ご冥福を祈ります<大島渚>さん
1月
15日
1954年に京大法学部を卒業後、松竹大船撮影所に入社。主に<大庭秀雄>監督の下で助監督経験を積み、1959年『愛と希望の街』で監督デビュー。若者の渇いた心情を荒々しく切り取りました。『青春残酷物語』(1960年)などが若い世代に支持され、<篠田正浩>氏、<吉田喜重>氏らとともに「松竹ヌーベルバーグ」の旗手と呼ばれました。
1961年に松竹を退社して、創造社を旗揚げし、『絞死刑』(1968年)など社会的テーマを実験的な手法で表現する作品を次々と発表します。昭和史に残る「阿部定事件」を題材にした『愛のコリーダ』(1976年)は大胆な性描写が物議を醸し裁判にまでなっています、ミュージシャンの<坂本龍一>や<デビッド・ボウイ>を主演に起用した『戦場のメリークリスマス』(1983年)は大ヒットしました。
『愛の亡霊』は1978年のカンヌ映画祭で監督賞。1996年に脳出血で倒れましたが、新選組内部の同性愛を描いた『御法度』(1999年)で撮影現場に一時復帰しました。その後、後遺症と闘いリハビリ生活を続けていました。