<グーグルロゴ>(116)「ヨハン・セバスティアン・バッハを称えて」
3月
21日
<バッハ>は、(1685年3月31日」に生まれて、1750年7月28日)に逝去されています。当時はユリウス暦で、「1685年3月31日」をユリウス暦日変換すると、「1685年3月21日」となります。
音楽家の家庭に生まれ、1703年に、ヴァイマルの宮廷楽団へと入団しました。そこで、バイオリニスト、そして、オルガニストとして活躍します。即興演奏を得意とし、若い頃から、その才能は認められていました。
1708年に「ヴァイマル公国」の宮廷オルガニスト、1717年に「ケーテン侯国」の宮廷楽長と音楽家として活動していきます。1723年には、ライプツィヒ聖トーマス教会のカントル(音楽責任者)となりました。この頃から教会音楽を中心とした創作活動を開始します。
1736年には、ザクセンの宮廷作曲家に任命されました。1749年、脳卒中で倒れ、それが原因となり、「1750年7月28日」に逝去しました。
各地で演奏を続けながら、多くの作品を生み出しましたが、彼は生前、作曲家というよりも演奏家として知られていました。そのため、死後、音楽家の中では有名であったものの、世間からは忘れ去られた存在となっていました。
19世紀になり、<フェリックス・メンデルスゾーン>さんが「マタイ受難曲」の復活上演を行うと、評判を呼び、世間で作曲家としての「バッハ」が再評価されるようになりました