキ(藪椿)」ですが、 「ユキツバキ(雪椿) = Camellia japonica var. decumbens 」などと交配させて多数の園芸品種が生み出されています。
花期は冬から春にかけてが一般的で、俳句の季語として「花椿」は春を指しますが、冬の最中に咲く早や咲きもあり、「寒椿」や「冬椿」は冬の季語として扱われています。
八重咲き・唐子咲き・ボタン咲き・獅子咲き・千重先等、花姿も多様にある中、5枚花弁の<ツバキ>の鉢植えを見つけました。
単純な5枚花弁は、間違いなく<ツバキ>の原種の一種だと思います。
四川省南西端にある「会理」の山地に由来した「カイリベニサンチャ(会理紅山茶)」に似ているようですが、原種の数も多く、同定の自信はありません。
少し前になりますが2009年10月刊行で、第23回山本周五郎賞を受賞している作品です。
いわゆる「警察小説」の部類になりますが、とても重厚な内容の一冊でした。
若い女性の叫び声を聞いたとの通報で、近くの交番所から制服警官が出動しますと、すでにナイフで刺殺された後でした。殺害犯は、手の人差し指を切断しているところから、物語は始まります。
前半は警察内部の複雑な人間関係の軋轢や駆け引き、ステレオタイプ化された刑事の家庭環境などが殺人事件の捜査と共に描かれてゆき、後半から一気に意外な結末に集客されていきます。
第二第三の殺人事件が、ネット社会の象徴である「掲示板」を用いて予告が行われ、捜査陣をあざ笑うかのように警察を出しぬき実行されてしまいます。
主人公である捜査一課の<西条>は、独特の推理で犯人像に迫ってゆくのですが、政治的な力が加わり、愛人問題も露見して警察を退職せざるをえなくなります。
出世や名誉欲のない<西条>は、ホームレスにまで身を落としますが、持ち前の推理と愛人を殺されたことにより犯人に辿り着きますが、家庭を壊し愛人を死なせた「後悔」の念は消えません。
このあと<西条>は、どのような人生を歩むことになるのか、気がかりになる終わり方でした。
夕方からもう一仕事こなさなければならず、早や目の食事を【吟】で取りました。
お昼間の営業はしておらず、歓楽街「福原」の中にありますので、営業は夕方4時から朝6時ですので、なかなか顔出しが出来ません。
いろいろと食べてきていますが、「焼き飯」(500円)と「ワンタン」(400円)の取り合わせにしました。
「ワンタン」は華北で生まれた料理ですが、当初は餃子と同じ「渾沌」と表示されており、唐代になって「餃子」と「渾沌」に分類されています。
中国語では「渾沌」の文字から「餛飩」が標準的な表記のようですが、広東語の「雲呑」の文字の方がよく見かけるように思えます。
わたし的には、ワンタンスープにコショウを効かしていただくのが好みで、焼き飯と合わせて美味しくいただいてきました。
昨年大人気だった「塩麹」ですいが、やはりといいますかインスタント麺の世界にもありました。
「塩麹」は、麹に塩と水を混ぜ発酵させた調味料で、隠し味として各種素材に使われ、まろやかにさせるようです。
塩麹使用として食べるカップ麺としては、この【塩麹をつかったまろやかうどん・白湯味】(105円)が初めてです。
きしめん状の平たいうどん麺で、熱湯で5分間待ちました。
麺をほぐした後、あといれ液体スープを入れますが、「白湯味」ということで白味噌的な色合いでした。
味は、何と表現しようかという悩ましい味です。ラー油的な味わいを感じ、和風うどん出汁というよりは、ラーメンスープの雰囲気です。
かやくは、<豆腐・味付卵・ネギ・唐辛子>が入っており、特に<豆腐>は小さいのですが、具材としての存在感がありました。
スープを飲み進むにつれ、底の方にもろみらしきツブツブが現われ、コクがありますが、やや薄めの白味噌仕立ての味噌汁といった趣の味わいでした。
植物は、コケ植物・種子植物(裸子・被子植物)、そしてシダ植物に分類されますが、シダ植物は胞子によって殖え、花を咲かせませんので、あまり関心を持たれる存在ではないようです。
路傍や石垣などに出現する一般的なシダとして、【オニヤブソテツ(鬼藪蘇鉄)】があります。
オシダ科ヤブソテツ属の常緑シダ植物として、日本をはじめ台湾・中国・朝鮮・ベトナム等に分布しています。
ヤブソテツ属の共通として幅広の小葉を持ち、ほぼ同じ大きさの葉が並んでいます。葉全体が厚く、濃緑色で艶があり、多数の葉がロゼット状に広がります。
左右に並ぶ小葉は、ほぼ先の尖った三角形で、葉の先端方向へとその先がまがった形状になっています。
欧米ではシダですが観葉植物として人気があり、日本での別名は「オニシダ」と呼ばれています。
今日は第三火曜日で、ホームグラウンドの立ち呑み屋「鈴ぎん:福寿」がある(新開地タウン)は全店定休日で、お休みです。そんなわけで、【仙草】さんに早や目に顔出ししました。
今宵の肴は、「ピータンと豆腐のサラダ」(650円)にしました。
<ピータン(皮蛋)>は、アヒルの卵を石灰や木炭などアルカリ性のモノを粘土と混ぜて卵に塗り、もみ殻などをまぶして作り上げます。
高級品には、白身の表面に松の枝のような紋様があり、<松花蛋>と呼ばれ珍重されています。
黄味の部分が半熟状態のモノと硬いモノに分かれ、発酵臭の弱い柔らかい方を良く見かけます。
カイワレ大根や赤・黄ピーマン、オニオンスライス・レタスとのい色合いもきれいで、中華風ドレッシングとともに、いい味わいでした。
サラダですが、しっとりとした<ピータン>が、紹興酒のよいお伴になりました。
本日で小正月も終わりですが、「仙草」さんで振る舞い酒の「純金箔入」をいただきました。
もうすぐ阪神・淡路大震災から18回目の1月17日を迎えますが、<金箔入りの日本酒>は、大震災と切り離すことが出来ません。
お正月の挨拶回りで金箔入りの一升瓶をいただき、大震災前夜に呑んでおりました。
私の備前焼の徳利は大きめで、2合半程入ります。
お替りを繰り返しますと、一升瓶も残りわずかの量しか残りません。
呑み切ろうとしたのですが、相方からストップがかかり座卓の上に瓶を置いたまま就寝、翌明朝に地震が起こりました。
一升瓶は見事に破損して、お酒はこぼれた状態でした。
当時中学生だった娘の、「お父さん、呑んでおけばよかったね」の言葉は、笑い話として残っています。
思い出の<金箔入り日本酒>、平々凡々に過ごせる今に感謝しながら、一気に飲み干しました。
映画『愛のコリーダ』や『戦場のメリークリスマス』などを手掛けた映画監督の<大島渚>さんが15日午後3時25分、肺炎のため神奈川県藤沢市の病院で死去されています。80歳でした。
1954年に京大法学部を卒業後、松竹大船撮影所に入社。主に<大庭秀雄>監督の下で助監督経験を積み、1959年『愛と希望の街』で監督デビュー。若者の渇いた心情を荒々しく切り取りました。『青春残酷物語』(1960年)などが若い世代に支持され、<篠田正浩>氏、<吉田喜重>氏らとともに「松竹ヌーベルバーグ」の旗手と呼ばれました。
1961年に松竹を退社して、創造社を旗揚げし、『絞死刑』(1968年)など社会的テーマを実験的な手法で表現する作品を次々と発表します。昭和史に残る「阿部定事件」を題材にした『愛のコリーダ』(1976年)は大胆な性描写が物議を醸し裁判にまでなっています、ミュージシャンの<坂本龍一>や<デビッド・ボウイ>を主演に起用した『戦場のメリークリスマス』(1983年)は大ヒットしました。
『愛の亡霊』は1978年のカンヌ映画祭で監督賞。1996年に脳出血で倒れましたが、新選組内部の同性愛を描いた『御法度』(1999年)で撮影現場に一時復帰しました。その後、後遺症と闘いリハビリ生活を続けていました。
- ブログルメンバーの方は下記のページからログインをお願いいたします。
ログイン
- まだブログルのメンバーでない方は下記のページから登録をお願いいたします。
新規ユーザー登録へ