亡くなった母がカメラマンだった影響を受け、<志田圭司>も旭川から上京して東京の大学で建築を専攻していますが、将来はカメラマンになるべく家族の団欒風景を撮り続けています。
ある日公園できれいな母娘を写していると、<初島>という男性から「あれは妻の百合香だが、尾行して写真を撮ってほしい」とのアルバイトを頼まれてしまいます。
晴れた日には必ず公園に出向く<百合香>と2歳の娘<かりん>を撮影していくうちに、いつしか<圭司>は2歳年上の<百合香>に恋心を抱いてしまいます。
21歳という多感な年頃の<圭司>に、下宿仲間の<ヒロ>や小学校からの男勝りの同級生<冨永>、父の再婚相手の5歳上の姉<裕子>たちが絡み、ユーモラスな青春小説として面白く読み終えれました。
放送作家の<百田尚樹>ですが、2006年8月に(大田出版)より刊行された本書で、作家デビュー、その同タイトルの文庫本です。
祖父とおなじ弁護士の道を歩もうと司法試験の受験を繰り返している26歳の<健太郎>は、フリーライターの姉<慶子>より、母がふと漏らした「本当の父はどのようなひとだったのか」という疑問に答えるべく、26歳で特攻隊員として戦死した<宮部久蔵>の足跡をたどり始めます。
物語は、当時の<宮部>を知る生き残りの海軍関係者9人を尋ね歩く構成ですが、史実に基づき、その当時の日本や海軍の実情を横糸に、<宮部>の「臆病者」や「何よりも命を惜しむ男だった」という、当時としては芳しくない評判が多い半面、パイロットとしてはとても優秀な技量を持っていることが綴られていきます。
<宮部>の人間的な行動にしばし涙を流す場面も多々あり、最後はこれまた思わぬどんでん返しが待ち受けており、575ページを一気に読ませる見事な一人の男の人生ドラマが楽しめました。
主人公は<夢水清志郎左右衛門>で、自称<名探偵>で「事件をみんなが幸せになるように解決する」ことを信条としています。
本書のタイトル『ギヤマン壺の謎』は、大江戸編序章に納められている3事件のうちのひとつで、長崎の出島で起こった高価な「ギヤマンの壺」が蔵からなくなった事件を持ち前の推理力で解いていきます。
長崎から江戸に向かう途中に知り会った土佐弁の侍との道中記にも謎解きが入り、竹光の刀ながら、『天真流』の使い手である<中村巧之助>も登場、江戸に付いた<名探偵>は、三つ子の三姉妹が大家の長屋に住むことになり、 そこには<中村>をはじめ、変人の絵描き<絵者>や瓦版屋<真理>が住んでいました。
昨日のことも忘れてしまう常識ゼロの<名探偵>ですが、目の前で起こる事件に関しては名推理で事件を解決、ユーモアに富んだ一冊でした。
著者の短篇集として<森博嗣自選短篇集>の副題が付いていて、13篇が納められています。
タイトルになっている表題作は、13篇目に収録されていますが、ファンタジックな物語でした。
著者自身が某国立大学の工学部の教授と言う立場ですので、『キリシマ先生』の一遍は、現実的で面白く読めました。
どんでん返しの『卒業文集』、ミステリーっぽい『虚空の黙禱者』や『小鳥の恩返し』など、著者の特性がよく表れた作品集でした。
北海道興部の豪雪の夜、一人の女性の黒焦げ死体が発見されるところから物語は始まります。
ミステリー作家の<神崎慧一>は、致命的な新形ウイルスを主題にした『モナリザの涙』を出版しましたが、評論家<生野幾太郎>の「ウイルスが無生物の絵画の中に潜んでいるとは無知な」と酷評され、落ち込んで筆を絶ってしまいます。
かたやH5N1型鳥インフルエンザらしき病人が沖縄で発生、札幌にある感染症の指定医療病院の院長である<内倉洋次郎>は、兄の厚生大臣<内倉創太郎>に記者会見の要領を教えますが、沖縄の感染も落ち着いたころ兄の隠し子である<神崎>が病院に現れ、その日のうちに亡くなってしまいます。
彼の治療に当たっていたのが、院長の<洋二郎>と医師<山口雄吾>、そして冒頭の女性の看護師でした。
<神崎>は国際的に動いている画商<榎本>に誘われ、ノルウェーの画家<ムンク>のオスローにあるかってのアトリエに出向き、その際トルコの贋作グループに接触、目の前で突然発病したトルコ人に驚き、香港経由で成田へと帰国、自分の体調がおかしいことに気づき、実父の立場を考えて急きょ伯父の病院のある札幌まで出向きました。
<山口>は<神崎>の死に間際の言葉とパスポートから彼の行動を推測、無生物の宿主ではウィルスの生存は無理ですが、ボール紙に繁殖する「ダニ」であれば、「ネズミ」との生態関連で新形ウィルスの変異が可能なことを突き止めていきます。
1918年の「スペイン風邪」をはじめ、1957年尾「アジア風邪」、1968年の「香港風邪」などの歴史を踏まえ、緻密に計算されたバイオミステリーが楽しめた一冊でした。
『植物図鑑』という表題ですが、植物の図鑑ではありませんが、植物好きの人にはたまらない知識が詰まり、表・裏表紙には、各種の野草たちのカラー写真がきれいに並べられ、10章はどれも野草たちを中心に物語は進みます。
主人公の<河原さやか>は26歳のOL、勤め帰りにマンションの入り口で行き倒れの男<樹(いつき)>と遭遇、家で介抱した縁で同居生活が始まります。
<樹>は料理もうまく家事もそつなくこなし、<さやか>はいつしか恋心をだくようになりますが、彼はそんなそぶりを見せない態度で共同生活が続きます。
<樹>は植物の知識が豊富で、週末は<さやか>と連れ立って<ワラビ>や<イタドリ>・<フキ>などを採集、素朴な素材を用いて山菜料理を楽しむ生活が続いていましたが、ある日突然彼がいなくなってしまいます。
<さやか>は失恋のままで終わるのかと読者に疑問を投げかけますが、素敵なエンディングで物語は閉じられ、ほのぼのとさせられる構成でした。
「神様、仏様、稲尾様」というのがありましたが、誰もが一度位は祈ったことがあることだと思います。
仏教、キリスト教、イスラム教という世界三大宗教を中心に、「信仰とは何か」というテーマで書かれた本なのですが、内容は別として、サブタイトルに興味がわきました。
この書籍は<14歳の世渡り術>というシリーズの一巻で、そのまま大人になるつもり?ということで、中学生向きに書かれています。
14歳というのが微妙な年齢で、15歳になれば高校入試の時期になるでしょうから、のんびりと読書など出来ないのではと考えてしまいました。
ゆとり教育といいながら、余った時間は受験勉強をせざるを得ない状況でしょうが、14歳というまだ余裕がある頃に、教科書の勉強以外に目を向けて世界を考えもらいたい気持ちがよく分かります。
<田辺聖子>の小説は大阪府生まれの作家として、関西弁が生きていますので、肩が張らずに読めます。
本書は8話の短篇が収められていますが、どれも関西の名物料理を中心に置き、各短篇に登場する40代の男はそれぞれに好物料理に固執する性格を持ち、現実的な考え方をする女性陣達に喧々諤々としながらも、「所詮人生なんてこんなもんだろう」という喜怒哀楽を漂わせながら、ユーモアたっぷりに描かれています。
登場する料理は、「おでん」・「きつねうどん」・「すき焼き」・「お好み焼き」・「くじら」・「たこやき」・「てっちり」・「白味噌汁」等、どれも関西ならではの構成です。
<タベモノは何でも、一緒に食う相手によるねんな>という台詞が、『たこやき多情』の中に出てきますが、まさに相槌を打つと共に言い得て妙の食と恋の短篇集でした。
「建築紛争事件」に関して、建築分野の専門家として裁判所に出向いていますので、裁判所や裁判官の話題や実状に関しては、どうしても興味を持ってしまいます。
この2009年5月21日より「裁判員制度」が施行されますが、序章を含めて問題点を指摘されています。
また過去の判例を多く用いて、判決の理不尽さを痛快に切り込み、明治時代からの刑法の矛盾点をつき「バカタレ判決」に異議を唱えています。
わたしも「心神喪失」や「心身耗弱」などの理由で不起訴や無罪となるのは納得がいかず、殺人行為自体を正常に行う人間はいないはずです。
判例主義的な日本の判決にも疑問を感じますし、死刑・無期懲役に関する事件だけを「裁判員制度」の対象としているのも、国民の常識を反映させるには、矛盾を感じ得ません。
日本の衰退気味の林業の世界を舞台に、一人の若者が成長してゆく過程が、山の壮大な自然を舞台に見事に描かれている一冊でした。
主人公の俺こと<平野勇気>は高校卒業後の進路を決めておらず、担任から「緑の雇用」制度の研修生として、三重県と奈良県の県境にある「神去村」に送り込まれます。
そこは携帯電話も使えない山間部で、<勇気>は地元の大山持ち<中村林業>に就職、山仕事に関しては天才的な技量を持つ<飯田与喜(ヨキ)>の指導の下、広大な山の手入れの修業が始まります。
<中村>家で見かけた地元小学校の女性教師<直記>に恋心が芽生えるなか、神去村では48年に一度の「オオヤマズミ」の大祭りが開催されようとしていました。
林業の現実として山言葉や詳細な専門用語がちりばめられ、<勇気>の成長に共感を覚えながら、面白く読み終えれました。
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